2012年4月30日月曜日

今日は雲り空で駅伝には絶好の日和(ひより)でした。7人で42.195Kmを走る駅伝でしたが、私は無理をしないようにと自分に言い聞かせて、8.195Km区間を自己計測では50分で走りました。約6分/Kmのペースですから、昔だったら準備運動のジョギング程度のスローペースですが、今の私の体調ではこれでも精一杯で満足でした。私と同じチームで二区(3Km区間)を走った名誉教授の先生(元同僚・友人)は76才で、歩くのとほとんど変わらないような走りしかできず小学生の小さい子供にも追い抜かれて悔しかったと言っていましたが、大会プログラムをさっと見たところ最高齢の参加者のようでした。それぞれの体調に応じてベストを尽くせば、達成感が得られますので、市民参加のスポーツイベントとしてはそれでいいのだと思います。
一番早いチームは2時間20分くらいでゴールインしていましたが、中にはぬいぐるみを着たり、仮装をしたり、小学生の子供を加えたチームやダウン症らしい少年を加えたチームもあって、楽しい一日でした。ただ、気の毒だったのはあまりにも参加者が多く、タスキの受け渡し地点での次走者の待っている場所が混雑し、必死に走ってきたのにタスキを渡す次走者が見つからずに5~10分くらいウロウロしている人が少なからずいたことです。練習量や自分の実力以上に早く走り過ぎて、ゴール直前でフラフラして倒れた人や、熱中症(?)で倒れて救急車で運ばれた人も数人いました。
レース終了後には、多くのチームが鶴見川沿いの河川敷にブルーシートを広げて、それぞれのグループ毎に懇親会をやっていました。千葉大学走友会もビールとおつまみで楽しいひと時を過ごしました。
これで、冬になるまで、私の今年のマラソン・駅伝のシーズンは終わりです。

2012年4月29日日曜日

支援者からお便りが届いています。土日・祝日は面会できませんが、5月1日(火)と2日(水)は連休の谷間で、市橋君がどこかの刑務所で受刑生活に入る前に面会できる最後の機会でしょうから、私は5月1日(火)にもう一度面会に行ってみようと思っています。
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本山先生へ 小菅までご苦労様でした。先生には代表で何度も足を運んでいただき、ありがとうございました。私も、25日の夜中0時に「この直前に決心を変えてるかもしれない」と、秒針が動くのをながめました。そして今は食欲がなくなるほど、心が重いです。
二審の後は、彼の心は急速に人間社会への虚無感絶望感があったのではないでしょうか。
何が誠意、何が反省、何が悔恨かわからないまま、「お前は黙っておとなしく無期を受け入れればいいんだよ!」という、究極のパワハラに押しつぶされてる感じでした。同時に、もう考えることもメンドッチイというか、罪人が集まる場所で暮らすことの方が楽なのではないかと、ポジティブに考え、人間社会のわけわからない尺度に振り回されることから解放されるべく、自ら線を引いたのではないかと思いました。
そう彼の想いを想像しつつ、私自身は、この裁判を通じて、人間が人間を裁く恐ろしさを感じました。一審の裁判員裁判の不公平性は、二審のプロによる裁判で調整されるかと思いきや、同じ日に来日した英国首相への配慮とも思える、全く一審と変わらない判決理由と判決には、驚きました。私は社会の改革を訴える活動家や左派でもありませんが、こんなことがあってはいけないと、心から憤慨しています。
昨日の新聞一面トップ記事に「刑事事件の被告に不利な裁判になりやすいとの批判を受け、裁判官と検察官の交流を38年ぶりに廃止した」とありました。こんな交流人事が行われていたことさえ、一般人は知りませんでしたが、人を死刑だ、無期懲役だと裁く現場で、このような低レベルな人間的感情が交錯していた可能性があるなんて、一体どういうことかと怒りがおさまりません。38年間でどんな判決が下されていたのか・・・仲良しクラブの運営じゃないのです!
市橋君の事件も、初めに取り逃がした警察の失態からはじまり、イギリスからの圧力で懸賞金も税金で出した訳ですから、イギリス五輪を控え友好的外交ムードの中で、彼の罪そのもの以外の理由で、彼を「極悪人」として処理するのが、司法、政治にとって必要だったのかと思わずにはいられません。だから、あのように「土下座はパフォーマンス」とか「手記を出して反省がない」とか無理やりの理由が出てきたのだと思えば、納得できます。今となっては、市橋君の無期懲役刑という内容が、30年間くらいの中で、また見直され、場合によっては、仮出所が認められたりする変革がなされることを祈るのみです。
これまで選挙の時に同時に行われる「最高裁裁判長」の信任の可否は、何も考えず「〇」をつけていましたが、今後は慎重に考えます。
すみません。ぼやきました。市橋君、また私達支援者のことを思い出してくれる時が訪れると信じます。

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本山直樹先生。明日は横浜駅伝大会ですね。先生、頑張ってきてくださいね。ご無理なさらず先生のペースで襷(たすき)をゴールまで運んであげてください。色々と大変お忙しい中で走り込みも思うように出来なかったと思います。
市橋さんの事では先生にご足労とお手数をおかけしてしまい申し訳ありません。日々ブログの更新もして頂き本当に有難い想いでした。これからの事は市橋さんのご様子をみながらご連絡をとらせて頂ければと思います。遠くから日々、先生や市橋さんがお元気でおられますよう祈っています。
こちらもハナミズキが綺麗に咲いています。ハナミズキの花言葉は【返礼】です。何だか今の状況で考えると、とても感慨深い心境になります。
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市橋さんは上告を断念したとのこと。人は何処にいても自分磨きはできますから、今後は市橋さんにしかできない生き方を模索し成長して欲しいです。人は皆、回りの人達に生かされているということに気づいて欲しいです。人の一生は重き荷を背負いて遠き道を行くが如し・・・(徳川家康の人生訓)とあるように、誰にとっても生きるということはけして楽なことではないのだということに気づいて欲しいです。そして、苦しい思いや悲しい思いを乗り越えられる心が持てますように。
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アメリカ在住の孫娘は昨日が7才の誕生日でした。時差があるので、今日(向こうの時間で昨日の夕方7時頃)電話をしてHappy Birthday!(お誕生日おめでとう!)と言ってやりました。向こうでは誕生日のお祝いによくやることですが、学校の仲良しの友達8人が遊びに来てくれていました。昼間は皆で陶芸教室を訪ねて粘土をこねてお皿や茶碗や壺を作って遊び、夕方は家で母親が作ってくれる料理やケーキを食べて、夜は居間のカーペットに布団を敷いて皆でおしゃべりをしながら並んで寝ます。7才の女の子たちが親元から離れて自由になった気分でおしゃべりし合う様子を想像するだけで微笑(ほほえ)ましくなります。親どうしも了解の上ですが、子供たちにとってはお互いの家に泊まりに行って存分に遊べるのは楽しみのようです。自分の家とは違う他の家の習慣などに接して勉強にもなるので、こういう習慣ができたのかもしれません。

東京農業大学のメールは回復したようです。
明日は朝7時半頃家を出て、鶴見川沿いで行われる横浜駅伝(662チームが参加予定だそうです)に参加して、千葉大学Bチームのアンカー区間(8.195Km)を年齢相応に練習量相応に、無理をせず仲間と楽しく走ってきます。

2012年4月28日土曜日

私が1978年(昭和53年)にアメリカから日本に帰国して、千葉大学に勤務して最初に私の研究室を専攻してくれた元学生が4月20日に60才で会社を定年退職した機会に、親しかった仲間が母校に集まってお祝いの会をしました。私を含めて6人でしたが、昔はほっそりした体型だったのに年齢相応に(私自身も含めて)貫禄がついた人もいました。娘さんが今年千葉大学園芸学部に入学したという人もいました。午後1時から3時までの予定でしたが、話に花が咲いて、終わったのは4時でした。次回は、今年定年退職した人が自給自足の生活をするために福島県浪江町(放射能汚染で立ち入り制限区域になった)に購入した農場で再会しようと言い交して解散しました。

教え子たちとの楽しい時間を過ごした後、ビールとワインの酔いを醒(さ)ますために、一人で大学周辺をブラブラ散歩をしました。いろいろな花が目に留まって、春真っ盛りでした。ピンクのハナミズキもありました。小さい子供がいるのでしょうか、鯉のぼりの泳いでいる家もありました。

皆が集まる前に、江戸川堤防を6Km 走って、汗をビッショリかきました。今日は東京農業大学のメールは停止中ですので、支援者からのお便りは一つも届きませんでした。(その後aolの方のアドレスに1件だけ届きました。)
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今晩は。本日のブログ拝見致しました。お花の写真きれいですね。市橋達也さんの支援を始めてから、彼の様子や裁判の状況をその都度ご報告して頂きましたので、今後は今までと状況が変わり、淋しく感じます。又これから長い年月、刑務所に収監される彼の気持ちを考えると、とても辛くやるせない思いです。
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本山先生は、GW中もお忙しそうで、明後日は横浜駅伝ですね。応援しています。頑張って下さい。市橋達也さんの真意は分かり兼ねますが、もう面会に伺うご予定はございませんでしょうか?GW中も、5/1(火)2(水)は受付しているようです。(本山:どうしようか迷っています。
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2012年4月27日金曜日

雨の中を綾瀬駅から傘をさして、この道を通るのもこれが最後になるかもしれないと思いつつ、歩いて東京拘置所に向かいました。私の気持ちを反映してか、足取りは重く感じました。高層マンションが並んでいる横の道沿いにはツツジが植栽してあり、白やピンクや赤の他に紫色の花のもありました。多分オオムラサキという品種だろうと想像しました。千葉大学園芸学部の学生寮の前の斜面にもオオムラサキが一面に植栽されていて、毎年大きな美しい花をたくさん咲かせます。マンションの庭には白い清楚(せいそ)な感じの花が咲いているハナミズキの木が何本もありました。市橋君に会ったら、園芸学部のオオムラサキを覚えているか、今はハナミズキの白い花がきれいだよ、と言ってあげようと思っていました。
面会の申し込み窓口に申請書を書いて出す時は、もしかしたらこの被面会者はもう刑が確定して受刑者になったので面会はできませんと言われるかもという不安がよぎりました。刑務官は申請書に書かれた名前をパソコンで照合して確認してから面会許可書(整理票)を発行します。許可書を渡されたので、まだ面会はできるのだと思って待合室の電光掲示板に私の番号が出てくるのを待っていたら、しばらくして、〇〇番の人は窓口に来て下さいというアナウンスが流れました。行ってみたら、「他に予定がありますのでお断りして下さい」という伝言を伝えられました。私が、市橋君がそう言ったのですかと訊いたら、そうですと言われました。一瞬どういう意味かなと迷いましたが、わかりましたと答えて、拘置所を後にして元来た道を駅に向かいました。帰りの足取りはさらに重く感じました。
「他に予定がありますので」というのはどういう意味だろうと考えました。上告を断念して刑を受け入れたので、今後はもう誰とも会いたくないという意味だろうか。それなら、「これからは自分一人で罪を償う生活をするのでもうお会いしません」とでも言うのではないか、と思いました。直接そう言うのは失礼と思って「他に予定がありますので」と婉曲(えんきょく)に言ったのだろうか。それとも、元支援者でその後は個人的に熱心に支援をして、市橋君も面会を受け入れていた方が一人おられるので、この方から手紙で今日は面会に行くからと予約が入っていたのかもしれないと思いました。面会は1日に1回しか認められませんので。あるいは、裁判が終わったのでご両親が面会に来られる予定を市橋君に速達ででも知らせたのだろうか、とも思いました。
どれが事実なのかはわかりませんが、もし市橋君がこれからは自分一人で罪を償う生活をする覚悟を決めてもう誰にも会いたくないということだったら、それはそれで尊重してあげなければとも思います。もし、上記の2番目か3番目の想像が当たっていれば、手紙ででもその旨を知らせてくれるかもしれません。特に、前回私が郵送で差し入れた私からの添え状(4月24日付け)にも、私は今後とも市橋君との面会を続けたいという意志を明記しましたので。
こういうことを考えると、今のところこのまま様子を見るしかないようです。

支援者から以下のお便りが届いています。
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本山先生こんばんは、市橋さんの決心は変わらなかったのですね…
支援者の方も言われてますが、私も市橋さんはこの先、刑務所の人以外誰とも関わらないのでは…と、心配しています。
市橋さんのご両親も、リンゼイさんのご遺族への配慮から市橋さんに会わないという気持ちを崩すことはないようですし…
でも本山先生との繋がりは自分から断たないで欲しいです。
それと、会わないというのは市橋さんご家族の決めたことなのでしょうが、市橋さんには年に一回くらいは、家族のルールを破ってご両親に元気ですかと、お手紙を書いて欲しいです。
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本山先生 お疲れ様です。夜遅く、書き込みをしてしまい申し訳ございません。残念です。でも、予感はありました。けっしてそうではないのに、結果、撥ねつけられてしまい、失意のどん底だったでしょう。市橋さんも毎日一人ぼっちの部屋で壁と向き合って消えそうになる自分の影と一緒に悩みぬいて、苦しみぬいて出した結果なのだと思います。彼のその出した心の声を十分に受け止めてあげたいと思います。市橋さんのご両親も、きっと、その決心が、それが一番あなたらしいと思ったのではないでしょうか。会わずとも、子を見守る気持ちは千の言葉を言うより強かったことと思います。また、子として、理解することもできたのではないでしょうか。また、支援者の皆様にも甘えては申し訳ないという最後の気持ちを知ってもらいたかったとともに心からのありがとうという気持ちも伝えたかったと思います。
本山先生、今後、見守ること以外に何かできる事があるときは言ってください。ずっと、今後も支援者です。面会の時があったら、伝えてください。
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本山先生、-----明日市橋君と面会するそうですが、ぜひ市橋君の思いを聞いてきてください。本山先生しか心を許せる人はいないと思うので・・・。私が良かれと思って支援した事が、市橋君にかなりの負担をかけてしまったのではないかと気に病んでおります。
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働いた事の無かった市橋君が逃亡中に過酷な仕事をやり遂げたのですから、刑務所に入っても何とかやっていけるのではないでしょうか。余りにも能天気な考えかも知れませんが「住めば都」という言葉もあります。贖罪の気持ちを持ちながら作業に従事してほしいです。
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市橋君も最初は慣れない仕事に戸惑うでしょう。でも慣れれば苦にならなくなるはずです。市橋君がどの刑務所に行くかわかりませんが、長期の刑務所と言う事で外では職人が行なう仕事をやるのでしょう。例えば千葉刑務所の場合、神輿(みこし)や桐タンス、紳士靴を作っています。地下鉄サリン事件でサリンを散布した林郁夫受刑者はサッシを作っているそうです。(読売新聞に以前載っていました)
 私が市橋君に言いたいのは、罪を犯した事実は変えられないのだから、刑務所の中でこれからの生き方考え方をどのようにするのかが一番大事だと感じます。罪の意識を持って懲役生活?を送るか、ただ惰性で送るかでは全く違うと思うのです。
受刑者の中には「やられた方が悪い、外に出たらまたやる」と開き直っている者もいるでしょう。市橋君はそんな人ではないと信じています。
本山先生、もし面会できるのであれば様々な支援者の思いを伝えてほしいのです。決して市橋君のことを見捨てていないのだと。
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本山先生こんにちは、小菅まで本当にお疲れ様でした、先ほどブログ拝見しました。市橋さんの伝言の真意は今はまだわかりませんが、本当に予定があったんだと思いたいのですが… 想像ですが、自分の思いやこれからのことは少し落ち着いて(収監されて)から、先生にお手紙を書かれるのかもしれませんね。私はこれからも、市橋さんが心身ともに元気で、いつの日かご両親との再会が許されますようにと祈ってます。
先生が支援する会を立ち上げられたおかげで適正な裁判の為の支援はもちろん、支援者の皆さんの声を聞けたり、市橋さんの様子を知ることが出来ました。本山先生には感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとうございました。これからも先生のブログは拝見させて頂きますので、もし市橋さんからお便りがありましたらブログで知らせて頂けるとありがたいです。では、お体に気を付けてこれからもお仕事にトレーニング(マラソン)頑張って下さい。

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もうこの言葉しか出てこない、残念で残念で仕方ありません。彼は死ぬことばかりしか考えられなくなっているのかもしれない。身柄を拘束され連行途中のあの姿のように身も心も疲れ果て、そう思うと可哀想で、可哀想で傍にいてあげれたら。。。どうにもならないことが辛く悲しい。実は14日の書き込みを読んだときはとてもショックで、理性をなくしたような強姦のシーンやアザが残る力で女性に手をあげたなんて。と、暫く私自身も支援を続けて行くことを悩みましたが、それでも無期の判決は重すぎる、彼は逃亡したことにより過ちを反省し得たのではないかと、以前と変わらない考えに落ち着いたのです。だから上告してくれることばかりを心の底から届けと訴えていたのに、とてもとても残念で悲しい。逢いたい、逢って話がしたい、聴いてあげたい、一緒に泣いてあげたい。
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今晩は。本日のブログ拝見し、とても残念でした。朝日新聞の記者の方からは、ご連絡ございましたでしょうか?私も再度、東京高裁(東京地裁)に電話で確認をしました。家族や記者でなくても教えて頂けました。やはり上告の意思表示は届いていないそうです。これから届く場合もあるか確認しましたが、もう期限も過ぎているので、一般的に上告されないと判断されるようです。
本日の面会の件と上告の確認をして、市橋達也さんの裁判と『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』も(支援金の振込は終了してますが)終わったと感じ、悲しくなりました。「他に予定がありますので」の真意は分かりませんが、もし上告期限を境に受刑に向け、一人で生きて行く決意をしたと彼の気持ちを察し、もうそっとしてあげた方がいいと思ったり、他の方と面会予定があった為、断らざる得なかったのでしたら、心残りな状態になりますので(本山先生のお考えやご都合にもよりますが)もう一度面会に伺われた方がいいのかと考えたりもしました。以前ブログで、被害者遺族から被害賠償の民事訴訟を起こす可能性もあるとの事でしたので、その場合の弁護士費用も気になります。いつか支援金の残金について弁護士さんとお話される時に、伺えましたら、お願い致します。(本山:わかりました。その点については、支援金の使用内訳の報告をいただく時に弁護団に確認します。
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東京農業大学では、4月28日(土)7:00-29日(日)23:00の期間は停電のためメールが停止するそうです。この期間に私宛に送信されたメールは返送される可能性があるとのことですので、ご注意下さい。なお、私の個人的なaolの方のメールは使えますので、必要な方にはアドレスをお教えしますので今夜中にお知らせ下さい。明日はブログの記事の更新もできないかもしれません。

2012年4月26日木曜日

メディアは小沢一郎氏の無罪判決のニュース一色ですが、支援者の方々は市橋君が上告の意思表示をしたかどうか気になっている筈です。菅野弁護士と山本弁護士に電話をしてお話を伺いました。結論としては、現時点ではまだわからないということです。山本弁護士が今週の月曜23日に接見に行った時は、上告しても判決が変わる可能性は小さい(ない)ということで、市橋君は上告しませんと言い、長い間ありがとうございましたとお礼を言ったそうです。その翌日24日に私が面会に行って、市橋君が信頼している大学時代の友人の伝言を読み上げて差し入れもしましたので、それで気持ちが変わったかどうかがわからないところです。もし上告期限の昨夜の12時直前に上告の意思表示をしていれば、今日それが裁判所(多分、東京高裁)に届けられる筈です。裁判所は、市橋君に私撰弁護士を使うか国選弁護士を使うか問い合わせる紹介状を送るのだそうです。裁判所の方から今まで弁護を担当してくれた弁護団に上告の意思表示を受理したかどうかの連絡は来ないし、裁判所が自ら社会に公表することもないのだそうです。ただ、市橋君の家族(ご両親)が裁判所に問い合わせるか、メディアの代表幹事(記者クラブの中で月替わりで決まっているようです)が問い合わせれば上告の意思表示を受理したかどうかは開示してくれるとのことです。

夕方、先日私に取材に来られた朝日新聞千葉支局の記者から電話があり、上告しなかったので刑が確定と書けるかとの問い合わせがありました。たまたま朝日新聞が今は代表幹事らしく、昨日の午後裁判所に問い合わせた時はまだ上告の意思表示は届いていないとの答えだったそうです。しかし、昨夜の12時までは上告の意思表示をする可能性がありますので、一昨日(24日)私が面会した時の市橋君の表情からは99.9%上告はしないという印象でしたが、100%確定とは言い切れません。

私は明日の朝大学に行く途中で東京拘置所に寄って、市橋君に面会して上告の意思表示をしたかどうか直接確認してきます。朝日新聞の記者にも、明日裁判所に問い合わせて私より先に確認ができたら電話で知らせて下さいとお願いしておきました。
今、昨日電話取材のあった毎日新聞の記者からも電話があって、本日同社の記者が東京高裁に問い合わせたら上告の意思表示は届いていないという返事だったので明日の朝刊に刑が確定の記事を書きますとのことでしたが、私は、拘置所から裁判所にその書類は直接持参されるのか郵送されるのかということと、確認は今夕5時以降だったのかの質問をしました。それによって、昨夜の12時直前に市橋君が上告の意思表示をしていてもまだ届いていない可能性もあるからです。毎日新聞の記者は親切に今から私の質問についてチェックをして、電話で知らせてくれるとのことです。(上告がされなかったことが100%確認され次第、このブログで追加して報告します。→10:28pmに電話があり、上告意思表示書が持参されるのか郵送されるのかはわからなかったけど、書類が届いていないのを確認したのは今日の夕方だったとのことでした。従って、上告がされなかったことは非常に確率が高い情報のようです。そのために毎日新聞は支援者が知らせて下さった下記のネットニュースで上告断念の記事を配信したのでしょう。いずれにしても、私は明日の朝市橋君に面会に行ってきます。)

菅野弁護士からは、上告しなくて刑が確定しましたら、弁護団に提供した支援金の使途についていずれ会計報告がいただけるとのことでした。もし残金があれば、大勢の支援者に返却することは現実的ではありませんので、千葉県弁護士会に寄付をして取り調べの段階から弁護士をつける制度をサポートする目的で使っていただくことを考えていますとお伝えしておきました。

支援者と支援希望者から以下のお便りが届いています。
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本山先生へ こんにちは、お久しぶりです。〇〇の〇〇〇です(本山:この方は2011年8月から今年の3月まで6回も支援金を振り込んで下さった方です)。以前にもメール差し上げたことがあります。先生毎日のブログ、更新ありがとうございます。ここのところ、毎日市橋君の気持ちが、変わりますようにと、毎日祈っていました。もう一度 チャレンジする気持ちになってくれたらと・・・・祈っていました。どうして、裁判官の方は、市橋君の行動を(本の出版のことも含め)、謝罪の気持ちと見てもらえないのでしょう。本当に残念です! リンゼイさんの命を奪ってしまってことは、本当に許されないことなのは、私も充分わかっていますが。どうして、やり直しができる青年に、未来と、チャンスをあげないのでしょう。
市橋君のこれからの毎日を思うと、どうにも言えない気持ちになります。季節も、月日も、社会とのつながりも、感じられなくなってしまうような毎日を、過ごしていくことが、刑に服するということなんでしょうか? 市橋君のことをきっかけに考えさせられました。
さて、これは私の希望ですが・・・ これからも 市橋君が先生を通して支援をしてきた方たちと、つながっていくことができ、受刑生活の救いに少しでもなれたらと、切に思います。

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市橋達也さんの事件番号や担当刑事部も分かりますので、東京地裁に確認をしてみました。郵送や東京拘置所からの通知が、まだ届いていない場合もあるので、確認した時点では、上告の申し出はないとの事でした。本日、報道されなかった場合、明日も確認してみます。
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以前一度差し入れの件でメールさせて頂きました、〇〇と申します。市橋さんの上告の件どうなったでしょうか? 先生のブログに毎日新聞の千葉県版の小さな記事になると書いてあったのを拝見しました。私は〇〇県〇〇〇市在住なので、今朝、小さくても記事になっていればと思い新聞を見ましたが、やはりどこにも載っておらず、ニュースにもなっていないので… (本山:私も毎日新聞千葉県版を買ってみましたが、記事にはなっていませんでした。今日のブログに今私にわかっていることを報告しました。)
もし市橋さんが上告するなら、初めての支援金を送ろうと思いメールさせて頂きました。
お忙しいと思いますが、ブログを更新される時に書いて頂けますと幸いです。
上告しなくても、判決を受け止めるにも市橋さんを陰ながら見守り、支援に協力したいと思います。
先生、こちらは今日雨で肌寒いです。そちらも雨でしょうか?風邪などひかない様にお身体に気をつけて下さい。

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本山先生、どうやら市橋君は上告しないそうですね。ネットニュースで知りました。http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120426-00000058-mai-soci
市橋君の選んだ事だからそれを尊重しようと思います。ニュースを知った時、私は冷静な気持ちで受け止める事が出来ました。誰が説得しても市橋君の性格上気持ちを覆すのは無理だったでしょう。でも・・・。
以前本山先生のブログに書かれていたように、全てを閉ざしてしまって誰とも面会しない、手紙をやり取りしない、というのではあまりにも悲しすぎます。市橋君は私達支援者が重荷だったのでしょうか? せめて本山先生だけには心を開いてほしいと思っています。

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新潟県の依頼で、私は5月10日には新潟市に行って講演をすることになっていますが、6月にヘリコプターで松林に散布される薬剤の飛散調査もする予定です。その計画書概要が仕上がったので、今朝メールに添付して関係者に送信しました。江戸川堤防を今日も14Km 走ってきましたが、途中強風が吹いて雨が降り始めました。

2012年4月25日水曜日

支援者から以下のお便りが届きました。市橋君が上告の意思表示をしてくれるかどうか、そしてその後のことについても、多くの支援者が固唾(かたず)を呑(の)んで注視しているのだと思います。
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先生、市橋さんへの差し入れや面会、本当にお疲れさまでした。そして何よりも市橋さんへの温かい気持ちや想いがひしひしと感じられるお話やお手紙に涙がでました。後は市橋さんご自身にお任せするしかないのですね・・・。
先生、私も市橋さんにお手紙を出しました。たぶん今日25日にお手元に届くと思います先生を更生に必要な面会人として申請していただきたいとお願いしました。市橋さんには市橋さんのお考えが有るのでしょうが、本山先生をはじめ私や支援者の方々は、これまでずっと変わらず支援してきましたので、今後お元気でおられるかどうかは本当に心配で気がかりなので、折にふれ先生にだけはご連絡いただけませんか、と書きました。
私は毎日市橋さんがこれからもお元気でいてくださるよう祈る事しか出来ませんが、私に出来る支援として続けていくつもりです。又先生ともご縁があり今の状況があると考えていますので、今後とも時折ご連絡をとらせて頂けたら有難いです。どうか宜しくお願い致します。(本山:私もこの支援する会の活動を通して全国のいろいろな方と交流ができ、人生の勉強になりました。こちらこそこれからも宜しくお願い致します。

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 おはようございます。昨日(4月23日)のブログ拝見致しました。市橋達也さんの大学時代のご友人からメッセージ頂けたのですね。良かったです。彼の心に届き、考え直される事を祈っています。
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本間氏のお話では、書類手続き等の一週間程は未決囚の扱いで、そして刑が確定し収監される刑務所が決まるまでの間は、東京拘置所で既決囚として作業も行うと仰ってましたので、未決囚としての扱いはGW明け頃までかと思っています。(本山:確信はありませんが、上告を断念しても、1週間くらいの間は差し入れや手紙の郵送が許されるということのようです。       

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本日(4月24日)は終日ご予定があると伺っていましたが、朝一番で面会されるとの事で、ありがとうございます。最後に決めるのは市橋達也さん自身ですが、ご友人のメッセージや本山先生、支援者の思いをお伝え頂きたいと思います。よろしくお願い致します。

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先生こんばんは、ご無沙汰をしております。先生の昨日のブログ拝見しました。(ブログは毎日拝見させていただいてます) 市橋さんの上告の件で私の気持ちは、支援者の方々のお気持ちと変わりません。これからも支援を続けて行かせていただきたいと切に願っております。
先生が市橋さんに渡された写真のお話、故郷には帰れない・・・。涙が止まりませんでした。でもそれは自分の犯した罪ですので仕方の無い事ですが。先生もお忙しい中いつもありがとうございます。

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さっき(今夕)、毎日新聞千葉支局の記者から電話での取材がありました。事件は千葉県で起こったので、明日の毎日新聞の千葉県版に小さい記事として掲載予定とのことでした。メディアは裁判所に問い合わせて上告がされたかどうか確認するのでしょう。市橋君が上告の意思表示をできるのは、今夜の真夜中12時までだそうです。私は何故か今夕5時くらいまでかと勝手に思い込んでいました。昨日私が面会した時の市橋君には、上告せずに判決を受け入れる覚悟は変わらないような雰囲気を感じましたが、悔いが残らないように最後の瞬間までよく考えて決断してほしいと思っています。

第5回環太平洋農薬科学会議(5th Pan Pacific Conference on Pesiticide Science) http://www.2012iupac.com/english/index.jsp
は本年9月15日~20日に中国の北京で開催予定ですが、私は"Pesticide fate, exposure,  modeling in the air"(大気中農薬の運命、暴露、モデリング)というセッションで"Possible exposure and health effect of airial pesticides sprayed by helicopters over pine forests"(松林にヘリコプターで散布された大気中農薬への暴露と健康影響の可能性)という演題で招待講演をすることになりました。マツノマダラカミキリ(いわゆる松くい虫)が媒介するマツノザイセンチュウによる松枯れ(マツ材線虫病)は中国にも侵入したそうですので、今はまだ一部の地域に限定された目立たない問題でも、いずれ分布が拡大すれば中国でも大問題に発展する危険性があります。松枯れ先進国の日本における防除の失敗を含めたこの問題に関する長年の経験を伝えることは、きっと貴重な参考になると信じます。せっかくの機会ですので、私たちの長年にわたる調査研究から得られた知見について、老骨に鞭(むち)打ってしっかり準備をして、いい講演をしてこようと思っています。

今日は、道場でいつものように準備運動、筋力トレーニング、サンドバックの蹴り、巻き藁の突きをした後、江戸川堤防を久し振りに14Km 走ってきました。運動不足で体重が増えたせいか単なる老化のせいか、全く早くは走れません。横浜駅伝大会は来週の月曜30日で5日後ですから、もう絶望的です。今回も競争的走りは無理なので、アンカーとして受け継いだタスキを途中で心臓麻痺を起さずに無事にゴールまで運ぶ(8.195Km)ことだけを目指すしかありません。

2012年4月24日火曜日

学生時代の友人から託された市橋君宛の伝言と、35枚の写真(A4紙10枚に2~4枚ずつ印刷)と、私の添え状を差し入れするつもりで東京拘置所の窓口に行きましたら、手紙は差し入れできないので郵送して下さいと言われましたので、写真だけ拘置所の窓口で差し入れして、友人からの伝言と私の添え状は面会後にコンビニに立ち寄って明日の午前中に届くように宅配便で発送しました。以下は宅配便で差し入れした私の添え状です。
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2012.4.24
市橋達也君
明日25日は君が上告の意志表示ができる最後の日だな。裁判で、君が事実を述べたにもかかわらず虚偽の弁解と見なされたり、君が善意でした行為が逆に悪意に取られたりしたのだったら、私は君は最後のチャンスまで堂々と事実を主張すべきだと思うよ。
〇〇〇〇さんからの私宛のメール返信と君宛の伝言を同封します。彼女に何か返事をしたければ、私に言ってくれれば伝えます。昨日もこのメールを送信してくれた後で、電話をしてくれたので直接話もしました。聡明な素晴らしい女性だね。
事件以来、君はもう何年間も郷里には帰っていないだろうから、岐阜〇〇駅と〇〇駅と君が育った町の写真も同封します。確か20101月末だったと思うが、毎年この時期に私が大学院で勉強した名古屋大学の研究室の同窓会が開かれるので、その帰りにできたら君のご両親に会いたいと思って岐阜県の君の家を訪ねました。残念ながらご両親は君の件では誰とも会わないという姿勢を保っておられるのでお会いできなかったけど、ここが君が育った町だと想像しながら散歩をして写真を撮ってきました。君が一目見れば、あそこだ、ここだとわかるだろうな。それから、私の家族の写真と、君が〇〇さんとツーショットで写っている写真(〇〇さんが送ってくれました)も入れておくよ。君が青春のある時期を一緒に過ごした人だろうから。ミャンマーの子供たちの写真は、ある農薬会社を自主退社して、JICAのプロジェクトであちこちの途上国に行ったり、今回は日本財団のプロジェクトでミャンマーに3年行って学校建設や地域開発の仕事をして最近帰国した人(多分私より数年若いだけ)の挨拶状に添付してあったものですが、子供たちの笑顔があまりにも無邪気で素敵なので追加しておきました。
君が上告の意志表示をすれば、私がすでに打診をしてある〇〇弁護士と連絡をとって引き受けていただけるかどうか確かめます。山本弁護士とチームを組むのがよいと思います。もし上告をしなくて刑が確定しても、私はずっと君に面会をして君の更生を見守りサポートしていきたいと思っているので、必ず私にどこで服役するか連絡をして下さい。
本山直樹
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市橋君は10階の面会室の仕切り板の向こう側に前回と同じ刑務官に付き添われて入ってきました。顔色は良かったのですが、縮れた髪の毛が鳥の巣みたいにボサボサだったので、部屋にはヘヤブラシはないのかそれともそれが君の好みのヘヤスタイルなのかと訊いたら、私が身だしなみのことを指摘したと思ったのか、すみませんと謝って、面会の呼び出しがかかるとすぐ部屋を出なければなりませんので(髪を整える時間がない)と答えました。裁判に出廷した時も同じ髪型をしていたので、多分これが彼の普通のヘヤスタイルなのかなと思いました。

〇〇さんから君への伝言がメールで届いたので、差し入れもするけど今読むからと言って全文をゆっくり読んであげました。市橋君は一字一句も逃さないかのように静かに聞いていましたが、何も言いませんでした。私は上の添え状で述べたのと同じように、君が納得がいかないのだったら最後のチャンスまで事実を主張するべきだと思うということと、もしそうするなら〇〇弁護士にすでに打診してあるからということを伝えました。市橋君は、自分はすでに言うべきことは全部言いましたと答え、それでもこういう判決だったのでそれを受け入れますというような表情をしていました。

私は写真を透明な仕切り板越しに見せながら、これが君が住んでいた街だろう、これが君の家だろう、これが近所のお寺や通りだろう、・・・、君はもう郷里に帰ることはできないかもしれないのでこれらの写真も差し入れするからと言いました。大学卒業後にお付き合いしていた〇〇さんとツーショットの写真を見せながら、君の青春の思い出だろうからこれも差し入れしておくよと言いました。私が1965年頃にデートをしていた時に彼女(現在の妻)とツーショットで園芸学部の洗心館の庭で撮った白黒の写真と、今年の4月に園芸学部の事務棟の前の満開の桜の下で撮ったツーショットの写真を見せて、47年前と現在の私と私のワイフだけど、これから私たちは君の親代りになるのだから、君に見せておくよと言いました。市橋君は、洗心館の前の庭の景色が47年前と今と同じなので驚いた風で、ずっと変わらなかったのですかと訊きました。そうだよ、建物の中は和室が洋室になったり少し変わったけど、建物自体やイギリス式庭園と呼ばれる庭は昔のままだよと答えました。洗心館(昔は戸定館と呼ばれた)は同窓会が寄付をした建物で、昔は卒業生が地方から上京した時に光熱水道代の実費だけで宿泊できたけど、国に移管換えしてから使い勝手が悪くなって、残念ながら今はほとんど利用されなくなっていることを伝えました。ミャンマーの子供たちの笑顔の写真を見せて説明をし、私の娘の家族の写真を見せ、ハーフの孫たちは父親の実家に行くとおじいちゃん・おばあちゃんにどうもアメリカ人の子供と少し違う感じがすると言われ、母親の実家(私たち)に行くとどうも日本人の子供と違う感じがすると言われているという話をしました。私が1965年頃に新入生勧誘の空手のデモンストレーションで上半身裸で空手の型をしている写真を見せ、これはナイハンチという型だよと教え、当時は教養部が西千葉ではなく稲毛(いなげ)にあったので、これは多分稲毛キャンパスの筈だよと説明しました。1993年に私がサウスカロライナ州に住んでいるアメリカ人の友人の家を訪ね、牧場の牛の水飲み場になっている池で魚(ラージマウスバス=ブラックバス)を釣り上げている写真も見せ、私は毎年アメリカに行く時は必ずこの友人を訪ねて一泊してくるんだよと言いました。江戸川の堤防の斜面一面に咲いている真っ黄色な菜の花の写真と、白い小さな花が一杯咲いているユキヤナギの写真も見せ、これが前に私が言った(小菅の駅から拘置所に来る途中で見た)ユキヤナギだよと言いました。先日支援者の〇〇さんがお墓参りの帰りに園芸学部に寄って、君の研究室があったA棟の横の桜と、前の小さな庭にある白い大きな花が咲く木の写真を差し入れてくれただろうと言って、あの木はタイサンボクという名前だったかなと訊きました。市橋君はあの甘いいい匂いがする花ですねと言いながら、木の名前については自信がなさそうでした。
写真を見せて話をしている時に、いつもは下を向いて目を合わせないように配慮をしてくれている刑務官が頸を伸ばして横から覗き込むようにしていました。途中のゲートでチェックされてパスしているので写真に問題はない筈ですが、興味があったのでしょう。市橋君に、写真については不要だったら全部処分してもいいからと指示しておきました。そうしたら、よく聞き取れませんでしたが、目立たないように(刑が確定後に同室者にという意味か?)保管しますと言ったようでした。

市橋君は黒のスポーツウェアみたいな上着を着ていたので、あれっそれは又別の上着かと訊いたら、ジッパーを外して見せて以前はこうして前を開けていましたが同じものですと答えました。下には白い丸首のTシャツを着ていました。その日の気温に応じて衣類を組み合わせて着て調節しているようでした。私が、刑か確定すれば刑務所から支給される衣類を着るだけだから、もう衣類の心配もいらなくなるし、食事の心配もいらなくなるなと言ったら、そうですと答えました。

東京農業大学で陸上部がグランドで練習するのを時々立ち止まって見るが、駅伝をやる人たちは長距離を延々とものすごいスピードで走り続けているけど、短距離をやる人たちはハードルを狭い間隔でたくさん並べて歩きながら右脚・左脚で跨ぐ練習をしているよ、君も高校の時はああいう練習をやったのかと訊いたら、自分はハードルですからよくそういう練習をやっていましたと答えました。それから、小さいコーン(三角形)やハードルの形をした小さな道具を短い間隔にたくさん置いて、両足交互に小股で猛スピードで跨ぐ練習は足の神経を発達させるのが目的なのかなあ、などと陸上競技の練習方法について会話をしました。拘置所で運動をする時は縄跳びはできるのか、縄跳びができれば狭い場所でも跳躍力や心肺機能を効率的に活性化できるのにな。ひも状のものは自分の頸を絞めて自殺に使われる恐れがあるので駄目だというのだったら、運動場に出て運動する時間だけでも貸し出してくれればいいのになと私の感想を言いました。

今日は上告とは関係のない他愛のない会話に大半の時間を費やしましたが、刑務官が時間ですよと身振りで知らせてくれましたので、もし今日私が期待している君のご両親からのお手紙と写真が届けば明日それを差し入れるためにもう一回面会に来るけど、もし届いていなかったらもう私は来ないからと伝えて、元気でなと言って部屋を出ました。市橋君はいつものように立ち上がって深くお辞儀をして、ありがとうございましたと言って見送ってくれました。
自宅に着いて妻に何か届いているかと確かめましたが、何も届いていませんでしたので、明日は面会に行きません。明日市橋君が上告の意思表示をするか、刑が確定後に私を更生に必要な面会人として申請してくれないと、もう私が市橋君に会いに行くことはできなくなります。友人からの伝言と私の添え状は明日の午前中に拘置所に届く筈ですので、後は市橋君がどういう判断をするかです。

2012年4月23日月曜日

今日は期待していたお手紙が期待していた時間までに届かなかったので、面会に行くのを止めました。その後、学生時代に市橋君と同じ研究室を専攻し空手部でも一緒に稽古をしていた友人からメールが届き、市橋君宛のメッセージを託されましたので、明日の朝一番に東京拘置所に寄って、差し入れの手続きをするとともに面会もして直接読んであげようと思います。現在の状態の市橋君が心を開ける数少ない友人の一人ですので、メッセージに接して上告をしようと心が動かされればいいのですが・・。予定を変更して、私は明日24日(火)に面会に行きます。明日面会を予定していた方がおられたら申し訳ございません。

支援者から早速以下のお便りが寄せられました。
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本山先生 こんな夜分にメール差し上げ、失礼お許しください。明日、面会に行って下さるとのこと、本当にありがとうございます。先生の面会・お友達の方からのメールの両方で、市橋さんの上告の意思につながればと期待しております。
私は、決して「無期懲役がおかしい」とは思っておりません。何しろ法的知識がございませんので(それにしても、他の犯罪の判決と比べると、いろいろ思うことはございますが)、“そういうものだ”と言われるならそうなのかも知れないと思います。ただ、本の印税で償おうとしたこと、土下座したこと・・・が反省の意思なしと短絡的に判断されることは許せないのです。逃亡は悪いことではありますが、「罪を犯した、警察は取り逃がした」という状況なら、逃げたくなるのが人間ではないか、人間だれしももつ「弱さ」ではないか、と思うのです。それをことさら市橋さんだけが「悪」と断じられるのはなぜか。それら疑問が解決され、正当な判決がなされたうえで「無期」ならいたし方ないことです。けれども、現状は違う、そこが納得いかないのです。
市橋さんにすれば、社会にも・人間にも・司法にもあきらめ、絶望しているのかも知れず、上告し戦うことは「しんどい」ことなのでしょう。しかし、投げ出さず、最後まで頑張ってほしいと思っています。それは市橋さん個人のことだけでなく、これから先、「誰か」の判決の公平性にもつながるものと思います。
先生、本当にご多忙な中、大変なことと思いますが、何卒明日はよろしくお願い申し上げます。

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東京日比谷の帝国ホテルで、スミチオン剤発売50周年記念の講演会とパーティがあって、私も招待されましたので参加しました。スミチオンというのは住友化学という会社が発明して1962年から農薬登録をとって販売してきた有機リン殺虫剤で、農業生産だけでなく、家庭園芸、生活環境、緑地の保全などの分野で素晴らしい貢献をしてきました。講演は、この3月まで島根大学学長だった山本廣基先生(現在熊本大学監事)が「社会のための農薬科学」と題して、農薬に対する社会の偏見の現状とそれをどう解決するかについてお話されました。特に、山本先生は2008年に島根県出雲市でスミパインMC(有効成分はスミチオンと同じフェニトロチオン)が松くい虫対策としてヘリコプターで散布された日に多くの子供たちから目のかゆみ症状が訴えられた事件の原因検討委員会の座長でしたので、詳細な経緯の説明と的確な問題点の指摘をされました。
パーティではマジシャンによるマジックショウがあり(写真の下の右)、私にはひとつもトリックを見破ることができず、狐につままれた面持ちでさすがプロと感心しました。

2012年4月22日日曜日

支援者から以下の文が届きました。新聞か雑誌に投稿することを想定して書かれているようです。確かに、市橋君にできる最大限の謝罪方法として土下座して被害者遺族に謝ったことをパフォーマンスと決めつけて悔恨(反省)していない根拠と見なし、手記の出版で印税を得るしか被害者弁償金を払うことのできない市橋君がそうしたことも刑を軽くすることを目的としていたと決めつけてこれも悔恨していない根拠と見なし、判決をより厳しくする判断材料にされたということは、検察側の主張、被害者遺族の意見書に全面的に同調したものであり、一方的だったように思われます。
私は明日23日(月)の午後と明後日24日(火)の終日は予定が入っていますので、明日23日(月)の午前中か明々後日25日(水)の午前中に市橋君に面会に行く予定です。
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「謝罪」

最近ある裁判の2審判決が気になりました。
拘置中の被告が、手記を出して得た印税約1000万円を遺族に送ろうとしたことが、反省も悔恨の念も無いとし、無期懲役の判決理由の一つになっていたからです。
その印税額を遺族が受け取らないのは当然でしょうけど、出版社が弁護士を通じて、印税の使途も含めて持ちかけた話に被告がのり、出版できたわけです。
ですが、それが被告にとっては量刑の負の判断材料となっている一方で、出版社は何千万円もの利益を得て、ビジネスとして成り立っていることに違和感を覚えました。
司法が企業への利益提供の場になっている構図です。
犯罪内容そのものはよくわかりませんが、災害や事件に、補償金や見舞金の話は付き物ですし、被告個人の謝罪の気持ちを、国家権力でばっさり「否」としたことが不思議でした。

そもそもこの裁判の一審の時、泣きながら土下座謝罪をした被告を「パフォーマンスをして反省が全くない」と言い切った判決に、私は首をかしげました。
土下座という漢字がよくないけど、wikipediaには「日本の礼式のひとつで、本来は極度 に尊崇高貴な対象に恭儉の意を示したり、深い謝罪や請願の意を表す場合に行われる」ともあります。
今や一般人のイメージでは、土下座は政治家のパフォーマンス、になってしまいましたが、茶道でいえば「行の礼」ではなく「真の礼」に近いです。
日本人は、本当に心からの謝罪をする場合は、立ったままでもなく、三つ指でもなく、床に直に座り、手のひらを全部床につける形のお辞儀に自然になるのではないかと思うのです。
これこそ日本の最も丁寧な礼として、国際的に知ってもらうべき程のものだと思います。
もちろん、これとて、遺族にとっては見たくもないでしょう。
けれども、国家権力で裁判長自ら、その謝罪の姿を冷ややかに切り捨ててしまっては、私達は小さい頃から「悪いことをした時は謝りなさい」と教えられているのに、大人の世界では「本当に悪いことをした時は謝るのはみじめになるだけ」「取り返しがつかないことをした時は、かえって謝らないほうが良い」と学習してしまいます。
日本の文化は時代劇ではなく、アニメとして世界に認められるようになった昨今ですが、日本の作法が日常で奇異に映らないように、残っていってほしいと思うのです。

でなければ、謝罪や謝罪の気持ちを表す努力をしないどころか、悪いことを上手にわからないようにして、悪びれもせず、普通に生活をする「真の悪人」が増えてしまうのではないかと、恐ろしいです。
             東京都在住  教師  〇〇〇〇  
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来週の月曜30日の横浜駅伝大会まで約1週間しか残っていないのに、走り込みが全く不十分で少し焦ってきました。今年もまた、渡されたタスキをただゴールまで運ぶだけの走りしかできそうもありません。予報されていた雨が降り始める前にと思ってジョギングに出かけたのですが、学内で地図を片手に散歩をしている中年の女性にイギリス式庭園というのはどこですかと訊かれました。千葉大学理学部の生物学科の卒業生で、走友会の元会長で定年退職後の今もよく走っていてフルマラソン大会に出場している仲間の名誉教授の研究室を専攻した方だということがわかりましたので、フランス式庭園はここですよ、イタリア式庭園はここですよとついいろいろお話をしてしまいました。その中雨が降り始めましたので、結局2Km だけ走って止めてしまいました。学内では、八重桜が満開で、シダレカツラと呼ばれる木の新葉の緑が鮮やかでした。

2012年4月21日土曜日

2010年5月と2011年7月に支援金を振り込んで下さった方から、以下のお便りが届きました。
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本山先生 長らくご無沙汰しております。以前先生から思いがけなく返信メールをいただき、嬉しく有りがたく思うとと同時に先生にお時間を割いていただき、ご負担をかけてしまったことに対し、大変申し訳なく思いました。そのため失礼を承知に以後メールをしていませんでした。しかしながら一支援者となった以上、市橋君に多少なりとも関わっているため、ここまで来て上告せずに終わってしまうなんて、本当に残念でなりません。裁判は上告を含め、最後の最後までやり遂げてほしかったです。
刑事裁判のプロ中のプロとして尊敬されているK弁護士に市橋君の上告を担当していただけるかはまだわからないとのことですが、その弁護士のかたに再度相談し、市橋君が上告するならば引き受ける、やれるだけのことはやりましょうといった言葉を市橋君にお伝えすることはできないものでしょうか。その弁護士のかたと共に面会に行くのは無理だとしても、先生には最後にもう一度、市橋君にまだ考え直す時間があるように、来週の月曜日か火曜日に、先生と支援者の思いの丈をぶつけにいってほしいです。(本山:前回の面会の時に来週もう一回来るからと言ってきましたので、そうするつもりです。
もし市橋君の身内であったなら、「お願い、自分のためにはどうしても上告してくれないのなら、私たち(先生、支援者の皆さま、市橋君の友人)のために上告して」「いくら市橋君のことを放念しろと言われても、これからもずっと市橋君のことが気がかりのまま一生を終えることになる先生、支援者、友人のために、やれるだけのことをして」と仕切り越しに必死に訴えたい気持ちになっていたことと思います。先生と支援者の皆さまの気持ちが市橋君に伝わって、なんとか水曜日までに考え直してほしいものです。
私なりに色々と想像を巡らせてみたのですが、弁護団会議の結果、今まで担当していただいた弁護士の方々が上告しないと決めてしまった以上、弁護士さんも皆お手上げ状態、つまりやれるだけのことをやった、それでも駄目だったんだ、だから上告しても何の意味もない、先生にも、支援者にも更に負担をかけるだけだから、それならばこれ以上皆に迷惑をかけることはしないと思われているのでしょうか。それとも精神的に疲れ果てて、上告しても何も変わらない、もう諦めるほかないと思っているのでしょうか。
最終的にはもちろん市橋君自身が決めることではありますが、それでも上告する権利を放棄せず、自分のためではなく、先生と支援者と、きっと今同じ思いであるであろう(同じ思いであってほしい)、お手紙をくださった市橋君の友人の思いにも応えてほしいです。
もうこれ以上先生にも、支援者の皆さまにも迷惑をかけたくないという思いが相当強いように見受けられますが、このままでは本当は先生に時々会いに来てほしい気持ちはあっても、その思いを決して言葉にすることなく、内に秘めたまま、これでいいんだともう二度と先生にお会いすることのない選択をしてしまいそうで、これほどまでに深く関わってきた先生のことを突き放してしまいそうでとても心配です。
別の判例ですが、長野県南牧村ニューハーフ遺体遺棄事件の交際相手の男性には懲役2年の実刑判決が言い渡され、どういうわけかたったの2年で驚きましたが、市橋君を有期刑30年ではなく無期懲役とする判決理由は、市橋君には真摯(しんし)な悔恨(反省)の態度が認められない、事件後に逃亡を続け、整形手術をしてまで逃げ通そうとした、手記の印税を被害者遺族に提供して刑の軽減を画策した、虚偽の弁解-1分以上は頸部を締めてはいないと嘘の証言をしたとどれも推測ばかりで、その上明確に意図して被害者を殺害したと推認できるとされ、司法が下す判決には統一性がないように思います。それと力の加減がわかっているようでてわかっていない男性ならば、その時の体勢や角度によっては、一歩間違えれば1分以上3分未満であっても骨折は十分あり得るのにと思ってしまいます。何卒よろしくお願いいたします。

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支援金を振り込むことはできなかったけど、市橋君のことをずっと心配していたとおっしゃる非支援者からもお便りが届きました。この他にも、市橋君に手紙を送りたいという非支援者や支援者からの問い合わせもありました。
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本山先生いつもブログを拝見してます。昨日市橋さんが面会で上告しないって言ったことショックです。裁判で無期懲役の判決になって有期刑になって欲しかったんですが、 無期懲役のこと調べたら、反省、更生の状況などによっては仮釈放が認められることもあるんだそうです。市橋さんも認められてほしいです。(本山:菅野弁護士のお話では、懲役30年以上の現在の無期懲役では、途中で仮釈放されるケースは極めて稀で、ほとんどの受刑者は刑務所の中で死を迎えるとのことでした。
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昨日会社を60才で定年退職した元学生に電話をして、自給自足の生活を目指すと言った福島県には単身で行くのかと訊いたら、3人の子供も大きくなったので奥さんと二人で行くとのことでした。少しずつ荷物をまとめて引っ越しの準備をしているとのことでしたので、その前にどこかで会って一杯やろうということになりました。彼と同じ頃に研究室に在籍していた元学生など彼と親しかった5~6人にも電話をして、来週末に千葉大学園芸学部で集まって長年の会社勤めの慰労と、新たな出発を祝う会をやることにしました。こうして、人生のある時期に私が指導に関わった元学生が社会で活躍し、やがて人生の新たな局面に向かっていくのを見るのは、教師冥利(みょうり)に尽きます。

今日は江戸川堤防を8Km ゆっくり走ってきました。桜はソメイヨシノに代わって八重桜が満開で、イワツツジの鮮やかな紫ががったピンクの花も目立ちました。大きな花のタンポポ(多分外来種の西洋タンポポ?)も見事だったので、携帯電話のカメラでシャッターを押してきました。河川敷の枯れた葦(あし)原からは、雉(きじ)のケーン、ケーンという声があちこちで聞こえました。

              (2012年4月21日撮影)

2012年4月20日金曜日

昨日のブログで報告した市橋君との面会の様子について、支援者からお便りが届いています。市橋君が上告をしないと言ったことで、多くの支援者が胸を痛めておられます。
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本山先生のブログを今か今かと待ちわびていました。市橋君には上告する意思がないのですね・・・。ショックですが彼らしいなとは思います。ブログにも書かれているように、野垂れ死にしようとした事や絶食のエピソードを知っているので、一度決めた事を曲げない性格のようですので本山先生が説得するのは難しいのではと感じます。でも、正直このままで終わらせたくはありません・・・。今日のブログで書かれていましたが、誰とも話をする事が無い、外の世界を見る事が出来ないというのは本当に異常な世界なのですね。月日や曜日の感覚を無くしてしまうのももちろんですが、時計も無いので時間の感覚も忘れてしまったでしょう。当然季節の花々も見る事が出来ない・・・。「普通」の生活を送っている身にはとても想像すら出来ません。本山先生、市橋君の説得よろしくお願いします。このままでは・・・。
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本山先生へ 市橋君と面会していただき、ありがとうございました。この一週間で、はっきりと気持ちが固まってる感じですね。反支援者からの手紙や、被害者の立場を語った暗に上告を非難する内容の手紙とかは、彼のもとに届かないようになっているのですよね?
彼のご両親が、医師としての仕事も辞め、ひっそりと暮らし、「息子に会わない」と決めたら会わない生活に入られたように、市橋君も決めたらとことんそうなさるということでしょうか。彼のような几帳面で知的な人は、「日にちがわからなくならないようにしよう」と思えば、毎日書き留めるなりして、その日課を続けるでしょう。でも、彼の中ではもう日にちや曜日を知る必要もなくなり、毎日刑務官の声かけに従って過ごすだけ。2度にわたって 殺意がなかったのに、あったと決められた。心から悔いてるのに、悔いていないと決められた。ことは、彼にとって、「人間社会への絶望」で、社会に戻る願望も生まれてこなくなったのですね。
もちろんこれは冤罪事件ではないけれど、犯人ではないのに自白してしまったりするケースは、こういう精神状態なのだと認識しました。初めはわめいて「違う!」と叫んでも、「いや、お前だろう」と言われ続けたら、だんだんあきらめ、立ち向かう気力が無くなり、その路線に入ってしまう・・・多くのケース。他人は「やってないならどうして自白するんだろう」と不思議に思いますが、当事者はそうなってしまうのですね。市橋君の「上告しない」の決意、これは鬱状態ではなく、彼の正常な判断と考えられるでしょうか。ついついあきらめの悪い私は、「正常な精神状態ではない場合は上告申請期限を延ばしてもらえないのかしら」とか「どうせなら来週、躁状態になって上告を決意してくれないかしら」とか考えてしまいましたが、だめですね。
それでも私は「祈り」だけでも、支援者として続けます。

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本山直樹先生。昨日は面会に行って私たち支援者の想いを伝えて頂き本当に有難うございました。ブログを拝見させていただき「やっぱり・・・。」という想いでした。最近の市橋さんのご様子を観ているとそんな気がしていました。「もう自分のことは放念してください・・・」きっと何も言わず受刑生活に入ってしまわれるのでしょうね。市橋さんのお気持ちを理解し尊重したい、、でも全く独りぼっちで大丈夫なのかな?寂しくないのかな?気分を癒してくださるお身内もおられず、面会や手紙、差し入れなどもない状態が続くのにいいのかな・・・。本当に本当に心配です。
先生、私達は見守っていきたいだけなんです。迷惑だなんて一度たりとも思ったこともありません。市橋さんには元気で頑張って欲しい、そういう想いで支えて行きたいだけなんですが。負担に思われていたのでしょうか。
今後は遠くから日々祈っていく事しか出来ないのでしょうか・・・。
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今晩は。昨日はお世話になりました。ブログで面会時の様子をお知らせ頂き、ありがとうございました。あの後、東京拘置所がよく見える道を通って差し入れに行きました。まず15:30までに、写真と現金を差し入れました。それから売店と外の差入店で、お花や食料品の差し入れをしました。お花は、種類と色を選んでお願いしました。又、果物も(缶詰でなく)入れられると知りましたので、差し入れました。
市橋達也さんが卒論の研究されていたA棟の前に、濃い緑の葉に大きな白い花が咲いている樹木の写真も差し入れました。(本山:過日近くに出かけた帰りにご主人と一緒に千葉大学園芸学部に立ち寄られたとのことです。)もしかしたらその樹木が、昨日の面会で仰っていたハクモクレンかコブシかと思いましたが、本日、〇〇川沿いを散歩した時にハクモクレンやコブシを見ましたが、少し違うように感じました。拘置所の中では季節を感じる事は出来ませんが、刑の確定後の受刑生活の方が、今よりは季節を感じられると思います。以前、刑務所の施設見学をした際、塀の中ですが、居室から工場に向かう時は、外に面して樹木やお花が植えられていました。今よりは、天候からも体で季節を感じられると思います。又、小さな庭園もあって受刑者が手入れをされてると仰ってましたので、自然に触れられる機会があればいいなと思います。
昨日の面会時の様子を伺い、本日も複雑な心境で過ごしました。今までの市橋達也さんの性格や行動を考えますと、もう受刑生活への覚悟を決め、決意は固いようですね。逮捕後の長い拘置所の生活で弁護団と話し合い、時に有期刑を強く望んだり、様々な思いや葛藤の中で今に至っています。控訴審の判決から短い期間で出した答えではなく、時間を掛けて積み重ねた上での決断だと思います。なので、もうそっとしてあげた方がいいのかも知れないと思いました。しかし、日にちの感覚もなくなってしまったようで、彼の几帳面な性格や、今月は控訴審の判決もありましたので4月という事は分かりそうですが…変化のない毎日で、誰でもそうなってしまうのでしょうね。その中で思考能力も薄れてしまいますので、やはり本山先生の助言の元で、残りの数日間に考え直して欲しいとも思います。又、来週も面会よろしくお願い致します。
今、本山先生からメールが届きましたので、これから拝見致します。

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昨日は東京拘置所に出かける前に江戸川堤防の辺りを約3Km しか走る時間がとれませんでした。今日は東京農業大学の周りを約4Km ジョギングをして、シャワーを浴びて研究室に戻ったら、以前論文別刷りのスキャンをしてデータ入力するアルバイトをしてくれて、この3月で大学院修士課程を修了した元学生が訪ねてきました。確か就職が内定しそうだと言っていたのですが、3月28日になってやっぱり駄目だということになったとのことでした。今どうしているのか訊いたら、教授の配慮で今年いっぱいは研究室の補佐(助手)みたいな形で採用してもらえたとのこと。なかなか好人物ですので、教授も配慮をしてくれたのでしょう。改めて就職活動をしているので、場合によっては私のアドバイスもほしいので寄りましたと言っていました。私は東京農業大学の研究室には毎日くるわけではないけど、今年も研究費が確保できて少なくともあと一年は現役として研究をするので、いつでも立ち寄るようにと伝えました。こういう若者を見ると、応援してやりたい気持ちになります。これからは、時々は研究室で一緒にお茶を飲めそうで楽しみです。

2012年4月19日木曜日

市橋君に面会に行ってきました。いつものように手続きをして、10階に昇って指示された面会室で待っているとすぐ市橋君が刑務官と一緒に入ってきました。だんだん顔色が普通になって、表情も特別神経質ではなく普通の表情になってきたと感じました。いつものように、元気だったかと訊いたら、はいと答えました。昨日(私が日にちを勘違いして)山本弁護士が来てくれたろうと訊いたら、困惑した顔をしていいえ昨日ではありませんと答えたので、じゃいつだっかのかと訊いたら、この頃は曜日もわからなくなりましたのでと言って思い出そうとしていました。あっそうか、昨日菅野弁護士に電話をしたら月曜に弁護団会議をしたとおっしゃっていたのでその後の筈だがと言ったら、そうです火曜日でしたと言いました。

それで、上告(控訴ではなくて上告という言葉が正しいそうだという説明をして)については、その後考えてどうすることにしたのかと訊きました。少しためらいがちに、上告しませんと答えました。私が、弁護団会議では上告しないということになったそうだが、君は事実を正直に話したのに信用できないとして否定され虚偽の弁解と決めつけられたのだったら、最後まで主張した方がいいのじゃないかと言ったら、でも裁判所がああいう判断をしたのですからと答えました。私がさらに、昨日のブログで書いたように、検察が証拠を隠蔽したり改ざんした事例があることに言及したら、自分の場合は有罪か無罪かの問題ではなく、リンゼイさんは自分のせいで亡くなってもう戻らないのですからと言いました。私は、それはそうだけど、無期懲役刑か有期刑かという量刑が関わる問題だから、ちゃんと事実は事実として主張したらどうかと言いました。市橋君は、でも裁判でああいう判決になったのだからどうしようもないと言ったので、私は、裁判と言えども絶対的なものではなく間違いもあるから3回チャンスが与えられているのじゃないかと言って、昨日のブログで書いた裁判官の中には安易に検察側の意見に同調する場合もあるようだよと言いました。
手記の印税を被害者遺族に提供しようとしたことを、君に悔恨がないことの証拠と決めつけたのは私だって絶対におかしいと思うよと言ってさらに強く上告を勧めました。今までの弁護団は上告しないそうだが、私の友人の弁護士に刑事裁判のプロ中のプロとして尊敬されているK弁護士を紹介してもらったことと、君の上告を担当してもらえないか打診していることと、判決謄本を検討したいと言われていることを伝えました。それも君が上告を希望しなければ先には進めないのだということを伝えました。
それでも市橋君は、今まで本当にご迷惑をおかけしました、ありがとうございました、上告はしませんので、自分のことはもう放念して下さいと言いました。私は迷惑なんて全くかかってないよと答えました。
後は水掛け論のように同じことの繰り返しになりましたので、私はまだ来週の水曜まで時間があるから、それまでもう一度よく考えなさいと言ってこの議論を止めました。しかし、市橋君の上告しないという覚悟は固いように見えました。

市橋君は、前回先生が言っていた白い花が何かと考えていましたが、もしかしたらモクレンの白い花のハクモクレンですかと訊きました。実は前回の面会の時に黄色い花がレンギョウというのは言えたのですが、白い小さな花の名前を度忘れして言えなかったのですが、今日は思い出してあれはユキヤナギだったと答えました。ハクモクレンの花は大きいけど、ユキヤナギは小さい花がたくさん付いているだろうと言いました。市橋君はこの頃は何月かということも感覚がなくなって、今は4月だと思い出して4月に咲く白い花は何だろうとしきりに考えていたと言いました。独居房にいて、外の景色も見えず、人との接触もなく過ごしていると、何曜日かも何月かもわからなくなって感覚がなくなってしまうのでしょう。そして、気になったちょっとしたことがいつまでも気になるのかもしれません。

今日の市橋君は紺色の太い毛糸で編んだ丸首のセーターを着ていました。私が、あれっ、それはまた別のセーターかと訊いたら、前のと同じです、ただ今日は上着を着ていないだけですと答えました。今日は後で支援者の〇〇さんが差し入れに来られると言っていたよと伝えました。
刑が確定して受刑するようになっても、支援者は君のことを支援し続けたいと言っているし、私も月に一度くらいは面会に来ようと思っているから(私を更生に必要な面会人として申請してほしいという意思表示の意味を込めて)と伝えました。しかし、市橋君はもうこのまま受刑する覚悟を固めて、誰にも知られない刑務所で死ぬまで黙々と罪を償おうとしているような印象を受けました。山本弁護士がこの子はストイックな生き方をしようとしているのではないか、とおっしゃったことを思い出しました。逃走中にいずれはどこかで野垂れ死にするしかないと考えていたり、身柄を拘束されてからは取り調べ中に絶食を続けて何も話さずにそのまま死のうと思ったり、市橋君という人間は一度思い込んだらそれをやり通そうという強情な性格を持っているのかもしれません。以前、自分は単純な刑務作業の繰り返しでも大丈夫ですと言ったのを思い出しました。

刑務官は時間がきたことを身振りで示しましたが、市橋君が話している途中だったのを止めさせずに、話が終わるまで待ってくれました。私が来週もう一回来るからそれまで上告するかどうかもう一度考えておくようにと言って面会室を出たら、市橋君はいつものように深々と頭を下げてありがとうございましたと言ってくれました。
面会を終わって拘置所の外に出たら、ちょうど差し入れ予定の支援者の〇〇さんから電話がありました。綾瀬駅で待っていていただいて、近くでお茶をしながら差し入れに行かれる前の少しの時間お話をしました。今日の市橋君との面会の様子をお話しましたら、市橋君が上告をしない可能性が高いということにショックを受けたようでした。

2012年4月18日水曜日

昨夜、友人のT弁護士に電話をして、もう一度現状を説明して、刑事裁判に強い弁護士の紹介を依頼しました。まだ市橋君自身が上告(今回は法律用語では控訴ではなく、上告と言うのだそうです)を希望するかどうかわからないけど、一度私がその弁護士を訪ねて相談をしたいと伝えました。弁護士と相談をする時は30分とか1時間単位で相談料を払うのが普通だということを知っていますので、募金を締め切ってから振り込んで下さった支援金が1万円だけ保留してあるので、その範囲で相談料を払ってもいいし、実際に弁護を引き受けてもらえることになったら、弁護士料は今から募金して手当てするからと伝えました。そうしたら、今日の午後電話があって、刑事裁判のプロ中のプロと言ってもよいほどの最高の弁護士K氏(新東京法律事務所所属)を紹介してくれました。ただ、引き受けるかどうか決める前に、どういう裁判だったのか検討するので判決謄本をPDFかFAXで送ってほしいとのことでした。判決が下されて裁判が終わると、判決とその理由など裁判長が述べたことなど全てが文書化されて弁護団に送られてくるものだそうです。

早速菅野弁護士に電話をして、一審と二審の判決謄本を入手できないか打診しました。一審の判決謄本は当然すでに届いているが(それに基づいて控訴の趣意書を作成したので)、二審の判決謄本は恐らく今週末までには届くのではないかと予想しているとのことでした。弁護団は今週の月曜16日に全員集まって控訴審の総括をして、弁護団としては上告はしないことを確認したようです。市橋君自身が上告を希望するかどうかが先決ですが、山本弁護士が昨日接見に行かれたがまだその結果を確認していないとのことでした。私も山本弁護士の事務所に電話をしてみましたが、運悪くお留守でしたので、市橋君の希望がその後変わったかどうか確認できませんでした。

私は明日19日(木)に市橋君に面会に行って、上告するように再度勧めてくるつもりです。もし市橋君が同意すれば、来週25日(水)までに上告の手続きをする必要がありますので、山本弁護士にお願いしたいと思っています。その上で、菅野弁護士が今週末には届く見通しとおっしゃった判決謄本を入手してPDF化してK弁護士にお送りするつもりです。例え、上告しても無期懲役が変わる可能性は小さいとしても、市橋君が自分としては全てを正直に話しましたと言ったことが、裁判では信用できない虚偽の弁解と断じられたことを、最後のチャンスとしてもう一度検証してもらう機会を与えたいと思います。

少し前の郵便不正事件で大阪地検特捜部長が厚生労働省の村木厚子局長を犯罪者に仕立て上げようとした時もそうでしたが、検察官が無罪の被告人を有罪にするために証拠の隠蔽(いんぺい)だけでなく改ざんまでしたということが明らかになって国民がショックを受けたことは記憶に新しいところです。今日の朝日新聞には小沢一郎被告の事件に関連して、元秘書だった石川知裕衆議院議員の取り調べを担当した検事が実際にはなかったやりとりを捜査報告書に記載した(虚偽有印公文書作成・同行使)容疑で刑事告発された事件に関する記事が報道されていました。この事件の場合は石川議員が取り調べの様子を隠しマイクで録音していたことで嘘が暴露されました。検察官は、起訴して裁判で無罪になると昇給に影響するという馬鹿げた慣習に根本原因があるのでしょうが、こちらの方は法務省として現在制度の見直しが検討されているようです。一方、裁判官の中にも検察側の主張に安易に同調する(その方が判断を間違える可能性が低いので)場合もあるということを聞きます。市橋君が、正直に話したことまで虚偽の弁解と否定されて犯した罪に相当する以上の罰を与えられるようなことがあるのだとしたら、どうせ市橋君はリンゼイさんに悪いことをしたのだからといって、見過ごすべきではないと思います。

今日はT弁護士からの電話が来るのを待って、午後遅く江戸川堤防を6Km 走ってきました。このところ運動不足で体は重かったのですが、T弁護士からK弁護士を紹介してもらった後だったので心は浮き浮きして明るい気分でした。
留守の間に先日お見舞いに行った元同僚教授/友人の奥様から電話があり、今日は友人は午前中にお風呂(週2回の)に入れてもらって血流がよくなったせいか、少しだけでも声が出せるようになったので、車椅子を押して裏庭に連れ出し、草木を見せて外の空気を吸わせたとのこと。携帯電話を通して友人の声を私に聞かせようとしてくれたのですが、あいにく私は江戸川堤防を走っている最中でしたので、友人をよく知っている妻が代りに声を聞いたようです。夕食後奥様に電話をしてみたら、今日は夫と会話ができて、自分が食堂から帰ろうとしたら車椅子から手を振ってバイバイをしてくれたと嬉しそうでした。長年連れ添った夫婦ですから、会話が一方通行ではなく、病気で寝たきりになった夫が不自由な言葉でも反応を示してくれたことがよっぽど嬉しかったのでしょう。
昨日は新聞の広告を見て、駅前の本屋で五木寛之箸「新・幸福論-青い鳥の去ったあと-」ポプラ社を買ってきました。私はこの頃は専門書以外はほとんど読まないのですが、市橋君のこれからの人生にも関連して人間の幸福とは何かを少し考えてみたいと思ったからです。

2012年4月17日火曜日

以下は、昨日の市橋君との面会について、支援者から寄せられたお便りです。判決の厳しさに打ちひしがれている筈の元学生の胸の中を思いやって下さりありがとうございます。市橋君は今さらながら、自分のした愚かな行為が、亡くなったリンゼイさんとそのご遺族にとってどれだけ取り返しのつかない残酷なことだったか(厳しい判決はそれを反映している)を思い知らされている筈です。最終的に市橋君が上告を希望するかどうかは来週まで待たなければなりませんが、上告するにしてもしないにしても、できるだけの支援をして、これから長期間にわたって罪を償わなければならない市橋君の今からの人生が少しでも有意義なものになるように支えてあげたいと思っています。
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本山先生こんばんは、面会お疲れ様でした。来週も面会に行かれるとのこと、ありがとございます。市橋さんの様子も知らせて頂きありがとうございます、前回よりも明るい雰囲気だったようで少し安心しました。市橋さんは控訴しないと言われてましたが、即答ではなくしばらく沈黙があったのは心の中で葛藤してるのかな?と思いました。(本山:その通りだと思います。)少しでも上告の気持ちがあるなら本山先生が言われたように最後のチャンスまで主張して欲しいです。もしかして上告しない理由のひとつに、弁護士料の心配はいらないと言っても支援を申し訳ないと思って遠慮があるのだとしたら、支援は市橋さんが頼んだのではなく、自分の考えで勝手にしてることだから本当に気にしないでと言いたいです。(本山:その点は次回の面会の時に念を押して伝えます
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本山先生 こんばんは。4月11日からもう何日もたってしまいました・・・・。絶望感から立ち上がれないほど心が落ち込んでしまっているのは市橋さんなのに・・・・。悔しくて、言葉を無くしてしまいました。市橋さんが本当の気持ちを言っても通じることなく無期のままというのは・・・・。人が人を裁くということは恐ろしいことです! 聞く耳持たず。憶測から、たぶん、だろう、絶対そうだ、そうであるとなってしまい・・・やがて控訴するこころをも消し去ってしまう。心の中の本当の声を聞こうとしないで、悲しいですね…本当に。シナリオという形の中に無理やりはめ込んでしまい、真実へ目を向けることを右に習えでスルーしてしまう。人が人を裁くということ…人の一生が簡単に決まってしまうなんて本当に空しいですね。心から、もう一度控訴してほしいと願っています。
本山先生 教え子のためにいつも足を運んでくださいまして、本当に市橋さんも感謝の気持ちをこころの中で何度も言っていることでしょう。透明の板越しに精一杯の自分でいるんでしょうね。
まとまりのない言葉で失礼しました。

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昨日は面会での市橋さんのご様子を詳しく教えて下さり有難うございました。判決後の市橋さんも落ち着いておられたと前回ブログで先生は書いておられました。やはり少しずつ市橋さんは受刑生活に入る覚悟を決めておられるのでしょうね。市橋さんご自身にそんなつもりはなかったとしてもリンゼイさんの未来を奪ってしまった事に変わりはないので、その申し訳ない想いを市橋さんの今後の人生で償っていくしかない、、、と考えておられる様に思います。
私はそんな市橋さんをずっと私の人生が終わるまで看護り続けたいと思います。ですから、もし控訴されるので有れば支援金を送らせて頂きますし、控訴されないという事になれば、受刑生活が始まるのでしょうから、今後未決の時とは違う形の支援を先生や支援者の方々とご相談しながら考えていきたいと思います。願わくば色んな諸事情がある方々がおられる刑務所の中、市橋さんが嫌がらせやイジメを受けませんように・・・。日々の作業を通じて手に技術をつけ、仕事の達成感を味わったり、その中での人間関係を通して市橋さんが学習し成長できますように。。。(本山:私の気持も全く同じです。市橋君は刑務所の中にいて成長できるだけでなく、外の社会にいる人たちに対しても何らかの形で貢献して、それを生き甲斐にできる筈だと思っています。私は遠くて直ぐには差し入れにも行けない現実がありますが、支援者の方々がお花を届けてくださるとのお知らせにホッとしています。今後とも本山先生や支援者の方々と市橋さんが少しでも和む時間を提供していけたらと思います。先生、来週も面会に行ってくださるとの事。市橋さんが先生を今後も親代わりの更生に必要なお一人として申請してくださるよう願います。

今年の桜は散りますが、来年、再来年、この先もずっと桜の花が咲き続けるように支援を続けていこうと私は私で覚悟しました。どうかこれからも宜しくお願い致します。
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こんにちは。市橋達也さんとの面会時の様子をお知らせ頂き、ありがとうございました。昨日の時点では、彼は「控訴しません」と仰られたとの事ですが、まだもう少し上告期間の日数も有りますので、山本弁護士さんと相談されて、決めて頂きたいと思います。上告されますのも、市橋達也さんにとって精神的な負担も掛かると思いますが、今しか出来ない事ですのでよく考えて、出来れば上告して欲しいです。
4/19(木)に東京拘置所に伺い、お花の差し入れ致します。

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本山先生 市橋君の面会有難うございます。先生のおっしゃる通り自分の真実を全うするようまた後悔しないよう控訴を強く希望します。今後長い受刑生活季節も感じる事もできないで全く外部と遮断されて過ごすんですね。どんなに先生の面会で心を癒やせれるかしれません。もう覚悟ができてるみたいですが控訴を勧めてください。お願いします。
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東京農業大学に行く途中の道路で、ある農薬会社を数年前に定年退職して今はコンサルティングをしながら研究会活動をしている知人にバッタリ出会いました。久し振りだったのでお茶でもどうですかと誘われ、喫茶店に入ってコーヒーを飲みながら懐かしくお互いの近況を語り合いました。
その後、大学の周りを6Km ジョギングしました。シャワーを浴びていたら、私と同じようにいつも運動をしている顔なじみの職員と一緒になったので、駅伝部と陸上部と別なのかどうか訊いてみました。陸上部は一つだけど、その中に駅伝をやる長距離の男子と女子、短距離をやる男子と女子の計4グループがあるとのことでした。グランドでは、短距離の男子部員がトラックの上に落ちた桜の花びらを箒(ほうき)で黙々と掃いていました。自分が走ってトレーニングをする場所をこうして神聖なものとして大事にする若者の姿を見るのは嬉しいものです。日本でもアメリカでも私が指導していた空手の道場では、稽古の前に必ず全員で床の雑巾がけをさせていました。
市橋君も岐阜県での高校時代は陸上部だったとのことなので、やはり運動場の走るコースを手入れして大事にしていたかどうか、今度面会に行く時に聞いてみようと思います。

2012年4月16日月曜日

綾瀬駅から、もう覚えてしまった道をゆっくり歩いて東京拘置所に向かいました。少し早目に着いたので待合室で15分くらい待っていたら、面会の申し込み窓口が開いたので申請書を書いて身分証明書代わりの運転免許証と一緒に出して、さらに30分くらい待ったら電光板に私の番号が掲示されました。いつものように、1階のロッカーに鞄と薄手のジャンパーと携帯電話と小銭入れ兼キーホルダーを入れ、ノートとボールペンと手帳だけを持って金属探知ゲートをくぐって、さらに身体チェックを受けて、10階にエレベーターで昇りました。許可証を窓口に見せて、指示された面会室に入りました。

透明の仕切り板の向こう側に市橋君が刑務官と一緒に入ってきました。一見して、市橋君は前回よりも明るい雰囲気だったので、前回より顔色がいいな、元気だったかと声をかけたら、はいと答えました。向こうから何か話しかけてくるかと思ってしばらく黙っていてから、どうだ控訴するかどうか考えて決めたかと訊いたら、またしばらく沈黙の後で、小さい声でボソボソと控訴しませんと言いました。そうか、でもまだ時間があるから2週間ギリギリ(来週水曜)まで考えて結論をだすようにと伝えました。市橋君は首を少し前後に振ってわかりましたという表情をしました。控訴をして主張が認められても、30年以上の無期懲役が少し短い25年~30年くらいになるだけかもしれないけど、納得いかないままで刑に服するのは君も面白くないだろう。これから君は長い期間刑務所の中で暮らすのだから、悔いが残らないようによく考えて、もし君が正直に話したことが信用できない虚偽の弁解と言われたのだったら、最後のチャンスまで主張をした方がいいと思うよと言ってやりました。支援者の人達も君に控訴をしてほしいと言っているし、本間 龍さんからの情報では2週間以内に一言控訴しますと書いて出せば、弁護士の選任や実際の控訴の手続きはその後で時間をかけてやればいいということだから時間はあるからと説明してやりました。また、一度控訴の意思表示をしておけば、後で考えが変わって控訴を取り下げることもできるという情報も伝えました。弁護士は山本弁護士に依頼してもいいし、私の友人の弁護士に紹介してもらう新しい弁護士に頼むこともできるし、弁護士料は募金で手当てするから心配いらないからと言ってやりました。市橋君はただ黙って聞いていました。

綾瀬の駅からここまで歩いてくる途中には15階建てのマンションがたくさん建っているけど、屋上の運動場から見えるかと訊いたら、屋上からは空は見えるけど回りの景色は一切見えませんと言いました。それじゃ、君の入っている部屋からは見えるのかと訊いたら、部屋からは窓側の狭いスリットから外は昼か夜かがかすかにわかる程度で景色は何も見えませんと言いました。園芸学部の君が入っていたA棟の研究室の横に桜の老木があっったのを覚えているかと訊いたら、はい覚えていますと言ったので、今は春になったので今年はいつもより少し遅かったけど桜が満開だよと教えてやりました。時々あの前に立つと、君があの部屋にいたんだなあと思い出すんだよと言ってやりました。
綾瀬駅からここまで歩いてくる途中のマンションに沿った道には、黄色の花のレンギョウと白い小さな花が一杯つくユキヤナギの花が咲き誇っていて綺麗だったよと教えて、こういう施設でも季節の植物が見えれば季節感があっていいのになと言ったら、ここでは季節感は全くありませんと答えました。植物や景色が見えると、受刑者の心理に悪影響があるので見えないようにしているんだろうかと言ったら、わかりませんと答えました。それから、支援者が差し入れて下さったお花でまだ生きているのがありますと言いました。先週12日に〇〇さんが差し入れて下さったお花でしょうか。

市橋君は白い丸首の下着のシャツ(私には何のことかわかりませんが、ヒートテック?の何とかと言っていました)とその上に黒の襟の立ったカーディガンみたいな恰好の上着を前を開いて着ていましたので、それも誰かが差し入れてくれたものかと訊いたら、今日は少し暖かいのでこれを着ています、両方ともユニクロ製で先生がパジャマの代りにと支援者に依頼してくれた時に差し入れされたものですと答えました。下は、いかにも楽そうな灰色のトレーナーを着ていましたので、気温に応じて選べる衣類があってよかったなと言ってやりました。何か差し入れてほしいものがあるかと訊いたら、何もありませんと答えました。

食事は毎日同じメニューか、ご飯とかパンとか麺類とかたまには違ったものが食べられるのかと訊いたら、毎日変わりますと答えたので、そうか、栄養学的な計算だけでなく、飽きがこないようにちゃんと考えてくれているんだなと話しました。

支援者から手紙が届いているだろうが、支援者の中にはいろいろな人がいるから気を付けるようにと注意しました。始めの頃は君のファンクラブみたいなものがあったらしく、君と獄中結婚したいとか、君の子供を産みたいと信じられないようなことを言った若い女性もいたようだけど、今君を支援してくれている人のほとんどは君のお母さんみたいな人たちで、君を自分の子供のような気持ちで支援してくれていることを伝えました。支援者の振りをしている人もいて、例えば大阪の〇〇さんのように一人で何人もの名前を使って複数の人間に成りすましていた人もいたので、手紙も変な内容のものは刑務官の検閲で君のところまでは届かないだろうが、十分気を付けるようにと助言しておきました。

ここでも運動の時間はあるのか、ちゃんと運動をしているかと訊いたら、この頃は外(屋上)には出ていませんと答えました。これから長い期間君はこういうところで生活するのだから、ちゃんと運動をして健康を保たなければ駄目だぞと言ったら、自分の部屋でラジオに合わせてやっていますと答えました。ラジオ体操の音楽が流れるのか、腕を挙げてとか首を回してとか号令がかかるのかと訊いたら、違います、ラジオが鳴る時間にそれに合わせて腹筋運動や腕立て伏せやまた割などの運動や空手の突き蹴りなどをやっていますと答えました。

今日の刑務官も親切で、私と市橋君の会話を目を合わさないようにしてすぐ隣で心配そうに聞いていましたが、千葉刑務所のように目覚まし時計のようなけたたましいベルを鳴らさずに、そっと身振りで時間ですよと伝えてくれました。私は市橋君に来週また来るから、控訴するかどうかもう一度しっかり考えておくように、君の心の問題として不満が残ったまま服役するのはよくないのでともう一度伝えました。市橋君は立ち上がって深くお辞儀をして、申し訳ありません、ありがとうございましたとお礼を言ってくれました。
帰りは同じ道をブラブラ歩いて綾瀬駅まで行きましたが、今日の市橋君が比較的落ち着いた表情をしていたのは、刑を受ける覚悟を固めつつあるのかなという気がしました。

決して催促しているのではありませんが、もしこれから来週の水曜までの間に差し入れに行く方がおられたら、今の季節が感じられるお花や木の小枝を選べれば、少しでも市橋君の心を和ませるかもしれません。

早速支援者の一人から、「先程、ブログ拝見致しました。今週の4/19(木)か20(金)に東京拘置所に伺い、お花の差し入れ出来ます。(他の支援者の状況にもよりますが…)」というメールが届きました。

2012年4月15日日曜日

支援者から以下のお便りが届きました。
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永らく連絡もせず、すみません。ブログはいつも読ませていただいております。本山先生、いつも本当にありがとうございます。私も控訴を希望します。先生がブログで述べられている通り、市橋さんには少しでも納得の行く方法をとって、その後の長い服役生活を送ってもらいたいと思います。
その時、新たな弁護士費用が必要であれば、私も一支援者として、自分のできる範囲内で金銭的協力をさせていただきたいと思います。今は本山先生だけが頼りです。よろしくお願い申し上げます。

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昔ある農薬会社に勤務していた方で、定年前に退職して、、今回は日本財団のプロジェクトで海外に出かけていた旧知の知人(多分私より若干若いだけであまり変わらない年代)から帰国の挨拶状が届きました。今回はミャンマーに3年間滞在して学校建設や地域開発のプロジェクトに関わったそうです。http://www.saetanar.org/ ミャンマーと言えば、最近こそ民主化の気運がでてきてアウンサン・スーチーさんの党が選挙で躍進したというニュースが報道されましたが、ちょっと前までは軍事政権が民衆に対して抑圧的政治を行っていた怖い国という印象でした。しかし、実際は女性が夜一人で外出しても大丈夫なくらい治安はよかったとのことでした。挨拶状に添付されていたミャンマーの子供たちの笑顔の写真が素敵なので、本人の了解を得て添付します。子供たちの屈託のない笑顔を見ると、子供たちは世界中どこでも同じで、こんなに無邪気な子供たちが大きくなった時に他の国や、宗教や、民族や、仲間以外の人々を憎むようになるのは、私たち大人の責任だなあという気がしてきます。

この知人は元々大学卒業後海外青年協力隊で海外に派遣された経験があって、会社を自主的に退職後はJICA(Japan International Cooperation Agency 独立行政法人国際協力機構)に参加し、南米のパラグワイのイグアッスの滝(ブラジルとアルゼンチンとパラグワイに接している巨大な滝)の近くの日本人コミュニティで農薬の適正使用の指導をしたり、アフリカのガーナで国際寄生虫プロジェクトの一環として寄生虫防除の指導をしたり、アフリカのケニア(ナイロビ)にも2年間滞在したそうです。いずれも奥さんを日本に置いての単身赴任だったとのことで、私と同じで農耕定着民族ではなく遊牧移動民族の子孫だなあという気がしました。さっき電話をして、今度是非一度東京で会って、ビールでも飲みながらこれまでの海外生活の経験について話を聞かせていただくことで一致しました。

市橋君もあんな馬鹿なことをして一生を棒に振らなければ、海外で活躍して貢献できる夢も能力もあった青年だった筈なのに、残念です。

今日は江戸川堤防を8Km 走ってきました。昼食後1時間半くらい時間をおいてから出かけたのですが、胃の中が重たい感じがしました。
私は、明日16日(月)に市橋君に面会に行く予定です。

2012年4月14日土曜日

以下はある支援者から今日いただいた2通のお便りに対して私が差し上げた返信です。他にも同様な疑問をお持ちの支援者がおられるかもしれませんので、紹介しておきます。
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〇〇〇〇様
お便りありがとうございました。11日の裁判を傍聴できた支援者から、弁護団が提出した控訴の趣意書に対して裁判長が一つ一つ反論の説明をしたメモを送ってもらいました。市橋君が悔恨していないと判断した根拠の一つの「虚偽の弁解」(事実誤認)というのを、3分以上頸部を圧迫しなければ人は死なないとされているのに市橋君は1分以内しか圧迫していないと主張したことかと勝手に想像しましたが(本山:4月12日のブログ)、それだけではなかったようです。リンゼイさんの遺体には顔に殴打の痕がありましたが、市橋君はリンゼイさんを強姦後、バスタブに入れて監禁している時にタバコを買ってきてほしいと言われて逆上して2回殴った(そんなことで何故逆上するのか不思議ですが、普段から綺麗好きで、神経質で、潔癖症だった市橋君はタバコを極端に嫌っていたとのことです)と説明したのを虚偽の弁解と見なされたようです。リンゼイさんがマンションの4階まで一緒に昇ってきて、彼の個室の中に入った直後に彼女に抱きついて服を脱がせて強姦しようとしたら、途中から抵抗を止めた(することをさせてしまえば帰してもらえると思って)と説明をしたのに対して、強姦する前に殴って抵抗を止めさせたと考えるのが普通だということで、虚偽の弁解と見なしたようです。前回わたしが面会に行った時に市橋君が私に、「自分としては全て正直に話したつもりです」と言ったのはこのことも含めていたのでしょう。リンゼイさんはもう亡くなっているので、今となってはどちらが事実か証明するのは不可能です。
裁判と言うのは、本来事実を明らかにして罪に相当する罰を与える場なのでしょうが、現実には検察側と弁護側のかけひきに裁判官の人間的ファクター(例えば、遺族が提出した意見書に感情的に影響を受けて同情するなど)も加わってひとつのもっともらしいストーリーが描かれて、それに相当する罰が与えられるのでしょう。手記の印税を被害者遺族に弁償金として提供しようとしたことが、刑を軽くしようとする行為で、心から悔恨していない根拠のひとつと見なされたことも、市橋君にとっては心外なことで、私は事実に反すると思っています。実際には、出版社が商業的目的で弁護団に手記の出版の企画を持ち込み、弁護団がそれを市橋君に伝え、経済力のない市橋君が被害者遺族に弁償金を払える唯一の方法として合意して執筆したというのが事実だと思います。それを悔恨していない証拠と断じられたのでは、市橋君は何故自分の言うことを信じてもらえないのかという気持になると思います。
ただ、控訴をしても判決が変わる可能性は著しく低いか、ほとんどないというのも事実でしょうから、控訴をしてまた心が乱される時間を延長するのか、このまま覚悟を決めて受刑した方がいいのか、市橋君も迷うのではと思います。
月曜日16日に面会に行って、市橋君の気持を確かめてきます。本間 龍氏からの情報では、2週間以内に控訴の意思表示だけすれば、弁護士の選定や実際の控訴の手続きはその後でもよいとのことですので、時間的にはそれほど追われていないことは幸いです。私としては、市橋君には最後(三審)まで努力を尽くして、心残りのないような状態で刑に服してほしいと思っています。もし控訴をすることを希望すれば、山本弁護士に継続して依頼するのがいいか、私の友人の弁護士が紹介してくれる刑事裁判の経験豊富な弁護士に新たに依頼する方がいいのか、検討する必要があります。


〇〇〇〇様
学生時代の事件については知っていますが、報道されていることは正確ではありません。卒業後の彼の生活についても、〇〇様が報道から想像している彼の姿は正確ではありません。市橋君が千葉大学を卒業してから半年後くらいに出会って、その後事件当日まで1年半お付き合いしていた友人とは2回お会いして、当時市橋君がどういう生活をしていたか詳しく話を聞きました。外国留学を目指して、英語力をつけるために毎日独力で英語漬けのような勉強をしていたそうです。英語学校に通えば近道だったのでしょうが、契約金その他多額の費用がかかるので仕送りに頼ることはできず、自宅でひたすらテープを聴くという勉強法ではアメリカの大学院に受け入れてもらうのに必要なTOEFL(英語の試験)の点数が十分に上がらず、一方では友人との楽しい生活に耽り、そのジレンマに苦しむ生活だったようです。そのためにストレスでうつ病(今考えると、躁うつ病)に罹り、突然無口になって何もしゃべらなくなって友人に別れ話を持ち出すことを繰り返したうです。最後には、ご両親から3月一杯でマンションを出て、仕送りもストップするので自活するように言われて追い詰められた精神状態になっていました。それが偶然リンゼイさんに出会って、個人レッスンのアポイントメントがとれて大喜びして(今考えれば躁の状態)、あの事件が起こってしまいました。だからあのような行為が許されるということではありませんが、私は市橋君が躁うつ病だったかどうか精神鑑定を受けさせてはどうかと菅野弁護士に提案しましたが、当時精神科医に通っていたとか、どこかの薬局にでもうつ病薬を服用していたという記録が残っていない限り無理だと言われました。
悶々とした生活というのはある意味では当っているかもしれませんが、実際の市橋君は異常性格者ではないし、定職につけなかったのでもないし、将来が見えなかったのでもありません。むしろ逆で、将来に大きな夢を持っていて彼なりに必死にそれを実現させようと頑張っていたのだと思います。
--ー--

私は市橋君は何が起こったか正直に話したのだと思います。それが信じてもらえないのが悔しいのだと思います。しかし、今となってはもう裁判でそれを証明できないところが難しいところだと思います。彼が犯した罪は罪として認めなければなりませんが。月曜16日に面会に行って、控訴するかどうか彼の気持ちを確かめてきます。
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個人的な情報を含む上記の内容を私がブログに書いたことについて、支援者から批判的なお便りも届きました。しかし、新聞・雑誌やネット上に興味本位で流布されている情報に困惑している支援者に、私が把握している情報をお伝えして共有することは意味があると思って敢えて書きました。躁うつ病(双極性障害)については、もちろん私は精神科医ではありませんが、身の回りの何人かの躁うつ病の知人の行動を観察してきた経験から、もしかしたらと推察しました。ある支援者が躁うつ病について詳しく説明した資料を送って下さいました。http://square.umin.ac.jp/tadafumi/Living_with_bipolar.pdf#search='
精神的な病の診断は専門家でも難しい面があるのかもしれませんが、これからの長い服役生活のためにも、できたら市橋君は一度診察を受けておいた方がよいのではと思っています。

2012年4月13日金曜日

本間 龍氏から以下の情報提供がありました。その後、電話を差し上げて直接お話も伺いましたが、判決後2週間以内の控訴期間というのは、その期間内に控訴の意思表示をすれば実際の手続きはその後でよいということですので、当初私が想像したより時間の余裕があります。来週の月曜に面会に行く時にそのことも伝えて、市橋君が納得がいくようになるべく控訴をするように勧めようと思っています。場合によってはその後、友人の弁護士に刑事裁判に経験豊富な弁護士を紹介してもらって一度相談に行ってくるかもしれません。見通しは厳しくても、元学生のためにできるだけのことをしてやりたいと思います。
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本山 先生 こんにちは。市橋さんとのご面会、ご苦労様でした。二審の結果が全否定だったことで、市橋さんの態度にも相当諦めがあるように感じられました。日本の裁判は三審制であるとはいえ、最高裁はそれまでの二審に明らかな錯誤がある際にこれを正す存在としてのみ機能しているので、今回のような犯罪行為そのものが争点でない場合は、残念ながら受理される可能性は極めて低いと言わざるをえません。現在の弁護団が控訴を検討していないのはそのためだと思われます。
但し、そのことは市橋さんの心の整理とは別問題ですので、彼自身に控訴の意志があれば、それは実行するべきだと思います。そこで、二週間の控訴期間の件ですが、これは二週間の間に控訴意志を表明すればいいだけのことであって、弁護士による上告手続きそのものはそのあとで大丈夫です。つまり、とりあえずこの二週間以内に控訴手続き(弁護士に頼らずとも、市橋さんが拘置所刑務官に一筆「控訴する」と書くだけでも大丈夫です)をしておけば、判決確定は停止され、未決状態が続きます。その間改めて弁護士を選定し、正式な上訴手続きを行います。もちろん、一度控訴し、その後考え直して取り下げることもできます。言い方は悪いのですが、ある種の時間稼ぎとしてそうしたやり方をとる場合はあります。 二週間はあっという間に過ぎますので、現状で彼が迷っているようであれば、お手数ですが上記の方法を改めて説明して頂き、一旦控訴して改めて弁護士選任を行い、相談しながら控訴方針について吟味するというのはいかがかと思います。
本間 拝
※追伸
本件については時間の問題がありますので、もしご質問等ございましたら直接私の携帯(〇〇〇-〇〇〇〇-〇〇〇〇)に御連絡頂いても結構です。ご検討下さいませ。

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昨日の面会の報告についてはその他の支援者からもたくさんお便りが届いていますが、以下はその中の一部です。
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本山直樹先生。先ほどブログを読ませていただきました。昨日からの市橋さんが心配で心配でたまりませんでした。この世の中は不条理な事がたくさん有りますね。神さまは無意味な事をなさらないと思っていても、凡人の私は悲しくて仕方ありません。今日の市橋さんのご様子は、ご自身の人生全てを差し出すしかないという、心の中の表れのように私は思えました。
この先の事はどうしたら良いのか難しい所なのでしょうが、先生、下記の事だけは市橋さんにお願いして頂きたく思います。市橋さんは「もう十分なので自分を放念してください。」と言われてましたが、先生も同じお気持ちだと思いますが、私も迷惑だなんて一度も思った事はなく、これからも支援していきたい気持ちに嘘偽りなどありません。いつだって市橋さんの事を考え想い、微力ながらお役に立ちたいと思っている私や支援者の方々がおられる事を忘れて頂きたくありません。市橋さんを独りぼっちにさせません!どうか、その事をお伝え頂きたく思います。
私も市橋さんに今日手紙を書きました。今後の事が本当に心配なので、もし受刑生活に入られるなら本山先生がこれまで通り面会出来るよう申請して欲しいと言うお願いの内容の手紙です。 私達支援者は先生の面会だけが市橋さんのご様子を知る唯一の手だてなので。
先生、どのような形になっても私は頑張って支援していきたいです。非力ながら、先生のお手伝いもさせて頂きます。私の娘も理解してくれていますので大丈夫です。
次回の面会では本気で支援している旨、どうか市橋さんにお伝え下さい。宜しくお願い致します。

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先生夜分に失礼いたします。昨日の判決にやっぱり圧力がかかって無期のままなんだと痛感いたしました。なぜ市橋さんの意見に耳を傾けてくれないのか?一日考えていました。[本山:日英関係のために外務省から法務省に厳罰を期待する無言の圧力があったかどうかはわかりませんが、少なくとも現場の裁判官の判断がそういうことに影響されたとは思いたくありません。ただ、検察側がイギリスから取り寄せて提出した被害者遺族(リンセイさんのご両親とリンゼイさんのお姉さんたち)の2つの意見書は、裁判官の感情に訴え、判決に一定の影響をしたのではと思います。] 先生の11日のブログを今日12日に拝見しました。他の支援の方同様私もこれからの支援の気持ちには変わりがないです。
市橋さんのご両親様、一度でいいので今の市橋さんに会ってほしいと切に願っております。今生の別れにはなってほしくないので。
そして市橋さんにはもう一度違った角度からアクションを起こせる弁護団を作っていただきたいです。支援なら私にできる範囲で続行させてもらいたいです。先生お忙しい中、市橋さんの面会、ご報告ありがとうございます。

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本山先生へ 市橋君との面会に行っていただき、ありがとうございました。市橋君の様子から「結果には納得していない。でも現実を考えるとこのまま無期懲役に服するしかない。」と自分に言い聞かせてる感じですね。いくら叫んでも社会の大きな力の前で無力な自分を知り、自分もまさに「力」でリンゼイさんの生きたい思いを絶った責任をさらに感じたのですね。もう塀の外の人達とも縁を切り、塀の中の人間として静かに生きていく決心に傾きかけてるように感じました。
これまでの先生のブログによると、市橋君は1審も2審も裁判直後が一番心身共に滅入ってたようなので、このまま最高裁で、また被告席に立つ気力が無い様にも思われます。
偶然か、意図的かイギリスの首相が10日、11日に初来日し、市橋君の裁判と時を同じくしました。嫌な予感がしました。友好的外交が求められる一方で、今回の裁判は真に司法の分立がなされたでしょうか。
裁判官が判決理由に持ち出した印税ウンヌンのことは、私は個人的にどうしても納得いかず、新聞社にもメールしました。「何を言っとるか!」「バカか!」と思われて、多分取り上げられることは無いでしょうけど、一般人として書かずにはいられませんでした。拘置期間、使う文房具まで細かな指定がある一方で、手記を出す自由を与えておき、裁判では無期懲役の判決理由に手記を持ち出すのは、大きな落とし穴を掘って待ち構えてるようなものです。謝ってもダメだし、話したことはウソだと言われるし、まるで逮捕の時から「生きて出すな」と決められているようです。[本山:公判前整理手続きの期間に手記の執筆が公認されていることかどうか、私にはわかりません。多分、出版社が手記出版の企画を弁護団に持ち込み、弁護団が市橋君に話をし、経済的能力がない状態の市橋君が被害者遺族に弁償金を払える唯一の方法ということで執筆に合意したのではないかと想像します。そのことを、市橋君が自分の刑を軽くすることを画策したとし、悔恨(反省)をしていない証拠と断ずるのは、悪意に満ちた言いがかりに過ぎない私は思っています。
] 重大な犯罪を犯したとはいえ市橋君も、「反省していない」と決められるのはとても無念だと思い、その悔しさを思うと、私はつい国家権力や、悪意無きマスコミの影響力に対して、憤りや恐ろしさを感じます。私個人的には上告を希望しますが、市橋君に「共にもうひと頑張りしましょうよ。」と手を引く材料もないのが現状で、やるせないです。でもどうしても「適正な裁判ではない」と思います。
人にわからないように上手に殺人をして、普通に生活している「真の悪人」は、水面下で増えているのでしょう。恐ろしいです。私も市橋君に直接お会いしたいけど、希望されないでしょうし、先生、今後も市橋君をよろしくお願いします。彼に「放っておいてください」と言われても、私は支援者としての立場を続けたいと思います。

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今日も初夏のような陽気でしたが、私は江戸川堤防を8Km 走ってから、リハビリセンターに入院している元同僚教授/友人をお見舞いに行きました。長年の腎臓透析と3回目の脳梗塞で寝たきりになってほぼ3年経ちましたが、だんだん体力がなくなり会話も難しくなってきました。私は今年も千葉大学園芸学部のある講義科目の一部を非常勤講師として担当しますので、つい昨日今年度のシラバスが送ってきました。その中には友人も顔見知りの教員全員の顔写真が載っていますので、リハビリセンターに持参して、友人に見せながらこの教授を覚えているか、この准教授を覚えているかと話しかけ、最近の大学の様子や、市橋君の支援活動をしていることも含めて私自身のことなど1時間近く一方的に話をしました。私の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか、残念ながら一言も返事はありませんでした。それでも私が去った後で到着した奥様からの電話では、私がお見舞いに行って話しかけたのが刺激になったのか、友人の顔色や様子がいつもより元気な感じがしたとのことでした。

2012年4月12日木曜日

昨日傍聴に行かれた支援者から以下のお便りが届きました。
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昨日の控訴審閉廷後にお電話でお伝え致しましたが、傍聴券の抽選に当たり、傍聴出来ました。今まで傍聴した別の事件の控訴審は、5分~10分程で閉廷しましたので、今回もそう思っていましたが、1時間位かかりました。
市橋達也さんは、入廷後直ぐに裁判長から証言台の前に呼ばれました。そして判決が言い渡され…その後イスに座りましたが、微動だにせず、ずっと俯いていました。裁判長は、控訴趣意書について述べました。控訴棄却されましたので、当然な事なのでしょうが、ことごとく否定され悲しくなって来ました。市橋達也さんの証言は信用されないままで、一審より厳しく感じました。ある程度覚悟をしていたかも知れませんが、全てを受け止めるのは、相当辛かったと思います。彼の精神状態が心配です。
本日(4月11日)傍聴して、上告も改めて厳しいと感じました。ただ先日もお伝えしましたが、たとえ無期懲役のままだとしても、出来る限りの事をして、市橋達也さんが少しでも納得された上で、気持ちを切替て受刑し、罪を償って欲しいです。
本日、面会に伺われるご予定との事で、彼の精神状態により、今後のお話も出来るか分かりませんが、本山先生とお会いして、安らぐ気持ちになればいいなと思います。頂いたメールで、本山先生がご心配されましたように、今後誰とも面会されなかったり、支援も受け入れない気持ちになるのではと、私も心配です。その場合でも受刑後、気持ちが変わるかも知れませんし、どのような支援が出来るか分かりませんが、ずっと見守りたいです。

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市橋君に面会に行く前に友人の弁護士に電話をしました。今週9日(月)に菅野弁護士と電話でお話した時に、現在の弁護団は判決で例え控訴棄却で無期懲役になってもこれ以上の控訴は考えていない、もし控訴する場合は新しい弁護士が新しい考えで控訴する必要があるとおっしゃったので、友人の弁護士に事情を説明しました。もし市橋君が最高裁への上告を希望した場合は、弁護料は募金で手当てするから弁護を担当してくれないかと打診してみました。彼は私と高校の同級生で、東大法学部を卒業して司法試験に合格して長年裁判官をしていましたが、現在は郷里の埼玉県で弁護士として活動しています。ということは私と同じ年齢(今年70才)で、今抱えている問題に決着をつけたらそろそろ自分の時間を作りたいということと、自分は民事を担当してきたので刑事裁判は得意の分野ではないということで、遠慮したいと言われました。代わりに、埼玉県弁護士会の中に刑事事件を中心に扱っている優秀な弁護士を知っているので、紹介することはできるとのことでした。

私自身は昨日の裁判を傍聴できなかったので、ネットで各テレビ局のニュースを再生したり、各新聞の報道をチェックして、判決の主な理由を整理してみました。必ずしも正確ではないかもしれませんが、昨日の判決の主な根拠は次のように3つあるように感じました。
1.市橋君のしたことは欲望のままに行った残忍な犯罪で、その結果 被害者に取り返しのつかない大変な苦痛と無念を与え、被害者遺  族をも耐えがたき悲痛な状況に追い込んだ。
2.殺意はなかっと言っても3分以上頸部を強く絞め続けたことは殺意 があったのと同じである。
3.市橋君には真摯(しんし)な悔恨(反省)の態度が認められない。そ う判断する根拠は、
 ① 事件後に逃亡を続け、整形手術をしてまで逃げ通そうとした
 ② 手記の印税を被害者遺族に提供して刑の軽減を画策した
 ③ 虚偽の弁解-1分以上は頸部を締めてはいないと嘘の証言をし   た
ということかなと想像しました。こういうことを頭に入れて、市橋君に面会に行きました。

初夏のような陽気でしたので、綾瀬駅から東京拘置所まで20分くらい歩いたら暑くて汗をかいたので、途中で薄手のウィンドブレーカーは脱ぎました。もしかしたら今日は面会を拒否されるかもという一抹の不安もよぎりましたが、市橋君はいつものように10階の面会室に刑務官に付き添われて入ってきてくれました。顔色も表情もそれほど判決のショックでやつれてはいませんでした。今日は黒のTシャツの上に濃紺の厚めのセーターを着ていました。
大丈夫かと声をかけたら、はい大丈夫ですと答えました。昨日の裁判を私は傍聴に行けなかったけど、傍聴した支援者の〇〇さんから様子を聞いたり、ニュースで判決の内容を知ったことを伝えました。その上で、君はこれからどうするつもりか、控訴を希望するのかそれともこのまま受刑に入るのかと訊きました。市橋君はうつむいて、何も言わない時間がずい分続きました。判決前に菅野弁護士と話をして、現在の弁護団は控訴をしないし、控訴をしても判決が変わる可能性は低いと言われたことを告げました。山本弁護士とも話をして、もし君が希望するなら山本弁護士個人で控訴の手続きをしてくれるかもしれないと言われたことを告げました。さらに、控訴をするなら新しい考え方をする新しい弁護士の方がいいとのことなので、今日ここに来る前に私の友人の弁護士と相談をして、刑事事件に経験豊富な優秀な弁護士を紹介してもいいと言われたこと、その場合の弁護士料は支援者が支援を続けたいと言ってくれているので募金で手当てするつもりだということを告げました。昨日の今日なので、君もすぐには決められないだろうから、少し時間をおいてから返事をしてもいいよと話しました。市橋君は、昨日裁判所から帰ってきてから、刑務官からも2週間以内に控訴ができると告げられたと言いました。

市橋君はしばらく無言の後で、自分のしたことでリンゼイさんはもう帰らぬ人になってしまいましたと言い、だから自分ももう生きる資格がないというか、控訴をして有期刑を求めることは許されないのではというニュアンスのことを言いました。私は、君が判決に納得しない部分があってもやもやした気持ちのままで判決を受け入れるのはよくないと思うので、よくよく考えてから決めるようにと伝えました。そして上記の私なりに整理した判決の理由を説明し、1と2はその通りだとしても、3は事実と違うのではないのか、君はそれでもいいのかと尋ねました。市橋君は、自分は全てを正直に話しました(ここは強調していました)、しかしそれをどう判断しどう裁くかは裁判所なので、自分としてはそれを受け入れざるを得ませんと答えました。私は、裁判官も人なので感情に影響されて判断を誤まることもある筈なので、だから日本の司法制度には一審、二審、三審まで認められているのだから、納得がいかなければ最高裁に上告すべきだと思うよと言いました。
市橋君は、現行の無期懲役というのは終身刑(友人の弁護士によると、日本では死刑の次に厳しいのは無期懲役で終身刑という刑はないそうです)と同じで、死ぬまで刑務所から出ることはないということを知っていました。自分は全てを正直に話したけれど、悪いことをしてリンゼイさんを帰らぬ人にしてしまったことは事実なので、上記の2や3について納得がいかなくても、無期懲役という判決を受け入れざるを得ないと迷っているのかなと思いました。
先生にも大変迷惑をかけてしまいました、もう十分ですので自分のことは放念して下さいと言ったので、元教師の私が元学生の君のことを考えるのは当然であって、何も迷惑なんか受けていないよと言ってやりました。

今日の刑務官も親切で、あと1分ですと残り時間を告げてくれました。控訴をする期間が2週間あるといっても、担当する弁護士が今までの裁判の経緯を把握して上告の理由書を作成する時間も必要だろうから、2週間ギリギリに決断するのは駄目かもしれないから、私は来週もう一度面会に来るからそれまでもう一度よく考えておくようにと言って部屋を出ました。市橋君は立ち上がって、深々と頭を下げてありがとうございましたとお礼を言ってくれました。

今日は東京拘置所に行く前に、修理が終わったと連絡があったプリンター複合機をキャノンのサービスセンターに車で受け取りに行きました。途中、今朝の朝日新聞の千葉版に私とのインタビュー記事をかいた記者から携帯に電話があったので電話をとって話をしたら、パトカーに止められて6000円の罰金の納付書をもらってしまいました。記者は自分のせいで申し訳ないと謝っていましたが、車を路肩に止めて話をしなかった私の責任です。この記者は昨日の夕刊の全国版にも判決の速報記事を載せていましたが、今日の朝刊の千葉版には私の写真入りで大きな記事を載せました。だいたい取材通りの内容でしたが、一部勇み足で事実と異なる表現がありました。「支援金で弁護費用や衣類など身の回りの物を購入するのに使った」というところで、支援金は全額を弁護団に渡し、差し入れは支援者が個人個人で行ったというのが事実です。

2012年4月11日水曜日

二審も無期! 裁判の結果と様子については、抽選に当たって傍聴された支援者が裁判が終わるとすぐ電話で知らせてくれました。ありがとうございました。別の支援者は裁判が終わる前に判決をネットでチェックしてメールで送ってくれました。ありがとうございました。朝日新聞千葉支局の記者は、裁判が終わってすぐ東京農業大学の私の研究室に駆けつけて、勉強会に出かける直前の私を捕まえて取材していきました。弁護団からは控訴裁判の見通しが厳しいことは伺っていましたが、有期刑になる一縷(いちる)の望みはあると思っていました。
私は、明日12日(木)東京拘置所に行って市橋君に面会してきます。それからその次のことを考えようと思っています。

本間 龍氏から以下の時宜(じぎ)を得たお便りが寄せられました。ありがとうございました。受刑が始まるまで差し入れが可能かどうかという支援者からの問い合わせにも回答して下さっています。
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本山 先生 こんにちは。
本日の判決は大変残念でした。無期は回避されるかと期待していましたが、人一人を殺めてしまったという厳然たる事実の前には、その願いも通らなかったようです。私自身も元加害者という経験を持った人間ですから、市橋さんの「どうして自分が言っていることが信じてもらえないのか」という法廷での一言の意味がよく分ります。
いくら謝罪しても「悔恨が足りない」「心からの謝罪が感じられない」と言われ、では一体どうすれば信じてもらえるのか、誠意が伝わるのか、と問うても誰も答えてはくれません。所持金がなかった市橋さんが印税で少しでも弁済しよう、と出した本が「周到に刑事責任を減刑しようとした」と言われてしまうのもそのためです。
しかし、これは被害者の立場から見れば仕方がないことだとも言えます。どんなに謝罪されたところでリンゼイさんは帰ってきませんから、遺族はそもそも謝罪など期待していないのです。つまり、殺人等の重罪の場合は、一度行為を為してしまった時点で加害者には弁解の余地など全くなく、その結果責任だけが重く追求される、ということなのだと思います。
今後のことですが、今日から2週間、控訴期間が設けられます。この期間は未決と全く同じですので、面会も差入れもできます。この2週間以内に控訴手続きをしませんと、法的には15日めから既決となるのですが、いきなり刑の執行があるわけではありません。なお1週間ほど余裕があり(恐らくこの間に書類上の手続きがされるのだと思います)、3週目が始まる頃に「刑の執行」が申し渡され、既決囚の階に移されます。(この約1週間も、未決と同じですので面会・差入れは可能です)ゴールデンウイークの連休中はそうした執行がありませんので、執行は連休直前か連休明けのどちらかになります。市橋さんは重要事件の当事者であるためずっと独居でしたので、既決になってもおそらく独居のままだと思われます。そこで袋貼り等の軽作業に従事し、概ね1ヶ月程度で刑務所に移送されます。一番可能性が高いのは、初犯で10年以上の受刑者を収容している千葉刑務所ですが、これは確証ではありません。移送は当日まで本人・家族・弁護士にも知らされないため、移送先から本人の手紙が届いてはじめて判明します。
今後は彼にとってもっとも辛く、長い時間が始まります。現在、無期懲役犯の平均収監期間は約30年であり、現刑法ではその間の贖罪や悔恨の情を斟酌して減刑に繋げるシステムがありません。また、懲役労働以外に、社会復帰に備えた自己研鑽の機会もほとんどありません。冷酷な言い方ですが、無期刑とは約30年に渡って、ただ社会から隔離する「隔離刑」であると言えます。
私は、市橋さんの刑は刑として、今後は彼(及び全ての受刑者にとって)の長い長い時間が少しでも、本人と社会にとって有益になるように、現行のシステム改革をするべきだと思っています。今後、この会が塀の中の市橋さんと社会を繋ぐメッセージを発信し続けてくれることを願っています。
本間 拝

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その他の支援者からもお便りが届いています。
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先生、判決残念でなりません。今までの話題はなんだったのかと思います。裁判長の述べた事は弁護士の先生方の努力を何ひとつも審議してくれず、市橋君の事を全て反論し、政府の圧力を感じずにはいれません。人間が人間を裁くのです。どこに証拠があるのでしょうか?政府の圧力があったとしか考えられません。本を書かせたのも弁護士です。その印税を寄付させたのも弁護士です。よかれと思ってしてくれた事が全部裏目に出でしまった事、弁護士の先生がたが、がんばって証拠を収集してくださったことが何一つ取り上げてもらえなかった事悔しくてなりません。今後の市橋君の支援を先生に全て委ねます。市橋君を守ってあげてください。今〇〇さんと悔しくてやけ酒を飲んでます。
市橋君がひとり、どんな思いで居るのかと思うと胸が締め付けられそうです。母親の気持ちで暖かく抱き締めあげたいと思います。ご両親ももう会ってあげてください。
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本山先生、今日の判決は耳を疑いました。市橋君の事が心配です。やっぱり司法は独立してないんですね。自分の言っている事が信じてもらえないんですからさぞかし落ち込んでいるんでしょうね。市橋君との連絡が途絶えないように先生面会に行かれた時にお願いします。私もこれから勉強して今後少しでも市橋君を支援できるようにいていきたいと思っています。今後の事はまだわかりませんが何か出来る事がありましたら言ってください。
先生面会宜しくお願いします。

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本山先生こんばんは。いつもブログの管理や面会での市橋さんの様子を知らせて頂き、ありがとうございます。控訴審判決も無期でしたね。今回も殺意はなかったという訴えを認めてもらえなかったのが残念でなりません… 昨日のブログで上告について山本弁護士のお考えに『市橋君自身が納得することが今後彼が生きていく上で大事』とありましたが、私も望む結果になるのかわからなくても、やれるだけのことはやって欲しいと思います。
もしまた支援が必要なら協力させて頂きますので。本山先生は12日か13日に面会に行かれる予定なのですね、ありがとうございます。今日の判決を受けて今市橋さんがどんな精神状態でいるのか心配ですが、元気づけてあげて下さい。お願いします。

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本山先生 公私にわたりお忙しい中、本当にありがとうございます。気にしておりました再審でした。もしかしたらと期待しておりましたが、またも無期、本当にがっくりきてしまいました。市橋さんは今頃どんな気持ちで、一人で過ごしているかいるかと思うと、ただただつらい思いです。
現在では「無期=30年以上」ということですが、今後も長くなるのではないかという気がしております。もし30年としても、市橋さんが出てくる頃には60歳代半ばということですね。懲役中のつらさに加え、まさに「浦島太郎状態」となって出てきて、生活の基盤が築けるのかという不安もあります。(本山:以前、菅野弁護士にお訊きしましたら、現在は無期の場合は途中の仮釈放はなく、ほとんどの受刑者は刑務所の中で死を迎えるとのことでした。) 実際に更生につなげるには、どのような支援が必要なのか、私も考えてみます。
先生、明日は面会に行って下さるとのこと、ありがとうございます。市橋さんにとって、どんなに励まされることかと思います。支援者は、長期にわたって更生を支援していくつもりであること、だからどんなにつらくても投げ出さないでほしい、決して一人ではない、孤独ではないことを再度お伝えくださいませ。
また、本当に厚かましいお願いではございますが、市橋さんのご両親に面会に行くよう進言いただくことはできませんでしょうか。(本山:事件のあったマンションの鍵を弁護団から受け取ってお返ししなければなりませんし、支援者名簿もお送りしたいと思っていますので、ご両親には近いうちに一度はお手紙を差し上げるつもりです。それぞれのお考えがあることは承知しております。けれど、せめてご両親くらいは、もう赦してあげていただきたいのです。無期ということは、面会に行かなければ今生の別れです。刑務所に入るということは、罪を償うことです。罪を償いながらも、その上にさらに、家族にも会えないのなら、いったいどこまで償いを求められているのかと思います。明日はつらい面会になるかもしれませんが、何卒よろしくお願い致します。

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今日は東京農業大学の食と農の博物館で、NPO法人(特定非営利活動法人)良い食材を考える会 http://www.yoishoku.com/ 主催/東京農業大学食育研究部会共催の「食材の寺子屋」という勉強会が開かれ、私も聴講してきました。話題がタイムリーだったこともあって、今日の勉強会には107名もの参加者があったそうです。同会専務理事の中村靖彦氏(元NHK番組ディレクター・解説委員)の司会で、篠原 隆氏(食品安全委員会リスクコミュニケーション官)による講演「気になる食べ物の放射性セシウム~食品中の放射性物質のリスク評価~」に続いて、消費者の立場から吉中由紀氏(パルシステム神奈川ゆめコープ理事長)と、生産者の立場から富谷亜喜博氏(千葉県山武市の有機農家、さんぶ野菜ネットワーク代表理事)からの感想と意見が述べられました。その後、質疑応答があり、フロアからいずれも鋭い質問と指摘がありました。篠原氏は、前半で食品のリスクと放射性物質の基礎について説明し、後半で食品中の放射性物質の基準設定と汚染実態と健康リスクについて分かり易く解説しました。一言で言えば、私たちの食卓に上っている食品の放射性物資の汚染にかかわる安全性は現実的に問題はない(例えば、下のスライド参照)ということですが、消費者は非科学的・非現実的なゼロリスクを求めますので、生産者は風評被害で苦しみ、流通業者は莫大な無駄な経済的支出を強いられるという状況が起こっているということです。実際には健康影響問題はないにもかかわらず、風評被害に苦しめられてきた食品残留農薬の問題と全く同じ状況だなと思いました。


1年に1回妻と一緒に受けている人間ドックの検査で、私はどこも異常がない中で、目だけは動脈硬化性眼底という診断結果で要精密検査ということでしたので、今日は眼科の専門医の診察を受けてきました。眼底に動脈硬化は認められず、異常なしという結果でしたので、安心しました。

2012年4月10日火曜日

山本宏之弁護士に電話をして、明日11日(水)の判決後のことについて教えていただきました。控訴するかしないかは市橋君次第だとのことです。市橋君が判決に納得しなくて控訴をしたいと考えれば、山本弁護士単独でも引き受けて下さる可能性があるという印象を受けました。その場合は上告理由書を書いて最高裁判所に提出するそうですが、通常は裁判が開かれるのではなく、書類の審査だけで、東京高裁の判決が変更になる可能性はきわめて小さいようです。山本弁護士は、それでも、市橋君自身が納得することが今後彼が生きていく上で大事だとお考えのようでした。控訴をしたとしても、弁護士の作業は新たにあちこちを訪ねて証拠や証言を集めてくるのではなく、上告理由書を書くだけですから弁護士料はなくてもとのことでしたが、もし必要でしたら支援金の募金を再開して手当てをしますとお伝えしておきました。

刑が確定しますと、弁護士も市橋君がどこの刑務所に移されて服役するか知らされないのだそうです。ただ、今回の刑事裁判が終わって刑が確定した後で被害者遺族から被害賠償の民事訴訟を起こされる可能性もありますので、山本弁護士は市橋君との連絡は保ちたいとのことでした。その場合は、市橋君の方から申請して山本弁護士に連絡(手紙)をとる必要があるとのことです。明日は私は午前中は眼科の検査、午後は東京農大での研究会の予定が入っているので傍聴には行けませんが、裁判所で山本弁護士が市橋君に会う時に、私も市橋君と連絡を保ちたいので市橋君の方から申請して私に連絡をとってくれるように伝えて下さいとお願いしました。

なお、明日の判決後2週間は控訴の猶予期間ですから、この期間は従来通り私が東京拘置所に行って面会申請をすれば面会は可能だとのことでしたので、明後日(あさって)12日(木)か明々後日(しあさって)13日(金)には面会に行こうと思っています。

今日のブログの記事をご覧になった支援者から早速以下のお便りが届きましたので、紹介しておきます。
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いよいよ明日は控訴審判決の日ですね。市橋さんの心中を考えると胸が痛みます。祈る事しかできない私です。今はとにかく神さまにひたすらお願いするのみです・・・。
ブログを読ませていただきましたが、山本弁護士様のお気持ちが本当に心強く有りがたく嬉しかった私です。もし支援金を再開なさるので有れば喜んで協力させて頂きます。又、本山先生の“親代わり”という言葉に昨日は涙がでました。市橋さんのご両親様やお身内はきっと会いに来てはくださらないと聞いていましたので、そうなると市橋さんは独りで本当にお寂しいだろうと思っていました。だから先生の受刑生活に入っても連絡が保てるよう相談したいという、お言葉に心からホッといたしました。先生、ぜひとも市橋さんに今後とも連絡がとれるよう申請をして下さるよう支援者も望んでいる旨を面会時お伝え下さい。宜しくお願いします。
それから先生は判決後2週間の控訴の猶予期間に面会に行かれるとの事ですが、この期間は手紙や差し入れは今まで通り出させていただいてもよろしいのでしょうか?もしご存知でしたらお教え下さい。(本山:確信はありませんが、控訴を断念して刑が確定するまでの2週間は今までと同じ扱いではないかと想像します。念のため、明日弁護士か東京拘置所に確認してみます。
先生、お忙しいとは存じますが今後の事、私も微力ながら出来るだけの協力をさせて頂きますので、何卒宜しくお願い致します。

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東京農大では新学期が始まって、キャンパスに大勢の学生が戻ってきて活気に溢れていました。ソメイヨシノの桜が満開で、生協の前ではサークルの勧誘活動で賑わっていました。学生たちは教科書を買ったり、ベンチに座って語り合ったり、グランドでは陸上部やサッカー部が走り回っていました。こういう若者たちの元気のいい姿を立ち止まって眺めながら、私は心の中で頑張れよ、思いっきり羽ばたけよ、とエールを送っていました。毎年繰り返される景色ですが、正に春一杯です。(写真はクリックすると拡大できます)

2012年4月9日月曜日

明後日11日(水)の判決後に市橋君がどうなるかについて、菅野弁護士に電話でお訊きしました。もし判決に不満で控訴する場合は2週間以内にする必要がありますが、その場合は現在の弁護団のほとんどのメンバーは恐らく関わらないでしょうということでした。従って控訴する場合は、誰かが弁護士費用を負担して新たな考えの弁護士に依頼するか、弁護士費用がない場合は国選弁護士に依頼するかということになりそうです。
もし控訴せずに刑が確定した場合は、1ケ月くらいで服役する刑務所が決まってそこに移されるそうです。それまでは東京拘置所に拘留されたままですが、今までのように未決としての自由はなくなり、既決受刑者として袋張りのような軽い刑務に服することになるそうです。
それでも少なくとも判決後2週間以内は、私が東京拘置所を訪ねて面会の申請書を提出すれば今までと同じように面会ができるようです。その後は面会は制限が厳しくなり、家族以外は元弁護人かそれ以外は市橋君自身が面会者として申請する人に限定されるようです。判決後は、市橋君が控訴するかどうか、控訴しない場合にはどこの刑務所で服役するかもわからなくなる可能性がありますので、判決後なるべく早い機会に面会に行って、控訴するのかしないのか市橋君の気持ちを確かめて、控訴する場合は弁護士費用の支援が必要かどうかを訊いてきます。控訴しない場合は、私を面会者として申請するように市橋君に相談してこようと思っています。

支援者から昨日以下のお便りが届きました。ありがとうございました。人の悩みや苦しみや痛みを自分のものとして感じられる、優しい思いやりをお持ちの方とお見受けしました。知人の26才の娘さんがマンションの13階から飛び降り自殺をされたとのこと、せっかくそこまで生きてきたのに、命を全(まっと)うできずに残念ですね。人の心は繊細で、どんなに苦しくて逃げ道がないようでも、一歩そこを離れられれば別の世界が見えてくるのに、一人で思い込んでしまうと抜け出せなくなるのだと思います。私は飛行機に乗る時によくそう感じます。下界は真っ黒な分厚い雲に覆われてドシャブリの雨でも、飛行機がいったん雲の上に出ると真っ青な空が無限に広がっていることに気が付きます。自分一人で苦しんでいる人が追い詰められる前に、手を差し伸べて雲の上に引き上げてあげられればいいですね。
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満開の桜です。毎日、先生のブログを読ませていただいています。結審が近づき、市橋君はもう腹が据わってる感じですね。先生と市橋君が制限時間に話す内容は少しだけでも、特別のテレパシーで他の会話もしているような空気がある気がします。
私の母は既に亡くなっているので、聞く事はできませんが、保護司をしていたことがあり、受刑者というより保護観察下にある10代の子と何度か話をしていました。専業主婦の母でしたから高度な資格が必要なわけではなかったようですが、それまで全く知らない人の担当になるから難しいし、責任を果たせない、とすぐに保護司を辞めてしまいました。
また、受刑者の更正のために面会する「教誨師」という牧師や神父もいらして、人格者でいらっしゃるけれど、私は、市橋君は他の保護司も教誨師も必要なく、本山先生がそのお役をしてくだされば何よりだと思います。先生ご自身がそれを望んで下さってるので、ありがたいです。是非、よろしくお願いいたします。
先週、私の知人の娘さん(26歳)が、住んでるマンションの13階から飛び降り自殺をしました。ショックでした。市橋君も生きてることが辛いと感じたことがあるでしょうけど、本山先生がおっしゃるように、リンゼイさんの分も生きてほしいです。「生きてほしい!生ききってほしい!」です。刑務所という所は、たとえ死にたくても死ねないように管理されてるわけですが、与えられた能力を使い、許された環境の中で彼なりの達成感を感じながら生きてほしいです。
ところで、先日ブログの中で、先生は「床にほかる」と書かれていました。先生は愛知県出身なんでしょうか。ブログを紐解けば、どこかに出身地のことも書いていらっしゃったかもしれませんが、意識していなかったので、その言葉を見た途端、気持ちが和みました。[本山:私の母の母は名古屋出身で、母は戦前に昔の金城女子専門学校(今の金城学院大学の前身)で学びましたし、私もアメリカ留学前に名古屋大学大学院で過ごしました。お墓が八事(やごと)にありますので今でも年に数回はお墓参りで名古屋に行っていますので、いつの間にか「ほかる」(=捨てる)という言葉を覚えて使ってしまいました。] 先生の若者への素の怒りが感じとれて、不謹慎にも、それに笑ってしまいました。
私は、父の転勤であちこちに転校しましたが、〇〇の高校の音楽科から〇〇〇の音大に進み、中京地区に10年間住みました。
市橋君には、本山先生がいらして、本当に良かったです。お元気で、これからもよろしくお願いいたします。

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2012年4月8日日曜日

友人の弁護士に電話をして、保護司というのはどういうものか教えてもらいました。私が想像していたのとは全然違っていました。市橋君の保護司になりたいと言って申請して認定されるというようなものではなく、裁判所から保護司として選ばれて認定されると、裁判所の方から特定の保護観察中の受刑者の保護司になるようにと指示されるのだそうです。ただし市橋君の場合は、刑が確定後、現在の弁護団は仕事が終わってもう責任がなくなり、ご両親も面会に来られない場合は、本人と外部との連絡がとれなくなるので、私が時々面会に行ってそういう役割を担いたいという申し入れをすれば、今までの経緯から認められる可能性があるのではないか、とのことでした。刑が確定してから受刑する刑務所に移されるまで、2週間くらいは今の拘置所にいるのが普通だそうですから、近いうちにもう一度東京拘置所を訪ねてそういう申し入れをしてこようと思います。

今日は天気がよかったので妻が買い物に出かける時に一緒に出て、千葉大学園芸学部のキャンパスに寄って桜の花を見てきました。例年より遅く、ちょうど満開で、町から園芸学部がある戸定ケ丘(とじょうがおか)に上ってきて花見をしている人たちがたくさんいました。水仙の小さな花壇や、いつ見ても威厳のあるクスノキの巨木群や、瑞々(みずみず)しいモミジの若葉が新鮮で写真を撮ってきました。市橋君が学生時代に勉強していたA研究棟の横の桜の老木(最初の写真の下段右)は、今年も花を一杯咲かせて満開でした。園芸学部には、昔ソメイヨシノの起源を研究するために上野動物園の桜と交雑して作り出した珍しい桜の大木(最初の写真の上段右)もあります。

2012年4月7日土曜日

昨日市橋君に面会に行ってきたことについて支援者からたくさんのお便りが届いています。
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今晩は。本日(4月6日)はお世話になりました。
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本日の面会は、市橋達也さんの顔色が前回より良かったのが、何よりです。本日は、お弁当とお菓子、パン、お花、現金を差し入れました。今後の状況によりますが、このような食品の差し入れも、最後になるのかなと思いました。
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判決次第で、上告されるか否かは、市橋達也さんと弁護士さんで決める事ですが…私の思いとしましては、たとえ無期懲役でも、出来る限りの事をして、少しでも彼が納得した上で、受刑生活に気持ちを切り替えて欲しいと望んでいます。もし、適正な裁判を支援する会として、ご協力出来る事があれば、力になりたいです。
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ブログ拝見させていただきました。昨日の面会では、市橋さんが落ち着いたご様子だったとの事。ホッといたしました。その後の状態がずっと心配でしたので。やはり直接お会いになった先生のお話を伺うことが一番私をはじめ支援者の方々も安心されるのではないかと思います。11日の判決を控えて緊張や不安、恐怖感など、市橋さんは大変精神的には厳しい状態が続いているとお察ししますので、先生との何気ない会話がとてもホッとして和む時間になるのではないかと思います。
市橋さんにとって見ず知らずな私が勝手な事を言うようで申し訳ありませんが、私は市橋さんに元気でいて欲しいんです。まだまだ長い人生です。しんどい事も、気持ちの上でやるせない喪失感みたいな感情に支配される事も、人間関係など悩んだり困ったりする事も、多々あるかもしれません。それでも私は市橋さんに元気で生きて欲しい。頑張って欲しいです。一般的に考えて私の人生は市橋さんよりは短いと思いますが、これからも私にできる事を模索しながら市橋さんを支援していきたいと思います。本山先生、これからも何か新しい情報が有れば教えて頂きたく宜しくお願い致します。
花冷えの週末との事、どうぞお体に気をつけてお過ごしくださいませ。

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 〇〇〇の〇〇です。ご無沙汰しています。仕事が忙しく、1週間ぶりにblogを拝見しました。昨日は市橋さんの面会に行かれたのですね。市橋さんの落ち着いた様子に安心しました。でも、私の勝手な想いですが、私達支援者の行動に感謝しながらも戸惑いも感じているのかも知れないな、と思いました。見ず知らずの人が、自分の思いで差し入れや面会にまで足を運んでくれ、ありがたくは思っているのでしょうが…と、また偏った考えが浮かんできます。(本山:市橋君は素直な性格のようですので、皆様のご親切に深く感謝をしていると思いますよ。この1週間は私の生活も目まぐるしいものでした。会社では入社式や研修と平行して来年の採用選考会の実施を行い、毎日、睡眠時間は5時間ほどで、気持ちはシャンとしているのですが、容姿に年が現れ、我ながらガッカリしてました。プライベートでは息子が遠方に転勤になり、急なことで夜中にその準備をして送り出しました。もう1人の息子も近くですが1人暮らしをしているので、これで3人バラバラの生活が始まりました。私にとっては生涯で初めての1人暮らしです。
とは言え、週に日替わりで甥や姪が学校の授業の都合で合宿所のように泊まりに来ますが。若い頃離婚し、父を頼りに子供と4人で暮らし、父が亡くなり、1人ずつ家を離れ、仕事と家事で忙しいときは、あれ程自由な時間を望んでいましたが、自由は寂しさの裏返しだと実感しています。人間って勝手ですね。(本山:余計なお世話かもしれませんが、せっかく自由になられたのですから、これからはよき話し相手との出会いの機会もあるのではないでしょうか。ちゃんとお仕事をしながらお子さんも育て、山の景色や川の景色を楽しみに出かける心の余裕のある方は素敵だと思います。
先生のblog4月5日の学生の行動についての内容を読み身のすくむ思いです。我が子はどんな行動をしているのか、と…。丁度私達の年代頃から、子供に対するしつけができていない人が多いのではないかと思います。私自身も、自分の親に教えられた事が子供に伝えられていない、と感じることも多いのです。会社でも、社会人として知っていて当たり前のことも知らない若者が増えています。でも、注意したり教えれば素直に聞き入れ、次からは実行するのです。自分自身も年齢相応のことを知らず、恥を掻いているのだと思いますが、社会全体が世間体や人に対する礼儀について、関心が薄くなっているように感じます。でも人との繋がりなくしてはこの世は成り立っていきませんので、少しでも余計な一言を私達は言っていかなくてはいけないのですね。
何だか変なメールになってしまいました。これから家の近くの〇〇川を歩きにいって満開間近の桜を楽しんで来ます。先生の気力、体力に少しでも近づけるように頑張ります。

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先生こんばんは、大変ご無沙汰をしております。その間、暴風雨や色々とありましたがお身体は大丈夫ですか?
先程先生のブログを拝見しました。市橋さんへの面会の件事細かく書かれていたのでこちらも解り易く大変ありがたいことです。いつも先生頼りになってしまい申し訳ありません。ありがとうございます。
あと4日後には判決が言い渡されると思うと気持ちが痛む思いもあります。適正で市橋さんにとって最良の判決を願っております。リンゼイさんへの罪は消えることはないのでこれから市橋さんの人生、毎日を罪と向き合い受刑してほしいです。結果はどうであれ、本山先生をはじめ支援者の方々とこれからも支援を続けたいと思っております。差し入れ(送付)はもう必要無いのでしょうか?何かお役に立てればと考えております。
先生、毎日ブログの更新ありがとうございます。先生のご活躍の話、そして支援者の方々の話、とても為になっております。今自分が何をするべきか?考えさせられる思いでいっぱいです。長文になりましたが先生お身体御自愛ください。いつもありがとうございます。

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先生、〇〇〇〇です。市橋君の様子をお知らせくださりありがとうごさいました。前より顔色がよかったとの事でほっとしました。また私たちが差し入れに行った時の様子も話してくださり拝む思いです。それに私達が送ったダウンジャケットが役立ったとの市橋君の言葉に涙がでました。先生保護司の事ありがたく思います。私もこれからいろいろ勉強し、少しでも市橋君のお役にたてたらと思ってます。先生、私にできる事ならなんなりと命じてください。先生と市橋君のお役にたてたらと願っております、先生小菅のホームから撮った東京拘置所の写真お天気が悪かったにもかかわらず、とてもきれいに撮れてます。さすがですね。 11日、公平判決でありますよう祈ってます。先生いつもお忙しいのにありがとうこざいます。またお会いできる事楽しみにしております。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。そうでしたか・・・、市橋さんの顔色が良くなられたそうで、とても安心致しました。元気とまではいかないでしょうけど徐々に回復していらっしゃるのでしょう。もう少しです!もう少しで山場は超えるのです!
やはり、市橋さんは先生が送られた本をいつも肌身離さず、心の支えにしていらっしゃるのですね。そして、支援者からの支援も・・・。私も2度も立て続けで厚かましいかと迷いましたが差し入れて良かったと思っています。手紙も送ってよかったと思っています。私からの手紙が無事届いていればですが(今更ですが手紙の中に「ゾロ目」という言葉を使ってしまったので、それが「賭け事を連想する」などという理由で市橋さんの手元に届かなかったら、「しまった! どうしよう!」という思いです)・・・。 先生の送られた「支援者リストの最終版」につきましては「支援者の名前が外に漏れて私が受けているような嫌がらせの目標にされないように、十分取り扱いには気を付けるように」と市橋さんに注意されたそうですが、仮に私の名前が漏れて嫌がらせの目標にされることがあっても、私は十分覚悟しています。そうでなければ私は支援に踏み切ることはありませんでした。私はにわか支援者ではなく永く支援していくつもりです。(本山:自分の顔も出さずに一方的にあーでもないこーでもないと批判的なことを言ってきたり、迷惑電話を繰り返しかけてくるような人は、人間として卑怯なだけでなく、ネット中毒で誰かに相手にしてほしい孤独な性格か、常識の欠けた異常性格者か、最終的には支援者の弱みを掴んでお金を振り込ませることを狙った振り込め詐欺の可能性もあり、家族や周りの人にも迷惑が及ぶこともあり得ますし、何をするかわかりませんので支援者にとっては危険です。「どういう判決がでても、しっかり受けとめて、腐らずに前向きに生きるように」とおっしゃったのですね。私が市橋さんに言いたいまさにそのものです。
判決の日は、天気予報で調べたのですが、雨の、はっきりしない天気になるそうですね。でも判決は納得のいくものになって欲しいと思います。決して以前にも書いた外交など司法以外の要素がからんだおかしなものにならないようにと祈っております。市橋さんが「晒し者になりたくない」と望んでいらっしゃるので、私は今回も傍聴はしませんが、傍聴に行った気持ちで見守っています。でも、いつか、市橋さんと直接お話できる機会があればと思っています。手紙や差し入れももちろん大事ですが、直接市橋さんを自分の肌で感じて自分なりに気づいた直感でメッセージを伝えたい、といつも思っています。
ところで先生は「市橋さんの保護司になるように調べられる」とのことですが、先生は市橋さんと養子縁組なさるということでしょうか? 保護司といえば、(少年)犯罪の加害者のために保護司の方が出所(仮出所)間近に、出所に間に合うように加害者と養子縁組を・・・と聞いています。保護司と加害者との養子縁組は密かになされると聞きます。ですが、それが(加害者の質にもよりますが)再犯などであだとなって養子縁組がバレて保護司の方が相当の嫌がらせを受けるとも聞いたことがあるのでとても心配です・・・。 市橋さんの場合は先生を裏切ることはないとは良くわかっていますが・・・。それでは、明日も、お体に気を付けてお仕事に、ジョギングに、支援活動に・・・無理をせず、頑張ってください。

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今日は千葉大学松戸キャンパスに走友会の仲間が13人集まって練習会をしました。いつも走る江戸川堤防ではなく、松戸側から葛飾橋を渡って東京都側の水元(みずもと)公園に行き、小合溜(こあいだめ)に沿って公園内を2時間ほど走りました。前半はみんな揃って走っていたのですが、後半はいつもの通り無言のうちに競争になり、私はやっぱりついて行けずビリで大学に戻りました。その後はシャワーを浴びた後、学内の生協で総会と懇親会でしたが、乾いた喉に仲間と飲むビールのおいしかったこと!