2013年3月31日日曜日

今日が東京農業大学総合研究所の研究室を片付ける最後の日なので、車で行って残りの荷物(と言っても本や論文の別刷りや運動靴や傘やコーヒーカップ程度)を積んで運び出しました。以前アルバイトをしてくれた元学生が手伝いに来てくれました。
パソコンに残っていたファイルを全部外付けハードディスクに移したり、重たいものは宅ふぁいる便で自分のメールアドレスに送ったりしました。その後で、2台のパソコンを元学生の研究室に運ぶのを手伝いました。これで5年間客員教授として過ごした研究室は空っぽになりました。明日再度出かけて事務に鍵を返しに行く予定です。

いつ東京農業大学のE-mail が使えなくなるかわかりませんが、今後は私へのメールはgmail のアドレスかaol のアドレス宛にお願いします。

このブログは、「市橋君の適正な裁判を支援する会」の支援金の残金の処理が終わるまでは、支援者との連絡方法として続けます。

2013年3月26日火曜日

朝いつもより早目に東京農業大学総合研究所の研究室に行ったら、私の研究室のドアにクッキーの箱と手紙が入った袋が吊るしてありました。私が就職の世話をしてあげた醸造学科4年の女子学生で、先週卒業式が終わり、お礼の挨拶に寄ってくれたようです。栃木県足利市の会社の近くに住むとのことで、住所と新しいメールアドレスが書いてあり、遊びに来て下さいと書いてありました。きちんとお礼をすることを忘れず、礼儀正しく、素晴らしい農大の女子学生です。しばらくして落ち着いたら、様子を見に会社を訪ねるからとメールを打っておきました。

私自身もこの3月末で農大の客員教授を定年退職ですので、学長に挨拶に行ってきました。千葉大学を65才で定年退職して、農大には70才まで5年間お世話になったことになります。

学長室から帰ってきたら、以前アルバイトをしてくれたM君がやはり先週卒業したけど就職が決まらなかった醸造学科4年の別の女子学生と一緒に訪ねてきました。昨日の電話で、履歴書を用意してくるように言っておいたので、きちんと書かれた履歴書を持参してきました。履歴書もよく書けているし、しばらく雑談してみたら、しっかりしたよい学生であることがすぐわかりました。課外活動はアメリカ民謡研究会に参加して、本人はベースを担当していろいろなジャンルの音楽を演奏したとのことでした。醸造学を専攻したので食品関係の会社を志望していたようですが、採用にならなかったとのこと。これからは農薬関係の会社にも志望を広げて就職活動をしたいとのことでした。実家は広島県で、本人は東京に住んでこれから1年間就職活動をするのは不安が一杯の筈です。うまくいくかどうかはわかりませんが、農薬関係の会社の知人に声をかけて、できるだけ応援してあげようと思っています。

昼休みにいつものように大学の周りを6Km 走ったり歩いたりしました。桜(ソメイヨシノ)が満開でした。午後からはM君が台車を持ってきてくれて、古いカタログ(実験器具や試薬の)や、学会誌などを捨てるのを手伝ってくれました。パソコン2台は彼の研究室で使ってもらうことにしました。
明日からは学会で留守にしますので、学会終了後30日に車を持ってきて残りのものを自宅に運べば引っ越しは終わりです。
明日の朝は出発が早いので朝食は5時ですよと妻に言われました。

2013年3月25日月曜日

先々週の血液検査と今日の超音波検査の結果、何も異状はないとの診断でした。単に加齢と運動不足で体力が弱って、元気が出なくなっただけのことのようです。

支援者からのメールで、市橋君がリンゼイさんに英語の個人レッスンを受けて事件が起こったのは6年前の今日3月25日だったと教えていただきました。市橋君も刑務所の中でそのことを覚えているかどうかわかりませんが、いろいろなことがあった6年間で、あっという間に過ぎ去った時間だったのではと想像します。私も、当時の市橋君とリンゼイさんに思いを馳せ、市橋君の心の平穏を祈りたいと思います。

学生時代にデータ入力のアルバイトをしてくれて、今は自分の研究室で時限の助手をしているM君から電話があり、明日今年卒業したばかりの女子学生を連れてきてもいいかとの問い合わせでした。就職が未定とのことなので、あらゆる可能性に当ってみようということなのでしょう。明日は私も研究室に行って、学長に定年退職のご挨拶をする約束になっているので、その後で会うことにしました。私にどんな手助けができるかわかりませんが、せっかく大学を卒業しても就職が未定で不安な筈の若者にできるだけのことをしてあげたいと思っています。

2013年3月24日日曜日

4月13日(土)には千葉大学走友会の練習会が松戸で行われることになりました。私が一番遅いのですが、何とか皆と同じ距離を走れるように、今日も江戸川堤防に出かけて、10Km をゆっくり走ったり歩いたりしてきました。堤防沿いの桜が満開で、日曜日の午後ということもあって、散歩をしたり花見をしている人たちもいました。河川敷のグランドでは、野球チームやサッカーチームが走り回っているのが見えました。斜面の芝も冬の休眠状態から覚め始め、だいぶ緑色が目立つようになりました。

東京農業大学の卒業生で、神奈川県森林インストラクターもしているMさん(80才くらい)から、箱根駅伝が走る茅ヶ崎や平塚辺りの海岸の砂防松林の写真と、真鶴(まなづる)半島の樹齢200~400年、樹高30~50m と言われる巨木クロマツ林に関する情報が送ってきました。神奈川県藤沢市にある日本大学湘南キャンパスで行われる学会に参加した後で、樹木医のA氏と一緒にレンタカーを借りて視察してくる計画を立てています。

息子から、ブラジルのアマゾン(入植して農業をするのが私の若い時の夢だったことを知っている)を訪問してきた友人がいるので、31日(日)に一緒に昼食をどうかと電話がありました。私の2回目の定年を労(ねぎら)う心遣いのようですが、その日はあいにく妻はどうしても抜けられない用事が入っているし、私も東京農業大学総合研究所の研究室を片付けて明け渡す最後の日なので、またの機会にということにしました。

明日は、少し違和感のある下腹部の超音波検査を受けるのと、2週間前に受けた血液検査の結果を聞きに市内の病院に行きます。加齢で単に体力が低下しただけのことかもしれませんが。

2013年3月23日土曜日

妻と千葉大学園芸学部のある戸定ケ丘(とじょうがおか)に行って、満開の桜を眺めながら散歩をし、その後妻は買い物に、私は江戸川堤防に行って8Km 走ったり歩いたりしてきました。テレビのニュースでは上野公園や千鳥ヶ淵の桜の花見の様子を伝えていますが、大変な人出のようで、私たちは近所の人達が2~3組花の下で弁当を広げている程度の戸定ケ丘の方が、静かに花を楽しむことができるのでいいねと話し合いました。

昨日の卒業生・修了性を送る会の後、名誉教授と後援会長(卒業する学生の父兄の代表)は学部長室に招かれて、用意されたビールと食べ物をいただきながらさらに交流を続けました。飯田 格(わたる)先生は戦争中に学徒動員で飛行機や飛行場の整備をやらされたけど、飛べる飛行機は日本にはもう残っていなかったのでただ地面を平らにするような土木作業をさせられていたそうです。徴兵されて戦地に送られて死んでいった若者も惨めだったけど、国内でもたくさんの若者が死んでいったとのこと。長野県の旅館の後継ぎ息子は、地面を平らにする滑走路作りをさせられて、肺炎で亡くなってしまったとのこと。当時は抗生物質のような医薬品もなかったので、ただジキタリスという強心剤(?)を与えられるしか治療方法もなかったのだそうです。長野県から出てきた奥さんが、亡くなったご主人を見てワーンワーン泣いて泣きやまなかった姿が今でも瞼に焼き付いているとのことでした。飛行機もないのに無駄な作業をさせられて、虚しく死んでいった人たちが可哀想だとおっしゃっていました。戦争が終わったのは1945年ですから、ほんのちょっと前にどれだけ多くの若者が自分の意思とは無関係に戦争に駆り立てられて惨めに死んでいったか。私たちは一見もっともらしい勇ましい掛け声に踊らされて、社会がいつの間にか元来た道に戻るようなことを許してはいけないのだと思います。

2013年3月22日金曜日

午前中東京農業大学に行きましたが、新図書館の建設が着々と進んでいました。

午後は松戸に戻って、千葉大学園芸学部で開催された卒業生・修了性を送る会に出席しました。名誉教授は私を含めて5人だけ出席していました。私が70才で一番若く、一番上は92才の飯田 格(わたる)先生でした。戦争当時は京都大学農林生物学科の学生だったそうですが、何人もの学友が戦争で亡くなったとのこと。もっと悲惨な話は、当時3人の中国からの留学生がいて、皆非常に優秀で、仲良くしていたが途中で行方不明になってしまったとのこと。中国政府のスパイとの嫌疑をかけられて警察に連行されて、人知れず殺されてしまったようだが、いまだに誰も明らかにしていないとのことでした。戦争を知らない今の政治家たちが、憲法を改定して軍隊をもつと勇ましいことを言っているのはとんでもないことで、私たちは二度と戦争をしてはいけないと強調しておられました。そういう貴重な経験は、是非何かに書いて次の世代の日本人に残して下さいとお願いしておきました。

学部長が、成績優秀な学生と課外活動で活躍した学生を表彰しましたが、11人中8人は女子学生で、これは午前中行われた千葉大学全体の卒業式での学長表彰でも同様で、工学部と医学部を除いて、表彰されたのは女子学生がほとんどだったようです。




2013年3月21日木曜日

支援者から以下のお便りが届きました。ありがとうございました。この方は、市橋君がまだ千葉刑務所にいた時に会いたいと山本弁護士に伝えて、面会に行かれた方です。支援する会を立ち上げて、この方を含めて多くの支援者の方々と出会えた(直接お会いしたのはほんの数人で、ほとんどはメールや手紙のやりとりだけですが)ことも、私にとっては嬉しい収穫でした。
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今晩は。いつもブログ拝見しています。
昨日の福山通運のトラックが立ち往生した件は、大変でしたね。何かあった時、JAFは直ぐに来て対応して下さるものだと思っていました。本山先生の手助けで、無事移動することが出来て良かったですね。
菅野弁護士さんから支援金の残金が振り込まれ、ご両親にご送金頂けると伺い、ご両親が受け取って下さるかの不安はありますが、ひと安心しました。支援者の要望に応えて頂き、ありがとうございます。以前、本山先生とお会いした時に、ご両親にお手紙を送り支援金の保管をお願いされるか、直接送金されると伺っていましたが、書留でご送金されることになされたのですね。突然のことで、ご両親も戸惑われるかも知れませんが、本山先生と支援者の思いを受け入れ、ご理解頂けることを願っています。お手数お掛けいたしますが、よろしくお願い致します。
一昨日のブログで、ユキヤナギが咲いていたと拝見し、昨年東京拘置所で本山先生と市橋達也さんの面会時の会話を思い出しました。
刑務所の塀の中でも、運動場の周りに桜の木や、小さいですが庭園もあり、建物の周りにも樹木やお花が植えられていますので、少しは春を感じられるかと思います。
やっと暖かくなって春らしくなりましたね。〇〇川の桜も咲いて、これからが楽しみです。今週末はお花見で賑わいそうです。本山先生のブログの写真も季節を感じ、楽しみに拝見しています。

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東京農業大学の周囲を6Km 走ったり歩いたりしました。グランドでは陸上部の駅伝部員たちが、10~15人のグループ毎に何周も何周も走り続けていました。私も気のせいか、以前よりも体が軽くなったような気がしました。
つい一昨日は満開だったヒカンザクラの花が大部分散って、代わりにソメイヨシノが急に咲き始め、農大横の桜丘中学沿いの老木では8分咲きくらいでした。

東京農業大学の研究室を少しずつ片付け始めました。データ入力のアルバイトをしてくれた元学生に電話をしたら早速研究室にきてくれて、来週私が学会に出かける前と後に片付けの手伝いをしてくれることになりました。客員教授は今月末で定年ですので、研究室を明け渡さなければなりません。今後は勤務先はなくなりますが、人と会う時に交換する名刺には、千葉大学名誉教授/東京農業大学総合研究所研究会農薬部会長/埼玉県農産物安全技術専門委員会委員長という肩書を印刷するつもりです。

朝日新聞夕刊の一面に気になる記事が載っていました。<精神障害者の雇用「5年後に義務化」厚労省の諮問機関>という見出しでした。義務化されている法定雇用率は、全労働者に占める、働く意思のある障害者の割合と同程度になるよう、決められているものの、ここでいう障害者は身体障害者と知的障害者だけで、精神障害者は含まれていなかったとのこと。雇用する方も雇用される方も、いろいろ乗り越えなければならないハードルがあるのでしょうが、働く意思のある精神障害者に働く場所が与えられる優しい社会でありたいものです。




2013年3月20日水曜日

千葉大学園芸学部構内にも、昨日東京農大の近くで見たのと同じようにユキヤナギがあって白い小さな花が満開でした。名前を知らない優しい感じのボケに似た花もありました。

園芸学部は松戸市の戸定ケ丘(とじょうがおか)と呼ばれる小高い丘の上にありますが、裏の方に1ケ所急カーブで急勾配の坂道があり、時々トラックが運転を誤って立ち往生することがあります。午後2時過ぎに散歩を兼ねてジョギングをしようと思って出かけたら、福山通運の引っ越しトラックが立ち往生して運転手と助手が困っていました。前方は崖でガードレールとの間にほとんど隙間がなく、後方は坂でガードレールの端がアルミの車体に食い込んでいました。前進も後退もできない状態でしたので、JAF(Japan Automobile Federation)を呼んであげたら今日は故障車がたくさんで順番待ちだということで2時間半くらいしてやっと到着しました。しかし、状況を見て、レッカー車ではないので手に負えないと判断して引き揚げてしまいました。ボックス型のトラックで、荷物の積み下ろし用に車体の後部にステップが固定してあるのですが、それが坂道に乗り上げて、片方の後部車輪が宙に浮いている状態でした。トラックに積んである工具箱には柄の短い小さなレンチしかなく、それでは固く締めてあるボルトが外せませんでした。
私の車で貸倉庫(レンタルボックス)に置いてある道具箱を取りに行って、ソケットレンチのセットが入っている道具箱を持ってきてあげました。それを使ってボルトを緩め、ステップを外すことができました。宙に浮いていた片方の後部車輪が地面に着いたので、なんとか試行錯誤を繰り返してトラックを道路に戻すことができたのは夕方6時過ぎでした。

ジョギングを中止して4時間以上手伝ってあげたら大変感謝され、自宅に帰ってしばらくしたら福山通運の会社からお礼の電話もいただきました。私も日本に帰ってからもアメリカに住んでいた時も車で困った状況になった時に人に助けられた経験がありますので、困った時はお互い様だから、今度誰かが困っている時は助けてあげて下さいと言って電話を切りました。元々、千葉大学園芸学部の学生寮の学生が今日引っ越しするからと福山通運のトラックを手配したのが、来てみたら24日に延期になっていたとのことでした。延期の電話連絡を受けた会社の誰かから、運転手に引っ越し日変更が伝えられなかった連絡ミスのようでした。わざわざ遠くからトラックを持ってきたら予定が変更になっていて、しかも坂道で車が立ち往生してしまったのですから、仕事とはいえ運転手と助手には踏んだり蹴ったりで、どんなにか悔しい思いをしたことかと想像します。
私の方も午後の予定がすっかり狂ってしまいましたが、人にいいことをしてあげたという満足感が残りました。



2013年3月19日火曜日

支援者お二人の連名で、以下のお便りが届きました。ありがとうございました。遠方から東京拘置所に差し入れにこられた時にお二人にお会いしたことを思い出しました。今日、ゆうちょ銀行に寄って、菅野弁護士から振り込まれた支援金の残額を全部払い出してきました。時間をみて同封するお手紙を書いて、市橋君のご両親宛に送金する予定です。
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本山先生
支援金の件私達の願いが叶いました。
これからも、ずっと市橋君を見守っていきます。

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昼休みに東京農大の周囲を6Km くらい走ったり歩いたりしました。気温が上がって暑いくらいでしたので、上下のトレーニングウェアを脱いで、短パンとTシャツだけで走りました。農大第一高等学校のグランド沿いには、満開のヒカンザクラ(カワヅザクラの時期は過ぎて)と、ハクモクレンと、ユキヤナギの花が咲き誇っていました。支援者の皆様にもお見せしたいと思って愛用のカメラを持って行ったのですが、残念ながらバッテリーを抜いて充電器に入れたまま忘れてきてしまったので、写真は撮れませんでした。
東京農大の反対側の隣にある世田谷区立桜丘中学校の門には、卒業式の看板が立っていました。千葉大学園芸学部も今週の金曜に恒例の卒業生・修了性を送る会が開催されますが、私も名誉教授として招待されましたので、今年も出席の返事を出しておきました。この時期は、卒業していく生徒や学生たちにとっては将来への夢が弾(はず)んで嬉しい時ですが、教員にとっては次の世代の生徒や学生たちが入ってくるまで寂しい時です。私も毎年そんな気分を繰り返してきましたが、もう巣だって(去って)いく自分の学生はいませんので、一歩離れたところから眺めることができます。

ちょうど昨年の今頃、小菅(こすげ)の東京拘置所に市橋君に面会に行った時も、駅からの道路沿いのユキヤナギの白い小さな花が満開でした。もうあれから1年経ったことになります。外の空気を吸って、季節の移り変わりを肌で感じることはできないでしょうが、市橋君のことだから、できる範囲でしっかり生きていることと思います。彼には、支援者全員のお名前のリスト(住所や連絡方法は削除して)を差し入れしましたので、どれだけ多くの方々が支援して下さったか、よくわかっている筈です。時に寂しくなる時があったとしても、多くの皆様に心の中で見守られているということが支えになるのではと思います。

2013年3月18日月曜日

支援者から以下のお便りが届きました。ありがとうございます。このブログをまだ定期的にチェックして下さる支援者がおられることがわかり、嬉しく思いました。
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本山直樹先生。
お久しぶりです。
先生がお元気にご活躍なさっているご様子、何よりです。
ブログを拝見いたしますと菅野弁護士様からの振替受入明細書と振替受払通知票が届いたとの事。 支援金に関しましても先生にばかりお手数おかけし申し訳ありません。
市橋さんのご両親様に書留でお送り頂き、その後の管理もお願いしてくださるとの事、有難うございます。支援者の多数の方々が市橋さんが生き直せるよう想いを込めて少しずつ送金させていただいた温かい気持ちのつまったお金です。是非是非、遺言という形か又何らかの形で市橋さんの出所後のお手元に必ず届くように宜しくお伝え下さい。
ご両親様にはいろいろとお考えもおありでしょうが何卒、私たち支援者の想いをご理解頂けますよう心からお祈りしております。
先生、これからの市橋さんを私自身も生きている限り見守り続けたいと思います。どうか、市橋さんご自身が真面目に服役され、もう一度生き直す機会が早く訪れますように・・・

本山先生、どうぞお体だけはお気をつけて、今後とも宜しくお願い致します。
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強風が吹いていましたので、電車のダイヤが乱れることを予測して早目に松戸を出発して、浦和駅には12時半頃着きました。埼玉教育会館での委員会は2時からで十分時間があったので、県庁の裏を下ったところにある別所沼(べっしょぬま)に散歩に行きました。子供の頃、北浦和の領家というところに住んでいた時に歩いてだったか自転車に乗ってだったかは忘れましたが、仲間とフナやクチボソの魚釣りに行ったところです。当時(60年くらい前)は郊外の田舎だった記憶がありますが、今は周りをすっかり住宅地に囲まれていました。それでも、野鳥が泳いでいたり、弁財天があったり、原爆死没者の慰霊碑があったり、沼の周囲は遊歩道/ジョギングコースになっていました。

委員会では、平成24年度に実施した農産物の安全性確保に必要な試験研究4課題について討議し、平成25年度から新たに取り組む3課題の計画について討議をしました。埼玉県の農林総合研究センターの研究者たちが、消費者に安全な農産物を提供するように、農業生産者(農家)に指導できる栽培方法・技術を確立する課題ばかりです。県の公務員として当然の職務かもしれませんが、県がこういう課題に取り組んでくれることはありがたいことです。







2013年3月17日日曜日

再来週(27~29日)に日本大学湘南キャンパスで開催される日本応用動物昆虫学会大会での講演で使用予定のスライドと講演テキストができましたので、共同研究者に宅ファイル便で送りました。何かご意見なり訂正事項があれば、訂正します。宿泊ホテルの手配などは明日やるつもりです。

今日は妻と一緒に千葉県知事選挙の投票に行って、その後散髪をしてきてサッパリしました。散髪が済んだら江戸川堤防に走りに行くつもりだったのですが、上記のスライド作成を集中してやっている中に時間がなくなってしまいました。

明日は午後から埼玉県の農産物安全技術専門委員会が浦和であります。私が委員長ですので、座長をしなければなりません。明日の会議は、国会でのTPP(環太平洋経済連携協定)の議論のように特に利害が対立するような難しい議題がある訳ではありませんので、問題なく進行できると思っています。

2013年3月16日土曜日

菅野弁護士に以下の礼状をメールで送信しました。今夕帰宅したら、ゆうちょ銀行から振替受入明細書と振替受払通知票が届いていましたので、スキャンして添付します。来週時間をみて払い出して、市橋君のご両親に書留でお送りして市橋君が仮釈放される可能性のある30年後まで保管をお願いするつもりです。
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2013.3.15
菅野 泰先生
ご連絡ありがとうございました。現在農薬学会大会参加中で筑波に滞在していますが、学会終了後に払い出して市橋君のご両親に送金する予定です。
重大犯罪を犯して逃亡し、社会全体からもバッシングを受けていた千葉大学の元学生に対して、弁護団を結成してきちんと裁判を受けられるようにして下さりありがとうございました。私はこの3月末で東京農業大学客員教授も定年退職になりますが、機会のある度に学生たちに人間としての自覚・成長を助言していこうと思っています。
本当に長い間ありがとうございました。弁護団の他の先生方にもよろしくお伝えください。
本山直樹

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            (クリックすると拡大できます)
 
学会では、午前中は「農薬製剤・施用法の歩みと今後の展開」というシンポジウムを聴講しました。4人の演者が製剤・施用法について解説しましたが、芳賀俊郎氏(農林水産航空協会)の講演「航空(有人ヘリ)防除及び無人ヘリ防除の歩みと今後の展望」の中で、無人ヘリ防除事業実施状況を示すスライドがありました。平成24年9月時点での速報値では、全国で散布された974,684haの大半(858,350ha)は水田で、松くい虫防除面積は3,162haとのことでした。
昼休みはランチョンセミナーに出て、午後は「サイエンス・コミュニケーション-分かり易い情報発信の技術-」というシンポジウムを聴講しました。4人の演者のお話しはいずれも興味深い内容でした。遺伝子組換え問題について解説した田部井 豊博士(農業生物資源研究所)も、消費者の求めるリスクコミュニケーションについて解説した松永和紀氏(サイエンスライタ-)も、嫌われ者三兄弟(農薬、食品添加物、遺伝子組換え作物・食品)について解説した佐々義子氏(NPO法人くらしとバイオプラザ21)も、普段あちこちで講演をしておられるので大変話し上手で、聴衆を惹きつけました。
 



千葉大学時代に私の研究室を専攻した卒業生4~5名も学会に参加していて、帰りは、全農(全国農業協同組合連合会)の神奈川県平塚市にある営農・技術センターに勤務して農薬の分析をしているM君と途中の駅まで一緒だったので、いろいろお互いの近況を話しました。


2013年3月15日金曜日

昨日、菅野 泰弁護士から以下のご連絡をいただきました。今は私は学会で筑波に滞在中ですので、学会が終わって松戸に帰ってからゆうちょ銀行に行くつもりです。
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本山先生

お世話になっております。
支援金の件ですが、本日(3/14)「支援する会の」口座へ1,274,852円
を振り込みました。
なお、振込の際、お預かりしていた1,275,692円から振込手数料840円を
差し引かせて頂きましたので、ご了承いただきますようお願いいたします。

先生の今までの支援活動に御礼申し上げます。
本当にありがとうございました。

弁護士 菅 野  泰

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農薬学会の中にはいろいろな分野がありますので、似たような内容を扱っている研究はできるだけ同じ会場で講演するように配置されています。分子設計、生物活性、検定法、製剤・施用法、遺伝子科学、天然物化学、作用機構、抵抗性、代謝・分解・動態、環境科学、生態影響、レギュラトリーサイエンス、などです。

私は午前中に環境科学の会場で講演をしました。少し早めに会場に入って時間がくるのを待っていたら、熊本県にある林業薬剤を扱っている会社の方が話しかけてこられました。わざわざ私の講演を聴くために熊本から来られたとのことでした。こうしてまた新しい人との出会いがあり、これを機会に情報交換や研究協力が始まれば嬉しいことです。松食い虫防除に関わっておられる方々にとっては、私たちが過去9年間全国各地の薬剤散布現場に出て調査してきた薬剤飛散の実測データは、非常に貴重な情報のようです。今日の講演はあまり時間をオーバーせずにできましたので、まあまあの出来だったと思います。

午前中の一般講演の後、昼休みは「Regulatory Challenges with the US EPA : Environmental Fate and Effects Division」というランチョンセミナーに参加し、午後からは「農薬の抵抗性最前線」と題したシンポジウムの会場に行って聴講しました。抵抗性シンポジウムでは、殺虫剤について2題、殺菌剤について2題、除草剤について2題講演がありました。抵抗性遺伝子を特定するような基礎的研究から、抵抗性対策のような応用研究まであり、いずれも素晴らしい内容でした。私にとっては、特に(独)農研機構九州沖縄農業研究センターの松村正哉氏の「イネウンカ類の薬剤抵抗性問題と防除対策」は印象に残りました。昔からのイネの大害虫のトビイロウンカとセジロウンカは、日本国内では越冬できないので、毎年ベトナム辺りで発生した個体群が中国等を経由して日本に飛来しています。従って薬剤抵抗性の発達には、現地での薬剤使用歴が関わっているという難しい問題があります。

2013年3月14日木曜日

午前中は農薬学会総会と学会賞授賞式と受賞講演2題が行われ、午後は受賞講演3題と特別講演2題が行われました。

嬉しかったことは、アメリカニューヨーク州のシラキューズ大学に長年勤務しておられた中津川 勉先生と会場でお会いしたことでした。中津川先生は私よりちょうど10年くらい年長で、東京大学農学部を卒業して農林水産省の農業技術研究所(今の農業環境技術研究所の前身)に短期間勤務の後、アメリカに留学され向こうで殺虫剤の研究をされ、昨年退職された方です。確か10年くらい前に北海道大学で農薬学会大会が開催された時に来日されていてお会いして以来の再会でした。1957年に東京大学農学部の害虫学研究室で卒業論文の研究をしていた時に、当時の研究室は貧乏で冷蔵庫すらなかったので、酵素実験をする時に調製した酵素を4℃で保存する時は、容器に入れて麻縄で縛って学内の池の底に沈めた(池の底の温度がちょうど4℃くらいだった)というお話には驚きました。とにかく日本は貧乏で、アメリカに留学する時はドルの持ち出しは200ドルまでだったので、現地の大学に着いて奨学金がもらえるまで最初の1ケ月の生活費がなくなって、大学から利子付きの借金をしてしのいだとのことです。当時海外に出て行った日本人がどれだけの覚悟と意欲で出て行ったか、今では想像もできないくらいです。私が1969年に留学した時でも、1ドルは360円で、ドルの持ち出しもまだ1000ドルまでという制限のある時代でした。中津川先生には、是非留学当時の経験を何かに残して日本の若者に伝えてほしいとお願いしました。

受賞講演も特別講演もいずれも素晴らしい内容でした。江面(えずら)浩先生(筑波大学・遺伝子実験センター)の「遺伝子組換え植物の開発利用の現状と今後」では、世界ではどんどん遺伝子組換え(GM)植物の栽培が進んでいて、食料を輸入している日本でもかなりの量が入ってきて私たちはすでにそれに依存しているという実態を指摘されました。



2013年3月13日水曜日

支援者の一人から、昨日のブログで報告した支援金の残金のことについてコメントのメールが届きましたが、ここでは紹介しません。

昼頃少し早めに松戸を出てつくばに向かったのですが、強風で電車が不通になっていたり大幅に遅れて走ったりで、ダイヤは滅茶苦茶でした。それでも何とか予約してあったホテルに予定していた時間に着いてチェックインし、すぐ農薬学会評議員会の開かれる筑波大学の会場に向かいました。筑波大学のキャンパスを訪ねるのは何十年ぶりでしたが、建物もたくさん建って見違えるようでした。

評議員会は無事終わって、その後の懇親会も終わって、つくば駅までバスで戻りました。駅からホテルまでは徒歩で約20分の距離なので、酔い覚ましにと思って歩いたのですが、道を間違えて全く逆方向に向かってしまい、結局1時間くらいウロウロしてまた元の駅に戻ってしまい、そこからタクシーでホテルに帰りました。方向音痴で情けない限りです。負け惜しみですが、今日はジョギングする時間がとれなかったので、ちょうどいい運動になってよかったと思うことにしました。

2013年3月12日火曜日

年度末が近づいてきましたので、前から気になっていた支援金の残金について菅野弁護士にメールを差し上げて、ゆうちょ銀行の「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の口座に振り込んで返却していただくことになりました。多くの支援者のお気持ちを尊重して、K子さんが管理しておられる手記の印税収入などとは別にして、市橋君が30年後に仮出所する時があれば彼の手に渡るように保管していただくようにご両親にお願いすることにしました。

来週18日(月)に開催される埼玉県農産物安全技術専門委員会(私が委員長)の事前打ち合わせに、県庁の担当者が2名東京農業大学の研究室に訪ねて来られました。新たな検討課題として、今年度から土壌の放射性物質の実態把握や作物への影響などが加わりました。ダイオキシン問題の時もそうでしたが、メディアが県民の不安感を煽るようなことがあると、科学的実態やリスクの程度を無視した風評被害が起こらないようにしなければなりません。

午後からは大学の周囲を6Km ジョギングしましたが、このところ連続して走っているので少しずつ息が続くようになりましたし、足取りも少し軽くなったような気がします。
途中、満開のカワヅザクラや、あんず(杏)の花や、マツの丸太の切断面から松脂(マツヤニ)がしたたり落ちているのが目に留まったので、後でカメラを持って行って写真をとってきました。あんずと言えば、何年か前に長野県千曲市で有人ヘリコプターで松くい虫防除で薬剤散布が行われた時に飛散調査に出かけましたが、倉科(くらしな)という地区にあんずの里と言うのがあったのを思い出しました。

明日からは農薬学会大会に参加するため、3泊4日で筑波に出かけます。



2013年3月11日月曜日

午前中は歯科医院で歯の3ケ月間隔の定期クリーンアップをしてもらい、午後は市内の総合病院を訪ねて少し気になる体調について尿検査と血液検査と医師の診察を受けてきました。単なる加齢による体力の衰えだけかもしれませんが、確認できれば安心ですので。

明後日から出かける筑波大学での農薬学会大会の講演のスライドとテキストの準備は全部終わりましたので、共同発表者に宅ファイル便で送りました。今度は3月27日~29日に日本大学生物資源科学部(神奈川県藤沢市)で開催される日本応用動物昆虫学会大会で講演するスライドの準備を始めました。こちらは、「最近各地で見られる松枯れ激害の原因」という演題です。

今日はちょうど2年前に東北大震災が起こった日ですので、新聞もテレビも特集記事や特別番組がたくさんありました。歯科医院で見た産経新聞にも、元東京大学地震研究所の教授が大学紛争中に研究所が過激派学生達に封鎖された時に始めた古い文書の記録から過去に発生した地震を明らかにするという特別記事が載っていましたが、朝日新聞夕刊にも「地震学と手結ぶ歴史学」という見出しで、過去の大地震の記録をデータベース化する活動を紹介していました。これらを見ると、日本には大地震が繰り返し起こっていたことがわかります。

2013年3月10日日曜日

名古屋ウィメンズマラソンはアテネオリンピック優勝者の野口みずき選手が走るというので、テレビの前に釘付けになって見ました。木崎亮子選手が2時間23分台で優勝し、従来のベスト記録は2時間29分台のエチオピアの19才のディババ選手が自己ベストを6分くらい更新して2位、野口選手は2時間24分ちょっとで3位でした。8月の世界選手権(モスクワ)の日本代表選考会を兼ねていましたので、それぞれ相当なトレーニングを積んできたのでしょう。野口選手が代表の一人に選ばれるかどうかはわかりませんが、もう一度彼女が世界を舞台に走るところを見たいものです。

テレビを観終わってすぐ江戸川堤防に行って、今日も14Km を走ったり歩いたりしてきました。途中大きな松の木が見えたので堤防を下りて近づいて見たら、主水(もんど)新田の稲荷神社でした。境内にはいくつか記念碑が建っていましたが、不思議なことに稲荷神社でありながら神社本殿の入り口に木彫りの龍と狛犬が配置されていて、さらに境内には古い庚申(こうしん)塔も2つ立っていました。1つには元禄16年(1703年で5代徳川綱吉の時代)、もう1つは享保元年(1716年で8代徳川吉宗の時代)の文字がありましたので、特に何の宗教というよりも、この地域に昔から住んでいる人々が共同で守ってきた大切な場所なのかもしれません。稲荷神社の石の標識だけは真新しかったので、最近建てたもののようでした。

途中から南からの強風が吹いて、砂塵が空に舞い上がって竜巻のようになりました。ニュースではこういうのを煙霧が発生したと言っていました。お蔭で自宅に帰ってシャワーを浴びる時は、顔も頸筋(くびすじ)も汗に土が付着して真っ黒でした。





2013年3月9日土曜日

来週13日~16日に筑波大学で開催される日本農薬学会大会で講演発表するスライドと講演テキストの準備をしています。発表時間12分プラス質疑応答3分の計15分ですから、研究の目的、方法、結果と考察を短い時間内にプレゼンテーションするには、スライドを厳選しなければなりません。最近は1時間~2時間半の講演をする場合が多いので、全てを15分で終わらせるには、話しの途中で無駄な寄り道をする余裕は全くありません。
3泊4日で宿泊するホテルの予約もネットでしました。現地に行ってみないとわかりませんが、霞ヶ浦がホテルから近ければ、朝食前に湖畔の遊歩道をジョギングできればいいなと思っています。

江戸川堤防を14Km 走ったり歩いたりしてきました。4月中下旬並みに気温が高く、風もほとんどない晴天でジョギング日和(ひより)でした。今年初めてトレーニングウェアの上着を脱いで、半袖のTシャツで走りました。

2013年3月8日金曜日

東京農業大学総合研究所研究会農薬部会(私が会長)の第89回セミナーがあり、二人の演者が講演をされました。今回は農薬業界から演者を選び、一人はスペシフィック(特定の)テーマについて、もう一人はジェネラル(一般的な)テーマについて講演をしていただくという企画でした。

クミアイ化学工業(株)研究開発本部の貴田(きだ)健一氏は、植物病理学出身の若手研究者ですが、同社が最近上市した殺菌剤ピリベンカルブ(商品名ファンタジスタ)について、「新規殺菌剤ファンタジスタ顆粒水和剤の特性と農業分野における有効性」という演題で、この農薬が誕生するまでの経緯を紹介されました。リード化合物の合成を始めたのは1996年6月で、登録が認可になって販売が開始されたのは2012年10月ですから、約16年かかったことになります。一つの農薬が発明されるのにいかに長年月がかかるかを示していますが、灰色かび病や菌核病など広範囲の果樹や野菜類の病気の予防と治療に卓効を示すとのことですので、今後農業生産に大きく貢献することが期待されます。

日本曹達(そうだ)株式会社常任顧問の服部光雄氏は、薬学出身で、農薬工業会の技術委員会委員長や内閣府食品安全委員会の専門参考人も務めておられる重鎮(じゅうちん)ですが、「国内外の農薬登録制度と最近の動向について」という演題で、日本、アメリカ、EUの農薬登録制度の解説と問題点の指摘をされました。日本曹達株式会社が発明した農薬を日本、アメリカ、EUで実際に農薬登録した経験に基づいて、それぞれの比較をし、日本もアメリカも科学的にリスク評価をするのに対して、EUはハザードだけで切り捨てる制度を採用しているので、だんだん農家が使える農薬の数が減ってきて問題を生じつつあり、いずれ輸入農産物に頼らざるを得ない時がくるかもしれないとのことでした。
また、自分が所属している会社や農薬工業会に迷惑がかからないように配布資料には載せませんでしたが、最後に日本の問題として、農薬取締法の抜本的改正の必要性や、農薬の適正管理をする上で改善すべき事項の指摘をされました。



2013年3月7日木曜日

千葉大学走友会メンバーで工学部教員のI 先生から、3月3日にフランスで開催された第21回パリハーフマラソンを走ってきたメール報告が会員全体に届きました。
5km 17:43
10km 34:41(16:58)
15km 52:13(17:32)
20km 1:10:04(17:51)
ゴール 1:13:45(3:41)

I 先生の前回の報告ではフルマラソンを走って自己ベスト記録を更新しましたが、今回はハーフマラソンでも自己ベストを1分48秒更新したとのことです。前回年齢を訊いたら確か48才と言っていた筈ですが、走る度に記録が伸びているようでたいしたものです。

私は江戸川堤防を8Kmマイペースでゆっくり 走ったり歩いたりしてきました。来週の水曜からは農薬学会大会が筑波大学でありますので、講演の準備を始めました。

2013年3月6日水曜日

今日は松くい虫関係の調査研究を一緒にしている人と林野庁の森林保護対策室を訪ねて、昨年私たちが実施した新潟県胎内市での薬剤飛散の調査結果の報告と意見交換をしてきました。私たちの研究成果が、今後の松くい虫防除対策に活用されることを期待します。

その後、用事で新橋に来ておられた元森林総合研究所長の小林富士雄博士と待ち合わせて、久し振りに一杯やりました。小林博士は82才だそうですが、東京大学の林学のご出身で、赤松亡国論のきっかけを作った本多静六東大教授(1866~1952)のことや、元林業試験場職員で後に東京農業大学教授になられて1983年に林業技術という雑誌に「マツの木保存論とマツ林亡国論」を書かれた倉田益二郎先生のこともよくご存知で、いろいろ昔のことを教えていただきました。特に、本多先生は若い時にドイツに留学して林学を学び、二宮金次郎のように貧乏の中で苦労して一生懸命勉強をし、日本の林学の祖と呼ばれるようになったとのこと。林学の中に造園学という分野がありますが、日比谷公園や明治神宮の森なども本多先生の設計によるということを始めて知りました。

2013年3月5日火曜日

北海道ではこのところの暴風雪で9人もの人が亡くなるという痛ましい事故が起こったとニュースが伝えています。自宅からわずか300mのところで凍死をしたり、雪に埋まって動かなくなった車の中でお母さんと3人の娘たちが逆流してきた一酸化炭素中毒で亡くなったり、豪雪地帯の危険と隣り合わせの厳しい生活を思い知らされます。

一方、房総半島には春の気配が一杯です。防除の失敗で松くい虫の被害で壊滅した海岸の松林も、平砂浦ではほとんどそのままになっていますが、九十九里浜の蓮沼海浜の森では民間会社などの寄付で一部だけですが苗木の植栽が行われ始めています。



2013年3月4日月曜日

アメリカ大使館に農務省の農業専門官として勤務しているS博士から、明日アメリカからの学生たち(将来農家になる)と大使館職員とで、千葉県柏市にある千葉大学の植物工場を見学に行く予定ですとのメールが届きました。土地の広いアメリカでは農地は水平に広がるのに対して、土地の狭い日本では垂直に何段もの水耕栽培棚を設置するので、vertical farming facility(垂直栽培施設)と呼ばれます。単に限られたスペースを有効利用するだけでなく、肥料(栄養)・温度・湿度・光などもベストの条件にコンピューター制御で自動管理されますので、植物を野外の土地や天候に左右されずに年間を通して栽培・収穫できるというシステムです。これを見て、アメリカの学生たちはどう感じるでしょうか。当然、設備費やエネルギー代などコストがかかりますので、付加価値の高い植物(例えば日本の自然環境下では生育が難しい薬草など)や、野外での栽培には制限の多い遺伝子組み換え作物など、でないと赤字になってしまいます。

今日も江戸川堤防を12Km 走ったり歩いたりしてきましたが、途中寄り道したり立ち止まったりしながら3月初旬の景色を楽しみました。





2013年3月3日日曜日

支援者の一人から久し振りのメールが届きましたが、ここでは紹介しません。この方は市橋君を熱心に支援して下さっただけでなく、刑務所で一般市民を対象の催し物がある時はよく訪ねて、受刑者の更生を支援する活動をしておられる方です。

このところこのブログで市橋君に関する記事を書くことはほとんどなくなりましたが、最近思い出したように私への馬鹿げた嫌がらせがありました。大阪在住の女性で、最初は支援者で後から反支援者に転じて私へのストーカーになった方がいましたが、全く同じやり方でした。私の携帯電話番号を女性の名前で出会い系サイトかどこかに載せて交際求むのような書き込みをしたらしく、電話が鳴るので受けて私がモシモシと答えると、男性の声で間違いましたと言ってすぐ切ります。発信者の携帯電話番号はその都度異なっていましたので、出会い系サイトの書き込みを見た何人かの男性が私を女性と思って電話をしてきたのでしょう。私にとっては痛くもかゆくもありませんが、わざわざそんなことをして私に嫌がらせをする人の病んだ心を思うと、気の毒になります。せっかくこの世に生を受けたのですから、心の持ちようによって、もっと生きがいのある楽しい時間の過ごし方がある筈なのにと思ってしまいます。

今日は日曜でしたので、江戸川堤防では多くのランナーと行き交いました。私はいつもと同じように12Km を景色を眺めながら走ったり歩いたりしてきました。天高く舞いながらさえずっているひばりの姿を探して、しばらく立ち止まって空を眺めたりもしました。2月2日からトレーニングを再開してから走った距離は168Km ですからまだまだですが、少しずつ走れるようになってきました。4月29日の駅伝大会までにはまだ2ケ月近くありますので、それまでには少しは競走的に走れる体調にもっていきたいと思っています。

2013年3月2日土曜日

3月6日に林野庁の森林保護対策室を訪問して意見交換をする時の資料を準備しています。

アメリカのNational Institute of Envirionmental Health Sciences(NIEHS 国立環境健康研究所)に長年勤務していた友人のDr. Buck Grissomからメールが届いて、脊柱管狭窄症(せきちゅうかんきょうさくしょう)の手術をした機会に退職したけど、医科学分野や環境問題の進展については注目し続けるので、情報が必要な人は知らせるようにとのことでしたので、私も今月末には東京農業大学の客員教授を70才で定年退任するけれど、引き続き情報を送るように依頼する返信をしました。NIEHS退職後は、アメリカ南部ジョージア州の首都アトランタ郊外の人口が1万人ちょっとのLilburn(リルバーン)という小さな市に住んでいるようですので、今度アメリカに行く時に機会があれば訪ねてみたい気がします。

江戸川堤防を今日も12Km 走ったり歩いたりしてきました。昨日と打って変わって北西の冷たい風が猛烈に吹いて吹き飛ばされそうになりながら、前傾姿勢で突き進みました。江戸川沿いには以前は畑や田んぼがたくさんあったのですが、最近は宅地化されてめっきり少なくなりました。それでも、大きな農家の屋敷によってはりっぱな生垣に囲まれたろころがあって、いつも見事だなあと思って眺めながら走ります。

アメリカでは広い庭に1年中青々としている洋芝を植えて、松のような高い木の下にはドッグウッド(アメリカハナミズキ)のような花木や、もっと下にはツツジなどを植栽している家は見ますが、日本のように木を剪定(せんてい)して防風林に仕立て上げている家は見たことがありません。以前、韓国の留学生が私の研究室に来ていた時に、一緒に街の中を歩いていたら、剪定して形が整えられている木が植えてある庭を見て、不思議そうに眺めて韓国では木は自然のままでこういう楽しみ方はしないと言っていたのを思い出しました。島根県出雲市でよく見る築地(ついじ)の松もそうですが、もしかしたら木を剪定して垣根にしたり防風林にするのは日本独特の文化なのかもしれません。


2013年3月1日金曜日

アメリカ大使館に農務省(USDA)のAgricultural Specialist(農業専門官)として勤務している千葉大学卒業生のS博士から久し振りにメールが届きました。ノースカロライナ州(USA)から来日している人とビジネスミーティングで会ったら、偶然私のことが話題になって、私もよく知っている人だったのでわざわざ知らせてくれたのでした。もしまだ日本に滞在しているのなら会いに行きたいと思って返信したら、間もなく本人から残念ながら明日の朝の飛行機で帰国するというメールがきました。今年の秋にでも私がノースカロライナ州を訪問する機会があれば、あらかじめ連絡をしておいて向こうで会うこともできるでしょう。

来週の水曜6日には、松くい虫問題を一緒に研究している仲間と一緒に林野庁の森林保護対策室を訪ねる予定です。新潟県での薬剤飛散調査の結果を報告するとともに、今後の松くい虫対策について意見交換をしてくるつもりです。

江戸川堤防を12Km 走ったり歩いたりしてきました。テレビのニュースではあちこちで春一番が吹いたと伝えていましたが、堤防上もいつもとは逆に南東の温かい強い風が吹いていて、追い風で背中を押されて走りました。今日から3月ですが、記録を見ると、2月は結局132Km しか走れませんでした。3月、4月はもう少し頑張ってトレーニングをして、4月29日の横浜駅伝大会までに少しは競走的に走れる体調に持っていければと思っています。千葉大学走友会は今年も3チームが出場申し込みをし、私はその中の一つのチームの5Km 区間を走ることになっています。