2013年5月31日金曜日

静岡県在住の支援者AさんとBさんから連名の郵便が届き、「市橋達也君の更生を支援する会」の規約のコピーとゆうちょ銀行に開設した口座の通帳のコピーが同封されていました。規約はスキャンして、役員の住所と名前(私以外)は消したものをここにコピーしておきます。会の会員は今まで支援金を振り込んで下さった支援者で、代表は静岡県在住の支援者Bさん、役員は私の他に静岡県在住の支援者Aさんと東京在住の支援者Cさんです。

    (規約はクリックすると拡大できます)


口座の名義は「イチハシタツヤクンノコウセイヲシエンスルカイ」で、記号は12390、番号は11456321です。この口座を他金融機関からの振込の受取口座として利用される際は次の内容をご指定くださいとして、[店名]二三八(読み ニサンハチ)、[店番]238、[預金種目]普通預金、[口座番号]1145632 と書いてあります。
明日は土曜ですので、月曜になったら支援金残金を全額この口座に振り込むつもりです。

長期入院している元同僚教授/友人のN君を見舞いに行ってきました。病院/リハビリセンターの駐車場の向こう側には田植えをした稲が育っていて、畔には雉(キジ)がいましたので、建物に入る前にカメラのシャッターを押しました。N君とは30分くらいいろいろな話をしましたが、今日は体調がよくなかったのか彼からは一言もしゃべってくれませんでした。それでも、私が撮ったばかりの水田と雉の写真をカメラの画面で見せたりすると、目で追って、時々は何か表情を示そうとしてくれました。車椅子に乗せて外につれて行って新緑の景色を見せて、野外の空気を吸わせてあげたいなと思いましたが、一人ではベッドから車椅子に移すのが難しいし、多分病院の許可が下りないだろうなと思ってやめました。来週はヘリコプターで散布される薬剤の飛散調査で新潟県に行くけども、6月になったらまた来るからなと言って病室を出ました。


2013年5月30日木曜日

千葉大学時代の元同僚教授/友人の息子さんは音楽大学を卒業してバイオリニストになっていますが、6月29日に柏市でサロンコンサート(ソプラノと室内楽の饗宴)をされるという案内が届きましたので、チケットを1枚メールで注文しました。元同僚教授/友人は長期入院をしていますが、息子さんや奥さんにお会いできるのは楽しみです。

今日は一日中雨模様でしたが、例年より早く梅雨に入ったようです。私は昨日の疲れもありましたので、車をガソリンスタンドに持っていって洗車をしてもらったり、一日中机に向かって仕事をしました。

2013年5月29日水曜日

支援金残金管理者の静岡県在住の支援者から、ゆうちょ銀行に「市橋達也君の更生を支援する会」名義の口座が開設できたので規約と通帳のコピーを送って下さるとの連絡がありました。届きましたらブログで支援者の皆様に報告致します。

千葉駅前から長距離バスで館山に行き、待っていて下さった東京農工大学名誉教授の安部 浩先生(南房総市在住)と一緒に館山市役所を訪ね、今年の3月10日に館山市主催で行われた平砂浦の植樹祭を担当された経済観光部農水産課の方々と会っていろいろ情報交換をしました。平砂浦の白砂青松とそれに沿って走る房総フラワーラインは館山市の観光資源としても重要なので、松くい虫で壊滅的被害を受けた松林の再生には強い意思を持っておられるという印象を受けました。
市役所を出てから、安部先生の車で植林された場所を視察してきました。平砂浦全体からすればまだまだほんの一部ですが、砂が動かないように竹垣で囲んだ中に藁(わら)を敷き詰めてマツとトベラとマサキとアキグミの4樹種の苗が植えてありました。
今年の秋に(財)千葉県青少年協会主催で行われる予定の植樹祭の後で、昭和25年から平砂浦にマツを植えた古老を囲む会を計画してはどうかとの提案をしてきました。検討して下さるとのことですので、実現することを期待しています。古老の方々もすでに85才~95才で僅かしか残っていませんので、今のうちに当時のお話を若い世代に伝えておいていただきたいと思っています。(写真はクリックすると拡大できます)




 

2013年5月28日火曜日

環境に優しい樹木類の病害虫防除法として樹幹点滴法というアイデアを提案したK博士が千葉大学園芸学部に来られ、専門が異なる5人の教員(林学、植物病理学、応用昆虫学、植物栄養学、果樹園芸学)と私を交えて、情報交換をしました。このアイデアを実用化して普及するための研究開発のチームを作って研究費を申請していこうという相談をしました。

アメリカのNIEHSに勤務していた友人のBuck Grissom 博士から面白いニュースが届きました。
http://news.sciencemag.org/sciencenow/2013/05/scienceshot-why-some-cockroaches.html

人間では同じ薬を使い続けると病原菌に耐性が発達して効かなくなる例(結核菌やエイズや大腸菌など)はよく知られていますが、害虫でも同様に殺虫剤抵抗性が発達して防除が困難になる例はたくさん知られています。たいていは、殺虫剤を解毒分解する能力が増大したり、作用点が変異して効果がなくなることが原因ですが、中には害虫の行動が変化して防除ができなくなる例も知られています。例えば、蚊を防除するのに、森から人家に侵入して吸血した蚊は壁にとまって休憩してから森に帰るという習性を利用して、壁にDDTのような殺虫剤を塗布しておいて防除をしていたのが、壁にとまらずにいきなり森に帰るという習性を持った蚊が出現して防除ができなくなったという古い例があります。
上記の記事は、チャバネゴキブリという日本の家庭でよく見られるちょっと細身のゴキブリは、毒餌にグルコースという甘味成分を加えて摂食させて防除していたのが、摂食行動をしなくなって防除ができなくなった個体群では、口の部分に生えている感覚毛が変異して、グルコースを甘いと感じずに苦いと感じるようになったのが原因だったということです。
生物には長い進化の課程で多様性が生じ、それがある環境下では不利でも他の環境下では有利に作用するということで、多様性は生物が地球上の環境の変化に適応して生き延びることに貢献してきたと考えられています。

(携帯でブログをチェックしていてファイルを開けない支援者のために、上記記事をコピーしておきます)

ScienceShot: Why Some Cockroaches Check Out of Roach Motels

on 23 May 2013, 2:00 PM
 
sn-cockroaches.jpg
Credit: Ayako Wada-Katsumata and Andrew Ernst

Roach motels sit at the back of many a kitchen cupboard, bedroom closet, or bathroom cabinet. Yet, to the bane of human residents, only a few years after the traps were introduced in the 1980s, they lost their allure for an increasing number of German cockroaches. Researchers soon realized that some roaches had developed an aversion to glucose—the sugary bait disguising the poison—and that the insects were passing that trait on to their young. Now, scientists have figured out how this behavior evolved. Roaches, like other insects, detect taste through special receptors that line hairlike appendages on their mouthparts. The receptors differentiate between sweet and bitter flavors, which signal to the roach whether to eat or avoid the food, respectively. The researchers performed experiments on more than 1000 German cockroaches from the field and about 250 raised in the lab. The normal roaches happily lapped up both glucose and fructose, but the glucose-averse roaches ate only the fructose and spat out the glucose, the team reports online today in Science. Electrophysiological recordings indicated that glucose triggered sweet receptors in the normal roaches but bitter receptors in the other roaches. The change in behavior may save the insects' lives, but it does have its disadvantages: Glucose-averse roaches grow and reproduce more slowly than those with less finicky tastes.

2013年5月27日月曜日

支援者から以下のお便りが届きました。
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お忙しい中、ブログの更新ありがとうございます。
募金の残金については、長い間色々と考え下さり、ありがとうございました。方針が決まったとのことでよかったです。ブログでは、相手側から裁判をおこされる可能性のある期間(10年というのは、事件の起こった日からなのか判決日からなのか、私にはよくわかりませんが)を過ぎれば、刑務所への差し入れもお考えとのことで、ぜひそうしていただけたらいいなと思っています。
市橋さんには、そばにK子さんがついていらっしゃるということなので、安心してよいと思いますが、
この募金も、「市橋さんのために…」と集まったお金ですので、ささやかではありますが、少しでも市橋さんのお役にたつことが出来ますよう願っています。
どうぞよろしくお願い致します。

本山:お便りありがとうございました。K子さんが何故そんなに市橋君の支援に熱心なのか不思議な気がしましたので、最初の頃メールのやりとりがあった時に質問してみましたが、そのことについてはお構いなくとおっしゃって答えてくれませんでした。市橋君は全く社会から断絶された状態ではなく、少なくとも山本弁護士とK子さんとは接触があるようですので、時間が経って心境の変化があれば、山本弁護士を通して連絡をしてくれるのではと思っています。それまでは、本人の意思を尊重しようと思っています。
それにしても、30年後のことまで心配して下さる支援者がおられるということは、市橋君は幸せ者です。
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支援金残金の管理者に加わっていただけないか打診していた神奈川県在住の支援者からは、いくつかの理由をあげて、できませんとの返事が届きました。小さなお子さんが二人いてお忙しいことや、今はよい家庭を築くことに集中したいということや、30年というのは長過ぎて責任が重過ぎるということや、もっともなことばかりです。
従って、支援金残金は、支援者3人と私の計4人で管理することになります。静岡県の支援者が口座を開設するのに必要な書類を作ってくれていますので、口座開設ができたらこのブログで報告します。
 
新潟県庁と新発田市役所から6月のヘリコプターによる薬剤散布の詳しいスケジュールが送ってきました。一緒に薬剤の飛散調査をする共同研究者と、旅行日程を詰めているところです。

マスコミ関係者との情報交換会で私が講演をするのは7月5日に決まりました。今日は間に入っているPR会社の方が訪ねてこられ、いろいろ私の考えていることをお知らせして2時間くらい打ち合わせをしました。マスコミの方々は、安全なこととか学問的なことには興味を示さない傾向がありますので(ショッキングなことほどニュースバリューがあって視聴率や販売部数が稼げますので)、今回は、農薬の安全性から入るのではなく、出雲大社の裏山の松林や房総半島の平砂浦の松林が壊滅状態になって、地滑りで麓の人家が押し潰される危険性や、津波に対して全く無力な危険な状態が生じているというところから問題提起をしていこうかと考えています。

今日も江戸川堤防を8km ゆっくり走ったり歩いたりしてきましたが、相変わらず体重オーバーですぐ息が切れて情けない状態です。
 

2013年5月26日日曜日

2010年3月から3年間にわたって支援して下さった支援者からお便りが届きました。
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ブログ拝見しました。「市橋達也君の更生を支援する会」他の支援者の方々と同様に私もその名称に賛成です。色々とお考え頂き決断して下さった本山先生と4人の支援者の方々に心から感謝いたします。
「市橋達也君の更生を支援する会」はこれからが長い道のりになります。本山先生がブログでおっしゃっていたように30年後に仮釈放の審査を受けて本当に出所する時に、私自身もこの世にはいないと思われます。でも、私が生きている間は支援金残金を管理して下さる方々を少しでもサポートしたりお護り出来たらと思います。そして私も晩年の市橋さんが残りの人生をしっかり生きていけるように祈り続けたいと思います。
本山先生、本当に大変な想いをされながらも支援する会を続けて頂き心から感謝いたします。今後ともお体に気をつけて、ご活躍をお祈りしております。

本山:お便りありがとうございました。〇〇様からのお便りにはいつも私自身が励まされます。支援金残金を管理して下さる支援者の方々には、新しい口座が開設できて、ブログも新しくなった時に、身元がわからないように支援者の皆様へのメッセージを書いていただけないか打診してみます。ところで、〇〇を目指しておられたお嬢様はもう大学を卒業して資格を取得されましたか。楽しみですね。〇〇様もどうぞお元気で、これからも患者さんのためによろしくお願い致します。
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今日の朝日新聞朝刊の1面と2面に、「アフリカはいま」と題する特集記事がありましたが、サハラ砂漠の南縁部に位置するサヘルと呼ばれる地域では、砂漠の拡大によって毎年広大な面積で干ばつや飢餓が繰り返されていると伝えていました。国連を通して日本も莫大な資金援助をしているようですが、東はジプチから西はセネガルまで、全長8千キロにわたって植樹する「アフリカ緑の壁プロジェクト」構想が持ち上げっているとのこと。砂漠化を防ぐためにヤシの樹皮などを地面に刺し込んで壁を作る住民の写真を見ると、日本の海岸の砂地に笹竹の束(つか)を刺し込んで砂が動かないようにしてからマツの苗を植樹するのと似ているなという印象を受けました。昔は豊かな森が広がっていたところが人間の度を越した活動の影響やそれに伴う気象の変化などで砂漠化し、それをまた森に戻すには長い時間がかかるのでしょうが、森が復活してこの地域の人々が自立した生活を取り戻せればいいなと思います。

いつものように江戸川の堤防にジョギングに行こうと思って出かけたら、千葉大学園芸学部のある戸定ケ丘の新緑があんまり瑞々(みずみず)しいので、走るのを止めて大学構内や隣接した松戸市戸定が丘歴史公園(徳川昭武の別邸だった戸定邸や資料館がある)の庭園を散歩しました。休憩できるように東屋(あずまや)も配置してあり、大きな木々に囲まれた静かな園内を植物を眺めながらゆっくり歩くのは気分爽快でした。





 

2013年5月25日土曜日

支援者から以下のお便りが届きました。
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こんばんは。お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。支援金の残金の件、ありがとうございました。新口座の名称もぴったりですね。ブログも、同様、「市橋達也君の更生を支援する会」にして続けていただけたら幸いです。
これから、「市橋達也君の更生を支援する会」のために協力できることがありましたら、お受けしたいので、何なりと私にも命じてください。
 本山:お便りをありがとうございました。口座が開設できましたら、ブログで支援者の皆様に報告致します。
支援金残金管理者が嫌がらせ行為の対象にされることを防ぐために、すでに顔を表に出している私以外の支援金残金管理者の個人情報を公開はできませんので、どうやってその他の支援者にお知らせできるかが難しいところです。今私が考えている方法は、私以外の支援金残金管理者と接触をしたい支援者がおられたら、先ず私にご自分の個人情報(お名前、住所、電話番号、メールアドレスなど)をお知らせいただき、私が支援者名簿の記載事項と照合したり電話でお話ししたり直接お会いしたりして、本当に信用できる支援者かどうかを確認し(支援金を振り込んで支援者の振りをした反支援者がいますので)、信用できると判断した場合はその情報を支援金残金管理者にお渡しし、支援金残金管理者の方から公衆電話あるいは非通知設定にした携帯電話から当該支援者に電話をかけていただくという方法です。電話での会話を通して、支援者の振りをした反支援者でないことが確信できましたら、必要に応じてメールアドレスや電話番号をお知らせしてやりとりをしていただいたらいいのではないかと考えています。
口座が開設できて支援金残金の処理がすみましたら、今までの「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」は役割を終わりますので、「市橋達也君の更生を支援する会」に切り換えて、支援金残金管理者にパスワードをお渡ししてアクセスできるようにします。そうすれば、10年後、30年後、あるいは私がいなくなった後で支援金残金管理者が支援金残金が確かに市橋君の手に渡ったことをブログ上で皆様に報告できる筈です。
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「市橋達也君の更生を支援する会」私もその名称に賛成です。
本山先生と4人の支援者が支援金を管理していただけるということで、安心しました。その後の管理ですが皆さんの思うようにされたらいいと思います。管理者の情報ですが、それだけは慎重に対処されたほうがいいです。本山先生に起きたことを考えると心配ですから・・。
追伸
静岡県の2人と東京都の支援者はよく本山先生のブログに書かれていましたので知っていました。加えて神奈川県の支援者も参加されるのですね。頼もしいです。
私は管理者の情報はいりません。必要ないからです。
本山:お便りをありがとうございました。支援金残金の管理を申し出て下さったり、私からお願いした方々は、道を踏み外した市橋君を人を愛する温かい心で支援して下さり、私が個人的にも直接お会いしたことのある方々で、私がいなくなった後も安心しておまかせできる方々です。
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以下は、ブログには載せないで下さいと書いてあったお便りへの私の返信です。
本山:お便りありがとうございました。多分多くの支援者はそれぞれの個人的な思いから支援して下さった筈ですので、他の支援者との交流や、支援金残金管理者と接触したいと希望している方は少ないと私も思います。ただ、皆さまからお預かりした大切なお金ですから、私を信用して下さる場合はいいのですが、本当に適正に管理されるか確認したいという方がおられる場合は、それができるようにしておくことが必要と考えています。
ただ、社会には精神を病んだ人たちがいて、理性では考えられない行動をして悲劇を生む場合がありますので、支援金残金の管理者がそういう嫌がらせ行為の対象にされないように十分の注意を払うことが必要です。以下に、私のところに最近届いたメールの一例をコピーしておきます。
 
「お孫さん、かわいい年頃ですね。レイプされて殺害されないように気を付けて下さいね。バスタブにお孫さんの全裸の遺体。その遺体の上には園芸用の土。想像してみて下さい。その時も犯人を支援してあげましょうね。」
 
市橋君が今の境遇(社会的弱者)になったのは、自分の行為の結果ですから止むを得ませんが、人生の道半ばで亡くなったリンゼイさんの悔しさやご家族の悲痛なお気持ちを考えると、本当にお気の毒です。同じ地球上に生を受けて、不幸な目に遭う人とそうでない人がいるのは不公平ですが、事実は事実ですから、受け入れる以外どうしようもありません。私も、市橋君がしたことが事実だと知った時は、できることなら彼を拘置所から道場に引っ張り出して「何ということをしたのだこの大馬鹿者」と叱りつけて、気を失うまで徹底的に鉄拳制裁を加えてやりたい気持ちでした。しかしすでに起こってしまったことはどんなことをしてももう元には戻せません。それも人生の厳しい事実です。本人が自分のしたことの恐ろしさ、決して許されないことであることを自覚し、後悔し、反省し、受刑することで罪を償う決心をしたのでしたら、温かい心でそれを見守ってやるのは元教師として当然のことだと思っています。そして、30年後に仮釈放の審査を受けて本当に出所する時が来るとしたら(もしかしたら来ないかもしれませんが)、私は(失礼ながら、恐らく彼の両親も?)もうこの世にはいない筈ですが、前科を背負った彼が残りの人生を生きていけるように祈ることは不道徳なことだとは思っていません。
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江戸川堤防を8Km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。このところ世界最高峰のエベレストに世界最高齢の80才で登頂成功した三浦雄一郎氏のニュースが伝えられています。自分の決めた目標を実現するために、一歩一歩長い時間をかけて自分を鍛えて準備をし、成し遂げるという生き方には敬服します。私もまだ70才そこらで老人ぶってはいけないと励まされます。

2013年5月24日金曜日

午後1時半に東京駅で待ち合わせの約束でしたのですこし早めに行って適当な喫茶店を探しておこうと思ったら、静岡県の支援者お二人はすでに到着していました。東京の支援者も間もなく到着し、4人で新丸ビルの中の喫茶店に移動し、4人一緒に座れる席が空くまで少し待ちました。支援者どおしが顔を合わせるのは初めてでしたが、あらかじめ私が少しだけ紹介しておきましたので、すぐ旧知の友人のように親しくお話ができました。

静岡県の支援者の近くのゆうちょ銀行に「市橋達也君の更生を支援する会」(仮称)という名義の新しい口座を開設し、支援金残金はそこに振り込むことにしました。口座開設には規約を作って提出しなければなりませんが、会の管理者には静岡県の支援者2名、東京の支援者1名、私、その他に神奈川県在住の支援者1名にも出来たら加わっていただくことにしました。早速、了承を得るための打診のメールを打ちました。もし了承が得られれば、規約に5名の名前を書いて、実際には静岡県の支援者のお一人に口座の管理をしていただくという考えです。

服役後10年経過して領置金が没収される心配がなくなった時点で、市橋君に差し入れして領置金として刑務所に保管してもらうか、もしそれが困難な場合は約30年後に仮釈放の審査を受けて出所する時点で市橋君に渡して、出所後の市橋君の生活資金の一部として役立ててもらうという計画です。私は年齢的にそこまで生きていられないでしょうが、管理者の一人は市橋君と同年代ですので、その人に支援する会の意思を引き継いで実行してもらうことができます。

2013年5月23日木曜日

午前中は新橋にある株式会社アファス認証センター http://www.afasseq.com を訪ね、有機の認証をしている26団体の協議会である一般社団法人有機JAS資材評価協議会 http://www.yuhyokyo.com の代表理事と事務局長にお会いしました。有機農業で農薬の代わりに病害虫・雑草の防除に使う資材の適格性を統一した基準で評価する作業に農薬の専門家として協力してほしいという依頼があったからです。肥料の専門家2名とともに、組織には所属せず、専門的立場で評価には協力するということで了承してきました。

農水省の農業資材審議会農薬分科会長を長年務めて農薬の安全性確保に関わってきた立場上、農薬使用を否定する有機農業関係団体の活動に参加するのですから、英語でいうConflict of Interest(利益相反)が生じないようにするつもりです。いわゆる健康食品やサプルメントの類(たぐい)と同様に、植物抽出液と称して効果がない資材や、危険な物質が混入されている資材を虚偽の宣伝で有機農業用に販売してビジネスにしている悪徳業者にとっては、私がそのような資材の評価に関わることは嘘が暴露されて困ることでしょうが、まともな有機農業をしようとしている生産者や安全な食を求める消費者にとっては、私の参加は役に立つ筈です。

その後東京農業大学名誉教授の山本 出先生の書斎を訪ねて、アメリカから帰国して東京農業大学応用生物科学部教授になられた冨澤元博先生にお会いしました。私が会長をしている東京農業大学総合研究所研究会農薬部会に幹事として就任していただくことと、7月に予定されているセミナーで講演をしていただくことを依頼して、快諾を得ることができました。
早速、「受容体構造をガイドとしたニコチン性リガンドの分子設計」という演題が届きました。

明日は支援者3人と東京駅で待ち合わせをしてお会いすることになっています。東京拘置所に差し入れに来られた時にお会いしましたが、久し振りに再会できるのは楽しみです。

2013年5月22日水曜日

農薬工業会の設立60周年記念祝賀会が日本橋の鉄鋼会館というところで催され、私も招待されたので出席しました。農水省農林水産技術会議会長の三輪睿太郎博士(この3月で農大総合研究所教授を定年退職)の「日本農業の行方と農薬の役割」と題した講演に続いて、小宴と称した参加者数百名の大宴会がありました。名古屋大学時代の恩師(88才)も来ておられ、久し振りに懐かしい方々ともお目にかかれました。

三輪博士の講演はさすが農水省の研究プロジェクトの審査をする元締めだけあって、日本の農業のおかれた現状について示唆に富む内容がたくさんありました。あらためて再認識したことのひとつは、稲作経営規模が4ha(町歩)未満の経営体数(農家戸数)は約155万に対して4ha以上は約13万ですが、耕地面積では前者が約162万haに対して後者は約200万haを占めている、つまり水田農家の規模拡大が行われていて、僅か8%の農家が55%の稲作経営を担っているということです。

よく視野を広く持つことの教えとして「木を見て森を見ず」と言われますが、三輪博士は逆に「森を見ず木を見ろ」ということの重要性を指摘していました。つまり、全体としては経営規模の小さい兼業農家が圧倒的に多く競争力のある産業としては疲弊しているように見える日本農業も、個々の経営体(農家)を見るとすでに規模も拡大して先進的農業を実現している少数の専業農家が生産の大部分を担っているということです。

2013年5月21日火曜日

街を歩くとあちこちでキリシマツツジが満開で目を惹きます。
ツバキにはそろそろチャドクガ(毒針を持っている)が発生する頃だと思って注意して見たら、やっぱり発生していました。これに触るとかぶれるので大変です。


2013年5月20日月曜日

昨日はK氏の奥さんの実家での朝食の後、せっかくここまで来たのだから久留里(くるり)城を見てから木更津駅に行こうということになりました。途中、田植えをして間もない田の畔(あぜ)の草刈りをしているところや、上総(かずさ)堀りの仕掛けを展示しているところがありました。動力のなかった時代に人力だけで深い井戸が掘れる技術は有名で、この地方で発達したので上総堀りと呼ばれています。
久留里城のある城山(高台)も新緑が映え、好天にも恵まれて、心地よい薫風(くんぷう)にあたりながら眺める景色も最高でした。この辺りの人は、新緑でまだら模様のこの時期の山を「山が笑う」というのだそうです。草払い機は、「かっぱらい」というのだそうです。
城山には、市原市の高橋こむという方の詠(よ)んだ歌碑もありました。
普段都会に住んでいる人間にとっては、昔(約50年前)の空手部同期生との楽しい宴(うたげ)に加えて、新緑の景色に浸って心が洗われる思いでした。



 
 






2013年5月19日日曜日

朝はアトリエのすぐ隣にあるK氏の奥さんの実家に移動し、朝ご飯をご馳走になりました。奥さんの実家は周囲を山に囲まれた素晴らしい環境で、典型的な昔風の農家の造りでした。室内の壁が土と藁(わら)を混ぜて塗ったままで白壁になっていないのは、家を建てた祖父の時代に家というのは3代かけて完成させるものだと言われてわざと未完成にしてあるのだそうです。そうやって子供や孫の世代になっても、自分の家だという愛着をもたせるためでしょうか。天井の梁(はり)がりっぱなので訊いたら、松材だけど、千葉県にはそれだけの大きな松は残っていなかったので、福島県から松の丸太を送ってもらって梁にしたとのことでした。居間には神棚と仏壇があり、昔はほとんどの家でしていたように、自分たちが食べるのと同じご飯をお供えしていました。
家の周りにはグミや梅の木が実をつけていて、黄色や白の鮮やかな花を咲かしている木もありました。








2013年5月18日土曜日

千葉大学空手部の同期5名と1年下の仲間2名がJR房総西線(内房線)の木更津駅で待ち合わせ、2台の車に分乗してK氏のアトリエに向かいました。玄武庵と名付けたアトリエは、房総半島の中程に位置する清和ほたるの里の近くの山中にあり、六角形のユニークなデザインの建物でした。
K氏ともう一人K氏の友人も加わって、囲炉裏を囲んで、各々の描いている夢・構想を語り合いました。身体障害者を支援する施設を含めて、山の中に過疎村の活性化にもつながるコミュニティを作ろうというアイデアです。70~71才の定年後の男たちが、最後の仕事として何か社会に役に立つ貢献をしたいという夢を描いて、力を合わせようという相談です。
その後、ビールを飲みながら、囲炉裏であぶった料理を食べながら、楽しい時間を過ごし、畳の部屋や板の床に布団を敷いて雑魚寝(ざこね)をしました。



 
 





2013年5月17日金曜日

新潟県胎内市の荒井浜公園の近くの肥料工場に勤務しているS博士(私の研究室の卒業生)を朝7時に訪ね、一緒に調査予定の松林に行って、昨日印をつけてきた調査地点の場所を確認しました。6月に薬剤が散布されたら、彼に印をつけたマツの木から2ケ月間週に1回枝葉を採取して、クール宅急便で送ってもらう予定です。

ホテルに戻って朝食後、新発田市にあるY会社を訪ねました。資材供給だけでなく、無人ヘリで薬剤散布の事業もやっている会社なので、いろいろ情報を入手しました。
それから新潟市に行って県庁農林水産部治山課に寄って、松くい虫対策事業担当者に会って情報交換をしました。6月の正確な散布スケジュールが決まったらすぐ連絡をしてもらえることになりました。

胎内市でも新発田市でも、松枯れ激害の原因は共通していました。松林に隣接するところに養鶏場があると、薬剤散布をするヘリコプターの騒音で鶏にストレスがかかって産卵に影響するかもしれないという恐れと、隣接するところにタバコ畑があると、万が一ごく微量でも飛散薬剤がタバコの葉にかかるとJTにタバコ葉の買い入れを拒否されるかもしれないという恐れのために、散布を中止してしまったということです。散布中止後3~4年経つと松林は松くい虫被害でボロボロになり、そこが発生源になって被害が周辺の松林に次々と拡大していきます。
元々不毛の砂丘地帯だったところに、マツを植林して砂防林を造成したお蔭で人も住めるし、養鶏もタバコ耕作のような生産活動もできるようになった所です。松枯れという伝染病が海外から入ってきて分布を拡大した今、生産活動への悪影響が心配で松林を守るのに必要な薬剤散布ができなくて砂防林が消滅すれば、生産活動自体ができなくなる可能性があるというのは、皮肉な現象です。



2013年5月16日木曜日

新潟県胎内市に着いた時はあいにくの小雨になってしまいましたが、市役所に寄って担当者から薬剤散布予定松林の図面を見せもらいながら説明を受けました。それから荒井浜公園になっている松林内を歩いて、散布当日に薬剤の落下・残留濃度を調査するのに使う枝葉の採取地点を決めて、標識を付けてきました。
荒井浜公園の胎内川に接した大きなマツには、殺センチュウ剤を樹幹注入したことを示すラベルがホッチキスで付けてありました。殺センチュウ剤の樹幹注入と有人ヘリコプターによる殺虫剤散布の二重防御で、松枯れ激害が発生している胎内川の向こう岸側からの侵入をここで食い止めようという計画です。松食い虫で枯れて伐倒されたマツの切り株の中に、隣り合った木が融合したことを示す切り株がありましたが、その中のひとつ(写真の左側の切り株)にはつむじ(年輪の中心)が2つあって、さらに小さい時に融合して1本になったことを示していました。野菜などの農作物でも、接ぎ木で異なる性質の台木と穂木を接いだり挿し木で繁殖させるということが行われますが、自然状態のマツが近くにある他のマツを認識して融合して一体として生長していくことに植物の生命力の逞しさを感じます。(写真はクリックすると拡大できます)
小雨の中を森の中を歩き回ったので、ズボンの裾も靴の中もビショビショになってしまいました。

その後、新発田市に移動してやはり市役所に寄って担当者から薬剤散布予定の図面を見せてもらいながら説明を受けました。その後、市役所の車の先導で松林とタバコ畑が隣接しているところなどを案内してもらいました。

胎内市に戻って昨年も泊まったのと同じ中条グランドホテルにチェックインしたのは夕方の6時過ぎでした。


 
 

2013年5月15日水曜日

来月開催予定の総会の準備として、東京農業大学総合研究所研究会農薬部会の会計監査がありましたので、久し振りに農大に行きました。農薬部会の事務・会計を担当して下さっているパートの女性と、幹事の中の会計監査役2名と、私(会長)と副会長2名が集まりました。実は私はこういう席に立ち会うのは初めてでしたが、有能な事務・会計担当者が用意した収支決算表や領収書類や預金通帳を並べて、計算機を持参した監査役が書類のチェックと収支の計算を手際よくやって、いくつか細かいミスを訂正して監査は終わりました。
皆が私には耳慣れない「サラカン」という言葉を何回も使っていたので、何のことですかと訊いたら、幹事の「幹」と監査の「監」が同じ「カン」という発音なので、「皿」という字が下に付いている「監」を「サラカン」と言って区別しているのだそうです。そんな簡単なことでも私には珍しかったので、感心しました。

大学構内は学生たちが大勢いて、活気に溢れていました。小田急電鉄の経堂駅から農大世田谷キャンパスに行く道は、通称”農大通り”と呼ばれますが、商店街を過ぎると閑静な住宅地になり、昔風な作りの大きなお屋敷がいくつかあって、庭に見事な樹形のアカマツが残っています。新梢が空に向かってたくさん伸びているところを写真に撮ってきました。
松戸市内に戻っていつもの通りを歩いていたら、電柱に見慣れないポスターが貼ってありました。多分、無届けの違反ポスターでしょうが、福島へ行ってお金をかせごうという内容を見ると、中間業者(人材派遣業者?)が福島原発事故の後片付けの作業員を募集しているものと思われます。

明日は自宅を朝6時半に出発して新潟県に向かい、現地で一泊して明後日の夕方に帰宅する予定です。