2014年2月28日金曜日

今日も一日中机に向かって農薬学会大会で発表するもう1題の方のスライド作成をしました。大体できたので、明日には仕上げられると思います。
スポーツジムに行ってきた妻が春のように暖かい日だったと言いましたが、私は一歩も外に出ずに家にこもっていましたので気が付きませんでした。

2014年2月27日木曜日

一日中机の前から動かずに農薬学会大会で発表する2題の中の1題について準備をし、スライドと講演テキストが一応作成できましたので、ちょっと前に共同研究者に宅ファイル便で送りました。
残りの1題は明日とりかかります。

アメリカ人の友人から農薬のWorker Exposure(作業者ばく露)に関する情報が送ってきました。農作業従事者保護基準を制定するためにEPA(アメリカ環境保護局)が意見を公募している、日本でいうパブコメのようです。
http://www.epa.gov/oppfead1/safety/workers/proposed/index.html
アメリカのような大規模農業では農薬散布をする人とその後の農作業をする季節労務者は異なる場合が多いので、農薬ばく露から彼らの健康を守る必要があります。どれだけ毒性が高い農薬が散布されたか知らずに、散布直後に畑に入って作業をすることは危険だからです。

アメリカの農薬の登録要件(使用基準)には、Re-entry Interval(散布後何日経過すれば畑に入って作業をしてもよいという期間)が含まれていますが、日本のように小規模な農業を家族単位でやっている限りは、いつ何を散布したか自分でわかっていますのであまり必要がなかったのかもしれません。
しかしそうは言っても現在使用されている農薬の中には毒性の高いものもありますので、農薬開発メーカーにはさらなる負担増になるでしょうが、農家の健康を守るためにこれからは日本もRe-entry Intervalを採用していくべきだという気がします。アメリカのように一定以上のリスクのある農薬はRistricted Use Pesticides(使用制限農薬)(日本では劇物以上の農薬がこれに似ている)のような指定をして、講習会を受講して教育訓練を受けなければ販売も購入も使用もできない、という制度の導入も考えるべきかもしれません。研究者でもない限り、個々の農薬の毒性がどの程度で、散布後どれくらいの期間が経てば畑に入ってばく露しても安全かということはわからないのが普通の筈ですから。

2014年2月26日水曜日

本の原稿と農薬学会大会で講演発表する2題のスライド作成と、尻に火がついてきましたが、健康管理のために今日も昼休みに江戸川堤防に行き、約2時間歩いてきました。今の時期は河川敷の枯れた葦が目立ちます。

古老を囲む会を実行委員として一緒にやってくれた安部 浩先生の仲介で、同じく東京農工大学名誉教授の福嶋 司先生と連絡がとれるようになりました。私が約10年暮らしたアメリカから1978年に帰国して千葉大学園芸学部環境緑地学科の助手に着任した時に、同じ学科で助手をしていた関係でよく学科の将来や大学の民主化などについて話し合った仲です。その後福嶋先生は東京農工大学に移りましたが、林学が専門ですので、平砂浦の砂防林再生についても助言をしてもらえるし、一度3人でどこかで会おうということになりました。多分20数年か30年ぶりくらいの再会になる筈です。






2014年2月25日火曜日

昼休みは水元公園に行って約1時間半ぐらい歩いてきました。
今日は千葉大学は入学試験(大学個別の二次試験)の日で、午後7時までは大学構内は立ち入り禁止でしたが、知人のK博士が共同研究の打ち合わせに4時に来られたので、警備をしている事務職員に特別入れてもらって、N先生とT先生を交えて約1時間いろいろ相談をしました。研究を実施することで相談がまとまり、その大まかな段取りもできました。

K博士はせっかく遠くから来られたので、松戸駅まで歩いて送っていく途中で台湾料理の店に寄って一杯やることにしました。生ビールと何皿かの料理の次に紹興酒(たまたま火曜日のスペシャルになっていた)を注文したらグラスでなく瓶できてしまいました。二人で美味しくいただいている中に全部飲み干してしまいました(私には適量をはるかにオーバー)。料理の中には、しいたけと牡蠣(かき)と銀杏(ぎんなん)の煮物があってこれもおいしく平らげました。3時間くらい楽しい時間を過ごして帰宅しましたが、なんとなく胸がムカムカし、心臓の辺りも激しくパクパクし、気分も最悪の状態になってきたので、これはまずいと思ってノドに指を入れて胃の中のものを吐き出しました。私は何年か前から牡蠣にあたるようになりましたが、時々は牡蠣フライを食べても大丈夫なのですっかり忘れていました。妻には牡蠣にあたったらしいことは言わずに、そのまま早目に寝ることにしました。

2014年2月24日月曜日

昨日は松戸から館山まで行きは2時間でしたが、帰りは館山自動車道で交通事故が2ケ所であったらしく、途中渋滞区間があって結局4時間かかってしまいました。気が付かないうちに疲れが貯まっていたのと、古老を囲む会が無事終了したという安堵感で、今朝は目が覚めたら8時半でした。車に積みっぱなしだったゴミ類を妻に頼んで仕分けして捨てたり、保存すべきもの(写真パネルなど)は貸倉庫に持って行って保管しました。昼休みは久し振りに江戸川堤防から水元公園に行って歩いたり、走ったりしてのんびり過ごしました。

期限をとっくに過ぎている本の改訂版の原稿の催促が編集者のM先生から届いていますので、明日からはその仕事に取り掛からなければなりません。1週間で仕上げることが目標です。

2014年2月23日日曜日

房総半島南端の平砂浦の砂防林の松は昭和23年に県に造成を陳情、24年に県が決定、25年から植樹が開始されました。昭和25年は1950年ですから、今から64年前になります。その後、マツノマダラカミキリが媒介するマツノザイセンチュウによって松が枯れるいわゆる「松枯れ」又は「松くい虫」が全国的に猛威を振るいました。千葉県では2007年まではヘリコプターで有機リン殺虫剤のフェニトロチオンを散布することで、被害を最小限に抑え、松林は守られていましたが、ネオニコチノイド剤の地上散布年1回に切り換えた2008年以降の防除の失敗により平砂浦の松林はほぼ消滅してしまいました。松林を再生するために、館山市は昨年から植樹祭を実施して松苗の5000本植樹を始めましたが、今年は今日植樹祭が実施されました。

私は「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」の会場設営を8時半からいこいの村たてやまで行う予定でしたので、途中少々の渋滞があってもいいように松戸の自宅を朝5時に出発しました。ところが、日曜の早朝だったせいか道路は空いていて、館山には朝7時に着いてしまいました。さすが館山は暖かく、桃の花と菜の花が咲いているところがあったので、車を止めて写真を撮りました
いこいの村たてやまに予定よりもずいぶん早めに着いたので、偶然同時間に到着した樹木医の阿部 豊氏と一緒に松が少しだけ残っている砂防林の中を歩き回って樹皮下にフラス(マツノマダラカミキリ幼虫が食害した木屑と虫糞の混合物)が貯まっている木を見つけ、持参した携帯用鋸(のこぎり)で切って手斧で縦に割りました。食害して作ったトンネルの中に越冬状態の幼虫が入っている幹や枝を採取して、古老を囲む会の展示テーブルに並べました。テーブルにはその他に、成虫の標本や、真ん丸の羽化脱出口が残っている被害木や、実体顕微鏡3台も置いて生きているマツノザイセンチュウを観察できるようにしました。壁には90×180cmの発泡スチロール板を横向きに4枚吊るして、松林や松くい虫に関するいろいろな写真を展示しました。

植樹祭には500人をちょっと超える人が参加し、あらかじめ準備してあった各区画(4×8m)の目印に竹串の挿してある場所にクロマツ16本、アキグミ8本、マサキ4本、トベラ4本を次々に植えていきました。天候にも恵まれて団体や家族連れや個人で参加した人たちが、50年後、100年後にりっぱな松林に育つことを想像しながら、今自分がその種をまいているという満足感を味わいました。
その後古老を囲む会の会場に移動しましたが、地元住民の他に館山市長、市役所の担当者、県議、市議、千葉県南部林業事務所長も顔を出してくれたり、最後まで参加してくれました。私の基調講演、故田辺 昇氏の出演しているDVDの映写に続いて、古老と実行委員による座談会が東京農工大学名誉教授で南房総市在住の安部 浩先生をコーディネーターとして実施されました。30部用意した配布資料が1部だけ残っていましたので、私以外に少なくとも29名の参加者があったようです。短い準備期間の割には、充実した内容の一石を投じることができたと思っています。これをきっかけに波紋が広がり、砂防林を再生し守っていこうという意識が高まり、行政と地元住民の絆ができていけばいいなと期待しています。









2014年2月22日土曜日

東京で食品ジャーナリストの会の第23回公開シンポジウムがあり、私も参加してきました。今年のテーマは、"非常食から災害食へ"で、副題として"「置いておく」備えではなく「使い回す」備えを"でした。食品をテーマにしたシンポジウムは、たいてい食の安全性という観点から残留農薬や食品添加物や毒物混入に関する話題が多いような気がしますが、今回は大地震や大雪の災害で食品の流通が止まった場合の、食べ物や飲み水が無くなったことを想定し、どういうものを備蓄しておくべきかという問題を扱っていました。実際にあり得ることですので、勉強になりました。





2014年2月21日金曜日

東京農大総合研究所研究会の一つである生物的防除部会の平成25年度第三回講演会があり、私も参加してきました。中央農業総合研究センターの長坂幸吉氏が「天敵アブラバチ類の利用と課題」という演題で、宮崎県庁農政水産部の黒木修一氏が「IPMにおける微生物農薬の利用法」という演題で、それぞれ1時間ずつ講演をされました。天敵は一般に施設栽培の害虫防除に使われますが、餌になる害虫がいなくなれば天敵も存在できないという問題を回避するためにバンカー法(天敵銀行)という方法が使われます。長坂氏の講演は、その成功例、失敗例、農家に普及するにはどうしたらよいかなどについて現場の豊富な経験に基づいた内容でした。黒木氏はたくみな話術で、微生物農薬は化学農薬と混用することで防除効果が増大するという面白い例を紹介し、やはり農家にどのようにしたら普及できるかについて実経験に基づいて提案していました。お二人の講演とも大変勉強になりました。もっと大勢の植物保護分野の研究者や学生たちに聴かせたい内容でした。






2014年2月20日木曜日

 
23日(日)の基調講演で使う予定のスライドと内容の準備がやっとできました。「松くい虫」とか、「松枯れ」とか呼ばれる症状の科学的な呼び方は「マツ材線虫病」ですが、マツノマダラカミキリという昆虫が媒介するマツノザイセンチュウがどうやって松の木を発病させて萎凋症状を起こすかについては、いろいろな研究者が研究をし、いくつかの説を提唱しましたが、実はまだ定説はないということも簡単に紹介しようと思っています。
あとは、展示に使うA4版にプリントした写真を発泡スチロールの台紙に両面テープで貼って、当日の朝、天井から吊るした90cm×180cmのパネルに貼付して並べるだけです。


2014年2月19日水曜日

23日(日)の基調講演のスライドの準備が80%くらいできました。準備に使える時間は多分明日一日だけですので、明日には完成させるつもりです。
会議室にあるパワーポイント/DVDプロジェクターとパソコンを接続するケーブルは1mくらいの短いものしかなかったので、5mのものを買ってきました。これで、プロジェクターはスクリーンの前に置いて、パソコンは演台の上に置いて自分で操作ができます。
マイクが1本しかなかったので、座談会用にあと2本追加したいと思って会議用品レンタル会社に電話で問い合わせをしましたが、現在あるアンプとうまく合うかどうか確認することが必要ということでしたので、結局いこいの村たてやまの支配人と相談してカラオケセットをワイヤレスマイク2本と一緒に使わせてもらうことにしました。

2014年2月18日火曜日

23日(日)の館山市いこいの村たてやまで開催する「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」で展示する予定の松くい虫被害木を採取するために、九十九里の蓮沼海浜公園に行きました。適当な大きさ(大き過ぎない)の枝を見つけるのはなかなか難しかったですが、潜入孔や脱出痕のある小枝や、食害痕のある古い当年枝などを数本採取しました。残念ながら越冬状態の幼虫が潜入していると思われる小枝は見つけられませんでした。もう一度出かける時間はありませんので、マツノマダラカミキリの幼虫や蛹はは写真で見せるしかないようです。
その他の準備も着々と進んでいます。

途中、美しい紅梅が咲いている木がありましたので、写真を撮ってきました。枝ぶりも格好よく、まるで絵に描いたような梅の木でした。


2014年2月17日月曜日

2月20日(木)に予定されていた長野県上田市での「木と緑のフォーラムin上小」は、今日担当者からメール連絡があり、大雪で参加者の安全が確保されないため中止になったとのことでした。山梨県の特定の地域と同じように、長野県でも今回の大雪で道路が寸断されて陸の孤島化されているとニュースが伝えていましたので、参加者の交通手段が確保されるのか私も心配していました。
私自身は20日(木)の朝早い特急あさまで現地入りするつもりでした。天気予報では、今週の水曜・木曜に再度降雪の可能性があるようですので、中止は賢明な決断だと思います。お蔭で私の講演もなくなりました。その気になって準備していましたので残念な半分、肩の荷が下りた気もしています。
これで、23日(日)の千葉県館山市における植樹祭とその後に開かれる「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」の基調講演の準備に集中できます。


2014年2月16日日曜日

昭和23年に平砂浦に砂防林を造成することを千葉県に陳情した(故)田辺 昇氏が出演しているVHSの古いビデオをDVDに変換するのにずい分苦労しました。25~26年前に制作されたものなので、関係者全員の許可を得ることが不可能だからです。今日東京に出かけて、テレビ番組制作会社の設備を借りてやっと変換ができました。これでパソコンで簡単に再生して視聴することができます。

 

2014年2月15日土曜日

23日(日)の「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」の座談会で、砂防林造成活動が始まった昭和23年(1948年)当時の様子をできるだけ訊きだすために古老に投げかけたらどうかと思う質問をリストアップしてみました。こういうものをあらかじめ古老にお渡ししておけば、心の準備をするのにも役に立つ筈です。
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古老を囲む会の座談会で古老から訊き出したいこと(本山私案)

1.    資料(昭和336月発行「平砂浦砂防史」や故田辺 昇氏の証言)によると、平砂浦の砂防林は昭和23年(1948年)に県に造成を陳情し、昭和24年(1949年)に造成することが決定し、昭和25年(1950年)から作業が始まったとなっている。
先ずお訊きしたいことは、(1)戦争が終わった昭和20年(1945年)当時、皆さん(古老)は何才で、どこで何をしておられたか、(2)その当時の平砂浦はどういう状況だったか、(3)飛砂の被害はどんなだったか
2.    館山市に合併される前の平砂浦に面した村や集落(部落)はいくつあったのか、それぞれの集落の主な産業は何だったのか
神戸(かんべ)村 / 西岬村 /
相浜 / 佐野 / 藤原 / 州の宮 / 布沼 / 小原 / 坂井 / 小沼 / 犬石 / 坂足 /伊戸 /
3.    各集落から何名ずつの人が植樹作業に従事したのか
4.    作業内容はどんなことだったのか
5.    作業は毎日だったのか、一日何時間か、どれくらいの期間続いたのか
6.    作業に従事した期間の農作業(自分の家の仕事)はどうしたのか
7.    賃金(日当)はでたのか、でたとしたら日当いくら(何円)ぐらいだったか
8.    植樹に使った資材(松苗、竹、藁、肥料?、など)はどこから入手したのか
9.    それらの資材の費用は誰が負担したのか
10. 砂防林造成工事が終わったのはいつか
11. その後の補修や維持管理は誰がやったのか
12. 砂防林造成工事に携わったことについてどう感じたか、(1)いやいや従事したのか、(2)喜んで従事したのか、(3)命令だから仕方がなかったのか
13. 松くい虫の被害に気が付いたのはいつ頃からか
14. ヘリコプターで殺虫剤を散布して防除をしていた時にどう感じたか
15. ヘリコプターによる散布を中止して松林が消滅したことをどう思うか
16. 館山市主催の植樹祭についてどう思うか
17. 植樹した松の維持管理は誰がするべきと思うか
18. 平砂浦砂防林保護組合はどういう役割を果たすべきと思うか
19. 若い世代に伝えたいことや、若い世代にやってほしいことがあるか
20. 平砂浦の将来、館山市の将来はどうあってほしいか
21. 新住民(最近移住してきた人たち)についてどう思うか
22. 行政(館山市役所、千葉県庁、国)にやってほしいことがあるか
23. その他なんでも言いたい事

2014年2月14日金曜日

やっと先週降った雪が道路からなくなったと思ったら、天気予報通りまた降りました。
館山市役所が、私が作成した「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」の企画(案)を修正して、見栄えのする案内チラシにして送ってくれました。これを植樹祭参加申込者全員に送ってくれるそうです。館山市長も大変興味を示して聴きにきて下さるとのことですし、こういう催しを通して市民・県民の松くい虫防除の重要性に関する理解が深まればと思っています。

今日は妻がスポーツジムに行って水泳をしてくる日でしたが、私がちょっと外出して帰ってきたら、机の上に黙ってバレンタインデイのチョコレートが置いてありました。我が家は老夫婦だけの生活ですが、気持は伝わりました。


2014年2月13日木曜日

2月23日(日)の千葉県館山市の平砂浦で行われる植樹祭の後で、近くの「いこいの村たてやま」で「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」を開催する計画ですが、やっとその企画(案)ができて館山市役所に提出しました。植樹祭参加者の中で興味のある方々を対象にしていますが、それ以外の人も参加可能です。多少の変更はあるかもしれませんが、大体こういう内容で実施する予定です。果たしてどれくらいの人が興味を示してくれるか・・。

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「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」企画(案)

[目的]
 2014223日(日)に館山市主催の「平砂浦海岸5000本植樹祭」http://www.city.tateyama.chiba.jp/nousuisan/page100090.html が実施される機会に、1948年(昭和23年)から始まった平砂浦砂防林造成事業に従事した古老を囲んで、当時の状況を話してもらい、植樹祭参加者が先人の苦労をしのぶとともに平砂浦砂防林の歴史と松枯れ問題について理解を深める。

[日時と場所]
 2014223日(日)植樹祭終了後~(約1時間半を予定)
 館山市藤原1495-1 「いこいの村たてやま」の3階会議室  
 Tel 0470-28-2211

[主催]
 「平砂浦に松を植えた古老を囲む会」実行委員会
 委員 本山直樹(千葉大学名誉教授)
    安部 浩(東京農工大学名誉教授、南房総市民)
    植松清次(館山市民)
    阿部 豊(日本緑化センター特任研究員、樹木医)
    飯沼知子(元産経新聞記者、館山市民)
    平砂浦砂防林保護組合(代表:川口 実、館山市民)

[プログラム]
1.    基調講演 本山直樹 (30分)
「松は何故枯れるのか-松枯れの原因と対策、松くい虫の歴史と現状-」
2.    昭和23年から砂防林造成を訴えた(故)田辺 昇氏の証言を聴く(約10分)
3.    座談会 (約1時間)
 安部 浩先生(コーディネーター)
 飯田義男氏(松を植えた古老、95才)
 山田喜一郎氏(松を植えた古老、84才)
 実行委員会委員
4.    展示 平砂浦の今昔(写真)、松くい虫の被害(写真)、マツノマダラカミキリ実物標本、被害木の実物標本、マツノザイセンチュウの顕微鏡観察体験、など

[その他]
 〇 参加申込みは植樹祭当日の受付、館山市農水産課(Tel 0470-22-3396)または本
山ま
参加費:無料
参加者の植樹祭現場から会場までの移動は館山市提供のバスを利用 / 植樹祭に参加ない方は、11:30までに上記会場に直接お越しください
ランチョンセミナー形式(参加者は各自弁当を食べながら聴講)
連絡先:本山直樹(携帯090-2645-8512 E-mail: motoyama335@aol.com

2014年2月12日水曜日

東京湾に向かって右岸の江戸川堤防(東京都葛飾区側)を2時間半くらい歩いたり走ったりして運動してきました。葛飾橋に平行して建設している東京外環の延伸工事は、もう少しで松戸側と東京の金町側がつながるところまで進みました。途中、柴又(しばまた)の帝釈天(たいしゃくてん)にも久し振りに寄ってみましたら、本堂の前の松の巨木の周りに足場を組んで3~4人の職人さんが剪定(せんてい)をしていました。
帝釈天に下りる辺りの堤防の斜面には芝桜の看板が立っていて、小さな花もいくつか咲いていました。春になって斜面全体が花におおわれるのが楽しみです。






2014年2月11日火曜日

このところまた運動不足気味なので、時間がもったいなかったのですが思い切って水元公園を2時間半くらい歩いたり走ったりしてきました。
雪がまだ融けずに残っていて、誰かが作った可愛らしい雪だるまが並んでいました。こんな寒い日に釣り糸を垂れている人や、野鳥が目に入りました。
運動が終わってシャワーを浴びると心身ともにリフレッシュして元気になります。






2014年2月10日月曜日

平砂浦に松を植えた古老の一人Yさんは、今朝8時半に地域の小学校の先生と生徒たちが訪ねてきて、一緒に松林を見学することになっていましたので、松くい虫で枯れる前の松林の美しい写真と枯れた後の悲惨な写真をそれに間に合うように届けるつもりでした。朝5時50分に松戸を車で出発したのですが、京葉道路は雪で閉鎖されていたために一般道を使わざるを得ませんでした。ところどころまだ雪がシャーペット状に残っていて、酷い渋滞に巻き込まれて、結局Yさん家に着いたのは10時半頃になってしまいました。今日の現地見学と教室での授業には間に合いませんでしたが、Yさんにもう一度学校に行って子供たちに見せたいので写真を貸してほしいと言われたので、喜んで置いてきました。

海岸に行ってみたら、2月23日の植樹祭で植樹できるように準備をしていました。マツの他に、潮風害に比較的強い広葉樹のマサキ、グミ、トベラなどの苗木も混ぜて植えるようです。昨年植樹した区画を見てみたら、マツの苗木はほとんど(90%以上)枯れてしまっていました。マツノザイセンチュウによるものか、何か他の原因があるのか解明しないと、今年もせっかく植えてもまたほとんど枯れてしまう可能性があります。

館山は松戸や千葉市あたりに比べると少し暖かいらしく、道路や畑の雪はほとんで融けてしまっていました。小さなミカンと大きなミカンの黄色い色が鮮やかでした。