2016年3月31日木曜日

少し風邪気味なのか、喉がいがらっぽくて、咳が止まらなくなり、熱はないのですが体の節々が痛く力が入らなくなりました。
ブラジル在住の80才の姉から突然電話があり、4月3日(日)に成田空港に着くという連絡でした。姉の訪日は多分20年ぶりぐらいです。2年ぐらい前にブラジル在住の兄が80才で他界しましたので、50才の長男が親孝行で母親の体が動くうちに2週間日本に連れてくる計画を立てたようです。
私が車で空港まで迎えに行くからと伝えました。

2016年3月30日水曜日

東京都新宿区の国立感染症研究所で日本衛星動物学会東日本支部例会が開催され、2004年に代々木公園で発生して大きな問題になったデング熱と今年ブラジルで話題になったジカ熱の特集でしたので、私も聴講してきました。
一昨年(2014年)の夏に代々木公園で発生して大騒ぎをしたデング熱に国、都、区、PCO(防除業者)がどう対応したかを振り返って、今後同様の問題が起こった時のために備えるというのが趣旨の企画でした。デング熱と同様に蚊が媒介する感染症には、日本脳炎、黄熱ウィルス、チクングニア熱、西ナイル熱、ジカウィルスがあるようですが、その他にダニ類が媒介する各種ウィルスもあるようで、しかもデング熱をもたらすウィルスにも少なくとも4つの型が存在して病原性が異なるということですので、ウィルスの遺伝子に変異が起こっているのでしょう。デング熱の媒介者は日本ではヒトスジシマカ(いわゆるヤブ蚊)ですから、対策はその幼虫(ボウフラ)が発生する場所(水溜り)を作らなかったり、昆虫成長抑制剤(Insect Growth Regulatoer)を発生源の水溜りに投与したり、成虫を殺虫剤散布で防除したり、長そで・長ズボンを着用したり忌避剤を体に施用して蚊に吸血されるのを防ぐ、ということになります。
問題は世界のデング熱流行地を旅行して感染した人が帰国してヒトスジシマカに吸血されると、他のヒトが同じ蚊に吸血されることで感染が拡大する二次感染が起こり得るということです。
それを防ぐために一昨年は代々木公園を中心に、新宿中央公園、上野公園、その他で徹底的な対策がとられましたが、公園内のブルーシートで暮らしているホームレスの人たちが移動することで感染が拡大する場合も考えられ、人権問題もあって行政機関も対応が難しい場面もあるようです。
殺虫剤の散布や昆虫成長抑制剤の投与作業は、行政機関だけでやる場合と、PCOに委託してやってもらう場合と、共同でやる場合があるようですが、その連携にも問題があったようです。
昨年(2015年)は幸いデング熱の発生は報告がなかったようですが、海外旅行者が多い現状から、将来大規模発生が起こった時に対応できるように、防疫用薬剤をストックしておくべきとの提案もありました。もっともな提案ですが、防疫用薬剤の有効期間は通常3年間ということですので、3年に1回は新しい薬剤と置き換えなければならないということについて国民の理解が得られるかという問題もあるようです。しかし、流行してから農薬メーカーに製造を要請しても、対応するのには約8ケ月かかるということですから、流行を抑えるのに間に合わないというジレンマもあります。

実際の成虫防除で散布された薬剤は、谷川 力氏によると千葉市の場合は合成ピレスロイド剤のETF水性乳剤(エトフェンプロクス7%)の50倍希釈液を500mℓ/m2、とスミスリン水性乳剤(フェノトリン10%)の50倍希釈液を50mℓ/m2、と炭酸ガス製剤(フェノトリン1%)を1g/m2だったようです。各自治体へのアンケート調査を行った皆川恵子氏によると、その他に有機リン殺虫剤も使われたようです。幼虫防除についてはやはり皆川恵子氏によると、3種類のIGRの他に、有機リン剤、合成ピレスロイド剤、ネオニコチノイド剤、BT剤が使われたようです。
散布作業は当時テレビでよく代々木公園で霧状の散布液を散布している光景が報道されましたが、作業者にとってはビデオカメラで追いかけ回す報道陣に囲まれて作業をするのは相当なストレスになったようです。あれだけ通行人や住宅地・オフィスに接近した東京の真ん中で連日のように大規模な殺虫剤散布をしていたにもかかわらず、いつもだったら大騒ぎをする筈の反農薬活動家グループの反対の声が聞こえなかったのは不思議な気がしました。実際には散布している殺虫剤について質問状が届いたそうですが、何故これらの殺虫剤を選んだかをきちんと説明したら、それ以上の妨害行為はなかったとのことでした。松くい虫防除や農業現場での殺虫剤散布と違って、今回はデング熱を媒介する蚊を防除して感染症の流行を抑えるという意味で受益者がはっきりしていたので、反対をしたら国民に袋叩きにされかねないという配慮が働いたのでしょうか。









 




 


 






2016年3月29日火曜日

千葉大学空手部の同期の仲間5人が柏駅で午後3時に待ち合わせ、2台の車に分乗して布施弁天東海寺と隣りのあけぼの山公園に行きました。私以外は工学部の出身ですが、一人は心臓からでている血管の一部が細くなっているらしく、杖を使ってヨロヨロ歩いていました。もう一人は脊柱管狭窄症で、ほとんど歩けず、もう一人もどこか具合が悪いとのことでした。大学を卒業してちょうど50年経った私たちの年齢になると、体のあちこちにガタがくるようです。
皆それなりに病気を治療したり健康管理をしているようでしたが、どうも私が一番健康と体力を維持しているようでした。

この辺りは私が現職だった時によく調査で車で通ったところで、布施弁天の看板が立っているのはいつも見ていましたが、実際に訪ねるのは初めてでした。案内板を読むと日本の3大弁財天の一つとのことでずい分由緒のあるお寺のようですが、本堂も三重塔も見事ではありますが、私にとっては鐘楼の建築様式が一番珍しく思えました。通常、お寺の鐘は4本の柱で支えられた屋根の下にありますが、ここの鐘は屋根の下の円形の建物の中に納められ、それはその下の8角形の石の土台で支えられていました。本堂は享保2年(1717年)、鐘楼は文化15年(1818年)に建立されたとのことです。そんな300年や200年も昔によくこんな精密なかつ芸術的な建物ができたものだと感心してしまいます。

しばらく散策してから柏の駅前の居酒屋に移り、一杯飲みながらお互いの近況を報告し合いました。そのうちにカラオケが始まりましたので、カラオケの苦手な私は退席して家に帰りました。
今回の同期会は柏在住のK君が企画してくれましたが、次回は牛久在住のI君が牛久大仏の見学も兼ねて7~8月頃に牛久で集まるように企画してくれるとのことでした。私は今年は7月にはノースカロライナ州に出かける予定ですので、うまく日程が重ならなければいいのですが。










2016年3月28日月曜日

清水駅には予定通り午前10時24分に着き、先に着いて待っていた樹木医のA氏と一緒にレンタカー店に行きました。昨夜ネットで駅周辺のレンタカー店を検索して予約しようとしたのですが、直前なのでほとんどどこも車が残っていなくて、「イツモレンタカー」清水駅前店というところだけが、私たちの希望の軽かコンパクトの車が少し残っているという情報でした。駅から徒歩10分くらいのところでしたが、驚いたことにガソリンスタンドが主業でそこに併設されていました。軽自動車を24時間借りても3200円程度で、どうしてそんなに安いのかと訊いてみたら、ガソリンスタンドと併設しているので新たな場所の確保が必要ないし、中古車を使っているからだとのことでした。カーナビが付いていないのがちょっと不便でしたが、清水区役所と三保の松原に行くだけの私たちの目的には十分でした。

清水区役所では、三保の松原の管理を所管している静岡市経済局農林水産部治山林道課の主幹二人が待っていてくれました。前からの顔なじみで、私たちの調査結果も送ってありましたので、平成27年(2015年)度の松枯れ状況の詳細な資料を準備しておいてくれました。三保の松原は富士山とセットで世界遺産に登録されているだけあって、実に細かに調査がされて、保全のための対策がとられていました。
平成26年(2014年)度は伐倒木数は209本だったのが、平成27年(2015年)度は227本と18本増加していましたが、その内訳は薬剤散布区の現年枯れが72本から90本に増加したことによるものでした。これが何故枯れたかは、潜在感染木(年越し枯れ)だった可能性もありますし、1本1本当該木を調べてみないと何とも言えません。

3代目の羽衣の松は、株元の周囲(根が展開している範囲)の土壌改良目的で、水圧穿孔作業をしていました。元々砂地の筈ですが、岩盤みたいな水や空気の通過を妨害している土相を除去することで根を活性化しようという作業のようです。
私たちが昨年も調査をした真崎灯台の横の三保グランドゴルフ場の周囲のマツは、その後(昨年9月以降)さらに何本か枯れて伐倒されていました。
私は根株と根株の間に電気が流れるかどうか持参したテスターで抵抗を測定し、樹木医のA氏はマツノザイセンチュウが寄生しているかどうかDNA診断をするために材片を採取しました。
結果がでるには少し時間がかかりますが、すでに静岡市(静岡県?)の検討委員会で実施しているいろいろな調査結果と合わせることで、三保の松原の貴重なマツの保全に役立つことを期待しています。三保グランドゴルフ場周囲の大半のマツには殺線虫剤の樹幹注入施工(平成28年3月3日)済のラベルが貼付されていましたので、今年の秋にこれらのマツが枯れるかどうかで感染経路について判断する追加の情報が得られる筈です。
天気予報が外れて雨が降らなかったことも味方して、収穫の多い日帰り調査旅行でした。













2016年3月27日日曜日

天気予報が外れて雨は降りませんでしたので、昼休みに江戸川堤防や流水路(ふれあい松戸川)沿いを2時間20分ウォーキング/ジョギングをして運動してきました。
水門の近くではレンギョウの黄色い花が満開で、水門のゴム製仕切りパイプの上ではミシシッピアカミミガメ(幼体はミドリガメ)と思われるカメが甲羅干しをしていましたが、その中の1頭だけは甲羅の色が茶色でしたので、変異型なのかもしれません。
枯れた葦原の中でケン・ケーンというキジの独特の鳴き声がしましたが、姿は見えませんでした。ホーホケキョと鳴くウグイスの声も聞こえましたが、用心深いのか私の気配を感じてすぐ飛び去ってしまいました。可愛らし声で鳴くシジュウカラもいました。

先日島根県出雲市の市役所に寄って入手した、2008年の有人ヘリによるスミパインMC散布が中止に追い込まれた以降の松くい虫被害本数の情報を整理してみました。散布を中止して5年後の2013年時点で、約220万本あったマツの被害率は73%に達しています。先日現地を回って視察した感じでは、現在の被害率は恐らく90%を超えていて、生き残っているマツは散布中止前の10%以下ではないかと思われます。
2013年度に実施された被害木伐採跡地への植栽事業は、4.85haで24,990,000円すなわち約2,500万円かかっています。事業費負担は国が1/2の12,495,000円、県が2/10の4,998,000円、その他(多分出雲市?)が3/10の7,497,000円となっています。国の原資は国民が払う税金ですから、反農薬活動家グループの無責任な政治的活動の結果もたらされた損害の大きさに腹立たしさを感じます。

2008年の松林面積は1,361.94haでしたから、その73%は994.22haになり、それだけの面積の被害木を伐採して抵抗性アカマツと広葉樹の苗を植栽する事業費は、5,124,640,367円すなわち約51億円という試算になりました。そんな財源はどこにもありませんから、防除を中止したことで松くい虫被害で失われた松林を回復することはもはや不可能ということになります。
全国各地に現存する松林がこれ以上こういう悲惨な状況にならないように、私たちは科学的な事実を社会にきちんと発言していかなければならないのだと思います。

明日は樹木医のA氏と一緒に静岡県の三保の松原の松枯れの調査に出かけます。東京から静岡までは新幹線で行って、清水駅前でレンタカーを借りる予定です。最近伐採された根株とその周辺の根株の間に根系癒合が存在するかどうかを電気的に判定できないか、試験をする予定です。天気予報は曇りのち雨のようですが、雨でもやるつもりです。