2017年2月28日火曜日

今日も一歩も外に出ずに、一日中机に向かって農薬学会大会での講演で使うスライドと講演テキストの準備をし、やっとできました。
明日の朝もう一度見直して修正をしてから共著者(共同発表者)に送って、訂正・加筆をしてもらうつもりです。スライド枚数は19枚でちょっと多過ぎますが、写真が多いので発表時間内に終わる筈です。


 

 




2017年2月27日月曜日

農薬学会大会で愛媛に出かける3月5日まで日数が詰まってきましたので、今日は運動に出かけるのは我慢して、講演で使うスライドの準備をしました。

2017年2月26日日曜日

NPO法人樹の生命を守る会の平成28年度樹木医技術発表会は、千葉市の千葉県庁のすぐ側のホテルプラザ菜の花の大会議室で開催されました。私も参加の申し込みをしてありましたので、電車でJR本千葉駅まで行って、聴講しました。
3題の発表がありました。
1. 「樹木医活動を顧みた今後の方向性」永野 修氏
2. 「県立青葉の森公園ヒトツバタゴの樹勢回復について」柏崎智和氏
3. 「甚兵衛の森における松枯れ被害報告と、老松を保護するための課題」吉岡賢人氏

私はこの会に参加するのは初めてでしたが、永野氏は何と私と同窓で、千葉大学園芸学部の卒業生で3年先輩でした。農芸化学科を卒業後三共株式会社に入社し、定年退職してから日本樹木医会に登録し、平成17年から北総ガーデンサービスという会社を起業して79才の今日までまだ現役で、庭園管理や病害虫防除、芝生の雑草防除などの他に、ボランティアとしてあちこちで依頼される衰弱した樹木の診断と治療をしているということでした。実際に樹勢回復に成功した事例の紹介をするとともに、人生観についても話をしました。
柏崎氏は、県立青葉の森公園(国の畜産試験場跡地)に平成3年に苗木で植栽されたヒトツバタゴという白い花の咲く樹木が、平成23~24年頃に最盛期を迎え、その後着花量も減少して衰退傾向がみられるということから、公園管理事務所の依頼で実施している衰退原因の診断調査と樹勢回復作業について報告しました。どこでもそうですが、市民に公開している公園では、訪問者が多い程長年の間に土が踏み固められて根が伸長ができなくなるという現象は一般によく見られる現象のようです。ヒトツバタゴは水平根が多いらしく、ここでは樹の周りをドーナツ状に約50cmの深さ掘り起こして土壌改良と発根促進作用のあるホルモン剤の施用で樹勢回復効果を試行しているとのことでした。

吉岡氏は千葉大学園芸学部緑地環境学科の卒業生で、成田市で造園業の3代目をやっていて、私も参加させてもらっている甚兵衛の森を守る会の中心メンバ-です。千葉県樹木医会では一番若手の新進気鋭の樹木医の筈です。
甚兵衛の森の歴史、林相、殺虫剤散布によるマツノマダラカミキリ成虫の防除と殺線虫剤の樹幹注入をやっているにもかかわらず、12本あった老松が最近少しずつ枯れ始めて現在8本残っているという実態と、枯死木の根系調査でクロカミキリ幼虫の大量寄生を発見したことなどを紹介しました。
「甚兵衛」という名前の由来は、1652年(江戸時代の承応元年)にお米の不作で苦しむ農民のために佐倉惣五郎(本名は木内惣五郎)という人が年貢の軽減を4代将軍家綱に直訴した時に、甚兵衛の渡し船で印旛沼を渡った場所からきているとのことですが、直訴が聞き遂げられて年貢は軽減されたものの惣五郎は磔(はりつけ)、妻と4人の男子は斬首の刑に処せられたとのことです。
http://rekishi-club.com/kijin/sakura.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%80%89%E6%83%A3%E4%BA%94%E9%83%8E

吉岡氏らのグループは、防除作業を受注した地元の造園会社が殺虫剤(スミパイン乳剤)を地上から散布した後で、高所作業者に乗ってマツの樹冠部の枝先を採取してマツノマダラカミキリ成虫に摂食(後食)させて、薬剤付着量にむらがあることを確認しただけでなく、殺線虫剤の樹幹注入後にマツの高さ別に枝先を採取して殺線虫剤の濃度分析をして、やはり大きな振れがあって必要な濃度が得られていない枝もあることを明らかにしています。

吉岡氏は甚兵衛の森で2015年に枯死して伐採した老松の直径約1mの幹の輪切りを見本に持参して展示しましたが、年輪を正確に数えると樹齢268年となりますので、2017年から270年を引くと1747年(江戸時代中期の延享4年)に植えられたマツということになりますので、佐倉惣五郎が直訴し処刑されてから約100年後ということになります。
由緒ある老松を松くい虫被害から何とか守って、次の世代に残せればいいなと期待しています。
輪切りの断面には、殺線虫剤の樹幹注入孔の周りが巻き込みで塞がれているものの、腐朽菌やシロアリの侵入による形成層障害と思われる痕跡も見られます。









 




2017年2月25日土曜日

先日、妻の誕生日祝いにプレゼントした鉢植えの花(サイネリアとゼラニウム)は、青色と桃色が鮮やかですが、今度は鉢から虫が2匹でてきたと文句を言われました。実際にどんな虫だったのか私は見ていませんが、多分アブラムシぐらいでしょうから、ネオニコチノイド剤の粒剤を株元にパラパラと撒いておくと浸透移行性があるので簡単に防除できる筈です。近くの園芸資材店で買ってこようかと言ったら、要らないと言われました。
文句を言いながらも、鉢を出窓の陽当たりのいいところに置いて、毎日乾燥具合をチェックして水をやったりしています。

昨日は運動ができなかったので、今日は江戸川堤防を上流に向かって4時間ウォーキング/ジョギングしてきました。松戸側では、下流は葛飾橋を越えて矢切辺りに行くと広々とした農耕地がありますが、上流は上葛飾橋を越えて古ヶ崎辺りに行くと少しだけ農耕地が残っていて、さらに上流の主水(もんど)新田の辺りまで行くと広々とした農耕地があります。
堤防下のまこも池では魚釣りをしている人たちがたくさんいて、こんなに接近して釣り糸を垂れていると魚の方も賢くなってそんなに簡単には釣られなくなるだろうなと思いました。
農耕地の中の道沿いに主水新田稲荷神社があり、りっぱなお狐様が2体置いてありました。庚申塔がいくつか立っていますが、彫った字が読めるものを見たら、1つには元禄16年(1703年)、もう1つには享保元年(1716年)と読めましたので、今から300年以上も前に建てられたもののようです。
そろそろ春の植え付けの準備か、トラクターを動かしている農家の姿が見えました。

堤防上に大きくL23という字が描いてあったので何だろうと思いました。よく見たら、すぐ近くに海から23.0Kmという標識が立っていましたので、もしかしたら航空写真を撮って地形を測量する目印かなと想像しました。

















2017年2月24日金曜日

九十九里浜の松くい虫被害で枯れた後に植樹したマツ苗の状態を視察しようと思って自宅を朝8時頃出発しました。途中で、昔千葉大学勤務時代に農薬の生態影響を何年間にもわたって調査した大網白里市砂田(いさごだ)の谷津田に寄って見ました。確か萱場(かやば)という地名だったと思いますが、途中通る早場米の産地ではすでに水田はきれいに耕転されて、水を入れれば田植えができる状態になっていました。場所によっては麦(私には小麦か大麦か区別がつきませんが)が植えてある水田もありました。
驚いたことに砂田の八幡(はちまん)神社の鳥居の横の集落は、空き家が何軒もありました。農家が高齢化して、後継者が町でサラリーマンになって、江戸時代から何世代も続いてきた山裾の屋敷が放置されてしまったのでしょう。私がもっと若くて元気がいい年齢だったら、別宅として借りて住みたいような屋敷です。荒れ放題になって朽ちていくのは残念です。

ちょっと前に松戸駅のホームの待合室で見た外房に面した勝浦市のひな祭りのパンフレットを思い出して、九十九里浜に行くのは中止して、勝浦市に行きました。カーナビで調べたら、大網白里市から勝浦市まで僅か1時間程度の距離でした。
車を少し離れた場所に置いて、徒歩で覺翁(かくおう)寺の山門前の雛壇を見ました。そこから少し離れた遠見岬(とみさき)神社の石段に飾られた何千体ものお雛様を見に行きました。ひな祭り期間は2月24日~3月5日で、今日は初日でウィークデイでしたが、それでも多くの人が見に来ていました。
いずれも見事な雛飾りで楽しみましたが、夜はどうやって盗難対策をするのかとか、雨が降ったらどうするのだろうかとちょっと気になりました。

車で岬に上ったら、勝浦漁港や八幡岬の断崖絶壁に打ち寄せる太平洋の白波が見えました。
大勢のサーファーたちが海の中でサーフボードを抱いて大波が来るのを待っていました。うまく波に乗ってサーフボードの上に立って岸まで行くと、また腹這いになって手で漕いで海の中に行って波を待つことを繰り返していました。ウィークデイの昼の時間にこんなことをしているのはどんな人たち(学生か?)だろうと想像をしましたが、こんな遊びに夢中になれるのは若者だからかもしれないと思いました。

房総半島の自然を堪能して自宅に着いたのは夕方の6時頃でした。