昨日は飛行機をRaleigh-Washington DC-San Francisco-Eugene と乗り継いで、夕方オレゴン州のEugene 空港に到着しました。故Dauterman 先生の奥様の住んでいるRoseburg というところは、空港から100Km くらい離れた人口22,000人の小さな田舎の町です。奥様と長男のWalter Jr 君が迎えに来てくれていて、途中小高い丘の上にあるKing Estate Winery というレストランに寄って夕食をしました。全面積1100エーカーという広大な農場の約半分(470エーカー=約190ha)がぶどう畑で、日本のように水平の棚ではなく、管理作業がし易いように垂直の垣根型に仕立てたぶどう畑が見渡す限り広がっていました。ここで収穫したぶどうから作ったぶどう酒をアメリカ全土だけでなく、外国にも輸出しているとのことでした。寒くて手がかじかむくらいだったので、暖炉の赤い火が燃えているしゃれた部屋でワインを飲みながら食事をして外に出て、空を見上げたら満天の星空で、まるで星が降ってくるという表現がピッタリのような無数の星が輝いていました。こういう自然の雄大さに接すると、人間と人間のつながりの暖かさがよりありがたく感じられます。
夜遅く奥様の家に到着して、ベッドで寝ていたら夜中に日本のテレビ朝日と日本テレビから携帯に計4回電話がありました。市橋君がリンゼイさんのご両親宛に書いた手紙が弁護団から公表されたことに関する電話取材でした。私自身は、リンゼイさんのご両親の代理人から受け取りを拒否されたことは知っていましたが、手紙の内容を見ていないのでちょっと戸惑いましたが、日本テレビの方が一部読んでくれたので何が書かれていたのかが正確にわかりました。その後、支援者の方々からも連絡が届きました。イギリスの新聞The Times 社の東京支局長が取材に来た時に、イギリスの新聞に手紙の内容が掲載されれば、リンゼイさんのご両親にも見てもらえる可能性があるので、代理人には受け取りを拒否されたけれども、市橋君の反省と謝罪の気持を間接的にご両親に伝えられるのではないか、という話になりました。その結果、弁護団が手紙をThe Times社の東京支局長に見せ、それがイギリスの新聞に掲載され、それが日本のメディアにも伝わり、弁護団が公表するに至ったというのが経緯です。
手紙の内容は、まさに市橋君が自分が犯した罪の重大性を認め、心から反省し、リンゼイさんのご両親に精一杯の言葉で謝罪を伝えようとしています。ご両親にすなおに気持を受け取ってもらえなかったのは残念ですが、元教師としては、やはり私の知っている市橋君らしく、よくそういう気持になってくれたと嬉しく思いました。命のある限りこの十字架を背負い続けなければならない、ということを市橋君自身がしっかり自覚していることが読み取れますので、生きることが許されるなら更生の可能性は十分あると感じました。
今朝はこちらは秋晴れの最高の天候でしたが、Walter Jr が運転する車に乗って奥様と私と3人で138号という山道を登って、山の頂上にあるCrater Lake という国立公園に指定されている湖に行きました。7千年くらい前の火山の噴火でできた噴火口に水が貯まってできた湖ですが、透明度が世界で1、2位という真っ青な水の色をしていました。噴火口の褐色の斜面と真っ青な水の色のコントラストが何とも言えず美しく、神秘的でした。すそ野の方には火山灰が何mも堆積しているらしく、いまだに木が生えない砂漠のような大地が広がっていて異様な景色でした。
夕方Roseburg の町に戻ってきて、故Dauterman 先生の次男John 君の家でご馳走になりました。John 君はノースカロライナ州にある名門のDuke University の医学部卒の医師で、近くの病院で病理科の専門医として勤務しています。今は専業主婦をしている美人の奥さんと3人の息子(9才、7才、2才)と暮らしています。息子たちが昆虫採集に夢中だというので、千葉大の応用昆虫学研究室専攻の学生に作ってもらった日本の昆虫の標本をお土産にあげたら、大喜びしていました。
明日は朝5時半に家を出発して、Eugene-San Francisco-Los Angeles と乗り継いで、カリフォルニア州のSanta Monica に住んでいる娘のところに向かいます。