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今回、大震災を目の当たりにし、「寄り添う心」の大切さと、「支援を行う」ということは、感情的なボランティア思考では長くは続かないこと。冷静な意識と視点でなければ、「長期の寄り添い」はできない・・・ということを学びました。今後も、当たり前のこと「市橋達也さんが適正な裁判を受けられるための支援」を、当たり前のこととして、実践し続けます。
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つい先日は、数年前に私の研究室を専攻して修士課程を修了した元学生から突然のメールの便りで、実は同じ時期に私の研究室に在籍していた元女子学生と結婚して第一子が誕生したとの知らせがありました。鈍感な私が気がつかない間にそんな関係にまで発展していたのかと驚くとともに、嬉しい気持ちになりました。昨日はまた、私の研究室に長年在籍して数年前に博士課程を修了した元学生からのメールで、この3月に結婚しましたとの知らせが届きました。妻もよく知っている元学生ですので、一緒に大喜びしました。私がアメリカでの永久滞在ビザの申請に失敗して日本に帰国し、千葉大学に奉職したのは1978年で約33年前ですから、最初の頃に大学院生だった元学生はもう子供が成長して定年の時期に近づいていますし、今回の便りのように新たに結婚したり第一子が誕生したりする元学生もいます。
元教師にとっては、学生時代という人生のある時期を指導した元学生が、各々の道を歩んで成長していく姿を見ることは何よりの喜びです。
先週、経堂駅からの通称農大通りを歩いていたら、切り倒したアカマツの巨木(3月4日の記事に写真添付)の根をユンボで掘り起こしていました。さらに小さく切断するのにチェーンソーの歯が届かずに苦労していました。あんまり立派な根なので立ち止まってざっと年輪を数えてみたら、不正確ですが113以上はありました。ということは1898年(明治31年)以前に生えた木だったということになります。どおりで威厳が感じられたわけです。当時はこの辺りは人家もまばらな山林だったのかもしれません。