昨日と今日は終日、千葉大学を定年退職時に研究室から大量の本や、40年分の実験ノートや研究資料や書類や手紙類を移して保管してきた3つの貸倉庫の中の2つの整理をしました。もう必要がないだろうという判断で、学会誌も、書類・手紙類も、日本に帰ってきてからあちこちで野外調査(農薬の生態影響)をした時の記録帳も、長年収集してきた研究用の資料も、アメリカのノースカロライナ州立大学勤務時代の英語で書いた10何冊かの実験ノートも全部廃棄しました。ざっと目を通しながら捨てるものを決めましたが、実験ノートからはそれぞれの実験をしている時の苦労や喜びや興奮が甦ってきました。
ちょうど今、福島県の原子力発電所の事故で放射能汚染が注目を集めていますが、1970年頃に実験室のドラフトの中で放射性同位元素P32を使って標識した殺虫剤の合成をしている時に失敗をして、実験室中を汚染してしまい、しばらくの間実験室が閉鎖されたことを思い出しました。向こうの大学では放射能の検査員が週に1回研究室に廻ってきて、実験台の上や流しや床などの汚染検査をしてくれ、汚染が見つかれば除染もしてくれていました。その時は、白衣だけでなく、上着もズボンも財布も腕時計も靴もその靴で歩いた足跡も汚染していることがわかったのでジャンプスーツ(つなぎ)と代わりの履物を与えられ、今日はこれを着用して帰宅するようにと言われました。風船も膨らませて、呼気に放射能が含まれていないかも検査されました。P32は強いエネルギーの放射線を出しますが半減期が短いので、確か2~3ケ月後に実験室を再開し衣類も返してもらいました。その後、もう一度合成をやり直して今度はうまくいって、それを使ってカブリダニという微小生物の殺虫剤抵抗性はグルタチオンS-トランスフェラーゼ(GST)と呼ばれる酵素による解毒が主要機構であるということを、解明できました。GSTが殺虫剤抵抗性に関与していることを明確に示したのは当時では世界で初めてのことでした。今日はそういう想い出の詰まった実験ノートを全部捨てました。家が狭くて保管する場所がないので、やむを得ません。
私より10才年長だった恩師のW.C.Dauterman 教授が63才で亡くなってからすでに15年という時間が流れましたので、私もそろそろ引退する時期かもしれません。