アメリカの空手の弟子/友人のJohn君の奥さんMaureenさんから以下のメールが届きました。John君が1月1日午前6時15分に亡くなったとのこと。
Naoki,
I'm sorry to send you sad news, but John passed away on January 1, 2011 at 6:15 AM.
He really appreciated all your efforts to locate his mother's family and was so happy to see the photos of Nagoya. If you happen to find out any additional information on his mother's family, please let me know.
Once again, thank you for everything you've done for us, and I hope to see you next time you visit Raleigh.
Maureen
Johnはあなたが彼のお母さんの家族を見つけようとしてくれたことに感謝し、お母さんが住んでいた名古屋の写真を見て大変喜んでいました。もしお母さんの家族についてさらに何かわかったら知らせて下さい。私達のためにしてくれた全てのことに感謝します。次回ローリー市に来る時はお会いしたいと思います。
昨年10月に私が会った時のJohn君は、前立腺がんの抗がん剤治療を受けていて頭髪も眉毛も1本もなくなっていましたが、自宅で療養しながら空手の型を練習し、型の部の試合にも出場したりしていました。闘病中の彼にとっては、それが精神的に病気に負けない方法であり、生き甲斐だったのでしょう。私が1969年にアメリカで種を播いた Gensei Dojo of Japanese Martial Arts を引き継いでくれた弟子達のために、1983年にローリー市を訪問した時に収録した空手の型のDVDのコピーを、昨年12月15日に国際宅急便で送ってあげたら、夫妻で一緒に映像を再生して、これは自分たちの宝物だと言って喜んでくれました。その時の電話の声は元気で力強く聞こえたのに、あれから2週間足らずで亡くなるとは、すでにがんは転移して相当悪かったのでしょう。
John君が生きているうちに日本の親戚を見つけてあげられれば、日米の間でメールのやりとりやお互いの訪問ができるようになることを密かに期待していたのですが、間に合わなくて残念です。夫妻には子供がいないので、これからMaureenさんは寂しさを克服して生きていかなければなりません。遠くて葬式には参列できませんので、現地在住の別の空手の弟子に私の名前でお花を届けるように依頼しました。
2011年1月4日火曜日
2011年1月3日月曜日
支援者のお一人からメールで年賀のご挨拶をいただきました。「市橋さんはどんな思いで2011年をむかえられたんでしょうか。今年はとても大変な年になると思うので、体には十分気をつけてもらいたいと思います。本山先生のブログはいつも楽しみに拝見させてもらっています。本山先生や支援をされている皆さんの市橋さんへの思いを読んでいると、人に対する思いやりや優しさを改めて感じさせられます。お忙しい中ブログの更新も大変でしょうが先生のブログ楽しみに待ってます。」
ありがとうございました。ほとんどの支援者の皆さまとは、直接お目にかかったこともお話をしたこともありませんので、このブログでは私自身を知っていただくために、時々脱線して、私の日常生活のことも書くようにしています。
箱根駅伝の復路もドラマの連続で、今日も手に汗を握って観戦しました。私にとって特に印象に残った場面は、最初の6区の山下りの区間で早稲田大の高野寛基選手が、途中滑って転倒しながらも、先行していた東洋大の選手を追いかけ、追い抜いて再び早稲田大を一位に戻したことと、最後の10区で必死に追いかけてくる東洋大の山本憲二選手に対して、早稲田大の中島賢士選手が歯を食いしばって逃げ切り100mくらいの差で一位でゴールインしたことでした。1年間をかけてトレーニングをしてきて、全てを出しきって走った両チームとも優勝に値すると思います。
東京農大は途中8位に立つこともありましたが、最終的には14位でしたので、昨年の5位からは大幅にダウンした成績でした。これでシード権を失いましたので、来年は予選会から勝ちあがってこなければなりません。それでも、とにかく箱根駅伝に出場し、最後までタスキをつないで14位になっただけでもたいしたものなので、今年走った選手たちには胸を張って帰ってきてもらいたいと思います。
駅伝に元気をもらって、私は今日も江戸川堤防に走りに行きました。1時間くらいの間に20人くらいの走っている人に出会いました。
ありがとうございました。ほとんどの支援者の皆さまとは、直接お目にかかったこともお話をしたこともありませんので、このブログでは私自身を知っていただくために、時々脱線して、私の日常生活のことも書くようにしています。
箱根駅伝の復路もドラマの連続で、今日も手に汗を握って観戦しました。私にとって特に印象に残った場面は、最初の6区の山下りの区間で早稲田大の高野寛基選手が、途中滑って転倒しながらも、先行していた東洋大の選手を追いかけ、追い抜いて再び早稲田大を一位に戻したことと、最後の10区で必死に追いかけてくる東洋大の山本憲二選手に対して、早稲田大の中島賢士選手が歯を食いしばって逃げ切り100mくらいの差で一位でゴールインしたことでした。1年間をかけてトレーニングをしてきて、全てを出しきって走った両チームとも優勝に値すると思います。
東京農大は途中8位に立つこともありましたが、最終的には14位でしたので、昨年の5位からは大幅にダウンした成績でした。これでシード権を失いましたので、来年は予選会から勝ちあがってこなければなりません。それでも、とにかく箱根駅伝に出場し、最後までタスキをつないで14位になっただけでもたいしたものなので、今年走った選手たちには胸を張って帰ってきてもらいたいと思います。
駅伝に元気をもらって、私は今日も江戸川堤防に走りに行きました。1時間くらいの間に20人くらいの走っている人に出会いました。
2011年1月2日日曜日
支援者の皆さま、明けましておめでとうございます。市橋君が適正な裁判が受けられるように、今年も引き続きよろしくご支援のほどをお願い致します。刑務所の中の市橋君は、少しはお正月らしい料理がでたのでしょうか。
今年の元旦は何十年振りかで新宿の末廣亭という寄席に行って、妻と楽しい半日を過ごしました。
今日はテレビで恒例の箱根駅伝を観て、東洋大の柏原竜二選手が山登りの5区でそれまで圧倒的に1位を保ってはるかに先行していた早稲田大の選手についに追いついて、追い抜いて往路1位になったことと、東京農大が往路11位になったのを確認後、私も近所の江戸川堤防に行って初走りをしてきました。一昨年、昨年もそうでしたが、登りの厳しい5区の山道で柏原選手が何分も先行して走っている選手たちを、顔をゆがめて歯を食いしばって一人また一人と追い抜いていく姿には感動しました。いつもそうですが、箱根駅伝を観ると、カンフル剤を注射されたように元気がでてきて、ようし私も走るぞという気になります。
江戸川堤防では天気にも恵まれて、家族連れで散歩をしたり、赤ちゃんを乗せた乳母車を押している夫婦がいたり、自転車に乗ったり、犬の散歩をしたり、子供と凧あげをしたり、人それぞれに戸外の空気と景色を楽しんでいました。私と同じように正月早々からジョギングをしている人にも最低15~16人は出会いました。
私が子供の頃(60年くらい前)のお正月の遊びの定番は、「凧(たこ)あげ」、「こま回し」、羽子板での「羽根つき」、「竹馬(たけうま)乗り」、「カルタ取り」などでしたが、この頃は「凧あげ」くらいしか見なくなりました。そういえば、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」や「缶けり」や「木登り」なども見なくなりましたので、子供の遊びも変わってきたのでしょう。都会では、そういう遊びができる安全な路地や、登れる木や、走り回れる野原がなくなってきた影響でしょうか。本当は体と頭を使うこういう遊びで、子供達は身のこなしを覚えたり、体力や感覚が鍛えられ、他の子供との付き合い方も自然に身についていたのかもしれません。ネット中毒や、テレビゲームに熱中している若者や、電車の中で電子ゲーム機をピコピコやっている大人を見ると、一部の感覚は発達しても、トータルな人間としては退化しているのではないかと思ってしまいます。
今年の元旦は何十年振りかで新宿の末廣亭という寄席に行って、妻と楽しい半日を過ごしました。
今日はテレビで恒例の箱根駅伝を観て、東洋大の柏原竜二選手が山登りの5区でそれまで圧倒的に1位を保ってはるかに先行していた早稲田大の選手についに追いついて、追い抜いて往路1位になったことと、東京農大が往路11位になったのを確認後、私も近所の江戸川堤防に行って初走りをしてきました。一昨年、昨年もそうでしたが、登りの厳しい5区の山道で柏原選手が何分も先行して走っている選手たちを、顔をゆがめて歯を食いしばって一人また一人と追い抜いていく姿には感動しました。いつもそうですが、箱根駅伝を観ると、カンフル剤を注射されたように元気がでてきて、ようし私も走るぞという気になります。
江戸川堤防では天気にも恵まれて、家族連れで散歩をしたり、赤ちゃんを乗せた乳母車を押している夫婦がいたり、自転車に乗ったり、犬の散歩をしたり、子供と凧あげをしたり、人それぞれに戸外の空気と景色を楽しんでいました。私と同じように正月早々からジョギングをしている人にも最低15~16人は出会いました。
私が子供の頃(60年くらい前)のお正月の遊びの定番は、「凧(たこ)あげ」、「こま回し」、羽子板での「羽根つき」、「竹馬(たけうま)乗り」、「カルタ取り」などでしたが、この頃は「凧あげ」くらいしか見なくなりました。そういえば、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」や「缶けり」や「木登り」なども見なくなりましたので、子供の遊びも変わってきたのでしょう。都会では、そういう遊びができる安全な路地や、登れる木や、走り回れる野原がなくなってきた影響でしょうか。本当は体と頭を使うこういう遊びで、子供達は身のこなしを覚えたり、体力や感覚が鍛えられ、他の子供との付き合い方も自然に身についていたのかもしれません。ネット中毒や、テレビゲームに熱中している若者や、電車の中で電子ゲーム機をピコピコやっている大人を見ると、一部の感覚は発達しても、トータルな人間としては退化しているのではないかと思ってしまいます。
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