2023年5月6日土曜日

今日も午後からの運動のウォーキングで、園芸学部構内を通って矢切の農耕地に行きました。園芸学部構内の桜(オオカンザクラ)にはムクドリが来ていました。百周年記念ホール横のモミジバフウと大イチョウの新葉の緑色は益々濃くなり、逞しくなってきました。運動広場の角(すみ)に自生しているニセアカシアの若木の新葉は黄金色に輝いているようでした。園芸学部研究圃場のスダジイの樹冠部はこの時期は雄花序が発生していて白っぽい明るい色をしていますが、よく見ると地味な雌花序も発生しています。
近所の毎年ツバメが駐車場の内側に巣を作る家では、今年は住民が設置した網籠を巣にして親鳥の尾羽が見えましたのでそでに卵があるのかもしれません。小山を流れる坂川の新開橋の橋桁には何頭ものミシシッピアカミミガメが甲羅干しをしていました。上矢切のいつもツバメが玄関の天井に巣を作る建物では、今年はツバメが来なかったらしく巣がありませんでした。もしかしたら、日本に渡ってくる途中で猛禽類にでも襲われて日本に来れなかったのか・・。上矢切の塚田工務店の前の掲示板には新しい墨絵の作品が展示してありました。
矢切の田植えが済んだ水田にはカルガモが来ていて、飛び立って行きました。農耕地の間を流れる坂川ではオオバンが泳いでいて、大きな魚影が見えました。残念なことに岸辺にはペットボトルに加えて大きな黄色いポリタンクも漂着していました。堤防を下りてポリタンクを回収して写真を撮りましたが、農薬(除草剤)の空容器の可能性があるなと思いました。

2023年5月5日金曜日

バージニア州のアララットという田舎町の山の中に住んでいる剣道の弟子/友人のKelly Brown君(熱心なトランプ支持者)が、FacebookにAmerica 1stというペンネームの人がアップした写真を共有しました。アメリカ国旗とともに学年の違う小学生らしい子供たちが起立して胸に手を当てている姿が写っていて、「Who can remember doing this every morning?」という添え書きがしてありました。多分、昔の田舎の小学校では朝の授業が始まる前に生徒たちが全員起立して胸に手を当てて国に感謝して忠誠を誓うような儀式が行われていたのでしょう。私のアメリカ人(白人)の空手の弟子/友人だったFrank Peoples君やBill Oakley君(二人とも私より5才年少でしたがすでに亡くなってしまいました)はノースカロライナ州立大学の学生だった1969年頃、図書館で勉強した帰りに夜私の研究室によく立ち寄って一緒にコーヒーを飲みながら休憩して雑談をしましたが、高校時代には教室でアメリカ国歌が聞こえるとクラスの生徒全員が起立して国に感謝と忠誠を誓う行動をしたと話していました。当時はアメリカの学校ではそれが普通だったのでしょう。太平洋戦争(第二次世界大戦)で、日本軍もアメリカ軍もそれぞれの国のために必死で戦った筈ですが、日本は全体主義的に若者が徴兵されて無理やり戦争に駆り出されたのに対して、アメリカは個人主義的に若者が自らの国のために戦ったという印象を受けたのを覚えています。熱心なトランプ支持者のKelly君にとっては、国が分裂しているように見える現状で、こういう昔の写真は懐かしいと感じるのでしょう。ただよく見ると、教室にいるのは白人の子供たちだけで、黒人の子供は一人もいません。当時のアメリカの民主主義は白人の社会だけのことで、黒人は差別されてその中に含まれていなかったことが想像できます。
私の長姉佐紀子は私より12才年長で、つい1年ぐらい前までは渋谷の表参道に住んでいて自転車に乗って運動をしたり、ピアノのレッスンを受けたり、週1回は自宅で英語を教えたりして元気だったのですが、脳梗塞を起こして入院してからは急速にあちこちが悪くなり、4月26日に享年92才で亡くなってしまいました。直接の死因は大腸がんだったとのことでした。最後にお見舞いに行った時は呼吸が苦しそうでしたので、もうこれ以上苦しい思いをせずに済むと思うとホッとした気持ちになりました。姪(姉の娘)が喪主として、今日東京の世田谷区にある星かげ迎賓館(京王線代田駅からすぐ)で告別式がありました。ごく少数の家族と姉の友人たちだけの家族葬で、どういう訳か日蓮宗の導師(姉自身はクリスチャンだった筈)が初七日の分と合わせてお経を2回読んでくれました。仏教では数え方が違うのか、位牌には戒名に加えて、命日は1日ずれて4月27日、亡くなった時の年齢は行年94才と記されていました。姉は、戦前に父が満州鉄道に勤務していた時に満州で生まれ、その後戦局の悪化に伴って家族一緒に祖父がリンゴ園をやっていた北朝鮮の平壌の近くの黄海道黄州に引っ越し(私はそこで生まれました)、戦後は日本に引き揚げて家族が何年間か住んでいた九州の宮崎県小林市から津田塾大学に入って、卒業後は都立高校で英語の教員をしていました。ブラジルに移住した私の兄と次姉はすでに亡くなっていますので、末っ子の私だけが80才で生き残っています。幸いなことに私は今のところどこも悪いところは( 初期の心臓弁膜症を除いて)ありませんので、あと10年ぐらいは妻と一緒に元気でいられればと思っているところです。

2023年5月4日木曜日

「矢切の耕地を未来につなげる会」主催の「GWだ! 親子で参加大歓迎! 矢切で田植え体験会!!」が矢切の唐澤農園の水田で10時~12時に開催されましたので、私は見学に行きました。集合場所の坂川親水広場には続々と参加者(約140名)が集まり、主催者の挨拶と、会に参加している政治家の紹介に続いて、水田で唐澤農園代表の唐澤圭輔しによる田植えの仕方の説明がありました。
田植え体験に使った水田は収穫が必要な水田ですので、80%ぐらいの面積を田植え機で田植えをし、残りの20%ぐらいの面積を参加者が手植えで田植えをしました。
報道関係者として千葉テレビと千葉日報と赤旗がきていて、動画撮影や写真撮影や参加者への取材をしていました。
参加者は家族連れが多く、初めて水田に入る子供たちもいて、ころんで泥だらけになる人もいましたが、皆生き生きしていました。機械植えした区画は稲苗がそろっているのに対して、手植えの区画はばらばらでした。収穫上はマイナスかもしれませんが、市民が田植えという農作業を体験できたことと、市民と農家が交流できたことによるメリットは大きかったと思いました。