先日市橋君の件で取材を受けた週刊文春の記事は、記者に問い合わせてみたら来週の木曜12月30日に発売される号に掲載されるとのことです。
名古屋市昭和区役所の市民課戸籍係りから今朝電話がありました。John君の出生証明書に記載されていたお母さんの当時の住所に相当する所には、該当する戸籍の記録は見つからないとのことでした。私が訪ねた場所には、生前のお母さんからJohn君が聞いていた通り、ある宗教団体の教会が家のすぐ前にありましたので、場所に間違いはない筈です。早速アメリカに電話をして、その他に何か手掛かりになるようなことを聞いていないか思い出してもらったら、当時John君のお母さんの家は兄弟・姉妹が7~8人の大家族で、contractor(建築や土木工事などの請負業)をやっていて、従業員の給料支払い(payroll)などの事務的なことを娘時代のお母さんが担当していた、という新しい手掛かりがわかりました。お母さんのお父さんは魚釣りが趣味だったと聞いたことがあるというのも新しい手掛かりです。第二次世界大戦が終わった1945年から間もない1950年頃のことですが、近所に年輩の方が住んでいれば当時のことを覚えている人がいるかもしれませんので、今度名古屋に行く時に近くの住宅を何軒か訪ねてみようと思います。