昨年日本に来て我が家に同居していた時の孫たちの写真(左端がAiden) |
その後、腎臓透析で入院している元同僚の友人を見舞いに行きました。ちょうど奥様も来られて、車椅子に乗せて広い部屋に行って3人でしばらく話しをしました。動脈瘤の問題が見つかって以来リハビリもやれなくなったので、歩行能力を回復できなくなっただけでなく、だんだん体力が衰えていく姿を見ると、昔の現役時代の元気の良かった頃の彼を思い出して、人生は厳しいなあという気持になりました。千葉大学園芸学部教授を定年退職した3年前までは、硝酸還元酵素という植物の窒素代謝に関わる酵素について先端の研究をし、実験がうまくいった時などは「これは世界で初めてだ!」と大声を出して、学生達を元気付けていたのに・・。
昨日の蔵前技術士会での三賢憲治氏の講演「政府開発援助(ODA)円借款発電事業について」では、世界中で日本の援助でどれだけ多くの火力発電所が建設されて、各々の国の経済や国民生活に大きな貢献をしてきたかを再認識させられました。それともう一つ印象に残ったのは、第二次世界大戦後の1945年~1951年の6年間に、国土が荒廃しきった日本のインフラ再建のために、アメリカ政府が今のお金に換算すると12兆円という巨額の援助を敗戦国の日本にしてくれたということです。これについては、当時台頭してきた共産主義の拡大を防ぐためだったとかいろいろな見方をする人もいるでしょうが、しかしこれによって日本が経済的に急速に発展したことは事実で、1954年からは日本自身が開発途上のアジア諸国にODA(Official Development Assistance)として円借款をできる立場になったとのことでした。