2021年1月2日土曜日

私の名古屋大学大学院生時代の恩師齋藤哲夫先生が年末の12月27日に96才でお亡くなりになったという訃報が届きました。訃報には、「告別式は、近親者のみにて執り行われるとのことです。また、ご遺族よりご香典、ご供花及び弔電は、辞退される旨の申し出がありました。」と付記されていました。 名古屋大学農学部・大学院生命農学研究科の害虫制御学教室では、毎年1月に教室出身者の同窓会を兼ねて研究集会が開催されますが、2017年1月21日(土)には齋藤先生が「70年間の思い出と反省」という演題の講演をされました。私も「消失しつつある白砂青松-松くい虫防除の失敗は何が原因か-」という演題で、2004年から取り組んできた調査研究で得られた成果を紹介しました。懇親会の部では一緒に写真も撮りました。 2018年1月20日(土)の研究集会には、齋藤先生は医者に外出しないようにと言われているのを振り切って、パジャマ姿のまま車で会場に来られて皆の顔を見に来たとおっしゃって参加者全員と記念写真だけを撮って、すぐ車でお帰りになりました。2019年1月26日(土)の研究集会には、とうとう顔をお出しになりませんでした。私は2019年は7月23日(火)に三重県津市で開催された農薬シンポジウムで基調講演をしたついでに一泊し、翌7月24日(水)に名古屋で途中下車し、八事霊園にあるお墓参りをした後で、先生のご自宅を訪問しました。先生は外出を医者に厳禁されていて、室内でパジャマ姿でくつろいでおられましたが、お元気だったころと変わらずかくしゃくとしておられ、戦争中のこと、戦後のこと、茶業試験場勤務時代のこと、名古屋大学勤務時代のことなど貴重なお話を伺うことができました。もうそういう時代のことを実体験された方は少なくなってきたので、是非文章に書きとどめて残して下さいとお願いしましたが、叶いませんでした。お別れする前に一緒の写真を撮らせていただきましたが、結局それが私が齋藤先生のお顔を拝見した最後になってしまいました。2020年は11月25日にお墓参りで名古屋に行きましたが、万が一にでもコロナをうつしてはいけないと思って先生を訪問しませんでした。 先生のご冥福をお祈り致します。 誰かが齋藤哲夫先生の検索をしたせいか、2017年1月21日の本ブログのアクセスが急に増えたようでした。
箱根駅伝往路のテレビ中継を見てから、運動着に着替え、園芸学部構内を通って江戸川堤防にウォーキング/ジョギングに出かけました。園芸学部の学生寮の横の通用門の近くで、4人連れのご家族に声をかけられ、園芸学部の庭園へはこの道でいいのですかと訊かれました。杖をついた相当高齢の男性(100才ぐらいに見えました)の手を引いてゆっくり一歩ずつ歩いていましたので、私はここの名誉教授だと自己紹介してご案内しましょうと申し出ました。詳しいことは訊きませんでしたが、どうも松戸に住んでおられるお爺さんとその娘さん(お母さん)とお母さんの息子と娘(か息子の嫁)のようでした。お爺さんはほとんど目が見えなくて、普段は15分以上歩くことはないとのことでした。お爺さんは昔よく園芸学部に来たことがあって、広い庭園が印象に残っていて、お正月に帰省した孫たちにそれを見せたいということで、4人でゆっくり松戸駅から歩いてこられたようでした。私が、イタリア式庭園、フランス式庭園(サンクガーデン)を案内し、クスノキの大木の向こう側にはイギリス式庭園もありますと説明をしたら、大変喜ばれました。私が昔千葉大学を卒業して、名古屋大学の大学院に行って、その後大学紛争で勉強ができなくなったのでアメリカの大学に留学したという話をしましたら、息子さんは名古屋大学理学部・大学院理学研究科素粒子宇宙物理学専攻の教員(准教授)とのことで、急に親しみが増し、話が弾みました。名刺交換もしましたので、今度お墓参りのついでに名古屋大学に行くときは、寄って下さいと言われました。帰りはお爺さんはそれ以上歩くのは無理なので、国道6号に面した正門前にタクシーを呼びました。偶然のきっかけで生まれた出会いでしたが、向こうも私と出会えたことを喜んで下さり、私の方も昔から園芸学部を知っている方や名古屋大学の関係者に会えて嬉しく思いました。 時間が遅くなったので予定を変更して、園芸学部からウォーキング/ジョギングに行くのは中止しました。