2020年4月19日日曜日

北浦和駅に約束の時間に着いたら、亡くなった泰祐(たいすけ)君の奥さんの美穂さんが車で待っていてくれました。早速遺体が保管されている葬儀社に行って、線香をあげて手を合わせ、ご遺体にお別れをしました。昨年9月に会った時よりも頬の膨らみがなくなり、少し痩せたようでした。
新型コロナウイルス問題で緊急事態宣言が発出されて、不要不急の外出を控えるように要請されている最中ですので、お通夜や葬儀も営業中止の業種に含まれているかどうかはわかりませんが、花輪も生花の飾りもなく、本当に親しい人だけが重ならないように交代でお別れをするやり方でした。
偶然泰祐君の育ての母親のK子さんが来ておられたので、お互いマスクをしたまましばらく話ができました。私の従兄の穂坂洋一とK子さんはお互いに前婚からの子供を二人ずつ連れての再婚で、K子さんは新しく生まれた子供一人を含めて5人の子供を分け隔てなく育て上げたりっぱな母親です。K子さんは、私が通っていた北浦和の木崎中学校の1学年上の女子生徒時代に、ソフトボール部で真っ黒に日焼けした顔で元気一杯に練習していた姿を覚えています。今はお互いに孫がいる80才近くの年齢になりましたが、中学校時代の話題を含め、楽しく、懐かしく、お話ができました。
自宅に帰ってからちょっと気になったので亡くなった泰祐君の奥さんの美穂さんに電話をして、仕事のことや家のことなどについて訊いてみました。仕事はアルバイト的にパートの仕事をしていたが昨年の秋以降は辞めていたので現在は無職で、今住んでいる家は自分の持家ではなく泰祐君が勤務していた会社が法人として契約している賃貸なのでいずれは出なければならなくなる筈とのことでした。今はとにかく泰祐君の葬儀を無事済ますことだけで頭が一杯で、今後の生活の事については何も考えられないとのことでした。
泰祐君が享年51才でしたから、50才前後の女性が突然一人残されて、無職で、子供もなく、これからどうやって生きていくのか、どうやって生活していくのか、さぞ不安で大変だろうなと想像しました。幸い美穂さんはご両親が健在(といっても私たち老夫婦と年代が近い高齢者)で比較的近くにお住まいとのことでしたので、何かと相談にのって下さることでしょう。私も80才に近い後期高齢者であまりお役に立てないかもしれませんが、何かあったら私にも相談して下さいと伝えておきました。
先ずは明日に予定されている火葬が済んで遺骨を自宅に持ち帰ってから、いろいろな思いがどっと押し寄せてくるのでしょうが、それから今後のことを考えることになるのでしょう。美穂さんが今から直面する困難な時期を乗り越えて、これからの人生を再セットして幸せに生きていかれるように祈ります。