ナイチンゲール(1820年-1910年)という人は、私の頭の中には名前の記憶だけしか残っていませんでしたのでネットで調べてみたら、当時クリミア半島を支配していたオスマン帝国と南下してきたロシア帝国が戦争をした時に、オスマン帝国の支援で参戦したイギリス軍の負傷兵を献身的に看護した人で、看護師の祖と呼ばれている人のようです。
1853~1856年のクリミア戦争 https://www.y-history.net/appendix/wh1202-009.html には、イギリス、フランス、サルデーニャがオスマン帝国を支援してロシア帝国軍と戦ったとのことですが、今地図を見ると遠く離れたイギリスがよくもまあ軍隊を送ったものだという気がします。当時は植民地時代で、西欧の列強諸国が世界に領土拡大をしていた時代だったのでしょう。
オスマン帝国の地図を見ると、横線の引いてあるクリミア半島部分は1812年までにロシアに割譲された部分に含まれていますので、クリミア戦争(1853年~1856年)よりも前です。ということは、歴史的にはクリミア半島の帰属は何回も変わったということでしょうか。最近もロシアはウクライナと戦争をして、2014年にクリミア半島を自国領に併合するという出来事がありました。
領土問題は、歴史をどこまで遡(さかのぼ)るかによって主権が変わってきますので、難しい問題です。
床屋さんも、いつもより来客がずっと少ないと言っていました。
棚に白い大きなユリの切り花が1本飾ってありましたが、上の1つの花には雄蕊(おしべ)に葯(やく)が付いていましたが、下の2つの花の雄蕊には葯が付いていませんでした。床屋さんにどうしてか訊いてみたら、このユリの切り花は1本460円だったが、下の2つの花は買った時にすでに咲いていて花屋が葯を切除してあり、上の花は買ってきて花瓶に挿している時に後から咲いたので葯がそのままだとのことでした。葯が花や衣服を汚すので切除してしまうのか、葯を切除した方が花が長持ちするのかわかりませんが、葯もユリの花の一部なのに、生きている花を自然のままではなく、都合の悪い部分を切除して鑑賞するというのも、何か変な気がしました。