昨日相模台の中央公園と聖徳大学の間の道を通って、山の下にあった岩瀬住吉公園にあった石碑に刻まれた文面を解読したくて、再度訪ねてみました。緊急災害時の避難場所を描いた地図の看板が立っていて、岩瀬、小根本、戸定(園芸学部がある)、小山などの位置関係がわかります。
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石碑の写真を撮って、パソコンで拡大して刻まれた文面を全部再現できました。古い字体もあり判読に苦労しましたが、昭和15年に建立された石碑で、東京の人口増加と常磐線の電化に伴って、松戸駅周辺に住宅用地を造成するために、岩瀬地区と小根本地区の間の5町歩の水田(湿地)を干拓工事を行って完了したことを記念して残した記録のようです。石碑の裏面には関係者の名前が刻んでありますが、当時この辺りに住んでいた人々でしょうから、時間をみて判読してみようと思います。