途中、無人廃屋があって蔦が玄関を覆っていました。聖徳大学の近くの電柱にカラスが留まっていて双眼鏡で観察したら、ハシボソガラスでした。
公園に隣接して自治会集会所があり、庭には岩瀬地区の手書きの見取り図があり、「現在地 You are here.」 と日本語と英語で書き込んでありました。
石碑の裏面の関係者の名前は全部判読できましたが、パソコンで出てこない旧字体と思われる漢字が2文字ありました。名簿には小泉という名前と鈴木という名前がたくさんあり、松丸という名前もありました。岩瀬の辺りには昔からの大きな邸宅がいくつかあり、小泉とか松丸という表札がついていましたので、昔からの地元の住人かその子孫なのでしょう。林の中の墓地にも小泉という墓標と鈴木という墓標がたくさんありました。
石碑に書いてあった岩瀬字前耕地並びに小根本字山中前の約5町歩の水田というのは現在のどの辺りかと思って、小根本の神明神社の境内の掲示板に貼ってある昭和5年の地図を拡大し、周辺の現在の景色と照らし合わせてみて、大体この辺りだろうと想像しました。住宅がびっしり立っていて、この辺りが昔(昭和13年=82年前まで)は水田だったとは想像もできませんが、地形的には周りを小高い丘に囲まれた盆地ですので、周りに降った雨が流れ込む低湿地だったことは想像できます。
岩瀬の墓地の横の道路沿いに大きなケヤキの切り株が2つあり、周りには庚申塔がいくつも立っていました。判読できるものの中には、造立年が延宝三年(1676年)徳川家綱の時代、元禄六年(1693年)徳川綱吉の時代、宝永二年(1705年)徳川綱吉の時代、寛延元年(1748年)徳川家重の時代など300年以上前のものもあり、無造作に置かれていました。
近くには元文二年(1738年)徳川吉宗の時代に造立されたと思われる仏像もあり、お茶を入れたカップが供えられていました。住民の、地域に伝わる古いものを敬い大切にするという気持の表れでしょうか。