2020年8月9日日曜日

今日は1945年8月9日11:02amに長崎に原子爆弾が投下されて75年目です。3日前の1945年8月6日8:15amには広島に原子爆弾が投下されました。広島では14万人、長崎では7万人が犠牲になったと言われていますが、一瞬のうちに全てが焼き尽くされたのですから正確な数字は不明の筈で、その後放射線被曝の影響で亡くなった人々を含めれば実際の犠牲者数はもっと多い筈です。
毎年この時期になるとそれぞれの場所で追悼式が行われ、新聞やテレビでも関連した記事や番組が報道されますが、今年は特に新型コロナウイルス感染症という現在の問題に直面しているということもあり、社会の原子爆弾に関する扱いは段々小さくなってきているような気がします。
これだけ多くの一般市民を残酷に殺戮(さつりく)した原子爆弾の投下を命令した指導者は、たまたま戦争勝利国だったがために免れましたが、誰が何と言おうと人類に対する犯罪を犯した明らかに戦争犯罪人で、本来は絞首刑に値すると思います。

散髪に行った帰りに、妻に頼まれて元イセタン跡地にできたキテミテマツドの地下の食料品売り場に寄ってスイカを買ってきました。秋田県産の一番小さい玉で、1,580円(税抜)でした。
私が1969年に初めてノースカロライナ州に行った時は、大人がやっと抱えられるぐらいの楕円形の巨大なスイカが1個$1.25程度で、アメリカ南部で気候がスイカ栽培に適しているのかどれを買っても当たり外れがなく、甘くて美味しかったことを思い出します。


園芸学部研究圃場のツバキとチャノキと、小山の染井氏宅のツバキにはまだチャドクガ幼虫がいました。





園芸学部研究圃場のムクゲの白い花にはマメコガネ(多分雌)1頭が来て花弁を食害していましたが、花の裏側にもう1頭のマメコガネ(多分雄)がいて、見ていたら段々接近してきて交尾行動を取り出しました。










小山の坂川沿いのビワの葉に奇形のアブラゼミがいました。一応蛹からは抜け出したようですが、何らかの理由で奇形の成虫になったようですので、生きて子孫を残すことは無理でしょう。
坂川の堤防裏の花壇に植栽されている柑橘の苗は葉が食害されてほとんど残っていませんが、根元に近い位置にハチが巣を作って出入りしていました。







上矢切を流れる坂川には体長が1mぐらいの大きな魚が泳いでいました。上から見たところ、コイのように見えました。
川沿いに自生している雑木に張ってあるクモの巣にはアブラゼミがかかって、クモの糸でグルグル巻きにされていました。
水田の稲は出穂して日に日に登熟しつつありますが、すぐ隣には雑草が繁茂した耕作放棄田があります。
オクラの畑には収穫箱が置いてあり、適期のオクラを収穫しているようでした。
坂川親水広場の浅い水溜り(プール)には大勢の子供達が来て、今日も親の監視の下で水遊びをしていました。












送電線鉄塔の巣から巣立ったハシボソガラスの家族(親鳥2羽と雛3羽)は、あちこちに移動するので追跡するのが大変になりましたが、しばらくしたら知らない間に塀の下の草地に5羽が集まっていましたので、まだ家族一緒に行動しているようです。