2020年8月3日月曜日

私が名古屋大学大学院博士課程2年次だった1969年頃は、日本全国が大学紛争の真っ最中で、ほとんど毎日のように全学集会や学長交渉やで落ち着いて勉強や研究ができなくなり、私はこれでは駄目だと思ってアメリカに留学してノースカロライナ州立大学Ph.D課程に入り直しました。外人部隊(教職員に顔を知られていない他大学の学生たち)もヘルメットを被ってタオルで覆面をして角材や鉄パイプで武装してスクラムを組んで押しかけてきて大暴れをしていました。当時20才前後の若者(いわゆる団塊の世代)が、年長者や師に対する礼儀や尊敬もなく40才代や50才代や60才代の教授や学部長や評議員に向かって、「お前は・・自己反省しろ!」と怒鳴る姿は、今考えると生物が狂暴化して共食いを始める生物学的な密度効果だったのではと思えてきます。
日本育英会の奨学金で生活をしていた私にとっては、為替レートは1$が360円で外貨持ち出し制限($1,000まで)がある時代に留学をするというのは大変でしたが、恩師のW.C. Dauterman 先生がResearch Assistantship(研究奨学金)をだしてくれたお蔭で何とか実現できました。当時私は27才、先生は10才上の37才でまだAssociate Professor(准教授)でした。
私が生まれて初めて飛行機に乗って、アメリカ南部のノースカロライナ州の首都(と言っても田舎町)ローリー市に着いたのは7月初めの独立記念日の前でした。先生と奥様は当時赤ちゃんだった長男のWalter Jr(弁護士になった) と次男のJohn (医師になった)を抱いて空港に迎えに来てくれました。当時はセキュリティーチェックのゲートもなく、出迎え者は車を近くに駐車してそのまま飛行機のタラップの下まで歩いて来ることができました。
時間が経って、先生も奥様も長男も亡くなって、私は毎年10月に約1ケ月古巣のノースカロライナ州を訪問してDauterman 先生一家のお墓参りをしたり、昔からの空手の弟子/友人たちと旧交を温めるのが恒例になりました。
先日、今は西部のオレゴン州に住んでいるJohn の家族がワシントン州のRialto Beach にキャンプに行った時の息子達3人(Dauterman 先生にとっては孫)の写真がFacebook にアップされましたが、1969年に比べるとほぼ2世代時計の針が回ったことになります。私もすでに78才になり、いつまで先生のお墓参りができるかわかりませんが、可能な限り続けたいと思っています。今年は新型コロナウイルス(COVID-19)の問題で古巣を訪問できそうもないことが残念です。