2024年9月21日土曜日

園芸学部斜面の竹林は、今年生えた筍(たけのこ)がすっかり成長してりっぱな竹になり、節から枝葉も出てきました。近所の中華料理店の福新は、以前は私と同年代ぐらいのお父さんと家族(お母さん、息子二人)でやっていましたが、お母さんが膵臓がんで亡くなり、お父さんも何年か後で糖尿病で亡くなり、私の娘と中学校時代に同級生だった長男も最近50代の若さで糖尿病で亡くなりました。時々昼食を食べに行っていた福新が解体されて無くなるのはちょっと寂しい気がします。解体工事の前に、建物の中に残っている荷物を撤去するのは別の業者の担当で、横付けされたトラックにどんどん積み込んでいました。
今日も根元(ねもと)の渡辺種苗株式会社の解体工事の進捗状況を見に行ってきました。バングラデッシュ人かイラン人のように見える外国人が倉庫の屋根に上って瓦をどんどん剥がして下のトラックの荷台に投げおろしていました。外国人労働者がこういう厳しい危険な作業をやってくれて、日本の社会が支えられているのでしょう。旧水戸街道沿いには瓦屋根の木造家屋は僅かしか残っていませんが、無人化した元商店のガラス戸には政治家のポスターが貼られたままになっていました。無人化する前に住んでいた住人はこの政治家の支援者だったのかもと想像しました。裏側に隣接した住宅も無人化していますので、いずれは両方とも解体される筈です。相幸酒店の看板が残っている瓦屋根木造家屋は比較的最近まで営業していた記憶がありますが、今は無人化したのかシャッターが閉まったままです。
一級河川坂川と新坂川の連絡水路の近くには小岩がいくつか配置されて川の中のちょっとした公園のようになっていますが、カワウとカルガモが小岩の上で休憩していて、ミシシッピアカミミガメもたくさん小岩の上で甲羅干しをしていました。橋の上から足を止めて川を見下ろして水鳥とカメを眺めている人たちがいました。
古ヶ崎の五差路の近くの子育地蔵尊は大正13年(1924年)と刻んだ石柱が立っていますので、今からちょうど100年前に設置されたようです。石の顔が風化して少し形が崩れてきています。そぐ近くに設置してある庚申塔の一つには安永8年(1779年)と刻んであるのが読めますので、今から245年前に設置されたようです。多分違う場所に立っていた庚申塔をこの場所に集めたのでしょう。
帰りは松戸駅周辺の高層ビルは何階建てか気になっていましたので、写真を撮って数えてみました。松戸駅西口の、以前ニューオータニが屋上の回転式展望塔でレストランを営業していた(現在は聖徳大学10号館に移ったと聞きました)松戸ビルは、20階建て?でした。松戸駅東口近くの聖徳大学10号館は17階建て?でした。