2010年7月31日土曜日

7月29日に振り込まれた2名の方(4回目と5回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は92,000円、延べ150名からの合計額は1,965,565円になりました。お一人からは、「この猛暑の中、市橋さんが元気でおられるか大変心配です」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。

 今日は明治大学で開講された公開講座「化学物質の法規制」の最終回で、修了証書授与式に続いて講師陣と受講生の懇親会がありました。北野 大教授がコーディネーターの講座で、私も7月17日に2回担当しましたので、懇親会に出席しました。駿河台キャンパスというのだそうですが、お茶の水の駅から歩いてすぐの便利のいいところにあるアカデミーコモンと呼ばれるしゃれた建物の1階のカフェパンセと呼ばれる軽食・喫茶店で行われました。この講座の受講生の大半は化学関連会社の中堅クラスの人達でしたので、受講態度が熱心で活気が感じられました。懇親会の席でも周りを囲まれて質問攻めに近い状態で、私は飲み物にも食べ物にも手を伸ばす暇がないくらいでした。

 人の輪が途切れた時に、アメリカで教育を受けたとおっしゃる若い女性が話しかけてこられ、アメリカでもどんな犯罪者でも弁護人がつくのは当然ですよねと言われたので、多分このWebサイトをご覧になったのでしょう。講義では市橋君のことは話しませんでしたので。私たちの支援活動を理解していただいて嬉しかったと同時に、予想外に多くの方々が見て下さっているのだなと感じました。

 今日もまた、お茶の水界わいの賑やかさにはちょっと複雑な思いもしました。若者が大勢歩いていて、きれいなお店や施設が並び、大学や病院もたくさんあり、エネルギーが溢れているように見えました。一方、私はよく講演で地方都市に出かけるのですが、いわゆる6大都市以外は、県庁所在地ですらちょっと中心部を離れると閉店して店が閉まっているシャッター街が目立ちます。若者がみんな大都市に出て行ってしまうからでしょう。仕事がないから出て行ってしまうのか、人がいなくなるから仕事がなくなるのか・・。千葉大学で私の研究室を専攻した地方出身の学生諸君も、卒業したらどこで就職したいかと尋ねると、沖縄の出身者以外は、ほとんどが郷里以外と答えていましたので、よく冗談でこの親不孝者がと言っていました。沖縄出身の学生だけは、どの学生もできたら沖縄に帰りたいと言いました。しかし沖縄にはそんなに就職先がないので、卒業後郷里に帰って1年間就職浪人をして勉強して地方公務員になった学生もいました。この違いはどこからくるのか、ちょっと不思議な気もします。

 それにしても、こんなに大都市にだけ人が集中する政治でいいのでしょうか。昔のように地方は地方なりの文化があって活気があった(経済的には貧乏でも)時代が懐かしくなります。国の経済的発展と引き換えに失ったものも大きく、人間の幸せという観点からは一度立ち止まって考えてみるべき時期かもしれません。

2010年7月30日金曜日

 7月28日に振り込まれた2名の方(1名は3回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は72,000円、延べ148名からの合計額は1,945,565円になりました。ありがとうございました。ご自分とは関係がないにもかかわらず市橋君が適正な裁判が受けられるように、それぞれの生活の中から何かを切り詰めて送って下さっている筈ですから、どんな金額でも大変ありがたい大金です。

 7月26日の追記で、私が「何名かの支援者の方は市橋君のことを真剣に考えておられて・・」と書いたことに対して、今日農大の研究室に匿名のお手紙が届き、「市橋君のことを真剣に考えていない支援者はいません」と指摘されました。もちろん、駅前で行われている災害援助の募金箱に通りがかりにその気になってお金を入れるのとは違って、市橋君のためにわざわざ郵便局に足を運んで振り込みの手続をして下さるのですから、支援者の方は全員市橋君のことを真剣にお考えになった上でのことだと思います。その中で、ご自分で情報収集したことや、私がお知らせしたことに対するお考えを私宛にメールやお手紙で送って下さる支援者が何名かいらっしゃる、という意味の文章でした。真剣に考えて支援金を送っているのに、私の舌足らずの文章で不愉快に思われた方がおられたら、申し訳ありませんでした。

 今日は千葉大学で開講された公開講座「食品安全ビジネス論」の最終日で、修了式と懇親会がありましたので、私も農大研究室を早めに出て懇親会に顔を出しました。出席者は、この講義のコーディネーターの松田友義教授以外は全て社会人受講生でしたが、当時千葉県大網の農家の娘だったお一人の女性は昭和29年(1954年)に千葉大学園芸学部に入学したかったが、兄さんがすでに大学生だったので二人を大学にやるのは経済的に無理だと親に言われてあきらめて別の道を選んだと、おっしゃっていました。千葉農業専門学校が新制の千葉大学園芸学部になったのは昭和24年(1949年)ですから、それから間もない時期に、農家の娘がそういう大志を抱いていたということに驚きました。今と違って、当時は大学に進学する人自体が僅かで、しかも農家の娘で大学に進学する人はほとんどいなかった時代です。今ではごく当たり前で千葉大学園芸学部の学生の約半分は女性の筈ですから、日本の社会が過去50数年の間にいかに変化して今日に至っているかということをあらためて思い出しました。

2010年7月29日木曜日

 7月27日に2名の方から振り込みがありました。記録簿をよく見直してみましたら、その中の1名は5回目ですが、最初に振り込んで下さった5月11日の分を見落としていましたので、従来は振り込み回数を1回少なく報告していたことに気が付きました。失礼しました。支援金の現在高は59,000円、延べ146名からの合計額は1,932,565円になりました。ありがとうございました。「29才の息子と27才の娘の母親です。本山先生のブログを読み、わずかですが寄付させていただきます。お礼状不要です。彼のご両親の立派なお考えに、私も強く心が痛みます。」というメッセージと、「思ってもいないあやまちがこんな大きな事になってしまい、市橋君もご両親も気の毒でなりません。支援者が後を絶たないというのは市橋君の人間性に徳があるのだと思います。」というメッセージをいただきました。

 多くの方のメッセージからは、逃走中の市橋君の生活態度から本当は芯は真面目な人間ではなかったのかという信頼と、誰にでも起こりうる間違いのために取り返しのつかないとんでもない結果になったことへの同情と、被害者のことを考えれば悪いことをした息子の弁護はできないと決意をされたご両親への同情と敬意が読み取れます。市橋君がリンゼイさんにしたことに対しては吐き気を催すほど怒りを感じながらも、彼が適正な裁判を受けて更生する機会が与えられるように、多くの方がご両親に代わって支援をして下さっているのでしょう。
 今日は久し振りに空手着に着替えて、千葉大学の学生と一緒に道場と更衣室とシャワー室の掃除をして、空手の稽古をしました。広島県出身の修士課程2年の学生ですが、私の紹介で徳島県の蘭を栽培・販売している会社に就職が内定しています。本社で働くのか、長野県の研究農場で働くのか、しばらく研修を受けてから中国の合弁会社に派遣されるのかわかりませんが、無口で地味ですが着実に仕事をこなし信頼できる性格の学生ですので、将来が楽しみです。

2010年7月28日水曜日

 一昨日、私が炎天下でジョギングして一時的に熱中症で体調が悪くなったことについて、支援者の何人かから心配とお見舞いのメールをいただきました。気にして下さってありがとうございます。昨日の新聞の夕刊に、総務省消防庁のまとめでは熱中症で病院に搬送された人が19日~25日の1週間で9436人に達し、その内死亡が確認された人は57人に上った、という記事がありました。私もうっかりしてその中の一人になっていたら、今頃笑いものになっているところでした。年齢を考えて、今後はもう少し慎重に運動します。

 6月19日に長野県駒ケ根市の松林に有人ヘリコプターで散布された薬剤の飛散調査をした時に、取材にきたテレビ番組制作会社を訪ねて、撮影した映像を見せてもらってきました。薬剤を希釈しているところや、それをヘリコプターに積載しているところや、ヘリコプターが散布しているところや、テストフライトの時にヘリコプターに乗って上空から見た山林の景色や、私たちの調査の様子や、市の担当者へのインタビューなど、貴重な映像でした。特に遠くから逆光で撮った散布の映像は、薬液が白く霧状にたなびく様子がはっきりと捉えられていました。10月の松茸を収獲する時期になったらもう一度現地にでかけて、収獲や出荷や食味する様子を撮影し、私たちがやっている薬剤分析の結果なども加えて、テレビ放送用のひとつの番組ができればいいなと期待しています。

 このテレビ番組制作会社は、(株)幸喜(http://www.cohki.jp )といいますが、積極的な取材力には感心させられます。中国製冷凍餃子の毒物混入事件の時に、中国からペルーに輸出されたメタミドホス製剤をいち早く合法的に輸入して私のところに分析依頼にきたのもこの会社ですし、鹿児島県のピーマン栽培で使われたニームオイル(アバメクチンという抗生物質殺虫剤が混入されていた)を現地から回収して私のところに分析依頼にきたのもこの会社です。ホームページを開くと、年次ごとに制作・放送された番組が紹介されています。2009年には、私自身が関わったTBSテレビの [総力放送! THE NEWS「ブランド野菜に違法農薬のワケ」] が実績として紹介してありますが、多くの方の記憶に残っているのは、2007年のTBSテレビ [筑紫哲也NEWS23「北朝鮮アサリ産地偽装の実態を追う」] ではないでしょうか。偽装食品問題には実績がありますが、最近では植物工場のような農業問題や、医療に関わる問題にも取材を広げているようです。硬派のテレビ番組制作会社の一つでしょう。

2010年7月26日月曜日

 7月23日に振り込んで下さった方(2回目)の支援金が届きましたので、現在高は51,000円、延べ144名からの支援金合計額は1,924,565円になりました。ありがとうございました。もう少しで200万円に達しそうです。この方を含めて、何名かの支援者の方は市橋君のことを真剣に考えておられて、私が追記でお知らせしたことに関するお考えや、ご自身で勉強されたことなどについて、よくメールでお便りをいただいています。

 今日は久し振りに東京農大の研究室に顔を出せました。4月は横浜駅伝という目標があったのでしっかり計画通り走り込んで、5月はその余力でまあまあ走れたのですが、6月は長野県での野外調査で忙しくて、7月は講演や研究会や講義や学会などで忙しくてほとんど走れませんでした。猛暑が続いたという言い訳も自分にしてきましたが、こんなに長い間走らなくても罪悪感がしなくなったということは、結局のところ怠け癖がついて堕落したということでしょう。70才近くになると、トレーニングをさぼって一番先に衰えを感じるのは心肺機能のようです。今日は昼休みに無理をしないように大学の回りをゆっくり2周(約4km)走りました。その後桜丘アリーナと呼ばれる体育館のシャワー室でシャワーを浴び始めたら、途中で胸がムカムカして、生あくびが出て、吐き気がしてきました。ロッカールームのベンチにしばらく横になって休んでいたら、手足がブルブル震える痙攣も起こってきました。炎天下で走ったことで気がつかないうちに脱水症状になり、いわゆる熱中症になったのでしょう。フラフラしながら研究室に戻って冷蔵庫のポカリスエットを2リットル飲んだら、落ち着いてきましたが、危ないところでした。
 空手でもジョギングでももっと若い頃は、寒い時には寒さに対して、暑い時には暑さに対して、強風の時には強風に対して耐える力を鍛えると自分に言い聞かせてトレーニングをしましたが、わずか4km走っただけでこんな状態になるとは、気持ちだけは若いつもりでも体は確実に年齢相応に老化して適応力を失っているということをあらためて認識しました。

2010年7月24日土曜日

 7月21日に振り込んで下さった方(5回目)の支援金が届きましたので、現在高は46,000円、延べ143名からの支援金合計額は1,919,565円になりました。ありがとうございました。

 今日も猛暑日でしたが、日本法中毒学会に顔を出してきました。私は会員ではないのですが、総会で配れらた資料を見ますと、学会員は主に4つの分野-法医学、薬学、鑑識科学、その他-の研究者で構成されていることがわかりました。これとはまた別に、日本法医学会というのもあるようです。

 大会では、農薬分野の研究者の私にとっても興味深い研究発表がたくさんありましたが、国立医薬品食品衛生研究所の花尻(木倉)瑠理博士の特別講演「カンナビノイド受容体が関与する違法ドラッグに関する最近の知見」は印象に残りました。カンナビノイドというのは、大麻の三大主要成分であるテトラヒドロカンナビノール、カンナビジオール、カンナビノール等を含み、多くの合成カンナビノイドが違法ドラッグとして流通しているだけでなく、植物製品にも幻覚作用を示すものがあるとのこと。「天然ハーブ」とか「ナチュラル」とかを標榜しながら、実際は強い活性を有する合成カンナビノイドを添加した植物製品の流通も世界的に問題になっているとのことでした。

 農業の分野でも、有機農業や無農薬栽培で農薬の代わりに作物保護に使われるいわゆる「漢方農薬」「植物抽出液」「植物活性液」「土壌活性剤」の類で活性のあったものには例外なく農薬が混入されていることを私たちの研究は明らかにしてきました。中には、餃子から検出されたメタミドホスより2倍も毒性が高いアバメクチンという抗生物質殺虫剤が混入されている「人と環境に優しい」と謳った自然由来の防除資材もありました。こういうものは、巧妙に取り締まりを逃れて流通していて、農薬登録されておらず品質も使用方法も規制されていませんので、環境にとっても消費者にとっても散布作業者にとっても危険です。違法ドラッグにしても偽装農薬にしても、今後こういうものが益々登場してくる可能性がありますので、流通監視体制を強化するとともに、国民一人一人が「天然」とか「ナチュラル」とか「有機」とか「無農薬」とかの美名に騙されないようにすることが必要です。

2010年7月23日金曜日

 さらに2名の方から支援金を振り込んだというメールでのご連絡をいただきました。

今日も関東地方は猛暑でしたが、日本法中毒学会の大会に出かけてきました。会員のほとんどは、大学医学部の法医学教室か国の科学警察研究所(いわゆる科警研)か各道府県警察の科学捜査研究所(いわゆる科捜研)の研究者でした。麻薬や毒物に関する研究や、死亡原因の解明に関する研究発表が多く、そのような学会に参加するのは初めてでしたので私にとっては新鮮でした。

 千葉県科捜研の科長の講演は、千葉県で輸入冷凍餃子を食べて中毒事件が起こった時にどうやってメタミドホスが混入されていることを最初に突き止めたかを明らかにしました。餃子のように皮の他に肉や野菜や油分が多い試料で、何が入っているか分からない時に、混入成分を特定するのは実は非常に難しいのですが、市販の検査キットで先ずアセチルコリンエステラーゼが阻害されることから、カーバメイト系か有機リン系殺虫剤が混入されていることを推察。次は、餃子を皮と具に分け、抽出液を水と有機溶媒で液々分配を冷却しながら行うことで肉の油分(ラード)を分離したことが、機器分析によるメタミドホスの特定に成功した理由のようでした。言われてみれば何だそうだったのかですが、これで中毒は毒物混入によるということが明らかになって、その後の適切な捜査活動につながったわけです。

 しかし、それから後の研究の展開については、本当はもっと多くの実験データを持っている筈にもかかわらず、現在日中の政府で検討が進行中だからという理由で、メタミドホス製剤を袋の外側に処理してマイナス20℃に一定期間置くと何%かは内側に透過することが確認されたということ以外、何も言及はありませんでした。地方の行政機関の研究者で、しかも日中間の微妙な政治問題がからんでいますのでやむを得ないのでしょうが、大学の研究者と違ってつらい立場だなと思いました。一日も早く国民の疑念を払拭して餃子問題を過去の問題にするために、まさか日本政府が千葉県警に中国政府の発表に歩調を合わせるような発表を強要するようなことはないと信じますが・・・。

2010年7月22日木曜日

 7月20日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きましたので、現在高は45,000円、延べ142名からの合計額は1,918,565円になりました。ありがとうございました。お金の余っている人などいない筈ですのに(宝くじが当たったか、悪事を働いてぼろ儲けでもしない限り)、それぞれの生活がある中でこうして市橋君に適正な裁判を受けさせるという趣旨に賛同して支援金を送って下さる方がおられるということは、本当にありがたいことです。

2010年7月21日水曜日

 私は大学1年生だった49年前の教養課程の必修科目として「法学」の単位を履修したこと以外、日本の司法制度や裁判についてはほとんど何も知りませんが、市橋達也君の適正な裁判を支援する会を立ち上げて募金活動を始めてからは、裁判に関するニュースや新聞記事は気になるようになりました。今朝の朝日新聞の社会面に載っていた「映像別人」無罪求めるという記事も気になりました。盗難キャッシュカードを使ってコンビニの現金自動出入機で現金を引き出したとして、窃盗罪に問われた被告が、別人との鑑定結果が出たことなどを理由に、検察側が起訴した被告に無罪判決を求めたというものでした。

 検察官も弁護士も裁判官も皆難しい司法試験に合格して、さらに研修を受けた上で就任し、立場は違っても、事実を明らかにするという共通の使命感で頑張っていると信じていますが、時々、先日言及した足利事件のように冤罪が明らかになったり、今回のように自白を強要させて無実の人を犯人にしてしまうというような事件が実際にあると、検察官にも人間的ファクターがあって、思い込みで構築した自分たちの主張を無理やり通そうとする場合もあるということを認識させられます。もちろん、ほとんどの検察官はそうではなくて、証拠を一つ一つ綿密に検討して事件がどのように起こったかを再現するシナリオを組み立てて主張していくのでしょうが、それでも、人間ですから間違うことはあり得るということです。同じことは、弁護士にも裁判官にも言えるのかもしれませんが。

 市橋君の事件についても、検察側の主張と市橋君の証言に基づく弁護側の主張との間には開きがあるようですので、検察側も弁護側も面子を保つことよりも事実を明らかにするという基本を忘れずに整理手続に臨んでいただきたいと思っています。

 6月22日に農薬について取材に来られた大阪の朝日放送株式会社(ABCテレビ)から連絡があり、当初7月15日か22に放送予定だったニュース特報は諸般の事情により8月以降に延期になったとのことです。以前、輸入冷凍餃子の毒物混入事件についてTBSテレビの「みのもんた朝ズバ」という番組のスダジオ出演を依頼された時は、TBSのハイヤーが朝6時頃松戸に迎えに来てくれました。途中交通渋滞に巻き込まれて出演予定時間に間に合うかどうかヒヤヒヤしましたが、運転手さんに大きな事件がある度にこんなに朝早くからゲストを迎えに行くのは大変ですねと話しかけたら、スタジオでは大きな事件がない時の方がどうやって時間を埋めようかで大変なんですよと答えていました。

 輸入冷凍餃子事件といえば、日本法中毒学会第29年会が今週23日~24日に日本医科大学で開催されますが、千葉県警察本部科学捜査研究所の金子 毅化学科長が「中国製冷凍餃子からの毒性物質の検出(犯罪捜査における化学鑑定の役割)」という演題で招待講演をされることになっています。千葉大学医学部で私がこの問題について講義をした時に出席されて、以来協力関係にある方ですので、私はこの学会の会員ではありませんが、聴講にいくつもりです。農業関係でもそうですが、行政の研究機関の研究発表には政治的な検閲で制約(行政の方針に反するようなことは言えない)がありますが、科捜研の研究でその後どういうことが明らかになったか興味があります。

2010年7月19日月曜日

今朝の朝日新聞には、第1面にルポにっぽん「弁護士になったけど」という大きな見出しの記事がありました。新人弁護士が、食費節約のために、毎朝実家の母親に二つ握ってもらったおにぎりと、家のお茶を入れてきたペットボトルを傾け胃に流し込んで昼ご飯にしているという話に始まり、経済的にいかに苦しいかが紹介してありました。記事は2面に続き、もがく「法曹の卵」というまたまた大きな見出しで、結局、法科大学院乱立が弁護士の過当競争と質の低い学生をもたらした、と結んでありました。それぞれ果たす役割が違うだけで、職業に貴賎はない筈ですが、アメリカでも医師と弁護士は最もなるのが難しく、最も尊敬を集める職業とされています。日本でもほぼ同じような状況でしょうか。市橋君の弁護を職業的な正義感から無報酬で引き受けて下さっている弁護団の経済状況については全くわかりませんが、少しでも弁護費用の足しになるように、引続き支援金のご協力をお願い出来れば幸いです。

昨日は、千葉大学時代の私の研究室を専攻して博士号を取得した駒形 修君(現在は国立感染症研究所で感染症を媒介する衛生害虫の解毒酵素の遺伝子の分子生物学的研究に従事)を誘って、私たちが長年水田農薬の環境動態と生態影響を研究するフィールドとして使ってきた山田町(現在は合併によって香取市山田区)と、茨城県北浦に行ってきました。山田町も北浦も成田空港の北方に位置し、各々松戸から車で片道2時間くらいの距離です。私が車を運転して、学生と一緒に毎週(農薬が散布される時期は週に何日も)一日がかりで出かけて、水や底質(川底の土)の農薬濃度を分析したり、ヘリコプターで散布される時は気中濃度や落下量を測定したり、水を採取してきて実験室内で毒性試験をしたり、川の中の水生生物の相対密度を調査したりしました。こういう調査では、地形や環境条件が全く同じ対照区(農薬無散布区)がとれませんので、結局、同じ場所で散布の前と後を経時的に調査して比較するしかありません。それを何年間にもわたって継続して、農薬の影響を考察します。その結果、この地域に生息していた絶滅危惧種のメダカやホトケドジョウも含めて、農薬は生態系に受け入れ不可能な悪影響は及ぼしていないということがわかりました。農薬の種類によっては、一部の生物(例えばアメリカザリガニ)に影響を及ぼす場合もありましたが、それも一時的変化に過ぎず、時間の経過とともに回復し、翌年には元に戻っていました。

天気に恵まれましたので写真を何枚か撮ってきました。神生(カンノウ)と呼ばれる地区は小高い森に囲まれた150haくらいの水田で、真中を仁良川(ニラガワ)と呼ばれる小さな川が流れています。昨日はまるで緑のカーペットのように水田が鮮やかでした。その水は江戸時代に造成された橘堰(タチバナゼキ)に溜められて、下流の田部(タベ)地区の水田の用水として使われます。橘堰の湖面は、菱(ヒシ)という植物が繁茂していました。引っ張りあげると、菱形をした固い実がでてきます。下流の田部地区の水田は1,000haくらいはある広大な水田ですが、1本の小さな水路だけは湧水のために冬でも水が枯れませんので、毎年農薬が空から散布される直下にありますが、メダカが生息しています。ことしも幅20~30cm、水深3~5cmくらいの小さな流れにメダカの群れがたくさん泳いでいました。穂が出始めた稲は、まるで水面が風で波打っているようで見事でした。
普段は忘れていますが、農業は単に食料を生産してくれるだけでなく、こういう美しい景観は私たちの心に癒しも与えてくれているのだと思います。

2010年7月17日土曜日

 7月12日に振り込んで下さった方(3回目)の振替受入明細票が、順番が逆になって、今日届きました。ありがとうございました。

 明治大学での講義は無事終わりました。約100人の受講生の中で、明治大学の大学院生は10名程度で、残りは全部社会人でした。7月31日には修了式と懇親パーティがありますので、再度受講生一人一人とゆっくり言葉を交わすことができるのが楽しみです。この講義科目のコーディネーターの北野 大教授も最初から最後まで3時間ちょっと最前列に座って傍聴(実際は私が脱線し過ぎないか監督?)されていましたが、北野先生には1982年(昭和57年)に私が千葉大学薬学部の佐藤哲男教授と監訳した「毒性生化学-分子レベルからみた毒性の解析」という本の1章を執筆していただいて以来のお付き合いです。当時は財団法人化学品検査協会の化学品安全センター室長で、化学物質の環境問題や毒性分野の新進気鋭の研究者でした。よくテレビで拝見する温厚な表情とは全く別の面をお持ちで、最近は環境問題に関する本を書かれたり活躍をされている科学者です。
 お茶の水界わいは、私が大学受験の浪人時代に通っていた予備校があったところで、よく神田の古本屋街を歩いて覗いたりした思い出のある町ですが、今も若者が一杯で活気に溢れていました。

2010年7月16日金曜日

 今日は用事がありましたので菅野弁護士の事務所を訪ねて、市橋君の最近の様子や7月12日に行われた第2回公判前整理手続の様子などを伺ってきました。市橋君は、独居房での処遇は改善されていないものの、前回の時よりも元気をとりもどしているとのことでした。雑居房に入れば、6~8畳(?)くらいの狭い部屋に通常は4人(今は混んでいるので5~6人?)が同居し、時間がくれば床に布団を敷いて就寝し、時間がくれば合図で一斉に起床して布団をたたみ、時間がくれば一斉に食事をする・・というようなプライバシーのない軍隊のような生活になるようです。現在の立場の彼がそういう共同生活での人間関係をうまくやっていけるかどうか、そういう意味では独居房にいることは悪いことではないかもしれません。市橋君には、逃走中に建設現場で他の労働者仲間と共同生活をしてしっかり働いていたという実績がありますので、自分自身を取り戻しさえすれば問題はないと思いますが。

 第1回公判前整理手続で、検察側は死体遺棄罪、強姦致死罪、殺人罪の主張をしましたが、昨年12月23日に市橋君が取り調べの検察官に証言した内容に基づいて検察側が作成した調書では、実際の事件の経過はそのような罪状に相当しないということのようです。つまり、検察側は市橋君は事件の経過を正直に話していないとみなして、調書の内容とは異なる前記の罪を適用したのでしょう。そこで第2回公判前整理手続では、市橋君の証言に基づいて弁護側が死体遺棄罪、強姦罪、傷害致死罪の主張をし、8月17日に予定されている第3回公判前整理手続で、検察側が弁護側の主張を受け入れるか反論をしてくるか(たいていの場合は反論してくる)という段取りになるそうです。

 ひとつのポイントは、リンゼイさんの死亡時刻でしょう。検察側が構築した主張通りだと、死亡時刻は事件の起こった25日朝10時ちょっと過ぎの筈で、市橋君の証言通りだと25日はその後一緒にキング牧師の演説を聴いて言葉を交わしたりしているので、亡くなったのは26日未明(朝2~3時)の頃の筈ですが、検死・解剖所見でそこまで正確な死亡時刻の断定ができないとなると、どちらが正しいかを証明するのは両方にとって難しくなります。
 もうひとつのポイントは、リンゼイさんの死因が正面から殺意をもって首を絞めたことによるのか、静かにさせようとして後ろから腕を廻して口を塞ごうとしてもみ合いになったことによるのか、ということでしょうが、これもどちらが正しいかを証明するのは難しそうです。

 検察側が提出した山のような証拠書類のコピーを最初の1部は指定された高額な場所でとって、それから弁護団全員(6名)分のコピーをとったりしたのに40万円くらいかかったようですが、皆さまから提供された支援金が有効に活用されたとのことでした。また、検察側が提出した検死・解剖所見についても、セカンドオピニオンを求めるために8月になったらある大学の法医学教室に見てもらうそうですが、その場合も旅費を含めて支援金が活用されるとのことでした。皆さまのご支援のお陰で、市橋君に適正な裁判を受けさせることができます。

 明日は明治大学(お茶の水キャンパス)のリバティタワーという建物の教室で、北野 大教授がコーディネーターをしている新領域創造特論2「化学物質の法規制」という講義を担当します。13:00-14:30と14:40-16:10の2回、主として農薬の安全性について別々の内容の話をする予定ですが、学生に加えて大勢の社会人受講生も出席していますので楽しみです。

2010年7月15日木曜日

 7月13日に1名(6回目)の振り込みがありました。振替受入明細票に記載してある現在高は私の記録よりも1万円多いので、多分7月12日に振り込んで下さった方の分の振替受入明細票が遅れていて届いていないのでしょう。それも含めて、支援金の現在高は35,000円、延べ141名からの合計額は1,908,565円になりました。ありがとうございました。

 昨日・今日と埼玉県の熊谷市で農林害虫防除研究会があって出かけていました。農業現場に近い都道府県の試験・研究機関の研究者から多くの興味深い研究発表がありました。私たちが栽培している作物は、野生植物を人間の食用に適するように品種改良して天然防御物質(毒物)の濃度を低くしたり除去してありますので、人間の手で保護してやらないと病害虫に食べられて期待した収獲が得られません。また、生産効率を上げるために、そういう作物を広面積に単一で栽培しますので、自然の生態系のバランスが存在しないということも、病害虫にとっては繁殖するのに好都合な条件になります。そのために、各都道府県に設置してある農業総合研究センター(昔は農業試験場と呼ばれた)が、所管する地域の重要な作物を病害虫による加害から守る技術を研究・開発して、農家に提供するという役割を担っています。

 特に、今まで日本にいなかった病害虫が侵入してきた時は大発生して甚大な被害をもたらすことがよく知られています。まだ今のような進歩した農薬が発明される前の1911年(明治44年)に、アメリカからオレンジやレモンの苗木を輸入した時にイセリヤカイガラムシという害虫が一緒に入ってきて柑橘に大きな被害をもたらすことが予想されましたので、それを防除するためにベダリアテントウムシという天敵(害虫を食べてくれる昆虫)を輸入・放飼して成功したことは古典的な成功事例として教科書にも載っています。現在は、天敵も外来生物の一種と見なされますから、日本固有の生態系や生物多様性に悪影響がないことを確認してからでないと輸入・放飼できません。ここには、食料を生産する農業を大事にするのか、自然生態系を大事にするのかという難しい問題があります。さらに難しいのは、自然生態系と言っても、実は日本列島誕生以来、動物にしても植物にしても昆虫にしても、いろいろな生物が常に海外から入ってきていて、外来生物はいったん定着すれば土着の生物になってしまいますので、日本固有の自然生態系というのは何だろう(存在するのだろうか)という問題があります。
 今日のシンポジウムでの高木正見教授(九州大学)や古橋嘉一博士(元静岡県果樹試験場・現アグロカネショウ株式会社)の講演は、そういう難しさを再認識させてくれました。

2010年7月12日月曜日

 今日も1名の方から支援金を振り込んだというメールでのお知らせが届きました。菅野弁護士からのご連絡では、本日午後1時半から第2回公判前整理手続が行われるとのこと。16日に訪問する時に、市橋君のその後の様子なども伺ってきたいと思っています。

 ご覧になった方も大勢いらっしゃると思いますが、昨夜10時からNHK教育テレビで、”ETV特集選「死刑囚・永山則夫」19歳少年の連続射殺事件/書簡と新証言でたどる心の内/被害者への償い”という1時間半の番組をやっていました。貧しさゆえに小さい子供の時に母親に捨てられた少年が、貧困を生む社会を悪とみなして無関係の人を4人も射殺し、最終的に26年(?)後に死刑が執行されるまでの彼の獄中での経験と心の内を見つめた内容でした。支援者に差し入れてもらった膨大な数の本を読んだり、死を覚悟(ある時期はむしろ望んで)して、獄中で書いた本がベストセラーになって、その印税を被害者の遺族に送ったり、日本人の母とフィリッピン人の父との間に産まれて同様に悲惨な境遇を経験した女性と結婚・離婚したり、社会の多くの人々との手紙を通しての交流、弁護団の活躍とある裁判官の判断で無期懲役の判決が下されて生きる望みを取り戻したり、控訴審で差し戻されて死刑が確定してその望みを絶たれたり、・・・。犯した罪が許されるわけではありませんが、犯罪を犯す人にはそれぞれの背景があるということを考えさせられました。
 罪を償うとはどういうことなのか、獄中で前向きに生きるとはどういうことなのか、市橋君のことを念頭に置きながら考えさせられました。

2010年7月11日日曜日

 7月7日に1名(2回目)の振り込みがありましたので、支援金の現在高は15,000円、延べ139名からの合計額は1,888,565円になりました。ありがとうございました。

 昨日の新聞に、国際サッカー連盟(FIFA)が、今大会でここまでに記録された139得点のうち3得点については誤って認められたと判断しているという記事がありました。レベルの高い審判団が選ばれているにもかかわらず、誤審はあり得るということです。イギリスとドイツの試合のゴールのシーンは何回も放映されたので、ボールがゴールラインの中に入っていたことは誰が見ても明らかでした。野球でも相撲でもこの頃は微妙な判定で物言いがついた時は、審判が下した判定がビデオ鑑定で逆転されることがあります。サッカーではまだそういう制度になっていないので、本当はイギリスの得点だった筈のあの1点は幻のゴールのままになりました。

 裁判でも、足利事件で死刑判決を受けて長年服役していた菅谷さんが、不正確なDNA鑑定と拷問に近い取り調べで嘘の自白をさせられたことが明らかになって、一転して無罪になったことは記憶に新しいところです。今はまた、43年前に起きた布川事件で犯人とされて長年服役した二人の被告の再審が注目を集めています。
 日本の裁判制度の中で、検察側は犯罪の被害者の利益を代表して被告人の有罪を証明するのがその役割でしょうけれども、過去の事例からわかることは、検察側が、構築した仮説の証明に不利な証拠は隠して無理を押し通したために、冤罪を作りだすこともあるということではないでしょうか。その結果、本当の犯人がわからなくなるだけでなく、有罪とされた被告人は死刑になったり、服役によって人生の長い時間が空白になるという取り返しのつかない悲劇がおこります。

 市橋君の事件でも、犯した罪に相当する償いをしなければならないことは当然ですが、当初彼を取り逃がした失態や、長期間身柄を拘束できなかったことや、メディアの異常な注目を集めたことや、イギリス国民の対日感情に対する外交的配慮などから、検察側がことさら無理な証明をしようとするようなことはないと信じたいと思います。あくまで、事実を明らかにする適正な裁判が行われることを期待したいと思います。そのためにも、弁護団にはがんばってもらう必要があります。

 私は昨夜金沢から帰ってきました。帰路は米原経由でしたから、新幹線で市橋君の郷里の岐阜羽島付近を通過した時には、窓の外の景色を眺めながら、この町で高校時代までを過ごした市橋君のことを思い浮かべました。私には裁判の行方は全くわかりませんが、彼がきちんと裁判を受けて、罪を償って、いつの日か人生をやり直す日が来ることを祈ります。

2010年7月7日水曜日

 7月5日に新たに振り込まれた方の支援金が届きました。前回までの分は7月2日に全額を菅野弁護士にお届けしましたので、支援金の現在高は5,000円、延べ138名からのこれまでの合計額は1,878,565円になりました。ありがとうございました。

 第2回の公判前整理手続は7月12日に予定されているようですが、6月28日に開催された第1回からの間隔が短いので、お互いが提出した主張に対して十分な検証をする時間がなく、検察側と弁護側の本格的なやりとりは8月17日に予定されている第3回で行われることが予想されます。

 私は明朝6時過ぎの電車で松戸を出発して金沢に出かけます。今回は比較的早めに講演の準備ができました。パネルディスカッションもありますし、金沢でのまた新たな人々との出会いが楽しみです。もうひとつの楽しみは、明後日9日の夕方に、卒業論文の研究で私の研究室を専攻し1981年(昭和56年)と1982年(昭和57年)に卒業した元学生二人と会って一杯やれることです。当時の私の研究室は皆で夕食を作って食べた後の夜間に制限時間なしのセミナー(研究の中間報告や英文の論文購読など)をやったりしていましたので、どの学生はお箸がちゃんともてないとか、甘いものが大嫌いだとか、ドラムを叩くのが趣味だとか、寮に住んでいる誰かをガールフレンドにしたとか、個人的なくせや情報までお互いにわかって、まさに同じ釜の飯を食べた仲間でした。そんな彼らももう50才前後の筈ですから、自分たちの子供が大学生に近い年齢になっている筈です。
10日の夜には松戸に帰ってくる予定です。

2010年7月5日月曜日

「市橋君の絵や字や姿から、何か人間の深い、ユダヤ人のような芸術的悲哀を感じ、心を動かされた」という、ご自身も芸術活動をしておられる方から、支援金を振り込んだというメールをいただきました。。「ささやかですが、コピー代の一部にお役立ていただければ幸いです」とありましたが、支援金現在高が0円になると、またこうして新たに振り込んで下さる方がいらっしゃるのですから、ありがたいことです。

昨日は日曜でしたので、アメリカから来日中の孫たちと一緒に房総半島の亀山ダムに行ってボート遊びをしました。松戸から車で2時間くらいの距離ですが、久留里線という単線の電車と並行して走っている山村の街道をドライブするのは、小学校の時の遠足のような楽しい気分でした。山に囲まれた田んぼの稲の緑が田植え直後の弱々しい薄緑から、しっかりした濃い緑に変わって、緑の絨毯のように鮮やかでした。蒸し暑い一日でしたが、娘と小さい孫二人(5才と3才)は足こぎのスワンボートで湖を遊覧し、大きい孫(7才)と私はフィッシング用のボートに乗って釣りをしました。暑過ぎて釣果はゼロでしたが、孫に「You are the captain of this boat」と言って電気モーターの操縦桿を握らせて運転させ、右に左にと曲がるボートを必死に運転するのをニコニコ眺めていた私の心境は、まぎれもなくGrandpaでした。



8日の金沢での講演の準備はほとんどできましたが、今度は17日に予定されている明治大学(駿河台キャンパス)での講義の準備を始めなければなりません。その他にも今月は雑誌の原稿の締め切りが迫っているのが2つありますので、それが済むまではまたまたスケジュールに追われて胃が痛くなるような生活です。

2010年7月3日土曜日

 6月29日に1名(4回目)と6月30日に1名(2回目)の振り込まれた分の払込取扱票が今日届きました。「市橋さんが精神的に疲れておられると以前先生がおっしゃっていたので心配しています。これからキツク長い道のりです。真摯に反省し、人として強くなって頂きたいです」というメッセージと、「受領の通知書は不要です。ウェブサイトは毎日拝見しています」というメッセージをいただきました。ありがとうございました。昨日報告しましたように、支援金現在高は377,265円、延べ137名からの支援金合計額は1,873,565円になりましたが、すでに全額を引き出して菅野弁護士にお届けしましたので、口座に残っている支援金現在高は0円に戻りました。

 市橋君は狭い独居房(3~4.5畳?)の中で、私物も厳しく制限され、会話をする相手もなく、洗面用具のような日常生活品を要請しても届くのに時間がかかったり(看守が人手不足で忙しいため?)、きわめて不自由な生活を強いられているようです。未決囚ですから推定無罪の扱いの筈ですが、すでに7ケ月もこういう状態で拘束されているために、相当なストレスになってきているのでしょう。それが拘置所の生活と言ってしまえばそれまでですが・・・。拘置所の誰かの判断で、自殺の恐れがある病人という最初のしばりが解除されればよいのですが、万が一の場合の責任を考えてそう簡単ではないのかもしれません。
 そういう変化のない生活から少しでも抜け出すという意味もあって、公判前整理手続への出席を望んだようです。ただし、当初身柄を拘束されて移送された時のように取材のメディアに取り囲まれてもみくちゃにされる状況は避けたいという希望で、拘置所から裁判所へは車で移動し、入口に車が横付けされるという配慮がされたということのようです。そのために、15~16人くらい集まって待ち構えていた取材陣には捕まらなかったようです。

 弁護団は市橋君に週に1~2回接見するのに加えて、2~3週間に1度の間隔で全員が集まって弁護団会議を開いて、弁護方針の相談をしているそうです。検察側とのやりとりが本格化するこれからが正念場でしょう。次回の公判前整理手続は7月12日に予定されているようです。

2010年7月2日金曜日

ちょっと前に菅野弁護士の事務所から帰ってきました。郵便局に寄ったら6月28日以降にさらに3万円振り込まれていました(払込取扱票はまだ届いていないので何人分かはわかりませんが)ので、現在高は377,265円になりました。先ほど全額を菅野弁護士にお渡ししてきました(領収書添付)。これで、今まで135名プラスアルファから寄せられ、弁護団に届けた支援金合計は1,873,565円になりました。全国の支援者の皆さま、ありがとうございました。公判が始まるまでまだ何ケ月もありますので、弁護団にがんばっていただくために、募金活動はこのまま続けたいと思います。

すでに報道されましたように、6月28日に第1回の公判前整理手続が行われましたが、非公開ですので、内容については検察側も弁護側も公表できない(双方とも整理手続の進展によっては主張が変わってくる可能性があるので)ようです。ただし、今回は、事件に関する法的やりとりは約30分で済み、その後市橋君自身が、千葉拘置所での処遇改善の申し入れを3~5分行ったとのことでした。被告人が公判前整理手続に出席するかどうかは、本人の希望で決められるそうです。

ニュースをご覧になった支援者の何人かから、市橋君の精神状態を心配するメールをいただきましたが、病舎にいるというのは途中から何かがあってそうなったのではありません。行徳警察署で取り調べを受けている時にかなりの日数を絶食していましたので、自殺の恐れがあるということで、警察の手配で医療処置の受けられる千葉拘置所に移管換えをしたという経緯があります。そのために、最初から未決囚の病舎(独居房)に入れられ、私物の持ち込みも厳しく制限され、他の囚人との接触も避ける措置(例えば、運動の時間も他の囚人と一緒にならない時間にするなど)がとられたようです。市橋君の事件はメディアに大きく取り上げられて有名人になっていたので、他の囚人のいじめに遭う(雑居房に入った場合)のを防ぐという理由と、他の囚人(既決囚)が外部の人と面会をする時に市橋君の情報を外部に漏らすのを防ぐという理由からのようです。

しかし拘束期間が長くなると、私物の持ち込み制限や弁護団以外との接見禁止(証拠隠滅を防ぐため)に加えて、弁護団との接見も週に1~2回、1~1.5時間程度という状態は耐えられない精神的苦痛になって、5月の連休明け頃に弁護団に改善を訴えたようです。弁護団は裁判官に改善を申し入れ、拘置所にも改善を申し入れたようですが、改善はされていないということのようです。
問題は、身体拘束を担当している裁判官(1名)と裁判を担当している裁判官(3名)は権限が別々だということのようです。公判前整理手続に出席したのは後者だけです。後者は身体拘束は権限外で、前者は身体拘束の承認(命令?)は行うが、実際の身体拘束は千葉拘置所に責任があるということです。市橋君自身は、自殺の可能性を否定し、裁判を受ける覚悟であることを告げ、現状の取り扱いは精神的に追い詰められて耐えられないので、他の未決囚と同様の扱いを願箋(がんせん=法律用語)してあるそうですが、自殺を防ぐ措置をどうするかは千葉拘置所の裁量の範囲ということのようです。現状の扱いがこれからさらに公判が開かれるまで何ケ月も続くと、その方が本人を精神的に追い詰めて自殺の可能性を高めることにならなければよいのですが。

身体的には何も問題はないとのことです。聖書と英語の辞書は独居房に置くことが認められているようです。市橋君自身で亡くなったリンゼイさんとそのご家族に宛てて事件の経緯の説明と謝罪の文を日本語と英語で書いたそうですが、それをイギリスに送れるかどうかは、検察を通してイギリスのリンゼイさんのご家族の代理人に受取ってもらえるかどうか確認してからでないとわからないそうです。私が以前リンゼイさんのご両親宛に長文のメールを代理人経由で送信した時に、日本の検察を通さずに直接接触したことはけしからんと代理人から抗議が届いたのと似ていて、理解し難い状況だなと思いました。

私が市橋君に適正な裁判を受けさせるために募金活動をしていることは弁護団から市橋君には伝えてあって、このWebサイトの記事も6月何日かの分までプリントして差し入れてある(証拠隠滅には関わらないということで)とのことでした。従って、全国の大勢の支援者が市橋君を支援していることは伝わっているとのことでした。

2010年7月1日木曜日

 6月28日に2名(2回目と3回目)の方から振り込みがありました。「市橋君にも何時の日か働く喜びを味わうチャンスが訪れますように」というメッセージと、「市橋君のご両親の立派な強いお考えに強く心がいたみます。刑が軽くなるよう毎日神に祈っております。気のどく過ぎます。市橋君もがんばって下さい」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。支援金の現在高は347,265円、今まで延べ135名からの合計額は1,843,565円になりました。メールでもお便りや、励ましのメッセージが届いています。お一人からは、市橋君と岐阜県の高校で同級生で、サークル(陸上部)活動も一緒にして仲が良かったという人の情報をいただきました。市橋君の大学時代の友人は私の方である程度は把握できますが、それ以前の友人については私には全くわかりませんので、もしご本人がこのサイトをご覧になる機会があれば、ご連絡いただければと思います。

 私は7月8日木曜は金沢に出かけ、「みんなで”農薬いどばた会議” in 金沢」(会場:石川県地場産業振興センター本館1F大ホール)という一般消費者を対象に農薬について解説する企画に出演する予定です。
金沢には古い卒業生(千葉大学時代の研究室専攻生)もいますので、今から連絡をしてみて都合がつけば講演後に金沢に一泊して、久し振りに旧交を温めてきたいと思っています。新幹線で往きは越後湯沢経由で行き、復りは米原-名古屋経由で帰るつもりです。