2011年8月31日水曜日

今日は千葉運転免許センターに行って国際運転免許証を申請・取得してきました。アメリカの空港に到着したら、友人が借りておいてくれるレンタカーをすぐ運転して宿泊予定のモーテルに行きます。ノースカロライナ州は南部の田舎で公共交通機関がほとんど発達していないので、自分で車を運転しないと足がないのと同じで不便です。向こうは日本と逆で運転席が左側にあって、車は道路の右側車線を走行しますので、しばらく慣れるまでは慎重に運転します。毎年のことなのでこの頃は頭の中をパッと切り替えられるようになりましたが、それでも交差点で右折や左折をする時は注意をしないと習慣的に反対側の車線に入って逆走してしまいます。

その後で、千葉拘置所に行って市橋君に接見してきました。午後の時間帯だったので昼寝をしていたのか、頭は長い縮れ毛が鳥の巣みたいでした。今日は5回目の接見でしたが、彼の方から私の言葉を遮る(さえぎる)くらい積極的に話してくれました。健康状態も問題ないとのことでした。前回も今回も、もう涙はこぼれませんでした。

江原啓之著の3冊の本は、先週私が言ったことは無視して、先入観念なしに読むように伝えました。無期懲役囚が著した「ドキュメント長期刑務所」は今日の接見後に差し入れの手続きをすることを伝えました(実際にそうしました)。差し入れ申込書には、私の名前の後に(〇〇/〇〇県)と支援者のお名前と県名を追加しました。東北大震災の写真集は支援者が新しいのを購入して私宛に送って下さることになっているので、届いたら差し入れすることを伝えました。このブログは、区切りを考えて明日にでもプリントして郵送で差し入れしようと思っているからと伝えました。

お花の差し入れについては、遠くにお住いの支援者が差し入れしてほしいと言ってお金を送って下さることになっているので、来週私から差し入れするからと伝えました。最初に花を差し入れて下さった方が一緒に差し入れた花瓶がひとつしかありませんので、来週は他の方は花の差し入れは重ならないように控えていただけると幸いです。

本を差し入れたり、手紙を市橋君宛に書いて下さった支援者の中には、家族や周りの人に内緒でしている方もおられるので、礼状を差し上げる時は迷惑になることもあるので慎重にと言っておきました。私が差し入れた支援者一覧表でどなたが支援者かは判断できるし、今まで差し入れをして下さった方のお名前はちゃんと控えてありますと言っていました。ただ、礼状を書いたり、支援者の接見は受けてもいいのですが、何を話していいかわからないので・・・と言っていました。弁護団が控訴審の準備をして下さっている時に、自分が何かを言ってそれが外に広がって足を引っ張るようなことにならないようにしたいと言っていました。私に対して言うことも(内容によってでしょうが)、弁護団の足を引っ張ることにならないように、できるだけ私の胸の中だけに収めておいて下さいとも言っていました。従って当分の間は支援者に礼状を書くことも、支援者の接見を受けることもないと思います。私がブログに書けば支援者全員に伝わるよと言ったら、ありがとうございますという感謝の気持ちを伝えていただければと言っていました。

独居房ではラジオのニュースと言っても音楽を流していることもあって外のことはわからないので、文字の書いてあるものを差し入れていただけるのは大変ありがたいと言っていました。市橋君は未決囚ですから、図書室を利用したりテレビを観る機会もあると言われる既決囚とは違う状態にあるのでしょう。

今日も菅野弁護士と山本弁護士が接見に来られたので、宅下げをお願いしましたと言っていましたので、いずれ宅下げした本をどこかの図書館に寄付をするなり、処分方法については皆さんと相談をするからと伝えました。これからもいろいろな本が差し入れされるだろうけど、社会から隔離されている君にとっては本だけが外との接点であり、勉強できる方法なのだから、読んだ後で感想や感じたことのメモを残すようにしたら、思考力や表現力のトレーニングにもなるのではないかと勧めてみましたが、これに対しては無言でした。というか、隣に座っている刑務官にすでに8分が過ぎたと言われていたので、考える時間がなかったのかもしれません。今日の刑務官は親切で、私の最後の言葉を黙って言わせてくれました。

私は来週もう1回接見に来るけど、9月11日~10月5日はアメリカに出かけるので来れないことを伝えて接見室を出たら、頭を深く下げて見送ってくれました。外で普通に生活している人間でも、ちょっとしたことで気分が沈んだり明るくなったりを繰り返しますが、市橋君のような立場にあれば、一人で考えている中に絶望的に落ち込むこともあるのでしょうが、今日見た市橋君は自分から話をしてくれたので、前回よりもさらに元気を取り戻していると感じました。

2011年8月30日火曜日

菅野弁護士の事務所を訪ねて、その後振り込まれた支援金260,000円をお届けし(領収書添付)、今後の控訴審の予定などについて伺ってきました。

千葉地裁における一審の記録の文書化・整理はまだ進行中で、9月中旬を目途に整理を完了して東京高裁に届けるという見通しのようです。控訴審は新しい裁判官の下で行われますが、検察官も東京高検所属の新しい検事が担当するのだそうです。弁護団は、市橋君の強い要望で、すでに信頼関係ができている一審の弁護団が引き続き担当します。

控訴審では、民事裁判の場合は最初から審理をやり直すことができるのと違って、刑事裁判では一審での不当と思われるところだけを審理するので、裁判官によって不当なところはないと判断されると1回で結審することもあり得るとのことです。弁護団は9月2日に弁護団会議を開いて全員で状況を検討する予定です。

未決囚が独居房に保管できない差し入れ品の中で、衣類については宅下げして菅野弁護士の事務所に一部保管してあるそうです。市橋君が読み終わって、スペース不足で保管できない本をどうするかについては、明朝菅野弁護士と山本弁護士が控訴審の打ち合わせで接見に行くときに市橋君の意見も確かめてくるとのことです。刑務所にある図書室は、既決囚は利用できるが、市橋君のような未決囚は利用できないそうです。なお、市橋君の身柄が東京の小菅拘置所に移される時期は不明ですが、早くても多分9月中旬以降だろうとのことです。

今日は車で千葉市にある弁護士事務所に行きましたので、終わってから、私が千葉大学時代に野外での農薬の生態影響調査で何年間も通った大網白里町砂田(いさごだ)の谷津田まで足を延ばしてみました。途中、収穫を待ってる黄金色の稲穂が垂れている水田も、すでに収穫が終わって寂しい気配のする水田もありました。砂田の栗や柿はまだ未熟、農家から少しおすそ分けしていただいたじゃがいもは収穫済みでした。じゃがいもは明日にでも妻にふかしてもらって食味してみるのが楽しみです。さらに足を延ばして白子海岸に行ってみたら、台風の接近で波が荒いにもかかわらず、若者たちがカイトサーフィン(カイトセーリング)をやって過ぎゆく夏を惜しんでいました。私たちは、戸外に出て、風の匂いをかぎながら、鳥や人々の声を聞きながら、こういう景色を眺められるのは幸せなことだと思います。市橋君にそういう自由が再び与えられるのは何年後になるのでしょう。(写真はクリックすると拡大できます。)

2011年8月29日月曜日

8月25日に振り込まれた2名の方(初回、6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は260,000円、延べ390人からの合計額は3,777,428円になりました。ありがとうございました。

6回目の方からは手書きのメッセージがありました。
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本山先生との接見の度に市橋君が元気を取り戻しているようで、安心しておりますが、私の意見としても、当分の間は弁護団と先生のみの接見が良いのではと思います。残暑も厳しいですので、先生、お身体ご自愛下さい。
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初回の方は、今まで非支援者としてブログの記事についてコメントを頻繁にメールで送ってこられた方ですが、今回は支援者の仲間入りをすることについて次のメールが届いています。生活が大変な状況で支援して下さりありがとうございます。このブログをそこまで熱心に、真剣に読んで下さるのは嬉しいのですが、それよりも、先ずはご自分が打ち込める何かが見つけられることを期待しています。
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ブログの聴講生から卒業できそうです。
振込先を見て窓口の美しい女性の顔色が変わって、「この人ってこんな顔もできるんだ」と複雑な心境で振り込んできました。大の大人が精一杯頑張って¥〇〇〇だけなのですが。
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私はネット上で他の人が私自身やこの支援する会についてどんな書き込みをしているか見てもいませんし、全く気にもしていません。現実にやりたいことがたくさんあって、時間的な余裕がないことも理由の一つです。昔はよく学生がネットに私に関してこういう書き込みがありましたと言ってプリントして持ってきてくれた時は、へー、そんなことを言っている人がいるんだと言って目を通していましたが。

昨日の記事について支援者から以下の感想が届きました。
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こんにちは。アメリカのハリケーン被害、今朝ニュースで見ました。先生の友人はご無事のようでよかったですね。死者のなかに子供もいるみたいで悲しくなります。
ブログのお写真、大きく写っているのが先生ですか(本山:そうです、22才の時の私です。知らない間に誰かが撮って後で渡してくれました。)     
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友人の話で大変恐縮ですが、やはり何かに打ち込んで頑張っている人はステキだなと感じます。
また、それに良い意味で影響をうけ私や共通の友人も頑張れているので。ニートやネットでばかり人を批判している人達には何かに向かって頑張るという素晴らしさを知ってもらいたいですね。
また先生のブログ楽しみにしております。
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千葉大学で現職教員時代に、2年生対象の講義で専門の内容以外に、学生たちに毎年強調していたことが2つあります。1つは、自分の専攻分野の勉強を一生懸命するのはもちろん大切だが、それ以外の分野についても単に卒業に必要な単位だからというのではなく、自分の視野を広げる、基礎を広げるために、積極的に勉強しなさいということ。社会はどんどん変わっていくので、卒業後40年くらいは社会で働かなければならない時に今手持ちの専門知識だけではすぐ対応できなくなるので、社会が変わっても対応できるように専門の分野を深めると同時に常に基礎を広げる努力を続けることが大切だということを教えました。もう1つは、学生の間に(できれば卒業論文の研究室に入る前に)自分はこれからの人生をどういう生き方をしたいのか、何をしたいのかを見つけなさいということ。そうすれば、どの分野が就職に有利だとか、給料がいいだとか、職が安定しているだとかで右往左往するのではなく、自分の生きたい生き方ができるので迷う必要はないということを教えました。人はそれぞれ置かれた環境や、持って生まれた才能(スポーツが得意か、物理や数学が得意か、音楽や美術のような芸術が得意か、工作やレンガ積みのような手作業が得意か・・)は違いますが、学生達にはこれしかできないからというのではなく、自分の才能を生かして、自由に自分が本当に生きたいと思う生き方をしてほしいと思ったからです。
昨日のブログで書いた、打ち込める何かを見つけるというのはそういう意味です。

2011年8月28日日曜日

アメリカは西部海岸は時々大きな地震がありますが、東部はほとんどないにもかかわらず、ニュースでは珍しく東部で比較的大きな地震があったということと、ハリケーン・アイリーン The Hurricane Irene が上陸したと伝えていましたので、ノースカロライナ州の海岸に近いウィルミントン Wilmington という町に住んでいる友人のユージン・サンチェス Eugene Sanchez 君(カストロ首相らによる共産革命の時にキューバから両親が亡命してきたスペイン系アメリカ人)に被害の程度はどんな様子か電話をしてみました。日本の日曜の夜8時は、向こうの日曜の朝7時になります。今回のハリケーンは海岸から内陸部まで巾広い地域が影響を受け、木が倒れて電線が切れて停電したり、大雨で浸水したところがあるとのことでした。ユージン・サンチェス君は電力会社にエンジニアとして勤務しているので、停電があると現場に派遣されて復旧工事に追われます。今日も今から海に隣接したモアヘッドシテイMorehead City という町に電気の復旧工事に出かけるところだとのことでした。電機は便利で普段はありがたさを忘れていますが、いざ停電で使えなくなると、いかに不便かを思い知らされます。ニュースではノースカロライナ州で8人の死者がでたと言っていましたが、彼の家の被害はたいしたことなかったようでホッとしました。今から約2週間後に私が向こうに行く時は、彼のところにも訪ねる予定です。1970年代からの空手の弟子/友人です。

昔私が千葉大学の学生だった頃、空手部の主将をしていました。毎年、4月の新入生が入学してくる時期には新入部員を勧誘するために、学内の空き地で空手の型や板や瓦を割る試割(しわり)のデモンストレーションをしていました。当時の写真(まだ白黒写真の時代でした)が残っています。1965年4月の筈ですから、46年くらい前の写真です。誰でもそうでしょうが、若い時には怖いもの知らずで、武道家になろうと思って一生懸命稽古に打ち込んでいました。結局武道家にはならずに自然科学の研究者になってしまいましたが、悔いはありません。何かに打ち込んでいた時代の懐かしい思い出です。
若者には、自分が打ち込める何か(人生の目標)を見つけてもらいたいと思っています。何かを見つけるためには、パソコンや携帯メールの画面とばかりにらめっこするネット中毒を脱して、よい本をたくさん読んで、真剣な恋愛もして、いろいろな人の話を聴いて、体も動かして、自分は何をしたいのかを一生懸命考えることが必要です。その何かが見つかれば、あとはそれを実現するために頑張ればいいだけです。


今日は昼ごろ江戸川の堤防をゆっくり12km 走ったり、歩いたりしてきました。まだ暑くて少しバテ気味でしたが、気分は爽快でした。

2011年8月27日土曜日

支援者がせっかく選んで差し入れた本について私が市橋君に余計なアドバイスをしてお叱りを受けたことについて、お二人の支援者から励ましのメールをいただきました。ありがとうございます。直接謝罪のメールを差し上げましたので、もう大丈夫だと思います。

金子みすずの本を差し入れされた方から次のメールが届きました。
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金子みすずを知ったのは十数年前、ある女性週刊誌で特集されてからでした。とても大正から昭和にかけてに書かれたとは思えない現代にも通じる内容でした。そして、彼女から見れば役に立たないように見えてもきちんと役に立っている。みなそれぞれ違いがあっていいのだと、そして相手の気持ちになって考えることを教えてくれました。
最近だと震災直後のACで「こだまでしょうか」、火曜日夜九時から放送されている「開運なんでも鑑定団」のCMに「雀のかあさん」が使われています。決して市橋君に押し付けるつもりは全くなく、気に入らなければゴミとして捨てても一向に構いません。

寝覚の床は21年前に行った事があります。懐かしいですね。地名かどうかは不明ですが名勝として知られています。浦島太郎が竜宮城から帰ってきて目覚めたところという伝説が残っています(本山:やっぱり場所のことだったのですね。)

本山先生来月からのバケーションを存分に楽しんできてください。ブログでの報告を楽しみに待ってます。
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先日お花を差し入れされた支援者からは、地図帳を差し入れしてきたという報告が届きました。地図帳はいいですね。独居房の中にいて、日本中・世界中を旅できますので。読み終わって保管しきれなくなった本については、来週接見に行く時に、市橋君とも少し相談してきます。せっかく皆様の善意で差し入れされた本ですから、古本屋で安く売るよりも、もし刑務所の中に図書室があるのなら他の受刑者が読めるように寄付をするか、どこか田舎の、本を購入する予算があまりない公立図書館に寄付をするなり、市橋君が読み終わっても本は貴重な財産ですから、有効利用されるようにもう少し考えたいと思います。
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本日(8/26)千葉刑務所に差し入れに行ってきました。
本は、定期的に差し入れようと思ってましたが、今後につきましては、少し検討しようと思います。
先日、本山先生と面会なされた時も、市橋達也さんは差し入れ希望の本はないと仰ってたとの事で、遠慮されてるのか本心かは分かりませんが…他の支援者の方も様々な本を差し入れられてますので(不要の物は宅下げされるのとは別にして)未読の本をどの位、保管出来るのか気になります。

千葉刑務所に電話で問い合わせましたら、本の差し入れは、窓口は1日5冊迄で郵送は制限がないそうですが、量が多いと他の物が入らなくなってしまうそうです。部屋の中に置けるケースが有りまして、その中に衣類も含めて本も保管されるそうです。ケースに入らない物は刑務所内で保管し、必要な時は部屋に入れてもらえるなら、沢山届いても問題はないと思いますが、この点は又確認してみようと思ってます。

(差し入れしたい小説も有りましたが)今回は地図帳を差し入れました。
《GLOBAL MAPPLE 世界&日本地図帳》
地図の興味の有無は分かれると思いますが、彼の手記を読みまして(あれだけの逃亡をしましたし)地理には詳しそうな感じがしました。又、初公判の時の証拠で、大型モニターに映し出されたマンションの部屋の中に、数枚の地図が貼って有りました。

彼に共感してもらえるかは分かりませんが…私は地図を見るのが好きで、その場所に行く訳では有りませんが、子供の頃に行った場所を見て懐かしく思ったり、友達が話してた地域を見て、どのような所か想像したり、彼の逃亡中の場所も、この辺りに居たのかなと考えたり、リンゼイさんのご家族のイギリスを見て、日本との距離の遠さを感じたり…又、本やテレビで見た地名を探したり、何気なく見たのに、結構ハマってしまいます。

売店で購入出来る食品や日用品や文具等も、今回は差し入れを控えました。せっかく千葉刑務所まで来たので何か差し入れたいと思ってしまいますが…やはり面会で必要ないと確認して頂いてましたし、まだある物を差し入れしても、仕方ないかなと思い止めました。こちらも千葉刑務所に電話で確認しましたら、売店内の物は全て、本人が購入出来るとの事でした。

ただ又、お花は届けたかったので、お花だけ差し入れました。昨日のブログで、先日差し入れたお花についての支援者からのメッセージを見て嬉しかったです。機会がございましたら、お伝え下さい。市橋達也さんに喜んで頂けてるか分かりませんが、お花は心を和ませてくれますので、少しでも癒やされればと思います。

今後の差し入れにつきましては、保管や処分も合わせまして、本山先生にご相談させて頂きたいと思います。
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今日は土曜日で天気もよかったので、江戸川の堤防にジョギングに行くのにカメラを持っていきました。今夕は松戸の花火大会なので、大勢の人が土手の上や斜面にブルーシートやテープを張って席取りをしていました。私は、住宅地に木槿(ムクゲ)の花が見えたら土手を下りて寄り道して写真を撮ってきました。このブログをプリントして市橋君に差し入れする時に彼にも今の季節を見せたかったからです。

2011年8月26日金曜日

8月24日に振り込まれた3名の方(4回目、15回目、12回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は256,000円、延べ388人からの合計額は3,773,428円になりました。ありがとうございました。

私がアメリカに出かける前に一度支援金を届けるために日程調整をお願いした結果、8月30日に菅野弁護士の事務所を訪ねることになりました。宅下げ品の保管について、将来は問題が出てくるかもしれないが、今のところ問題はないとのことでした。

ある支援者から、本の差し入れをするのに名前、住所などを書くのには抵抗があるので、私宛に送るから私から差し入れてほしいという連絡がありました。また市橋君から礼状や返信が届くのもちょっと困るので不要です、とのこと。支援者の中には、家族や周囲の人たちから理解されない中で支援をして下さっている方がいらっしゃるようで、ありがたいことです。もし他にも同じような事情の方がおられましたら、私から差し入れを致しますので、遠慮なくおっしゃって下さい。

非支援者が匿名で携帯メールで送ってこられるメッセージは、以前私がこのブログに紹介するかどうかを試すやらせだった場合がありましたので、掲載しないことにしていますが、支援者が差し入れ予定の金子みすずの本について届いた次のメッセージだけは紹介することにします。
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金子みすず。いいですね。数年前からブームですね。僕は高校の教科書で習いました。童話集も先生の勧めで買いましたよ。
僕の好きなのは
「魚」です

海の魚はかわいそう
牛は牧場で世話をされて
米は人に育てられ
池の鯉はフを貰うのに
海の魚は誰からも世話をされません
だのに、こうして私に食べられる
海の魚はかわいそう

これが一番好きです。山口県出身の方ですね。26歳で亡くなったんです。天才は、みんな早死にします。中原中也も宮沢賢治も。

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先日乗鞍岳に登ってきたとおっしゃった支援者から、「長野県の寝覚めの床で撮った」という写真が送ってきました。山小屋の窓から夜明け前に撮ったという意味でしょうか、それとも「寝覚めの床」という地名があるのでしょうか。。私も高校生の頃、山好きだった母と一緒に乗鞍や立山に登ったことがあります。いずれにしても、日々の喧騒を忘れさせてくれる、こういう写真はいいですね。私も楽しませてもらいました。ありがとうございました。



2011年8月25日木曜日

8月23日に振り込まれた方(26回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は231,000円、延べ385人からの合計額は3,748,428円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。
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支援者の方の心温まるお便りを読み、涙があふれました。どなたも同じ気持ちですね。それと、お花を差し入れてくれた支援者の方のあまりにもの優しさに胸が温かくなりました。そんな中で、市橋君が穏やかに毎日を過ごしてほしいと願っております。
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支援者から以下の本を差し入れる予定との連絡をいただきました。
〇金子みすゞ童謡集 JULA
〇行為の意味 宮澤章二 ごま書房新社
〇恐るべき数学の法則 河出書房新社
なお、私宛に送っていただいた「囚人狂時代」は私に読ませたかっただけで、市橋君にとっては適切な内容の本ではないので、差し入れしないようにとの指示がありましたので、そのように致します。

支援者から以下の本を郵送で差し入れたとの連絡をいただきました。
〇マンガ文庫のJIN(仁)全巻(1~13巻)

江原啓之著の3冊の本を差し入れされた方から以下のおしかりのメールをいただきました。私自身が本についても著者についても全く無知でしたので、余計なことを市橋君に言ってしまったようです。非支援者からの情報をうのみにして、軽率でした。せっかくよく考えて選ばれた本でしたのに、申し訳ありませんでした。次回接見に行く時に訂正しておきます。
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昨日はブログを拝見できず、今朝開いて驚きました。私がお届けした本(3冊)について、他の支援者(本山:非支援者だと思われます)から意見(忠告?)があったとのこと。
当たり前のことですが、私は実際に自分が読んで、市橋達也さんに読んで頂く価値がある本だと考え、贈らせて頂きました。特に「未来を拓く言の葉」という本は、東日本大震災のチャリティー本となっています。(印税が寄付されるのです) そして、本の内容は「人生には色々なことがあるが、全てを受け入れ苦難や試練を乗り越えることにより、人は幸せになれる。人として向上できる」というようなことが、書かれております。ある意味「人生哲学の本」だと思います。著者の江原啓之氏に関しては、その肩書きから、色々なことを言う方がおられますが(賛否両論)テレビ界を追放など、されておりません。現在も、BSテレビ朝日で「日本今昔道」というレギュラー番組に出演されております:毎週木曜PM23時~23時30分
また、吉備国際大学その他の客員教授もされており、社会的にもきちんと認められている方なのです。また、全国各地を公演や講座で駆け回り、チケットがとれないというので有名ですし、「Amazon」という通販会社の、書籍部門で(売上げ)殿堂入りを果たしている方です。(それだけ大勢の方が、江原氏の本を読まれているということです) 江原氏のことをろくに知りもしないで、ご自分の持つ先入観だけで、よく言えますね・・・
 
色々なことを言う方がいると思います。この「支援する会」に対しても、主旨を読みもしないで「あーでもない、こうでもない」と言われる方がいるのと同じだと、私は思います。念のため言わせて頂きますが、私は何の宗教等も信仰しておりません。
また、支援者がどのような本を贈ったとしても、読むか読まないか・・の判断は、市橋達也さんご本人が決めることではないのでしょうか??
江原氏の本を差し入れしたからといって、何を心配されたのでしょうか?
  
本山先生。本を読みもしないで、先入観やレッテルで物を言う、もしも、その支援者のおっしゃることだけをうのみにされて、「接見」の時に市橋達也さんにブログで書かれた内容を伝えられたとしたら、私はすこしがっかりです。本山先生ご自身が疑問に感じられたのであれば、私に直接ご連絡頂ければよかったのではないかと思います。これでは、インターネットで一方的に物を言われる方々と変わりないのではないでしょうか。
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2011年8月24日水曜日

8月22日に振り込まれた方(19回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は226,000円、延べ384人からの合計額は3,743,428円になりました。ありがとうございました。メッセージも手書きされていました。
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19回目の送金をさせて頂きます。よろしくお願い致します。少しずつ秋が近づき、気温が下がってきましたね。くれぐれも体調にお気をつけてお過ごしください。
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今日は千葉拘置所を午後一番に訪ねて市橋君に接見してきました。一目見て、先週よりさらに元気を取り戻していることがわかりました。健康状態はと訊いたら、大丈夫ですと答えました。テレビ、ラジオ、新聞はあるのかと訊いたら、テレビと新聞はないけど、ラジオは一日の中の決まった時間だけ(多分ニュースの時間?)聴くことができますと言いました。支援者の一人が東日本大震災の写真集を持っているので差し入れしようかと言っていたよと言ったら、以前弁護団から大震災があったということは聞きましたが、どんな被害の様子だったのかはわかりませんと言ったので、死者・行方不明者が2万人を超える大変な被害だったことを伝えました。また、それならその支援者に写真集を差し入れしてくれるようにお願いしておくからと伝えました。

差し入れされた本の中で、江原啓之という著者の3冊について、本の内容がいいから支援者が選んでくれたのだろうけど、著者自身はテレビに出演して幽霊が見えるとかインチキくさい発言をして、現在はテレビから追放されているという情報を送ってくれた人がいることを伝えました。宗教的な本の月刊誌「clay」と天理教関係の書籍については、もし差し入れがされたら自分で判断して読むように伝えました。服役経験者が書いた2冊の本「ドキュメント長期刑務所」と「囚人狂時代」については、支援者から今の状態の市橋君にとってプラスになるかマイナスになるか判断してほしいと言って私宛に届いているけど、一応差し入れするからこれも自分で判断して読むようにと伝えました。
昨年の2月から始まったこのブログについては、初めの頃の分は弁護団がプリントして差し入れして下さったようですが、最近の分は差し入れされていない模様でしたので、もう一度全部プリントして郵送で差し入れするからと言ってきました。支援者から市橋君へのメッセージが載せてありますので、市橋君があらためて支援者の皆様から寄せられたお気持ちに接することができると思います。

弁護団は今も大体週に1回は接見に来てくれていて、今日の午前中は山本弁護士が来て下さったと言っていました。今日も宅下げをお願いしたとのことでしたが、いずれ菅野弁護士の事務所も保管場所の問題がでてくるだろうから、今度弁護団と私と支援者の一部とで相談して古本屋などで処分して東北大震災の被害者に支援金として送ってはどうかと考えていると言ったら、お願いしますと答えていました。読みたい本や差し入れしてほしいものがあれば遠慮なく言ってほしいと伝えてほしいと支援者が言っていたよと言ったら、十分です、ありませんと答えました。独居房の中にカレンダーはあるのかと訊いたら、6ケ月分を1枚に印刷したものが壁に貼ってあるので不要ですとのことでした。

私は9月11日から10月5日まで3週間ちょっとアメリカに出かけて接見に来れないので、代わりに東京在住の女性でご夫婦で熱心に支援して下さっている方がおられるので接見に来てもらえないかお願いしてみようかと思っているのだがと言ったら、先生はその方にお会いしたことがありますかと言ったきり(会ってよく知っている人だと答えましたが)、困ったような顔をして返事がありませんでした。まだ弁護団と私以外には会いたくない、会う自信がないのだと感じましたので、この話はなかったことにしました。
支援者にブログで伝えたいことはないかと訊いたら、皆さまのお蔭で弁護団の先生方に弁護していただいています、とお礼を言っていました。支援金(昨日の時点で延べ383人からの合計3,733,428円)はこれまでの弁護活動の実費と控訴審の弁護料として使っていただくために、弁護団に提供したことを伝えました。

あっという間に8分は過ぎ、横に座っている刑務官のストップウオッチのベルが鳴ったので、また来るからなと言って席を立ったら、私がこちら側の小部屋のドアを閉めて去るまで立って見送ってくれました。だんだん市橋君らしさを取り戻してきましたので、今日は、控訴審でたとえ再び無期懲役になったとしても、大丈夫市橋君は前向きに生きて行かれるという印象を受けました。

2011年8月23日火曜日

8月19日に振り込まれた方(18回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は216,000円、延べ383人からの合計額は3,733,428円になりました。この方は大学生の息子さんをお一人で育ててこられたお母さんのようです。長期間の継続したご支援をありがとうございます。

今日は千葉大学の大学院生二人と一緒に私の車で茨城県の種苗園に行って、松の苗木を30本仕入れてきました。いわゆる松枯れは伝染病ですから、マツノマダラカミキリが伝搬するマツノザイセンチュウに寄生されたマツは枯死してしまいますが、入手してきた松苗は寄生されたマツの治療方法を開発するための基礎的実験に使う予定です。いつもそうですが、問題解決の仮説と実験計画を立てて、若い学生諸君と一緒にそれを証明する研究を行う時は、胸がワクワクします。

      (写真はクリックすると拡大できます)
 

マツノザイセンチュウを接種した松苗(右)と無接種の松苗(左)
-このように小さい松苗の場合は、1年枝(苗の幹の部分)の古い針葉が当年枝(今年成長してきた苗の上の部分)の新しい針葉より先に枯れてくる-

2011年8月22日月曜日

昨日のブログで紹介したお便りについては、何人かの支援者から自分も全く同じ気持ちですというメールが届きました。

支援者から次の本を差し入れしてきたとの報告がありました。
〇少年野球マンガ「ダイヤのA」26巻の中の一部(前回の続き)

支援者から次の本を差し入れしたという連絡をいただきました。
〇「下町ロケット」池井戸潤(直木賞受賞作家)著

少し前になりますが、非支援者(支援者でした。失礼しました。)だと思われる方から、次の本を差し入れする予定だという連絡をいただきました。
〇「手紙」東野圭吾著

非支援者から、市橋君の精神的支えにというご配慮だと思いますが、宗教的な本を差し入れしたいがというお問い合わせをいただきました。直接持参するにしても郵送するにしても、差し入れをする場合は、住所・氏名・被告人との関係などを明記して申し込まなければならない筈です。宗教的な本の内容については、私が口をはさむことではありませんので、各々ご自分で判断していただければと思います。
〇月刊誌「clay(クレイ)」というデボーショナルガイド
〇天理教関係の書籍

2011年8月21日日曜日

支援者のお一人から素敵なお便りが届きましたので紹介しておきます。こういうお便りは私の気持ちを和(なご)ませてくれますし、多くの支援者の気持ちを代表していると思います。
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お便り、ありがとうございます。市橋君に手紙と本が届いていて安心しました。無事に届くか心配でしたが、本当に良かったです。私達の事も市橋君に伝えて頂き、ありがとうございます。これで また手紙を出す事が出来ますね。(笑)

市橋君の固く閉ざした心も先生との会話で少しずつほぐれていってるような気がします。全ての人が敵だと思って過ごしてきたでしょうから、彼にとっては先生との会話が何よりも心安らぐ時間なのではないでしょうか?

以前、千葉刑務所に服役していた方の本を読んだ事があります。千葉刑務所で知り合った?人達の事が書かれていました。その中にはオウムの井上さん?(本山:林郁夫医師だったという情報提供がありました) 確か医者だった方だと思いますが...
その方は刑務所に服役している老人や介護の必要な方々の介護?をしていると書かれていました。あんな事件を起こしたとは思えないほど、温厚な方らしく、いつも笑顔で、そして穏やかに介護されていると...人それぞれ考え方はあるでしょうけど、刑に服し、自分の犯した罪を償いながらでも人の為に生きていくことは出来るのでしょうね。これから市橋君が どれだけの期間を服役するのかは分かりませんが、何か人の為になる事を、そして いつも感謝の気持ちを忘れずに過ごしていってくれるよう願っています。

それにしても接見時間が8分っていうのは短いですね。東京拘置所で調べたら30分となってました。その日の接見希望が多ければ短縮されたりするのかとは思いますが。せめて もう少し時間があれば良いですね。

これから高裁での審議が始まれば、またマスコミが騒ぐのでしょう。刑が決まり、時間が経つにつれマスコミも離れていくかと思っています。それまではと言うのも変な話ですが、当面、市橋君には弁護団の方と先生以外、接見しない方が良いのではと勝手に思っています。今やっと先生に会うことで心を開いていっているのですからまた彼の心を閉ざしてしまうような事が起きない事を望みます。

下着などの衣類もそうですが、歯磨き粉(お金が無いと粉の歯磨き粉だと...)、石鹸、便箋や切手、筆記用具など そうゆう物も足りているのでしょうか?遠慮しないで言ってくれれば良いのですが。彼の性格上?ただただ申し訳ないという気持ちが大きくてそうゆう事は言ってこないような気がしますね。私を含め支援者の方々は 誰一人、彼から感謝されたいとか見返り(言い方が変ですが)を期待しているわけでは無いと思います。とにかく彼に生きて生きて、更生して欲しいという気持ちだけで支援しているのですから遠慮せず、先生に伝えてくれると嬉しいですね。

いつか、ご両親に会わせてあげたいですね。

お盆が過ぎ、まだまだ暑い日が続いていますが、〇〇の空は秋の気配がしています。今年も短い夏が終わりを告げようとしています。先生も夏バテ?に気を付けて下さいね。お体を大切にして下さい。
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当分の間、接見は弁護団と私だけにしてほしいというのは別の支援者も同じことをおっしゃっていましたが、市橋君の心が少しずつ回復していく間、報道関係者その他の人々に傷つけられたり惑わされるのを避けてほしいという配慮でしょう。
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昨日(8/17)のブログを拝見し、安堵の思いでありますが、私は出来ればしばらくは「接見」は、弁護団の方々と本山先生だけであってほしいと思います。外の雑念に触れることなく、心身ともに穏やかに平静に過ごして頂きたいからです。
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支援者からこんな報告もいただきました。独居房に花が飾られて、外の自然そのものではありませんが、自然の一部が身近にあって市橋君にとってはどれだけ心が慰められたことかと思います。
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市橋達也さんも、数日は少し涼しくなり、過ごしやすくなったのではないかと思います。先日、お花と花瓶の差し入れをしました。お花の種類は選んだり見たり出来ませんが、季節のお花が差し入れられ、この前はバラやひまわりだったそうです。殺風景で変わらない景色の部屋ですので、少しでも癒やされればいいなと思います。
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2011年8月20日土曜日

8月18日に振り込まれた2名の方(6回目と初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は215,000円、延べ382人からの合計額は3,732,428円になりました。ありがとうございました。

支援者のお一人から、千葉拘置所を訪ねて本*を差し入れてきたという連絡をいただきました。多くの方が、どういう本を差し入れすれば市橋君のためになるか考えておられるようですし、他の方がすでに差し入れした本とダブッてもいけないという心配もしておられます。本を差し入れされた方は、私宛にご連絡いただいてブログで報告すれば、同じ本を他の方がダブッて差し入れすることは防げるのではないでしょうか。
*江原啓之(えはらひろゆき)著の ①「人生に無駄はない」、 ②「人はなぜ生まれいかに生きるのか」、 ③「未来を拓く言の葉」、だったそうです。

別の支援者から、差し入れに適している本かどうか判断してほしいということで、美達大和(みたつやまと)著、「ドキュメント長期刑務所-無期懲役囚、獄中からの最新レポート」、が送ってきました。少し時間がかかるかもしれませんが、目を通させていただきます。

現状では、本以外の日常品(便箋、封筒、切手も含めて)や衣類などについては、今まで現金を差し入れされた支援者もおられるので、足りているというのが市橋君の答えでした。

このブログは多くの方が見ておられるようで、早速昨日の記事をご覧になった方からアメリカのMDA(筋ジストロフィー協会)に寄付をしたいという申し出が届きました。携帯メールをお使いのようで、手紙に書いてあったサイトにアクセスできないとのことですので、お近くの銀行で円をUSドルに変換して私宛に送っていただいて、私からその方のお名前でエベレット・ノーランド弁護士に送金するということになるかもしれません。国境を越えて、他人の痛みを感じて、援助の手を差し伸べて下さる優しいお気持ちに感謝致します。

今日は天気予報通り気温が下がりましたので、準備運動、筋力トレーニング、巻き藁・サンドバッグを使った空手の練習を30分くらいしてから、江戸川堤防を14km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。

2011年8月19日金曜日

エベレット・ノーランド君は私と同年代のアメリカ人で、ノースカロライナ州の首府ローリー市で開業している弁護士ですが、1970年代からの空手の弟子/友人でしたので、私はノースカロライナ州を訪ねる時はいつも会いに行きます。2010年9月24日金曜日のブログに彼と彼の奥さんに関する記事と写真が載せてあります。マーチン・ルーサー・キング牧師にも影響を及ぼした、私の尊敬するアメリカ人の一人です。
彼から今日航空便の手紙が届きましたので、原文と日本語訳を載せておきます。Muscular Dystrophy 筋ジストロフィーというのは、原因不明で筋肉が徐々に萎縮していって最終的には死に至る難病のようです。手紙を見ると、友人の奥さんと娘さんがこの病気で苦しんでおられるようで、MDA(筋ジストロフィー協会)のために募金活動をしているようです。
アメリカは敗戦後の日本の復興を助けてくれました。もしご協力いただける方がおられましたら、下記住所のエベレット・ノーランド弁護士に直接送金するか、オンラインで送金(表示される画面のDONATEをクリックして)するか、そうでなければ私にご連絡下さい。

(手紙はクリックすると拡大できます)

201184
皆さん!

私は818日について気持ちが高ぶっています! その日に私は「ジェリーの子供たちとMDA(筋ジストロフィー協会)」のために刑務所に入ります。私は逮捕されますので、保釈されるには皆さんの助けが必要です。

私を助けるために、www.joinmda.org/raleightelu2011lockup/jenoland をクリックしてオンラインで安全に寄付ができますし、私にご連絡いただけば現金または小切手でも寄付ができます。私の募金目標は$2,400で、この金額で筋ジストロフィーの子供たち3人を夏のキャンプに参加させられるか、または地元の筋ジストロフィーの家族の命を救うための研究を30分間支援できます。どんな金額でも寄付していただければ感謝致します。ご参考までに、$30では筋ジストロフィーの子供にインフルエンザの予防注射が1回できますし、$74では1分間の研究支援ができます。

私と一緒に筋ジストロフィー患者が治療を受けられるように助けて下さい。私が刑務所から出られるように助けて下さることに、あらかじめお礼申し上げます。私の友人の奥さんと娘さんはこの病気に苦しんでいます。ジェリー・ルイスはもうテレビで多くの子供たちを苦しめている筋ジストロフィーについて訴えていませんが、子供たちはまだ助けと治療を必要としています。

寄付された金額は全て税金免除対象になります。
どうぞ良い日を!

エベレット(署名)

John Everette Noland, Jr.
Attorney at Law
Post Office Box 981
Raleigh, North Carolina 27602, USA

Tel 919-821-0933

2011年8月18日木曜日

8月15日に振り込まれた方(初回)と8月16日に振り込まれた方(10回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は200,000円、延べ380人からの合計額は3,717,428円になりました。ありがとうございました。

支援者のお一人が送って下さった「囚人狂時代」見沢知廉(みさわちれん)著、平成10年発行、という本が届きましたので、時間をみて少しずつ読んでみようと思っています。政治的信条が左から右に振れた著者のようですが、過激な破壊活動で懲役12年の刑を受けた経験から、千葉刑務所を含めて受刑者の生活について記した本のようです。今後市橋君が刑務所内でどういう生活をするようになるのか、ある程度想像できるかもしれません。

NHK BS3テレビでは、5:00-7:00pmに「証言・シベリア抑留」をやっていたので、妻と一緒に見ました。戦争末期の1945年8月に、ドイツ軍の降伏によってヨーロッパ戦線から自由になったソ連軍が日ソ中立条約を破棄して満州に侵攻し、戦争終結で降伏した日本軍と民間人57万人をシベリアに移送して抑留し、まるで奴隷のような劣悪な条件下でシベリア開発の強制労働に従事させ、11年後の1956年12月にナホトカ港から帰還船で最後の兵士を日本に送り返すまでに5万5千人以上が死に追いやられたという歴史的事実を振り返っていました。当時の残酷な状況は、これが20世紀の人類のやることかと、あらためて信じられない思いに駆られます。当時19才だった兵士はすでに85才、24才だった兵士は90才になっていましたが、「死んでたまるかどんなことがあっても郷里で待っている人(母親)のところに帰るんだ」と歯を食いしばってがんばったことや、帰国後も「自分たちだけが帰ってきて、死んだ同胞にすまない」という気持ちに苦しんだことなどを証言していました。なお番組では、シベリア抑留については、1993年に当時のエリツイン大統領が正式に謝罪をしたことにも言及していました。(一方で、日本もアジア諸国の人々に多大な苦しみを与えた加害者であったことも忘れてはいけませんが・・)

2003年に92才で亡くなった妻の父は、山梨県の山村の農家の一人息子でしたが、徴兵されて家族を残して戦地に送られました。残っている軍服姿の写真を見ると防寒帽をかぶっているので、満州の関東軍に配属されていたのかもしれません。しかし終戦で帰国した時はマラリアに感染していて生死の境を彷徨(さまよ)いましたので、その後満州から戦況が悪化していた南方の戦地に移動させられたのかもしれません。もう義父から直接戦争の体験を聞くことはできませんが、妻が覚えている唯一の証言は、戦争中は敵を殺すとか何とかよりも、とにかく何が何でも生き延びて家族の元に帰るんだという一心だったということだそうです。まだ若かった義母が乳幼児3人を抱えて、姑(しゅうとめ)と一緒に自分の帰りを待っていることを考えると、どうしても生きて帰らなければと いう思いで必死だったのでしょう。戦地では勇猛果敢な英雄ではなかったかもしれないけれども、私はそういう義父を人間としてりっぱだと思っています。

2011年8月17日水曜日

(このブログに新規投稿ができなくなって困ったので、こういうことに詳しくて共同管理をしてくれている元学生にアドバイスを求めたら、あちこちで同じトラブルが起こっているとのことでした。とりあえず、「以前のエディタ」に設定し直して、やっと記事の更新ができるようになりました。)

第3回目の接見に行ってきました。前回は午後遅い時間ギリギリに行ったので受付番号が60番で私の後に待っているのは2人くらいしかいませんでしたが、今回は午後の早い時間だったので受付番号は38番でした。今日は少し要領がよくなって、短い8分の間に市橋君に話すべきことを2つの項目に分けて箇条書きしたメモをパソコンで打って持っていきました。それを透明の仕切り板越しに見せながら会話ができました。彼もそこに書かれている支援者の名前や本の名前などを見ながら答えてくれました。1.個別の支援者からの手紙と差し入れ品(本)が届いているかどうかの確認 2.質問する事項

私に連絡を下さった方々の手紙は全部届いていました。本も届いていました。
〇「ライ麦畑でつかまえて」の原本「The Catcher in the Rye」
〇「人間になる/ジャン・バニエ」
〇少年野球マンガ「ダイヤのA」26巻の中の一部
〇「カトリックの聖書(旧約聖書と新約聖書)」
不要なものがあれば処分して下さいというメッセージもあったよと言ったら、とんでもない、ありがたいことですと答えていました。市橋君にとっては、独居房の中にいてこれらの本を読んで、考えることができ、勉強できるのですから、この言葉は本心だろうと思いました。
私が送った手紙と支援者一覧表も届いていました。これで、差し入れ申請があった場合、市橋君はどこの都道府県の支援者からか判断できます。今日差し入れを確認した方と、近く差し入れをすると連絡を下さった方については、私が知っている範囲でどういう方だということを口頭で説明しました。

今日は黒いTシャツ(半袖)を着ていました。本人も健康状態、精神状態は問題ないと答えていましたが、何よりも目つきが落ち着いて、静かないい目をしていました。指名手配中に公開された整形手術後の間の抜けた顔の写真と違って、市橋君本来の頬(ほほ)が引き締まったいい顔をしていました。下着その他差し入れてほしいものはないかと訊いたら、ありませんと答えたので、本でもなんでも差し入れてほしいものがあれば私への手紙で書いてくれれば、全国の支援者がすぐ対応してくれる筈だからと伝えました。公判直後と違って、今は弁護団と私以外からの接見申し込みはないとのこと。情報収集を狙った報道関係者からの支援者を装った手紙や、反支援者からの嫌がらせの手紙などは届いていないとのこと。支援者一覧表の中の長期的に繰り返し支援をして下さっている男性支援者と女性支援者の中に、市橋君の知人や友人はいないということ。独居房は狭くて多くの本が差し入れされると保管場所に困るだろうという質問には、弁護団に宅下げ?してもらいますとのこと。そういえば、差し入れされて領置しきれないものが菅野弁護士の事務所に保管されていると以前伺ったことがあります。どんどん蓄積していくと問題でしょうから、そうなった場合は古本屋その他で処分して東日本大震災の被害者支援などに使っていただければありがたいという趣旨のことを言っていました。この点については、いずれ弁護団とこの近辺に在住の支援者の一部と相談したいと思っています。

千葉大学を卒業する前に、市川に住んでいるのだったら近いから時々は道場にも顔を出して一緒に汗を流そうと言ったのに、一度も来てくれなかったな。研究室にも顔を出さなかったのか。大学を卒業してからの2年間何をしていたのだ。その時に仲間との交流がなくなって隔離された状態になったことが、こういう問題を起こすことにつながったのではないのかという質問をしたら、市橋君の目から涙がポロポロこぼれました。声をつまらせて、勉強をしていましたが就職はしていませんでした。大学の研究室にも道場にも行けませんでしたと答えました。まだそこのところは話せる状態ではないなと思いました。
支援者全員に伝えたいことがあればブログに書けば全員に伝わるよと言ったら、しばらく考えて、申し訳ありませんでしたと答えました。自分の犯した愚かな行動のために、支援者の皆さんにご心配・ご迷惑をおかけして申し訳ありませんと言いたいのだなと感じました。

全ての会話を横で聞いている刑務官に8分が過ぎたことを告げられたので、これからも週に1回くらい来るからなと言って接見室を出ようとしたら、ありがとうございましたと言って、頭を深々と下げていました。

2011年8月16日火曜日

テレビ番組制作会社のディレクターは、約束通り午前11時に来られ、午後5時半頃まで時間の経つのも忘れていろいろな話題について話し合いをしました。市橋君と同じ年齢とのことでしたが、東京大学教養学部で自然科学(広域科学?)を専攻されただけあって、科学的なものの考え方ができる方でした。今日の話し合いの結果を会社に持ち帰って、市橋君に関するドキュメンタリー番組(1時間?)制作に踏み切るかどうか相談をするとのことでした。実現したとしても、今からじっくり取材を重ねて、放送するとしても市橋君の控訴審が行われる今年末か来年初め頃になるだろうとのことでした。事件の真相と市橋君の人物像が正しく伝えられるのでしたら、私もできる範囲で協力しようと思っています。

2011年8月15日月曜日

8月12日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は185,000円、延べ378人からの合計額は3,702,428円になりました。ありがとうございました。

今日は終戦記念日でしたので、日本武道館で行われた戦没者追悼式がテレビ中継されていました。66年前の1945年に日本の敗戦に終わった太平洋戦争では、日本人だけでも300万人をこえる犠牲者(死者)がでたとのこと。その一人一人に家族がいたのですから、戦争は狂気です。
私はテレビの番組表を見て、早くからNHKテレビの7:30-8:45pmの渡辺 謙アメリカを行く「9/11テロに立ち向かった日系人」と、10:00-11:00pmのNHKスペシャル「開戦70年日本は何故無謀な戦争をしたのか」を見ることに決めていました。特に、つい先日観た映画「硫黄島からの手紙」で主演した渡辺 謙のノーマン・ミネタ(日本名:峯田義男?)氏とのインタビューには、考えさせられるところが多々ありました。

1931年生まれのミネタ氏は静岡県出身の両親と、日本軍による真珠湾攻撃の後、ワイオミング州のハートマウンテンと呼ばれる自然環境の厳しいところに設置された日本人強制収容所に入れられた経験の持ち主です。1970年にアメリカ本土(ハワイ州を除く)で初めて国会議員に選ばれた日系人ということでしたが、1969年に27才でアメリカに留学した私は当時そのニュースを聞いた記憶があります。

2001.9.11にニューヨークで起こったテロ事件以来、アメリカ国内では社会全体からアラブ系・イスラム系移民に対する憎しみが増大し差別や嫌がらせが行われました。その時にミネタ氏は、政治家やマスメディアなどから集中的な批判を受けながらも、Race Profiling 人種プロファイリング(人種、肌の色、宗教、性別、先祖の国などによる差別)に敢然と反対の声をあげました。何故そうしたのかという質問に対して、「そうすることが正しいことだから」と答えていました。正しいことをするのに、反対があるからといって揺らいではいけない、引き下がってはいけないという氏の言葉に、勇気を与えられました。

番組では、人種プロファイリングは憎しみと恐怖がもたらし、恐怖は無知から生まれると伝えていました。正にその通りで、日本でもつい最近まで、外地から連れてこられた人々(いわゆる在日と呼ばれる方々など)に対して酷い仕打ちが行われていたことを思い起こさせられました。無知が恐怖を生み、恐怖が憎しみを生み、憎しみが差別を生むというのは、人間として恥ずべきことです。

2011年8月14日日曜日

何人かの支援者から、今まで市橋君宛に出した手紙や差し入れした本がちゃんと届いているかどうか確認してほしいというお便りがありました。今週接見しに行く時に本人に確認してみるつもりです。

一人の支援者からは、差し入れした本について以下のメールをいただきました。これから長期間服役しなければならない市橋君にとって、これらの本が心の支えになればいいなと思います。
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前から本の差し入れをしたかったので、2冊差し入れました。
1冊は、もしかしたら既に持ってるかも知れませんが…手記の中で『ライ麦畑でつかまえて』が大好きで、読んでいて気持ちがよくて手元に置いておきたい本として、沖縄に行く時に持って行ったと有りましたので、原書『The Catcher in the Rye』を差し入れました。
もう1冊は『人間になる/ジャン・バニエ』を選びました。下記は、一部抜粋しました。(長文、申し訳ございません。)

ほんとうの人間らしさとは…現代は壊れた世界。至るところに、分裂と孤独と絶望がある。人間の幸せとは、強者となって争いに勝つことではなく、他者に心を開くこと、弱者となってありのままに生きることにある。

〈目次〉 第一章 孤独/第二章 つながり/第三章 排除ではなく、受け入れること…癒しの道/第四章 自由への道/第五章 ゆるし

重大な犯罪を犯し独房に入れられた受刑者。自分がすべて…家族も仕事も行動の自由も、そして尊厳と自尊心までも…を失ったことに気付いて、死にたい気持ちになりました。しかし突然、自分を見いだし愛を取り戻したいという衝動が沸き起こりました。それが恵みの時でした。どん底にたどり着いた時、すべて失ったように思われた時に初めて、この小さな希望の光が輝きだします。その時に、私たちは立ち上がり始めます。光と愛と力が備わって、自分が闇の部分に支配されたくない、心を開くべく一歩を踏み出したいと意欲することが必要なのです。

恐れから解放されたい気持ちが生まれるのは、幸運な時、恵みの時です。あるがままの私たちを愛し信頼してくれる人、つまり私たちの恐れやしりごみの背後にある潜在的(時間をかければ開花する)可能性をすべて認めてくれる人に出会った時にも、この解放されたいという気持ちは起こります。
「幸運な時」に、私たちは本当の自分を意識します…即ちこれまでの人生を支配してきたあらゆる心の傷にもかかわらず、自分が大切な祝福された存在だと気付くのです。そうすると一瞬にして私たちは、もはや恐れや怒り、無関心や復讐心、絶望や自信喪失に支配されなくなります。そして小さな光、つまり生きたいという気持ちが生まれます。人生に希望が戻ってくるのです。

私たちはみな、自分が犯した誤りをすべて、自分の存在の奥深くに押し込める能力があります。そして良心を沈黙させて後悔の念を消し去る巧妙な技術を発達させるのです。
しかし『ゆるしの道』の書物の中で「罪を犯した者が被害者に自分をさらけ出す勇気をもつのでなければ、ゆるしはありえない。これは、痛みを伴う厳しい要求である」と主張しています。


市橋達也さんは聖書を読んでるとの事で、キリスト教信者かは分かりませんが…自由を奪われた生活の中で、罪を償い、精神的に立ち直り、生きがいを見つけだし、長い人生を前向きに過ごせるよう…祈ってます。出来れば力になりたいです。
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別の支援者からは、私が昨日のブログで書いた戦争と平和について、以下のお便りをいただきました。
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昨晩のブログ拝見いたしました。
正直、今まで戦争については大変だったんだーと他人事でした。
ですが、戦争についてきちんと勉強したい、戦争を知らない私達若い世代こそ戦争についてよく知るべきだと思いました。
よろしければ先生オススメの本や資料があれば教えてください。
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私は農学という自然科学分野の研究者ですので、戦争の非人道性について学ぶのに、何がベストかこれがと自信を持って薦めることはできませんが、一応、大岡昇平(1909-1988)が1950年代に書いた、「俘虜記」、「野火」、「レイテ戦記」などを提案しました。最近は、戦争中の悲惨な経験をしてきた筈の年代の知事や政治家までもが日本の軍事力増強や大国主義を公言するようになりましたので、いつか来た道に戻るのではないかとちょっと心配です。何年か前の朝日新聞に掲載された大岡昇平のエッセーで、そういう状況を憂いて、「先の戦争で悲惨な最期を遂げた兵士たちの魂よ、墓場から出てきてくれ!」というような表現が使われていたのが、私の中に強く印象に残っていましたので。

まだ猛暑が続いていますが、私は江戸川堤防を昨日は6km、今日は8kmジョギングしてきました。スポーツドリンクを腰のベルトのボトルホルダーに差して、こまめに水分補給しながらゆっくり走ったり歩いたりしました。暑くて汗ビッショリですが、気分は爽快です。
テレビ番組制作会社のディレクターとは、明後日16日に会ってどういう切り口の企画を考えておられるのか一応お話を伺うことになりました。

2011年8月13日土曜日

昨夜は、日本テレビで9:00-11:24pmにやっていたクリント・イーストウッド監督のアメリカ映画(2006年)「硫黄島からの手紙」(Letters from Iwo Jima) を妻と一緒に観ました。多分何回も放送された映画の再放送だったのかもしれませんが、今まで観る機会のなかった私たちにとっては初めてでした。1945年2月に始まった戦闘で、圧倒的な戦力の米軍に対して、渡辺 謙が演ずる栗林忠道陸軍中将指揮下の日本軍が必死に戦い、最後は全滅に近い多数の犠牲者を出して敗北します。米軍の犠牲者も多数にのぼり、最後に海兵隊員がアメリカ国旗の星条旗を擂り鉢(すりばち)山に押し立てる写真(今回の映画には出てきませんでしたが)は、今でもアメリカ人の愛国心・勇気の象徴として見られています。現在の日本の若者たちは、日米両国のこういう多くの尊い命の犠牲の上に今日の平和があるということを忘れがちですが、つい数十年前に起こったことなのです。

私が1969年にアメリカのノースカロライナ州立大学に初めて留学した時の指導教授の一人だったF.E.Guthrie 先生は、第二次世界大戦中はアメリカ海兵隊員で太平洋戦線に従軍し、硫黄島に上陸(多分戦闘終了後?に)したことがあり、朝鮮戦争にも参加した人でした。私の顔を見て、日本軍は硫黄島で実によく戦ったと言ったのを思い出しました。

国籍や人種は違っても、人間はお互いに良き師弟、良き友人、良き家族(アメリカ人と結婚した私の娘や、ブラジルでポルトガル人と結婚した私の兄のように)になれるのですから、戦争で殺し合うのは馬鹿げたことです。明後日8月15日は終戦記念日ですので、戦争は二度としないと誓ったあの日の思い(私はまだ3才でしたが、小学校時代に平和の尊さを教えられた記憶はしっかり身についています)を新たにし、若者たちにも伝えたいと思います。

房総半島には高い山はありませんが、太平洋に面した美しい海岸線と、内陸部には東京に近いにもかかわらず交通の便が悪い分だけ都市化を免れた昔風の景色が今でも残っている山村があります。千葉大学時代の私は、その時々の研究テーマで近くまで行くとこういうところに寄り道するのが楽しみでした。(写真はクリックすると拡大できます。) (2011.8.8 撮影)

 

外房の勝浦海中公園の展望台から見た景色-岩に砕ける白い波がきれいです

 

久留里(くるり)城から見た景色-碑文(ひぶん)には戦国時代の天文23年(1554年)に里見義尭・義弘が攻めてきた北条綱成の2万の軍勢と戦ったと記されている-里見という姓は南房総の領主として江戸時代の小説家曲亭馬琴の「南総里見八犬伝」にも出てきます。15年くらい前にアメリカからがんの疫学者David Goldsmith博士が来日した時も、ここに案内しました。

2011年8月12日金曜日

8月10日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は180,000円、延べ377人からの合計額は3,697,428円になりました。ありがとうございました。

支援者のお一人から、以前行徳署に拘禁されている市橋君宛にハガキを書いて出した時に宛先不明で返送されてきたが、手紙はどういう基準で検閲されるのかという問い合わせがありました。取り調べの段階や、公判前整理手続きの段階では、弁護士以外との手紙のやりとりや接見は禁止だった筈ですので届かなかったのでしょう。容疑者・被告人が外部の協力者に頼んで証拠隠滅を謀るのを防ぐというのがその根拠のようです。もう公判は開かれましたので、接見禁止は解除されましたし、外部との手紙のやりとりも可能になりました。昨日のブログで書きましたように、先日支援者が出した手紙はちゃんと市橋君の手に渡っていました。私には検閲の基準が何かということは全くわかりませんが、自殺や逃亡を勧めたり脅迫的な内容のような非常識な手紙でない限り、本人に渡されるのではないでしょうか。

来週時間を見つけてもう一度接見に行ってこようと思っていますので、その時に私が送った手紙と支援者一覧表が届いたかどうかということと、支援者からの手紙が何通届いているか訊いてくるつもりです。自分の出した手紙が市橋君に届いているかどうか確認したい支援者の方はお知らせ下さい。

2011年8月11日木曜日

先週接見に行った時に出会った支援者からメールが届きました。私が昨日ブログに書いた記事をご覧になったようで、市橋君に手紙を書いて、あの日に差し入れはしたけど、接見の申し込みはしていないとのことでした。市橋君が私との会話の中でこの方の在住地を知っていたのは、手紙に書いてあったからのようです。少なくとも、これでこの方の手紙が市橋君の手に渡ったことは確認できました。やはり、今の状態では市橋君は弁護団と私以外には自分をさらしたくないので、接見の申し込みがあってもどなたとも会いたくないのかもしれません。支援者の方々が市橋君に励ましの手紙を書かれて、刑務官の検閲をパスして配達されても、当分の間は返事は期待しない方がいいかもしれません。私が送った支援者一覧表が届けば、市橋君に手紙が届いた時に支援者からかどうかの判断はできる筈です。

あるテレビ番組制作会社から、「リンゼイさん殺害事件」に関するドキュメンタリー番組を企画しているので、私に情報取材(カメラなし)をしたいという打診がありました。まだいつ放送されるか、放送自体が実現するかも未定の、企画の初期段階のようです。ごく普通の将来有望だった学生が何故こういう事件を起こしてしまったのかを深く掘り下げることは、社会全体に大勢潜在しているかもしれない同じような若者たちが同じ過ちを起こさないようにするために必要な気もします。しかし、これから控訴審が行われる時期でもあり、事件当時の市橋君の内面的な動きが必ずしも明らかになっていない今、どういう意義のある番組制作が可能か疑問もあります。よく考えて、取材を受けるかどうか返事をしようと思っています。

長い間建設中だった東京農業大学世田谷キャンパスの新講義棟(1号館)が完成しました。6階建てで、建物の横には学生たちがたむろできるちょっとした広場もあります。私は11月に非常勤講師としてある講義を2回担当することになっていますが、事務から送ってきた書類を見ると、このピカピカの建物の5階の講義室を使うことになっています。東京農業大学の学生に講義をするのは初めて(非常勤講師は70才までという年齢制限があるようですので現在69才の私にとっては多分最初で最後?)なので楽しみです。(写真はクリックすると拡大できます。)



今年は8月下旬には1ケ月半くらいアメリカに行こうと思っていましたが、9月の初めに日本にいなければならない用事ができましたので、結局9月11日に出発して10月5日に帰国することにしました。私にとっては第2の故郷のようなノースカロライナ州で3週間ちょっと、友人たちと旧交を温めて充電してくるつもりです。アメリカ人の友人の一人に旅行日程表をメールで送ったら、10月初めに日本に帰ってしまうのでは下旬が最盛期のアパラチア山脈の紅葉は見れないと言いながら、早速仲間に知らせて予定を立てると言ってきました。

2011年8月10日水曜日

入金記録簿から不必要な情報を消して、「支援者氏名(都道府県名)年/月/日 振込金額」 だけを残して支援者一覧表を作るのに結構時間がかかってしまいました。今日現在で延べ376名分です。それを差し入れするつもりで全部プリント(A4版に15ページになりました)して、今日千葉拘置所に行って、受付窓口に見せたら、差し入れできるのは「物」だけで、「手紙類」は郵送して下さいと言われてしまいました。さっき書類と手紙を封筒に入れて準備をしましたので、明日発送するつもりです。

今日接見した時の市橋君の様子は、先週8月2日に見た時とは違ってずいぶん改善されていました。先ず顔色がよくなったことと、目つきが神経衰弱的ではなく、普通に戻ってきていました。仕切り板の向こう側の小部屋のドアが開いて、刑務官に付き添われて入ってきた市橋君の雰囲気が明るくなったのが感じられたので、大学内で普通に出会った時と同じように思わず右手を挙げて「おっ、市橋君!」と大きな声をかけてしまいました。気のせいか、市橋君も一瞬嬉しそうな表情をしてくれました。

昨日・今日と東京近辺でも35℃前後の猛暑でしたが、千葉拘置所の中も暑いのでしょう。市橋君はランニングシャツの上に白いシャツを着て、ボタンはかけないで胸の前を開けていました。

少し痩せたようだけどちゃんと食べてるかと訊いたら、先週(私が接見してちゃんと食べなきゃだめだぞと言ってから)以来、食べるようにしていますと答えました。支援者名簿の一覧表を持参したけど差し入れできなかったので郵送するからと伝えました。弁護団以外に接見に来る人がいるかと訊いたら、申し込みはあるけど会っていないと言っていました。ただ、先週来た時に差し入れに来ていて偶然出会った支援者については、〇〇県に住んでいると言っていましたと言っていたので、接見を受けたのかもしれません。先週私が差し入れた国語辞典はちゃんと届いたそうで、嬉しそうでした。
ご両親に手紙を差し上げて、「申し訳ありませんでした」という君の伝言を送っておいたよと言ったら、涙がポロポロ落ちて、鼻水がスーッと流れ出てきました。

先週来た時は表情が暗くうつ病になりかかっている印象を受けたけど、大丈夫か、精神科医に診てもらう必要はないかと訊いたら、はっきり、大丈夫ですと答えました。近いうちに小菅(こすげ)の東京拘置所に移されるそうだなと言ったら、弁護団にそう聞きましたと言いました。小菅は北千住から行くので私にとってはより近くなるので、接見に来やすくなると言ったら、先生は松戸にお住まいですかと訊き直しました。
今日も、君はこれから刑務所の中で長い年月を生きるのだから、覚悟を決めて前向きに生きるようにしなさいと言ってやったら、うなずいていました。今日は言葉もちゃんと話していたし、大丈夫、市橋君はちゃんと生きていけるという明るい印象を受けました。8分間という接見時間はあっという間に終わってしまいました。

数日中には支援者の一覧表が市橋君の手元に届くでしょうから、支援者の中で市橋君を励ます手紙を書きたい方は書いてあげて下さい。もちろん、手紙は千葉拘置所に届いた時点で、事前に刑務官に中身を検閲されて、問題がないと判断されれば本人に配達される筈です。

2011年8月8日月曜日

8月5日に振り込まれた5名の方(2回目、2回目、7回目、25回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は170,000円、延べ376人からの合計額は3,687,428円になりました。ありがとうございました。これらの方々からはメッセージもいただきました。

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市橋さんを陥れようとする力とどうか戦って下さい。応援しています。
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本山先生、こんにちは、〇〇〇〇です。
少額ではありますが、口座へ振込みさせていただきました。少しでもお役に立ててもらえたら幸いです。
市橋さんの精神状態がとても心配です。自責の念から不安定になっているのでしょうか。カウンセリングの件、お願いしたいです。
毎日暑いですが、お身体には気をつけてください。
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市橋君、ひとりではありません。健康には十分注意して元気をとりもどせるよう願っています。
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市橋君が健康で強い心で生活できるよう祈っております。8/1のブログで支援者の方の聖書のお言葉を読み、そうなってほしいと強く願っております。先生、市橋君を力づけてあげて下さい。お願い致します。
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先生のブログ拝見させて頂いております。市橋君の健康状態が心配です。想像も出来ない程の精神状態だと思います。でも、負けずに自分自身をしっかり持って、控訴裁判の結審に臨んで欲しいと願っています。
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2011年8月7日日曜日

支援者のお一人から、市橋君の症状は長期間刑務所に拘禁されたり難民収容所に収容されたりした時に起こる拘禁反応ではないかとの情報をいただきました。可能性が高いような気がします。
http://www.j-medical.net/sick/archives/2005/06/post_763.html

非支援者のK様、M様をはじめ何人かから携帯メールで大変よい内容のお便りをいただきましたので返信を差し上げたのですが、届かずに戻ってきてしまいました。以前も同様のことがありましたが、携帯のメール設定でパソコンからのメールは受信できない設定になっている場合がありましたので、設定を変更していただかないと私からの返信は届きません。

2011年8月6日土曜日

今日はパソコンをおやりにならない年配の支援者(ブログの記事はご家族の助けで読めるご様子ですが)から郵送のお手紙が届きました。接見をしてきた後で私が市橋君の様子について書いた記事が気になり、市橋君の状態が心配でならないというお便りでした。
少し遅くなってしまいましたが、今まで不義理をしていた大勢の支援者からのお便りに、できる限り返事のメールを差し上げました。明日は日曜なので、残りは明日また続けるつもりです。

今日も江戸川の堤防を8kn 走ってきましたが、今日は少しインタバルトレーニングをしてきました。ゆっくり走って調子に乗ってきたら、少し息がハーハー切れるくらい早く(まだ全力疾走とまではいきませんが)走って、またゆっくり走ったり、歩いたり、を繰り返しました。夕方の時間なので少し気温も下がり、犬の散歩をしている人や、自転車で走っている人や、ジョギングをしている人や、河川敷でピクニックをしている人や・・・、数日前までは上流で降った大雨の影響で褐色の濁流だったのが水位も下がり、水の色も通常に近く戻っていました。こうして人々と行き交いながら、堤防沿いの木々の緑や繁茂している雑草に目をやって走るのは、気分のいいものです。いつもそうですが、運動をして汗をビッショリかいてシャワーを浴びると、よしまた頑張るぞという活力が漲って(みなぎって)くる気がします。

(ここからは、支援者に対してではありません)
ネット中毒のそこの君、人それぞれの事情がおありでしょうが、パソコンや携帯メ-ルの画面とにらめっこばかりせずに、少しでも時間があれば野外に出て、外の空気を吸って、自然の景色を眺めて、人と会話を交わして、体を動かして汗を一杯かけば、少々のモヤモヤはどこかに消え、生きていることの喜びを感じて、気分爽快になりますよ!

2011年8月5日金曜日

8月3日に振り込まれた2名の方(お二人とも2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は102,000円、延べ371人からの合計額は3,619,428円になりました。ありがとうございました。お二人からは先にメールでのメッセージが届いていましたので、すでにブログで紹介しました。

昨日、菅野弁護士に支援金の使途についてメールを差し上げ、ついでに控訴審の今後の日程見通しについて質問しましたら、、今日以下のような返事をいただきましたので、支援者の皆様にお知らせ致します。
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弁護団が「支援する会」より預かった支援金を控訴審の弁護士費用と実費及び一審のみの弁護人への謝礼に使わせて頂くことを了解頂き、ありがとうございます。感謝しております。
さて、控訴審の裁判のスケジュールについてお知らせしておきます。8月2日(火)控訴致しました。
大旨の流れは、次のとおりです。

①千葉地方裁判所は、訴訟記録(証人尋問調書、判決等)を整理して、全記録を東京高等裁判所へ送付(実際は持参する)します。
②記録の送付を受けた東京高等裁判所は、担当部を決めます。
③担当部が弁護人に訴訟記録の送付があったことを通知し、控訴趣意書の提出期限を指定します。
④弁護人は、控訴理由を記載した控訴趣意書と証拠請求(あれば)を行います。(刑訴法376条、規則237条以下)  検事は答弁書を提出します。
⑤公判期日の指定 → 公判

(注)控訴審は刑訴法上、一審判決の違法・不当を判断する事後審です。一から審理をやり直してくれるものではありません。
①についてどのくらいかかるか分かりませんが、8月中旬~8月下旬となると考えます。
②8月下旬か9月初旬に記録が高裁にいくと、そこから2ヵ月くらいの内に控訴趣意書を出せと言われます。10月下旬までに出せといわれるのではないでしょうか。
③年内に公判が開かれるか、2012年1月かくらいのところです。
弁護人は、控訴趣意書、証拠請求をした上で、東京高等裁判所の担当裁判官に面会を申し入れ、そこで弁護人の控訴についての考えを伝え、新たな証拠調べがあれば、その必要性を説明し、審理に反映してもらうことを要望します。
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8月2日に接見して感じた市橋君の様子について昨日もブログに報告しましたら、何人かの支援者から心配しているメールをいただきました。大学を卒業してから6年以上経っていますし、いろいろな経験をしてきたので昔の市橋君と違っていても不思議はないかもしれませんが、言葉も自らは話せないくらい衰弱している感じがしましたので、来週時間を見つけてもう一度接見に行ってこようと思っています。何年振りかで、弁護団以外で心を許せる人間(私)に会ったので、単に言葉がでなかっただけならいいのですが。

2011年8月4日木曜日

一昨日接見した時に見た市橋君は、本当に心身ともに衰弱し切っている様子でした。例えば、どうだ元気にしているかというような問いかけに対しても、ただうなずくだけか、私が何回か同じ質問を繰り返し、答えの選択肢をいくつか提供するとその中の一つを選んでオウム返しのように答えるだけでした。公判の時に尋問に対してテキパキと答えられなかったのは、サボタージュや演技ではなく、本当に言葉がでなかったのだと思います。今は、罪を償わなければならないということと、私をはじめ皆の期待に応えて生きなければならないという思いの精神力で生きていますが、控訴裁判の結審まで耐えられるかどうかちょっと心配になったというのが正直な印象でした。私はこれからも時々接見に行って、徐々にでも元気を取り戻すように話しかけてくるつもりですが、医学的なカウンセリングが必要な状態かどうか観察し、その場合は弁護団に相談するつもりです。

支援者の一人から次のメールが届きました。この方は私が子供の頃にフナやクチボソ(別名モツゴ)の釣りをしたことのある沼の近くにお住まいとのことで、もしかしたら子供の頃すれ違っていたかもしれないとおっしゃったので、年齢はわかりませんが、懐かしくなりました。
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支援金の使い道の件、弁護士さんのお申し出のように控訴審の費用にしていただいて良いと思います。先生のおっしゃるように、控訴審には参加されない方には些少なりとも受け取っていただくとしても、これからも必要経費は嵩む(かさむ)と思われますので、このまま継続して資金としていただいて良いのではないでしょうか。
市橋さんに支援金の記録簿を見せる件、私も賛成です。「○○人が支援してくれたんだよ」と言うだけよりも、名簿を見て、そのひとりひとりの名前を見て、それぞれの人がそれぞれの思いで支援金を振り込んだのだと実感できて、市橋さんの生きる勇気になるのではないでしょうか。ただ、私は名前も住所も出してくださって一向に構いませんが、それは困る、とおっしゃる方には配慮が必要かと思います。
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今日、菅野弁護士にメールを送り、今までの実費支出を差し引いた残りの支援金とこれからも振込まれる支援金を控訴裁判の活動実費と弁護士料としてお使い下さいとお伝えしました。弁護団の中に控訴裁判に参加しない弁護士がおられたら、今までの活動に対する謝礼をどうするかは弁護団におまかせしますとお伝えしました。控訴裁判がどれくらいの期間かかるのか私にはわかりませんが、市橋達也君の適正な裁判を支援する会は継続して募金活動をして、結審するまで弁護団に支援金を提供するつもりです。

支援者一覧表を市橋君に差し入れする目的は、社会全体が市橋君を敵視しているのではなく、大勢の方々が市橋君の更生を願って支援していることを知らせて励ますことと、外部から手紙が届いた時にどなたが支援者であるか市橋君が判断できて礼状を書きたい時に書けるようにしてあげることです。一覧表には、匿名希望の方を除いて、お名前(都道府県名)何月何日〇〇円、というように記載するつもりです。住所その他の個人情報は全て削除します。一覧表は市橋君に差し入れするだけですが、刑務所のチェックが入りますので、万が一にでも外部に個人情報が漏出する危険は避けたいと思います。顔を表に出して活動をしている私に対して現在行われている嫌がらせ行為を見ますと、支援者に同じような迷惑がかかることだけは絶対にないようにしなければなりません。

今日は一日自宅で仕事をし、途中江戸川堤防を8km 走ってきましたが、少し疲れがとれたのかいつもより体が軽く感じました。サンドバックを蹴っていても、いつもより少し鋭い突き刺さるような蹴りができた気がしました。

2011年8月3日水曜日

8月1日に振り込まれた3名の方(4回目、11回目、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は90,000円、延べ369人からの合計額は3,607,428円になりました。ありがとうございました。最近、公判の様子が各種メディアで報道されたのでこの支援する会の存在がより広く知られるようになったのか、繰り返し振り込んで下さる方々に加えて、初めて振り込んで下さる方がおられるのは嬉しい限りです。

支援者からのメールもたくさん届いています。以下はその一部です。
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控訴、嬉しかったです。2回目の送金をさせていただきました。弁護士費用などにお使いいただくこと、名簿を市橋君に見ていただくこと、大賛成です。
市橋君には健康な心身で償いの日々を過ごしていただきたいです。生きていることの喜びを味わうと、同時に、亡くなった命を思いまた自分を責めて苦しくなる・・・繰り返しだと思いますが、その姿にこそ、神様の恵みと赦しがあると思います。神様が共にいてくださり、遠くからは私たちも見守っています。

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裁判費用と名簿の件賛成です。
控訴をすることになったようですね。無期懲役という判決には納得できませんでした。このままの結果で終わってしまうのだけは避けて頂きたかったので、控訴することになってよかったです。
仕事の都合で傍聴には行けなかったのですが、法廷ライブの記事から、現場の状況が伝わってきました。メデイアの先入観、遺族の感情から、裁判員は無期懲役と判断されたのかなと感じてしまいました。
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ブログ拝見しました。読んでいて私も涙が出ました。無理な事ですが時間を戻してほしい・・・と本当に思いました。
市橋さんの涙・・、本山先生のお言葉・・、その温かいお気持ちがきっと市橋さんの心に染み込んでいったんだと思います。
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写真(クリックすると拡大できます)は、千葉大学時代に学生たちと何年間も空中散布農薬の生態影響調査で通った千葉県香取市山田区田部(たべ)地区の広大な水田と、仁良(にら)地区にある橘堰(たちばなぜき)ふれあい公園の大賀(おうが)ハスです。今日はちょっと時間があったので寄ってみました。毎年のことですが、暑い夏の日射しの中で美しい景色が広がっていました。(2011.8.3 撮影)

大賀ハス:大賀一郎博士(1883年~1965年)、当時関東学院大学教授が1951年に千葉市検見川(けみがわ)の縄文時代の遺跡泥炭層から見つけたハスの実が1952年に発芽し、その後国内外150箇所以上の地に植えられたもの。2000年前にこの辺りに住んでいた古代日本人も同じ花を見ていたと考えられています。

2011年8月2日火曜日

7月31日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は65,000円、延べ366人からの合計額は3,582,428円になりました。ありがとうございました。

今日は千葉刑務所に行って、市橋君に接見してきました。初めて行く場所でしたが、受付で接見の申し込み用紙に記入して受付番号をもらい、売店を兼ねた待合室で待っていると放送で番号を呼ばれて接見室に入りました。写真撮影とか録音とか携帯電話とかは禁止ですので、カバンはロッカーに入れさせられます。プラスチック板の仕切りのこちら側の椅子に座って待っていると、仕切り版の向こう側の部屋のドアが開いて市橋君と刑務官が現れ、市橋君の横に座った刑務官に時間は8分ですと言われてストップウオッチのスタートボタンが押されました。

公判の席で終始うつむいて顔をあげなかったのとは違い、顔をあげて私の顔を見てくれました。最初に言った言葉は、か細い声でしたが、申し訳ありませんでした、という謝罪の言葉でした。精神的に極限まで追い詰められてやつれ果てた顔でした。あまりにも弱々しく病的なので、ちゃんと食事は食べてるか、これから刑務所内で相当長期間暮らすことになるのだから、食事をしっかり摂って運動もして健康を取り戻さなければ駄目だぞ、と言ってやりました。もう起こってしまったことは元には戻せないのだから、これからはそれを現実として受け入れて生きていくように言ってやりました。市橋君の目から涙がポロポロ落ちて、止めどもなく落ち続けていました。専攻していた研究室の仲間も心配していたこと、その中の何人かは支援金を振り込んでくれたけど、一人は10万円も振り込んでくれたこと、空手部で一緒だった仲間も心配していたことを知らせてやりました。つい数日前に彼が専攻していた研究室の卒業生と現役生が大学でバーベキューパーティをやっていて、本当は君もあの中に参加していた筈なのにと言ってやりました。先日山本弁護士経由でもらった手紙の礼を言って、「裁判」の「裁」の字が間違って「栽培」の「栽」になっていたから、国語辞典を差し入れするからと知らせました。私宛に直接手紙が送れるように、私の住所も差し入れしておくからと言いました。これから外部との手紙のやりとりもできるとのことなので、友人達の住所がわかるように同窓会の名簿を差し入れしようかと訊いたら、首を横に振りました。自分のしたことを恥じていて、とても友人達と手紙のやりとりをしたいとは思えない様子でした。
お父さん、お母さんに伝えたいことがあればお手紙を差し上げるからと言ったら、うなだれながら、申し訳ありませんでしたと伝えてほしいと答えました。
あっという間に8分間は過ぎ、全ての会話を横で聞いていた刑務官に接見時間は終わったことを告げられました。市橋君に、また来るからなと言って接見室を出ようとしたら、先生もお身体をお大事にいつまでもお元気でと言ってくれました。

再度受付に行って、松戸を出る前に書店で購入した岩波の国語辞典(比較的最近改訂されて、裁判員という言葉も収録されていた)を差し入れする手続きをしていたら、若い女性に本山先生ですかと声をかけられました。支援者の一人で、よく差し入れに来ておられるようで、今日は本と食べ物と暑いので飲み物を差し入れされていました。一緒に外に出て、回りを少し歩いて彼が拘留されている拘置所部分の建物の写真を撮りました。それから一緒にタクシーに乗って千葉駅まで行き、総武線の電車も途中まで一緒でしたので、お話ができました。私はその後東京農大に寄って、夕方自宅に着いたら、早速携帯のメールで礼状が届いていました。

帰路、日本テレビの記者と共同通信社の記者から電話取材があり、市橋君は無期懲役という判決をどう思っているか、控訴することについてどう思っているかと、訊かれました。これらの記者の責任ではないかもしれませんが、公判の時の市橋君の態度と行為を、演技をしている、反省していない、と報道していた(被害者遺族の発言としてかもしれませんが)ことに腹が立っていましたので、市橋君は自分の犯した罪の大きさに打ちひしがれて心身ともにボロボロでそんな質問に答えられる状態ではありませんでしたと答えました。さらに、市橋君が言った「申し訳ありませんでした」という言葉は誰に対して申し訳ないという意味かと訊かれましたが、メディアは今になってもまだ市橋君は反省していない、演技をしていると報道したいのかと、本当に腹立たしく思いました。

ある支援者が以下の情報を送ってくれました。
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市橋君の弁護団が高裁に控訴したとニュースで見ました。
東京高裁に電話したら、千葉での裁判の記録が高裁に送られるまでに一ヶ月くらいかかるらしく、それから裁判官が選任され、千葉での裁判の記録を精査したり、裁判の準備に三ヶ月、長くて四ヶ月かかることもあるので、高裁での裁判が開始されるのは年末とか来年になるかもと言われました。

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今日撮影してきた千葉拘置所の写真です。市橋君はこの建物の中のどこかに拘留されているのでしょう。

2011年8月1日月曜日

7月29日に振り込まれた2名の方(4回目、初回)の支援金が届きました。昨日までに貯まっていた支援金376,843円は今朝郵貯銀行で払い出して菅野弁護士に届けましたので、支援金の新たな現在高は55,000円、延べ365人からの合計額は3,572,428円になりました。ありがとうございました。お二人からは手書きのメッセージがありました。
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有期刑を願っておりましたので、無期刑はとてもショックでした。彼は何の偽りもなく事実を語ったと私は思います。人によって随分見方が違うものだなとつくづく思いました。彼も判決理由には納得がいかないようですので、是非控訴してほしいと思います。
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達也様、ご家族様、弁護士団様、支援する会、応援しています。皆様に神様イエス様の祝福がありますように。イエス様の血はすべての罪をあがなって雪のように白くして下さいます。(聖書)
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その後も私からの問いかけに対する支援者からの返事がメールと封書で届いています。匿名の非支援者からもお便りがたくさん届いていますが、ブログへの紹介はせずに私の時間の許す範囲で個々に返事を差し上げたいと思っています。
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本山先生お久しぶりです。29日のブログの件ですがこれからの控訴裁判の弁護料として使って頂く事、市橋さんに入金記録簿を見せる事、私はどちらも賛成です。本山先生にお任せします。市橋さんからの手紙も拝見しました、先生の支援する会を立ち上げられてからの行動や先生のお気持ちをちゃんと受けとめていると感じられる手紙で感動しました。近々接見に行かれるそうですね、接見できる時間は短い様ですが直接お話しされた様子などまたブログでお知らせして下さったらうれしいです。暑い日が続いていますのでお身体大切になさって下さい。
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先生、また弁護士の方々、本当にたいへんでございました。まずパソコンができないので手紙でお許し下さい。
今回の裁判では多すぎる疑問があり、納得できない事ばかりです。司法というものは公平と聞いておりましたが、とても残念です。判決後の裁判員のあの笑顔には、怒りを感じました。支援金の使道は先生にお任せいたします。私どもの名前は、市橋君に見せて下さって結構ですし、またどんな事でもどんな時にでも公表して下さって結構です。
あくまでも適正で公平な裁判が行えますよう心より願っております。これからも変わらず支援させていただきたいと思っております。市橋君が元気で過ごせますよう、毎日祈っております。(4名連名)
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支援金のお支払いですが、自分の意見として、すでに先生のまとめられているように、弁護士の方のご意見を尊重し、、名簿については、やはり個人情報の事、考慮していただけたら、と思います。
色々、大変だと思いますが、よろしくお願いいたします
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まだ返事をいただいていない支援者も多数おられますが、支援金から実費を差し引いた残りを、これからの控訴裁判の費用(実費と弁護士収入)として使っていただくことに異論はないようですので、そのように弁護団にお伝えしようと思います。ただ、控訴審は東京高裁で行われますので、今までの6名の弁護団の中で参加できない弁護士がでてくる場合も考えられます。その場合は、今まで弁護活動をして下さったことに対して何らかのお礼をすることが必要だと思いますので、その点は弁護団におまかせしたいと思います。

入金記録簿を市橋君に見せることについても、今までにご連絡いただいた方は全員問題はないというご意見でしたが、個人情報への配慮が必要というご意見もありました。そこで、元々匿名希望や住所不記載の方と、個人名が特定されないようにしてほしいと申し入れされた方については、名前を〇〇〇〇にします。そうでない方については、お名前と入金時期と金額ならびに都道府県名(例えば、大阪府、北海道など)だけを残して、その他の情報は全て削除した一覧表を作成して市橋君に見せようと思います。差し入れをするには、刑務所のチェックが入る筈ですので、どんな形にせよ皆様の個人情報が漏出する可能性は絶対にないようにしたいと思います。この点について、ご意見のある方、ならびにご自分の個人名を一覧表に残してほしくない方は至急お知らせ下さい。刑務所を通して個人情報が漏出することはないと思いますが・・。

今日は山本弁護士が接見に行かれましたが、大勢の容疑者や受刑者に大勢の弁護士が接見に来ているので、1時間くらいは待たされるのだそうです。私は明日接見に行く予定です。山本弁護士にその旨を市橋君に伝えていただいたら、遠くからわざわざ来ていただくのは申し訳ありませんが、ありがたいことですと答えたとのことでした。いくつかの新聞やテレビの関係者から私に同行したい(1回に3人まで接見可だそうですので)という打診がありましたが、お断りしました。
一昨日のブログで紹介しました市橋君からの手紙の中で、「裁判」の「裁」の字が、「栽培」の「栽」の字と間違っていましたので(私自身も時々わからなくなって辞書で確認しますが)、明日は国語辞典を一冊買って差し入れしてくるつもりです。これから外部との手紙のやりとりもできるようになったようですが、国語辞典は手元にないそうですので。

今日も江戸川堤防を8km 走ってきました。体重がベストコンディションの時と比べると10kg くらいオーバーなので、軽快な走りとは程遠い、ヨタヨタした走りしかできませんが、これから冬のマラソンシーズンに向けて徐々にトレーニングを加速していくつもりです。