2016年4月30日土曜日

先日大腸の内視鏡検査の時に切除した小さいポリープの検査結果の説明を聞くのと、残っている大きいポリープの切除の日程調整で、朝10時に病院に行きました。検査結果は良性でも悪性でもない、腺腫性ポリープということでした。
ネットで調べると、よくあるケース(約80%)で、放置すると癌化する可能性が高いので切除した方がよいということのようです。
http://www.jps21.jp/polyp/about-polyp.html
http://iiharaiin.com/cpi_polyp1.html
一泊する必要があるとのことで、手術後約1週間静かに過ごせる時期として5月30日(月)に切除してもらうことにしました。

駅伝でしっかり走った影響で少し筋肉痛がありましたが、午後からは水元公園に1時間半ほど運動にでかけ、ウォーキングしてきました。もう水鳥はほとんど見かけなくなりましたが、江戸川に1羽だけ浮いていたのでよく見たらカルガモでした。
すっかり春たけなわになって、クヌギの木も葉縁にトゲトゲのある新葉を展開していました。シロツメクサ(クローバー)とムラサキツメクサ(アカツメクサ)もあちこちでかたまって生えていました。
江戸川河川敷のすぐ水際に建てられている一軒の小屋が前から気になっていましたが、増水時にはすぐ流されてしまいそうです。











2016年4月29日金曜日

朝7時半頃自宅を出て、電車を乗り継いで東横線綱島(つなしま)駅で下車し、鶴見川沿いの駅伝大会の場所には9時半頃着きました。今年は千葉大学走友会からは3チーム出場し、急用や体調不良で欠場した人のピンチヒッターも何とか見つかりました。7人でタスキをつないで42.195Km走りますが、過去の優勝記録を見ると、一般は2.12.43、女子は2.42.39、混合は2.22.46ですから、結構速い実業団陸上部や大学陸上部なども参加しています。
私は今年は5区の3Kmを走りました。見ていると、せっかく必死で走ってきてタスキを渡そうとしても人数が多くて次走者が見つからずに数分間ウロウロするケースが結構ありましたので、それだけは避けたいと思いました。私の前走者は4区8Kmでしたので、前々走者からタスキを受け取って走り始めたのは11時30分だったのを確認し、1Kmを5分~6分で走ってくれば12時10分~12時18分頃に帰ってくる筈だと予測しました。その時間帯には次走者待機場所で必死に見逃さないように待っていて、無事到着と同時にタスキを受け取ることができました。
今の私の体調では1Km7分~8分はかかるだろうと思っていたら、自己計測では23分でしたので、その通りでした。20年ぐらい前は1Km4分以内で走れましたので、情けない限りですが、きちんと体調管理ができていない自分の責任です。
主催者から配布されたプログラムを見たら、全部で494チームがエントリーしたようです。年齢を公表したくないのか、全員同じ年齢を記入(多分申し込みをした代表者の年齢)したり、年齢を記入していないチームがありましたが、ちょっと集計してみたら、30才代が一番多く、次いで40才代、50才代、20才代という順番でした。最年少は6才で、最高齢は80才(私と同じチームのY名誉教授)でした。6、7、8才の小さな子供が大人に混じってしっかり走っているのは見るのは感動的で、思わず応援したくなりました。
私はわずか3Kmでしたが最初から最後まで苦しい走りで、無理をしないように走ったら後ろから追い抜かれるばかりでしたが、年齢的に集計可能な3316人の中で私より高齢者は7人しかいませんでしたので、まっ、この年齢(73才)になって元気で走れるだけでもいいかと思うことにしました。
このところ毎年同じ状況の繰り返しですが、次回走る時はちゃんと走り込んで体調を整えてからと、今年も同じ反省をしました。
全員が走り終えてから、鶴見川沿いの河川敷の新幹線の橋げたの下でみんなで慰労会をしました。

元千葉大学医学部勤務で現在は東京女子医科大学八千代医療センターに移られた、呼吸器外科医の関根康雄教授(副院長)は、昔一緒に走った千葉大学走友会チームのメンバーに欠員がでたことを知って、急遽駆けつけて走ってくれました。久し振りにお会いしましたが、最近社会の注目を集めた群馬大学医学部で外科手術を受けた患者の死亡率が異常に高かった問題の背景など、いろいろ興味深いお話を伺うことができました。

2016年4月28日木曜日

7月15日(金)に滋賀県で開催予定の「食の安全・安心シンポジウム in しが」の案内ポスターの原案が送ってきました。私の基調講演とパネルディスカッションから構成されています。まだ時間がありますので、与えられた時間の中で何をどういう順番でどうプレゼンテーションするか、よく考えて計画を練ってみようと思っています。

 
隣接したマツの根系が癒合しているかどうかを、地面を掘り起こさずに見分ける方法としてテスターを購入して電気的に抵抗を測定できないか試行錯誤してきました。普通のテスターは直流なので、交流でなければ駄目だというアドバイスがありましたので、テスターのメーカー日置電気株式会社に相談をしてみましたら、デモ機を無料で貸し出してもらえることになりました。今日突然電話があって、デモ機が1台返却されてきたので、野田市の東京理科大学の帰りに届けてもらえるということになりました。LCRメータ(IM3533)に4端子プローブを付けて、インピーダンスを測定する仕組みです。先ずは機器の使い方を覚えることと、立木を使って導管内の水をこの方法で測定できるか予備試験を連休明けにしてみることにしました。日程を調整して、今日デモ機を届けてくれたメーカーの技術者と千葉大学工学部電気科の卒業生の友人に来てもらって、手伝ってもらうつもりです。

明日29日(金)は以前は確か「緑の日」で祭日でしたが、今は「昭和の日」と呼ばれる祭日で、いよいよ横浜駅伝大会の日です。私は全くの練習不足で最悪の体調ですが、最短の3Km区間担当ですので、チームに迷惑をかけないように何とか走ってタスキだけは次走者につなぐつもりです。

2016年4月27日水曜日

茨城県樹木医会会長の阿部 豊氏と千葉県の銚子駅で10時に待ち合わせ、レンタルした2トン積みトラックで茨城県神栖(かみす)市波崎(はさき)海岸の生涯学習支援センターの駐車場に行きました。神栖市役所から松くい虫被害木の伐倒作業を受注した現地で造園業を営むOさんがすでに来て待っていてくれました。名刺交換したら東京農業大学造園学科卒業生で、私が5年間客員教授をしたことがわかり、同窓だということで即座に親しくなりました。しばらくしたら、神栖市役所の農林課の職員2人が到着しましたので、私が持参した松くい虫被害(松枯れ)の原因や、現状や、防除対策や、問題点などに関する資料をお渡しして説明をしました。県でも市でも同じですが、役所は職員は何年かすると担当部署が変わるので、昨年お会いした担当者から代わったばかりで、松くい虫問題についての情報を大変感謝されました。

ここは童子女(おとめ)の松原という名称の看板が立っていましたが、常陸国(ひたちのくに)風土記という奈良時代初期の713年(和銅6年)に編纂された記録に基づいているとの説明がありました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B8%B8%E9%99%B8%E5%9B%BD%E9%A2%A8%E5%9C%9F%E8%A8%98
神話に基づいて、郎子(いらつこ)という若い男性と嬢子(いらつめ)という若い女性がそれぞれ奈美松(なみまつ)と古津松(こつまつ)になったということで、銅像の後ろに2本のマツが配置されていましたが、その中の1本が松くい虫被害で枯死したので造園業をやっているOさんが最近新しいマツに植え替えたとのことでした。
伐倒駆除された根株の年輪を数えてみたら、大きいものでも樹齢は50年ちょっとぐらいに見えましたので、奈良時代から存在したマツは全部消滅(千葉県館山市の平砂浦のマツにように、戦争中に松根油を採るために伐採されたのかも?)して、戦後に植えられたマツが松くい虫被害で枯れて、その後植栽された若いマツがほとんどでした。今はその若い松がどんどん枯れて、疎林になってきています。

どこでも同様の問題に直面していますが、予算的に枯死マツの全部を伐倒駆除できないということと、道を1本隔てた隣接松林は民有林なので枯死松が放置されたままで来年の発生源になっているという問題もありました。人間の社会では、国有林、県有林、市有林、民有林かで所管者が異なりますが、マツノマダラカキリにとってはそんなことは関わりなく、羽化脱出後はマツの樹に飛んで行って当年枝・1年枝の樹皮をかじってマツノザイセンチュウを侵入させますので、枯死マツが林内・林外に放置されていればいつまで経っても被害を終息できないことは明らかです。
仕事を受注した造園業者も伐倒した丸太を集積して(直径×長さで計算した材積量m3で市からお金が支払われる)、残りの小枝を林内に放置していましたので、それを割材してマツノマダラカミキリの幼虫が寄生しているのをお見せしたら、驚いていました。発注する側も受注する側もこういうことを知らずに作業をしていることも、被害が終息しない一因になっています。
集積してある伐倒木から、マツノマダラカミキリ幼虫ができるだけたくさん寄生している丸太を選んでトラックに積載するのを造園業者と神栖市役所の職員にも手伝ってもらって、その後約4時間かかって下館に運んで、網室に収納しました。全部で86本ありましたので、1本からマツノマダラカミキリ成虫が4~5頭羽化脱出してくれば、344~430頭得られる筈だと皮算用しました。

帰りは車で小山(おやま)駅まで送ってもらって、上野駅まで新幹線に乗りましたが、その前に小山駅近くのカフェ・レストランBee House というところに寄って休憩し、小さなパンケーキのセットを注文してハチミツをかけて食べました。
お皿には、チョコレートの粉を使って、フォークとミツバチの絵が描いてありました。
http://www.sensinkai.or.jp/beehouse/
店の外観も内部も素敵なデザインで、対応した若い女性の店員もまるで働き蜂のような印象で素敵でした。こんなにオシャレで感じのいいお店は珍しく、近くに行く機会がある人にはお薦めです。

     (写真はクリックすると拡大できます)
 
























2016年4月26日火曜日

(ここにあった文章は事情により削除しました)

そろそろ田植えの時期ですので、水田の様子が気になって、車を運転して千葉市の田舎をドライブしてきました。すでに田植えが終わった水田と、水を張って準備をしている水田と、まだ田起しもしていない水田とありました。お米は長年日本人の主食でしたので、毎年この時期に田植えされた水田を見ると感動して安心するのは、日本人の本能かもしれません。

松戸に帰ってきてから園芸学部構内を通って、水元公園に行って1時間半ウォーキング/ジョギングをしてきました。夕方の時間でしたが、不動池には偶然カワセミが来ていました。江戸川堤防沿いの細い道で、居眠り運転か対向車を避けようとしてハンドル操作を誤ったのか1台のバンが事故を起こして、ドライバーが携帯電話であちこちに連絡をしていました。
18:15ぐらいから太陽が地平線に沈み始め、18:30には夕焼け空だけ残して完全に沈みました。










2016年4月25日月曜日

午前中、道場で1時間ぐらい空手の稽古をしてから、東京の神田に出かけました。
東京神田駅近くの全農薬(全国農薬協同組合)ビル内に事務局がある安全協(全国農薬安全指導者協議会)は、農薬に関する講習会を開催して受講者に農薬コンサルタントという資格を与える事業の他に、年に3回全国各地で一般消費者を対象に農薬に関する理解を深めるための農薬シンポジウムを開催していますが、私は毎年その講師を依頼されています。今年は7月15日(金)に滋賀県、8月26日(金)に静岡県、9月6日(火)に愛媛県で開催が計画されていて、その打ち合わせも兼ねて午後1時半に事務局を訪ねました。

久し振りに神田駅で降りましたが、駅近くの路上に駐車したバイクに乗った人が仮眠をとっている姿が目に入りました。昔、私の研究室の卒業生が長野県の実家に帰って果樹園を継ぐ前に、東京で書類や小箱程度の荷物を3時間以内に届けるというBy-Q便で働いていましたが、今日見たのはソクハイ、60分以内と書いてありましたので、同業者かもしれません。しかし、バイクに乗ったまま、ヘルメットを外してジャンバーを頭からすっぽり被って仮眠している姿からよっぽど疲れているのではと想像しました。無理をし過ぎて事故がなければいいがと思ってしまいました。
駅の近くのあるビルの横には、垂直に近い壁に植物が植えてあり、よく見るとロックウールか水蘚(みずごけ)みたいなものに根が挿してありましたので、恐らく栄養液が自動的に供給される仕組みになっているのでしょう。都内の狭い土地で植物の緑を平面ではなく垂直に育てるアイデアに感心しました。

松戸に帰ってきてからもう一度園芸学部に寄って、いくつかの研究室を訪ねて、今週金曜の横浜駅伝大会で急遽欠員がでた8.195Km区間を走ってくれる教職員か学生がいないかあたってみましたが、結局見つかりませんでした。
共同研究をしている緑地環境学科のT准教授の研究室を訪ねたら、2014年に私がノースカロライナ州政府の樹木苗生産センターから入手してきた松くい虫抵抗性の4種類のテーダマツの種子からコンテナ苗を育てる作業を始めていました。全部育てば1,600本分ですが、畑に植えられる大きさに育つには多分2年ぐらいはかかる筈です。日本の環境でも生育できるマツになるかどうか楽しみです。