2012年7月31日火曜日

約束通り、千葉県森林研究所の福原氏が、培養したマツノザイセンチュウのKa-4 isolate(毒性最強)を持参してくれました。福原氏らは、この時期は野外で一日に2000~3000本の松苗に接種する作業をしているそうですが、今日は、千葉県松林復活プロジェクトに参加している千葉大学大学院博士課程の大学院生小林君を指導してもらってポット植えの松苗に接種しました。松苗の幹の粗皮をナイフで丁寧に剥離し、露出した形成層をのこぎりで傷をつけ(マツノマダラカミキリ成虫が当年枝を後食するのを模して)、培養したマツノザイセンチュウ懸濁液を1本当り約3000頭ずつ接種しました。このような接種作業は日中の気温の高い時に行うと、剥離した粗皮と形成層の間に滴下した懸濁液が短時間に吸収されて、センチュウの樹体内への侵入を促進するとのことです。

松枯れの発現症状を見ながら、松苗をポットから引き抜いて、センチュウ無接種区の松苗の白根(吸水根)とセンチュウを接種した影響で褐色化した白根を採取し、菌根菌の共生を妨害する二次代謝物質が生成しているかどうかを調べる予定です。仮説が正しければ、次のステップとして二次代謝物質の分離同定に進みますが、うまくいけばいずれ小林君の博士論文の一部になる筈です。
炎天下で汗をびっしょりかきながらの体力を消耗する作業でしたが、仮説通りの素晴らしい結果が得られることを想像しながらの楽しい作業でした。



2012年7月30日月曜日

市橋君のことで何人かの方からお便りが届いていますが、ブログには載せないでほしいと書いてありましたので内容は紹介しません。

6月20日に到着した娘と孫たちは、日本に40日間滞在して、今日成田空港からカリフォルニア州サンタモニカ市の自宅に帰りました。夕方17:15発の飛行機でしたが、念のため早目に車にスーツケース5個を積んで自宅を出発し、空港に着いたのは12:00 頃でした。チェックイン開始は13:15 頃と言われて、列に並んで待ちました。孫たちは退屈して、空港ロビーの椅子に腰かけてバックパックからニンテンドーのゲーム機を取り出して、夢中になって遊んでいました。時間がきて荷物のチェックイン手続きが済んで、孫たちが出発ゲートに向かう時には姿が見えなくなるまで手を振ってさよならをしました。朝から晩まで賑やかだった我が家は、また老夫婦二人だけの静かな生活に戻りますが、ロサンゼルス空港には義理の息子が首を長くして家族の帰りを待っている筈です。

2012年7月29日日曜日

全国農薬安全指導者協議会(安全協)主催の「農薬シンポジウム IN 千葉」は、千葉市文化交流プラザで予定通り開催されました。今回は、企画を担当した地元の農薬卸商会社の岩淵健二社長が開会の挨拶で、事前に独自に実施した農薬に関する意識調査(アンケート)の結果から、農薬に不安感を持ったいる人たちは何に対して不安を抱いているかを解析して報告しました。

私の基調講演に続いて、JA(農業協同組合)ちばみどりの宮内貴志次長が作物流通を担っているJAが安全を確保するために採用している各種取り組みについて紹介し、銚子野菜連合会の石上與一会長が緑肥を用いた土作りから収穫・出荷までのキャベツ生産の全課程について解説されました。千葉県の農産物産出額は、平成22年の統計では北海道、茨城県に次いで全国第3位ですが、中でもキャベツやトウモロコシの生産についてはJAちばみどり管内の銚子の貢献が大きいとのこと。

収穫1週間前のキャベツ畑では、周辺の畑で散布された農薬の飛散による汚染が起こらないように桃色の旗を立てて注意を喚起するのだそうです。ところが、これは畑泥棒にとっても収穫適期を知らせる合図になるので、この時期は警戒を厳重にして泥棒に盗まれないように注意をしているとのこと。農家が長期間かけて汗水流して栽培したキャベツを盗む人がいるというのは信じられない気がしますが、以前、収穫直前の水田から稲刈りをしてお米を盗むという事件が報道されていましたので、実際にあることなのでしょう。

質疑応答の後は、安全協の田中康貴会長の閉会挨拶で幕を閉じました。閉会後、主催者と講師は近くの居酒屋で反省会をしましたが、この席で農薬の流通や作物の流通に関していろいろな情報が得られ、私にとっては大変勉強になりました。

2012年7月28日土曜日

昨日いただいたお便りに以下の返事を差し上げました。
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〇〇〇〇様
お便りありがとうございました。市橋君がどこかの刑務所に移送されて受刑生活が始まって以来、様子が全くわからなくなってしまいました。どこの刑務所にいるかが、弁護団にも、ご両親にも、誰にもわからないというのは、残酷な制度ですね。本人が外部に手紙を書くことは許されている(回数に制限があるにしても)筈ですから、どこにも手紙がきていないということは、本人が誰にも知られずに罪の償いをしたいと思っているからではと想像しています。
ほとんどの人々は、マスコミが追いかけて報道している間は関心を示しますが、報道をしなくなればもう過去のこととして忘れてしまいます。本人にとっては今から30年間も自由のない刑務所での生活をし、決して過去の問題になることはない、永久に現在の問題として向き合って生きなければならないのに・・。市橋君は頑丈な体と強い精神力を持っていますので、受刑生活をしながら、ご両親から最後にいただいたお手紙にありましたように、求道者のように修養と克己を身につけていくのではと思っています。
私も、市橋君がいつの日か受刑しつつもご両親や私や支援者と交流をしたいと思う日がくることを祈っています。
先日、夜中の1時頃に携帯から以下のメールが届きました。発信者の名前も何もありませんでしたので、いつもと同じ嫌がらせの一つだと思って無視しましたが、反支援者も、市橋君に関するニュースがパタッとなくなったので、攻撃目標がなくなって張り合いがないのかもしれません。


「△△刑務所にいます。」
「△△刑務所の所在地わかりますか。わからなければ、104に電話して、電話番号と所在地聞いてください。真夜中にすみません。」

私はもう70才の老人ですから、そろそろ引退して年齢相応の暮らしをするべきなのかもしれませんが、まだもう少しやりたいことがありますので、なかなか引退できません。平均寿命からすると残り10年足らずですから、少しずつでも今までやりたくてもできなかったことに時間を使おうと思っています。
猛暑が続いていますので、〇〇様もどうぞお体を大切に。

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昨日の梅津憲治博士の講演でも紹介されていましたが、千葉大学は植物工場研究の拠点大学の一つです。園芸学部松戸キャンパスには、閉鎖型植物工場と太陽光利用型植物工場があってよく学外からも見学者が訪れるようです。千葉大学柏の葉キャンパスのセンターには最近さらに近代的な植物工場が建てられたようですが、私自身はまだ見に行っていません。今日は純白の花が咲いている木槿(ムクゲ)の側を通ったら、小さなカマキリが愉快な姿勢で餌食(訪花昆虫)を待ち構えていたので写真を撮ってきました。


明日は千葉市で開催される農薬シンポジウムで、私は「食の安全・安心と農薬」というテーマの基調講演をすることになっています。開会は午後2時からですが、事前の打ち合わせ会と事後の反省会もありますので、帰宅するのは夜の時間帯になりそうです。今回は日曜日開催ですので、どういう参加者が来られるのか、楽しみです。

2012年7月27日金曜日

市橋君のことで久しぶりのお便りがありました。猛暑の中で、受刑中の市橋君の健康を心配している方々がたくさんおられるのでしょう。ありがとうございました。
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先生、大変ご無沙汰をしております。連日猛暑が続いておりますがお身体大丈夫でしょうか?
オウムの指名手配犯が立て続けに逮捕され、その中で市橋さんの逃亡生活を引き合いに出していたこと、ニュースを見るだけで市橋さんの立場を考えてしまい胸が痛い思いをしておりました。(自分の犯した罪の償いを日々向き合っておられるのに。でも罪は罪ですので仕方の無い事ですが)
この何か月間毎晩寝る前に「毎日元気で受刑の日を送れるように」と。市橋さんはもう受刑者に変わったんだ。私達が何か支援をすることはもうできないのですね。
正直控訴をしても誰も信じてくれない、だから今の受刑の道を選んだのかもしれません。(あくまで私個人の見解です)
この暑い中市橋さんは大丈夫なのか?元気にしているのか?独りの殻に籠ってるのではないのか?とても気がかりです。
でもこのリンゼイさんの事件を風化してほしくないとも思っております。世の中はオリンピック一色ですね。オウムの事件も風化されそうになっています。ただ言えることは、市橋さん強く生きてほしい。それだけで支援者(何もできませんが)の私にも光が見えてきます。私も一日一日を大切にし、市橋さんの事を願いながら生活をしていきます。
先生のご活躍大変喜ばしくて嬉しくなります。これからもお身体に気を付けてください。乱文長文失礼しました。
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今日は「食と農の博物館」で、東京農業大学総合研究所研究会農薬部会とHEART(ハート)の会*と合同の講演会があり、梅津憲治博士(東京農業大学客員教授/元日本農薬学会長/元大塚化学専務取締役)による「植物工場の現状と将来の課題」と題した講演がありました。私は今年から研究会の農薬部会長になりましたから、座長の役を果たしましたが、素晴らしい内容の講演でした。大塚化学自体が水耕栽培用の液肥を供給しているということもあって、あちこち日本の主な植物工場を訪問して撮影してこられた(普通は企業秘密で見学も撮影もさせてくれない)写真も興味深いものでしたが、日本の農業を取り巻く環境と農産物生産の実態や、植物工場の採算性・事業性や、太陽光利用型・完全制御型植物工場の特徴と課題など、貴重な資料をたくさん集めて整理してプレゼンテーションをされ、さすが勉強家の梅津博士だからこそできたと思われる大変説得力のある講演でした。
*人間環境活性化研究会 (Human Environment Activating Research Team)  http://www.heart-no-kai.com/

農水省や経産省の補助金事業ということもありますが、異業種から猫も杓子(しゃくし)も事業参入していて、一見華やかな植物工場ビジネスですが、設備投資やエネルギー代に巨額の投資がかかり、ほとんどが赤字経営という実態には考えさせられました。施設を建設するゼネコンや電気を供給する電力会社には儲かるビジネスかもしれませんが、肝心の植物工場の中で植物生産をする農家=農業生産者にとっては、赤字で破産して夜逃げをしなければならないくらい、儲からないビジネスのようです。何でもそうでしょうが、見かけの華やかさや恰好だけで判断してはいけないという教訓を教えられます。

円高のために、安い輸入農産物との競争に苦しんでいる日本農業の現状や、東北大震災と津波で壊滅状態の現地の農業再生のために、植物工場建設は政府にとっては魅力的な補助金事業になるかもしれませんが、長い目で見て農家の経営や日本の食料自給率アップに本当に役に立つかどうか、これまでの経験の反省を踏まえて判断することが必要なのだと思います。

2012年7月26日木曜日

新潟県胎内市でのヘリコプターで散布された薬剤の気中濃度を測定するサンプルを分析するための抽出・濃縮・定容の作業を、共同研究をしている千葉大学園芸学部の研究室で行いました。サンプル数が多いので、夜中の2時までかかってやっと1/4くらい終わりました。残りの3/4を同様に処理すれば、ガスクロマトグラフィーという機器を使って分析ができるようになります。夜中まで実験をしながら、大学院生に戻ったような楽しい気分でした。

2012年7月25日水曜日

JR特急さざなみ1号は空いていたので3人そろって座れました。館山駅に到着後レンタカーを借りて平砂浦に行きました。猛暑日でしたが、汗をびっしょりかきながら平砂浦遊歩道から松林(今は枯れてほとんど壊滅状態)の中に入り念入りに視察しました。7月11日に視察した時にはわずかですが生き残っていた松もあったのですが、わずか2週間でそれらにも松枯れ症状が進行していましたので、今秋には全部枯れてしまうかもしれません。
6月27日に2回目のエコワンフロアブル(有効成分はネオニコチノイド剤のチアクロプリド)をスパウターと呼ばれる大型散布機で道路から散布した筈ですが、地上散布ではスパウターが移動できる道路側からしか散布ができないので、薬液が届かない林分では効果がないのは当然です。道路にはみ出した松枝の下の道路上には無数のマツノマダラカミキリ成虫の死骸がありましたので、薬液がかかった松枝に寄生していた成虫に対しては効果があったことがわかります。
今年発生した成虫は当年枝を後食(こうしょく)し、一部はすでに産卵し、孵化幼虫が樹皮下で形成層を食害していました。場所によっては、姿は見えなくても幼虫が樹皮下でボリボリかじっている音が聞こえました。

車で外房(そとぼう)沿いに北上して途中東浪見(とらみ)海岸に寄ってみました。大きな松はすでにほとんど枯れて、更新された生育途上の小さな松がありましたがそれも何割かは松枯れが進行中で、今年発生した成虫が当年枝を後食しているところも確認できました。

さらに北上して九十九里の蓮沼海浜公園の松枯れのその後の状況を視察しました。展望台の前辺りの松が文字通り松枯れで全滅状態で、今年枯れた松は伐倒・玉切りにされてブルーシートで覆われていました。昆虫寄生性病原菌ボーベリア菌(ボーベリアバシアーナ F-263株の分生子、商品名はバイオリサ・マダラ)を接種してある絆創膏みたいなテープ(不織布)が玉切りされた松枝に貼ってありました。羽化脱出してきた成虫は丸太の上を歩き回ってこれに触れればボーベリア菌に感染しやがて発病して死ぬ筈ですが、実際にはシートの下の松枝上でテープに触れずに留まっている成虫や、ブルーシートの上に出てきている成虫も見られました。これらの成虫が健全な松の当年枝に飛んでいって後食(こうしょく)すればセンチュウを伝搬するのではないか、ちょっと心配になりました。ブルーシートの大きさが不十分で積み重ねられた丸太の高さの半分くらいまでしか被されていなかったからかもしれません。こういう処理方法でいいのか、この方法を開発された元(独)森林総合研究所の研究者に今度確認してみようと思っています。

茂原でレンタカーを返して、特急の時間まで駅近くのレストランでビールを一杯と夕食を食べながら3人で今日の視察の結果を話し合いました。有人ヘリコプターで有機リン殺虫剤のスミパインMCを散布していた2007年まではしっかり守られていた松林がこういう無残な状況になったのは、農薬反対活動家グループの反対運動でヘリコプターによる有機リン殺虫剤の散布が中止に追い込まれ、残効性の短いネオニコチノイド剤(エコワンフロアブルとマツグリーン液剤2)の地上散布に切り換えられたことが原因と推察されます。それでも君ヶ浜の国有林のように適期に2回散布をして、伐倒駆除もきちんとしていれば守られた筈ですが、予算の制約などから1回散布しかできず伐倒駆除も不十分にしかできなければ、5月~8月まで羽化脱出してくるマツノマダラカミキリ成虫に対応できないことは当然です。防除技術はあるにもかかわらず、2008年以来政治的・予算的制約から中途半端な防除しかできなかったことのツケがまわってきたというのが私の結論です。

もう一つ私が不思議に思ったことは、伐倒駆除した跡地に何故同じ本数(少なくとも)の松苗を植林しないかということです。伐倒だけしていけば松林が消滅していくのは目に見えています。毎年枯れた分だけ補植をしていくことは、行政のやる事業としては予算化しにくくやれないというようなことがあるのだとしたら、それもひとつの問題だなあという気がします。

ここまで被害が深刻になれば、かつて日本の白砂青松100選にも選ばれた(美しかった)平砂浦の松林も九十九里の松林も遠からず消滅する日がくるでしょう。こうなると、今後どうするかということが政治的課題になってくる筈です。東北大震災の後、電力不足問題が顕在化している現状にかんがみ、松が枯れた後の海岸に太陽光発電のパネルを設置したり、風力発電の風車を設置したらどうかというアイデアも冗談交じりにささやかれているとのこと。一案だとは思いますが、昔から地元の住民が苦しめられてきた強風害、飛砂害、潮風害などをどう解決するか、場合によっては起こるかもしれない津波に対する備えも含めて考える必要があるのでしょう。

朝早くから一日かけての猛暑の中での視察で疲れましたが、現場に出てよかったと思います。現場に出ると毎回新しい発見や体験があります。林野庁の森林保護対策室長にとっても、有意義だった筈です。今日の経験を国としての林野行政に生かしていただきたいと思います。

      (写真はクリックすると拡大できます。)




2012年7月24日火曜日

明日は朝早く自宅を出て、電車で館山まで行き、そこからはレンタカーで平砂浦と九十九里の海岸を回って松枯れ状況を視察してくる予定です。いつも一緒に行く樹木医の他に、林野庁の森林保護対策室長が同行します。森林保護対策室長は正式の出張にすると、関東森林管理局千葉森林管理事務所や千葉県の林業事務所への連絡など手続きが面倒になるので、休暇をとって個人的な視察にするという配慮をしてくれました。室長には、海岸保安林が松くい虫防除の失敗でどれだけ酷い状況になっているか、現場に足を運んで直接見てきていただきたいと思っています。その上で、松林を守るために林野庁として何ができるか検討していただければと思います。

孫たちは、エネルギーを発散させるために娘が子供向けの映画につれていきました。帰ってきてから、一番上のAiden(叡伝)は小学校の友達の家に誘われて遊びに行きました。この友達は、普段は学校が終わると塾通いなのであまり遊び友達がいないらしく、Aidenと遊べるのが楽しくてたまらないようです。学校が終わったら近所の子供たちと自由に遊べた昔の子供と、塾に通ったり、家でコンピューターゲームに熱中している今の子供と、どちらが幸せなのだろうと思ってしまいます。

ダディ(父親)がアメリカで離れているせいか、3人ともよく私のところにきてくすぐりっこをしたり、相撲をとったりします。父親とのスキンシップを求めているのかもしれません。明日は、皆で東京スカイツリー見に行って、それから浅草に行ってアメリカの友達にお土産を買ってくると言っています。

今日はテレビ朝日で午後4時15分頃からイチロウがニューヨークジャイアンツに移籍するニュースを伝えていましたが、義理の息子が送った映像とのことでした。

2012年7月23日月曜日

今月29日(日)に千葉市で行われる「農薬シンポジウムIN千葉」の基調講演の準備をしました。岐阜市では少し時間をオーバーしてしまいましたので、今回は割り当てられた時間通りに終われるように、スライドの枚数は同じでも、話す内容を少し絞ることにしました。

準備運動をしてから、いつもの江戸川堤防の代わりに、近くにある浅間(せんげん)神社に走りに行きました。昨年の地震で鳥居や灯籠などが被害を受けたらしく、長い間立ち入りできなかったのですが、修理が終わったらしく石段を登って頂上の神社まで行くことができました。独立した小さな山ですが、うっそうとした森になっていて、神社の雰囲気が保たれていました。

夕方は家族全員で近くの知り合いのラーメン屋に行って夕食を食べ、その帰りに公園に寄って花火をしました。大きな音がしたり、空に打ち上げるような派手なものは避けて、線香花火のような地味なものを選んで買ってきましたが、それでも孫たちは代わりばんこに花火を手に持って着火し、歓声をあげて喜んでいました。日本での夏の夜の思い出になるでしょう。

2012年7月22日日曜日

支援者から久し振りのお便りが届きました。ありがとうございます。人間ドックでは何も異常はなかったのですが、実は1月末のフルマラソンで気が抜けたのか、その後あまり走る気力が湧いてきません。単に運動を怠けているので筋力が退化しているだけかもしれませんが、下腹部に少し違和感があって以前のように力がでてこないような気がしています。8月になってもう少し時間の余裕ができたら、念のため病院に行って検査を受けてこようと思っています。
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暑中お見舞申しあげます。とはいえ、気温差がある天候続きで“暑中”という言葉は適しているのか?どうかわかりませんね。
先生、お孫さん達との楽しく賑やかな日々、ブログで拝見させて頂いてます。公私にわたり色々とお忙しそうなので少し体調が心配です。くれぐれもお体にお気をつけてお過ごしくださいませ。私は仕事に趣味に相変わらずの生活です。毎朝、欠かさず市橋さんが今日も元気で頑張ってくださるようお祈りも続けています。今の私には祈る事しかできませんので。(本山:市橋君自身が誰にも知られずに罪を償おうとしているようですので、今は遠くから彼が日々の行いを通して人間として成長することを祈るしかありませんし、私もそれでいいのだと思っています。私に何かを話したいと思う時がくれば手紙を書いてくれるでしょう。
いつか市橋さんが先生にお便りをくださることを願いつつ、これからも支援していきたいと思います。
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Aiden(叡伝)とColin(琥倫)をつれて水元(みずもと)公園内にある葛飾区金魚展示場に金魚を見に行きました。これが金魚かと思われるような、実に様々な金魚がいました。小合溜(こあいだまり)につながっている小さな水路にはハスの葉が一面を覆っていて、ピンク色のなんとも言えない優しい感じの花が咲いていました。
午後からはAidenは小学校の友達に誘われて、近くの運動場にサッカーをしに行きました。その間、娘はAika(愛夏)とColin(琥倫)をすぐ近くで遊ばせながら、見ていたようです。Aidenはアメリカでもサッカー教室に通っているので楽しかったらしく、プレー中に蹴られて腫れている脛の傷や、あちこちの擦り傷をGrandpa, look!(おじいちゃん、見て) と言って私に見せました。

孫たちはアメリカに留まっているDaddy(義理の息子)とは毎日電話で話しています。仕事は一段落したようで、本当は、日本に来る直前に引っ越した大きな家(3ベッドルーム、3バスルーム、リビングルーム、キッチン、屋根裏部屋、車2台分の車庫)の片付けを家族がいない間にすると言っていたのに、魂が抜けたみたいになって、料理も上手なのに食事を作る気力もなくなっているようです。普段から子供のために働くのが生き甲斐のDaddyですから、家族がいなくなって寂しくて仕方がないのでしょう。孫たちの日本滞在も残り約1週間になりましたので、もうすぐ家族と合流できます。娘は、自分がアメリカに帰ったらヤードセールをして不要なものを処分するからと伝えたようです。




久し振りに道場で空手着に着替えて、サンドバッグを蹴ったり、巻き藁を突いたり、突き・蹴り・受けの基本の稽古をしましたが、体は固くなっているし、スピードは出ないし、力も入らないし・・、情けない体調でした。頭は錯覚で思い込ませることができても、体は動かさなければすぐ動かなくなって正直です。

2012年7月21日土曜日

毎年この時期になると、千葉大学現役時代に学生諸君と一緒に長年農薬の生態影響を調査してきた水田がどうなっているか気になって落ち着かなくなります。今日は銚子の君ヶ浜の松林の松くい虫の被害状況を調査するついでに、大網白里町と香取市山田区に足を延ばして水田の様子を見てきました。
驚いたことに大網白里町砂田(いさごだ)地区の水田は大豆畑に転換されていました。役所から減反を要請されたのか、補助金が付いたのかはわかりませんが、今度知り合いの農家に訊いてみようと思っています。
香取市山田区田部(たべ)地区の水田はすでに出穂してイネの花が咲いているところもあり、水路には土着のメダカやカエルもいました。橘堰(たちばなぜき)ふれあい公園のハス池では大賀ハスの美しい花が咲いて、ガマも穂をつけていました。
銚子の君ヶ浜の松林は、松くい虫の被害が激発した平砂浦や九十九里の松林と違って、ほとんどが青々としていました。ただごく少数ですが、枯れかかっている(今年発生した松くい虫によると思われる)マツも見られましたので、これからが要注意だなと思いました。




2012年7月20日金曜日

千葉大学園芸学部の「食品安全ビジネス論」では、私も農薬分野で1回担当しましたが、今日が講義の最終回で、(独)日本原子力開発機構の研究主席小林泰彦先生の「食品の放射能汚染と安全性」でしたので、私も一番後ろの席で聴講しました。
しっかりした資料を配布され、放射能と放射線の違い、自然界の放射線、外部被ばくと内部被ばく、リスクの概念、被爆の影響、放射性物質の食品基準、食品の放射線照射の有用性、風評被害問題、・・等々、難しい内容を専門外の学生(大半は園芸経済学科の学生と社会人)に分かり易く講義して下さいました。原子力発電所の事故があった福島県産の農作物について、コープ福島の放射性物質測定結果からも科学的には安全であると証明されていても、安心できないと言われるところは、農薬の風評被害と全く同じ状況だなと思いました。
安全基準値にしても、安心感のためにさらに厳しく設定したり、自分たちの流通している商品を差別化するためにそれよりもさらに厳しくしたり、そのために生じる負の影響については責任をとらない・・。まともな農業をやって安全な農作物を生産している人たちを批判して、無農薬や有機栽培を商品の差別化に利用しようとしている人たちとよく似ているなと思いました。

私から見ても最高の講義だったにもかかわらず、社会人が前の方の列に座って熱心に聴講しているのと比較して、学生諸君の多くが後の方の席で顔を机にうつ伏せにして居眠りしている姿にはがっかりしました。単に卒業に必要な単位数を満たすために受講しているのか、就職活動で走り回って疲れているのか、そもそも大学にきて勉強する目的意識が欠如しているのか、恵まれ過ぎていることがかえって不幸なのかもしれません。こういう無気力な若者たちが大学を卒業して社会に出て行って、どうなるのか心配になりました。

猛暑だった昨日と打って変わって気温が下がって涼しくなりましたので、江戸川堤防を14km ゆっくり走ってきました。

孫のAiden(叡伝)とAika(愛夏)が行っている小学校は今日が夏休み前の最後のクラスだったらしく、それぞれクラスのお友達一人一人がメッセージを書いてくれたアルバムをもらってきました。今月末にはアメリカに帰国して、秋学期にはもう会えなくなることを子供たちも知っているので、「来年また来て同じクラスになれたらいいな」と書いてくれた人もいました。日本人の子供たちにとっても我が家の孫たちにとっても、短い期間でしたがこうして交流できたことはいい経験になった筈です。

2012年7月19日木曜日

午前中は自宅で緊急を要するメールへの返信をし、午後からは東京御茶ノ水で、全国農薬安全指導者協議会(安全協)主催の農薬の安全使用に関する賛助会員(主に農薬メーカー)、安全協常任幹事、農水省農薬対策室等の打ち合わせ会・意見交換会があり、私も招待されましたので出席しました。こういう企画は初めてでしたが、お互いにいろいろな問題点が認識でき、有意義だったと感じました。
情報交換会(懇親会)でも、アルコールの勢いもあって本音での情報交換が行われました。

東京に出かける前に、お腹に情報交換会でアルコールと食べ物が入るスペースを作っておこうと思って、江戸川堤防にジョギングに行きましたが、暑いのと太り過ぎで息が切れるのとで、結局4Km だけ走ったり歩いたりして帰ってきました。情けない限りです。

2012年7月18日水曜日

今日は松戸から東京農業大学まで車で行って、実験に使う器具を共同研究をする千葉大学の研究室に運んできました。今週の金曜までには業者に発注したその他の必要な器材が届く予定ですので、実験が始められます。東京の真ん中を通りましたが、往きは道路が混んでいて2時間くらいかかり、帰りは1時間ちょっとでした。

千葉大学園芸学部の構内にある木槿(ムクゲ)は真っ白い花が満開でした。

一番上の孫のAiden(叡伝)の9才の誕生日でしたので、本人が食べたいと言ったピザをとり、ケーキの変わりにシュークリームを食べ、皆でHappy Birthday の歌を歌ってお祝いしました。その後で、先日トイザラスで買ってきた任天堂のゲームソフトを包装紙から出しました。娘の家ではアメリカにいる時は普段はこういうゲームはあまりさせないようですが、日本語版なので、日本語の勉強にもなるからということで娘が許可しました。
こうして家族皆で誕生日をお祝いしてもらえる孫たちは、世界のあちこちで戦禍に怯えながら暮らしている子供たちに比べると幸せです。


2012年7月17日火曜日

一番下の孫のColin(琥倫)が通っている幼稚園は今日が夏休み前の最終日で、幼稚園で描いた絵や、作ったおもちゃや、先生が撮ってくれた写真を持って帰ってきました。短い期間でしたが、体操の時間や、プールの時間や、習字の時間や、お茶の時間もあって、日本の子供たちの中に入って同じ経験ができたことは、大変良かったと思っています。ハーフで少し顔立ちが皆と違っていても、そんなことはお構いなく仲良くできるところが子供たちの素晴らしいところなのでしょう。お互いにその気持ちを大人になっても持ち続けてくれればいいのですが・・。体験入園を受け入れてくれた幼稚園と、指導をして下さった先生たちに感謝します。

2012年7月16日月曜日

腎臓透析でリハビリセンターに長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行ってきました。先月は一度も行けなかったので2ケ月振りでした。娘が小さかった頃は同じ公務員宿舎に住んでいて家族どうしよく知っているので、娘と孫たちの写真を持っていって見せながらいろいろ話しかけました。眼を大きく開いて、私の顔を見たり、写真を見たりしていましたが、一言も口はきいてくれませんでした。

30分ぐらいしてリハビリセンターを後にしましたが、ベッドの横の小机にはメモ帳を兼ねたスケッチブックが立てかけてあったので、私がお見舞いに来たことを記して写真も何枚か残してきましたら、その後に来られた奥様からお礼の電話がありました。昔、日本女子大学出身で、大学院で彼の研究室を専攻していた女子学生が今は新潟大学教授になって、先日お見舞いに来てくれたと話してくれました。私が指導していた園芸学部の空手部にも入っていたので私もよく記憶している人です。ちょうど同じ時期に、明治大学を卒業して大学院を私の研究室を専攻していた男子学生がいて、今は千葉科学大学で薬学部の教授をしていますが、彼も当時空手部に入っていたので、お互いによく知っている筈だと話してあげました。今度彼女にお見舞いの礼状を書く時に、覚えているかどうか男子学生の消息を知らせてみますとのことでした。

元同僚教授/友人も私もすでに千葉大学を定年退職して、そういう意味では余生をおくっている立場ですが、ある時期に指導をした元学生たちが、大学教授になって、分野は違っていても学問の後継者になってくれているのをみるのは嬉しいことです。

娘と孫たちは東京で公演している「ライオンキング」というミュージカルを観に行って来ました。Aika(愛夏)(7才)はカリフォルニア州のサンタモニカの近くのミュージカルシアターに通って習っているので、歌ったり踊ったりするのが大好きです。よく、ドレミの歌を振付をしながら英語で歌ってくれて、バーバとGrandpa を喜ばしてくれます。帰ってきてから今日のミュージカルはどうだったと訊いたら、よかったと答えました。自分は胸から声を出して歌うけど、今日の人たちはお腹から声を出して歌っていたと言っていました。

昨日Aiden(叡伝)(9才)が釣った魚(ヤマメ?)は妻がフライパンに油をひいて、塩コショウで味付けして骨まで軟らかくなるように料理をしたら、孫たちが少しずつ分け合って美味しそうに食べていました。自分で育てた野菜は少々出来損ないでも美味しいのと同じで、自分で釣った魚は格別美味しいと感じるのでしょう。

2012年7月15日日曜日

3連休の中日で学校も幼稚園も休みなので、孫のAika(愛夏)とColin(琥倫)はマミー(母親)と一緒に上野動物園にパンダを見に行き、Aiden(叡伝)と私は魚釣りに行きました。近くの上州屋という釣具店で簡単な釣り道具と餌のミミズを買ってから、水元(みずもと)公園に行きました。多くの家族連れが釣り糸を垂れていましたが、バケツを覗いたらアメリカザリガニとクチボソと呼ばれる小魚ばかりでした。小さな針に細いミミズを付けて入れると、浮きがすぐピクピク動いて小魚がつついているのはわかるのですが、一匹も釣り上げることはできませんでした。買った竿が長過ぎて何回も木の枝や草などにひっかかったのであきらめて、車で1時間くらいの手賀沼フィッシングセンターに行くことにしました。

千円で糸と浮きと重りと針のついている短い竹竿と餌を貸与され、ニジマスが入れてある釣り堀で釣り糸を垂れました。ここも休みだったせいかかなりの人出で、慣れているらしい女性の二人連れが25cm くらいのニジマスを10匹くらい釣り上げていました。Aiden も他の人の真似をしていたら、1匹だけ釣れました。模様からすると、珍しくヤマメかイワナのようでした。リリースしようかと言ったら、持って帰ってバーバ(妻のこと)に料理してもらって食べると言ったので、30円出したら職員が内臓を取り除いて塩をまぶしてプラスチックバッグに入れてくれました。

朝家を出たのは10時頃で、帰宅したのは夕方の5時頃でしたが、孫とGrandpa の二人だけの楽しい一日でした。家族全員が1匹ずつ食べられるようにもっと釣りたいというのを、もう夕飯の時間になるからと言って諦めさせました。これくらいの年齢(9才)の子供の特徴でしょうか、車を運転していても釣りをしていても、Grandpa、Grandpa、と何回も呼び掛けられ、質問をされ、会話が途切れることがありませんでした。それでもちっとも煩わしくなく、ひとつひとつ丁寧に説明をしてあげようとするのは、Grandpa にとっては孫というのはそれだけ可愛い存在だということなのかもしれません。


2012年7月14日土曜日

今年アメリカで誕生日を迎えた孫たちには、日本からプレゼントを送る代わりに、日本に来た時に日本のバーバ(妻のこと)とGrandpa (私のこと)がプレゼントを買いにつれていくからと言ったのを孫たちはちゃんと覚えていました。今日は約束通り、妻と娘と孫たちと全員一緒にトイザラスと伊勢丹のおもちゃ売り場に行きました。トイザラスでAiden (叡伝)君は任天堂のゲームソフトを選び、Colin(琥倫)君はおもちゃを2つ選びましたが、Aika (愛夏)ちゃんだけはここには欲しいものがないと言って、結局伊勢丹のおもちゃ売り場で長い時間をかけて縫いぐるみの人形を選びました。Aika だけは、あれやこれや見ていてなかなか決まらなかったら、娘がAika はアメリカでもそうで、1時間くらい見て歩いても結局決まらずに最後は泣き出すのだそうです。これもほしい、あれもほしいで決められない性格なのでしょう。

そう言えば、今から20年くらい前に空手の弟子/友人のMargie さんの一人娘のSarah ちゃんがちょうど今のAika と同じくらいの年齢だった時に、私が夏休みにノースカロライナ州を訪ねた折に、小学校で必要な文房具や衣類(Tシャツだったか?)を買ってあげると言ってショッピングにつれて行ったら、嬉しくてほっぺたを赤くして1時間くらいあれやこれや見て歩いて、やはりなかなか決められなかったのを思い出しました。大人もそうかもしれませんが、子供の心理も一人一人違っていて面白いものです。

買い物の後は、釜揚げうどんのお店に行って、皆でうどんを食べました。

Aiden とは明日は魚釣りに行く約束ですが、今日は私と二人で江戸川の堤防にジョギングに行こうと言い出しました。バーバに、今日は暑いしもう時間が遅いので駄目と言われてしぶしぶ諦めました。ついこの間までおしめをして赤ちゃんだったのに、いつの間にか私と男どうしでジョギングに行こうと言ってくれるようになって、Grandpa としては嬉しい限りです。バーバもGrandpa も70代ですからいつまで生きられるかわかりませんが、孫たちにはこのまま順調に育ってほしいと願っています。どんな大人になるのか楽しみです。

2012年7月13日金曜日

9月15日-20日に中国の北京で開催される環太平洋農薬科学会議で私は招待講演をすることになっていますが、講演要旨の締め切りが明後日15日までとなっていますので、今日は一日中机に向かってその準備をしました。
http://www.2012iupac.com/UploadFiles/20120710%20The%20third%20circular.pdf 
松くい虫防除問題について長年一緒に研究してきた二人の研究者、中国からの元留学生孫 立倉博士と元林野庁森林総合研究所の田畑勝洋博士(現岐阜県立森林文化アカデミー客員教授)との共著ですので、お二人のご意見も取り入れて訂正し、最終版を先ほどオンラインで提出しました。

Session III:Environmental fate, exposure modeling and risk assessment of pesticides(セッションIII:農薬の環境中での運命、暴露モデルとリスク評価)の中の、III-4:Assessing risks of pesticides to human being(III-4:農薬の人へのリスク評価)というところで発表をする予定です。講演のタイトルは、Possible exposure and health effect of airial pesticides sprayed by helicopters over pine forests(ヘリコプターで松林に空中散布された農薬の暴露と健康影響の可能性)、です。締め切り前に提出できたので、先ずは一安心です。

夕方は江戸川堤防に行って、8Km をゆっくり走ったり歩いたりしてきました。紫陽花(アジサイ)の季節が終わって、今は木槿(ムクゲ)と芙蓉(フヨウ)の花が満開で目を惹きます。
孫たちは毎日小学校や幼稚園に元気に通っています。あっという間に日本人の子供たちと同じような日本語をしゃべるようになりました。今日は、一番下のColin(琥倫)君(5才)が幼稚園で描いたという絵を持って帰ってきました。人なのか動物なのか植物なのかわかりませんが、毎朝・毎夕NHK Eテレの子供番組を見ているので、想像上のキャラクターなのかもしれません。

2012年7月12日木曜日

6月に新潟県胎内市で農薬散布が行われた時に採取してきたサンプルを、抽出・濃縮・定容する作業は、予定していた大学院博士課程の学生はあいにくこの時期は忙しくて時間がとれないということになりましたので、東京農業大学のある研究室の設備を使わせていただいて、私自身で行うことになりました。自ら試験管を振るのは何年振りかですので、楽しみです。

9月15日-20日に中国の北京で開催される環太平洋農薬科学会議の登録手続きと、航空券の予約と、宿泊ホテルの予約を済ませました。

2012年7月11日水曜日

朝8時に松戸を出発し、私の車を運転して樹木医と一緒に房総半島の富津岬の松林の状況を見に行きました。岬の先端部分の松林は前回視察した時に比べて若干松枯れが進行したかなと感じる程度でしたが、前回被害が大きかった漁港の向かいの松林は枯れた松を伐倒駆除したらしく、疎林になって空間が大きくなっていましたが、枯れた松は除去されていました。

その後、館山自動車道に戻って房総半島先端に位置する平砂浦に行きました。昨年の松枯れで激害が発生したところですが、今年はすでに殺虫剤(ネオニコチノイド剤)の2回散布が行われた筈ですので、マツノマダラカミキリがどういう状態か観察するのが目的でした。松枯れは前回の視察時よりもさらに悪化しており、場所によっては枯損木の伐倒駆除で、松林が消滅して空き地になっていました。伐倒木をチップ化して林内に敷きつめているところもありました。

伐倒されなかった生きているマツには、マツノマダラカミキリ成虫が集中していて、ある1本の小さいマツの木には5頭も寄生して後食(こうしょく)していました。今まで30年間松枯れの研究をしてきた樹木医も初めての経験と言っていましたが、野外の自然状態(飼育している網室内とは違う)で交尾している成虫を2組も目撃できました。同じ枝にマツノマダラカミキリ成虫とマツケムシ(マツカレハ幼虫)が寄生している珍しい状況も観察されました。また、マツノマダラカミキリは見られなくても、ほとんど全てのチェックした生きているマツの枝には後食痕がありましたので、これらのマツにもすでにマツノザイセンチュウが侵入している筈ですので、今秋には枯れてしまう筈です。

今年は2回薬剤散布をしたのでしたら、本来成虫はいない筈なのに、これだけ多数存在していたということは、防除方法に何らかの問題(散布時期、カミキリが後食する部位への薬剤の付着量、薬剤の残効性など)があったということを示しています。今後、県の担当者にどういう薬剤の散布方法を採ったのか確かめてみるつもりです。今日は残念ながら時間が足らなくなって、予定していた鴨川と九十九里浜の松枯れ状況視察まではできませんでした。

スミパインMC(有機リン殺虫剤)をヘリコプターで散布していた時はしっかり守られていた広大な松林が、散布中止に追い込まれてわずか3~4年でこういう無残な状況になったことの責任は誰がとるのでしょうか。宗教的な農薬反対活動をして、まるで中世ヨーロッパの魔女狩りのようにマスコミを煽って散布を中止に追い込んだ人たちは、どれだけ国民の利益を損なっているか自覚すべきだと思います。





2012年7月10日火曜日

<「知って安心・調べて安全」農薬を正しく知ろう「農薬シンポ in 岐阜」>という催しが岐阜市じゅうろくプラザ(岐阜市文化産業交流センター)で開催され、私は基調講演を行った後、パネルディシカッションにもパネリストの一人として参加しました。パネルディスカッションは、野村アグリプラニング&アドバイザリー株式会社の藤田 葵氏がコーディネーター(司会)を務め、私以外のパネリストには地元で大規模の露地野菜栽培をしておられる農家の安田義彦氏、生活協同組合コープ岐阜副理事長の紅谷昭代氏、岐阜県病害虫防除所長の棚橋一雄氏が参加されました。
今回は主催者の企画で、講演の前に大垣女子短期大学ウインドアンサンブルによるミニコンサートがあり、ブラスバンド演奏を楽しみました。わずか15分という短い時間でしたが、若い女子学生の見事な演奏に引き込まれ、感動しました。
参加者は計197名だったとのことで、会場一杯でした。終わってから、岐阜駅前の居酒屋で主催者側の世話人とパネリストと、聴講に来てくれた私の名古屋大学時代の友人2名とで懇親会をやり、松戸の自宅に帰ったのは夜の11時近くでした。

市橋君の件でメールのやりとりをしていた方は約束通り、開会の30分前に会場に来られ、しばらくお話する時間がとれました。先日のブログで私の祖父(母の父)穂坂秀一はクリスチャンで内村鑑三の弟子だったと書いたことから、「内村鑑三と再臨運動-救い・終末論・ユダヤ人観」黒川知文著(新教出版社)という本をプレゼントされました。私自身も20才前後の頃に内村鑑三に傾倒した時期がありましたので、大変なつかしく、あれから約50年という歳月が流れいろいろな経験をしてきましたが、時間を見つけてゆっくり読んでみようと思っています。

2012年7月9日月曜日

明日10日(火)は朝早く自宅を出て岐阜市に行き、「農薬シンポ in 岐阜」に出演してきます。懇親会後、夜遅く帰ってくる予定です。

明後日11日(水)は樹木医と一緒に私の車で房総半島を一周し、内房の富津岬、館山の平砂浦、外房の鴨川、九十九里の海岸松林の松くい虫(マツノマダラカミキリ)の発育ステージがどういう状態になっているのか、調査してくる予定です。今年はネオニコチノイド剤をすでに2回散布した筈ですが、散布薬剤の残効性と比較して、薬効が切れた後に羽化脱出してくる成虫がどれくらいいるのか予測するための調査です。

2012年7月8日日曜日

明後日10日(火)は、岐阜での講演の折に、市橋君の件でメールのやりとりをしていた方と会場でお会いすることになりましたので楽しみです。月刊誌「クレイ」というキリスト教関係のデボーショナルガイドを東京拘置所の市橋君宛に送ってこられたとおっしゃった方です。

久し振りに江戸川堤防を12Km ゆっくり走ってきました。雨上がりで湿度は高くても、そよ風が吹いていたので走っていて爽やかで快適でした。シャワーを浴びてから体重計に乗ってみたら、1月末のフルマラソンを走った時に比べて、5ケ月でちょうど5Kg リバウンドして 重くなっていました。道理で体調が悪い筈です。これから12月のハーフマラソンか来年1月のフルマラソンか(あるいは6月の100Km ウルトラマラソン?)を目標に、少しずつ走り込んで元に戻したいと思っています。どれを目標にするかは、体調が最悪に近い今は決めずに、少しトレーニングをして仕上がり具合を見てから考えることにします。

娘は子供たちを連れて東京に出かけました。日本滞在中に大学時代の仲間たちと会ったり、大学を卒業してから勤務していた会社時代の仲間たちと会ったり、今日は高校時代の仲のよかった友達の家に集まるようです。もう皆子供のいる年代なので、子供同伴で食べ物持参で集まるようです。アメリカ育ちの孫たちは個性が強く(日本式に言えばわがまま?)、食べるものも着る物も好き嫌いがあったり、一人一人がそれぞれの自己主張をして、妻をあきれさせています。
孫たちは両親に愛され、アメリカ側の祖父母に可愛がられ、日本側の祖父母に可愛がられ、めぐり合わせとは言え、戦争のない平和な時代に生きているお蔭で幸せです。

一番上のAiden(叡伝)君は、アメリカからおもちゃの他に少年が読むような英語の本(小説)を何冊か持ってきていて、暇があると広げて読んでいます。今日は夕方東京から帰ってきたら、私にまた"Grandpa, when are we going to fishing?"(おじいちゃん、いつ一緒に魚釣りに行くのか?)と訊きましたので、"Since the next weekend is a long holiday, let's go to fishing on one of the days."(今度の週末は連休なのでその中のどれか一日を選んで行こう)と答えておきました。お兄ちゃんなので、妹や弟と同じ幼稚な遊びとは違うことをしたいようです。

2012年7月7日土曜日

孫たちは母親と一緒に近くのデパートに靴を買いに行ったついでに、子供の遊び場で遊んでエネルギーを発散して帰ってきました。子供たちはエネルギーが溢れているので、毎日外に連れ出して遊ばせないとストレスがたまるようです。
一番上のAiden(叡伝)君は2年前に日本にきた時に私と魚釣りをしたのを覚えていて、Grandpa, when are we going to fishing? (グランドパ、いつ魚釣りに行くの?)と催促しています。
夕飯は、妻が疲れて手抜きをしたいというのと、孫たちがラーメンを食べたいというのが一致して、皆でラーメンを食べに行きました。

孫たちの父親(義理の息子)は今回は仕事の都合で一緒に来日できずにアメリカに残っていますが、今週44才の誕生日を迎えました。誕生日には時差を計算して、孫たちと娘が国際電話でHappy Birthday, Daddy! と言っていました。ほとんど毎日向こうからか、こちらからか電話をして、お互いの様子を確かめ合っています。アメリカ人の義理の息子に3人の子供を育てるのはお金ががたくさんかかるので一生懸命働かなくてはならず大変だなと言うと、そんなことはない、子供たちは自分の喜びでそのために働くことはちっとも大変じゃないと言います。

2012年7月6日金曜日

9月の中国北京での環太平洋農薬科学会議の講演要旨の提出締め切りが7月15日ですので、今日はその下書き作成をしました。大体できましたが、もう少し見直してから完成させるつもりです。

孫のCollin(琥倫)君の髪が伸びて暑苦しそうなので、幼稚園から帰ってきてから先日私が行った新しい床屋につれて行きました。終わったらすぐ近くのデパートの地下でソフトクリームを食べようと言ったら、Aika(愛夏)ちゃんもつられて私も行くと言ってついてきました。散髪が終わって、You are a handsome young man. (ハンサムな若い男の子)と言ってやったら、ニコニコしていました。
デパ地下ではCollin君だけ欲張って、ソフトクリームを2掬(すく)い注文して、ペロペロ食べていました。


2012年7月5日木曜日

今週月曜(2日)に、看護師になったばかりの頃に、市橋君のお父様が勤務しておられたのと同じ岐阜県の病院の外科病棟で勤務しておられたという方からメールが届きました。市橋先生が多くの手術を執刀してどれだけ人の命を救ったか、医師としてのその勤務姿勢から医療についてナースにも大きな影響を与えたことなど、尊敬と感謝の気持ちが述べられていました。
今まで、私を信用させるために巧妙に他人になりすました人から手紙やメールが送られてくる経験を何回もしてきましたので、すぐは信用しないことにしていますが、何回かメールのやりとりをして、今日は当時のご本人の写真も添付したメールが届きましたので、信用することにして、メールのコピーを市橋先生に郵送しました。

昼の時間帯に東京農業大学の周囲をジョギングしましたが、あまりにも暑かったので、4Km で止めました。自分の年齢を考えて、熱中症になって笑いものにならないように、無理をしないことにしています。今から考えると50代の時は元気一杯でしたが、60代後半になって急に体力の衰えを感じ、70代になって一段と弱気になってきたようです。このところ走り込みができていないので、単に運動不足で体調が悪いだけかもしれませんが。

2012年7月4日水曜日

来週10日(火)に岐阜市で開催される農薬シンポジウムにおけるパネルディスカッションの進行シナリオが送ってきました。いつもそうですが、1時間あると言っても、パネリストが4名いますとコーディネーター(司会)役を務める人が司会進行を上手にしないと、あっという間に時間がなくなってしまいます。そのために、各パネリストにあらかじめどういう話題について話してもらうかシナリオを作っておく必要があります。シナリオがあんまりきっちりし過ぎるとパネリストの発言の自由度が小さくなりますし、あんまりルーズだと話題があっちに飛んだりこっちに飛んだりで、一体何が主題なのかわからなくなり、収拾がつかなくなる危険性があります。そのバランスが難しいところですが、コーディネーター役の腕の発揮どころです。

夕方、江戸川堤防に行って、10Km ゆっくり走ったり歩いたりしてきました。

2012年7月3日火曜日

先日、市橋君のお父様・お母様にお借りしていたマンションの鍵を返却するとともにお手紙を差し上げましたが、今日鍵を受け取ったことの通知と、お便りをいただきました。私をはじめ弁護士の先生方や支援者の皆々様に、心より感謝し厚くお礼申し上げますと記されていました。
市橋君の収容先は確認しておらず、面会や連絡の予定もありませんとのことでした。市橋君が謝罪とつぐないの中で修養し克己することを望んでおられるとのことでした。いずれ時期がくれば、あるいは市橋君の方から会いたいという連絡がくれば、面会に行かれる時がくるかもしれませんが、当面はそうされるお考えはないとお見受けしました。

今日のYahoo ニュース http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/science/water_pollution/?1341311158 に、<「水質浄化」EM菌効果 検証せぬまま授業 青森(朝日新聞)>という見出しがありました。本当に水質浄化の効果があるかどうかの科学的検証なしに、学校で子供たちにEM菌の製品を川に投入させたことを問題視する記事でした。

その中の<EMを批判する意見> http://w.livedoor.jp/em_matome/d/EM%A4%F2%C8%E3%C8%BD%A4%B9%A4%EB%B0%D5%B8%AB の中の <公開シンポジウム 微生物を利用した農業資材の現状と将来 講演資料((社)日本土壌肥料学会)>http://wwwsoc.nii.ac.jp/jssspn/info/pdf5_sympo1996.pdf には、1996年8月23日に開催されたシンポジウムの内容が記録されていました。当時、考えられないくらいいろいろなことに有効と宣伝・販売されていたEM菌という微生物資材について、学会レベルできちんと科学的に検証し、少なくとも作物生産に関しては普通の堆肥以上のミラクルな効果はないという結論を出したシンポジウムです。日本土壌肥料学会の会員でなかった私はシンポジウムに参加しませんでしたが、どういう検証がされたのか詳細を知りたいと思っていました。今回シンポジウムのプロシーディングズがネット上で誰でもが読めるように再公開されましたので、あらためて目を通してみて、私自身が長年取り組んで問題提起してきた農薬疑義資材(偽装農薬)と同じように、オカルト(神秘的・超自然的)農法についてもっと国民の注意を喚起する必要があるなと感じました。
ニセ科学についは、大阪大学の菊池 誠教授が明快に解説しておられます。http://www.cp.cmc.osaka-u.ac.jp/~kikuchi/nisekagaku/nisekagaku_nyumon.html

当時、EM菌で作ったボカシ(ヌカ、もみ殻、油粕、魚かす、畜鶏糞などの有機物を発酵させた肥料)を施用すると作物が強くなって農薬が不要になると宣伝されていました。実際は病害虫が発生するので、全国のEM菌農場ではいわゆる漢方農薬の類(たぐい)を使って防除していましたが、私たちの研究により漢方農薬というのは農薬が混入されている偽装農薬であることが明らかになりました。

また、EM菌で発酵させた飼料を食べさせた家畜は成育が良く、糞の悪臭もハエの発生も抑えられると宣伝されていましたが、当時そういう研究テーマに取り組んでいた私がそういう畜舎を実際に見学させてもらい、悪臭もハエもちゃんと発生していることを指摘したところ、科学的に悪臭やハエの発生が減少したことを示す研究結果があるわけではなく、EM菌を使う前に比べて相対的に発生が少なくなったと言い訳をされたのを記憶しています。

2012年7月2日月曜日

東京農業大学の周囲を6Km 走って、体育館でシャワーを浴びて着替えて研究室に戻ってきたら、偶然エレベーターの前で私がいるかどうか確かめに来た醸造学科の女子学生に出会いました。今日はしばらく研究室にいるよと言ったら、しばらくして、最初に彼女を私の所に連れてきた男子学生と一緒に訪ねてきました。就職の内定をもらったお礼に来ようとしていたようですが、私が毎日研究室に顔を出すわけではないので、私に会えるのを待っていたようです。
栃木県足利市の(株)カザミから採用条件を提示されて、就職しますという返事をし、総合職で採用内定の通知をいただいたとのこと。お父さん、お母さんにちゃんと相談をしてから決めたのかと訊いたら、はいと答えていました。同じ学科や、同じ研究室を専攻している他の学生たちは必死で就職活動をしている最中らしく、皆より一足早く就職が決まったので、羨ましがられないように静かにしている様子でした。これから会社の期待に応えられるように、卒業論文の研究に精を出して、同時に、私が助言したように基礎を広げるようにいろいろな分野の勉強に積極的に取り組みますとのこと。

自分が直接指導した学生ではありませんが、一人の有能な女子学生の希望を満たせる職が決まり、私も大変嬉しい気持ちです。一緒に電車に乗って会社見学に同行してあげた甲斐がありました。多分実家に帰った時に親が持たせたのでしょうが、栃木県のおいしそうなチーズケーキを持ってきてくれましたので、ちょうどアメリカから孫たちがきているので一緒にいただくからと言って受け取りました。

東京農業大学のキャンパスは、講義が終わって教室から大勢の学生たちがぞろぞろ出てきたり、野球場ではバッティングマシンから一定間隔で投げ込まれるボールを黙々と打ち返している野球部員がいたり、グランドではサッカーをやったり、陸上部が全力で走ったり、リレーのバトン渡しの練習をしたり、若者たちの活気に溢れています。

2012年7月1日日曜日

いつも散髪をしてもらっていた近所の床屋が近く店をたたむと聞いていたので、昨日前を通ってみたらまだ営業していました。今日最後の散髪をしてもらおうと思って寄ったら、今日から閉店でした。閉店後に困らないように、すぐ近くの別の床屋を遠縁にあたるからと推薦されていたので寄ってみました。今までのところは借家で、元々はお父さんがやっていたのを、お父さんが病気でやれなくなった時に大学を卒業して会社勤めをしていた息子が、小さい床屋で将来性がないからと親に反対されたのを押し切って脱サラして後を引き継いだのでした。その後、お父さんが亡くなり、お母さんと二人でやっていたのにそのお母さんが病気で倒れて介護が必要になったので、遠くに住んでいる妹の近くの病院に入れて一人でがんばっていたのですが、とうとう家賃が払えなくなって廃業せざるを得なくなったようです。

月に一度ある月・火と連休の時はオートバイで全国の温泉巡りをしたり、自転車で東京神田の古本屋に行って古本を買って来たり、時々は江戸川の堤防を朝早くジョギングしたり、水槽でナマズを飼育して釣ってきたザリガニを冷凍しておいて餌として与えたり、散髪をしてもらいながらよく世間話をした間柄でした。いつ行っても待っているお客さんがいなくてすぐやってもらえるので私としては気にいっていたのですが、その分だけ商売としては厳しかったのでしょう。今日初めて行った床屋も同じことを言っていましたが、人口が約50万人もいる松戸市でどうしてお客が少ないかと訊いたら、結局最近は若い男性がおしゃれになって、理髪店ではなく美容室に行くようになったということのようでした。松戸の理容組合では料金は一律3,600円と決まっていますが、組合に入らない床屋の1,000円という宣伝も見ますので、そちらにお客が流れるということもあるのでしょう。閉店した床屋の主人は若いように見えたのですが、遠縁にあたる今日の床屋さんによるともう50代で独身のようですから、これからどうやって生活をしていくのかちょっと気になりました。

昔は専売で繁盛していた酒屋や米屋が、今はお酒もお米もコンビニで扱うようになって商売が厳しくなったり、昔は個人の家でお風呂のある家は少なかったのでほとんどの人が銭湯に行っていたのが、今は家にお風呂があるのが普通になったので銭湯の商売が厳しくなったり、結局時代の流れに合わせて商売のやり方を変えなかったところはやっていかれなくなってきたのでしょう。

千葉大学走友会の会員で房総半島の太平洋岸のいすみ(夷隅)市に住んでいる仲間から、12月2日に開催されるいすみ健康マラソン(増田明美杯)の案内が届きました。
http://www.isumi-marathon.info/ ハーフマラソンですが、私は情けないことに今年1月の館山若潮マラソンに出場して以来、練習量が極端に少なくなって体重がリバウンドしてしまいましたので、これを目標にして走り込みを再開しようかどうか迷っています。これからは暑い時期ですので、走り込みをするには適さない季節ですが。それとも、また来年1月の館山若潮マラソンでフルマラソンを走ることを目標にして、秋から走り込みを再開するべきか・・。先日、北海道のサロマ湖一周100Km ウルトラマラソンに挑戦して見事に完走してきた仲間のことが頭をよぎります。

今日は散髪の後で、江戸川堤防をゆっくり6Km 走ってきました。