2016年12月31日土曜日

千葉大学勤務時代の元同僚教授/親友だった中川弘毅君は、65才で定年退職後闘病生活で長期間入院していましたが、昨年末亡くなりました。奥様から一周忌の法要を親族のみで行いましたという報告と一緒に、音楽大学を卒業してプロのヴァイオリニストになった長男の毅(たけし)君が9月2日にかつしかシンフォニーヒルズのアイリスホールで開催したヴァイオリンリサイタルのDVDが同封されていました。
私も当日は聴きに行きましたが、録画していることは知りませんでした。DVDは1部、2部と2枚あり、早速両方ともパソコンのDVDプレーヤーにかけてみましたが、音痴でクラシック音楽には全く疎(うと)い私でも、聴き入ってしまうぐらい素晴らしい演奏でした。これから何回でも繰り返し聴くことができるので楽しみです。

まだ大腿部と下腹部に筋肉痛が少し残っていましたので、無理をして足首や膝や股関節を痛めるといけないので、用心して今日の運動はジョギングはせずにウォーキングだけ3時間してきました。江戸川の葛飾橋を渡って、水元公園Cブロックに行き、そのまま高速道路の下を通ってBブロックに足を延ばしました。
西高東低の典型的な冬型の気圧配置で透き通るような青空でした。河川敷では父親が小さな女の子と凧(たこ)揚げをしていました。不動池の前のスイセンはだいぶ花が咲いていました。
小さな湿地のガマの穂がすっかり綿毛のようになって、風で飛んでいました。
葛飾橋の橋梁(きょうりょう)は塗装し直す時期らしく、足場を組んでネットを張ってありました。看板には仕事を受注した3社の名前で平成29年3月24日までと工事期間の予告がしてありました。発注者は千葉県ですが、受注者が3社というのは元受と下請けなのか、共同受注なのか、それぞれが違う部分の工事を受注したのか、こういう工事の事業費というのはどれぐらい(数百万円?)なのか、分野が違うので全くわかりませんが興味があります。

毎日書き込んでいるトレーニングノートを見ると、12月のウォーキング/ジョギングでカバーした距離は281.7Kmでした。1月はもっとトレーニング量を増やして400Kmぐらいにしないと1月29日の館山若潮マラソンを走れる体調にはならないかもしれません。



 












2016年12月30日金曜日

情けないことに昨日の走友会の練習会で10Km走っただけなのに、筋肉痛でぎこちない歩き方しかできませんでしたので、昼から散髪をしてきた以外は一日中机に向かって1月の講演のスライドの準備をしました。
わずか10Kmで筋肉痛になるとは、42.195Kmのフルマラゾンを走れる体調からはまだまだほど遠いということです。1月29日の館山若潮マラソン大会までトレーニングできる時間は残り1ケ月しかありませんので、果たして自信をもって制限時間の6時間以内に完走できる体調にまで持っていけるかどうかちょっと不安になってきました。

2016年12月29日木曜日

稲毛海浜公園での千葉大学走友会の練習会と忘年会には13人が参加する予定でしたが、途中で転んで歯を折って来れなくなった人や、腰を痛めて自転車で参加した人や、競争には参加せずに自主練習をした人もいましたので、競争的に10Km走ったのは私を含めて7~8人でした。
私が一番遅いので一番先にスタートし、一番早い人は約30分遅れてスタートしましたが、結局最後にはほとんどの人に追い抜かれてしまいました。私は今の状態では1Kmを平均7分で10Kmを1時間10分で走ることを目標にしましたが、ゴールの曲がり角を間違えて引き返したお蔭で時間をロスして1時間17分かかってしまいました。
それでも全距離を走りきることができましたので、満足でした。
忘年会は12人参加して楽しい時間を過ごしました。

2016年12月28日水曜日

テレビニュースで、約2年前に起こった東京女子医科大学での医療事故で2才児が無くなった事件について取り上げていました。何故今頃と思ってネットで検索してどういう事故だったのか調べてみました。
○ http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161228-00000062-san-soci
○ http://www3.nhk.or.jp/news/html/20161228/k10010823101000.html
○ https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E5%A5%B3%E5%AD%90%E5%8C%BB%E5%A4%A7%E4%BA%8B%E4%BB%B6
○ https://matome.naver.jp/odai/2142432294993199101

2014年2月に頸部リンパ管腫摘出手術を受けた2才男児が、大人の限界量の2.7倍の沈静薬プロポフォールPropofol(2,6-Diisopropylphenol)を点滴投与され、手術3日後の2月21日に急性循環不全で亡くなったことに対して、児童の両親が手術の執刀医と主治医の2人に対して1億5,000万円の賠償を求める訴えを起したとのことです。
プロポフォールという薬は中枢神経抑制作用を利用して全身麻酔の導入・維持に使用されるが、メーカー添付文書では、集中治療中の小児への投与は禁忌と明記されているとのこと。
GABAA受容体に結合するとのことですので、作用機構的には殺虫剤のプリンス(有効成分フィプロニル)などと類似しているのかもしれません。
○ http://www.kegg.jp/medicus-bin/japic_med?japic_code=00060977
○ https://nurse-like.com/propofol/

何故そのような薬を投与したのか、麻酔は外科の執刀医ではなく麻酔科医の専門ですから当然その指導の下に投与されたのではと想像しますが、何故賠償の訴えの対象に東京女子医科大学の麻酔科医の責任が追及されていないのか、不思議な感じがしました。さらに、2年以上も前に起こった医療事故にもかかわらず、何故今になっても両親が納得できるような事実解明や説明がされていないのか、その背景には大学病院の責任逃れの隠ぺい体質が関わっているのか・・、裁判の進行を注目していきたいと思います。

今日も時間のゆとりがなかったので、道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間だけしました。突きも蹴りもだいぶ切れがでてきましたが、まだまだです。
園芸学部の体育館の近くにモミジとは異なる不思議な形の落葉が落ちているので、どの木の落葉かと思って探してみましたら、アメリカスズカケノキという木の葉でした。日本のスズカケノキとは葉の切れ込みの深さが微妙に異なるということのようです。

妻は時々電車に乗って三郷(みさと)という駅のコストコというアメリカの大きな食料品店に行って、コーヒーの豆や私の好きなベーグルやナッツなどを買ってきます。3種類のミックスナッツ(クルミ、カシューナッツ、アーモンド)の袋を見たら、アメリカ農務省(USDA)のオーガニックの認証票と日本の有機JASの認証票の両方が印刷されていました。
オーガニックや有機だからといって(特に、ナッツのように食べる部分は殻の中に入っている実ですから農薬を散布しても直接付着残留することはありませんので)私は特別ありがたいとも健康によりいいとも思いませんが、袋にこういう認証票が印刷されているということは、オーガニックや有機はより健康にいいと信じている消費者が選んでくれて商品の差別化に役に立つということなのでしょう。



2016年12月27日火曜日

風が強く、寒く、雨も降って荒れた天候でしたので、机に向かって1月21日の名古屋大学害虫制御学講座の研究集会での講演で使う予定のスライドの準備をしました。本題は松くい虫問題についてですが、私が定年退職後の現在も関わっているその他の3つの分野の社会活動についても簡単に説明できたらと思ってスライドを作ってみました。
割り当てられている講演時間は30分ですので、スライトが全部準備できてから時間配分を考えて、無理なようなら省略することになるかもしれません。

今日も道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間だけしました。明後日29日は千葉大学走友会の練習会で稲毛海浜公園から幕張のマリンスタジアムまでの往復8Kmを競争的に走りますので、本来は今頃もっとじゃんじゃん走り込みをしているべき時期なのに、悪天候を言い訳にサボルとは・・。74才という年齢のせいか、怠け癖がついたのか、兆戦心が衰えたのか、ちょっと情けない気がしています。





2016年12月26日月曜日

東京在住の長姉(86才)はこのところ毎年年末に我が家を訪ねてきてくれて、妻が腕によりをかけて作ってくれた昼食を一緒に食べるのが恒例化しています。
松戸駅から午前11時半に電話がありましたので、車で迎えに行きました。まだまだ元気ですが、高齢なので歩道を走る自転車にでもぶつけられたら思わぬ怪我をすることもあり得ますので。
昔の津田塾大学の卒業生で、ベテランの英語の教師ですから(今でも自宅で生徒をとって教えているとのこと)、私が今年の2月にタイに行った時に訪問した戦争記念館や泰緬(タイメン)鉄道建設に従事させられて亡くなった連合国軍捕虜の墓地の写真や、英語の説明や墓標の言葉などをプリントしてあげました。いつまでも勉強熱心で好奇心旺盛な姉ですから、話のタネにしたり、生徒の教材として利用してもらえればと思いました。
3時間近く姉弟の楽しい時間を過ごしてから、また車で松戸駅の近くまで送りました。

今日は姉が帰ってからあまり時間がなかったので、道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間だけしました。

2016年12月25日日曜日

農薬学会大会で発表する講演要旨の提出期限は明日12月26日ですので、指示通り今日WordとPDFで送信しました。通常は大会参加費と懇親会参加費を払わないといけないのですが、私は終身会員に推薦(正式には大会前日の評議員会の承認を得て)されて同意受託しましたので、全て招待されて無料になるようです。これからは会員としての年会費も免除になり、すでに振り込んだ来年度の会費も大会の時に返却されるとのことですので、年金暮らしの私にとってはありがたいことです。

大会が開催されるのは3月6日~8日ですから、これからはそれより前の1月に予定されている2つの講演の準備を始めなければなりません。

今日はあまり時間がありませんでしたので、午後遅く運動に出かけて江戸川堤防を1時間40分ウォーキング/ジョギングしてきました。スロープを走って上り下りする坂道トレーニングは3往復しました。
帰りは陽が暮れて、大葛飾橋から夕焼け空に富士山が見えました。橋を渡る他の人々も立ち止まって眺めたり写真を撮ったりしていました。
近所の介護付き老人ホームには、クリスマスの電飾が点灯していました。


 
 

2016年12月24日土曜日

昨日もらってきたソテツの実の中が気になったので、包丁で2つに切ってみたら、白い大きな核が入っていました。食用のナッツと似ているのでどんな味がするか一口かじってみたいころですが、有毒成分が入っているとのことですので止めておきます。

午前中は机に向かって仕事をし、午後から水元公園Bブロックに出かけ、2時間50分ウォーキング/ジョギングをしてきました。途中江戸川の大葛飾橋から富士山がかすかに見えました。
江戸川堤防を下りて水元公園につながる桜堤(つづみ)沿いには庭に柑橘の木が植えてある家があります。よく見ると、柚子(ゆず)、日向夏(ひゅうがなつ)、蜜柑(みかん)、金柑(きんかん)、夏蜜柑(なつみかん)がありました。

水元公園Bブロックの小合溜(こあいだめ)にはいろいろな鳥が来ていました。















 
 
 


2016年12月23日金曜日

今日は天皇誕生日で祭日でした。
園芸学部構内で見つけた変な形のキノコ(菌類)が寄生している名前がわからない木は、クスノキと少し似ている気がしましたので、ちゃんとクスノキとラベル板がついているクスノキの葉を採って、比べてみたらよく似ていましたので、やはりクスノキだったと思います。ただ何らかの理由で樹勢が悪く、衰弱気味でしたのでキノコが生えたのかもしれません。

昼休みは江戸川に運動に出かけ、今日は祭日でしたので3時間10分ウォーキング/ジョギングをしてきました。坂道トレーニングも3往復しました。

途中の農家の門前ではダイコンとネギを無人販売(自分で勝手に受け取って、置いてある円筒に料金を入れる)していましたのでダイコンLを150円で1本買いました。農家の庭にはミカンかユズのような柑橘類が鈴なりになっている木があって気になっていました。今日は偶然奥さんが庭にいたので訊いてみたら、普通のミカンだとのことで、1個もいで食べさせてくれました。ちょっと酸味がありましたが、甘味もあって美味しいミカンでした。今週末には埼玉県川越市に住んでいる次男の家族が来てミカン狩りをするのだと言っていました。ミカンの木のてっぺんには、果たして効果があるのかどうか、カラスに食べられないようにHB101の宣伝の帽子を被った案山子(かかし)が設置してありました。
この農家の庭にはソテツ(蘇鉄)の木もあり、奥さんは自分がここに嫁いできた50年ぐらい前にお爺さんが小さい苗木を植えて以来今まで一度もなったことのない実が今年初めてなったと言って見せてくれました。綺麗な橙色をした実を2個もらって、自宅でナイフで縦横に切ってみようとしましたが、大きな種でも入っているのかうまく切れませんでした。ネットで調べたら、農研機構のサイト 
http://www.naro.affrc.go.jp/org/niah/disease_poisoning/plants/cycas.html
に有毒物質が含まれていると書いてありました。奄美大島では、ソテツの実にはデンプンが豊富なので食料難の時には有毒物質のサイカシン(cycasin)を除去して食用にするとのことです。
サイカシンは代謝されて有毒物質や発がん性物質を生産したり、ソテツの実にはその他にも神経毒性物質も含まれているようですので、どんな味がするのかちょと味見してみたい気もしますが、危ないので止めておきます。。

昨日と違って、今日の江戸川上空には青空の部分と厚い雲に覆われている部分が混在していました。北方角や西方角の地平線は晴れていて、筑波山がはっきり見えました。堤防の斜面に咲いているタンポポはセイヨウタンポポでした。
冬だというのに、水上スキーをやっている人がいました。