2013年4月30日火曜日

私は80才になってもマラソンを走れるだけの健康を維持することを目標の一つにしていますので、多分あと10年くらいは支援金の残金の管理をすることは可能だろうと思っています。それでも30年後については生きていられるかどうかわかりませんので、支援者の中の私より若いどなたかに支援金残金の管理をしていただかなければなりません。

すでにブログで紹介しました通り、皆様の了承が得られれば、長期的支援者がお二人でその役を担ってもよいというお申し出をして下さいました。このお二人とは何回もお手紙やメールのやりとりをしていますし、東京拘置所に差し入れに来られた時に直接お目にもかかっていますので、信用できるしっかりした方々だということがわかっています。もしこのお二人が引き受けて下さるにしても、お名前や住所などの個人情報をブログに公表することは、反市橋の変質者や不特定多数の愉快犯みたいな人々の目に留まり、嫌がらせの対象にされる危険性が大き過ぎますので、〇〇県在住のAさんとBさんとだけ紹介したらどうかと考えています。Aさん、Bさんと直接やりとりをしたい支援者は私に問い合わせをしてもらえれば、本当に信用できる支援者であることを私が確認した上でAさん、Bさんのお名前とメールアドレスを個人的にお知らせするという方法です。
Aさん、Bさんには、こういうやり方でいかがでしょうかと打診のメールを差し上げました。

今日は江戸川堤防に8Km 走りに行った以外は、自宅で机に向かって今月が締め切りの雑誌の原稿書きをしましたが、出来上がりませんでした。明日には何とかするつもりです。

2013年4月29日月曜日

支援金の残金の処理方法について、以下のご意見が寄せられました。
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お元気そうなご様子なによりです。ブログを拝見し、ずっと考えておりました。支援者の方々のご意見もじっくり読ませて頂きました。
私も子供をもつ一人の親として市橋さんのご両親様のお気持ちも理解出来ます。ただ支援者としては残念でなりません。市橋さんの為に支援者の方々が少しずつ送られた温かい気持ちがいっぱいつまったお金を市橋さんのお手元に届ける術の難しさ・・・何と市橋さん迄の距離が遠いことか・・・。
支援金は振り出し状態で本山先生にはご苦労をおかけし大変申し訳ないのですが、私自身も市橋さんの為に残したい気持ちに変わりありません。
保管方法は難しいと思いますので、先生 お忙しい事とは存じますが、一度山本弁護士さまにご相談いただけないでしょうか。
お名前を公表しても構わない複数の若い支援者の方々がおられましたら、もう1つ山本弁護士さまに口座開設して頂き、市橋さんの為の口座を山本弁護士さんに入って頂き管理していくというのが一番有難い形です。
それがダメな場合は市橋さんの為にK子さんが管理している口座に振り込んで30年後に仮出所の時がきたら渡していただく形か、この場合も山本弁護士さまが間に入っておられるので無茶な事はK子さんも出来ないと思いますがいかがでしょうか。
私もそう若くなく市橋さんが刑期を終えられる頃は高齢で自分がどのようになっているか判断もつきません。情けない事です。しかしながら一生懸命 服役されて出所された晩年の市橋さんを思うと、少しでも生き直せる機会と暖かく過ごしていける生活を残したいのです。
本山先生には本当に本当にお手数とご苦労をおかけして申し訳ない気持ちでいっぱいですが何卒宜しくお願いいたします。

本山:ご意見をありがとうございました。刑が確定するまでは、書籍でも、食べ物でも、お花でも、衣類でも、現金でも差し入れできましたが、確定後は、差し入れについても 面会についても厳しい制限があるようで、それが刑に服するということなのかもしれません。仮出所の審査の対象になる27年~30年後といえば市橋君も60才~63才くらいになっている筈ですから、例え仮出所できたとしても前科がついて就職するのも難しいのではと想像します。できることなら、その時に支援金の残金が市橋君が生きていく上で少しでも役に立てればいいなと思います。多分支援者の多くもそれを望んでいらっしゃるのではと思います。
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ご退職後も、いろいろお骨折りいただき、ありがとうございます。ブログ拝読致しました。
予想通りと申しますか、やはりご両親は受け取りを拒否されたのですね。おそらくそうなるだろうとは思っておりました。とはいえ、ご両親に一言の相談もなしに事を運ぶことはよろしくない、と思っておりましたので、これで「前進できる」という部分もあろうかと思われます。

従来、支援者の大方の意見は、「支援金は、市橋さんへ!」というものでした。ただ、暗にその決定には、『信頼できる保管先があれば』という条件も含まれていたかと思われます。ではその「信頼できる保管先」として、
�本山先生
�市橋さんのご親族
�支援者の「誰か」
�K子さん
が考えられるということでしょうか。��が望めないのであれば、��になりますが・・・

まず、K子さんに対し、私は不適と思っております。本当の支援を思うのであれば、市橋さんとご親族(できれば友人・支援者等々も)との仲介的役割も視野に入れるべきではないかと思うのです。支援というのは、個人で全うできるものではありません。それでは単なる自己満足・慢心です。加えて、本会の方針と合わないという方に託すのは、極めて不自然と思われます。もし支援者で「我こそは」という方がおられるなら、個人情報を支援者全員に明らかにすることも含め立候補していただき、採否を決めても良いかと思います。
それが上手くいかないようであれば、支援金の使途を再度決定しなおす、というのではいかがでしょうか。(私の意見としては、この状況では、使途を再度検討し直す−弁護士会を通じ寄付する−のが一番役立つのではないかと考えております。)

いつまでもお手数をおかけして申し訳ございません。何卒よろしくお願い申し上げます。
本山:明快なご意見をありがとうございました。私自身の考えを整理するのにも参考になりました。
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朝7時半に自宅を出て、東急東横線の綱島(つなしま)駅に行き、横浜駅伝大会が行われた鶴見川沿いの河川敷には9時半頃着きました。すでに多くの参加者がブルーシートを敷いて自分たちの場所を確保していました。1チーム7人構成で42.195Km を走りますが、661チームが参加したようです。千葉大学走友会は3チーム出場し、私はBチームの6走で5Km 区間を走りました。今の体重と体調では35分~40分で帰ってくる筈ですからと7走のランナーに予告して走り出しましたが、少し無理して走ったので32分ちょっとでタスキを渡すことができました。参加者名簿を見ると、70才以上はほんの僅かで、私にタスキを渡してくれた5走の千葉大学名誉教授のY先生は77才で、全参加者中で最高齢でした。若い時のように早くは走れなくても、こうして70才代になっても駅伝大会を皆で楽しく走れるというのは幸せなことだと思います。

2013年4月28日日曜日

支援者から以下のご意見が寄せられました。ありがとうございました。この他にも、ブログには載せないでほしいと明記されたお便りもありました。
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ご両親が支援金の残金を受け取って頂けなかったことは、とても残念ですが、本山先生から彼の情報をお伝えし、お返事を下さったことは良かったと思います。
ご両親のお手紙の内容から、現在も彼から、ご両親に連絡はされず、K子さんのことも、お伝えしていないようですね。ご両親は彼からの連絡をお待ちになられていらっしゃるような感じがしました。
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支援金の残金は、振り出しに戻ってしまいましたが、市橋達也さんの為に残したい気持ちは変わりません。ただ保管方法が難しいので、検討して又ご連絡致します。以前お伝えしましたが、山本弁護士さんにご相談されるのは、いかがでしょうか?

横浜駅伝大会まで、もう少しですね。ジョギングの準備はいかがですか?頑張って下さい。
本山:今日も8Km 走ったり歩いたりしてきましたが、体重が10Kg 近くオーバーのままですので、息がすぐ切れてとても競争的に走れる状態ではありません。明日は、前のランナーから受け継いだタスキを次のランナーに無事に受け渡すことだけを目標に5Km 区間を走るつもりです。
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ご両親へのお手紙ありがとうございました。
支援金の件ですが、k子さんが口座を管理しているか又養子縁組が真実かどうか申し訳ありませんが、現在の事実確認をお願いします。最終的に結論がでない場合皆様の了解があれば〇〇さんと責任を持って管理させて頂きたいと思います。
ご苦労お掛けしますが宜しくお願いします。
本山:お名前を公表してもよいということで複数の支援者に管理していただければ、大変ありがたいです。
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本山先生 ご無沙汰しております。以前 2~3度程メールのやりとりをさせていただいた〇〇の〇〇と申します。いつも先生のブログを読ませていただいていましたが今回は思い切ってメールを書かせていただきました。 市橋君のご両親から支援金を戻されてしまって、私たちに意見をと書きこまれていましたので。
 一度でもこの会でかかわったことで、最後まで見守りたいと思ったからです。私個人の意見としましては、菅野弁護士を介して千葉の弁護士会に寄付する方が良いと思います!
その理由として・・・・
K子さんはこの会とわ合わずに別に行動したいきさつがあるわけですし。それと市橋君も 先生と連絡を絶ったわけですから、最後は弁護士会に寄付して役立てていけたほうがいいのではと私は思います。
30年というのは長い月日ですし、今後の市橋君の事は心残りですが、K子さんに託したいと思います。
先生も退職後ゆっくりなさっているところに、今回の事が終わらないと気持ちも落ち着かないと存じますが、どうぞ宜しくお願い致します。
本山:ご意見をありがとうございました。
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こんばんは。〇〇県の〇〇〇〇です。お元気ですか?
支援金の件、残念でした。ご両親が、市橋さんの(受刑生活に入ってからの)、現状について、受け入れるのにまだまだ時間がかかると思います。ご両親のお便りから推測すると、今でも市橋さんからも、k子さんからも、何の連絡も無いようですね。しかし本当のところご両親も市橋さんの元気なことを強く祈っていると思います。ですが、k子さんの存在、ご両親は非常に驚かれたと思いますが・・・。
支援金の残金を受け取っていただけなかったのは残念ですが・・・とても難しい問題だと改めておもいます。他の支援者からのお便りにも書いてありましたいが、k子さんについての現在の事実確認を、ぜひお願いします。もし、k子さんが管理している口座に預けることになるのであれば、k子さんの素性(お名前、年齢、どこで何をしている人か)を明らかにしていただきたいと思っています。支援者の一人として。
本山:K子さんは支援する会を立ち上げた初めの頃は支援金を何回か振り込んで下さった支援者で、私とも何回かメールのやりとりもありましたが、途中から支援する会の趣旨とご自分の支援活動の趣旨が異なるということで離れていった方です。大変なご迷惑がかかることが目に見えていますので、個人情報を公開することは絶対にできません。間に山本弁護士が入っておられるということで信用していただくしかありません。
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今日はNHK Eテレ(2チャンネル)で午後3時~4時に「スイッチインタビュー選 アントニオ猪木と天皇陛下の執刀医激突」という珍しい企画の番組をやっていました。アントニオ猪木は子供の頃ブラジルで育ったプロレスラーで現在70才だそうですが、私が以前ポルトガル語を習った千葉大学の日系ブラジル人の女子学生が自分の親戚だと言っていたのを思い出しました。天皇陛下の心臓冠動脈バイパス手術をして、神の手を持つと言われた順天堂大学医学部の天野 篤教授は、私と同じ浦和高校の卒業生で13年後輩です。つい先日届いた同窓会会報に「卒業生から在校生へ」というセミナーで昨年講演をした6名の中の一人として紹介されていましたので、興味深く視聴しました。天野教授は浦和高校時代はあまり勉強しなくて英語と数学が苦手だったらしく、3浪して日大医学部に入学して現在57才だとのことでした。お二人ともそれぞれの分野で一流の仕事をされた方ですが、学生時代の勉強の成績とは関係がないというところが面白いなと思いました。

2013年4月27日土曜日

今週初めに市橋君のご両親に下記のお手紙を書いて、翌日ゆうちょ銀行の為替証書と一緒に書留便で発送しました。それが24日に到着したらしく、今日お返事が届きました。
「・・・4月24日お手紙をいただき早速拝読いたしました。私たちは達也に関して何の情報もなく、ご連絡していただきありがとうございます。為替のお金についてですが、達也の裁判にご支援くださった大勢の方々のお気持ちを、私たち親がお受けし預かることは大変重く、お受けすることはできかねます。本山先生に同様な形でお返しをいたしますが、何卒お汲みとりいただきたくお願い申し上げます。お詫びとともに、先生に心より感謝申し上げます」

たとえ道を踏み外したとはいえ、30年後に仮出所した時の息子が生きていかれるようにしてあげたい親としての気持を抑えて、亡くなったリンゼイさんとそのご家族のことを考え、あくまで息子の擁護に手を貸さないという姿勢を貫いておられるものと思われます。私も人の親ですので、その心情を思うと胸が痛みます。
支援金の残金の処理については振り出しに戻ってしまいましたので、どのようにしたらよいか支援者の皆様のご意見をお寄せください。菅野弁護士を通して千葉県弁護士会に寄付をして、弁護人のいない被疑者・被告人の弁護活動に使っていただくか、市橋君のために山本弁護士が開設してK子さんが管理している口座に振り込んで30年後に仮出所の時がきたら渡していただくか、年齢の若い支援者のどなたかに保管していただくか(その場合はお名前を皆様に公表しなければなりませんが)・・・。支援者の皆様のご意見を伺った上で決めたいと思います。

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2013.4.21
達也君のお父様・お母様

いつの間にか桜の花から新緑の美しい季節に変わりました。ご無沙汰しておりますが、お元気でお過ごしのことと拝察いたします。私は千葉大学を定年退職後、東京農業大学で客員教授をしていましたが、それもこの3月末で70才定年となりました。これからは、最後の10年間に力を注いできました松くい虫被害でボロボロになった松林の再生活動にできる範囲で関わっていきたいと思っています。

達也君の刑が確定して服役生活に入って早や1年が経ちました。菅野弁護士のお話では、達也君から山本弁護士にだけは手紙が届いたようですが、弁護団としては達也君がどこで受刑しているかは聞かないことにしたとのことでした。最後に面会に行った時に、私が差し入れた空手道教範という空手の本をずっと持っていてもいいですかと言われたのが最後で、私への連絡はありませんのでどこで服役しているかもどうしているかも私にはわかりません。菅野弁護士のお話では、K子さん(○○○○子さん)が養子縁組か婚姻届かを出して達也君と親族関係になって面会に行っているらしいとのことですので、刑務所の外との接触は保たれていると想像しています。

さて、本日このお手紙を差し上げましたのは、お父様・お母様にお願いしたいことがあるからです。「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」に多くの方々から振り込まれた支援金から弁護団に支払った残金が1274852円ございます。私は、千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者・被告人の弁護に使ってもらうのがよいと考えましたが、支援者の多くは、達也君のために振り込んだのだから達也君が出所する時まで保管して達也君に渡してほしいと意思表示をしました。弁護士によると、無期懲役でも27年~30年服役後に仮釈放の審査があるとのことでした。私はすでに70才で、それまで生きていられ可能性は小さいと思いますので、お父様・お母様に何らかの形でこのお金が達也君の手に渡るように保管していただきたいということです。手記の増刷分の印税としてその後に支払われた約200万円については、山本弁護士が開いた達也君の口座に入れてK子さんが保管しているとのことでしたが、出所した時の達也君に支援者の気持ちが伝わるようにそれとは別にして、お父様・お母様に保管していただきたいと思います。ゆうちょ銀行の為替証書を同封いたしますので、事情ご賢察のうえ、よろしくお願い申し上げます。
ちょうど1年前に達也君に送った何通かの手紙のコピーも同封いたします。

本山直樹
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2013年4月7日日曜日

しばらく忙しくてブログの更新ができませんでした。支援者から心配のメールと、以前のメールアドレスに送ったメールは届かなくなったというお知らせをいただきました。私も試しに自分でgmail のアドレス宛に送ってみましたが駄目でした。東京農業大学のメールアドレスが定年退職に伴って使えなくなったので、それと連動して駄目になったようです。今後は私へのメールは motoyama335@aol.com 宛にお願いします。
ブログの更新は、少し時間の余裕ができたら再開します。