2024年2月29日木曜日

ノースカロライナ州に在住の空手の弟子/友人のMargieさんからメールに添付して写真が送ってきました。弟のButchさんと一緒にバージニア州シャーロッツビルにあるモンティチェロという史跡を訪ねた時に撮った写真です。ここはアメリカ合衆国第3代大統領で独立宣言を起草したトーマス・ジェファーソンの邸宅があった場所とのことで、ジェファーソン大統領に扮したガイドと一緒に写っています。
我が家の台所にはキューリが3本置いてありました。子供の頃食べたキューリと違って、真っすぐで、細身で、固いとげとげがなく、端が苦くないので、昔のように端を少し切ってこすり合わせて苦い灰汁を抜かなくてもよいキューリです。
2月最後の日、午後いつもより早目に家を出ていつもよりたくさんウォーキングの運動をしてきました。近所で戸建て住宅を解体して共同住宅建築工事だったところは、足場とシートが外されて形が見えてきました。別のところでも戸建て住宅と庭の解体工事が始まりました。園芸学構内を通って江戸川堤防に行き、葛飾大橋を渡って下流に向かい、堤防を下りて桜並木を通って水元公園Bブロックに入り、Aブロックの一番奥にあるかわせみの里まで行きました。 園芸学部のアカデミックリンク前の芝生はまだ茶色ですが、ところどころ緑色の雑草が生え始めていました。オオカンザクラが開花し始めていました。ロックガーデン前の小径には、ずいぶん前の強風で幹から剥離して落下した大枝がまだっそのままになっていました。本来は落下した大枝を切断して処分して、小径を人が通れるようにするべきですが、こんなところにもキャンパスの管理がきちんとできていない(誰も関心をもたない)状態が示されていました。
JR常磐線の陸橋(歩道橋)の塗装工事が進行中ですが、告示板の発注者を見たら、松戸市役所の建築部道路維持課と書いてありました。線路はJRの管理でも、そこを渡る陸橋(歩道橋)は松戸市の所管だということがわかりました。江戸川堤防を下りて水元公園Bブロックに行く桜並木の入り口に立っている看板には、昭和22年(1947年)9月に来襲したカスリーン台風に関する説明と水害の写真が掲示してあります。昭和22年というのは敗戦後2年ですから、日本はまだ米軍の占領下にありましたので、米軍が水害を防ぐために江戸川堤防を爆破して水を流そうとしたが失敗して、結局大水害が起こって下流に位置する亀有の辺りは水浸しになった写真が残っています。
水元公園Bブロックの入り口近くの無人家屋の解体工事が行われていましたが、組んだ足場パイプの上に作業員が乗っていて、危ないなと思いました。水元講演Bブロック沿いの桜堤(つつみ)の前には、珍しく売物件と書いた住宅がありました。北向き地蔵の前では、高齢の男性が膝まづいて熱心に祈りを捧げていました。桜堤の前に、モダンなデザインの邸宅がありました。その横にはまだ農業をやっている人がいて、東京都認定の生産緑地の看板が立っていました。
水元公園Bブロックの小合溜(こあいだめ)から地上に上がってきたヒドリガモの群れがあちこちで草を啄(ついば)んでいました。ヒドリガモの1羽は頭部の色が他の個体と違って濃緑色でしたので、他の種類のカモ(マガモ?)との雑種かなと想像しました。ハシボソガラスが見つけた何か(魚?)を突いて食べているところにコサギが気が付いて接近し、牽制し合っていました。小合溜には3羽のカンムリカイツブリが浮かんでいましたが、顔の横が赤褐色の個体(夏羽型)と白色の個体(冬羽型)が混ざっていました。大きな樹にはハシブトガラスが群れで行動をしていました。
野良猫は何頭もいて、丸々と太っていましたので、近隣の住民の中に毎日餌やりに来ている人がいるのでしょう。
かわせみの里にはいろいろな展示がありましたが、私の目を惹いたのは、昭和22年(1947年)と平成11年(1999年)に撮影された水元公園周辺の航空写真でした。昭和22年にはほとんど水田と畑だったところが、52年後の平成11年には水田や畑はほとんどなくなって住宅だらけになっていました。私が子供時代を過ごした埼玉県の浦和も蕨(川口市芝)もそうですが、田んぼをどんどん埋め立てて宅地にし、今では住宅だらけで農地は全くなくなってしまいました。松戸市も同様で、人口50万人の東京のベッドタウン化してきましたので、今残っている矢切地区の約100ヘクタールの農地はだけは是非未来に残したいものです。