2013年2月28日木曜日

環境に悪影響を与えない新しい薬剤施用法のアイデアを実用技術にする相談にK博士が訪ねて来られました。一緒にいくつかの重要機関を回って助言を受けてきましたが、いよいよ具体的に実証試験などどう進めるかについて相談しました。
相談が終わったら夕方の時間になったので、前回と同じように駅までのいわゆるハートフル農大通りの途中で寄り道し、軽く一杯やりました。

昼休みに農大の周りを6Km ジョギングしました。春のような気温だったせいか、このところ毎日のように走っているので体調がよくなってきたのか、少しずつ足取りが軽くなってきた気がしました。

2013年2月27日水曜日

24日(日)にあった食品ジャーナリストの会の公開シンポジウムでは、無駄にしている食品の活用方法について二人の演者が取り上げていました。井出留美博士は3R-Reduce(減らす)、Reuse(再利用)、Recycle(再生)-という考え方から、人間の食料として、動物の飼料として、植物の肥料として、バイオエタノールという燃料を作る原料として活用して、最後は捨てるという活用方法です。橋本伊津美氏は同様に5F-Food(食料)、Fiber(繊維)、Feed(飼料)、Fertilizer(肥料)、Fuel(燃料)-という考え方です。

私が子供の頃(1940年代後半~1950年代前半)は、我が家は終戦直後で外地からの引揚げ者で食べる物がなかった時代でしたから、食べ物を大事にするように親に厳しく教えられました。お米は配給制度で一定量しか割り当てがありませんでしたので、ご飯を炊くのにお米を米櫃(こめびつ)からお釜に移す時に一粒でも床に落としてそのままにしていたら、父親に「この一粒のお米をお百姓さんがどれだけ苦労して作っていると思うか」と言われて、腕を竹製の物差しや針金で叩かれたのを覚えています。
世界的に見れば、今でも飢餓に苦しんでいる人たちがたくさんいるのですから、私たちは食べ物に感謝し、大事にすることを子供たちに教えなければいけないのだと思います。


2013年2月26日火曜日

農大の周りを6Km ジョギングしました。以前私の研究室でデータ入力のアルバイトをしてくれた男子大学院生(現在は修士課程修了後出身研究室で任期付き助手として働きながら就職活動をしている)が訪ねてきて、履歴書を置いていきました。第一希望は別の職種を目指していますが、結果がわかるのは秋になるので、希望が叶わなかった時には農薬関係の職にも応募したいという考えのようです。私は3月末には客員教授の70才定年で農大を離れますが、しっかりしたよい学生なので、できるだけ応援してあげようと思っています。

24日の食品ジャーナリストの会(JFJ)の公開シンポジウムでは、パネリストとして参加した橋本伊津美氏(食品会社に勤務していた経験がある)が面白い話をされました。食品流通業界には1/3ルールという商習慣があり、これが多くの返品を生み、食品ロスの原因になっているとのことです。例えば、賞味期限が6ケ月という食品が製造された場合、工場又は卸商からお店には6ケ月の1/3すなわち2ケ月以内に納品され、その後6ケ月の1/3すなわち2ケ月以内に販売され、消費者が購入する時は6ケ月の1/3すなわち2ケ月の正味期限が残っていなければならない、というのがルールだそうです。1/3の期間を過ぎて納品された食品は工場に返品され、消費者が購入する時に1/3の期間が残っていない食品は特売品として安売りされるか廃棄されるということだそうです。
賞味期限が過ぎたといっても食品としての安全性に問題があるわけではないので、消費できるかどうかは五感を働かせて判断することで無駄を少なくすべきでは、ということを考えさせられました。

松戸の駅までの途中には赤い梅の花が咲いている家がありましたが、農大の周りには白い梅の花が咲いている家がありました。毎年繰り返されることですが、この季節ならではの景色なので、立ち止まってカメラのシャッターを押しました。日本にはこういう季節感があるのがいいなあと思います。


2013年2月25日月曜日

やっといろいろな行事が終わったので、昼頃江戸川堤防に行って12Km 走ったり歩いたりしてきました。北西の冷たい風が斜め前から吹き付ける中を、前傾姿勢で走りました。吹雪で一面真っ白だった新潟県胎内市と異なり、気温は低くても背中に浴びる陽射しは春の陽射しで、今日も河川敷の上空あちこちでひばりがさえずっていました。

昨日の東京マラソンでは、男子はケニヤの選手が1位~3位を独占したとのこと。世界のトップは2時間3分~4分の時代に、昨日の日本のトップは2時間8分でしたから、ずいぶんギャップができてしまいました。4月29日の横浜駅伝大会に向けて、私もそろそろ真剣にトレーニングを再開しなければ・・。

2013年2月24日日曜日

今日も午前中は玉川大学に出かけて、玉川大学教授の中村 純先生の「ミツバチと樹木管理」という講座を受講しました。ハチミツとの関係で私たちにはなじみの深いミツバチですが、あらためて勉強をしてみると、驚くことばかりでした。採餌できる花を見つけた働きバチが他のハチにその場所を教える時にする「8の字ダンス」は、まるで高度に発達した情報伝達手段のような気がしました。


 
午後からは渋谷区表参道にある東京ウィメンズプラザに移動し、食生活ジャーナリストの会(JFJ)主催の公開シンポジウム「捨てられる”食べ物”-なぜこんなにも捨てられるのか?利用することはできないのか?」に出席しました。井出留美博士(女子栄養大学非常勤講師/セカンドハーベスト・ジャパン広報室長)の基調講演に続いて、橋本伊津美氏(食生活ジャーナリストの会会員)と近田康二氏(食生活ジャーナリストの会幹事)が加わってパネルディスカッションが行われました。
FAOによると世界の食料廃棄は13億トン(年)で、それは世界の食料生産量の1/3に達するとのこと。日本での食品ロスは500~800万トン(年)で、家庭と企業が各200~400万トンとのことですので、私たち一人一人が食物を無駄にしないように気をつけることが大事だと自覚させられました。
 

2013年2月23日土曜日

昨夜は新潟から松戸の自宅に帰ってきたのは夜の11時半頃でした。今日は午前10時から玉川大学で日本樹木医会の樹木医実践技術講座があり、興味深い内容の講座でしたので、私も2つの講座を受講しました。

真宮靖治先生は長年森林総合研究所で松枯れの原因究明の研究をし、マツノザイセンチュウの病原性を初めて確認された方です。「マツ材線虫病研究の現状」という演題で、1.被害の現状、2.マツノザイセンチュウの系統、3.年越し枯れ問題、4.細菌関与説、5.発病機構の解明、6.媒介者との便乗関係、7.分子生物学的研究、8.マツノマダラカミキリにかかわる研究、9.その他、について講義をされました。傘寿(さんじゅ)とおっしゃっておられたので80才の筈ですが、今でも研究の最前線をフォローされていて、大変勉強になりました。私にとって特に関心があったのは、センチュウが侵入後の発病機構についてですが、いろいろな研究者が提唱しているいろいろな仮説を紹介されましたが、まだ科学的に証明された定説は確立されていないということでした。マツノザイセンチュウの病原性を証明したという素晴らしい実績をお持ちの第一人者でありながら、ご自分の功績を宣伝することもなく、一つ一つ科学的に証明しながら問題を解明していくりっぱな研究者という印象を受けました。松枯れ問題は今や日本だけでなく、中国、台湾、韓国、ポルトガル、スペインにまで拡大した国際問題になりつつあるようです。

小野正人先生は玉川大学の教授で、「スズメバチの科学」という演題で、普段私たちには刺されたら怖いというイメージのスズメバチにもいろいろな種類があり、社会性昆虫としての特徴や人間との関係などについて講義をされました。長野県では昔から動物性タンパク源としてスズメバチを食べる文化があることは知っていましたが、巧みな話術に思わず惹き込まれ、外国人が幼虫を口に入れる写真を見せながら、スズメバチの天敵は人間という説には説得力がありました。刺されたら怖いというイメージから悪者扱いにされるスズメバチには、農業害虫を食べてくれる益虫としての面があるということも学びました。

 


 

 

2013年2月22日金曜日

胎内市の中条ホテルでの朝食後、車で新潟市に移動し、講演会場の新潟県自治会館に行きました。別館9階の大きな会議室で11:00-12:00に「森を守り育てる-松林に空中散布された農薬の飛散実態-」という演題で講演しました。参加者名簿を見ると、新潟県の森林研究所や林業振興課の職員、各市町村の林業関係部署の職員、林野庁下越森林管理署の職員の他に、昨年有人ヘリコプターで薬剤散布を実施した朝日航洋株式会社の社員もいました。参加者の反応から、私の講演はかなり手応えがあったと感じました。昨年の調査は体力勝負でかなり大変でしたが、こういう科学的な調査結果が現場で海岸保安林を守り育てることに携わっておられる方々に自信と励みを与えられれば本望です。

午後から開催された「海岸保安林整備指針策定に係る受託研究成果報告会・意見交換会」には私も出席しました。新潟県が新潟大学に委託したいろいろな研究課題の成果発表が行われました。最新の解析技術や、森林生態学の知見や、野生動物への影響モニタリング結果など、大学の協力を得ながら海岸保安林の再生を目指している新潟県の取り組みがよくわかりました。
2008年以降の有人ヘリによる薬剤散布中止によってもたらされた松林の壊滅的被害から、地元住民の生存環境を回復するのは大変なことです。無知・無責任な政治的活動で薬剤散布を中止に追い込んでこういう状況を作り出した一部の人々の国民の利益を損なう行為には、心底怒りを覚えます。





 





 
 

2013年2月21日木曜日

上野7:06発-新潟8:58着の上越新幹線MAXとき303号に乗りました。同行したA氏とN氏とは上野駅の列車内で落ち合いました。新潟駅前で4輪駆動でカーナビ付きのレンタカーを借りて胎内市に向かい、昨年ヘリコプターで散布された薬剤の飛散調査をした荒井浜と村松浜を視察しました。幸か不幸か(せっかく雪国の新潟に行ったので私はラッキーだったと思いました)天候は吹雪でしたが、準備していった長靴に履き替えて海岸保安林の松林の中や周囲を歩き回りました。荒井浜地区の松枯れ被害は小さかったのに対して、村松浜地区の方は激害でした。重機が何台も入って、被害木の撤去作業をしていました。県の事業として一度元の砂浜に戻してマツを植林し直す計画のようでした、
中条GCと日本海CCも訪ねてグリーンキーパーから松枯れ被害状況の聞き取りをしました。海岸保安林が有人ヘリコプターによるスミパインMCという殺虫剤の散布を中止して(2008年)から、ゴルフ場内の松くい虫のよる被害が急激に増大したとのことでした。
吹雪で視界がほとんどなくなったと思ったら、急に明るくなって視界が開けたり、雪国の人々の冬の生活は厳しいことがわかりました。
昨年も泊まった胎内市内の中条グランドホテルにチェックインし、胎内市にある肥料工場に勤務している卒業生の孫 立倉博士と夕食を一緒にしました。(写真はクリックすると拡大できます。)





 




2013年2月20日水曜日

支援者と匿名の非支援者から市橋君のことについてメールのお便りをいただきましたので、個別に返事を差し上げましたが、ここでは紹介しません。

昨日は走る時間がなかったし、明日からはしばらく走れそうもありませんので、時間を見つけて江戸川堤防に出かけて10Km 走ったり歩いたりしてきました。冷たい風が頬にあたりましたが、上から降り注ぐ早春の陽射しを感じつつ、気持ちよく走れました。

新潟県庁と胎内市役所に手渡す調査結果報告書の最後の手直しをして必要部数プリントしたり、CDに焼き付けたり、講演で使うスライドを何回も見て話しの流れを確認して頭に入れたりしているうちにいつの間にか時間が経ってしまいました。明日からは遠出をしますので、銀行に行って少しお金をおろしてきたり、駅前の文房具屋に寄って報告書をはさむファイルカバーを買ってきたりもしました。それから、5年前の定年退職時に大学の研究室から持ち帰った大量の本やちょっとした野外調査用具を保管している貸倉庫に行って、鋸(のこぎり)や手斧などを出してきました。長靴と一緒に新潟県に持って行って、胎内市の海岸の松林を訪ねて松くい虫が寄生しているマツの木がどれくらいあるか調査してみようと思っています。天気予報では、新潟は明日も明後日も雪とのことです。

明日の朝は松戸を6時半頃の電車に乗りますので、朝ご飯は5時ですよと妻に言われました。今夜は早く寝ます。

2013年2月19日火曜日

新潟県庁のI氏に電話をかけて、21日~22日の新潟県訪問の打ち合わせをしました。ついでに、昨年私たちが胎内市の荒井浜地区と村松浜地区で薬剤の飛散調査をした6月4日~6月8日の気象データを胎内市の消防署から入手できないか依頼しました。風向風速計と温湿度を持参して連続的に観測・記録したのですが、データの取り出しに失敗してデータが全部消えてしまったものですから。
先日宅急便で送ったCDも無事届いて、講演当日にはパワーポイントプロジェクターとパソコンを設定しておいていただけるとのことですから、これで準備は大体できました。

環境を汚染しない農薬施用技術のアイデアを、一緒に実用化に向けて研究開発をしようと提案してこられたK氏と農薬工業会を訪ねて説明をし、協力要請をしてきました。日本植物防疫協会、農林水産省、農薬工業会と回ってきて、どうすれば実用化に向けた研究開発ができるか、少しずつ道筋が見えてきました。

4年以上使ってきた携帯電話が故障して音声が出なくなりましたので、購入した市内のドコモショップに行って相談したところ、修理に出すと2週間かかり、費用も最低1万5千円くらいかかるとのことでしたので、廃棄して新しい機種を購入してきました。使い方に慣れるまで少し時間がかかりそうです。大阪在住の元支援者の女性(あるいは女性のふりをした暴力団関係者?)が途中から反支援者になって、私にしつこくストーカー行為を繰り返し、古い機種に送りつけてきた変なメールを記念にいくつか保存してあったのですが、ドコモに引き取ってもらってメモリーカードも目の前ではさみで破壊してしまいました。ストーカーメールの記念品がなくなって少し淋しい気がしましたが、いつまでも保存しておいても仕方がありませんので、捨ててサッパリする時期かもしれません。

残念ながら今日はジョギングをする時間がとれませんでした。

2013年2月18日月曜日

東京農業大学の山本 出(いずる)名誉教授からお借りしてきた大学院生小崎敏雄氏の博士論文「松枯れの化学生態学的研究-枯損原因解明の新しいアプローチ-」(1987年)を、何回も目を通しています。当時理化学研究所におられた辰野高司博士は、糸状菌接種によってマツが枯れることから松枯れの原因は糸状菌と提案しておられたのに対して、林野庁林業試験場(現在の森林総合研究所)におられた真宮靖治博士はマツ枯損木から発見されたマツノザイセンチュウにはマツに対する病原性があって、マツに接種するとマツが枯れることから松枯れの原因はマツノマダラカミキリという昆虫が伝搬するセンチュウであると説明しておられました。
山本先生の研究室では、糸状菌を接種してマツが枯れる時に発生する揮発性成分(テルペン類)のパターンと、センチュウを接種してマツが枯れる時に発生する揮発性成分(テルペン類)のパターンが異なることを室内実験で確認し、野外のマツが松枯れで枯れる時に発生する揮発性成分(テルペン類)のパターンと比較するというアプローチを採用しました。その結果、野外の松枯れはセンチュウ接種で起こる松枯れと一致するということから、松枯れの原因はセンチュウであると推定しました。実験的にはマツが枯れる原因が複数ある時に、実際にはどれが野外での松枯れの原因かを特定した大変興味深い研究です。
この研究は当時学会誌に公表されなかったらしく、あまり社会に認知されていないのは残念なことです。そんなこともあって、今でも松枯れの原因はマツノマダラカミキリが媒介するマツノザイセンチュウであるという科学的事実を否定して、大気汚染や酸性雨などの環境要因が関わっているかのような主張に固執して、松くい虫防除に反対する方がおられるのは遺憾なことです。

昼頃小雨が降っていましたが、今日も私は江戸川堤防に行って、小雨がポツポツ落ちてくる中を12Km 走ったり歩いたりしてきて気分爽快でした。

2013年2月17日日曜日

散髪をしてから江戸川堤防に行きましたが、昨日と違って風もなく穏やかな日和(ひより)でした。景色を眺めながら、ゆっくり10Km 走ったり歩いたりしました。日曜の午後でしたので、少年野球チームや少年サッカーチームが試合をしたり、堤防の上では多くの人々と行き交いました。気温は低かったけど、春の気配を感じました。地平線に富士山の陰影もうっすらと見えました。

ロシアのウラル地方のチェリャビンスク市に一昨日落ちた隕石の様子が報道されていますが、NASA(米航空宇宙局)によると隕石は直径17m、重さ1万トンで、そのエネルギーは原爆25個分に相当すると推定されるとのこと。衝撃波によって建物が壊れたり、割れたガラスの被害で1200人もの人が怪我をしたとのこと。テレビで繰り返し流される光の軌跡と爆発の映像は、まるでサイエンスフィクションの宇宙映画のようで、人間の無力を感じさせられます。

人間は大きな宇宙の中では点のような小さな存在で、一生も無限の時間の中ではほんの一瞬に過ぎないということを、あらためて認識させられます。だからこそ、私たちは与えられた命を大切に悔いのない生き方をしなければならないのでしょう。

2013年2月16日土曜日

江戸川堤防に走りに行きましたが、北西の冷たい強風が斜め前から吹き付けて、体が吹き飛ばされそうなくらいでした。それでも、風に負けないように前傾姿勢で8Km 走ったり歩いたりしてきました。

一昨日埼玉県の名門ゴルフ場に同行してくれたO氏は、昭和21年生まれだそうですから現在66才で、日大法学部を卒業してから東京農業大学に学士入学して林学を専攻したのだそうです。その当時、林野庁の林業試験場(今の森林総合研究所)を定年退職して農大教授になっておられた倉田益二郎氏から、林業技術という雑誌の1983年12月号に掲載された「マツの木保存論とマツ林亡国論」という記事の別刷りを手渡されたそうです。そのコピーをいただいたので読んでみましたら、マツ林を守る必要はないという大変興味深い主張が述べられていました。昭和19~25年(1944~1950年)に松くい虫大発生地帯である兵庫、岡山、広島地方でマツ林に関する調査、実験をしてこられたとのこと。マツは土地の痩せた所に生える樹種ということから、植物相の遷移(せんい)から見れば土地が肥沃になるに従って消滅するのだから守る必要はないという主張になるようです。昭和25年にアメリカ進駐軍(戦後日本を占領支配していた米軍をこう呼んでいた)のドナルドソン中佐と会った時の会話も紹介しておられるので、今から30年前にこの記事を書かれた時はすでに相当な高齢だったのではないかと想像されます。
しかしよく考えてみれば、昭和25年というのは千葉県の平砂浦にしても、新潟県の庄内砂丘にしても、人々の生活環境を飛砂や潮風害から守るためにマツの植林事業が始まった時代ですから、まだ現在のような海岸の保安林は存在しなかった時代です。従って、倉田氏は山や平地のマツ林を想定していて、その後造成された海岸保安林としてのマツ林はあまり念頭になかったのではと推察されます。
この記事が書かれた1983年というのは、1950年に日本のあちこちで植林が始まって33年後ですから、もし倉田氏が海岸保安林としてのマツ林を守らなくてもいいと本当に考えたのだとしたら、そこに住んでいる人々の飛砂被害による大変な苦労に対する配慮が欠けているような気がします。

2013年2月15日金曜日

私からの返信が届かなかった支援者から、携帯メールの設定を変えたら届いたとのことで、以下のお便りが届きました。そんな風に思って下さってありがとうございます。私にとっても、期待を裏切らないようにしっかり生きなければと励みになります。
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本山直樹先生。
再三に渡りお手数おかけして申し訳ありませんでした。
今回は無事にメールを拝見できました。有難うございました。若輩の私がこのような事を申し上げるのは大変失礼な事とは思いますが、先生のような方がおられ、色んなご指導を私達に頂けるから世の中は巧くまわっていくのではないかと思います。
現代は無関心を装う方々ばかりが増え、殺伐とした世界に淋しい想いをする事もしばしばあります。でも先生は違います。何事にも情熱と忍耐を持って日々周りの方々や世の中と関わっておいでです。
市橋さんの事もそうですが想像つかない程にとても嫌な想いもされているとお察ししますが、愛情を持って矢面に立たれ私達支援者の事も配慮してくださっています。本当に頭が下がります。私は先生と出会う事ができ幸せだと思っています。今後とも何卒宜しくお願い致します。
先生、お体だけはお気をつけて。いつまでもお元気でいてください。いつかきっと市橋さんからご連絡があると私も信じて待っております。

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今日は午後3時から東京農業大学総合研究所研究会生物的防除研究会の講演会があり、私も声をかけていただいたので出席しました。3題講演がありました。
1.永井一哉博士(岡山県農林水産総合センター生物科学研究所長)「景観植物を利用した害虫防除技術の開発」
2.Dr. Young-su Lee(韓国Environmental Agriculture Research Division, Gyeonggi-do Agricultural Research and Extension Services)「キイロテントウによるうどん粉病防除」
3.Dr.JunSeck Lee(韓国Osang Kinsect Co., Ltd.)「 韓国における天敵の現状と将来」
この研究会は、農薬を使わない作物保護の方法として生物的防除法を研究している会社や研究者の集まりです。
毒性の高い農薬しかなかったり、農薬に安易に依存し過ぎていた時代には、食の安全(農薬残留がない)や環境に優しい(非標的生物に悪影響がない)作物保護技術を開発するという目的で、生物的防除(天敵を利用して有害生物を制御する)に大きな期待がかけられました。現在は、農薬自体が進歩して食の安全や環境影響は問題ではなくなってしまったので、初期の目的は弱くなりましたが、多様な作物保護の方法が選択できるということは重要なことです。

永井博士の講演は、ナスの害虫ミナミキイロアザミウマを防除してくれるヒメハナカメムシのような天敵が集まってくれる植物の中で、景観植物としての役割も果たしてくれる植物をナスを栽培する施設の側に植えて天敵温存場所を提供するという方法についてでした。
Dr. Young-su Leeの講演は、テントウムシの中には昆虫を餌として食べるもの、植物を餌として食べるもの、微生物を餌として食べるものの3種類があるが、うどん粉病の胞子をどんどん食べてくれるキイロテントウを防除に利用しようという内容でした。
Dr. JunSeck Leeの講演は、韓国政府が天敵技術の発展と産業としての天敵ビジネスを育成することを国家プロジェクトとして強力に支援している現状を紹介しました。国や県や企業がバラバラに生物的防除に取り組んでいる日本の関係者には、羨ましかった筈です。
3題の講演はいずれも大変興味深い、よい内容の講演でした。

面白かったこととして、韓国政府は2013年までに農薬使用量を50%削減するという目標で生物的防除を支援してきたという説明がありましたが、今年が2013年だが目標の達成具合はどうですかという質問に対して、少し顔色が変わって、今年度の終わりに評価されるでしょうと逃げる回答をしていました。何年か前に日本でもゴルフ場の農薬使用量の削減が社会的関心事だった時に、各県が削減実績統計を公表していましたが、製剤量では見かけ上減ったように見えても有効成分量では実質的にあまり変わらなかった(有効成分濃度の高い製剤に切り替えたので)ことを思い出しました。それでも県民には、努力の結果農薬使用量をこれだけ削減したと説明していました。

小雨が降っていましたが、講演会が始まる前に東京農業大学の周りを片手で傘を差しながら4Km ジョギングしました。

2013年2月14日木曜日

支援者のお一人から、私の打った返信が届いていないというメールがありましたので、先ほど保存してあった返信を再送信しました。もし今回も届かないようでしたら、受信する携帯メールの設定に問題がある可能性がありますのでチェックしてみて下さい。以前も他の支援者で同じような問題がありましたので。

午後から埼玉県にある名門ゴルフ場を訪ね、グリーンキーパーに案内してもらいました。普通はなかなか入れないゴルフ場のようですが、先日の私の講演会に出席しておられた方ですので、特別見学させていただきました。元々は大正2年(1913年)にできたゴルフ場ですから、100年目になりますが、何回か移転して現在の場所に来たのは大正15年(1926年)とのことですから、それからでも87年目になります。今はフェアウェイとラフの高麗(こうらい)芝は休眠中ですが、それでもよく手入れされた立派なアカマツとベントグラスのグリーンとのコンビネーションはまるで絵に描いた景色のように見事でした。このようなマツが5000本くらいあるだろうとのことですから、大変な財産です。松くい虫防除で年に3回薬剤散布をしてマツを守っているとのことでした。私自身は全くゴルフはしませんが、あんまり見事なのでたくさん写真を撮ってきました。
バンカーのところに変な人形が吊るしてありましたが、キツネ(本当にキツネか他の野生動物の可能性はないのかは確かめませんでした)がでてきて穴を掘るのでそれを防ぐ案山子(カカシ)だそうです。
今日もまた現場に出ることでたくさんのことを勉強しました。






埼玉県に出かける前に江戸川堤防に行きましたが、時間がなくて今日は4Km しか走れませんでした。

2013年2月13日水曜日

以前にも私に取材をしたことがあるという毎日新聞千葉支局の記者から電話があって、市橋君の件で取材をしたいという申し込みでしたが、彼がどこで服役しているかも知らないので何もお話しできることはありませんとお断りしました。

午後2時に東京農業大学の研究室に来客がある予定になっていましたが、実はその前の朝10時半にも農林水産省の建物の玄関で別の待ち合わせをしていたことをすっかり忘れてしまいました。携帯に電話がかかってきた時は手遅れで、10時半の約束をすっぽかすことになってしまいました。ある人と一緒に農水省を訪ねてある相談をすることになっていたのに、大変な迷惑をかけてしまい、ただひたすら謝りました。

こういうことのないように、私は用事が決まったらすぐ手帳に書きこんで、毎日夜寝る時に翌日のスケジュールを確認し、朝起きた時に再度手帳をみて今日のスケジュールを確認するようにしているのですが、今回は何故か午前中の約束を書きこむのを忘れてしまっていました。
10年以上前にも、ダブルブッキングをして大失敗したことを思い出しました。名古屋と確か和歌山だったと思いますが2つの研究会で講演をすることになっていたのが実は同じ日に重なっていることに気が付いて、両方ともどうしてもキャンセルできないと言われて、必死に電車で移動してギリギリ間に合わせました。それ以来、二度と同じ間違いをしないようにすぐスケジュールを手帳に書きこむようにしていたのですが・・。これもあれもと、やらなければならないことが頭の中でグルグル回っているうちに、電話ではなくメールで決まったスケジュールでしたのでつい後で書き込もうと思ってそのまま忘れてしまいました。大失敗でした。

昼休みに大学の周りを6Km 走ったり歩いたりしました。強い風が吹いていましたが、気にせずに走りました。ある家の庭に白い梅の花が咲いているのに気が付きました。

2013年2月12日火曜日

東京農業大学に出かける前に松戸神社に寄って、切り倒された欅(けやき)の巨木の切り株の写真を撮ってきました。こういう凸凹した切り株の場合直径と言っていいのかどうかわかりませんが、巻尺を持って行って測ったらちょうど2m ありました。年輪も幅の広いところと狭いところがありましたが、よく読み取れなかったので、今度もう一度時間のある時に正確に数えてみようと思います。この神社には、他にもまだ欅やイチョウの巨木が残っています。人間の寿命よりも長い年月を風雪に耐えて立っている巨木には、威厳を感じます。

せっかく走り始めたので続けたいと思って、農大の周囲を6Km ジョギングしました。
新潟県での講演のスライドと講演テキストができて、共著者にも目を通してもらったので、スライドの一部を抜粋して配布資料として県庁の担当者に宅ファイル便で送りました。


 
 

2013年2月11日月曜日

3名の支援者からお便りが届き、個別に返事を差し上げましたが、ここでは紹介しません。

今日は祭日(建国記念の日)でしたので、正午頃江戸川堤防を8Km 走ったり歩いたりしてきました。北西の方向から強い寒風が吹き付けていましたので、風に向かって走りましたが、薄い手袋をはめた手がかじかみました。啓蟄(けいちつ)というのは3月6日頃とのことですからまだ早いのですが、堤防の斜面ではモグラの塚があちこちで見られましたので、芝草の下にいるミミズを狙って活動を始めたのかもしれません。今日も散歩をしたり、ジョギングをしたりしているたくさんの人々と行き交いました。いつもそうですが、自宅に帰ってシャワーを浴びて、体重計に乗って、血圧を測定して、走った距離と時間を記録しました。まだわずか3日続けただけですので、体重の目に見える変化はありませんが、1時間以上汗をかいて心肺機能を活性化したせいか、頭の中がスッキリし、精神的には元気が高まった気がします。

市内の松戸神社の横を通ったら、何かいつもと感じが違うと思ったら、道路沿いの境内にあった欅(けやき)の巨木が切られて大きな切り株だけが残っていました。樹齢何百年だったかわかりませんが、大きな木には神様(魂)が宿っているような気がしていたのに、惜しいなあと思いました。駐車場にでもするのかどうかはわかりませんが、明日にでも立ち寄ってせめて切り株の写真を撮ってこようと思います。

来週22日の新潟県での講演のスライド作成と講演テキストができたので、最終的なチェックをしてもらうために共著者に送りました。複数の人の目を通ると、さらによくなりますので。この寒い時期にわざわざ私の話を聴くために集まって下さる新潟県の方々のために、できるだけ役に立つよい話をしたいと思います。

2013年2月10日日曜日

支援者から久し振りのお便りが届きましたので、以下の返事を差し上げました。
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久し振りのお便りをありがとうございました。裁判の結審によって、市橋君に適正な裁判を受けさせるという所期の目的は終わりましたので、ブログも近いうちに閉じなければと思っています。ただ、支援金の残金を、私は千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者や被告人の弁護に使ってもらうのがいいと思ったのですが、多くの支援者は市橋君が30年後に出所する時まで保管してほしいというご意見でしたので、どうやったらそれが実現できるか名案がなくて困っています。今は毎日時間に追われていて考えたり行動したりする余裕がありませんが、落ち着いたら菅野弁護士から残金を返却していただいて、市橋君のご両親にお送りして遺言を残して30年後に彼の手に渡るように保管していただくお願いをしようと考えています。それが済めば私の役割も終わりですので、支援者の皆様に報告をして支援する会とブログを閉じることができます。
もう市橋君のニュースを皆様にお伝えすることもできませんので、ブログにアクセスする方はほとんどいないかと思っていましたら、先日ある支援者から楽しみにしているので続けてほしいというメールが届きました。いつの日か市橋君から連絡が届いた時は皆さまにお知らせできるように、別の名称のブログを立ち上げて私の命のある限りは日記のように私の活動や感じた事などを書き続けようかとも思っています。
定年退職後日本にいるか、アメリカに帰るかは迷うところですが、日本で暮らしたいという妻に先立たれれば、アメリカに傾くかもしれません。

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今日も江戸川堤防に行って10Km 走ったり歩いたりしてきましたが、日曜で穏やかな日和だったということもあって、多くの人々が散歩をしたり、ジョギングをしたり、自転車に乗ったりしていました。河川敷のグランドでは少年サッカーチームがコーチの号令でトレーニングをしたり、社会人らしいチームが野球もやっていました。私はそういう景色を楽しみながら走ったり、息が苦しくなったら歩いたりして、心地よい汗をかきました。
新潟県での講演の準備はもう少しでできあがります。

2013年2月9日土曜日

今月22日の新潟県での講演の準備をしていますが、だいぶ進んで見通しが立ってきたので気持のゆとりができて、昼に江戸川堤防に行って8Km 走ったり歩いたりしてきました。帰り道に堤防上で自転車に乗った人に呼び止められたら、私が長年散髪に行っていた理髪店をやっていた人で、お客が少なくて家賃が払えなくなって店をたたんでしまった人でした。その後どうしているのか私も気になっていたのですが、市川市にある老人介護施設に就職して松戸から自転車で通っておられるとのこと。今までと違う仕事だし、月に6回徹夜の夜勤があるので疲れるとのことでした。しかし、お元気そうで何よりでした。

アメリカの空手の弟子/友人のMargie さんから久し振りに航空便 の手紙が届きました。この頃はメールでのやりとりがほとんどなので、普通の郵便はSnail mail(カタツムリ便)と言います。今日何々したというのが2月4日付けでしたから、5日前のことになります。ノースカロライナ州には海岸のLejeune(レジュン)というところに海兵隊の基地がありますが、1957年から1987年まで30年間飲用水として使っていた基地の井戸が、基準値を超える濃度の毒性物質(ベンゼン、トリクロロエチレン、テトラクロロエチレン、塩化ビニルなど)に汚染されていたことが確認されたという新聞記事の切り抜きが同封されていました。これから多くの元海兵隊員が健康被害の賠償請求の訴訟を起こすのではないかと思います。

同時に、ある大手の化学会社が毒性管理専門家を募集している求人欄の切り抜きも入っていました。私がこの3月末で東京農業大学の客員教授を70才で定年退職するのを知っているので、アメリカに帰ってこないかという誘いのつもりなのでしょう。もっと若い時だったらすぐ応募したかもしれませんが、今はそろそろ引退してのんびり趣味を楽しもうか、農薬分野の研究とは別のやりたい何かを見つけようか、もう少し松くい虫の激害で消滅した松林の再生に少しでも関わろうかという気持の間で揺れ動いている状況ですので・・。

2013年2月8日金曜日

アメリカの友人Buck Grissom 博士から、アラスカで撮影されたという鯨(くじら)とカヤックを漕いでいる男の信じられないような写真が送ってきたので、鯨の口の上部に比べて下部が長過ぎて合わないので、嘘(合成写真)だろうと言ってやりました。英語の説明では、鯨が口を閉じると周りにたくさん見える鰊(にしん)と一緒に飲み込まれて昼ご飯にされてしまうので早く漕いで脱出しろ、と書いてあります。アメリカ人はこういうジョーク(冗談)が好きです。

その返事がきて、彼は長年アメリカのNIEHS(国立環境健康科学研究所)に勤務していて私が必要とする毒性学に関する情報をすぐ送ってくれていたのですが、spinal stenosis(脊柱管狭窄症せきちゅうかんきょうさくしょう)の手術をして少しずつ回復中とのことでした。NIEHSでの仕事も興味がなくなったので退職したとのこと。彼は私(70才)とほぼ同じ年代の筈ですが、アメリカでは年齢による強制的な定年退職は、性差別と同じように年齢差別で憲法違反になるのでありませんので、自己退職したようです。退職後も Retired Associate ID card(退職関係者としての身分証明書)を持っていてこれからも研究所の図書館にアクセス(Webで)できるので、必要な情報があれば提供できると言ってきました。

Alaska... one in a billion photo

The photo was taken at the entrance to Katlian Bay at the end of the road in Sitka , Alaska .


The whale is coming up to scoop up a mouthful of herring (the small fish seen at the surface around the kayak).
The kayaker is a local Sitka Dentist. He apparently didn't sustain any injuries from the terrifying experience.
The whale was just around the corner from the ferry terminal, and all the kayaker could think at that moment
in time was: "Paddle Man--really fast!" The whale's mouth is fully open with the bottom half under the boat.
If the whale had closed his mouth before he furiously paddled away - He might have been LUNCH!!!

Look at the picture again - He is in the whale’s MOUTH!

2013年2月7日木曜日

2月は講義も講演もないので、のんびりできると思っていたら、急遽(きゅうきょ)新潟県庁から昨年私たちが同県胎内市で実施した農薬の飛散調査の結果を22日(金)に新潟市に来て講演してほしいという依頼がありました。新潟県内の各市町村の海岸保安林の保全担当者にも声をかけているとのことで、私にとっても調査研究の結果を関係者に報告するよい機会なので、引き受けることにしました。前日の21日(木)に胎内市に行って松林の状況を視察してから、新潟市に移動しようと思っています。
講演日まであまり時間がないので、データの整理、スライドの準備などを始めました。
お蔭で今日もジョギングをし損ないました。

2013年2月4日月曜日

昼休みに久し振りに千葉大学園芸学に行って、緑風会館(体育館)の男子更衣室をモップ掛けし、シャワー室をデッキブラシ掛けして掃除をしました。しばらくやらなかったので、更衣室の床はザラザラして汚れていました。
道場でバーベルを持ち上げたり、腹筋運動や重い六角刀の素振りなどをしてから江戸川の堤防に出かけ、12Km 走ったり歩いたりしてきました。トレーニングを再開して3日目なので、大分調子がでてきました。次に私が競争的に走るのは、4月末の横浜駅伝大会なので(千葉大学走友会チームの一員として)、まだ3ケ月近くありますので、今度こそしっかり走り込んで体重も10Kg 減量してレースに臨みたいと思っています。

3月には学会が2つあって、両方とも講演申し込みをしましたので、少しずつ準備を始めました。

夕方には、昨日お見舞いに行った友人/元同僚教授のN君の奥様からお礼の電話がありました。Kelly 君の釣った魚の写真とメモをベッドの枕元のサイドテーブルに置いてきたので、それを見て私が見舞いに行ったことがわかったようです。昨日は今までにないくらいよく話しかけてくれたことをお伝えしたら、この頃はそんな風に変わったとのことで、ほんの一瞬でもN君の笑顔が見られた時などは疲れを忘れて嬉しくなるとおっしゃっていました。長年連れ添った夫婦や家族というのは、そういうものなのでしょう。

2013年2月3日日曜日

今日も江戸川堤防を10Km 走ったり歩いたりしてきました。トレーニングを再開してまだ2日目ですが、すでに昨日よりは息が続いた気がしました。途中、河川敷の葦原(あしはら)でヒバリのさえずりが聞こえました。三寒四温の中でも春が近いことを告げているのかもしれません。

リハビリセンターに長期間入院中の友人/元同僚教授を見舞いに行ってきました。インフルエンザ予防のために、面会者は必ずマスクを着用するようにとの指示が貼ってありましたので、玄関近くの自動販売機で買ったマスクを付けて病室に入りました。昨日アメリカから送ってきた大きな魚の写真をプリントして持って行って、どうだすごいだろうと言いながら見せたら、ニヤニヤと笑いました。いつもは無口でめったに口を開かない友人が、今日は珍しく彼の方から話しかけてくれました。残念ながら言葉が不明瞭で何を言いたいのかはほとんど聞き取れませんでした。
隣りのベッドに入院中の年配のご主人をお見舞いに来ていた奥さんにいかがですかと話しかけたら、この頃はいくら話しかけても目を閉じたままで反応をしてくれなくなりましたと、悲しそうな表情で答えていました。あんなにおしゃべりが好きだった主人が全くしゃべってくれなくなったのは寂しいともおっしゃっていました。
人間は誰でもいつかは弱って最後の時を迎えるのですから、元気な間は一生懸命生きなければと思います。

千葉県九十九里浜は、年に一度の有人ヘリコプターによる薬剤散布が実施されていた2007年までは、白砂青松100選にも選ばれた美しい松原が守られていましたが、当時のテレビキャスター出身の千葉県知事の生物多様性を守るという政治的スローガンの下で、2008年以降ヘリコプターによる薬剤散布が中止に追い込まれてからは松くい虫による被害が急増し、60年もかけて育成してきた松原がわずか数年で壊滅状態になりました。皮肉なことに、松林自体が消滅したのですから生物多様性も何もなくなりました。これまで松を植えて守るのに使ってきた何十億円という県民の税金と長年の努力が、水の泡と消えました。これから地元の住民は昔のように飛砂の被害に苦しめられる筈です。政治家の無知・無責任さには腸(はらわた)が煮えくり返るくらいの怒りを感じます。美しい松原が守られていた時の貴重な写真と現在の姿を見比べてみれば、違いが一目瞭然です。(写真はクリックすると拡大できます)

 
 

2013年2月2日土曜日

久し振りに江戸川堤防に行って、10Km をゆっくり走ったり歩いたりしてきました。河川敷のグランドでは、何組かの少年野球チームが試合や練習をしていました。私は今日から運動再開です。

一昨日の日本エアロビクスセンターでの講演は、2時間という講演時間をいただいたのでゆっくり思う存分話すことができました。聴衆のレスポンスから、十分メッセージが伝わったと感じました。懇親会にも出席しましたが、多くのゴルフ場のグリーンキーパーが話に来てくれました。
ある名門ゴルフ場のグリーンキーパーからは、興味深い話を聞きました。コースの中や外周に多くの松が植栽されているそうですが、外周の落ち葉をブローワーで清掃していたら近所の住民(女性)から農薬を散布していると誤解されて、体調が悪くなった(悪くなる?)ので止めてほしいと苦情を申し込まれたとのことです。そのために、松くい虫防除には無人ヘリコプターで薬剤を散布しているが、周辺住民にわざわざ通知をせずに散布をしているとのことでした。その結果、飛散薬剤で体調が悪くなったという苦情はないとのことです。これは今まであちこちで経験してきたことと同じです。農薬散布で体調が悪くなったと訴える人は、実際の暴露は起こっていないにもかかわらず、農薬は怖いという恐怖感がストレスになって散布を想像するだけで体調が悪くなっているということです。

アメリカの友人Kelly 君がフロリダで大きな魚を釣ったと言うニュースが届いたので、Did you really catch it, or is there such a business in Florida to let you hold a big fish and take a picture as a service for a tourist?(君は本当にその魚を釣ったのか、それともフロリダには観光客へのサービスとして大きな魚を持たせて写真を撮らせる商売があるのか)と訊いてやったら、I did indeed catch the fish.(自分が本当に釣ったんだ)という返事が届いて、証拠の写真が2枚メールに添付して送ってきました。redfish というのは辞書には鮭(salmon)とあったので鮭かと思ったら、現地では別名channel bass とかred drum とか呼ばれる別の魚のようです。釣った魚は食べたのかと訊いたら、この大きさはbreeding bracket(繁殖ステージ)に分類されるので、大きさを測定してから放したとのことです。27インチ(=67.5cm)以下しかキープできない規則になっているとのことですから、資源保護を考えてのことでしょう。彼が住んでいるバージニア州の山の中からフロリダまで車で片道12時間のドライブだけど、私が今度アメリカに来たら一緒に行こうと誘われました。(写真はクリックすると拡大できます)