2013年10月28日月曜日

昨夜遅く日本に帰国しました。妻が作ってくれた今日の朝食と夕食のおいしかったこと! 昼休みは江戸川堤防に行って往復8Km を走ったり歩いたりしてきて、昼食は抜きました。中国では朝・昼・晩ともお腹の皮ががはち切れそうになるぐらい毎日ご馳走責めでしたので、よっぽどメタボになっていると思いましたが、予想に反して出発前と大差ありませんでした。

早速、11月2日の講演と20日の講演の準備に追われています。時間をみて、中国での経験を毎日メモしてきましたので、写真と一緒にさかのぼって報告しようと思っています。向こうでは、持参したノートパソコンをホテルのインターネットに接続してメールは打てたのですが、どういうわけかブログやウェブサイトへのアクセスはブロックされていましたので、ブログの更新はできませんでした。昨年中国を訪問した時も同じでした。

2013年10月19日土曜日

午前中に江戸川を渡って東京都側の水元公園に行き、約1時間50分歩いたりジョギングしたりしてきました。それからまだちょっと早かったのですが、明日からしばらく中国ですから床屋に行って散髪をしてもらってきました。 今回は講演を依頼されているわけではありませんが、向こうに行って急に何か話をするように言われた時に困らないように、昨年3つの国際会議で英語で講演をしたパワーポイントスライドと日本で日本語で講演をしたパワーポイントスライドをUSB(メモリースティック)にコピーしておきました。4つ話題を準備しておけば、急に頼まれたとしても対応できる筈です。

明日は成田空港を8時50分発の飛行機ですから、自宅を朝5時30分頃出発です。一応いつものノートパソコンを持参しますので、インターネット接続ができることを期待していますが、駄目な場合はブログの更新は帰国する27日の夜以降になります。中国農業大学の先生が付き添ってくれて、北京から雲南省昆明に飛んで、同行する名古屋大学名誉教授の宮田 正先生と一緒に有名な雲南省の棚田を見たり、中国における松くい虫被害の現状を視察し現地の専門家と情報交換もしてくる予定です。

2013年10月18日金曜日

栖林寺とは反対側の山の上にあるホテルやまぶきに宿泊しましたが、朝食後一人で外に出て少し散策してみました。天竜川の源流の一つらしい川に沿って遊歩道ができていて、川の清らかな流れも、遊歩道の植物も、遠くの景色も、秋晴れにも恵まれて爽やかで、空気が美味しいという感じでした。

病虫獣害防除研修会はホテルの近くの駒ケ根キャンプセンターの施設で実施されました。開会は10時15分で時間があったので、キャンプセンターの周りを少し歩いてみましたら、中央アルプスと南アルプスの両方が見えました。 研修会には国(林野庁)や長野県庁の森林担当者、森林組合員の他に、長野県全域から市町村の松くい虫防除に関係した職員などで100人近く参集していました。
午前中は駒ケ根市の担当職員による駒ケ根市における有人ヘリ・無人ヘリによる松くい虫被害防止対策に関する講演と、長野県林業総合センターの研究員による被害木の伐倒処理の実技のデモンストレーションがありました。従来は、玉切りして積み重ねた被害木をビニールシートで覆って、その3方を地面に埋めてガスが抜けないようにして、開口部からくん蒸剤を処理してから残りの一方のビニールシートを地面に埋めるという作業工程が普通でした。それだと作業者がくん蒸剤に暴露する危険性もあるということで、今回は、ビニールシートの4方向を先ず地面に埋めてから、上部にナイフで切れ込みを入れてそこからくん蒸剤を流し込み、切り口はガムテープで密封するという改良法を紹介していました。 昼食後、私の講演は午後1時から3時まで2時間をとっていただいたので、今日はそれほど時間を気にせずゆっくり話すことができました。あらかじめパワーポイントスライドをカラープリントして、配布資料として受講者に配布しましたので、講演内容は比較的理解し易かったのではと思います。

研修会終了後、私はすぐ駒ケ根市の高速バスターミナルに行って、午後4時発のバスに乗って新宿に戻りました。バスターミナルまで車で送って下さったある農薬卸商の社長が、以前の私の講演で、ゴルフをしていた人が突然体調が悪くなって全身に蕁麻疹が起こったのを農薬のせいにしたのが、実は運動誘発性アナフィラキシー症状だったという話をした時に、自分が長年運動をして汗をかくと蕁麻疹がでて医者に行っても原因がわからなっかったことが、まさにそれに当てはまることに気が付いたと言われたのには驚きました。偶然とは言え、あちこちで講演をしていると、いろいろな人との出会いがあります。 自宅には夜9時半頃着きました。アメリカから帰国してから連続でしたので、ちょっと疲れた気がしました。

2013年10月17日木曜日

朝5時45分に自宅を出て新宿駅前の高速バス乗り場に行きました。乗り場がどこにあったか忘れて少しウロウロしましたが、人に訊いて無事7時30分発のバスに間に合うように着きました。

約4時間で長野県駒ケ根市のバスセンターに着き、車で待っていてくれた現地の出迎えの人達と蕎麦屋で昼食を食べました。ホテルのチェックインは3時からなので、私たちが2008年から3年間有人ヘリコプターで散布された薬剤の飛散を調査した時のベースキャンプみたいに使った栖林寺(せいりんじ)というお寺を訪ねてみました。昔と同じように境内にはりっぱなアカマツの巨木が立っていて、天竜川を越えた駒ケ根市の反対側には中央アルプスが見えました。お寺の裏の山をちょっと上って、こんにゃく畑のあったところに行ってみましたが、今はネギ畑に変わっていました。必死になって調査をした当時のことを思い出しながら、しばし懐かしい想いに耽りました。 比較的近くに子供たちを住まわせている宗教関係の団体の施設があった筈ですので、記憶を頼りに車を走らせてみたらやはりありました。看板には光林国際ミッションセンター、駒ケ根パノラマ愛の家、エルシオンチャペルと3つの組織(機能?)の名前が書いてありました。施設のすぐ前には昔と同じようにリンゴ畑があって、ちょうど赤いリンゴと黄色いリンゴが鈴なりになっていました。
まだチェックインまでに時間があったので、今度は天竜川を越えて反対側の山に上り光前寺というところに行きました。観光客(参拝者)がたくさん来ていて、天台宗のりっぱなお寺でした。参道に杉の巨木の並木が並んでいて、樹齢何年かはわかりませんが威厳がありました。

夕方には宿泊するホテルやまぶきに入って、長野県林業薬剤防除協会や長野県庁の方々との懇親会がありました。

2013年10月16日水曜日

東京農業大学総合研究所には研究会というのがあって、いろいろな部会があります。その中の一つの生物的防除部会は、私が現在会長をしている農薬部会と植物保護に関わるという共通点があります。11月20日に予定されている生物的防除部会の秋の例会で、いつの間にか私が講演者になってしまい、演題を知らせるようにと催促をされてしまいました。私は生物的防除の経験は僅かしかありませんので、苦慮した結果次の演題で話をすることにしました。「植物保護における農薬と生物的防除ならびに有機農業との関係-大学卒業後48年の経験から見えてきたもの」

明日は松戸駅発6:06発の電車で新宿に行って、長野県駒ケ根行きの高速バスに乗ります。私の講演は明後日18日の3:00-5:00 pmですが、せっかく行きますのでその前に以前松くい虫防除で有人ヘリコプターで散布された薬剤の飛散調査をしたところなどを再訪してみたいと思っています。
こちらの方の講演の演題は、「薬剤空中散布による松くい虫被害拡大防止効果とその阻害要因」です。スライドはすでに送ってありますが、ついさっき時間配分を考慮した講演テキストができました。2時間の時間をとっていただいていますので、ゆっくり話ができます。

昼休みに道場に行って、男子更衣室のモップがけとシャワー室のデッキブラシがけをしてからストレッチと筋力トレーニングを少しやって、それから江戸川堤防を久し振りに1時間半くらい歩いたりジョギングしたりしてきました。これからはRegency Park やLake Johnson の代わりに、江戸川堤防が私のジョギングの場所になります。台風26号のもたらした雨の影響で江戸川は増水して、野球場やサッカー場やゴルフ練習場がまた水没していました。 アメリカのマージーさんからは、現地は今日も秋晴れのよい天気だとのメールが届きました。

2013年10月15日火曜日

今夕成田空港に無事着きました。

現地の14日の朝マージーさんがモーテルに来てくれて、それまでに荷物を全部スーツケースに詰め込んでいつでも出発できるようにしておきました。ガソリンを満タンにして空港近くのレンタカー会社に行ってレンタカーを返却し、荷物をマージーさんの車に乗せ換えて空港に行きました。時間が早かったので空港内のレストランで簡単な朝食を食べようとして、ジャンバーのポケットに入れた筈のメガネがないことに気がつきました。レンタカーのカップホルダーに入れたまま忘れてきた可能性が考えられました。マージーさんが自分が探しに行ってくるから、もしチェックインの時間がきたら自分を待たずにチェックインするようにと言って自分の車を駐車場から出して引き返してくれました。しばらくしたら空港に戻ってきて、運転席とドアの間に落ちていたといってメガネを渡してくれました。マージーさんの判断力と行動力に感謝です。 ワシントンDCのダレス空港で成田行きの飛行機に乗り換えましたが、乗り換え時間がギリギリだったのでターミナル内を移動して私が飛行機のドアに着いたのはファイナルコールの最中で、私が最後の乗客でした。往きは正味約11時間のフライトでしたが、復りは気流の関係か正味約13時間のフライトでした。

成田では雨が降っていましたが、台風26号が通過すると予測されている明日でなくてラッキーでした。 溜まっている郵便に目を通して、メールに返事を書いている中に夜中になってしまいました。 明日からはまたスケジュールに追われる日本の生活が始まります。

2013年10月13日日曜日

朝いつものように6時に起きて、シャワーを浴びて、ひげを剃って、朝食を食べてからRegency Parkに散歩に行きました。これが最後の散歩だと思うと何となく名残惜しくなりました。植物や動物や行き交う人たちに、心の中で別れの挨拶をしてきました。わずか2週間でしたが、秋の季節が進んで少し肌寒いくらいでした。昼頃マージーさんがモーテルに来て残り物で昼食を作ってくれて一緒に食べ、その後で台所と冷蔵庫の中を全部片付けてくれました。今夜の分として、ビール1本とペプシコーラ1本だけが残してありました。そういう心遣いをしてくれるところは日本人の女性と同じです。

午後から一緒にビル君のアパートに行き、こちらに来てから初めて4階の彼の部屋に入りました。彼も片付けが苦手な性格で、時々一番上の姉さんが来て見るに見かねて片付けてくれるようですから、私に見られるのは気がひけた筈です。昨年来た時とほとんど変わらず、衣類が椅子の上に積み重なっていたり、本や資料が引き出しタンスの上にごちゃごちゃに放置されていました。ビル君のことをよく知っている妻に見せるからと言って写真を何枚か撮ったら、来年来る時までにはきちんと片付けておくからと口約束をしていました。

3人でキャリー市のショッピングセンター内にある映画館に行き、ジョアンさん・フランク君夫妻が到着するのを待ちました。ここの映画館も1つの建物の中に20の映画館があって、20の映画を同時に上映していました。入場料はSenior(高齢者割引)料金で$12.50(約1,250円)でした。私たちはGravity(日本語の題名はわかりませんが)という宇宙を舞台にしたサイエンスフィクションの映画を観ました。ほとんど主演女優と主演男優の二人だけが登場する映画でした。初めて3Dのメガネをかけて観ましたが、確かに立体感というか臨場感が大きく、ストーリーもアメリカ人好みにできていたので、いい映画だったというのが全員の一致した意見でした。 それからRed Lobsterというレストランに行き、ロビンさん(母)・ジーナさん(娘)も加わって、7人で私との別れの食事をしました。

明日の朝は確か10時頃出発の飛行機の筈(今から正確な時間を調べます)ですから、マージーさんが7時頃モーテルに来てくれるそうです。朝食を食べて、レンタカーにガソリンを満タンにして空港に向かいます。 ネットで見ると日本は台風が16日頃に東日本に接近する予定とのことですが、私の成田空港到着は15日ですから、影響がないことを祈っています。明日の朝は荷物をスーツケースに詰めなければなりませんので、アメリカでブログの更新ができるのは多分これが最後だと思います。あっという間の2週間でしたが、気分一新で帰国しますので、こちらに来た目的は果たせました。

2013年10月12日土曜日

私がアメリカ南部の人がよく食べるグリッツに卵を入れて食べたいと言ったものですから、マージーさんが朝モーテルに来て作ってくれました。グリッツというのはトウモロコシを石臼で挽いて粉にしたものですが、完全に粉にしたものと荒く挽いて粒々状にしたものがあるそうで、マージーさんは粒々状の方が好きだと言って粒々状のグリッツを作ってくれました。ちょっとザラザラした感じで舌触りはよくありませんが、小麦やジャガイモなどが十分収穫できない時の主食として食べてきたのだろうと思いながら味わって食べました。

朝食後私は近くのハリスティーターという食料品のスーパーマーケットに行って妻に頼まれたものを買いました。その後、ノースカロライナ州立大学時代の恩師だった故ダウターマン教授のお墓参りに行くのに持っていくためにお花(こちらでは造花を使います)を売っているところをあちこち探したのですが、とうとう見つからなかったのでお花なしで墓地に行きました。奥様と次男のジョン君(医師)はオレゴン州に住んでいるし、長男のウォルターJr君(弁護士)はカリフォルニア州に住んでいて、そう簡単にはお墓参りにはこれない筈なので昨年私が取り替えたお花が色褪せているだろうと思っていました。ところが予想に反して、先生のお墓にも、ご両親のお墓にも、新しい青色のお花が挿してありました。おかしいな誰が来たのだろうと思って、先生の弟さん(カナダの大学で英語教師をして、その後グワム島に移って英語教師をしていた)の奥様(先に亡くなった)のお墓に行ってみたら、ヘッドストーン(墓標)から弟さん自身が今年2013年に78才で亡くなっていたことがわかりました。今年の何月かはわかりませんが、その葬儀の時に新しいお花に取り替えたのでしょう。先生のお墓に手を合わせて、44年前に英語もろくにできないままで留学してきた私を指導して下さった先生のお陰で今日の私があることを感謝しました。

自由な日は今日だけしか残っていないので、あちこち(昔住んでいたところなど)行ってみたいところを一人で車で回って、午後3時頃からマージーさんの家に行きました。裏の池(周囲の人たちの共有)でルアー(疑似餌)をしばらく投げてみたら、1ポンド(450g)くらいの小形のラージマウスバスがかかりましたが、今日使ったのは小さなルアーで針も小さかったので釣り上げる前に逃げられてしまいました。 それからしばらく振りに家の中に入ってみましたが、以前にも増して物が増えて歩くところもないぐらい散らかっていました。家の中には犬が3匹、裏庭には猫が1匹、鳥小屋には鶏が2羽いました。以前元夫のアル君(彼も空手の弟子/友人)と結婚していた時はきちんと整頓されていたのですが、マージーさんの性格なのでしょう。マージーさんはご両親もすでに亡くなっているし、誰かがアドバイスをしてあげればいいのですが、人一倍気が強いし、人の言うことをきかないし、感情を害したくないと思って誰も助言をする人がいないのでしょう。本当はこれからの人生を共にやり直せるいい伴侶が見つかれば一番いいのでしょうが・・。優秀でいいところがたくさんある素敵な女性なのですが。

私のモーテルの冷蔵庫にはほんの僅かしか食材が残っていないので、一緒に外食することにして、私の希望でKFC(ケンタッキーフライドチキン)に行って、チキン3個に野菜2種(コールスローとグリーンビーン)が付いたディナーを注文しました。アメリカ人はフライはカロリーが高いといって避けたがりますが、私はカリカリしたフライの衣も全部美味しく食べました。マージーさんは残った骨を犬のご馳走だと言って持って帰りました。