2014年3月31日月曜日

いろいろなところにメールを送ってから、銀行に行ってお金を降ろしたり振り込んだりしてきました。7月11日(金)には長崎県で予定されている農薬シンポジウムで基調講演をする予定ですが、翌日12日(土)は夕方の帰りの飛行機まで時間があるのでどこか見学したいところがありますかという問い合わせが来ていましたので、松くい虫問題に取り組んでいるので海岸の松林か、諫早(いさはや)湾の干拓農地と開閉が問題になっている水門をみたいという返信をしました。

午後の歯医者のアポイントメントの前に、久し振りに大学から江戸川堤防にジョギングに出かけました。大学構内も途中の道も堤防も、急に春がきたかのように花が満開でした。毎年見ている景色ですが、色とりどりの植物に毎年見とれてしまいます。ジョギングは運動不足で太り過ぎてすぐ息が切れて、すぐ歩いてしまいました。4月5日(土)には恒例の千葉大学走友会の練習会が江戸川堤防でありますが、この分では全く皆についていけそうもなく大ピンチです。

夜の10時頃(向こうでは31日の朝の9時頃)にノースカロライナ州のBill君に電話をして、Happy Birthdayと言いました。67才になったそうです。私は6月に72才になるので、5才違いでいつまでも差が縮まらないなと冗談を言ったら、徐々に追いつきつつあると答えていました。ひとしきりお互いの近況報告をした後で、今年もアメリカに来るかと訊かれましたので、飛行機の切符を買うお金の余裕ができるかどうかわからないので、行きたいけどまだわからないと答えておきました。私から電話があったことを他の仲間たちにも伝えてくれる筈です。










2014年3月30日日曜日

3月16日(日)に平砂浦で調査したマツ苗の枯死状況のデータの最後の解析(樹種別枯死率の比較)が終わり、共同研究者に送信しました。

ノースカロライナ州のMargieさんから、友人たちが病気だとの連絡が届きました。JoAnnさんはいつもの躁うつ病が発症したのかその他の問題が起きたのかはわかりませんが、入院しているとのこと。それを見舞いに行った夫のFrank君はMRSA(メチシリン耐性黄色ブドウ球菌)に感染してきたらしとのこと。Bill君は1ケ月ほど呼吸が苦しいので入院して検査をしているとのこと。心臓ペースメーカーも埋め込んであるし、スティントと呼ばれる管も血管が狭くなったところに埋めこんでありますので心配です。先ほど退院して自宅に帰ってきたというメールが届きましたので、ちょうど明日3月31日が彼の誕生日ですので電話をしようと思っています。アメリカの友人たちも私より5才~10才若いだけですので、いろいろ具合の悪いところがでてくる年齢です。

2014年3月29日土曜日

昨日のニュースは新聞もテレビも袴田事件の犯人とされ死刑が確定して48年間服役していた袴田 巌(はかまだいわお)氏が、静岡地裁での再審を認める決定によって釈放されたことを大きく報道しました。1966年に静岡県清水市で起きた一家殺人事件の犯人と認定した血染めの着衣の血液が最新のDNA鑑定技術で、袴田氏のものと異なることが証明されたとのこと。捜査機関(警察)が袴田氏を犯人に仕立て上げるために証拠を捏造した疑いがあるとのこと。そんなことが日本で起こり得るとは、信じられない思いです。当時30才だった袴田氏はすでに78才になり、人生の大半を無実の罪で獄中で過ごしたことになります。何と残酷で、無念なことでしょう。時間は取り戻せないので、もう取り返しはつきませんが、二度とこんなことがないように関係者は慎重な上にも慎重に犯罪捜査にあたっていただきたいと思います。それにしても、身内が凶悪犯罪の犯人とされて社会から冷たい目で見られながらも弟の無罪を信じて再審請求活動をしてきた姉の袴田ひで子氏(81才)の信念には頭が下がります。また、最初の裁判に関わった3人の裁判官の中の一人は、有罪判決に疑念を抱きつつも2人の先輩裁判官の多数意見に従わざるを得なかったことを後悔し、その後の再審請求活動を支援してきたと報道されていました。当時の司法制度の慣習の中で、若手の裁判官が年長の先輩裁判官と異なる意見を主張するのは難しいという状況があったのかもしれません。この方がその後反省して再審請求活動を支援してくれたことは、良心の存在を信じさせてくれる一つの救いです。
袴田氏は死刑と隣り合わせの長い獄中生活の影響で精神的にも大きな影響を受けているらしいとのことですが、親代わりの役を果たしてきたお姉さんの愛情に支えられて自分自身を取戻し、残りの人生を精一杯生きていただきたいと思います。

市橋君の事件は性質が異なりますが、服役中もできる範囲で生きがいを見つけて、許される範囲で前向きに生きてほしいと祈っています。30年後にもし仮釈放が認められることがあるとしたら、私はもうこの世にはいない筈ですが、それから後の人生をしっかり生きてほしいと願っています。

2014年3月28日金曜日

朝8時に松戸駅西口前でO氏を車に乗せ、館山の千葉県暖地園芸研究所に向かいました。途中若干の渋滞に巻き込まれ、目的地に着いたのは11時をちょっと過ぎていました。果樹・環境研究室長と野菜・花卉研究室長に会い、O氏の希望を伝え、協力をしてもらえることになりました。

その後平砂浦に移動し、館山ファミリーパークで昼食を食べた後、昨年植樹したマツ苗の92%が枯れた区画と30%しか枯れなかった区画で、砂の中の細根にマツノザイセンチュウが存在するかどうかを確認する調査とサンプル採取を行いました。健全苗にはすでに白根(吸水根)が発生していました。


2014年3月27日木曜日

朝7時半にK博士から電話があり、あいにく雨模様だけど薬剤散布試験を延期すべきかどうか相談しましたが、運を天にまかせて実施することにしました。9時に集合して小型の噴霧器に水と試験薬剤を入れてよく撹拌して散布をしました。共同研究者のT博士もノズルを持って散布しましたが、初めての経験だとのことで、今後樹木医の資格をとりたい学生の実習をさせる時の参考になるとおっしゃっていました。散布作業中は幸い雨は降りませんでした。

2014年3月26日水曜日

3月16日(日)に平砂浦に調査に行ってきた時のデータをいろいろな角度から解析していますが、今日一つの計算が終わったので共同研究者にメールに添付して送りました。
少し時間ができたので銀行に行って、共同研究者に立て替えて支払ってもらった出張旅費や調査用具購入費を私の研究費から振り込んできました。

2014年3月25日火曜日

朝9時に待ち合わせの場所に行ったら、書籍の引っ越し手伝いのアルバイトを頼んでおいた2人の学生(3年生)が来ていました。仕事の内容を説明し、午前中で終わっても午後までかかっても、とにかく古い貸倉庫に入っているものを全て新しい貸倉庫に移し終わるまでという条件でアルバイト料として各1万円ずつ手渡しました。三段重ねのキャビネットが2台と二段重ねのキャビネットが1台ありましたが、先ずキャビネットから本を取り出して段ボール箱に入れ、空になったキャビネットを新しい倉庫に移し、それから段ボールを運んで本を入れるという単純な力仕事の繰り返しです。昼には近くの回転寿司に行って昼食をご馳走し、夕方作業が終わってからは近くのファミリーレストラン(デニーズ)に行って夕飯をご馳走しました。お蔭で古い方の貸倉庫を空にできました。後は私一人で時間のある時に新しい貸倉庫のキャビネットに押し込んだ本を整理するだけですが、もう私が使う可能性がない本は思い切って廃棄しようと思っています。

2014年3月24日月曜日

地下鉄日比谷線神谷町で降りて、桜田通り、外苑裏通りをとおってアメリカ大使館前の麻布台ビルは、アフガニスン大使館のすぐ横の建物でした。ラジオ日本のスタジオに入って、鶴蒔靖夫(つるまきやすお)氏の質問に私が答える形で収録が行われました。予定通り25分くらいで終わり、ガラスの壁で仕切られた隣の部屋で編集し、ラジオ番組として放送されるのは予定が変更になり4月11日(金)午前11時30分~50分だそうです。
ラジオ局というのは東京に9局あり、神奈川県など近県も含めると数十局になるそうです。そんなに多いとは知りませんでした。過当競争でスポンサーのコマーシャルをとるのが大変ではないですかと訊いてみたら、電通とか博報堂とかいう大手の広告代理店が一括してある時間帯をとって、それらの広告代理店が営業活動をしてスポンサーを見つけてコマーシャルをとってくるという仕組みになっているようです。ラジオ局やテレビ局の中では営業部というのは小さな組織で、企画編成部>制作部>営業部という力関係だそうです。
麻布には大使館がたくさんあるせいか、警察官があちこちの街角に立って警備をしていました。不思議な形をした巨大な建築物があったので近寄ってみたら、霊友会釈迦堂と書いてありました。釈迦堂というからには仏教の一派でしょうか。高層ビルに囲まれた一乗寺というお寺もあり、白壁の外に植栽されているボケのような木が清楚な白い花を咲かせていました。

一度松戸に帰って軽く昼食を食べた後、今度は新橋に出かけ、有機JAS資材評価協議会の事務所に行きました。説明を聞いて、資料を見せていただいて、状況が把握できましたので忌憚(きたん)のない私の意見を伝えてきました。
新橋駅前には巨大なビルが建っていて、何階建てかざっと数えてみましたが数えきれませんでした。駅前の広場に昔の蒸気機関車が展示してあった筈だがと思って探してみたら、SL広場というところにありましたが、今日だけのイベントなのかテント村ができて古本屋が並んでビジネスをしていました。こんなにコンクリートの高層ビルだらけで、大勢の人混みが溢れているということは、地方都市の駅前の静まり返ったシャッター街に比べると活気があるということかもしれませんが、私は住みたくないなあと感じました。

今日は千葉大学は卒業式があったらしく、袴をはいた女子学生と出会いました。元教師の習性で、「卒業おめでとう、これから社会でがんばれよ」と心の中で声をかけていました。本当は卒業式には名誉教授として招待されたのですが、東京での上記の用事が先に決まっていたので出席できませんでした。







2014年3月23日日曜日

今日も今月末で閉鎖される貸倉庫に行って、捨てる本を選別してひもで縛る作業をし、残す本を段ボール箱に入れて新しい貸倉庫に運びました。これで一つの本棚は空になったので、明後日手伝ってくれることになっている2人の学生アルバイトと一緒に運び出せます。

明日の午前は東京神谷町のラジオ日本のスタジオに行って、「こんにちは!鶴蒔靖夫です」という番組の収録をします。放送は4月7日(月)の午前11時30分~50分の予定のようです。農薬の安全性について話をします。
午後は別の予定が入っていて、東京新橋の一般社団法人有機JAS資材評価協議会を訪問して、問題になっているある資材について提出された資料に目を通して私の意見を述べることになっています。私の見解の自由を確保するために、無償という条件で上記協議会の顧問に就任することに同意しました。

2014年3月22日土曜日

6年前に千葉大学を定年退職した時に、研究室にあった大量の書籍を自宅は狭くて置けないので近くの貸倉庫を借りて移動しました。まだもう少し研究を続けるつもりでしたので、処分する気になりませんでした。その貸倉庫が今月末で閉鎖されることになり、代わりの貸倉庫に引っ越さなければなりません。本格的には来週火曜日に学生アルバイト二人に手伝ってもらって引っ越す予定ですが、その前に今日クロネコヤマトに行って段ボール箱を10個ぐらい購入してきて試しに一部の本を詰めて運んでみました。中身の本を先に運んで本棚を空にしてから本棚を運ぶという段取りですが、段ボール箱が足らないということと、スチール製の3段の本棚が地震で倒れないようにつなぎ目を固定してあるネジを外すのにドリルが必要ということがわかりました。ホームセンターに行って乾電池で動く簡単なドリルを買ってきました。それと、古い本でもうとっておく必要はないと思われるものもたくさんありましたので、明日選別してひもで縛って廃棄することにしました。地方の新設の図書館などで蔵書を増やしたいところがあれば寄付をすればいいのでしょうが、古い専門書がほとんどですので、わたしにとっては昔勉強した愛着のある本ですが捨てる以外に方法はないのではと思います。

2014年3月21日金曜日

2013年に平砂浦で植樹されたマツ苗が大量枯死した原因解明の一環として、植樹された区画内(4m×8m)におけるマツ苗(16本)の植栽位置と枯死率の関係について解析した結果がやっと終わりましたので、共同研究者に送信しました。結論としては、植栽位置と枯死率は関係がない(つまり一緒に植栽された広葉樹の苗との間のアレロパシー現象とか、竹垣で囲まれた区画内の風向とか日照とかは関係がない)という考察になりました。

一段落ですので、昼休みに江戸川堤防に出かけ、水元公園を約2時間歩いたり走ったりして運動をしてきました。春分の日で祭日でしたので、冷たい強風が吹いていましたが多くの人が散歩にきていました。堤防から見上げた空は、竜巻でも起こりそうな黒い雲と青空が混在していました。

2014年3月20日木曜日

朝9時半に千葉大学園芸学部に4人で集まって共同研究を実施する予定だったのですが、あいにく雨天になってしまいましたので延期することにしました。せっかくK博士が遠くから来られたので、元同じ研究所の同僚だったI博士に電話をして私も含めて3人で昼食を食べることにしました。I博士にお会いするのは私も久し振りでしたので、何年か前に一緒に長野県駒ケ根市に行って、ヘリコプターで散布された薬剤の飛散調査をしたことなど、楽しい会話が弾みました。
夕方は歯医者に行って昨夜ポロッととれた歯の応急治療をしてもらいました。

16日(日)に平砂浦で調査してきた結果をいろいろな角度で解析しています。こうやって打ち込んでいると、まるで学生時代に戻ったみたいに楽しい限りです。
吉田修一という作家が市橋達也事件を念頭に置いた「怒り」(中央公論新社)という小説を書いたようですが、今は研究に追われていて買って読んでみようという気持になりません。
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140223-00000007-pseven-life
これは著者本人が書いた概要のようですが、現在45才の著者にとっては市橋君の事件は、何故あんな馬鹿なことをしたのかという疑問や、彼自身の逃亡生活中の心象や、社会の過剰な反応など、著者に大きな影響を与え、小説を書く動機になったのでしょうか。

2014年3月19日水曜日

京都での学会から15日(土)の夜に帰ってきてもずっと忙しくて、息をつく暇がありませんでした。今日やっと16日(日)に平砂浦で調査してきたマツ苗の枯死状況の結果の整理ができて共同研究者に送りましたので、昼休みに江戸川堤防に出かけてちょうど2時間ぐらい歩いて運動してきました。あちこちに春の兆しが一杯でした。










2014年3月12日水曜日

東京駅から新幹線のぞみに乗って名古屋駅で降りました。駅前のモダンなデザインの高層ビルを眺めて地下鉄東山線で伏見まで行き、鶴舞線に乗り換えて八事(やごと)で降りました。墓地は歩いて10分くらいのところにあるのですが、よくよく考えてみれば、名古屋から京都までの時間と、京都駅から京都大学農学部までのバスの時間と、大学の門から評議員会がある建物までの時間を足すと、お墓参りをすると間に合わなくなるということに気がつきました。せっかく近くまで来たのに寄らずに行くのはご先祖様に申し訳ないと思いつつも、名古屋駅に引き返すことにしました。
評議員会の会場に着いたらちょうど始まったところでした。学会の評議員会は儀式みたいなものですが、今期の執行部の活動報告を承認しないと明日の総会にかけられないので、必要な手続きです。ほとんど質問もなく、誰も異議を唱える人もいませんので(執行部が学会を運営してくれていることに皆感謝しているので)、評議員会はしゃんしゃんと終わって、その後編集委員会と評議員会の合同の懇親会がありました。懇親会のいいところは、普段なかなか会えない人達と会えて話ができることです。今日も久し振りに言葉を交わす人もいて、有用な情報入手ができました。

2014年3月11日火曜日

新潟県十日町市にある当間(あてま)高原リゾートから4名の方が訪ねて来られ、喫茶店で1時間半くらい情報交換しました。あてま高原リゾートは、主にホテルとゴルフ場とポポラと呼ばれる森と水辺の教室で構成されているようですが、広大なリゾートの周りと中を川が流れているらしく、ブユ(吸血性の微小昆虫)が発生して吸血されたお客さんがアレルギー反応で大変な目に遭うことがあるので、どうしたらブユ(地方によってはブヨ、ブトとも呼ばれる)を防除できるかの相談でした。いくつかのアイデアを提案しましたが、一度現場を見ないとどうすれば一番いいかは判断できませんので、4月下旬頃見学させていただくことにしました。今は雪が積もっていて、雪しか見えないとのことでした。
私にとっては新しい研究テーマで、挑戦するのが楽しみです。

2014年3月10日月曜日

先月は長期入院している親友で元同僚教授のN君を一度も見舞いに行けなかったので、今日時間を見つけて行ってきました。昨日の植樹祭で撮った写真をプリントして持参し、見せながら話をしました。植樹祭のことや、走るつもりで参加申し込みをしていたいちごジョギング10Kmを走れる体調でないのでキャンセルしたことや、明日は東日本大震災から3年目になることや、今日は外は真冬並みの低温で寒いことや、3月30日に予定されているバイオリンをやっている息子さんのリサイタルのことなど、30分ぐらい一方的に話しかけました。時々目を潤ませて泣き顔になったり、言葉にはなりませんが「うー」とか「あー」とかうめき声に近い声を出して何かを表現してくれます。
彼が入院しているリハビリセンターのすぐ近くには、手賀沼につながる川に沿って歩行者専用の遊歩道があるので、本当は車椅子を押して散歩をさせて、外の空気を吸わせて景色を見させてあげたいのですが、病院に敷地外に出ることは禁止されているのでできないのが残念です。

2014年3月9日日曜日

朝10時に家を出たら九十九里の蓮沼ガーデンハウス・マリーノの駐車場に12時過ぎに着きました。いちごジョギングはすでに終わって、地元中学の女子吹奏楽部員による演奏をやっていました。山武市のゆるキャラのSUN(サン)ムシくんと千葉県のマスコットキャラクターのチーバくんも登場して、子供たちに愛嬌を振りまいていました。
千葉県北部林業事務所の指導で行われた植樹は予定よりも早く12時半から始まりました。南部林業事務所が指導した平砂浦での植樹では、枯損木は全て撤去し、抜根もして、平らな砂地にしてから丁寧にマツと広葉樹の苗を植栽しましたが、蓮沼では枯れたマツの木の根株はそのまま、砂地を覆っている草本の雑草もそのままで、シャベルで穴を掘りながらマツの苗だけを植えました。一昨年植えたところを見に行ったら、ほんの数本は枯れたマツの苗もありましたが、ほとんどは元気に生育していました。
どちらも松くい虫に抵抗性のマツを植えた筈ですが、植栽の仕方の違いが環境ストレス(特に夏期の砂の高温)に対する感受性に関わっているかどうか興味深い研究テーマです。

途中、芝山はにわ道を通ったら、大学時代の友人で芸術家の小杉荘八君が創った埴輪(はにわ)が何体か設置してありました。











2014年3月8日土曜日

今日も家から一歩も出ずに本の原稿執筆に集中し、ついに出来上がりました。今から編集者のM先生にメールに添付して送ります。これで肩の荷が一つ下りました。

今から睡眠薬代わりに一人で焼酎を少し飲んで寝て、明日は九十九里の蓮沼海浜公園で午後1時半から開催される植樹祭に行きます。車で片道2時間くらいの筈です。本当は午前中のいちごジョギング10Km一般にも参加申し込みがしてあったのですが、このところ毎日家にこもってばかりで体重がちっとも減らず走れる状態ではないのでキャンセルしました。走ろうと思って申し込みをしてキャンセルしたのはこれで連続3回目ですから、情けない限りです。

2014年3月7日金曜日

3月24日に予定されているラジオ番組の収録(実際の放送は4月頃)の事前打ち合わせで、ラジオ番組制作会社の人が松戸に来られ、喫茶店で1時間くらい情報交換をしました。今までテレビについては何回か取材を受けたりスタジオで出演したことがあるのでどうやって番組ができるか大体理解していましたが、ラジオ番組については考えたこともありませんでした。この会社はラジオ日本の2つの番組を担当しているようで、私はその中の1つで月曜~金曜に毎日20分間放送されている番組で、最近起こったアクリフーズの冷凍コロッケの殺虫剤混入事件を切り口に農薬の安全性について解説するという企画です。今日の情報交換に基づいて進行計画(シナリオ)を作成し、それに沿って質問・回答をするという流れになるようです。

2014年3月6日木曜日

机に向かいっ放しの一日で時間が惜しい気がしましたが、自分に言い聞かせて昼休みは外に出て約1時間歩いたり走ったりして運動をしてきました。冷たい強風が吹いていましたので、江戸川堤防には上らずに、坂川に沿って住宅に挟まれた小道を矢切方向に向かい、ネギ畑を眺めて帰ってきました。

柏で起きた連続通り魔事件の容疑者(24才)の身柄が確保され、何故こんな信じられないような事件を起こしたのか断片的な情報が報道されています。”お金がほしかった”に加えて、今日は”社会に報復したかった”と言ったと伝えられました。メディアはこれから徹底的に追及していくのでしょうが、一瞬市橋君のことを思い出しました。何が本当の動機だったのか私にはわかりませんが、今回の容疑者は全く理性を失った馬鹿げた行為によって、人の命を奪い、自分の一生を駄目にし、親兄弟にも大変な迷惑をかけてしまいました。以前も同じような事件がありましたし、つい最近も車で歩道を突っ走るという事件もありました。都会に住んで周りには大勢の人間がいるにもかかわらず、実際には社会から孤立して話し相手のいない寂しい生き方をしている人たちがたくさんいるのでしょう。

2014年3月5日水曜日

2月20日に長野県上田市で開催が予定されていた「木と緑のフォーラムin上小」では、私も記念講演をすることになっていて、講演で使用予定のスライドもすでに送ってありましたが、大雪(長野県では122年振りだったそうです)で中止なりました。道路上の積雪が1m以上あって、4輪駆動車でも走れなかったとのこと。その説明と謝りに来られるとのことでしたので、事情はよく理解できるのでその必要はありませんと申し上げたのですが、主催者の長野県上小地方事務所の関係者3人がわざわざ来られて、一緒に昼食を食べながら情報交換をしました。
今日も上田市辺りは雪だったらしく、千葉県は気温も暖かく畑の緑も濃く、上田とはずい分違うという印象を受けたようでした。

2014年3月4日火曜日

東京農業大学総合研究所研究会農薬部会セミナーが開催され、2つの講演がありました。東京大学生命化学研究科教授の浅見忠男先生は「研究の源流へ~新しい植物ホルモンを求めて~」と題して、理化学研究所時代から一貫して取り組まれている植物ホルモンとその阻害剤に関する研究成果を紹介されました。本来は15回分くらいの講義内容を1時間半に濃縮して話されたので理解をしながらついていくのは大変でしたが、植物ホルモンの不思議な働きとそれを人為的にコントロールすることで将来いろいろな可能性が開けてくる分野だということだけはよくわかりました。
もう1つの講演は環境省の農薬環境管理室長の更田(ふけた)真一郎氏の「農薬の大気経由による影響評価に関する検討状況について」で、農薬の大気経由ばく露評価に関する多くの取り組みについて解説されました。特に気中濃度評価値の設定は、水田だけでなく松くい虫防除のヘリコプターによる薬剤散布にも直接関わりますので、大変有用な情報が提供されていました。




2014年3月3日月曜日

本の原稿は今日は終わりませんでしたが、思い切って机を離れて外に出ました。道場でバーベルを持ち上げたり腹筋運動をしたり素振り刀を振ったりしてから、江戸川堤防と水元公園内を合計1時間半ぐらい歩いたり走ったりしてきました。久し振りに青い空に白い雲が浮かんでいるのを見て、気分爽快でした。椎(しい)の木の下には椎の実がたくさん落ちていました。私の子供の頃はよく拾って歯で割って皮をむいて小さな実を食べましたが、この頃は誰もそんなことをする人はいないようです。アメリカでは都会でも木のあるところには至る所にリスがいて木の実を集めてかじっているのをよく見ましたが、日本ではそういえばこんなに大きな木がいっぱいある水元公園ですらリスがいないのはちょっと不思議だなと思いました。

園芸学部構内には斑(ふ)入りの花が咲く椿の木がありますので、いつも同じ木に違う模様の斑入りの花が咲くのが珍しい気がして眺めます。誰かが白い花と赤い花を交雑して作出したのかもしれません。



 

2014年3月2日日曜日

今日も一日中家から一歩も出ずに、改訂版の本の原稿に取り組みました。腹をくくって取り組み始めればどんどんペンが走って(実際はパソコンですが)、大体半分ぐらいはできました。明日もう一日がんばれば、何とか下書きは出来上がるかもしれません。
お蔭で運動は全くできないので、体長は最悪です。

2014年3月1日土曜日

今日も一日中家にこもって集中して農薬学会大会での発表の準備をしたおかげで、残りの分のスライド作成と講演テキストが一応出来上がり、共著者に加筆訂正してもらうために宅ファイル便で発送しました。これで明日からは本の改訂版の原稿執筆に取り掛かれます。

先月は妻の誕生日でしたが、アメリカ在住の娘の家族からHappy Birthday のカードが今日届きました。妻が嬉しそうに大声で笑っているので何かと思って覗いてみたら、8才の孫娘がつたない日本語で「ババへ としとったらわたしはめんどうをみます。」と書いてありました。我が家では娘の家族は私のことはグランドパ(Grand Pa)と呼んで、妻のことはババと呼びます。
3人の孫たちはいつも夏休みは日本に来て、1ケ月ちょっと我が家に同居して日本の学校に行って、妻に世話をしてもらっているので、そのお返しのつもりでしょうか。「齢をとって動けなくなったら、自分でちゃんとお金を貯めておいたら老人ホームに入れてあげるから」と冷たく言われるよりは、ずっと家族の温かみが感じられる孫娘からのお祝いの言葉でした。