2013年12月31日火曜日

気温は低くても、青空で無風の好天気でしたので、昼休みに江戸川堤防を約10Km 歩いてきました。鳩が案内板の上で羽を休めていました。



帰りに駅前のイトーヨーカドーに寄って、マルハの冷凍コーンクリームコロッケが置いてないか冷凍食品のショーケースの中を探してみましたが、全て回収されて残っていませんでした。他社の似たような牛肉コロッケその他を見たら、6ケ入りで144g~168gでしたから、1個当り24g~28gで、値段は1袋300円ちょっとでした。

問題の冷凍食品を製造したアクリフーズ社の親会社マルハニチロホールディングスの社長が記者会見して謝罪する様子がテレビで報道されました。当初、検出されたマラチオンの濃度15,000ppmをLD50値(半数致死薬量)2,800mg/kg (The Agrochemicals Handbook)と比較して、体重20kg の子供が一度に60個のコロッケを食べなければ毒性は発症しないと説明していたのを、厚生労働省の指摘を受けて、ARfD(Acute Reference Dose 急性参照用量)2mg/kg体重/日と比較して、15,000ppmというのは体重20kg の子供がこのコーンクリームコロッケを約8分の1 食べると中毒症状(吐気や腹痛など)を起こす可能性があると訂正しました。
15,000ppmというのは、コロッケ1gにマラチオンが15mg含まれる異常な高濃度です。計算の仕方については、佐賀県の健康福祉本部生活衛生課食品衛生担当のサイトにわかり易く解説されています。
http://www.pref.saga.lg.jp/web/kurashi/_1019/ki-syoku/_70196/_77025.html

子会社にとっても親会社にとっても苦渋の判断だったのでしょうが、経営トップが対応を誤ったために、約640万袋を回収することの莫大な経済的な損害(1袋300円とすると19億2千万円相当+回収コスト)だけでなく、会社の信頼と冷凍食品の安全性に対する信頼を失ったことによるダメージは測りしれないのではと想像します。検出された濃度をLD50値と比較して安全性を説明するような非科学的な助言を誰が経営トップにしたのか、信じられない思いです。
会社と、そこで働いて家族との生計を立てている大勢の社員に明日から新年を迎えるどころではない、大変な経済的被害と精神的苦痛を与えるこのような食品テロは、卑劣極まる凶悪犯罪です。

マラチオン自体は、害虫によっては抵抗性を発達させて効力が低下している種類もありますが、低毒性・易分解性で作物保護、貯蔵害虫防除、衛生害虫防除に大きな貢献をしている殺虫剤ですので、こういう事件によって風評被害の影響を受けないことを期待します。

今日は大晦日、加齢とともに時間の流れが速く感じます。この1年間の各地での講演・講義、委員会活動、約2週間のアメリカ訪問、約1週間の中国訪問、松くい虫防除で散布された薬剤の飛散に関する調査研究、等々・・。終わってみれば今年も充実していたと思います。妻ともども元気で、子供たちも孫たちも元気に過ごすことができたことは何よりも幸せです。目標を達成できなくて残念なことは、十分なジョギングができなくて、まだフルマラソンを走れるだけの体力回復ができていないことです。

市橋達也君はどこかで元気に服役していると信じています。千葉拘置所にいた時は、お正月には受刑者にも特別なご馳走がでたと言っていましたので、多分明日は時間が1年経ったことを感じるのではないでしょうか。彼の精神と肉体が元気であり続けることを祈りたいと思います。

2013年12月30日月曜日

冷凍食品から有機リン殺虫剤マラチオンが検出された事件については、その後クリームコロッケから検出された最高濃度は15,000ppmだったという情報が報道されましたので、誰かがこの殺虫剤の製剤(有効成分50%の乳剤など)の原液を意図的に混入した可能性がきわめて高いと思われます。私はクリームコロッケの製造工程については全く無知ですが、中身をパン粉で包んで油で揚げると仮定すると、混入するタイミングはクリームとジャガイモ等を混ぜて中身を作る時か、パン粉で包む時か、油で揚げた後で包装袋に入れて密封する前かに絞られるでしょうから、いずれ犯人は特定されるような気がします。できた商品の流通過程のどこかでという可能性もありますが、袋に穴や傷はなかったという報道が正確だとすると、その可能性は小さいかもしれません。

長年残留農薬分析の経験をお持ちの斎藤 勲博士(現在東海コープ事業連合顧問)も、検出された濃度の高さから、餃子事件の時と同じように原液の意図的混入の可能性を指摘しておられます。 http://www.foocom.net/column/residue/10511/

2013年12月29日日曜日

YAHOOのネットを見ていたら群馬県にあるマルハの子会社が生産した冷凍食品の一部から農薬マラチオンが検出されたという記事が載っていました。
http://dailynews.yahoo.co.jp/fc/domestic/food_safety/?id=6102181
冷凍ピザ、フライ類、コロッケなどの計20件で異臭がするとの苦情があったとのことで、同工場の生産・出荷を停止し、すでに出回っている全ての商品を自主回収するとのこと。

マラチオンは私自身も研究対象にしたことがある低毒性の有機リン殺虫剤ですが、水の存在下で比較的容易に分解して悪臭のする分解物を生成します。昔、パキスタンでマラリヤを媒介する蚊の防除でDDTの代わりにマラチオンを散布した時に、不良品の製剤に微量含まれていたイソマラチオンという不純物がマラチオンの低毒性の機構(カルボキシルエステラーゼによる解毒)を解除して大規模な中毒事故が起こりました。
今回の事件の詳細はわかりませんが、ピザもフライもコロッケも殺虫剤を散布する対象ではありませんので、何年か前の中国から輸入した冷凍餃子のメタミドホス混入事件の場合と同じように、製造工程で誰かが意図的にマラチオンを混入させた可能性が推察されます。

会社への恨みか面白半分かはわかりませんが、社会にはそういうことをする人間がいるということは情けないことです。

2013年12月28日土曜日

千葉大学走友会の練習会は千葉市の稲毛海浜公園で行われ、花の博物館前から東京湾の浜辺に沿った遊歩道を幕張マリンスタジアムまで往復約8Kmを走りました。今年出場したレースの記録に従って、ゴール時間が一緒になるように時差スタートをします。私が一番遅いので、一番早い人より25分くらい早くスタートしました。今の体調(体重10Kgオーバー)で可能な限り一生懸命走って、ゴール500m辺りまでは1番のままで帰ってきたのですが、曲がり角を間違えて1本早く曲がってしまって時間を5分くらいロスしてしまいました。それでも8Kmを1時間2分で完走できたので、自分としては満足でした。

練習会後の忘年会を兼ねた懇親会では、気分よくビールと日本酒を自分の上限近くまで飲んだので、少し危ない足取りで電車とバスを乗り継いで松戸に帰ってきました。

妻がアメリカ在住の娘に電話をして、義理の息子が帰国して1週間経ったので、洗濯機の水が溢れて家の中が水浸しになった事故の後片付けは済んだかと訊いたら、保険会社がきて駄目になった壁紙を剥がしたらアスベスト(何年も前に建てられた建物なので)がでてきて危険だということで、自宅から避難して工事が終わるまでしばらくは家族全員ホテルに住んでいるとのことでした。ちょっとしたミスが大変な結果を招いてしまったようです。孫たちは、ホテル住まいという珍しい経験に喜んではしゃいでいるとのことでしたが・・。

2013年12月27日金曜日

11月末が締め切りで依頼されていた本(改訂版)の原稿の編集責任者から執筆者全員にメールが配信され、原稿の集まりが悪いらしく、締め切りを1月末に延長するとの連絡でした。私もまだできていなかったので、助かりました。これで、今年新潟県で実施した調査研究の報告書作成と、来年3月の学会大会で発表予定の講演要旨の作成に時間を割けます。

今日もネットで調べたトランクルーム(レンタル収納ボックス)のいくつかを車で回ってみました。
明日は千葉大学走友会の練習会が千葉市の稲毛海浜公園であります。私も参加予定ですが、このところほとんど走っていませんので、皆と競争的に走るのはとても無理です。準備運動のジョグだけで息が切れてしまいそうです。


2013年12月26日木曜日

千葉大学を定年退職した時に、自宅は狭くて研究室にあった本を置くスペースがなかったので近所のトランクルームを借りて書庫として使ってきました。最近トランクルームを管理していた会社から手紙が届いて、土地を地主に返還しなければならなくなったので3月末までに荷物を出してほしいと言われました。仕方がないので、ネットで松戸市内のトランクルームを検索して、車で5~10分で行ける範囲のところをいくつか選んで訪ねてみました。時間をみてもう少し回ってから、空きがあるかどうか問い合わせてみようと思っています。私は大学を定年退職はしましたが、まだもう少し研究者としては現役を続けたいので、本は大事な資料ですのでいつでも必要な時は利用できるところに保管しておこうと思っています。

夕方、農薬会社に勤務している私の千葉大学時代の研究室の卒業生がある相談に訪ねてきましたので、松戸駅の近くのインドレストランに行って夕食をしながら話をしました。同じ会社で松くい虫防除の樹幹注入剤を担当している同僚の方も同席されたので、新潟県胎内市や新発田(しばた)市での調査の話題で話が弾みました。

2013年12月25日水曜日

午前中はデータの解析をし、午後は千葉大学園芸学部構内を通って江戸川堤防に行き、約2時間ウォーキングとジョギングをしてきました。園芸学部は戸定ケ丘と呼ばれる小高い丘の上にありますが、斜面林など人口約50万人の都市の中では比較的自然が残っています。斜面林の少しくぼんだ地形の所は周りよりも気温が高いのか、いろはもみじの紅葉が真っ盛りでした。植物を通して四季の移り変わりが楽しめるというのは幸せです。今の時期は、晩秋と初冬が混ざって見られます。

新潟県の安全協会員からメールがあり、来年6月に予定の新潟市における農薬シンポジウムは6月18日に決まったという連絡でした。来年は一般市民対象の農薬シンポジウムはこの他にも、6月24日に山口県、7月11日に長崎県で行われる予定で、いずれも私が基調講演をすることになっています。農薬の果たしている役割と安全性について一般市民の理解を深めるための活動の一つです。

今日はクリスマスということで、もう子供たちが独立して老夫婦だけの我が家ではクリスマスツリーは飾りませんが、妻がコストコという大きな卸のショッピングセンターに行って料理済みのチキンやブドウやモンブランケーキ等を買ってきて、いつもよりはご馳走を食べさせてくれました。

     (写真はクリックすると拡大できます)


2013年12月24日火曜日

東京都江東区の南砂町というところにある(公財)日本住宅・木材技術センターで木材保存剤等性能審査委員会安全性部会と親委員会の性能審査委員会があり、私は両方に出席しました。今回は木材防蟻剤と木材防腐・防蟻剤計5剤の申請があり、先ず安全性部会の方で提出された資料に基づいて綿密なチェックを行って、申請された施工方法では安全性については問題ないという判断をしました。
その後、性能審査委員会で提出された木材防腐効果と防蟻効果の室内試験、野外試験の成績をチェックして、性能(木材保存効果)面でも合格という判断をしました。
若干不足している資料については、追加して提出するように求めるコメントを付けました。

年末でしたので、委員会終了後、委員と事務方のメンバーと一緒に近くの居酒屋に行って、費用自己負担で忘年会をやりました。


2013年12月23日月曜日

天皇陛下の80才の誕生日で祭日でした。今日は江戸川を越えて水元公園に向かってちょうど2時間ウォーキングをしてきました。場所によってはまだ紅葉が見られたり、いろいろな木のドングリがたくさん落ちています。

明日は木材保存剤の委員会があるので、江東区の南砂町というところに行きます。委員長の安部 浩先生(東京農工大学名誉教授)から電話があって、自宅の庭で土運びの作業をしていたら背中に激痛がして動けなくなったとのことで、委員会での座長代理を頼まれました。お互いに、気持は若くても体は若くないのだから(安部先生も私と同年齢)、無理をしないようにしましょうとお見舞いのメールを打っておきました。

2013年12月22日日曜日

久し振りに江戸川堤防に行って8Km 歩いたり走ったりしてきました。西南の方角に富士山が見えました。日曜だったので走っている車が少なくて排気ガスが少なかったことと、風が強かったので滞留しているスモッグが吹き飛ばされたことと、青空で湿度が低かったことなどの条件がそろったのでしょう。

昨日K博士から電話があって樹木の新しい病害虫防除方法について相談したいことがあるので今月中に会いたいということでしたので、今日午後4時半に松戸駅で待ち合わせをして、近くの居酒屋でビールを飲みながら今後の研究の進め方などについて相談をしました。

2013年12月21日土曜日

今日も一日のほとんどの時間を机に向かって、データの計算と作表、グラフ作成などに費やしました。できた表とグラフを6月に一緒に現地調査に参加してくれた共同研究者に早速送りました。計画した通りというか、予想した以上に素晴らしい結果が得られていますので、いずれ学会などで発表するのが楽しみです。

いつもの床屋に行って、散髪をしてもらってサッパリしました。

2013年12月20日金曜日

義理の息子は日本での予定が全部済んで、今日成田空港からアメリカに帰国しました。3人の孫たちが、サンタモニカの自宅でダディが帰ってくるのを待っている筈です。それと、出発直前に娘から電話があって、洗濯機を回しながら子供を車で学校に送りに行って、帰宅してみたら水が溢れて家の中じゅう水浸しになるという事故があったらしく、早速その事後処理(保険の申請手続きなど)に追われることになりそうです。
この頃は、車で空港まで送っていかなくても、松戸駅から新京成の電車に乗って新鎌ヶ谷駅で乗り換えれば、成田空港まで簡単に行かれるようになったので便利です。夕方5時頃になったら、お世話になりました、今から飛行機に乗りますと空港から電話がありました。

2013年12月19日木曜日

明治大学で開講される(一般財団法人)化学物質研究機構の寄付講座「安全文化論-食の安全・安心をもとめて-」の2014年度のスケジュールが以下のように決まったと、コーディネーターの北野 大先生から連絡が届きました。私も第3回と4回を担当する予定です。最終回後には講師と受講生との懇親会も計画されていて、公開講座ですので学生だけでなくいろいろな社会人とお会いできるのは楽しみです。

講義日程: 隔週、土曜日の13時から16時10分まで、2回分づつ実施(途中10分休憩)
講義場所: 明治大学駿河台キャンパス
開講の目的
20世紀、私たちは安全を求めてきました。21世紀は安全と安心の世紀にすることが大切です。この講座では、まず我が国及び世界の国の安全文化の差について学んだあと、食の安全として農薬、食品添加物、放射性物質さらには遺伝子組み換え作物の安全性について、どのように安全性を評価し、安全性を確保しようとしているのか科学的側面、法律的側面から学びます。また食の摂取時間と栄養価,食品に含まれる天然有機化合物の機能についても学びます。これらの講義のあと安全と安心の架け橋であるリスクコミュニケーションについて、ロールプレイングを交えながら学ぶことにします。
講義日程、講義題名、担当者、所属
第1、2回 (4月26日)我が国の安全文化 向殿政男(明治大学名誉教授)
第3、4回 (5月17日) 農薬の安全確保対策 本山 直樹(千葉大学名誉教授)
第5、6回 (5月31日) 食・栄養と体内時計の相互作用 柴田重信(早稲田大学、先進理工学 電気・情報生命工学科教授
第7,8回 (6月14日)食品添加物の安全確保対策 堀江正一(大妻女子大学教授)
第9,10回 (6月28日) 放射線安全の考え方 神田玲子(放射線医学総合研究所)
第11,12回 (7月12日) 遺伝子組み換え作物の安全性 田部井豊(農業生物資源
研究所
第13,14回 (7月26日) 食品に含まれる天然有機化合物の機能解析 清水 功雄 (早稲田大学 先進理工学部 応用化学科教授) 
第15,16回 (8月2日) 食品のリスクコミュニケーション 北野 大(明治大学・淑徳大学)
 
義理の息子は今日も東京に出かけてテレビ局の人たちと会って、夜8時過ぎに帰宅しましたが、来年ブラジルで開催されるワールドカップサッカーの映像を人工衛星を使って日本に送る仕事の受注を確保できたようです。常に前向きの姿勢で、(義理の)親バカかもしれませんが、たいしたものです。

2013年12月18日水曜日

一日中机に向かって計算をして、やっとデータの整理ができましたので、早速共同研究者にメールに添付して送りました。努力の甲斐があって素晴らしい結果が得られていますので、これから少し時間をかけて考察していくのが楽しみです。やっぱり、現場に出て汗水流して収集したデータからは貴重な情報が得られます。
今日は一歩も家から出ませんでした。明日は外に出て運動をしてこないと、体がすっかりなまってきました。

夜の10時過ぎに義理の息子が帰ってきたので少し話をしたら、ワールドカップサッカーは、第1試合はNHKが放映することが決まっていたが、第2試合と第2試合を誰が担当するかでくじを引いて、テレビ朝日と日本テレビが当てたとのことでした。早速今夜も担当者と話し合いをしてきたようですが、仕事がとれる可能性は大きいと自信たっぷりでした。

2013年12月17日火曜日

今年の6月に新潟県胎内市の荒井浜森林公園で有人ヘリコプターと無人ヘリコプターで散布された薬剤の樹冠部への散布むら(落下・付着量の振れ)を調査した時に収集したデータの計算や解析を始めました。慎重に計画を立て、共同研究者と3人で体力勝負で行った調査でしたが、やっと時間の余裕ができて結果の整理と考察ができるようになりました。データから何が読み取れるか思考を巡らせていると、何十年か前に大学院生だった時と同じように、胸がドキドキして高鳴ります。

アメリカ人の義理の息子は、昨日はTBSテレビ、今日はフジテレビの仲間と会ったようです。明日はいよいよブラジルで開催されるワールドカップサッカーの映像を日本に送る大仕事がとれるかどうか重要な会議があるようです。妻が家で「大変ねー」と言うと、「僕はこういう仕事が好きだから、大変じゃないですよ」と答えていました。

冬になって木の葉が落ちて見通しがよくなったので、今までは鳴き声しか聞こえなかった小鳥の姿が見えるようになりました。

2013年12月16日月曜日

ウォーキングやジョギングをしながら撮った初冬の景色です。
モミジの紅葉にもよく見るといろいろな色があって楽しませてくれます。枯れた落ち葉の絨毯(じゅうたん)の上を歩くと、サクサクという音がします。葛飾橋から見る江戸川の流れと松戸の中心街のビル群も冬の感じがします。東京外環高速道路の延長工事も着々と進行していて、作業をしている男たちの姿が凛々(りり)しく見えます。
 







 



 

2013年12月15日日曜日

新潟県新発田市で今年の6月に行った調査の分析結果の計算をして、データを整理して一緒に調査をしてくれた共同研究者2人に送りました。次は、同じく胎内市で行った調査の分析結果の計算をします。年内には全部整理して、新潟県庁、新発田市役所、胎内市役所に報告書として提出できるようにしたいと思っています。

昼は義理の息子と一緒に近所のタイ料理店に行って、スパイスの効いたランチを食べました。

2013年12月14日土曜日

「最新・樹木医の手引き」という本(私が担当するのは一部分だけ)の原稿を何人かの人たちに目を通してもらって、指摘されたことを加筆訂正して、今日やっとメールに添付して提出しました。自分では十分見直したつもりでも、人に見てもらうと自分では気が付かなかったことに気が付いたりして、文章も内容もずい分良くなります。まだもう一つの本の原稿が残っていますが、先ずは「一丁上がり」の心境です。明日からは、今年新潟県胎内市と新発田市の海岸の松林で調査・収集してきたデータの整理・解析に取り掛かれます。

今日の朝日新聞の夕刊を見て驚きました。一面のトップに、ラグビー部員の練習風景のカラー写真とともに「浦和高、文武両道トライ:54大会ぶり全国ラグビー出場」という大きな見出しが躍っていたからです。普通は新聞紙面のこの位置は、政治や経済のトップニュースが飾る筈なのに、私の母校の記事が大きく載っていたのですから。昨年11月に月刊誌「文藝春秋」の取材を受けるために同期生数名と浦和高校を訪ねた折に校長室に挨拶に寄ったら、尚文昌武(しょうぶんしょうぶ)と書いた額が飾ってありましたが、その言葉も紹介されていました。私が埼玉県の浦和高校を卒業したのは昭和36年(1961年)ですから、もう52年前になりますが、当時の様子を思い出しました。ちょうど昨日、選手たちを全国大会に派遣する旅費を工面する募金の依頼も届きましたので、即日振り込んだところでした。後輩の生徒たちの活躍を期待したいと思います。

今夕、アメリカから義理の息子が到着しました。これから約1週間我が家に滞在して、日本の各テレビ会社を挨拶回りする予定です。海外の映像を人工衛星を介して日本に送る仕事を受注するための営業活動の一部です。孫たちが生活に困らないように、たくさん仕事が受注できればいいなと思います。

2013年12月10日火曜日

支援者の皆様はお元気でしょうか。まだ本の原稿に追われていて、ブログの更新をする時間的余裕がありませんが、私自身は元気ですのでご心配なく。一昨日、市橋君の更生を支援する会をやって下さっているお二人の支援者からメールをいただきましたので、下記の返事を差し上げました。

私は明日は茨城県にある残留農薬研究所という所に行って、現在執筆中の原稿に関連して、実験動物を使って吸入毒性試験をする装置を見学させてもらう予定です。多分、車で片道1時間半くらいの距離の筈です。

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2013.12.8
〇〇〇〇様
〇〇〇〇様
久し振りのメールをありがとうございました。このところ本の原稿に追われていて毎日時間的にも気持ちの上でもゆとりがなくて、ブログで書きたいことはたくさんあるのですが、長い間更新できずにいます。-----。今度こそはと思って来年1月26日(日)の館山若潮マラソンにせっかくエントリーしたのに、このところ走り込みができなくて焦っています。まだあきらめるのは早過ぎますが、この分だとまた棄権せざるを得なくなるかもと不安がよぎって弱気になる時があります。本の原稿は一冊の方は90%くらいできましたので、あと1~2日で完成する筈です。
昨日は千葉大学本部(西千葉キャンパス)で名誉教授の会というのがあって、医学部、工学部、園芸学部、理学部、法経学部、教育学部、・・など全学部出身の名誉教授が集まり、学長をはじめ学部長たちと懇談会と懇親会をしました。市橋君の事件が起こった時の園芸学部長(現在は定年退職)も出席していました。-----。私が、30年後に市橋君が仮出所する時には多分両親もいなくなって生活にも困るだろうから、支援者が振り込んでくれた支援金の残り約130万円を私より若い複数の支援者に託して、市橋君に渡してもらうことになっているという話をしたので、----。金額よりも、支援者がそこまで彼のことを考えてくれたという気持が市橋君にとって何よりも支えになる筈だからと、言って----。市橋君と同じ学科で個人的にも市橋君を知っている現職教授(現在は園芸学部選出の評議員)は、学生時代の市橋君をきちんと指導できなかった大学・教員にも責任があると言っていました。沖縄にまで行って3年もの間逃走生活ができたくらいだから、市橋君は本来意思が強くて、体力もあって、優秀な若者だった筈なのに、とも言っていました。久し振りに園芸学部の現・元教授の間で市橋君のことが話題になりましたので、もう時計の針を元に戻すことはできないけど、30年間真面目に服役して、63才で仮出所できれば、それから後の人生をしっかりやり直してもらいたいと私も支援者も思っているのだと言って----。
東京に行く時は松戸から上野まで常磐線に乗るか、松戸から地下鉄千代田線に乗りますが、綾瀬駅を過ぎるといつも窓の外の市橋君が収容されていた拘置所を眺めて、市橋君に面会に行った時のことを思い出します。寒い季節になりましたが、市橋君からまだ私に会いたいという連絡がないということは、元気で服役しているのでしょう。支援者の名簿と、彼が手元に置きたいと言った空手の本だけは彼に渡してあります。
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本山直樹
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2013年11月30日土曜日

11月も最後の日になりました。今月中旬が締め切りだった本の原稿と今日が締め切りだった本の原稿が両方ともまだできていなくて四苦八苦しています。家の中で机に向かってばかりいると体に悪いので、今日は天気も良かったし、江戸川を渡って水元公園沿いの遊歩道を往復7Km 歩いてきました。買ってから一度も使う機会がなかったポータブルのナビ(車、自転車、徒歩と用途を切り換えられる)を片手に、どんな風に画面が変わるか試してみました。

11月19日が締め切りだった特定農薬に関するパブコメの意見書を17日にメールに添付して提出しました。念のためにFAXでも送信しておきました。環境省からも農水省からも、内容に関する返信も、意見書を受領したという通知もありませんが、パブコメというのはそういうものなのかもしれません。折しも、先の国政選挙で圧倒的多数を占めた現内閣は、国民の言論の自由を封じて戦争に突き進んだ戦前の治安維持法を想起させるような特定秘密保護法案を大多数の国民の不安感を無視して強硬に通そうとしていますが、特定農薬問題が国民の気がつかないところで既成事実化することのないように、提出した私の意見を以下にコピーして公表しておきます。

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中央環境審議会土壌環境課農薬小委員会事務局
環境省水・大気環境局土壌環境課農薬環境管理室 御中

電解次亜塩素酸水等を特定農薬として指定することに対する意見

20131117
住所 〇〇〇〇
本山直樹
千葉大学名誉教授/元農水省農業資材審議会農薬分科会長
電話 〇〇〇〇
E-mail: motoyama335@aol.com   
(ストーカー行為の対象にならないように、上記個人情報のうち、住所と自宅電話番号についてはご配慮下さい)

1.   はじめに
私は、農水省農業資材審議会(農薬分科会)委員を200812月に満期で退任するまで10年間務め、最初の2年間を除く8年間は農薬分科会長の役割を果たし、最後の2年間は農業資材審議会長の任にもありました。また、2003年の農薬取締法一部改正の施行に先立って設置された特定農薬小委員会の委員長も務めましたので、掲題の問題については熟知しております。
この度、ある有機認証機関の代表をしている友人から掲題の問題についてパブコメが実施されているという情報提供があり、意見も求められました。この機会に当時の記憶をたどって、私が在任中の掲題の問題に関する審議の様子と、当時指摘された問題点についての情報提供と、私の意見を提出したいと思います。

2.   法律改正時の背景
  2002年頃に(ネガティブリスト制度を採用していた当時の農薬取締法の盲点をついて)外国から無登録農薬が直輸入されて全国各地で使用されている実態が明らかにされました。食の安全に関する国民の不安感が増大したことを背景に、当時の武部農水大臣が今国会中に農薬取締法を改正すると発言し、国民や有識者の意見を十分聞く間もなく拙速に法律改正が行われました。
  農薬に関する重要な事項を審議することが任務の農業資材審議会に諮らなくてもよいのかという私の質問に対しては、法律の改正は国会の審議事項だからその必要はないとの形式論から、多様な構成員から成る審議会の多様な視点からのチェックなしに、役所の視点だけで改正案が作成されました。その結果、2つの大きな問題点を生じました。
  1つは、無登録農薬の輸入・販売・使用を禁止したのはよいのですが、マイナー作物(多くは地域特産物として重要)には当時ほとんど登録農薬がなかったという問題です。この問題については、農水省は問題の存在を把握後、直後の応急的な経過措置の採用を含め、その後登録促進の事業を進めて対応し、その努力は現在も続いていると理解しています。
  もう1つは、無農薬栽培をやっている人たちの農薬代替防除資材を確保するために、農薬登録を必用としない特定農薬という制度を作ったという問題です。これには考え方自体に無理があるので、ご承知のように法律施行後10年経過した今日に至るまで問題が継続しています。 

3.   特定農薬候補資材の検討過程
  当時、特定農薬候補資材の調査をし、各都道府県や個人から情報を収集して重複を整理した結果、確か約740資材(手元に資料がないので数字は不正確)が残りました。
  20021220日に開催された審議会で約740資材のリストが6名の委員から構成される特定農薬小委員会委員長の私に渡され、20033月の法律施行を控えて、2003110日までにリストの中から特定農薬として指定できるものを選定するようにと依嘱されました。判断材料になる資料はほとんどなく、年末年始のわずか20日間で結論を出すようにという、まさに“丸投げ“の依嘱でした。
  農水省からは当初「薬効」(防除効果の有無)は問わずに判断してほしいと言われましたが、6名の委員は、そもそも1948年の農薬取締法制定の背景にはその当時小麦粉を袋に入れてDDTと称して販売するなどのまがい物農薬を取り締まる必要があったということと、特定農薬制度の公表によってビジネスチャンス到来とばかりに色めきだっている業界の存在(私のところにも多くのロビー活動がありました)を考慮して、同様の弊害が起こらないようにするためには、特定農薬といえども薬効・薬害と安全性については科学的な根拠が必要という判断基準を採用することで一致しました。
  安全性については、単に収穫された農産物を食品として摂取する消費者に対する安全性だけでなく、散布作業者、周辺住民、環境(非標的生物や生態系)に対する影響をも評価対象にすることにしました。
  6名の委員全員でメール会議を実施し、薬効・薬害と安全性について段階制(指定してもよい、よくない、判断できない、等)で評価をし、2名以上の委員が総合評価で特定農薬として指定してもよいとする資材があれば、その資材に関する詳しい資料を収集してあらためて全員で検討するという方法で評価をした結果、2名以上の委員が指定してもよいとして一致した資材は一つもありませんでした。
  その結果2003110日に提出した特定農薬小委員会の正式回答は、この中(約740資材)に特定農薬として指定できるものは一つもありません、というものでした。
  数日後、農水省から農薬対策室長と課長補佐が当時私が勤務していた千葉大学に来学され、3月の法律施行時に特定農薬の別表の中に資材が一つもないのでは困る、次官も局長も心配しているので何とか再考してもらえないかと言われました。
  そこで急遽私の研究室で全候補資材について再度見直して、残りの5名の委員は私が後日説得して事後承諾を得るからということで、私の独断で①食酢、②重曹、③地元で採れた天敵の3つを選びました。①と②は過去に農薬登録があったので、薬効・薬害と安全性については一応審査済みで評価がされているということで選びました。③については、業者によって販売される天敵は、外国又は国内の工場内で大量培養・増殖される過程で遺伝的多様性が失われる可能性があり、そのような天敵の大量放飼によって地域の生態系に影響を与える可能性があるので、生物農薬としての審査が必要だが、地元で採れた天敵を地元で使う分(例えば、自分の畑で採集したテントウムシをビニールハウス内に放飼してアブラムシを捕食させるなど)にはその心配がないということで選びました。
  その後、私の委員在任中に環境省と農水省の合同会合でいくつかの有望とされた資材が検討されましたが、いずれも問題点が指摘されて特定農薬として指定できませんでした。 

4.   特定農薬制度の問題点
  多くの資材を特定農薬として指定できなかった主な理由は、①薬効・薬害ならびに安全性について評価できる科学的なデータがなかったことと、②登録農薬のように品質や使用基準を記載したラベル表示が義務化できなかったからです。
  特に②については、制度自体が抱える矛盾で、当初特定農薬小委員会が特定農薬に指定できる資材を一つも選定できなかったことや、その後約10年経過したにもかかわらず当初指定した3資材以外に追加指定ができていない主な理由です。
  科学的にはどんな資材でも絶対的に安全ということはあり得ず、資材の有害性(ハザード)の程度に加えて、曝露量によって(すなわち使用方法によって)安全か安全でないかリスクの大きさが決まります。
  日本人の食生活に欠かせないワサビに含まれる揮発性の辛味成分アリルイソチオシアネート(AIT)はその好例です。ワサビの抗菌活性によって私たちは刺身を安全に食べられるだけでなく、消化液の分泌を高めて食物の消化や吸収をよくするという効果や、抗がん作用・抗酸化作用・脳血流改善作用もあると言われています。
  一方で、ワサビに含まれるAITの哺乳動物(ラット)に対する急性経口毒性は112mg/kg、経皮毒性は88mg/kgとされていて、農薬として使用されているフェニトロチオン(各々570mg/kg890mg/kg)やジノテフラン(各々>5,000mg/kgと>2,000mg/kg)と比べて著しく毒性が高く、War Gas(戦争で使う毒ガス)としての用途もあるとされています。つまり、ワサビの安全性は適切な摂取量によって確保されているということです。
  私の在任中の農業資材審議会で、特定農薬にも登録農薬と同じように品質(含まれる成分)や使用方法を記載したラベル表示を義務化できないか農水省に打診しました。その結果、原材料に照らして安全なものを指定するのだから、資材の品質の振れや使用方法によっては必ずしも安全でないものは元々除外される筈なので、ラベル表示は義務化できないというのが内閣法制局の見解だという回答でした。
  昨今メディアを賑わしている一流ホテルのレストランでさえ食材の産地偽装や材料の名称偽装が横行していたという実態からも類推できるように、ラベル表示がきちんと義務化できなければ、特定農薬についても販売戦略として誇大広告や原材料偽装が横行する可能性が高く、人間の口に入る作物に使用するにもかかわらず使用方法を規制できず、国民の食の安全が確保できないことは明らかです。

5.   電解次亜塩素酸水について
  電解次亜塩素酸水については、私が座長を務めた農水省と環境省の合同会合において検討されました。特定農薬が増えないことで批判を受けて困難に直面していた当時の農水省への配慮もあって、私はすでに一部で実用化されているこの資材を特定農薬に指定してもよいという姿勢に傾いていました。
  合同会合では、環境省側の水問題に詳しい委員からいくつかの厳しい指摘がありました。それらを含めて、電解次亜塩素酸水について問題と考えられる点は以下の通りです。
(1)何を指定するのか-水、原料の塩、電気分解装置?
(2)原料の塩の不純物によっては危険な成分が生成するという指摘
(3)土壌中の有機物と反応してダイオキシンが生成する(東京都化学研究所公表データ)が、どの異性体がどの程度発生するのか?
(4)東京湾のヘドロには禁止された除草剤クロロニトロフェン(CNP)由来のダイオキシンが現在も蓄積していて、漸減傾向にはあるが大雨が降ると上流域の水田土壌に吸着されているダイオキシンが河川を介して東京湾に流入してダイオキシン濃度が上昇するので、それを再び助長するような資材が使われるのは困るという指摘
(5)電解次亜塩素酸水を散布すると塩素が発生するが、散布ノズル近くで測定した塩素濃度は散布者の健康に悪影響を及ぼす濃度以下と説明された。しかし、散布後に施設(ビニールハウスなど)内で太陽光で気温の上昇時に塩素は発生しないのか、発生するとすれば長時間農作業に従事して長期暴露を受ける農家の健康にとって安全な濃度レベルかどうかのデータがない
(6)薬効・薬害に関するきちんとした試験データはあるのか?
(7)酸性水散布で施設内の鉄骨や機器類を劣化させる可能性は?
(8)原材料に照らして安全なものを指定するのに、原料(塩)や使用方法によって必ずしも安全でないものは矛盾しないのか?
(9)次亜塩素酸水は水とはいえ、人工的に添加した化学物質を含んだ水なので、本来化学農薬と同様に農薬登録の対象では?
10)そういう意味では、木酢液で実施したように、変異原性試験や亜急性毒性試験が必要では?
私が農業資材審議会農薬分科会長ならびに特定農薬小委員会委員長を退任して5年が経過しましたので、その後の委員会・審議会で上記の指摘事項に対してどのようなデータが提出されて今回のパブコメに至ったのかわかりません。指摘事項は全て解決したのでしょうか。
  電解次亜塩素酸水を作物保護資材として使用する場合の一番の懸念される問題は、食の安全ではなく、広く使われるようになった場合の環境への負荷と農作業従事者への長期経皮ならびに吸入暴露による健康影響の不安ですので、もし上記指摘事項がクリアされていないのでしたら、特定農薬に指定するべきではないというのが私の意見です。

6.   特定農薬問題の解決方法
  特定農薬にきちんとしたラベル表示を義務化して品質、適用作物、防除対象生物(病害虫・雑草など)、使用方法を規制できないのであれば、法律改正をして特定農薬制度自体を廃止するべきだと思います
  その上で、アメリカ合衆国の例にならって、登録農薬の中にMinimum Risk Pesticide というカテゴリー(枠組み)を新設して、安全性に大きな問題がなく、ある程度の薬効も期待できる資材については、比較的簡単な審査で登録を認可してラベル表示を義務化すれば、有用な資材を活用できてかつ安全性も確保できるのではないでしょうか。

参考:ここから先は公開すると特定の個人や法人が不利益を被る恐れがありますので、部外秘として委員会や審議会内だけの検討資料に留めて下さい。

7.   〇〇〇〇について

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  すでに農薬登録があって正々堂々と販売ができるのに、何故わざわざ特定農薬に指定してほしいのかという私の質問に対して、農薬登録があるからビジネスが伸びないという驚くべき回答をしました。つまり、登録があるとラベル表示が義務化されていて使用基準が明記されているので、それ以外の用途には宣伝も販売もできないということでした。つまり、特定農薬に指定してもらえば、薬効も安全性も農水省に担保されているということで、どんな植物にもどんな病害虫・雑草にも宣伝効果で販売できる、ということでした。
  まさに私たちが特定農薬制度で恐れていた詐欺商法が狙いでした。
  結局〇〇〇〇については、上記合同会合で環境省側の委員の、----という厳しい発言もあって、特定農薬に指定しませんでした。 

8.   特定農薬「食酢」について
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  一般に食用に流通している「食酢」の2倍の酢酸を含有し、農業用以外には使用しないで下さいという防除専用資材を「食酢」と言えるのかという疑問があります。
  対象病害虫欄の、「一般農作物」「病害一般の防除及び害虫の忌避」という表現は、あたかもあらゆる農作物のあらゆる病害虫に効果があるような印象を与える誇大表示のような気がします。
 
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  以下は〇〇〇〇の宣伝です。
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  農林水産省認定特定防除資材と称し、有機JAS適合資材を謳いながら、特定農薬ではないニームや木酢液との混合使用をより効果が高いとして奨励しているのは、不適切です。
  これらの例でもみられるように、特定農薬制度は、1948年の農薬取締法制定当時のように薬効がないまがいもの農薬や、2003年の同法の一部改正当時のように、安全性が確保できない農薬代替品を助長する恐れがあります。

9.   木酢液・竹酢液について
  木酢液について検討をした時は、農水省(林野庁)や木酢液関連業界が特定農薬に指定してほしいという強い意向を示しましたが、私たちは次の理由で強く反対しました。①薬効も安全性も資材に含まれる成分によって異なるのは当然で、木酢液は材料の木や製造温度によって成分が大きく異なり、一つの資材として扱うのは無理がある、②木酢液の作物保護効果についてはきちんとした科学的データがない、③農家の体験談として効果があったという資材には化学合成農薬が混入されていた、④木酢液の中にはメタノール(視神経に有害)やホルムアルデヒド(シックハウス症候群の原因物質とされている)やベンツピレン(ヒトに対する発がん物質)のような有害物質が含まれているので安全ではない。
  ①については、その後千葉大学の私の研究室で多くの市販の木酢液や炭焼き小屋に行って煙の温度別に製造した自家製木酢液の分析を行ったところ、成分組成には大きな振れがあり、特に高温部分の煙から製造した木酢液には有害物質が含まれることがわかりました。
  ②の殺虫活性については、数種害虫(イエバエ、モモアカアブラムシ、ホソヘリカメムシ)に対して試験を実施し、実用的な殺虫活性も忌避活性もないことがわかりました。
  ②の殺菌活性については、数種植物病原菌(インゲン灰色かび病、キュウリうどんこ病、キュウリべと病)を供試して、培地上では若干の効果を示しましたが、実際の植物に接種したこれらの菌に対しては防除効果がないことがわかりました。
  ④の安全性については、umuテストを実施して、供試した全ての木酢液は変異原性陽性であることを明らかにしましたが、木酢液が変異原性陽性を示すことは、その後〇〇〇〇研究所で実施したAmesテストでも確認されました。
  その後〇〇〇〇研究所でラットに対する90日間連続投与試験が実施され、木酢液の投与濃度依存的にあるホルモン分泌に関わる臓器の重量が減少するという結果が得られましたので、その時点で木酢液の特定農薬指定の可能性は完全になくなりました。
  また、ある養豚農家が健康ブランド品として販売している低コレステロール豚肉は木酢液を餌に混ぜて食べさせて作っているということから、木酢液には哺乳動物のホルモン生合成系に影響を及ぼす可能性も指摘されました。
  しかし、〇〇〇〇研究所の成績検討会(私も委員として出席)では、私の要請で(成績検討会は内部の非公開の検討会であるという理由を使って)これらの試験結果は非公開にすることになりました。私が当時そのような要請をしたのは、当時木酢液業界では特定農薬に指定されれば大きなビジネス展開ができるという期待が高まっていましたので、社会の混乱を避けるために、それまで木酢液を奨励し業界を育成してきた林野庁(成績検討会に出席していました)に業界を指導して木酢液に終止符を打つ時間的な猶予を与えたいという配慮からでした。
  しかしその後実際には私の期待したような動きにはならず、木酢液はいまだに市販され、特定農薬の候補リストにも残っているということは不可解かつ残念です。

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