2014年11月30日日曜日

散髪をしてきた後で、水元公園に運動に出かけました。旧東京都水産試験場の資料展示館の前から埼玉県のみさと公園側に渡り、2時間半くらい歩いたり走ったりしてきました。日曜で天気もよかったので、家族連れで大勢の人たちが遊びに来ていました。
毎年そうですが、この時期は千葉大学園芸学がある松戸市戸定ケ丘(とじょうがおか)の木々は黄(紅)葉が見事です。私は特に、園芸学部創立百周年記念で建てられた戸定ケ丘ホールの前の銀杏(いちょう)の大木の黄葉を見るのが好きです。今日のように晴れた日には黄葉がまるで黄金色のように青空に映えて見えます。
落葉もそれぞれの形と色で、絨毯(じゅうたん)のようで楽しませてくれます。みさと公園のメタセコイアの黄褐色の葉も、鮮やかでした。

明日からはいよいよ12月に入ります。








 
 

2014年11月29日土曜日

朝から雨でしたが、一日中机に向っているとまた体が鈍(なま)ると思って、夕方雨が上がってから水元公園に行きちょうど2時間歩いたり走ったりしてきました。
まだ空は曇っていて、霧も出ていて、いつもとは違う景色でした。帰りは葛飾大橋を渡る時に太陽が地平線に沈んで、残りの夕焼け空に東京スカイツリーと富士山が浮かんで見えました。

島根県出雲市では2008年に松くい虫防除で有人ヘリコプターで薬剤散布が行われた時に、子供たちの目のかゆみ騒動があり、原因解明委員会では原因を特定できないという結論でしたが、その後の薬剤散布は中止に追い込まれました。出雲市ではそれまでの薬剤散布の年間予算約2,500万円を4倍の1億円に増やして樹幹注入に切り換えたにもかかわらず、従来薬剤散布で守っていた松林面積の1%しかカバーできず、平成23年(2011年)の松くい虫被害材積量は過去最悪を記録してしまいました。今まで何十年という年月をかけて守ってきた松林が松くい虫被害で枯死し、特に出雲大社の裏山の北山山系の麓の集落では大雨や地震によるがけ崩れの危険に曝(さら)されるという、多くの人々の人命に関わる大変な損害をこうむることになりました。
それでも、隠岐の島だけはヘリコプターによる薬剤散布が続けられてきましたが、今年の5月に散布が行われた時に、散布7日後に1家族(3人)だけが目の痛みなどの体調不良を訴え、その後6月に予定されていた地上からの薬剤散布が中止になるという事件がありました。来年度の松くい虫防除をどうするか検討会議があるらしく、島根県の担当者から今年の事件に関して公表されている情報が送ってきて、薬剤散布と目の痛みなどの体調不良との因果関係に関する私の意見を求められました。
私たちは過去10年間、全国各地で松くい虫防除で散布された薬剤の飛散実態の科学的調査と周辺住民への健康影響の可能性について評価してきましたが、その経験を踏まえて隠岐の島での情報を精査すると、今回散布された薬剤の飛散濃度が健康影響を及ぼす閾値(いきち)に達する可能性は全く考えられないという私の見解を送っておきました。

先日出張した機会に、市橋君の更生を支援する会の幹事お二人とお会いしました。久し振りの再会でしたので大変なつかしく、つくば中央警察署に収檻されている人から私宛に突然届いた手紙にどう対応したらよいかまだ迷っていることなど、いろいろお話をしました。もう一人の幹事の方も含めて、市橋君の支援活動を通して、家族のような親しさと絆(きずな)を感じます。来年の6月にまた全員で会いましょうと確認してお別れしました。





2014年11月28日金曜日

新潟県胎内市荒井浜森林公園における松くい虫被害木の調査結果が大体まとまりました。昨年11月に行った同様の調査結果と比較すると、薬剤無散布区のマツの枯死率は昨年が40.2%だったのに対して今年は38.8%で大差がありませんでした。激害発生地ですので、このままいくと無散布区の松林は数年で消滅してしまいます。

有人ヘリコプターと無人ヘリコプターでスミパインMCという有効成分は有機リン殺虫剤のフェニトロチオンを散布した林分では、明確に防除効果が確認されました。特に、国道113号沿いの林縁部は昨年は飛散を回避するために不十分な散布しか行われなかったために30.4%の被害が起こったのに対して、今年は殺線虫剤のGG・NEO(グリンガード・ネオ)(有効成分は酒石酸モランテル)を林縁部の幅約10mの範囲のマツに樹幹注入した結果、被害は3.3%に抑えられました。
本年2月に樹幹注入をしたにもかかわらず枯死したマツが僅かですが存在したということは、樹幹注入の施工技術に問題があったか、あるいはいわゆる年越し枯れのために、施工時には病徴は発現していなくてもマツノザイセンチュウがすでに樹体内に侵入していた可能性が考えられます。

一方、海岸の林道沿いの林分は樹幹注入は行われませんでしたので、昨年は9.1%だった枯死率は今年も10.8%と高く、ほとんど変わりませんでした。周辺環境への飛散の恐れから、ヘリコプターによる薬剤散布の落下付着量がどうしても不十分になりがちな林縁部の松くい虫対策をどうするかは難しい問題です。樹幹注入をすればよいのですが、経費(コスト)の問題から制約があります。

有人ヘリコプターと無人ヘリコプターによる薬剤散布区全体の被害は、昨年の9.9%から今年は3.1%と約1/3に減少していました。周辺が激害地で、発生源になる伐倒駆除されない枯死木が多数放置されている条件下にしては、顕著な防除効果だったと思います。1本1本樹幹注入するには大変なコストがかかりますし、枯死木の伐倒駆除にも大変なコストがかかります。松くい虫被害を抑える技術は存在しますが、どの防除方法を採用してどこまで防除を徹底するかは、コストパフォーマンスを考慮した経済的・政治的な判断が必要のようです。

2014年11月27日木曜日

年末が近づくにつれて、家族の誰かが亡くなったので年始の挨拶を失礼するという葉書が届いています。たいてい自分の親か配偶者の親の場合が多く、90何才で亡くなったという通知に、日本はちょっと昔に比べるとずい分長寿の国になったのだなあと実感させられます。そんな中で、今日届いた1枚には信じられない思いでした。千葉大学時代の私の研究室で博士号を取得したF博士とはよく一緒に野外調査に行った旧知の仲で、大学院生時代の彼を支えた奥さんのこともよく知っていましたが、その奥さんが4月に亡くなったという通知でした。
驚いて電話をしてみたら、獣医の資格と医療検査技師の資格も持っていた奥さんは胸のしこりに気がついていて毎年乳がんの検診も受けて異状ないと言われていたのに、昨年の5月の連休時に受けた検査では乳がんがあちこち転移してもう手術はできないと言われてしまったとのこと。それから抗がん剤の化学療法を受けていたが、1年後の今年4月に55才の若さで亡くなってしまったとのことでした。息子さんはすでに大学を卒業して就職していますが、娘さんは大学3年生とのことです。長年連れ添った奥さんに先立たれて、どんなにか寂しい思いをしているかと想像すると、人間の運命の残酷さをあらためて思い知らされました。
F博士も娘さんが大学を卒業して自立するまではしっかり働かなければならないので、めそめそしている暇はないのでしょうが、長年苦楽を共にしてきた伴侶を失って心の中にポッカリ空いた穴のことを思うと胸が痛みます。

人間ドックの結果、妻も私も異常はないとのことでしたので、今年も無事健康に過ごせたようです。

2014年11月26日水曜日

急に寒くなり、雨も降っていましたので、今日も道場で約1時間空手の稽古をして汗を流しました。メタボ気味で体は動かないし、関節は固くなっているし、筋肉は落ちているし、正拳の握りも弱くなっているし、長い間稽古をサボッてきたツケが回ってきています。これが72才相応だとは思いません。ジョギングに加えて、少しずつでも空手の稽古の時間も作れば、もっと良い状態を維持できると信じています。

それ以外の時間は机に向かって、先日新潟県胎内市の荒井浜森林公園で収集してきた松くい虫被害木のデータの整理と解析に集中しました。

明日は1年に一回受けている人間ドックの日です。

2014年11月25日火曜日

昨夜は寝ている間に左太ももの裏側の筋肉(多分大腿二頭筋)が攣(つ)り、続いて右太ももの裏側の筋肉も攣り、深夜に起き上がって治まるまでしばらく立ったり歩いたりしました。新潟県胎内市の足場の悪い松林の中を2日間歩き回った影響かもしれません。こんなに体が鈍(なま)ってしまっては駄目だと思って、昼休みは久し振りに大学の道場に行って空手衣に着替えて、準備運動に続いて、基本の突き・蹴り・受け、巻き藁叩き、サンドバック蹴り、腹筋運動やバーベル・ダンベルを使っての筋力トレーニング、重たい素振り刀の素振りなど、、1時間ほど稽古をしました。汗をビッショリ掻いた後でシャワーを浴びると、ランナーズハイのように気分爽快になります。

ネットのニュースで、順天堂大学付属医院で脳死と判定された6才未満の女児の臓器移植(心臓、肺臓、腎臓、肝臓)が全て完了したと出ていました。膵臓と小腸だけは医学的理由で移植されなかったとのこと。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20141125-00000017-mai-soci 
ご両親のコメントが載っていましたが、娘への愛と他人を思いやる優しい心が読み取れる素晴らしいコメントでした。
http://mainichi.jp/select/news/20141124k0000m040049000c.html

アメリカ在住の義理の息子Donから、日本のテレビ局への年末の挨拶回りで12月1日(月)に来日し、6日(土)に帰国する、との連絡がありました。我が家に泊まりますので、この期間は家族が一人増えます。妻がソワソワとすでに迎え入れる準備をし始めました。

2014年11月24日月曜日

宿泊した中条(なかじょう)グランドホテルから朝8時にS博士を迎えに行き、調査の打ち合わせをしました。昨日の荒井浜森林公園の西端(胎内川隣接地点)の調査にかかった時間から推測して、残り4ケ所は無理かもしれないので、午前中に2ケ所(無人ヘリコプター散布区と無散布区)を調査して、午後は森林公園の中央部(国道113号線沿い、その内側、海側の林道沿い)を調査して時間が残れば昨年と同じ森林公園の東端を調査することにしました(実際には時間は残りませんでしたので東端は諦めました)。午後4時になると少し暗くなって枯死木かどうか判断し難くなることがわかったからです。

長靴を履いて、タラノキ(タラの芽は山菜)の硬い棘(とげ)に引っ掻かれながら、倒木の上を跨(また)いだり、藪(やぶ)を払いのけたりして1本1本マツの幹の胸高円周を巻尺で測って枯損状況を記録していくのは重労働でした。森林公園国道側から約10mの範囲の林縁部の太い木は全部殺線虫剤(GG・NEO=グリンガード・NEO=酒石酸モランテル20%)が樹幹注入されていました。
無散布区には昨年調査した国道113号線の陸側の丘の隣の丘を選びましたが、松くい虫被害で多数のマツの大木がすでに伐倒駆除されて疎林になっていました。
無人ヘリコプター散布区の内(陸)側にはネギ畑と大根畑がありましたが、かなり深いところまで砂地でしたので、マツの砂防林ができるまでは何百年・何千年にもわたって砂丘地帯だったことを想像させました。調査結果は詳しく解析してみないと確かなことは言えませんが、有人・無人ヘリコプターとも予防散布実施林分の枯死木の割合は昨年に比べると明らかに減少している印象でした。

内陸部の稲刈り後の水田には白鳥の群れが飛んできて落穂ひろいをしていましたが、私が車から降りてカメラを向けると首を長く伸ばして警戒姿勢をとって、飛び去ってしまいました。S博士が勤務している肥料工場のすぐ前には胎内川が流れていて、堰(せき)の上流側の浅瀬には海から遡上した鮭が何尾もいて、尾びれを川底に打ち付けて深みを作って産卵し、雄が精子をかけて受精させるという産卵行動をとっていました。産卵後は力尽きて堰の下流に流されて底に沈んでいる死体が何体もありました。子孫を残した後、死体は死体でカラスその他の生物の餌になって利用されるのですから、植物も動物も循環していることを認識させられます。

予定通り4時にS博士と別れて帰路につき、5時に新潟駅でレンタカーを返却し、5時20分発の新幹線MAXとき340号に乗って上野で降り、松戸に帰ってきました。
日曜日と振替休日(勤労感謝の日)の月曜日を利用した一泊二日の短期間の調査でしたが、大体計画した通りのデータ収集ができました。連休を2日間にわたって調査を手伝ってくれた私の千葉大学勤務時代の卒業生S博士(中国からの留学生)のお蔭です。これからのデータ解析が楽しみです。

     (写真はクリックすると拡大できます)
















2014年11月23日日曜日

朝早く自宅を出て上野駅から上越新幹線で新潟駅に行き、駅レンタカーを借りて胎内市のS博士のところに着いたのは午後1時ちょっと前でした。剪定鋏(せんていばさみ)を忘れたので、途中ホームセンターに寄って一番安いもの(何と税込みでたった536円ですから、果たして切れ味はどうか?)を購入しました。もう一度胎内市内に出てS博士推奨の中華料理店で激辛ゴマラーメンを食べました。

そのまま荒井浜森林公園に行き、車を駐車場に置いて西端の胎内川に隣接した林分(有人ヘリコプター散布区)から松くい虫被害木の調査をしました。国道側から海側に向かって二人で下草をかき分けながら1本1本松の木の胸高円周(後で直径に変換する)を巻尺で測りながら、健全木、枯死木、枯れ進行中木、古い枯れ木に分けて記録しました。林縁に達したら折り返し、合計約330本調査しました。昨年のこの林分での同様な調査では約280本でした。枯死ならびに枯れ進行中木の合計は昨年に比べて約1/3でしたが、詳しくはデータを解析する必要があります。

ちょっと興味深かったのは、殺線虫剤を樹幹注入された木はほとんどが健全木でしたが、一部枯死木もありましたので、注入技術に問題があったのか、樹体内の殺線虫剤濃度が不十分で被害が発現したのか、あるいはマツノザイセンチュウが侵入済でも病徴が年越し枯れで未発現の木に注入したのか、これも解析してみることが必要です。
樹幹注入された木には必ずラベルがホッチキスで留めてありますが、中には水性マジックかインクで記入したのか、処理年月日や処理薬剤名や処理アンプル数が消えて読めなくなっているものもたくさん見られました。これでは残効性がいつまであるのか判断できませんので、今後施工業者に指導して改善しなければいけないことの一つです。
樹木の病気の場合でも、薬液を注入する時はちゃんと正確な記録(カルテ)を残して、有効年数の期間防除効果を発揮しているかどうか確認できるようにするべきですが、仕事を受注した業者は施工すれば終わりで、発注者も発注すれば終わりで、きちんと効果の確認をしていないのが実態のようです。そういうことが、防除をしてもなかなか松くい虫被害をコントロールできない一因になっているのだと思います。

今日は西端の林分だけで夕方になってしまいましたので、明日は午前中に2林分(東端と中央部)、午後に2林分(無人ヘリコプター散布区と薬剤無散布区)の調査をすることになります。




 

2014年11月22日土曜日

明治大学の北野 大(まさる)先生が世話人をしている化学物質評価研究機構寄付講座の講義が来年度前期に明治大学と淑徳大学の共催で行われることになったとのメール連絡が届き、私にも例年通り農薬の安全性について2コマ分の講義担当の依頼がありました。来年の4月25日は他の予定はまだ入っていませんので、了承の返信をしました。

千葉大学園芸学部で植物病理学研究室と応用昆虫学研究室の合同の同窓会が、1961年振りに開催され、私も出席しました。昭和31年卒業の年配の卒業生を含めて大勢の方々が集まり、楽しいひと時を過ごしました。昭和41年卒業の私も長老の一人として中締めの挨拶を頼まれましたので、現役の学部生・大学院生諸君にはしっかり勉強すれば将来の道は自(おの)ずから開けることを、社会のいろいろな分野で活躍している中年の世代の卒業生にはこれからも社会をしっかり支えていってほしいことを、私と同年配以上の高齢者には健康管理をすることが仕事と思ってしっかり健康を維持して下さいとお話して挨拶に変えました。

明日は新幹線で新潟に行って、駅でレンタカーを借りて胎内市に移動し、荒井浜森林公園周辺の松くい虫被害木の調査をしてくる予定です。現地の肥料工場で働いている私の千葉大学勤務時代の卒業生S博士が手伝ってくれることになっています。調査は明後日の午後までして、新潟を夕方5時頃の新幹線で帰ってくるつもりです。今年のヘリコプターによる薬剤散布と樹幹注入の効果がどれくらい発揮されているか、評価することが目的です。
S博士に電話で確認したところ、薬剤無散布の林分は生きている松がほとんど見当たらないほど枯れているとのことでした。新潟駅でのレンタカーと胎内市内の宿泊ホテルはネットで予約しました。

2014年11月21日金曜日

宿泊した焼津市のホテルアンピアン松風閣は海に面した崖っぷちの風光明媚な場所に建てられていて、大浴場の温泉に浸かりながら大きなガラス窓から広々とした海と山の景色が見えました。
2日目のプログラムは、元場一彦氏(日本農薬株式会社)による「農薬の鳥類へのリスクとその評価・管理手法」、對馬誠也氏((独)農業環境技術研究所)による「土壌および葉面の微生物フローラと病害防除への活用について」、外側正之氏(静岡県農林技術研究所茶業研究センター)による「農薬が茶園の生物相に及ぼす影響(静岡県の事例)」、という3題の講演が行われました。2日目の講演も素晴らしい内容で学ぶところ大でした。
その後約1時間の総合討論を経て、希望者はチャーターしたバスに乗ってエクスカーションに出かけました。

今回の研究会は、全体のテーマが「陸域生態系と農薬」ということで、水域生態系ではなく陸域生態系に焦点が絞られていましたので、野鳥に対する影響や、絶滅危惧植物に対する影響や、植物体上や土壌中の微生物相に対する影響などが取り上げられましたが、一番のキーポイントは生物多様性に対する影響だったと思います。
生物多様性は、1日目の池田氏の講演で述べられたように、1992年にリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)において生物多様性条約が採択され、わが国は翌年にこの条約を締結、その後2010年に名古屋で開催された第10回生物多様性条約締約国会議(CBD-COP19)において、愛知目標(生物多様性に関する20項目の達成目標)が採択され、その目標7として「2020年までに、農業、養殖業、林業が行われる地域が、生物多様性の保全が持続的に管理される」ことが盛り込まれた、ことが根拠となっています。このような国際的動向を受けて、日本の農業も今日では農業生産と生物多様性保全の両立を図ることが求められる時代を迎えたとのことです。
農林水産省は上記の国際状況(いわば現代の黒船)を錦(にしき)の御旗(みはた)に財務省から予算を獲得し、所管する(独)農業環境技術研究所のような研究機関にそういう研究をするように要求し、それを受けて都道府県の農業関係試験・研究機関にもそれに沿った研究をさせている、という状況のようです。

世界的には人口増加が確実に予測されていて食料増産は喫緊(きっきん)の重要課題である一方で、開発による生物の生息環境の減少や悪化は急速に進行しているという矛盾をどう解決するかというのは難しい問題です。お米の収量一つを例にとっても、記録の残っている平安初期の820年には1.8俵(1俵=60Kg)/10アール(1アール=1000m2)だったものが、科学技術の進歩で平成20年の2008年には9.1俵/10アールと約5倍増加しています。無農薬栽培や有機栽培水田では、農薬を使った慣行栽培水田に比べて生物多様性がより豊かになり、例え収穫されるお米の収量や品質が多少低下しても、高価格で販売できるので農家の収入にとっては必ずしもマイナスにはならない、という説明がされます。1日目に講演された田中氏は、有機栽培水田のお米の収量と品質は慣行栽培水田に比べてどの程度ですかという私の質問に対して、調査対象水田の農家に聞き取り調査をしたが慣行栽培水田と大差はなかったと回答されましたが、定量的な数字や統計的な有意差検定の説明はありませんでした。
そもそも水田のように、農家ができるだけ良品質のお米をできるだけ多量に収穫するために耕作している食料工場で、何故収量や品質を犠牲にしてまで生物多様性を維持する場としなければならないかという基本的な矛盾があるように思います。地方に行けば、過疎化が進んで耕作放棄地が目立ちますし、都会に行けば開発が進んで建物や道路ばかりで自然が全くない場所がたくさん見られる状況下で、農業にばかり生物多様性保全を押しつけようとする政策はどこか違うんではないかという気がした研究会でした。

エクスカーションでは清水港からベイクルーズの船に乗って湾内を1周しました。幸い晴天に恵まれて富士山の雄大な姿を眺められ大満足でした。三保の松原の羽衣の松(3代目)も見たかったのですが、残念ながら湾内からは三保の松原の裏側の景色だけしか見えませんでした。その後バスで金谷市牧之原にある静岡県農林技術研究所茶業研究センターに移動し、お茶に関する説明を受け、製茶工場の見学をしました。
帰りは予定通り午後5時に静岡駅で解散になり、新幹線で帰ってきました。









2014年11月20日木曜日

東京駅から新幹線ひかりで静岡駅まで行き、静岡駅から東海道線に乗り換えて焼津駅に行きました。すでに多くの参加者が到着していて、11時30発のシャトルバスに乗ってホテルアンピアン松風園閣に到着し、すぐ日本農薬学会農薬環境科学研究会の委員会を始めました。私は年齢的にはもう顧問的な立場ですが、一応出席してどういう議論がされるか聴講しました。

研究会は午後1時から始まり、近畿大学の松田一彦教授による特別講演「昆虫神経系をターゲットとする殺虫剤の活性発現機構と受容体の多様性」が行われました。ネオニコチノイド系殺虫剤の作用点であるnAChR(ニコチン性アセチルコリンレセプター)の構造と機能と多様性について、大変興味深い講演でした。
続いて2名の外国人演者(2名ともいわゆるコントラクトラボの所属なので、講演を通して日本の農薬会社から試験の依頼が来ることを期待しての講演)が登場し、Dr. Thorsten Behsen(LKC Switzerland Ltd.)は"A comparison of environmental requirements between the EU and Japan"という演題で、Dr. Hank Krueger(Wildlife International)は"Birds and pesticides in agricultural ecosystems of the United States"という演題で講演をしました。
休憩をはさんで、田中幸一氏((独)農業環境技術研究所)が「農薬が昆虫類に与える影響と生物多様性指標」について、池田浩明氏((独)農業環境技術研究所)が「農薬と水田の絶滅危惧植物」について講演をしました。
その後ポスター発表をした人たちの簡単なプレゼンテーションに続いて約1時間、自由に各ポスターの周りに集まって著者との質疑応答をしました。

情報交換会の後は私は部屋ですぐ寝ましたが、若い人たちは二次会で遅くまで盛り上がっていたようでした。



2014年11月19日水曜日

朝早く大学に寄って、共同研究をしている樹木医のA氏がマツノザイセンチュウのDNA診断をするサンプルを渡したり、打ち合わせをしました。
その足ですぐ東京の経団連会館に向かい、全国農薬協同組合の創立50周年記念式典に参加しました。西川公也農林水産大臣も来賓として挨拶をしていました。現職の大臣が代理ではなく、本人が来られるのは珍しいなと思いましたが、選挙が近いからかなと邪推しました。当然周囲の誰かが原稿を書いたのでしょうが、世界人口の増加が予測されている時代での農薬が食料生産に果たしている役割の重要性に言及されました。ロンドンオリンピック体操女子代表だった田中理恵氏が記念講演をする予定でしたが、実際は二人の司会者とのトークショウという形式で、大変面白い企画でした。
田中理恵氏はマネージャーみたいな付き人と一緒に来ていて、あらかじめ写真撮影も録音もそれらのネットでの公開も禁止ですというアナウンスがありました。体操選手を引退してタレントになったらしく、管理事務所が肖像権の管理をしているのかもしれません。

明日は朝早く家を出て、静岡県焼津市に向かい、一泊二日で農薬環境科学研究会に参加してきます。