2013年9月30日月曜日

しばらくブログを更新できなかったことで支援者から久し振りのお便りが届きましたので、すぐ返事を差し上げました。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生へ こんにちは。○○県の○○○○です。ご無沙汰しております(ブログ、毎日拝見しております)。私も先生のブログ更新がないので非常に心配しておりました。ご無事で何よりです。ブログ、これからも楽しみにしております。アメリカでの生活をエンジョイなさってください!それでは。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2013.9.30 ○○○○様
久し振りのお便りありがとうございました。昨日の朝日本を出発するまでいろいろなことに追われて、ブログの更新ができませんでした運動のためにカメラを腰のベルトにつけて歩くことだけはほとんど毎日していましたので、気になる景色があると写真も撮っていましたが、ゆっくりパソコンに向かって取り込む時間がありませんでした。昨日の午前中に飛行機が成田空港から離陸して、やっと解放された気分になりました。いつものことですが、到着してからの時差ボケを防ぐために、飛行機の中ではできるだけ目を閉じて眠るように心がけました。 お陰で、今朝は目覚ましを7時半にかけておいたのですが、6時には自然に目が覚めました。シャワーを浴びてひげを剃ってからきれいな服に着替えて、ロビーのコンチネンタルスタイルのブレックファスト(朝食)を食べに行きました。と言っても、飲み放題のコーヒーとマッフィン(パン)とキャンディバーとりんごとオレンジがあるだけですが、テレビのニュースを見ながら一人で食べました。 それから部屋に戻って日本から届いているメールに返事を書いて、メールをやらない妻にFAXを送って、近くのRegency Park(リージェンシイ公園)に行って池の周りを1周散歩してきました。まだ秋の初めで紅葉していた木はほとんどありませんでしたが、秋晴れの遊歩道を歩くのは爽快でした。 これから約2週間のんびりできるのは楽しみです。写真もブログにアップして皆さんにお見せしようと思っています。 お便りをありがとうございました。 本山直樹 Extended Stay America Raleigh-Cary-Regency Parkway South にて E-mail: motoyama335@aol.com ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

昼頃マージーさんが訪ねてきて昼食を作って食べさせてくれました。私が料理ができないことを知っているので、これから毎日きて、朝食以外は食事を作ってくれるとのことです。その後、トコジラミを捕獲する予定のマンションを下見に行って、帰りに近くのウォルマートというスーパーマーケットに寄って捕獲作業に必要なちょっとした資材と、食材(パン、バナナ、リンゴ、オレンジジュース、チーズ、ニンジン、キューリ、ナッツの詰め合わせ、バターなど)を買ってきました。 来年からは明治大学で「食の安全学-食の安全・安心をもとめて」という講義を2回だけ担当することになっていますが、日本を発つ前に依頼された書類に記入する時間がなくてそのままにしてこちらに来てしまったら世話人の北野 大(まさる)先生から督促状のメールが届きましたので、早速記入して返送しました。

それが終わってから、毎年ジョギングをしているジョンソン湖に行ってゆっくり1周(3マイル=約5キロ)を歩いてきました。台風の後に松戸でも見られたように、どこまでも青い空に白い雲が浮かんで、湖ではボートから釣りをしている人もいて、大きな木々に囲まれたTrail(遊歩道)を歩くのは癒されるようないい気分でした。 夕食は7時だと言われていたので、それに間に合うように帰ってシャワーを浴びて汗を流しました。食事は、エビと貝柱と鮭のシーフードにトウモロコシ、ニンジン、キューリが付いていました。

2013年9月29日日曜日

しばらく忙しくてブログの更新ができなかったら、先日何人かの人から体調でも悪いのかと声をかけられました。市橋君の問題が一応決着して、もうこのブログをチェックしている人はあまりいないかもしれないと思っていましたので、ちょっと驚きました。 日本時間で29日(日)の朝6時過ぎに自宅を出てタクシーで松戸駅まで行き、京成電車に乗って新鎌ヶ谷で空港アクセス特急に乗り換えて成田空港に行きました。以前は荷物が多い時は自分の車で行って、帰国するまで駐車場に車を置いておきましたが、私も年金暮らしになりましたので少しでもお金を無駄使いしないようにこの頃は電車を利用するようにしています。 ワシントンDCのダレス国際空港で飛行機を乗り換えて、ノースカロライナ州のローリー・ダーラム空港(RDU)には予定通り29日の午後1時半頃着きました。時差が13時間あるので同じ日になります。空手の弟子/友人のマージーさんとビル君が迎えにきていました。空港の近くにあるカーレンタル会社がたくさんあるところに行って、予約してあった車を10月14日まで借りました。すぐいつも泊まる台所付きのモーテルまで自分で運転して行ってチェックインしましたが、日本と逆で車は右側走行ですので、ビル君が助手席に乗ってくれて、慎重に運転しました。 その後バージニア州の山の中に住んでいるジェイニーさん・ケリー君夫妻と、サウスカロライナ州で牧場をやっているリンダさん・ラリー君夫妻に電話をして、今回は滞在期間が短いので訪問できないと言ったら、向こうから会いに来ると言ってくれました。その後、ジョアンさん・フランク君夫妻とロビンさんと娘のジーナさんが、ビールやソフトドリンクや食べ物(牛のリブ肉のバーベキューや野菜など)を持参してくれました。皆で1年ぶりの再会を祝して会食しながら楽しくおしゃべりしました。赤ちゃんの時から知っているジーナさんは21才になったそうで(私よりもはるかに体格がいい)、手製のバナナプディングを持ってきてくれて、皆でデザートにいただきましたが、本当に口の中がとろけるような美味しさでした。 こちらの時間で夜の8時半(日本時間では30日の朝9時半)に皆が引き揚げたので、持ってきたノートパソコンを開いて、アクセスコードを使う無線ランでインターネットに接続しました。これでこちらにいる間もブログの更新ができますし、メールのやりとりもできます。 今夜は今からぐっすり寝ます。

2013年9月18日水曜日

9月29日に日本を出発して訪問予定のノースカロライナ州立大学のRoe 教授の都合を訊いたら、海外出張に出て10月7日には帰国するということでしたので、10月8日の午前11時に研究室にお邪魔することにしました。多分Hodgson 教授(Toxicologist)とApperson 教授(Medical Entomologist)も同席して、ネオニコチノイド剤とミツバチのCCD(蜂群崩壊症候群)の問題と、トコジラミ防除の問題について話し合い、その後で皆で一緒にランチを食べに行くことになる筈です。
空手の弟子/友人のMargie さんの娘がミツバチの専門家として勤務しているバイエルクロップサイエンス(BCS)社のBee Care Center も近くのResearch Triangle Park (RTP) にありますので、10月1日か2日に訪問するということで日程調整をしているところです。

市内の電気店から注文しておいたナビ(車、自転車、徒歩兼用型)が届いたという電話がありましたので、受取に行ってきました。これがあれば、歩いたり自転車に乗ったりして遠くまで行っても、道に迷わずにすみます。

今日の運動は、昨日と同じように道場で空手衣に着替えて少し体を動かしてから江戸川右岸(東京都側)の堤防を下流(東京湾方向)に向かって歩き、北総線の陸橋のちょっと先まで行きました。明日は日本環境衛生センターに行く予定ですので、運動する時間はなさそうです。




2013年9月17日火曜日

江戸川の水かさは大雨が降っている時よりも、一日ぐらい時間が経ってからの方が増える筈だと思って行ってみたら、やはりその通りでした。河川敷を利用したゴルフ練習場は水浸しで、距離を示す立看標識は水没して見えませんでした。野球場も水浸しで一部だけ残った地面は中洲のようになって、カモメの休み場所になっていました。緑の芝がきれいだったゴルフコースも水浸しで、川との境がなくなっていました。

葛飾橋を渡った右岸の堤防を上流に向かう道は、江戸川堤(つつみ)サイクリングロードと呼ばれて舗装されていますが、自転車に乗った人が気持ちよさそうに風を切って走っていました。私も今は運動のために時間のある限り毎日2~3時間歩いていますが、だいたい往復2~3時間で行ける距離がわかってきましたので、そのうちに自転車を買って往復2~3時間でどこまでいけるか試してみたいと思っています。

      (写真はクリックすると拡大できます)



2013年9月16日月曜日

台風18号は西の方(関西、東海)には水害や崖崩れをもたらしたようですが、松戸の辺りは幸い強風だけで昼過ぎには北上してしまいました。午後になって晴れ間も見えたので運動着に着替えて江戸川に行ったら、水かさが増えてゴルフ練習場の一部は水没していました。
台風一過で空がきれいになったせいか、筑波山や富士山がくっきり見えました。木の枝葉に加えて、蜂の巣やドングリ(スダジイの実)も落ちていました。
今日も運動を兼ねて2時間歩いてきましたが、台風が通り過ぎるのを待ちかねていたかのように、ジョギングをしている人や自転車に乗っている人や犬の散歩をしている人に大勢出会いました。





2013年9月15日日曜日

東京農業大学総合研究所研究会農薬部会(私が会長)の第91回セミナーは、9月20日(金)14:00-17:00に食と農の博物館で開催します。今回は原 正樹氏(住友化学(株)国際アグロ事業部登録部)による「EUにおけるネオニコチノイド剤規制の経緯と最近の動向」と、松村正哉氏(九州沖縄農業研究センター)による「イネウンカ類の薬剤抵抗性:現状と今後の課題」という2題の講演がある予定です。
満席でも60名くらいの収容しかできないセミナー会場に対して、70名の参加申し込みがあって、さてどうしたものかと幹事の間で嬉しい悲鳴をあげています。

午前中は台風18号の影響かバケツをひっくり返したような大雨が降りましたが、午後からは晴れたのでいつものように運動着に着替えて江戸川堤防に行きました。今日は右岸を上流に向かい、東京都側から江戸川越しに松戸市中心街を眺めながら歩きました。
途中で堤防を下りて、水元公園の中や周辺を2時間ちょっと歩きました。すっかり色付いた柿や熟して地面に落ちた栗の実があり、秋を感じさせました。公園内の木には名札が付いているので、植物の名前に疎(うと)い私にとっては、木の名前を覚えるのに助かります。



2013年9月14日土曜日

これでしばらくは講演はないだろうと思ってのんびりしようと思っていたら、10月17日~18日の長野県駒ケ根市での長野県林業薬剤協会研修会の予定について担当者から連絡がありました。私は9月29日から10月14日はアメリカのノースカロライナ州に出かけて日本を留守にしますので、その前に講演の準備をしておかなければいけないということを思い出しました。
駒ケ根市は、私たちが2年間にわたって山の松林の松くい虫防除で有人ヘリコプターで薬剤散布が行われた時に飛散調査を実施したころですので、再訪できるのは楽しみです。山の中腹にある栖林寺(せいりんじ)の庭の樹齢500年くらいの赤松が元気かどうかも気になりますし、すぐ側にあった手作りパン工房にも寄ってみたいと思います。

今日は葛飾橋から江戸川を渡って、水元公園から埼玉県側のみさと公園を2時間歩いてきました。みさと公園には「子供の砦」と呼ばれる場所があって、大勢の子供たちが若いお父さん・お母さんと一緒に来て遊んでいました。

2013年9月13日金曜日

高知に出張中は運動ができなかったので、午後遅く運動着に着替えていつもの水元公園に行って2時間ちょっと歩いてきました。いつの間にかアブラゼミの声が少なくなって、ツクツクボーシの鳴き声が多く聞こえるようになりました。
太陽が沈むがのが早くなって夕方6時には暗くなり始め、自宅に着く頃には真っ暗になって虫の声の合唱に囲まれました。

2013年9月12日木曜日

昨日は三翠(さんすい)園というりっぱなホテルにチェックインし、大きな温泉に入って汗を流してから懇親会場に行きました。

シンポジウム前のパネリストや関係者との顔合わせと事前打ち合わせは11時からでしたので、朝食後少し市内の散策に出ました。ホテルの敷地は龍馬伝にも登場した幕末の土佐藩主山内容堂の別邸跡地ということで、りっぱな武家長屋と門が保存されて、長屋の中の1階部分には当時の部屋や道具類が展示されていて、2階部分の壁には高知県出身の偉人の写真と功績が展示されていました。
三翠園の真ん前は公園になっている庭があって、私には珍しい植物がありました。高知城は県庁の裏にあり、町の中は昔懐かしい路面電車が現役で走っていました。大通りに平行している小通りには市(いち)(露天商)がでていましたが、市は曜日によって違う通りにでるのだそうです。高知県の人口は約75万人で、高知市の人口はその中の約34万人だそうです。中心部には高層ビルもあって経済活動が盛んな様子でしたが、何となくいい意味での昔風の雰囲気が残っている感じがしました。

シンポジウムでは挨拶に続いて私が基調講演「農薬の役割と安全性について」をし、休憩をはさんで高知県環境農業振興課の古味一洋博士の「高知県における総合的病害虫管理技術(IPM)の導入について」と題したプレゼンテーションがありました。高知県は施設野菜の栽培が盛んな土地ですので、農薬に対する抵抗性問題などから天敵による害虫防除に早くから取り組んで成功しています。
パネルディスカッション「環境と調和した農産物生産について」は高知県庁の朝比奈泰史氏がコーディネーター役を務め、私と古味博士の他に青果市場の営農相談員、消費者グループ代表、施設ピーマン生産農家が参加し、それぞれの立場から農業、農薬、食の安全の主張をしました。




2013年9月11日水曜日

高知龍馬空港に着いたら、今回の農薬シンポジウムの主催者の世話人M氏が迎えにきておられ、夕方に予定されている懇親会まで時間があるので桂浜に行きました。何年か前のNHKの大河ドラマで坂本龍馬が取り上げられて以来、旧土佐藩というのはどんなところだろうという興味がありました。

桂浜公園は日本の白砂青松100選には入っていませんが、日本の渚(なぎさ)100選に入っています。砂浜は砂というよりも小砂利で、松林の間からみる渚の景色はなかなかのものでした。大きな松にはほとんどに殺センチュウ剤(マツガード)の樹幹注入施工済の標識が貼ってありました。
しかし周辺の海岸沿いの松林を見ると、松くい虫で枯れた松が多数見られましたので、来年のマツノマダラカミキリ成虫の発生時期までにしっかり伐倒駆除をしないと、激害の発生源になりそうでちょっと心配になりました。この辺りの松林は誰(国、県、市?)が管理しているのかわかりませんが、こういう現状を把握していればよいのですが。


2013年9月10日火曜日

今日の運動は、道場で準備体操の後で六角刀の素振りやベンチプレスを少ししてから江戸川堤防に出かけ、久し振りに左岸を上流に向かって歩きました。上葛飾橋の下辺りにはコスモス畑があり、赤やピンクや白い花が咲き乱れていました。
河川敷に一箇所だけ珍しくススキの穂がでているところもありました。

明朝は羽田から飛行機で高知に向かいます。私の講演は明後日なので、明日の午後は桂浜や坂本龍馬にゆかりのところなどを案内していただける予定なので楽しみです。




2013年9月9日月曜日

先日、Elsevier という出版社からの"Biochemical Toxicology of Forensic Toxicants"という本の出版計画について評価してほしいという依頼に対して、評価票を返送したら、その謝金$200(現在の為替レートでは約2万円) の支払いについてGlobal Payee Information Form という書式が送られてきて、記入して返送することが求められています。面倒くさい気がしますが、税金の適切な手続きなどのために必要なのでしょう。

昼休みの運動でいつもの水元公園を3時間半くらい歩いてきました。ここにはメタセコイアという木の林があって、大木が何本もあります。園内には緑色のアオウキクサに全面が覆われている水路があって、一風変わっていてきれいだなと思ったら、キャンバスを立てて絵を描いている人がいました。「大気」と名付けられた男性の銅像が立っていたので裏に回って見たら、晝間 弘という日展評議員の第7回日展文部大臣賞受賞作という説明がありました。


2013年9月8日日曜日

今年の6月に新潟県胎内市で松くい虫防除でヘリコプターによる薬剤散布が行われましたが、その後現地在住の卒業生に経時的に松枝を採取してクール宅急便で送ってもらい、網室で飼育しているマツノマダラカミキリ成虫に対する殺虫活性を試験したデータがでましたので、整理を始めました。膨大なデータなので、どのようにまとめるかちょっと時間がかかりそうです。

午後からはいつものように運動のために水元公園に出かけて2時間半くらい歩いてきました。桜堤(つずみ)のジョギングコースの上には落ち葉が見られるようになりました。栗の毬(いが)にも割れ始めたものがでてきました。

  

2013年9月7日土曜日

自宅に戻って落ち着いたので、来週高知市で開催される「農薬シンポジウムin 高知」での講演の準備をしました。スライドはすでに送ってありますので、時間配分など構想を練りました。
久し振りに水元公園に出かけて、運動のために2時間歩いてきました。植物も少しずつ秋の気配を感じさせるようになりました。

2013年9月6日金曜日

朝食は7時半ということだったので、朝6時に目覚ましをかけてすぐ近くの中洞(なかほら)牧場を訪ねました。代表取締役・所長の中洞氏は東京農業大学の卒業生ですが、30年くらい前に入植して、山の上に50ha の酪農の牧場をやっています。この辺り一帯は電気もない未開の過疎地で、大変な苦労があったのでしょうが、今は株式会社山地(やまち)酪農研究所という会社組織になって、りっぱな研修施設もできていました。http://nakahora-bokujou.jp/  放牧している牛は見慣れたホルスタインではなく、痩せて見えましたが、こういう厳しい条件に適した品種のようでした。
集会場に戻ったら龍泉洞黒豚ファームのご家族と農大の研修生が来ていて、朝食後養豚場を見に行きました。代表取締役の高橋氏も農大卒業生ですが、やはり30年くらい前に電気もなかった山の中の4ha の土地に奥さんと二人で入植し、苦労を重ねて、今では母豚100頭のりっぱな養豚場をやっていました。私たちが訪ねるというので、静岡大学教育学部に行っている息子さん夫婦が小さな孫二人を連れて帰省してくれました。
それから全員で車で1時間の距離の田野畑山地(やまち)酪農牛乳の牧場を訪ねました。http://yamachi.jp/  代表取締役の吉塚(よしづか)氏も農大卒業生で、約30年前に奥さんと二人で電気もなかった20ha の山に入植し、苦労を重ねた末に今はりっぱな牧場をやっていました。ここではよく見慣れた乳牛のホルスタインを放牧していました。
入植した当時の町長は農大卒業生で、町の発展のために開拓を奨励したのだそうですが、よそ者ということで最初はなかなか地元の人達に受け入れてもらえなかったとのこと。東京農業大学の創立者は明治維新の時の函館戦争に幕府軍として参戦した榎本武揚(たけあき)ですが、農大や農大卒業生には今でも開拓者精神が引き継がれていてたいしたものです。
ただそれでも時代の流れには勝てず、岩泉町の人口は3万人から1万人に減少し、集会場の隣りの分教場(小学校の分校)も10何年前に最後の一人の生徒が卒業して閉鎖され、30年前に入植した人々の中にもあきらめて出て行った人が少なくないとのことでした。

帰りは車で山の中の国道455号を走って三陸海岸にでて、津波で壊滅状態の田老(たろう)を通って宮古に出てから、国道106号で盛岡に戻りました。田老には万里の長城を思わせるりっぱな防潮堤があったのですが、つなみに破壊され、乗り越えられて、町が壊滅したとのことで、住宅跡地は草ぼうぼうの状態でした。防潮堤に上る石段の下には子供の犠牲者を弔うお供えがありました。大きなホテルの残骸跡には、観光バスが来ていました。商店もなくなったのか、いわて生協の移動店舗が来ていました。

     (写真はクリックすると拡大できます)