2016年10月31日月曜日

千葉大学走友会の仲間から昨日10月30日(日)に行われた第1回水戸マラソンを走った報告が届きました。私より2才年長のO先生は、グロス4:55:23(ネット4:48:55)で完走し、総合5370位、70才以上の部で62位だったとのこと。年齢的にはずっと若い現職のK先生は、グロス5:52:17(ネット5:46:03)で、制限時間内に完走したとのこと。
グロスとネットが違うのは、参加者が多くてスタートラインまで行くのに6~7分かかってしまうからです。ランナーの心理としては、1分でも1秒でも早く走りたいので、多くのランナーはスタートラインからゴールラインまでの正味42.195Kmをどれぐらいの時間で走ったか、自分の腕時計のストップウォッチで計測します。

私も今から3ケ月後の1月29日に開催される館山若潮マラソンで、制限時間の6時間以内に完走することを目指してトレーニングをしています。
今日は道場で1時間空手の稽古と筋力トレーニングをしてから、水元公園Cブロックと、その後江戸川を下流に向かって左岸の堤防を矢切(やぎり)辺りまで計2時間20分ウォーキング/ジョギングをしてきました。
10月中旬から心を入れ替えて真剣にトレーニングを初めて約2週間経ちましたが、空手の稽古でもジョギングでも明らかに体が軽くなり、息も続くようになりました。今日も堤防から河川敷に下りるスロープの上り下り3往復をいいスピードでジョギングしました。

園芸学部の旧正門の近くで、オオスズメバチの死骸が7~8体あり、中にはまだ瀕死の状態で生きているのもいました。こんな恐ろしいオオスズメバチをばったばったとなぎ倒す天敵は何だろうと思ってしまいます。以前も同じ場所にクワガタの死体がありました。周りには大きな木がありますので、カラスか何か野鳥に襲われたのかもしれません。

今日は一日中空は雲に覆われていましたが、南西の方向は少し雲の厚さが薄くて太陽の光が射して、昼間から夕焼けのように見えました。江戸川の葛飾橋からは金町駅前の高層マンションと、矢切辺りの堤防からは浅草の方向に東京スカイツリーが見えました。

朝、青森県の林政課に調査報告書を宅ファイル便で送りましたら、早速午後には、マツノザイセンチュウが検出されずにほっとしましたというコメントと礼状が届きました。



2016年10月30日日曜日

青森県八戸市淀の松原で1本だけ見つけた枯死進行中マツの材片のDNA診断結果をまとめた調査報告書の原稿について、校閲を依頼した研究者仲間の一人から3点指摘が届きました。1点目は、全国の松くい虫被害材積量に関する林野庁の公表資料は、平成27年度(2015年)が最新版だということで、残りの2点は年数の間違いとミスタイプによる誤字の指摘でした。早速訂正しましたので、もう一人の研究者仲間からの追加指摘がなければ、訂正版を明日青森県林政課に送ろうと思っています。

ノースカロライナ州立大学時代の恩師の故W.C. Dauterman先生の次男John君(オレゴン州在住の医師)の奥さんBonnieさんのフェイスブックに新しい写真がアップされました。ハロウィーンの前に息子たちとパンプキン畑に行った時の写真です。
私もいつもは10月にノースカロライナ州に行き、バージニア州のアララットという山の中に住んでいる剣道の弟子/友人のKelly Brown君をMargieさんと一緒に訪ねると途中の丘全体にパンプキンを栽培しているところがあって、毎回2~3個もらってきていました。今年はノースカロライナ州に行くのが7月でしたので、パンプキン畑に行く機会がありませんでした。

昼休みに江戸川に出かけ、3時間ウォーキング/ジョギングしてきました。今日は上流に向かって右岸の堤防を上葛飾橋まで行き、橋を渡って埼玉県の三郷市側の堤防を下って、水元公園Cブロックに寄りました。
園芸学構内では、モミジバフウにプラタナス(スズカケノキ)の実に似た形の実がなっていました。ウバメカシの下にもまだ緑色のドングリが落ちていました。ドングリの殻を剥いて、シブ皮を剥いで、試しに中身をかじってみましたら、渋くて食べられないということがわかりました。
プールの垣根の横に珍しい野鳥がいて、ちょっとシジュウカラに似ているなと思いましたが、写真を撮ってみたらヤマガラという鳥でした。
江戸川に行く途中の住宅街の電柱には、アオサギが留まっていました。
江戸川流水路の松戸ふれあい川には、オオバンが戻ってきていました。















2016年10月29日土曜日

千葉大学園芸学部事務から差出人不明(無記載)の私宛の郵便が転送されてきました。
[前略 グーグル検索をして「刑務所で出会った凶悪犯を語って下さい」2014年の書き込みを見て下さい ・・・・・・ 匿名希望]
という手書きのお手紙でした。
検索してみましたら、以下のサイトがでてきました。
http://tamae.2ch.net/test/read.cgi/4649/1405015279/

私は普段こういうものを見ませんので、何だろうと思って書き込みをたどってみたら、
「2014/11/08 名無番長
長野で工場が市橋達也と一緒だったわい・・・」
という書き込みがでてきて、その後にもいくつか市橋君が話題の書き込みがありました。
[2014/11/08 名無番長
本人は周りにあの有名な「市橋達也」とばれてないと思ってるw
協調性がないってゆうかちょっと浮いてるwww
運動時間中はずっと一人で筋トレしたり空手の型?みたいなのやってる
しゃべりかければ普通にしゃべるけどw
ちなみに先月の10月で2類になってたよ ]

誰がこういう書き込みをしているのか、自分の顔を見せずに書いているので内容にどれだけ信憑(しんぴょう)性があるのかも、私にはわかりません。

お手紙の差出人は以前は市橋君のことに非常に関心があって、いろいろ活動もされていたような印象を受けましたが、無期懲役が確定して(二審判決に対して上告期限の2012年4月25日までに検察・弁護側双方が上告をしなかった)、受刑生活が始まって、市橋君のことがほとんど社会の話題にならなくなって何年も経ちますので、気持ちのやり場がなくて迷っておられるのでしょうか。
「この手紙を書くのも何日も考え悩みました」
「先生の書き込みをものすごく久しぶりに見ました」
「何か変化が生まれるといいなと思います」
ともありました。
もし私に相談したいことがおありでしたら、ちゃんとご自分の顔を見せて(自己紹介をして)、メールをいただければ、時間の許す範囲で対応致します。私の現在のメールアドレスは motoyama335@aol.com です。
「子供からお古のIPADをもらったのでそれで見ることが出来るので、それで先生のこの先の書き込みを見させていただきます」とのことでしたので。

昨日は大雨で外でのウォーキング/ジョギングができませんでしたので、今日は江戸川の上流に向かって右岸の堤防をいつもの2倍の3時間ウォーキング/ジョギングして運動をしてきました。
古ヶ崎の辺りにはまだ少しだけ農地が残っていて、緑色が見えたので近寄ってみたらコカブの畑でした。水田では稲刈り後の切り株から2番穂が出ていました。農地の縁(へり)に植えてある菊の花と、坂川沿いの濃い紫色の朝顔の花がきれいでした。

:2類というのは受刑者の待遇のようで、テレビの視聴が自由、面会は5回/月、手紙の発信は7通/月 などのようです。
http://prisonfile.info/yugu.html









2016年10月28日金曜日

青森県の日本海側ではすでに何回か松くい虫被害木が見つかり、その都度迅速に枯死木を伐倒駆除して被害の拡大を防いでいますが、太平洋側ではまだ松くい虫が侵入したという報告はないようです。私が9月8日~9日に弘前大学で行われた第12回松枯れ防除実践講座に参加した機会に、一泊余計にして9月10日に太平洋側ですでに松くい虫被害が発生している岩手県と接している八戸市の淀の松原の遊歩道を調査した時に枯死進行中のマツを1本だけ見つけました。
その後9月26日に現地を再訪して材片を採取してきて、ベールマン法による線虫の分離とDNA診断によるマツノザイセンチュウの有無を検査した結果、陰性でしたので当該木は別の原因で枯れたという考察になりました。
青森県林政課には、このマツの所有者の特定と私が材片採取することの了解を得ていただきお世話になりましたので、お礼を兼ねて調査報告書を作成して結果をお知らせすることにしました。調査報告書の原稿ができましたので、研究者仲間に送って問題点があれば加筆・訂正するように依頼しました。問題点がなければ31日(月)に青森県林政課に送ろうと思っています。

今日は雨でしたので、昼休みに道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間しました。

 



2016年10月27日木曜日

樹木医学会第21回大会は、11月12日~14日に神戸大学農学部で開催される予定です。
http://www.thrs.jp/meeting/21th_meeting/21th_meeting.html
今日研究者仲間の樹木医の阿部 豊氏からプログラムの一部が送ってきました。松くい虫問題について興味深い内容の研究発表が何題かありますので、私も参加して聴講したいところですが、残念ながら私はこの期間はすでに他の予定が入っていますので参加できません。阿部氏に講演要旨集だけ1部入手してきて下さいと依頼しました。
松くい虫に直接関係する口頭発表とポスター発表の演題は以下の通りです:
A-1 抵抗性クロマツ被害進行地の残存木は強いのか?
A-2 マツ材線虫病予防薬の樹幹注入に起因する通水停止と枯死のリスク
A-3 マツ枯れ・ナラ枯れ後の里山二次林における維持管理手法の検討
A-4 マツ枯れを主題とした科学コミュニケーション活動の展開
P-1 マツ伐根におけるマツノザイセンチュウの検出
P-24 外生菌根菌と木質炭化物を用いたクロマツ苗の育成

今日はいつもの理髪店で散髪をした後で、道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間し、その後で昨日と同じように江戸川堤防と水元公園で1時間半ウォーキング/ジョギングをしてきました。河川敷に下りるスロープの上り下り3往復のジョギングもしました。以前ほど息が切れなくなりましたし、シャワーを浴びて体重計に乗ったら、トレーニングを始めてちょうど2Kg減量になっていました。道理で体が軽く感じる筈です。

江戸川堤防の下でハトを飼っているいる人がいて、いつも午後になるとハト小屋のドアを開けてハトに空を自由に飛翔させています。いつも空を見上げて何羽いるのか数えてみるのですが、動いたり重なったりして自信がありませんでした。今日はカメラを向けて写真に撮ってみたら、19羽いることがわかりました。
水元公園Cブロックのイチイの木には赤いきれいな実がなっていて、ネットで調べたら食べられるとのことでしたので、今日は試しに口に入れてみました。ちょっとネバネバがありましたが、甘みもあり、結構おいしかったので5~6個食べてしまいました。
先日館山の平砂浦の砂浜で鈴なりになっていたグミの実も食べてみましたが、渋みと酸味が強く、あまり美味しくはありませんでした。宮崎県に住んでいた子供の頃によく食べたグミの実はもっとおいしかったような記憶がありますので、同じグミといっても品種の違いがあるのか、あるいは生育環境の違いなのか、あるいは当時は食料不足で単に空腹だっただけなのか・・。
水元公園Cブロックにはカリンの木が何本かあって果実がなっていますが、果実が癒合しているように見える木もあります。



2016年10月26日水曜日

YAHOO! JAPAN ニュースに、「津波で7万本流出・・・高田松原復活へ」という見出しの記事が載りました。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20161026-00000004-khks-soci

2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災に伴う津波が押し寄せて約7万本のマツが流失した岩手県陸前高田市で、NPO法人「高田松原を守る会」の人々が昨日25日に試験的に400平方メートルの跡地にクロマツとアカマツの苗木約150本を植栽したとのことです。ゆくゆくは来年度から3年かけて約8ヘクタールの盛り土をした跡地に4万本のマツ苗を植栽して、50年後に高さ20mの松原を再生することを目指しているとのこと。
50年後といえば守る会の理事長(71才)を含めて50才代以上の大人のメンバーはこの世を去っている筈ですが、子孫のために多くの思い出がある松原を残そうという気持には頭が下がります。

松くい虫問題について一緒に研究をしている研究者仲間で樹木医の阿部 豊氏から、私が青森県八戸市の淀の松原で1本だけ発見した枯死進行中木から9月26日に採取してきた材片のDNA診断の結果の写真が送ってきました。幹の地上1mと、地上3cm(地際)と、地下3cmに電気ドリルで複数個所穴を開けて材片を採取してきました。ベールマン法で線虫を分離したところ、地下3cmの材片からは0頭、地上1mの材片からは1頭、地上3cm(地際)の材片からは多数(1,939頭/材片乾重3.1g)の線虫が検出されましたので、特に地上3cmの材片についてはサンプリングの振れによる検出漏れを防ぐために線虫100~150頭ずつを供試して14反復検査をしましたが全て陰性で、マツノザイセンチュウは検出されなかったという結果です。
従って、すでに青森県が私たちと同じ木の幹の地上1mの位置の6個所から材片を採取して3材片を供試してDNA診断をしてマツノザイセンチュウ陽性反応は見られなかったという結果が、私たちのさらに綿密なサンプリングでも確認されたということになります。
ということは、枯死進行中だった1本のマツは松くい虫以外の要因が原因で枯死進行中だったということですので、青森県の太平洋側の海岸松林にはまだ松くい虫の侵入は起こっていないということが再確認されました。

昼休みに道場で空手の稽古と筋力トレーニングを1時間した後で、Tシャツと短パンに着替えて水元公園Cブロックに出かけて1時間半ウォーキング/ジョギングをしてきました。今日も江戸川堤防から河川敷に下りるスロープを3往復ジョギングしました。この勢いで毎日2時間半の運動を続けられれば、3ケ月後の1月29日の館山若潮マラソン大会までには、フルマラソンを制限時間の6時間以内に完走できるだけの体調にもっていけると思います。

2016年10月25日火曜日

千葉県では松くい虫防除の失敗で大半の松林は消滅しましたが、私の見たところでまだ面として松林がしっかり残っているところが少なくとも4ケ所あります-銚子の海岸、稲毛の海岸、鴨川のシーワールド付近、富津岬。今日は鴨川を含めて外房から館山の平砂浦の海岸松林の現状がどうなっているか、一人で車を運転して視察に行きました。

鴨川のシーワールド付近の松林はまだちゃんと守られていましたが、県道128号を少し南に下った辺りでは結構枯死木が目立ち始めていました。さらに南下すると、松くい虫被害で海岸松林がボロボロになっている和田浦ですから、もしかしたら被害が北上しつつあるのかもとちょっと心配になりました。枯死木が目立つ松林の前の家の庭に住民の奥さんがいたので話かけてみたら、私が作業着を着ていたので県の職員か伐倒を委託された造園業者かと思ったのか、以前担当者(誰の事か?)に「枯れたマツは何も害がないのでそのままほっとけばよい」と言われたと話してくれました。枯れたマツは来年の松くい虫の発生源になって次々に被害を拡大していくので伐倒駆除しなければいけないのに、とんでもない間違った情報を誰かに提供されていました。まさか、県の南部林業事務所ではないと思いますが・・。
奥さんの話では、以前はヘリコプターで薬剤散布をしていたが、この頃は県道を走る小型トラックの上から松林に向かって何かを散布しているとのこと。恐らく、スパウターでネオニコチノイド剤を地上散布しているのでしょうが、林帯幅があるので奥の方には薬液が十分量かからないということと、残効性が短いので1回散布ではマツノマダラカミキリ成虫の発生期間をカバーし切れないという、防除が失敗しているあちこちと同じ問題が起こっているのでしょう。
昭和46年(1971年)に当時の千葉県知事によって設置された「飛砂・潮害防備保安林」の看板が空疎(くうそ)に見えました。

さらに南下して館山の平砂浦に走ると、やはり県道128号沿いの元日本の白砂青松100選に選ばれたりっぱな松林があったところに、平成13年(2001年)に千葉県南部林業事務所が立てた平砂浦の保安林に関する誇らしげな看板が立っていました。ここも、元テレビキャスターだった女性知事の時代にヘリコプターによる殺虫剤散布は生物多様性に悪影響があるという信念(信仰?)から松くい虫防除の空中散布を中止に追い込み、その結果数年を待たずに戦後60年以上かけて植樹・育成してきた松林がほぼ全滅して、元の荒れ地に戻ったところです。
今は新たに予算をかき集めてマツ苗を植樹する事業が年次進行で行われていますので、どうなっているのか気になっていました。区画によってマツ苗の生長速度に違いはありますが、陸に近い方の区画ではりっぱなマツに生長していて安心しました。中には風除けの囲いが倒れていてマツ苗の生長も遅い区画もありましたが、県の事業の性格上最初の植樹の予算はついても、その後何年にもわたって維持管理していく予算はつかないのでしょうから、そこは地元住民のボランティアの協力を得る仕組みを立ち上げればいいのにと思いますが・・。
何年か前に私自身も平砂浦での植樹イベントに参加しましたが、多分植物生態学や植生管理学分野の専門家の助言でマツ苗だけでなく、比較的潮害に強いと言われるグミ、タブ、マサキの苗も植樹しましたが、やはりマツ苗だけがしっかり育って他の樹種は大半が消えかかっていました。

50年以上前になりますが、私が学生時代には太平洋を眺めるのが好きでよく電車に乗って外房に出かけました。確か海岸に突き出た丘の上にスペインの船が座礁した時に救助した記念の塔が立っていたのは勝浦だったと思って寄ってみたら、記憶違いで御宿でした。
http://maruchiba.jp/sys/data/index/page/id/5687
今ネットで調べてみると、1609年に、メキシコ塔(メキシコ公園)で、当時スペインの植民地だったフィリピンからやはりスペインの植民地だったメキシコに帰港する途中のスペインの船サン・フランシスコ号が沖合で座礁したのを村人が乗組員全員を救助したとあります。船名がサン・フランシスコ号ということは、当時アメリカのカリフォルニア州もスペインの植民地だったのかもしれません。大航海時代、植民地時代は歴史の流れだったのでしょうが、当時の西欧列強国が、世界中の発展途上国を植民地にして現地人を迫害・搾取した歴史を思い出させます。
間違って寄った勝浦の八幡岬には昔勝浦城があったらしく、後に徳川家康の子をもうけたお万様の銅像と説明板が立っていました。見渡す限りの太平洋の紺碧の海と崖に打ち寄せる白い波を見ていると、50数年前と変わらず、悠久の時を感じます。