2019年12月31日火曜日

しばらくブログの更新を休みましたが、私は元気に暮らしています。
運動不足気味でストレスが貯まっていましたので、江戸川の葛飾橋を渡って金町側に行き、水元公園Cブロックを1周してからBブロックに行きました。
Cブロックの大きなケヤキの樹皮のめくれている部分を剥いでみたら、越冬虫らしいものが潜んでいました。私には名前はわかりませんが、せっかくの越冬場所を露出させてしまって気の毒なことをしたなと思いました。Cブロックの公園内の石畳の通路の一部が補修されていましたが、古い通路部分との段差がなく実に上手に施工されていて、さすがだなと感心しました。
Bブロックの樹上にはダイサギ?らしいシラサギが1羽留まっていました。水路には珍しくハジロカイツブリが泳いでいました。何人かのカメラマンがカメラを向けている方向を見たら、カワセミが来ていました。小合溜には無数のホシハジロが来て浮かんでいました。
Bブロックに沿った遊歩道には「北向き地蔵」が設置してあり、いつもお花(造花)や水その他がお供えしてありますが、今日は参拝者への感謝の言葉とお賽銭12,378円を葛飾区社会福祉協議会に寄付をしたという報告が掲示されていました。こんな小さな路傍のお地蔵様でも、ちゃんと見守ってお世話している人がいて、お賽銭をきちんと社会の役に立つように管理して下さっているというのはありがたいことだと思いました。























江戸川の堤防に戻ったら上流方向に黒煙がもうもうと立ち昇っているのが見えました。火元は右岸(千葉県松戸市)側か左岸(埼玉県三郷市)側か見極めたいと思って、左岸の堤防を上流に向かって進んでみましたが、江戸川は蛇行しているので見る角度によって右岸に見えたり左岸に見えたりで、とうとうJR武蔵野線の陸橋まで行ってしまいました。どうも黒煙は左岸(埼玉県三郷市)から立ち昇っているように見えましたが、強風で体が吹き飛ばされそうなぐらいの冷たい向かい風でしたので、体力を消耗してしまい、それ以上進んで確かめるのは諦めました。
自宅を出て4時間ぐらい経っていましたので心配した妻から電話がありました。帰りはJR三郷駅から電車を乗り継いで帰宅しました。
私の火元を確かめたいという好奇心から疲労困憊しましたが、いい運動になった大晦日でした。






2019年11月23日土曜日

一般財団法人日本緑化センター主催の令和元年度松保護士講習会は、一般財団法人筑波学都資金財団筑波研修センターで18日(月)~23日(土)に開催され、講義、実習、メーカー説明、面接試験などのカリキュラムがビッシリ組まれています。私は22日(金)の13:30~15:30の2時間、主催者から依頼された「空中(薬剤)散布減少の要因と課題」というテーマについて講義を担当しました。受講生名簿には37名(2名欠席)の名前があり、北は青森県、南は沖縄県からも来ているとのことでした。途中10分の休憩を挟んで、大体計画通りの時間配分で講義ができました。あらかじめ提出したスライドをA4に2枚ずつカラーで印刷したものが受講生に資料として配布されていました。実際にはスライド提出後2~3枚追加しましたので、スライドがほしい受講生は講義終了後名刺を貰えれば宅ファイル便かデータ便で送りますと伝えたら、6名の受講生が名刺交換に来ましたので、帰宅後早速データ便で発送しました。
主催者の話では、懇親会の席での評判では私の講義は好評だったとのことでした。

せっかく筑波に行くので、筑波山の紅葉を見たいと思って東京在住の私の長姉(12才年長ですので、来週89才になります)に一緒に行きませんかと誘って、筑波研修センターに一緒に一泊しました。どういう施設か事前にチェックをせずに電話で宿泊申し込み(ツウィンの洋室)をしたのが悪かったのですが、個室に電話も風呂もトイレもない昔風の施設でした。廊下の端に位置する共用のトイレと洗面台がありましたが、朝髭を剃ろうと思ってもお湯はなく水だけでした。その分、価格が安く設定してありました。
食堂で朝食後、9時頃チェックアウトをして、自分の車を運転して約30分で筑波山神社の近くのケーブルカーの駅まで行きました。車を近くの茶店(食堂兼土産物店)の駐車場に預けて、ケーブルカーで男体山と女体山の中間の御幸ケ原にある山頂駅(標高800m)まで上りました。数日前に天気予報が変わって、昨日も今日も雨天になってしまい、本来は富士山や東京スカイツリーや関東平野が一望できる筈が、霧で全く何も見えませんでした。
少し休んでからケーブルカーで出発した宮脇駅まで下りて、筑波山神社を訪ねました。りっぱな神社で、境内にはイチョウやスギの大木があり、もみじの紅葉も見事でした。筑波山神社と車を置いた茶店の間には石の階段がたくさんあって、高齢の姉にとっては昇り降りが大変でした。

終戦の時(1945年)には私たちの家族は今の北朝鮮の黄海道廣州に住んでいましたので、12才上の姉は当時3才だった私を負ぶってソ連軍に見つからないように山道を歩いて、連合軍と共産軍の間を分断した38度線を越えて、日本への引き揚げ船に乗れたのだと聞きました。今は加齢による骨粗鬆症などで背中も曲がりすっかり小さくなった姉ですが、この年齢になってもこれだけの石段を昇り降りできた脚力はたいしたものだと思いました。姉が元気なうちは、時々旅行に誘おうと思っています。今回はあいにくの雨になってしまいましたが、姉は弟(私)の講義を聞けたことと、日常とは違う時間を過ごせたことはよかったと言ってくれました。津田塾大学を卒業して長年英語教師をしてきた姉は、今でも毎週木曜には自宅に生徒が来て教えているようです。私もそうありたいと思うようなりっぱな姉です。



















 

2019年11月21日木曜日

柏市にある千葉大学環境・健康・フィールド科学センターを訪問し、太陽光利用型植物工場と閉鎖型植物工場を見学させてもらいました。昔、私が千葉大学教員の現職だった時に、米軍通信基地の跡地(180ha)の一部を園芸学部が獲得し、果樹を中心にした園芸学部付属農場にしたのが、今は千葉大学付属に変わって、植物工場が中心で、すぐ前につくばエキスプレス線の柏の葉キャンパス駅ができ、周りに高層マンションも建設され、すっかり変化していました。
帰りは松戸駅西口から遠回りをして、坂川沿いの小道を歩いて帰りましたが、川沿いのエノキの大木や松戸神社境内の大イチョウが黄葉していました。

明日は筑波研修センターで開講されている日本緑化センター主催の松保護士講習会(11月18日~23日)で、私は「空中(薬剤)散布減少の要因と課題」というテーマで2時間の講義を担当することになっています。折角の機会ですので、松戸から自分で車を運転して行って一泊し、翌日筑波山でケーブルカーとロープウェ-に乗って紅葉を見てこようと思っています。