2012年5月31日木曜日

見損なった支援者のために、5月28日の記事の一部を再掲します。
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7.私達が提供した支援金、支援者が個人的に弁護士事務所に届けた支援金などの預り金明細書(使途内訳)をいただきました。収入から支出を引いた残金が、1,275,692円あります。残金の処理方法については、本ブログで支援者の希望を伺ってからお伝えしますということにしました。3つの案が考えられると思いますが、振り込んで下さった支援者の皆様のご意見をお知らせ下さい。1案:千葉県弁護士会に寄付をして、取り調べ段階の被告人や弁護人のいない被告人の弁護活動に使っていただく、2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく、3案:日本財団の犯罪被害者救済基金に寄付をする。2案の場合は、私以外にも支援者の中から複数の方々にも参加していただいて、目的が果たせるようにきちんとした管理方法を考える必要があります
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以下は支援者から届いたご意見とお便りです。ありがとうございました。
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先生、いつもありがとうございます。判決の理由とされた、本の印税と一生懸命働いた所持金全てを、犯罪被害者救済基金へ寄付してしまったので、それはもう十分だと思います。市橋君が更生する時のために使ってほしいと思います。支援者の方々が市橋君のために振り込んでくれた、温かい大切なお金です、是非市橋君のために守ってほしいと希望します。どんな毎日を送っているのか、考えるととても辛くなりますが、ブログを送っていただいた()、塀の中の黙示録を読むと、少しは安心できます。控訴は逆らっていると判断され、本を書いたのも減刑(減点?とされるのなら、分かっていた事を弁護士の方々がなぜそうさせたのか、疑問に感じます。三権分立になっていない司法をこの裁判で教えられました。(本山:外交的配慮がどれだけ裁判に影響したのかしなかったのか私にはわかりません。ただ、将来皇太子殿下が天皇陛下として即位される時に恩赦があるとしたら、日本の皇室とイギリスの王室の親密な関係から、市橋君が恩赦の対象から外されるようなことがあり得るのかどうか、というようなことは弁護団の中でも話題になったようです。)今まで一人で頑張ってきた市橋君を、母親の気持ちで抱きしめてあげたい気持ちで苦しくなります。被害者が自ら部屋へ行ったのに悔しいです。
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今晩は。昨日のブログ拝見致しました。支援金の残金の処理方法につきましては、ブログを確認する前にメール致しましたので、内容に行き違いがありました。申し訳ございません。民事訴訟で争わない場合に、領置金が全額没収される危険性があることを考えますと、塀の外で保管された方がいいですね。
2案を希望される支援者が多いようですが保管の問題も有りますし、2案以外を希望される支援者もいらっしゃいますので、ご意見を纏められるのも大変なことだと思います。ご検討に、ご負担お掛け致しますが、よろしくお願い致します。
石田弁護士さんの弁護士費用の件、お知らせ頂きありがとうございました。市橋達也さんの逮捕後に弁護団が結成され、テレビでの記者会見や本山先生から、その都度の状況を伺っていましたが、一審の千葉地裁で初めて6名の弁護士さんを目の前にし、威圧感を感じました。マスコミに取り上げられた大きな事件の裁判で、弁護団はベテランの菅野弁護士さんを筆頭に経験・年齢等により、それぞれの役目を果たされたように感じました。その中で唯一女性のお若い石田弁護士さんが、堂々と弁護されたお姿が印象的でした。私の個人的な気持ちですが、石田弁護士さんにもお礼として弁護士費用をお渡し出来たらと望んでいましたので、5名の弁護士さんから提供されてたと伺い、とても感動しました。
弁護士さんの仕事は、事件の弁護だけでなく被告人の心を開いたり、カウンセリングのようなことも必要だと思います。市橋達也さんの性格を考えますと、弁護活動もスムーズに進まずに難しかったのではないかと感じています。弁護団に感謝しています。

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5月2日のブログで紹介しました受刑中の樹月(きづき)カイン氏から、私が郵送(5月15日)した手紙に対する返信が届きました。便箋6枚に今回も丁寧な筆跡で書かれた、しっかりした内容のお手紙でした。こんなお手紙を書かれる方が、何故あのような酷い性犯罪を繰り返したのか(樹月カインというのはペンネームですので、支援者には彼の犯した犯罪の内容はわからないでしょうが)信じられないくらいです。前回のも含めて、全文をスキャンしてここに紹介できたらと思いますが、本人の了解を得てからにするつもりです。
ひとつ支援者の参考になることとして、「お手紙は東京拘置所へ出し続ければ、移送先へ転送されるはずです。」という記述がありました。どれだけ根拠のある情報なのかはわかりませんが、支援者で、もし市橋君に届かない場合は差出人に返送して下さいと記して、宛名を書いた返信用封筒に切手を貼って同封された方がおられましたが、この方からはお手紙が返送されてきたというご連絡はありません。もしかしたら、樹月カイン氏の言われるように、市橋君が移送された先の刑務所に転送されたのかもしれません。こういう場合はどういう対応をするのか、お手紙を郵送された方が東京拘置所に電話ででも確認してみるとはっきりするかもしれません。

もうひとつ樹月カイン氏のお手紙には、重要な情報が含まれていました。無期受刑者が社会復帰することはほとんどないのではという私の持っていた印象に対して、<現実にはそんなことはありません。私のいる〇〇刑務所は、長期刑かつ再犯者ばかりを収容している施設で、受刑者の5人に一人が無期というありさまですが、それでも年に何人かの無期囚が仮釈放になっています。たしかに市橋さんの事例は、社会的な影響等もあり、難しい側面もあるかと思いますが、「失望を受け入れつつ、希望を捨てないことだ」と私はおもいます。この言葉は、市橋さんがリンゼイさんに話したという、キング牧師の言葉です。> と書いてありました。
つまり、無期懲役の受刑者になってもそれで人生が終わったわけではないということでしょう。樹月カイン氏のお手紙を見ると、受刑しつつ成長することも可能で、いつかは社会復帰できる希望も残されているということのようです。

今日は、東京で社団法人日本植物防疫協会が一般社団法人日本植物防疫協会 http://www.jppa.or.jp/ になって初めての総会が開催され、私も個人正会員になっていますので出席しました。従来は理事長を始め、農水省の植物保護関係機関のOBが理事に入っていましたが、天下り禁止で、今日の総会で承認された新理事8人の中には一人も入っていませんでした。この協会は今までも試験事業、出版事業、講演会等の公益事業をしっかりやってきましたから、農水省からの天下りがなくなったからといって経営がゆらぐことはないと思いますが、これからその真価を問われることになるのでしょう。
総会後の親睦会では多くの旧知の人達に久し振りに会うことができ、楽しいひと時を過ごしました。

東京に出かける前に、お腹にビールや料理が入るスペースを少しでも作ろうと思って、江戸川堤防を8Km 走ってきました。

2012年5月30日水曜日

支援者から以下のご意見がありました。
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昨日のブログ拝見致しました。支援金の残金の処理方法につきまして、ご提示頂きました3つの案とは別に二点確認がございます。
①一審後に弁護団から抜けられた石田弁護士さんに弁護士費用をお渡しされていませんので、結審後の残金により弁護団に考えて頂くと伺っていましたが、その点のお話はございましたでしょうか?弁護団のお考え次第ですが、石田弁護士さんにも弁護士費用として、お渡し出来ればと思っていました。(本山:菅野弁護士・山本弁護士とお会いした時に、実はこの点についても確認しましたが、表にだす必要はないという私の判断でブログには書きませんでした。他にも同じ疑問をお持ちの支援者がおられるかもしれませんので、考えを変えてお答えします。一審では千葉県弁護士会の6名の弁護士が手を挙げて、取り調べ段階から市橋君の弁護を無償で引き受けて下さいました。2人ずつで毎週接見に行かれたり、公判前整理手続きが当初の予定より長くかかりましたので、大変な時間と労力を使っていただきました。6名の中、石田弁護士だけはご都合により二審の弁護団に参加されませんでした。しかし、支援金は予想以上に集まりましたので、私は一審で大変努力をして下さった石田弁護士にも何らかの形で謝礼を受け取っていただきたいと思い、その旨を菅野弁護士にもお伝えしてありました。二審を担当された5名の弁護士はご自分の弁護士料50万円から各5万円ずつを出し合って、計25万円を石田弁護士に提供されたとのことです。
②被害者遺族から損害賠償請求があった場合の弁護士費用について伺えましたでしょうか?(本山:ご質問の趣旨とは少し違いますが、市橋君が受刑中に他の受刑者や刑務官等に不当な取り扱いを受けた場合には、市橋君自身がとれる方法として人権救済申し入れという制度があるそうです。)もし民事訴訟で弁護士費用が必要な場合、支援金の残金から用意が出来ればと思います。
3案につきましては、2案を希望致します。ただ、管理が難しい点と、市橋達也さんが望まれるかが気になります。市橋達也さんと連絡が取れない現状で、本山先生と複数の支援者の方が口座の管理して頂いたとしても、いずれ彼に引き継げるか分からない状態では、不安に感じます。口座で管理されるよりも、山本弁護士さんやご両親に相談され、可能であれば、市橋達也さんの領置金として刑務所で管理された方が、よろしいかとも思います。(その際に、民事訴訟の弁護士費用として領置金から支払えるのか?刑務所の管理体制やデメリットなども確認した上ですが…) (本山:民事訴訟を起こされた場合は、領置金は全額没収される危険性があることは昨日のブログでお知らせした通りです。) もしくは、ご両親に支援金の残高をお預けして管理して頂くのは、いかがでしょうか。本山先生と他の支援者の方のご意見も伺った上で検討され、市橋達也さんの支援につながれば良いと思います。何かございましたら、ご協力致します。
〇〇県の支援者の方が、中部地方の刑務所に差し入れに行かれ、確認されようとしましたのは、凄いですね。でも私もお金と時間があれば、複数の刑務所を訪ねるパワーは有ります。しかし、市橋達也さんの気持ちを考えると、何も動けない状況です。今は、静かに遠くで見守っています。
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ブログ拝見しています。日課のランニング本当に凄いですね。支援金残高の処理方法ですが、3つの案の中で選ぶのであれば【3案の犯罪被害者救済基金への寄付】です。
東京農大生の方、良いお知らせが届くといいですね。
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市橋さんが控訴したから反省していないって見なされるなんて上告したら罪が重くなっていたのかなと思います。(本山:市橋君は上告しませんでしたのでもう必要なくなりましたが、二審の判決謄本のコピーをいただきました。何故裁判官があのような判断をしたのかが一つ一つ説明してあります。私も一度じっくり目を通してみようと思っています。) 先生が言っていた様に一生怯えながら暮らすより2年前に捕まってよかったと思っています。2案に賛成です。
私も事件のあった部屋のことが気になってたんですが、誰も住んでなかったんですね。市橋さんが刑務所にいて何のトラブルもなく暮らしてほしいです。弁護団の方々には感謝でいっぱいです。
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支援者の皆さんや本山先生の文章を読むと、私が気づかなかったことや勉強になる事がたくさんあってありがたいです。領置金としてプールしておく方法は民事裁判を起こされたときに、没収されるという危険があるとなるとやはり誰かが預かるという方法しかないのですか。そのことですが市橋君のご両親にはこれ以上心労をかけさせたくはありません。それに遠くから見守るという考えでいる以上無理ではないかと思われます。誰に支援金を託すのが相応しいのか・・・難しい問題ですね。
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昼休みに東京農業大学の私の研究室に醸造科学科の男子大学院生が立ち寄り、先日一緒に栃木県足利市の会社見学に行った女子学生が非常に喜んでいたと話していきました。私が同行して、会社に親切に対応してもらえたことがよっぽど嬉しかったのでしょう。
その後、キャンパスの周囲をゆっくり時間をかけて8Km 走りました。正門横の電光掲示板には、「食と農の博物館」の企画の案内がありました。今は、<馬を知る>と<熱帯農業の魅力>と<醸造のふしぎ>と題した3つの企画展示をやっているようです。http://www.mapbinder.com/Map/Japan/Tokyo/Setagayaku/Syoku/Syoku.html すぐ裏には馬事公苑もありますし、入場料無料の筈ですので、近くに来られた方は立ち寄ってご覧になる価値はあると思います。
農大キャンパスに沿った歩道の横の花壇には、色とりどりの花が植えられていて、楽しませてもらいました。



夕方6時に新宿歌舞伎町のある居酒屋で知人二人と待ち合わせしてありましたので、早めに到着するように出かけたのですが、あまりの雑踏と怪しげな商売の看板と客引きと無秩序に建てられたと思われる建物群に目を奪われ、うろうろしてやっと目的の居酒屋に着きました。先日、日本財団のプロジェクトで3年間滞在したミャンマーから帰国した人(68才)と、農薬会社勤務で名古屋大学の研究室の後輩(64才)と、3人で一杯やりながら楽しい時間を過ごしました。お二人とも海外出張の経験が豊富なので、アフリカのケニヤでの経験やミャンマーでの経験などを話してくれました。私も含めて皆もう孫のいる年代ですが、まだまだ今からやりたいことの夢を語って気持ちは若者のようでした。10時半になってもうこんな時間かと気がついて、あわてて席を立ちました。そんな時間でも新宿駅周辺はまだ若者で一杯でした。地方に行くと、県庁所在地ですらシャッター街が目立ち、若者の姿が少なくあまり活気が感じられないのとのギャップの大きさに、あらためてこういう状況を生んでいる政治はこれでいいのだろうかと疑問が湧いてきました。

2012年5月29日火曜日

支援者から昨日のブログの報告と支援金の残額の処理方法について、ご意見が寄せられています。2案の市橋君の出所後の生活支援金にというご意見が多いようですが、もう少しご意見を待ちたいと思います。
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毎日先生のブログを拝見し、色々なことを考えています。卒業生の就職のお世話をなさる教授は最近珍しいと思いますが、先生と企業側の方の信頼関係がしっかり築かれているからで、卒業生の女性ご本人の力であることはもちろんですが、本当にすごいことだと思いました。先生はお写真が上手ですね。構図や色彩など、どれも「良い写真」「良い記録」だと思いながら見ています。(本山:誉めていただきありがとうございます。私の見ている景色を皆様にもお見せしたいのと、ブログの記事が硬い文章だけにならないようにと思ってできるだけ写真を載せています。
市橋君が東京拘置所にも千葉刑務所にもいないことをお知らせ下さった方には感謝すると共に、どなたかが書かれていたように「子離れできない親のよう」な心境です。色々と妄想・想像を働かせました。名古屋の分類センターかな・・・ 市橋君自身が「支援者も誰も来れないような遠くに行かせてください」と言ったかな・・・ 移送にあまり経費がかかる遠方には行かないだろうなあ・・・ また自殺行為的絶食して、病院に行ってたりして・・・などなど。でも、市橋君はある意味「有名人」ですから、行った先の刑務所内の服役囚が、出所した時に外部の人に話したり、ネットで伝えたりして、そのうちわかるのではないかしら。受刑経験者が語るサイトもあり、真偽の程は別として、かなり刑務所内の実情もネットで語られています。
菅野弁護士とお話してきて下さってありがとうございました。説明内容は、セオリーとしてわかっていることなのですが、やはり市橋君を擁護したい私としては、「でもね」と考えてしまいました。行きずりの人を犯して殺害したのではなく、慎重派の市橋君はコーヒーショップでの語らいや絵のプレゼントをした時のリンゼイさんの反応などにより、ビジネスライクな付き合い以上のものを感じてしまったから、理由をつけて自室への誘いに至ったことでしょう。語学の先生と生徒が結婚した例はたくさんあるし、少々強引で乱暴な性交渉を機に恋人関係になる例もたくさんあります。リンゼイさんも、本当に嫌だったら、市橋君がキスしてきた時点で、必死で逃げるとか窓から大声を出し続けるとか、できたと思います。でも、市橋君という人は、亡くなったリンゼイさんの非の部分や彼女の人格を汚すことは口にしない性格だと思います。彼女が亡くなってることを良いことに、生きてる自分の都合の良いことを言う、性格ではない、と思います。
状況に関しては、彼は、本当のことを話したと思います。
リンゼイさんの首が突然、前にガクッと倒れたから、びっくりした。大変なことになったと思った。と。逃げたのも悪い。でも、親への迷惑、学校への迷惑、多くの人からの非難を考えると恐ろしくて名乗れず(自分勝手な部分から)、親にも恋人にも誰にも連絡しないまま、孤独に逃げました。
今回、市橋君はまた自分の意志で、知人の誰とも接しない生活に入りました。
これは彼独特の美意識だと理解してあげなきゃいけない、と思いつつ、本山先生の前で泣きじゃくってた日のこと、上告をしたいのに結局あきらめた時のことが思い出され、私は「子離れできないダメ母」であると思わされます。私もあれこれ想像で書いていますが、裁判長が言い渡した判決内容も、かなり「想像」だという印象でした。
弁護士団の方がたには感謝しています。支援金は、全部弁護士の方々へと思っていましたが、本山先生が書いて下さった選択しがあるのでしたら、私はやはり、市橋君の仮出所に希望をたくし、彼のために貯金してあげたいです。ご両親も準備なさってるでしょうけど。先生のご判断に委ねます。
長々とすみません。今後ともよろしくお願いいたします。

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おはようございます。ブログを拝見させていただきました。 昨日は菅野弁護士様や山本弁護士様に色々と市橋さんの事を聞いてくださり本当に有難うございました。(本山:私自身が疑問に思っていたことをメモしていって話題にしました。)丁寧に解りやすくブログに書いてくださいましたので、よく理解できました。今後は市橋さんがどちらの刑務所で服役されているのか判らないですけれど、彼が元気で頑張ってくれる事を願います。
ところで支援金の残金、1,275,692円の処理方法ですが、私としては、やはり[2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく]をお願いしたいです。現在33才の市橋さん(昭和54年1月5日生)がもし60才前後になって仮釈放された場合、先生もお書きになっていましたように、その年齢では社会復帰できても、生活は厳しいと私も思います。せめて市橋さんが長い間頑張って服役を終えた後の生活が辛いものとならないよう、落ち着くまでの生活資金に充ててあげたいのです。2案は色々と難しい事も有るかもしれませんが、支援者間が連携して、引き継ぎながら市橋さんと支援金を守っていけたらと思います。
願わくば何年先かわかりませんが、市橋さんが先生にお手紙をくださり、それで服役刑務所が判り、支援金の件を弁護士の方にも加わって頂く事で確実に市橋さんのお手元に届くよう祈ります。本山先生、この先もまだまだお手数やご足労をおかけすることと思います。私もできる限りのお手伝いはさせていただきたいと思いますので、どうか宜しくお願い致します。

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28日のブログを拝見しメール致しました。残りの支援金の使途ですが、気持ちとしては2案に賛成ですが、年月があまりにも長くやはり現実的に難しいと思います。必ず10年後に出所できる、ということなら別ですが、市橋さんの場合、30年あるいはそれ以上もしくは出所できない可能性もあります。もし不要となった場合の処理もまた難題となりますし、その時にお金のことですからトラブルが起きないとも限りません。なにより市橋さんが望まないのではないかと思います。
2案の場合引き受けてくださる方が必要になりますが、名前を公表し活動されていた先生とは違い、匿名での活動(管理)になると思われます。顔も名前も身元もわからない方々に30年以上も管理を任せるというのは少々乱暴のような気もします。出所後の生活については、全くの推測ですが、市橋さんのご実家は一般に比べて裕福なご家庭のように思いますので、もしご両親がご存命ではなかったとしても(すみません)、市橋さんに必要な資産、お金は残していかれるのではと想像します。
本当は今刑務所にいる市橋さんに全額差し入れ、市橋さん本人に管理してもらうのが一番いいかと思いますが、金額が大きいため差し入れが可能かどうかもわかりませんし、これもまた市橋さんが望まないことかもしれません。収監先がわからないので確かめることが出来ないですね。(本山:実はそのことも話題にしました。市橋君がどこで受刑しているかがわかってからの話ですが、市橋君に直接差し入れして刑務所で保管してもらうのはどうかという考えです。彼の手元には、支援者の方々が今までに千葉刑務所や東京拘置所で差し入れしたお金が、正確にはわかりませんが、多分30~40万円くらいは貯まっているのではと想像します。ひとつ気がかりなことは、リンゼイさんの遺族の代理人弁護士が将来被害者弁償金を市橋君に請求する民事裁判を起こす可能性があるということです。市橋君が弁護士を立てて裁判で争わない場合は請求通り弁償金が確定し、市橋君の刑務所内での所持金が全額没収される可能性があるということです。そうなると、社会復帰後の生活支援金として提供したものが実際には役に立たなくなってしまいます。それを避けるためには、支援金の残額は塀の外で管理しておく方がよいとも考えられます。なお、被害者弁償金の時効は10年だそうですから、市橋君が30年後に出所後に受け取る生活支援金が取り上げられることはないとのことです。
今の時点では、市橋さんも自分の印税を寄付されていた3案の犯罪被害者救済基金に寄付をするのが適当なのではないかと思います。今まで支援の会の活動本当にありがとうございました。

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昨日は、御足労有難うございました。控訴をする事自体反省心がないとみなすならば、三審制なんて意味がない事ですね。納得できない事が多くやりきれない思いです。
支援金の件ですが、市橋君の所持金も寄付してしまったので市橋君の将来の為に使ってほしいと思います。市橋君の口座を作る事はできませんのでご両親に渡すのがいいんじゃないかと思います。(本山:私が考えつかなかった発想です。ご両親がどう対応されるかわかりませんが、一案ですね。そのためには、〇〇さんと是非協力させて頂きたいと思います。

無期懲役は終身刑とは違うという事を市橋君に伝えてあげたいです。
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本山先生こんばんは、いつもブログを更新して下さりありがとうございます。先程28日のブログ拝見しました。支援金の残金についてですが、先生が弁護士さんに聞いて下さった中の【4.】を見るまで私も無期懲役=終身刑に近い扱いだろうと思っていたのですが、仮釈放の可能性があるなら支援者の方々と同じ【2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく】で使って頂きたいです。(市橋さんが受け取って下さるかわかりませんが)
ですが支援者の方も危惧されているように金銭(口座)の管理をするのはいろんな面で難しそうですし、市橋さんから連絡が来なければどうすることも出来ないですね・・・
以前ブログで本間氏が、市橋さんの気持ちが前向きになるまで相当の期間がかかると言われてましたが、例えば、市橋さんからの連絡を待つ期間を(10年や15年などと)決めて、期間内に連絡が取れなければ1案か3案に・・・というのも有りでしょうか? 有りでも無しでも2案が無理な場合は3案でお願いしたいです。

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昨日は、市橋君が住んでいたマンションの鍵を菅野弁護士から返却されました。すぐご両親にお返しする予定ですが、その前に私も市橋君が住んでいた場所を一度見ておきたいと思って、実は昨日の午後弁護士事務所から帰ってきてから車で訪ねてみました。7階建ての素敵なマンションで、管理人事務所もありましたが、エレベーターで4階に上がって彼の住んでいた部屋のドアの前まで行ってみました。表札がなく誰かが住んでいる気配はありませんでしたので、空き家になっているようでした。ここで起こったいろいろなことが頭の中に浮かびましたが、ドアは開けずにそのままその場所を離れて、またエレベーターで1階に下りました。敷地内の庭の隅には小雨の中にピンクのバラが咲いていました。市橋君もこの季節にはこのバラを見ていたのかもしれないと想像しました。



今日は松枯れの研究プロジェクトに加わってもらっている大学院博士課程の学生と一緒に、車で千葉県森林研究所に行き、実験に使う松の苗木を30本分譲してもらってきました。学生は早速、圃場で松の苗木をポットに移植してくれました。従来、マツノマダラカミキリが当年枝をかじって一度マツノザイセンチュウが樹体内に侵入してしまうと、その松は必ず枯れることが知られていますが、私たちは松を病気から快復させる治療法を開発する研究にこれらの松の苗木を使う計画です。

2012年5月28日月曜日

菅野弁護士の事務所を訪ねて、菅野弁護士・山本弁護士から判決のことや今後のことなどについてお話を伺ってきました。

1.頸を圧迫して死に到った場合は、本人に殺意はなくても、致死には3分以上圧迫し続けることが必要ということで自動的に殺意があったと判断されるのかということについて-包丁で腹部(心臓)を刺したり、石で頭部を殴ったりするのと同様に、本人に殺意はなくても死ぬことが予測される行為なので、殺意があるのと同等とみなされるようです。本人の感覚としては1分以上頸を絞めてはいないと主張しても、他の原因が同時に発生して死に到ったという証明はできなかったということのようです。

2.控訴すること自体が、自分の犯した罪を自覚していない、反省していない根拠と見なされて、刑が重くなるのか-控訴自体は認められている権利だが、虚偽の証言をして刑を軽くしようとすることは反省していないと見なされるようです。私は市橋君が面会の時に私に言った言葉「自分としては全て正直に話したつもりです」を信じますが、それらを証明できないという不幸があったような気がします。例えば、手記の印税を被害者弁償金にあてようとしたことは、彼にはそれしか被害者弁償をする方法がなかったからの筈で、それを刑を軽くしようとした行為で反省していない証拠と見なすのは一方的な気がしました。しかし、リンゼイさんが亡くなった後に市橋君がとった行動-遺体をバスタブに隠そうとしたこと、2年7ケ月にわたって逃走をし続けたこと、整形手術をしてまで逃げ通そうとしたこと-などは情状的に反省の念がないと見なされても仕方がなかったかもしれません。

3.私にお手紙を下さった強姦罪・脅迫剤で服役中の樹月カイン氏の場合、性的犯罪を繰り返して現在は3回目の受刑で、二人の女性を強姦してから2年間にわたって写真を公表すると脅迫してお金を脅し取った罪の刑が懲役13年、先日のテレビドラマのように石で頭部を殴打して人を殺してお金を奪っても懲役13年と比べると、市橋君の無期懲役は重過ぎるのではないか-強姦だけ、殺人だけの場合と違って、強姦して殺人(弁護側の主張は傷害致死でしたが)と2つ合わさると非常に罪が重くなるということのようです。

4.終身刑のない日本の制度では、無期懲役=終身刑で釈放されることはほとんどないと思い込んでいましたが、実際には25年~30年服役後に仮釈放の対象になるかどうかの評価(審査)が行われるということのようです。また、国家的な慶事があれば恩赦によって減刑されることもあり得ますので、現在33才の市橋君(昭和54年1月5日生)が60才前後になって仮釈放される可能性がないわけではないということのようです。

5.ただ、その年齢で社会復帰しても、私はもちろんこの世にはいない可能性が高いですし、ご両親も年齢的にどうか不明ですので、生活は厳しいことが予想されます。

6.市橋君がどこの刑務所で受刑しているかは、弁護団にもわからないそうです。親族(ご両親)だけは、法務省に問い合わせれば教えてもらえるようですが、もし市橋君が誰にも知らせないでほしいという申し入れををしていれば、親族にも知らされない可能性があるとのことです。山本弁護士が最後に接見した時に受けた印象では、誰にも知られずに罪の償いをしようと覚悟を決めているように見えたとのことですので、しばらく時間が経って(何年になるかはわかりませんが)、本人から手紙を出してくれるようになるまでは支援のしようがないようです。

7.私達が提供した支援金、支援者が個人的に弁護士事務所に届けた支援金などの預り金明細書(使途内訳)をいただきました。収入から支出を引いた残金が、1,275,692円あります。残金の処理方法については、本ブログで支援者の希望を伺ってからお伝えしますということにしました。3つの案が考えられると思いますが、振り込んで下さった支援者の皆様のご意見をお知らせ下さい。1案:千葉県弁護士会に寄付をして、取り調べ段階の被告人や弁護人のいない被告人の弁護活動に使っていただく、2案:市橋君が社会復帰する時の生活資金として口座を作って保管しておく、3案:日本財団の犯罪被害者救済基金に寄付をする。2案の場合は、私以外にも支援者の中から複数の方々にも参加していただいて、目的が果たせるようにきちんとした管理方法を考える必要があります

            (以下に預かり金明細書を添付します)

2012年5月27日日曜日

支援者から以下のお便りが届きました。明日は菅野弁護士・山本弁護士にお会いすることになっています。多くの支援者の期待とは一致しませんでしたが、裁判は結審して無期懲役刑が確定しましたので、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」も役割を終え、会計監査などやるべき残りのことを済ませて活動を停止することになる予定です。
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今晩は。先日は、メール有難うございました。〇〇県の支援者の方は、せっかく遠方から来られて差し入れ出来ずに、本当に残念でしたね。〇〇県〇〇市から、小菅の東京拘置所まで何時間もかかり、そちらから千葉刑務所まで一時間以上は掛かりますので、大変な一日だったと思います。東京拘置所に伺う前に、本山先生とお会い出来きましたのは、良かったですね。
お二人のお陰で、市橋達也さんの状況が分かりましたので、感謝しています。ありがとうございました。(本山:多くの支援者も本当にありがたいと思っていらっしゃる筈です。刑務所に収監され、今はただ、環境や人間関係に慣れて、心穏やかに過ごせることを祈るばかりです。
5/28(月)に菅野弁護士さんと山本弁護士さんにお会いされる際に、どちらの刑務所に収監されているか訊ねて下さるとの事。よろしくお願い致します。収監先は、ご家族以外には通知されないと伺いましたので、ご両親には通知が届いているといいですね。
検査結果のお話で、気分のアップダウンについて載っていましたが、来月はお孫さんが来られるので、楽しい日々が過ごせますね。(本山:私の健康を心配して下さった支援者の優しいお気持ちに甘えて、年甲斐もなくつい弱みをお見せしてしまってお恥ずかしい次第です。

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2012年5月26日土曜日

千葉県の九十九里浜は、名前の通り北は銚子の近くから南は一の宮海岸まで弧を描いた長い砂浜が続き、長年の努力で白砂青松の美しい松林が広がり、2008年まではヘリコプターによる薬剤散布によって松くい虫の被害から守られていました。それが中止に追い込まれてから松枯れ被害が急速に拡大し、今や昔の面影は見る影もなくなりました。昨日は、千葉県全体の航空写真を毎年撮っている会社に寄って、薬剤散布をしていた2007年1月に撮影した写真と、松がほとんど消滅した2012年3月に撮影した写真を入手してきました。この地域の生存環境は飛砂や潮風害や津波から無防備になってしまいました。これから松林をどうやって再生するのか、大変な課題です。

          (写真はクリックすると拡大できます)


久し振りに江戸川堤防に行き、途中の景色を眺めながらゆっくり6Km 走ってきました。帰ってきてからシャワーを浴びて体重計に乗ってみたら、フルマラソンを走った1月末に比べて、4ケ月で約4Kg 増加していました。道理で体調が悪い筈です。明日からはもう少し真面目に運動をしなければと思っています。

2012年5月25日金曜日

長年かかって植林・育成してきた新潟県胎内市の海岸の保安松林は、昨日のブログでも書きましたように、ヘリコプターによる薬剤(スミパインMC)散布を中止してから急激に松くい虫の被害でボロボロになってしまったようです。そのことに気がついて、今年からヘリコプターによる薬剤散布が再開されることになりました。枯れた松の伐倒駆除作業をしていた業者に話しかけたら、近くのある松林では両腕でも抱えきれないほどの幹回りの巨大な松が枯れたので伐倒したら、80才過ぎのおじいさんが、自分が子供の頃から遊んでいた幼馴染(おさななじみ)の友だちのような松(樹齢数百年?)だと言って悲しがっていたとのことでした。

胎内市の海岸の保安林に沿って走る国道113号の内側には日本海CCと中条GCという2つのゴルフ場があり、両方ともゴルフ場の周囲やコースとコースの間などにりっぱな松が多数植栽されています。私はゴルフはやらないのでよくはわかりませんが、見事に管理された芝と松の組み合わせはプレーをする上でも大事なことのようです。
両方のゴルフ場ともすぐ近くにタバコの畑があって、タバコ耕作者はJT(日本たばこ産業株式会社)と契約栽培をしているらしく、どんなに微量でもタバコの葉から薬剤(スミパインMCの有効成分のフェニトロチオン)が検出されたら買い取りを拒否される恐れがあるために、非常に神経質になっています。

今年は、海岸の保安林だけでなくゴルフ場の松林に対してもヘリコプターによる薬剤散布が行われる予定です。幸いこの辺りでは薬剤飛散による健康影響を過剰に不安視する周辺住民はいない(むしろ散布をして松林を守ることを要望している)ようですが、タバコ畑に薬剤が飛散するかどうかは地元の住民にとって大きな関心がありますので、再来週(6月3日~9日)に実施予定の私たちの現地調査の目的の一つにそのことも加えることにしました。




2012年5月24日木曜日

胎内市役所近くのホテルで朝食後、胎内川の下方(南側)の笹口浜地内、中村浜地内、村松浜地内の薬剤散布予定松林を視察しました。多くの松林が松枯れの大被害で、まるで松の墓場のようでした。枯れた松にはマツノザイセンチュウが存在していて、マツノマダラカミキリが羽化脱出する時に体内に寄生して、マツノマダラカミキリ成虫が松の若い枝(当年枝と1年枝)をかじる時に松に侵入しますので、枯れた松は伐倒してチップにするか、焼却するか(許可されれば)、シートで覆って燻蒸(くんじょう)しなければなりません。シートで覆った松の伐倒木があまりにも多いので、墓場のような感じがしました。

胎内市と新発田(しばた)市の境に位置する海岸保安林には、中条(なかじょう)GCというゴルフ場が接していて、両方合わせるとかなりの散布面積になるということと、やはりタバコその他の畑が隣接しているということから、第2の飛散調査はこの辺りで行うことにしました。ゴルフ場のグリーンキーパーを訪ねたら、やはり先日新潟市で行われた研修会で私の講演を聞いた人で、松枯れ状況を親切に教えてくれました。ここでは、東西南北方向に4ケ所飛散の調査地点を選定しました。やはり、海岸保安林の有人ヘリコプターによる薬剤散布が中止になってから松枯れ被害が酷くなり、昨年2012年(平成23年)はなんとゴルフ場の松850本が枯れてしまったとのことでした。ゴルフ場にとって松林はなくてはならない大事な施設なので、今年からヘリコプターによるスミパインMC散布を再開するようです。

隣りの新発田市はヘリコプターによるスミパインMC散布を続けてきましたので、松枯れは最低限に抑えられていて、海岸沿いの国道113号を走ると市の境界から松林の状態が全く違うのがよくわかります。千葉県も含めて全国どこでも似たような状況ですが、保安林での松くい虫防除が不十分でマツノマダラカミキリ密度が異常に高まると、周辺地域に拡散して大被害をもたらしているようです。胎内市の場合は、新興宗教かどうかはわかりませんが、海岸の松林の中に巨大な親鸞聖人の像が立っていて、薬剤散布をさせなかったために周囲の松が松枯れで全滅し、そこが発生源となって次々と周囲に松枯れを伝搬し、被害を拡大していったようです。




2012年5月23日水曜日

上越新幹線Maxときで朝10:38に新潟駅に着き、すぐレンタカーを借りて約40Km 離れた胎内市に向かいました。胎内市役所に11時40分に着いたので、すぐ松くい虫防除の担当者を訪ねて挨拶をし、それから有人ヘリコプターと無人ヘリコプターで色分けされている薬剤散布予定松林の地図を見ながら、今日は先ずは胎内川の上方(北側)を視察することにしました。

胎内大橋を渡ってすぐの荒井浜地内とその先の桃崎浜地内の保安林を回り、それから名門ゴルフ場と言われている日本海CCのグリーンキーパーを訪ねました。先日新潟市で行われた研修会に出席して私の講演を聞いた人でしたので、松枯れの状況を親切に説明してくれました。。2007年(平成19年)までは海岸保安林は有人ヘリコプターでスミパインMCが散布されていたのが、2008年(平成20年)からは中止になってからゴルフ場の方もだんだん松枯れ被害が酷くなり、昨年2012年(平成23年)はとうとうゴルフ場の松650本が枯れてしまったとのこと。近くの塩釜神社の松も多数枯れてしまい、地元住民からの神社の松を守ってほしいとの強い要望で、今年はゴルフ場内だけでなく神社の松にも薬剤散布をしてあげる予定とのことでした。神社に行ってみたら、確かに大きな松が何本も枯れて大変な状況でした。
それから、はまなすの丘と呼ばれる公園の近くのネギ畑、タバコ畑、大規模養鶏場、大規模養豚場などを視察しました。松林に守られて、その裏側(陸側)は延々と続く砂地でしたが、キャベツ、タバコ、チューリップなど、いろいろな作物の畑がありました。
飛散(気中濃度と落下量)を調査する地点を4ケ所、樹冠部上空で揮発濃度をモニタリングする地点を3ケ所選定しました。

同行した樹木医は林学出身だけあって詳しくて、今の時期に松の枝によく見られる当年枝、当年枝の下の方を取り囲むように付いている黄色の雄花、当年枝の先端に複数着いている紫色の雌花、雄花の花粉が雌花についてできる松の実(松ぼっくり)などについて説明してくれました。
松の木の根元を取り囲んだり、這い上がっている蔦(つた)ウルシはうっかり引っ張って汁が皮膚につくとかぶれることや、林床にたくさん自生していてやはり触るとかぶれる山ウルシの見分け方についても説明してくれました。

夜は胎内市内のホテルに一泊し、近くの居酒屋で軽くビールを呑んで、今日の総括や明日の予定などを話し合いながら夕食を食べました。



2012年5月22日火曜日

支援者から以下のお便りが届きました。ご心配下さり、ありがとうございます。
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本山直樹先生。お久しぶりです。ブログ毎日拝見させて頂いてます。
先生、病院の検査結果が何事もなくて本当に良かったです。普段から大変お忙しい生活だとお察し致しますので今後もお体には充分お気をつけてお過ごし下さいね。
ところで昨夜のブログでは市橋さんは受刑生活に入られたご様子とのこと。ご連絡くださった支援者の方に感謝です。 もうそろそろ服役される刑務所に移動なのでは?と考えておりました。 どこの刑務所に行かれても几帳面で真面目な市橋さんのこと。日々の作業を黙々と頑張っておられることと思います。
少し話がズレますが、以前、市橋さんが先生の空手の本を、このままずっと持っていても構いませんか?。と聞かれた時から私はきっと市橋さんが自分一人でこれから頑張って行こうと決心されたんだと感じました。その際、市橋さんの傍に先生の本が在る事が心の支えになるのだと思いました。というのは、私の子供がお世話になった保育園の先生がおっしゃっていたお話ですが、一人で子供が頑張って生きる為には心の支えになる品物が必要だという事です。この保育園では手作りのリュックサックが入園に必要な条件でした。それは親と離れている時間、子供達はお母さんが用意された手作りのリュックサックが心の支えになるのですと。寂しい時、ツラい時はそのリュックを見たり触ったりする事で気持ちを落ち着かせる事ができるのだと。きっとこれから何年もの長い間、先生の本は市橋さんを助け支えていくのだと思いました。(本山:市橋君に差し入れた空手の本には、私が20代の学生時代に読みながら強く印象を受けたところに線を引いたり、感想をメモとして手書きで書き込んだところがあります。市橋君がずっと手元に置いておきたいと言った時には気がつきませんでしたが、今考えてみれば、私の形見のつもりだったのかもしれません。
その後の私は、子離れ出来ない母親のようにひたすら市橋さんがお元気で頑張って生きていけるよう祈りの日々です。これからも私は私に出来る事を考えながら支援していきたいと思います。

先生、どうかお元気でいてください。必要以上にご無理なさらず先生のペースで頑張ってください。遠くからですが、今後のご健康とご活躍を心からお祈りしております。(本山:私の年齢になっても、人間は誰でもそうであるように、短いタイムスパン、長いタイムスパンでの気分のアップダウンはあります。昨日の女子学生の就職活動の手助けのように、良い結果が得られた時は嬉しくて、全てが楽しく思えます。その逆もあって、日常経験するほんのちょっとしたことで気分が落ち込んで暗くなることもよくあります。もう少し長いタイムスパンでは、毎日何かに追われてそれに対応するだけの生活が続くと、イライラしてまるで自分の人生を生きていないような気分になって、そこから脱出したくなります。そんな時に古巣のノースカロライナ州を訪ねてアメリカ人の友人たちと手帳の要らない、つまり決められたスケジュールに束縛されない楽しい時間を過ごすと、自分自身を取戻し、再び人生が楽しくて仕方がなくなります。年の功でしょうか、ある程度は感情をコントロールできるようになっていますのでご心配なく。
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明日は朝早く家を出て、一泊二日で新潟県に向かいます。現地でレンタカーを借りて同行する樹木医と一緒に海岸の保安林を回って、6月に行うヘリコプターで松林に散布される薬剤の飛散調査の事前準備をしてきます。

2012年5月21日月曜日

血液検査の結果でも、エコー(超音波)検査の結果でも、何の異常もないと言われました。単に運動不足と、このところの慢性的寝不足と加齢で疲れやすく、私が以前に比べて元気がでない気がするだけのようです。いつもこういう時は夏休みにしばらくアメリカに行って生活してくると元気が回復してきますが、今年はいろいろの用事がありますので、出かけられるとしても9月の末から10月頃になりそうです。

病院での診察後、急いで北千住駅に行き、遠方からこられたお二人の支援者とお会いし、駅前のレストランで30分くらいお話をする時間がとれました。その後私は、東京農業大学の女子学生と待ち合わせた場所に移動し、一緒に特急電車に乗って栃木県足利市の食品会社の見学に行きました。
支援者からは夕方メールでの連絡が届き、東京拘置所に差し入れに行ったら市橋君はもういないと言われ、その後千葉刑務所に行ったら市橋君はそこにもいないと言われたとのことです。従って、市橋君はすでにどこかの刑務所に移されて、受刑生活を始めているということがわかりました。わざわざ遠くから新幹線で来られたお二人の支援者は、差し入れができなくてどんなにかがっかりされたことと想像しますが、お蔭様で市橋君がどこかで受刑生活を始めたという事実が判明しましたので、感謝したいと思います。

足利駅には、専務取締役をしている千葉大学園芸学部の古い卒業生が待っていてくれ、車で市内の名所を2、3ケ所回った後で、株式会社カザミ http://www.kazami.co.jp/company.html につれていってくれました。卒業生のお兄さんにあたる社長が応対して下さり、会社の簡単な歴史、現在のビジネス、夢を熱く語って下さり、女子学生が就職を希望するなら大歓迎するとの印象を受けました。
次に、工場長が工場内を親切に案内してくれましたが、確か20数年前に私が一度見学に来た時(その当時は昔風の醤油製造会社)とは大違いで、近代的な工場に変身して製造品目も各種たれの類を中心に多品目OEM(Original Equipment Manaufacturer 相手先ブランド製造)生産をしていました。コンピューター制御される製造機械のラインが多数設置され、製品が自動的にどんどん製造されていました。感心したのは、衛生管理が徹底していて、工場内に立ち入るのに白い作業着に着替えて、さらに粘着ローラーを帽子・衣服全体にかけました。手は石鹸で洗浄して爪の間もブラシで洗浄し、さらに殺菌灯の下にかざしました。
女子学生は醸造学科で勉強しているので、実際の工場を見て目を丸くして、これはまさしく自分の興味とピッタリ一致しているので、こんなところで働きたいという感想を述べていました。
後は、会社が採用条件を含む正式の書類を作成して彼女に郵送し、彼女がそれを検討して前向きの返事を送れば採用決定となりそうです。社長や専務が彼女の人柄、専門知識、積極性、将来性などを見抜いて評価してくれたことが大きいと思いますが、相思相愛のような結果になって、私も一日使って仲介の世話をした甲斐がありました。

その後、市内の山の中にあるCOCO FARM & WINERY(ココ・ファーム・ワイナリー)http://iine-japan.f-navigation.jp/socialaward/pickup/pickup_article02.htm に行き、斜面のブドウ畑を眺めながらワインとサンドイッチをご馳走になりました。ここは、特殊学級の子供たちがワイナリーで働いているとのことでした。大人や社会がそういう子供たちに働く場と機会を提供しているというのは、素晴らしいと思いました。私たちは、ハンディキャップを背負った子供たちや社会的弱者に対して、共に生きる優しさを持った社会でありたいものです。




2012年5月20日日曜日

空は少し曇っていましたけど、いつものように準備運動と筋力トレーニングをして江戸川に走りに行きました。今日は葛飾橋を東京都金町側に渡って、水元(みずもと)公園の中をゆっくり2時間走ったり歩いたりしてきました。日曜の午後でしたので、広場の木の下で家族連れでピクニックをしていたり、小合溜(こあいだまり)で釣り糸を垂れていたり、大勢の人が公園を訪れていました。大きな木の下が雪が降ったみたいに白くなっていたので近寄って見たら、カロリナポプラという木の綿毛でした。そういえば、いつだったか札幌でも大きなポプラの木から白い綿毛がまるで粉雪のように飛んでいたのを思い出しました。途中の住宅の庭にはきれいなバラが咲いていました。

明日は午前中に病院に行って、午後からは東京農業大学の女子学生と一緒に北千住駅から東武伊勢崎線の特急電車に乗って栃木県足利市の食品会社を訪ねる予定です。その間に時間がとれれば、遠くから来られる支援者とちょっとだけでもお会いすることになるかもしれません。




2012年5月19日土曜日

支援者からお便りが届きました。ありがとうございました。
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今晩は。お久しぶりです。毎日ブログ拝見しています。先日のブログで、食料品売場で声を掛けられた方が、市橋達也さんのベビーシッターをされていたお話は驚きました。凄い偶然の出会いですね。
樹月カイン氏にお手紙出されたそうですね。市橋達也さんとは違って全く面識がない方ですので、支援や協力等をされる場合は、ある程度(遠方なので無理ですが)面会や手紙のやり取りをされた上でないと難しい気がします。お考えになられて、どのようなお返事をされましたでしょうか?(本山:現在の仕組みでは本当の意味で受刑者の更生になっていないという重い問題提起もされていますので、再度手紙を差し上げて本人の了解が得られましたら、樹月カイン氏からいただいたお手紙を本ブログに紹介したいと思っています。
週刊文春の記者から取材も受けられ、又お会いされるとの事。市橋達也さんの事件の真相は、世間の関心があると思いますが、現状では記事にするのは難しいですね。今後も彼が事件の真相を語ることはないような気もします。
裁判も結審しましたので、嫌がらせもなくなるかと思っていましたが、まだ続いているのですね。支援の会に対しての不服や批判なら、徐々に減るかと思います。ただ未だに続いているのは、質が違い、まだ続く可能性もあります。
痛くもかゆくもないとは言え、本山先生も被害は受けていますし、ご家族や大学にも迷惑が掛かっていますので、本日(5月18日)のブログに載っていましたように、警察に相談された方がいいと思います。(本山:そのつもりです。
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本間氏のお話からも、家族以外の手紙が届くかは刑務所により異なるようですが、届く場合もあることが分かって良かったです。市橋達也さんの真意は分かりませんが、彼の気持ちも察して、今後の支援を考え行きたいと思います。
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今日もよい天気でしたので、江戸川堤防を途中あちこち止まって写真を撮りながら、2時間かけて8Km くらい走ってきました。橋を渡っていつもと反対側の堤防を走ったら、いつもと違う景色が目に入って新発見がたくさんありました。

先日、研究室で使う小型の電気掃除機を買うためにホームセンターに寄った時に園芸資材のコーナーを覗いてみたら、家庭菜園にも害虫が発生する季節ですので、農薬登録のない木酢(もくさく)液やニームオイルのスプレーなどが、法律違反スレスレの宣伝(殺虫効果を謳えば違反になる)文句でたくさん売っていました。いわゆる健康食品やダイエット食品にも、時々医薬品相当の成分が入っていることが発見されて問題になりますが、植物保護資材でも無農薬栽培に使われる天然物由来と称する資材に農薬が混入されていることがあります。私たちは1993年に「夢草(ムソー)」という植物抽出液の有効成分について分析し、実際にはシペルメトリンという合成ピレスロイド系殺虫剤が混入されていることを明らかにし、それは1994年に新聞報道されました。この資材を販売してボロ儲けをしていた自然派ネットワークという団体は、「新夢草」に切り換えましたが、そこにもジフルベンズーロンという昆虫成長抑制効果のある合成殺虫剤が混入されていました。同様の事例は次々と見つかり、「碧露(ヘキロ)」には同じくシペルメトリンが、切り換えた「NEW碧露」乳剤タイプには水質汚濁性農薬のロテノンが、スプレータイプにはピレトリンが、クララという自生植物の抽出液と称した「アグリクール」にはアバメクチンという毒物相当の殺虫剤が混入されていました。

これらの資材はかえって健康にも環境にも危険ですので、家庭菜園で病害虫の発生でお困りの方は、必ず農薬登録のある資材(ラベルの端に必ず農水省農薬登録番号が記載されています)を選んで、ラベル表示してある使用基準を遵守(じゅんしゅ)して使うことをお奨めします。その方が安全で、防除効果も確実で、かつ経済的ですので、「天然」や「自然」や「有機」をセールスポイントにしたもっともらしい宣伝の文句に騙されませんように。
(写真はクリックすると拡大できます)



2012年5月18日金曜日

支援者からお便りが届いています。ありがとうございました。
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ブログで先生が褒めて下さいましたが、市橋君への手紙はまだ返送されてきていないので、本人が読んでくれてると嬉しい想像をしています。以前本人が受け取りを拒否した手紙は、返送か破棄される、と書かれてありましたよね。刑務所は税金で運営されてるし、東京拘置所だけで、3000人もの受刑者がいるのですから、経費削減されるのは仕方ないです。だから、「市橋君本人に届かない場合は、これで返送してください」と返信用封筒を同封したのです。この方法でまた、書きます!。
先生、再検査の結果も心配ですね。相当のストレスがあると思いますし、どうか、ご自愛ください。(本山:21日に検査結果がでますが、私は心配していません。1月末のマラソンの後、運動量が急激に減ったせいか、体重も増加し、ちょっと以前ほど元気がでなくなったので念のために受診しました。
裁判は終わって、市橋君は無期懲役刑に服しているにも関わらず、まだ先生に嫌がらせをしてくる人って、なんでしょうね。メールも全部証拠物件として、保存しておいた方が良いですね。そのうち「警察に言って、メールの送信先を調べてもらいます」と言ってあげたらいかがでしょう。でも、さらに上の手を使って、嫌がらせをしてくるかしら。[本山:ストーカーは相手が反応することで自分の主張や存在が認められたと錯覚して自己満足している病的な人間だと思いますが、最近の流行の言葉で言えば、私にとっては痛くもかゆくもありません。ただ、無関係の第3者にまで迷惑をかけたり経済的被害を与えているのは犯罪行為で看過(かんか)できません。今までの迷惑メールも迷惑Faxも迷惑電話記録も全て保存してありますので、大学宛に届いた分も含めて近いうちに全部プリントアウトして警察に提出して、犯人(病人?)を特定してもらうつもりです。]
先日偶然に会われた清掃の方が、市橋君のおしめも換えた程の方だったなんて、すごい偶然でしたね。事件直後に何かで読んだのですが、彼は小学校の時はクラスの人気者で、頭が良くて、面白くて、皆彼を好きだったと。小学校、中学校、高校の担任教師とか、きっとご自分の立場を考えれば行動には表せないにしても、多くの方が市橋君のことを心配していらっしゃると思います。

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先生、ご無沙汰しております、〇〇の〇〇〇〇です。
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2審の判決のショックからなかなか立ち直れません。何度か市橋君に上告をすすめる手紙を書き、電報も打ちましたが、今となっては上告しなかった市橋君が正しかったと思います。自分の犯してしまった罪と真正面から向き合い、償って行こうとしている市橋君の姿勢にある意味教えられた気がします。今は一人で懸命に向き合っているなか、静かに見守ってあげたいとおもいます。(本山:そういう発想は素晴らしいですね。
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今日は天気も良かったので、九十九里浜の蓮沼海浜公園の松林の状況を視察に行ってきました。千葉県でヘリコプターによる薬剤散布を中止して以来、松くい虫の被害で松枯れが激発した場所の一つですが、昨年枯れた被害木は今年の発生源になるので、今年の発生時期が近づいてきた今どういう処理がされているか見てみたかったからです。残念ながら、展望台の正面辺りの海岸の最前線の松林は全滅に近い状態で、伐倒された松の丸太や枝葉の処分はまだ完了していなくて、林内に放置されていました。松枯れは伝染病と同じですから、こんな中途半端な対応をしているのでは松枯れを終息できなくて当然だなという印象を受けました。
林道沿いの小さな水路に、自生(?)しているあやめ(菖蒲)の黄色い花が咲いていました。黄色いあやめは、品種改良される前の昔の品種だと聞いたことがあります。紫の花のもありましたが、両方とも最近の品種改良された派手な大きな花と違って、素朴というか清楚(せいそ)な美しさがあるような気がしました。(写真はクリックすると拡大できます)



2012年5月17日木曜日

「林業と薬剤」という雑誌の6月号用に依頼されていた原稿のゲラ刷りが届きましたので、すぐ校正をして返送しました。「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響」の3報目ですが、今回は少しテーマを変え、「マツノマダラカミキリ成虫に対するスミパインECとMCの作用経路」という副題をつけて、薬剤がどのように松くい虫の体内に取り込まれて作用を発揮するかについて、私たちの研究結果に基づいて、従来考えられていたのとは違うということを解説しました。
海岸の保安林としての松林には、最前線に位置するクロマツ低木林とその裏側(陸側)に位置するクロマツ高木林がありますが、いずれも無人ヘリコプターを用いることで効果的に、経済的に、かつ安全(飛散が少ない)に薬剤散布ができます。
松くい虫の発生時期と散布する薬剤の残効性を考慮して1年に1回~2回散布をすれば、松枯れ被害を最小限に抑えて松林を守ることができます。

クロマツ低木林への薬剤散布

クロマツ高木林への薬剤散布

今日は、時間的に江戸川堤防を6Km だけしか走れませんでしたが、昨日東京農業大学のグランドで見た陸上部の駅伝部員の走り方を真似して走ったせいか、あるいは単なる気のせいか、いつもより快調に走れました。


2012年5月16日水曜日

私は東京農業大学には今は週に2回くらいしか行かないのですが、事務室に寄らないことも多いので、郵便物をチェックするのが遅くなってしまいます。今日は久し振りに寄ってみましたら4月22日からの郵便物がたくさん溜まっていました。その中のひとつを開いて見たら、愛知県在住の女性からの直筆のお手紙で、市橋君に諦めずに上告をするように伝えてほしいという内容でした。
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私も他の支援者の方々と同様、市橋君はうそをついていないと確信しています。そしてこれから本格的に始まる長い受刑生活、できる限り心穏やかに前向きに生き続けて欲しいと願っています。その為にもあきらめたり、余計な心配をしないで、与えられたチャンスを全て生かして、違うことは違うと言い続けて欲しいのです。一番苦しいのは市橋君だということはわかっていますが、「どうしようもない・・・」なんて言わないで、真実を訴え続けて欲しいのです。
支援者の方々は、誰一人市橋君に頼まれた訳でなく、皆さん同じ思いで市橋君を見守っているのだと思います。だから、あきらめないで・・・とお伝え下さい。
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この方は、住所も電話番号もきちんと書いてありましたので、早速電話をし、返事が遅れたことの失礼をお詫びするとともに、その後の市橋君の状況についてお話をしました。そういえば、以前大学の事務から、この方から私宛の手紙を送りたいがという打診があったという電話があり、私は自宅は公表していないが、大学宛に送ってもらえれば受け取ることは構いませんと答えたことを思い出しました。

市橋君の適正な裁判を支援する会の募金は3月10日までで締め切り、3月13日にゆうちょ銀行から全額を払い出して菅野弁護士にお届けしました。その後ブログの記事を見損なったと思われるお一人の支援者から3月29日に22回目の振り込みがされました。今日の午前中にゆうちょ銀行に寄って募金終了後に振り込まれた支援金を払い出して、振り込んで下さった支援者に礼状を添えて現金書留便で返却しました。何回にもわたるご支援をありがとうございました。

午後、来週の月曜に栃木県足利市の食品会社を一緒に訪問する予定の醸造学科の女子学生が私の研究室を訪ねてきて、東武伊勢崎線に乗る北千住駅での待ち合わせ場所を確認しました。正式の就職面接ではないけど(求人自体が発表されていないので)、卒業論文でどういう研究をやっているか、それはどういう意義があるのかなど訊かれる筈だから、ちゃんと答えられるようにしておくようにと助言をしたら、私に言われる前にちゃんとファイルを持参していて準備をしていると言っていました。こういう積極性のある学生は、会社の担当者も素質をすぐ見抜いて高く評価する筈です。

彼女に模擬質問でもして、練習を兼ねて受け答えの能力を試してみようかと思っていた時に、以前月刊「文藝春秋」の編集部におられて市橋君の問題について取材に来られた記者(今は「週刊文春」の編集部に移動になっていました)と約束した時間になり、時間通りに訪ねて来られました。直接指導した学生でもないのに、私が就職の世話をしているのを見て、私は基本的に学生の面倒をよくみる性格と思われたようです。週刊誌だと取材できる時間が短いので深く掘り下げた記事を書くのは難しいのではないですかと訊いたら、それには直接には答えずに、月刊誌は取材した記事の締め切りが月に1回だったのが、週刊誌に移ってそれが月に4回になりましたと言っていました。つまり、ゴシップ記事が多い週刊誌だからといって記事の質を落とす必要はないという編集部員としての心構えを主張したかったのかなと思いました。

前回の取材の時に宿題だった、市橋君は何故あんな判断力の欠如した馬鹿な行動に走ったのか、その真相を記録に残したい(出版したい?)という申し出でをされました。すでに裁判は終わりましたので、判決に影響するという心配はないのですが、肝心の市橋君自身がまだ冷静に語れる状態ではないのではと思います。それに、市橋君自身が誰にも知られずに受刑生活をしようと覚悟を決めているのだとしたら、事件の真相を語りたいかどうか彼の気持ちを確かめることすらできないというのが現実です。
この記者はなかなか慎重で、28日に私が菅野弁護士、山本弁護士とお会いした後に、もう一度訪ねてきたいとのことでした。

2012年5月15日火曜日

ストーカー行為で迷惑をこうむっている方々への注意: 私たちの支援活動の趣旨を全く理解せず(勝手に誤解して)、自分の顔を隠して私に嫌がらせ行為をしている人は、ネット中毒で自分に注目してほしい人か、病的な人か、振り込め詐欺の一種ではないかと思いますが、いずれも人に迷惑をかける犯罪行為です。電話もメールもあの手この手の嫌がらせ方法を考え出してやってきますが、この間までは、私の携帯電話番号を女性の名前で出会い系サイトに公表していました。最近は私の名前で意味不明の文書を返信不可能に設定した携帯メールから無関係の人達に送りつけているようです。受け取った人(これもストーカー本人の自作自演かもしれませんが)から私に苦情のメールが送られてきています。

月刊「文藝春秋」2011年12月号に掲載された<性犯罪者獄中からの手紙「私は再犯してしまう」>の著者樹月(きづき)カイン氏から4月25日付けのお手紙をいただいて、ずいぶん時間が経ちました。どう対応していいか迷っていたことと、市橋君のことで精一杯で受刑者全般の問題に取り組む気持ちの余裕がないことと、本業の研究の方でも時間に追われていることなどが重なって、そのままになっていましたが、今日は落ち着いて机に向かう時間がとれましたので、長い返事を差し上げました。

弁護団が事件のあったマンションの現場視察をされた時に、私が市橋君のご両親から鍵をお借りしてお渡ししましたが、もう裁判は終わりましたのでそれを受け取ってご両親にお返ししなければなりません。また、そろそろ弁護団に提供した支援金の使途報告書をいただいて、支援者の皆様に報告しなければなりません。菅野弁護士の事務所に伺う日程調整をお願いしましたら、28日(月)に山本弁護士も一緒にお会いできることになりました。私が市橋君の件で弁護団とお会いするのは、特別何かがない限りこれが最後になるかもしれません。

今日は雨が降っていましたので外を走るのは止めて、道場の床の一部だけ雑巾がけをして、久し振りに空手着に着替えて空手の稽古をしました。パワーもスピードもなくなりましたが、突きや蹴りや受けの基本の稽古をして、巻き藁を突いたり、サンドバッグを蹴ったりしました。気分は爽快でした。少し集中的にやれば、昔の自信をすぐ取り戻せそうな気がしましたが、体力そのものが低下していますので、頭の中だけの錯覚でしょう。

来週23日~24日は一泊二日で新潟県に行きます。6月にヘリコプターで海岸の松林にヘリコプターで薬剤散布が行われる時に周辺環境への飛散調査をする予定ですが、その下見が目的です。新幹線Maxときで新潟駅に行き、レンタカーを借りて胎内市に移動し、散布予定の松林を回って大気を捕集する調査地点などを決めてきます。最近はよく一緒に調査に行く樹木医も同行してくれる予定です。今日は新幹線の乗車券・特急券、宿泊するホテルの手配をしました。

2012年5月14日月曜日

前回受けた人間ドックの検査結果で、要再検査と言われた項目の再検査のために病院に行って採血してもらいました。帰りに、ショッピングセンターの食料品売り場で妻が買い物をするのを待っていたら(荷物持ちを頼まれて)、思わぬ人から声をかけられました。最初どなただったか思い出せずに、どちら様でしたかと訪ねたら、昔千葉大学園芸学部で母娘で清掃員として勤務していた娘さん(と言っても今は50才近く)の方でした。私とは、体育館の掃除をして下さっている時に時々見かけて言葉を交わしていました。私が市橋君の裁判の支援活動をしていることをご存知で(多分テレビでご覧になったのでしょう)、市橋君はどうしてこんなことになってしまったのでしょうとおっしゃったので、学生時代の市橋君のことをご存知だったのですかと尋ねたら、何と赤ん坊の時からよく知っていて、おしめも取り換えたと言われて、びっくりしました。市橋君のお父様が東京で大学病院に勤務しておられた時に母娘で保育園に勤務していて、赤ん坊だった市橋君のベビーシッティングをしておられたとのこと。従って、当然ご両親のことも知っている(ご両親は自分たちのことを忘れられたかもしれませんが)とのことでした。市橋君は素直ないい子だったのに・・、と残念そうにおっしゃっていました。お母さんの方はもう亡くなったそうですが、偶然の出会いに驚きました。

午後からは、腎臓透析と3回の脳梗塞で長期入院している元同僚・友人をお見舞いに行きました。受付で面会票に記入していたら、ちょうど奥様も面会に来られて偶然一緒になりました。人間は3年も寝ているとだんだん心身が弱ってきて、私が話しかけてもただ天井を見ているだけでほとんど反応がない状態でした。今日は天気も良かったので、看護師さん・介護士さんに頼んで車椅子に座らせてもらって、私が車椅子を押して中庭に出ました。外の風が心地よく頬に当って、緑の木々や花壇や小さな野菜畑(患者さんがリハビリを兼ねてサツマイモを植えて水やりをしていました)を眺めました。垣根の隙間からは、敷地の外の田植えをしたばかりの水田と畔に咲いているあやめの花も見えました。奥様と私とでいろいろ話しかけている中に、友人の血色がよくなり、目が生き生きと輝いてきて、少しだけでしたが会話の応答ができるようになりました。ベッドの上で、一日中ただ目をつぶっているか天井を見つめているだけだと、人間は自然に衰弱してしまうけど、外の新鮮な空気を吸って、風邪を頬で感じて、緑の植物を眺めて、話をかけられれば、それが刺激になって生き生きとしてきたのは信じられないような変化でした。カメラを持参したので、生き生きした表情の友人と奥様と並んだ写真を撮ってきました。
奥様も、お見舞いに来て会話ができずに帰る時は疲れがどっと出るけれど、今日のように主人と会話ができた時は嬉しくて幸せな気持ちで帰れますとおっしゃっていました。

栃木県足利市の食品会社は、来週月曜日に東京農業大学の醸造学科の女子学生と一緒に訪ねることになりました。私が直接指導した学生ではありませんが、就職難の時代ですので大変喜んでいました。専務取締役の元学生も喜んでくれて、市内の見学や会食もアレンジしてくれているようです。お見合いを世話する仲人のようなものですが、学生にとっても、会社にとっても、お互いによい出会いになればいいなと思っています。

2012年5月13日日曜日

支援者から以下のお便りが届きました。今のところ、市橋君宛に手紙を郵送されている支援者のどなたからも手紙が届かなくなったという連絡はありませんので、市橋君はまだ東京拘置所にいて受刑生活をしているものと思われます。
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いつも先生のご活躍をブログで拝読し、嬉しく思います。周りの方々は、先生が市橋君の支援活動をなさっていることを認めた上で接していらっしゃることはなお嬉しいです。(本山:私は今まで誰に対しても市橋君に適正な裁判を受けさせる支援活動をしていることを正々堂々と話をしてきましたが、元学生に対して元教師としてやるべきことをやっていることを尊敬こそされ、非難されたことは一度もありません。私たちは正しいことをしているという信念がぶれることはありません。
私は以前からサスペンス2時間ドラマが好きで、片っ端から観る勢いです。海外ものもアガサクリスティやポアロやコロンボなどをBSで観るので、録画したものを見るのもたまっていきます。市橋君を支援するようになってからは、さらに観方が真剣(?)になりました。
火曜サスペンスや土曜サスペンスは結構筋が凝ってるし、現実に則しよく研究されているんです。
今日(5月12日)見たサスペンスの中で出てきた裁判は、裁判員裁判でしたから、最近の設定だといえます。。石で頭部を殴って殺した犯人に懲役13年が下り、弁護士などが「重すぎる!あまりにも厳しい判決だ。控訴すべきです」という場面が出てきました。色々複雑な内容の脚本で、被告に情状すべき点があるのですが、本人が殺意を認め、一審で偽証したにも関わらず、求刑15年に対し、懲役13年の判決となったのです。私は一人テレビに向かって、ブツブツ言ってしまいました。「15年なんて短いわよ。殺意は無かったと言ってるにも関わらず、無期の人もいるのよね」と。
先日市橋君へのお手紙を小菅に送りましたが、まだ返送されてきていません。「本人に届けられない場合は、これで返送ください」と返信用封筒(切手付き)を同封しました。(本山:大変親切なよいアイデアですね。
天候が不順です。先生、ご自愛ください。

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ストーカー行為で迷惑をこうむっている方々への注意: 私たちの支援活動の趣旨を全く理解せず(勝手に誤解して)、自分の顔を隠して私に嫌がらせ行為をしている人は、ネット中毒で自分に注目してほしい人か、病的な人か、振り込め詐欺の一種ではないかと思いますが、いずれも人に迷惑をかける犯罪行為です。電話もメールもあの手この手の嫌がらせ方法を考え出してやってきますが、この間までは、私の携帯電話番号を女性の名前で出会い系サイトに公表していました。最近は私の名前で意味不明の文書を返信不可能に設定した携帯メールから無関係の人達に送りつけているようです。受け取った人(これもストーカー本人の自作自演かもしれませんが)から私に苦情のメールが送られてきています。

アメリカの空手の弟子・友人のBill 君にFrank 君の様子を訊く留守電を入れておいたら、今朝向こうから電話がありました。やはり軽い心臓発作(心筋梗塞)で、鼠蹊(そけい)部の血管から冠動脈の狭くなって血流が悪くなった部分に細い管(ステント)を入れる手術をしたのだそうです。歩くことはできていたそうですが、血流が制限されたことで心臓がどこまでダメージを受けたか不明なので、しばらくはリハビリテーションをして徐々に体を元に戻していく措置が必要なようです。Frank 君もBill 君も年齢的には私の弟くらいですが、二人とも小さい時から父親なしで育ったので、精神的には空手で厳しい指導をした私を父親のように思ってくれています。

東京農業大学醸造学科の就職活動をしている女子学生(栃木県出身)の履歴書を、昔から知っている千葉大学の卒業生が専務取締役をしている栃木県足利市のある食品会社に送って求人はありますかと打診しておいたら、先ずは一度見学に来て下さいと前向きの返事がきました。弓道二段、少林寺拳法三段の活発明朗な学生で、武道をしているだけに礼儀正しく、履歴書や私への手紙の書き方から判断して人間的にも申し分ないしっかりした学生ですので、私も自信をもって推薦できます。近々日程調整をして、私も一緒に見学に行くことにしました。

五月晴れの清々しい空の下の江戸川堤防・河川敷を8Km 走ってきました。日曜日ということもあって、散歩をしている人や自転車に乗っている人がたくさんいて、河川敷では小学生の野球チームが3組試合をしていました。先日の大雨で河川敷にまで氾濫(はんらん)した水はすっかり引いて、江戸川に沿って流れるふれあい松戸川と命名された人工的な水路も通常の水位に戻っていました。枯れた葦(あし)の間からは新しい葦がどんどん伸びてきていました。
園芸学部構内の百周年記念ホールの前の大木もすっかり緑の葉をつけて、輝いていました。




2012年5月12日土曜日

あるテレビ番組制作会社の知人から久し振りの電話がありました。TBSテレビの明日5月13日(日)の夕方6:30-7:00 の「夢の扉」という番組で、彼が取材した番組が放送されるので観てほしいとのこと。http://tv.yahoo.co.jp/program/55891054/
ネットで調べてみたら、「工事災害を防げ! コンクリート不要の斜面補強技術 ~樹木を切らずに日本の里山を守る男~」という番組で、従来のように斜面の木を切ってコンクリートで固めて地崩れを防ぐのではない方法を開発して、里山の安全と景観の両方を守っている技術者を追跡した内容のようです。

島根県の出雲大社の裏の北山山系では、ヘリコプターによる薬剤散布が2008年の「目のかゆみ訴え」事件以来中止に追い込まれた結果、松くい虫の被害が蔓延して松枯れが大発生し、地元住民が地滑りで住宅地が飲み込まれる恐怖にさらされていることを思い出しました。枯れた松の根は地面を保持する力が弱くなり、大雨で水を吸った斜面は崩壊して流れ下る土砂が麓に位置する住宅を押しつぶす危険性があるからです。
今回の番組で紹介しているのは、松枯れのように根が枯れた木が林立している斜面を補強する技術ではないようですが、応用ができないかどうか興味がありますので、明日は番組を観てみようと思っています。

昨年の3.11大地震に伴う大津波で、岩手県陸前高田市で1本だけ生き残った松は「奇跡の一本松」と呼ばれて注目を集めました。何とか生き続けさせようといろいろな努力がされたにもかかわらず結局枯れてしまいましたが、枯れる前に子孫を残す努力がされました。昨日2012年5月11日の朝日新聞夕刊には、福島県相馬市の松川浦で1本だけ生き残った松を「希望の松」と呼んで地元の漁師らが保全を要望しているという記事が載っていました。私たちは、動物でも植物でも、困難な環境や境遇に耐えて生き残ろうとする生命に感動を覚えるのでしょう。

今日は江戸川堤防を景色を眺めながらゆっくり6Km 走ってきました。花の季節は過ぎて、すっかり新緑が溢れる季節になりました。遠くから見ると、千葉大学園芸学部がある戸定ケ丘の西側の斜面の林には、落葉広葉樹の間に大きなクロマツの樹が3本立っているように見えましたが、今日ジョギングの帰りに林の中に寄り道して数えてみたら、実際には5本ありました。

2012年5月11日金曜日

以下のお便りが届きました。市橋君のその後の様子がわからないので、多くのの方々が彼が無事に受刑生活に入っていることを祈っておられるものと想像します。
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今日で市橋さんの判決から1ヶ月が経ちました。早いです。受刑生活で毎日の同じ繰り返しでも更生して前向きになってくれたらいいんですが、つらいことがあると思いますが、先生や支援者の方々が居ることを忘れないで欲しいです。
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今日は東京農業大学総合研究所の研究会農薬部会の幹事会、総会、特別講演がありました。研究会発足以来、部会長として長年会を運営し発展させてこられた山本 出先生がご高齢(84才)を理由に勇退され、私が後継の部会長に指名されました。若輩(じゃくはい)の私には荷が重い職責ですが、幸い山本先生は幹事には留まって下さるとのことですので、2名の副会長と14名の幹事の助けを借りて、何とか役を務めようと思っています。

特別講演は、関澤 純博士(元国立医薬品食品衛生研究所・元徳島大学)の「食品経由の健康リスクとリスクマネジメントの関係-化学物質、微生物・放射線の違いを考える」と題したお話がありました。食品汚染を化学物質汚染、微生物汚染、放射性汚染に分け、各々のリスクの特徴と管理について解説されました。専門家として1年に全国で30回以上も講演をされているそうですが、放射性汚染のリスクの話を福島県で実際に暴露を受けつつある人々の前でする時は緊張されたとのことでした。
食品残留農薬の場合もそうですが、基準値を超える残留濃度が検出された場合は、食べると危険と見なされてその食品は回収・廃棄されます。しかし、実際にはその食品を1回食べても危険ということではなく、基準値というのは安全と危険の分岐点ではない、規制の目安という意味だという指摘には納得しました。


アメリカの友人Frank 君とは電話で話ができました。こちらからかけた時は留守でしたので伝言を残しておいたら、奥さんと二人で向こうからかかってきました。やはり、職場で胸に締め付けられるような痛みを感じたので病院に行ったら、心臓発作(心筋梗塞)だったので入院となったようです。今は退院して自宅に帰り、重い荷物を持たなければよいということで、月曜日からは出勤して軽い事務的な仕事から始めるとのことでした。先ずは元気そうでひと安心です。

2012年5月10日木曜日

朝9時51分に新潟駅に着いたら、新潟県庁農林水産部治山課に勤務している千葉大学園芸学部環境緑地学科の古い卒業生(1984年卒)が迎えにきてくれていました。学生時代に私の講義を受講した一人で、話をしている中に当時の様子を思い出しました。雨の中を車で海岸の松林の様子を見に行きましたが、予想していた以上に松枯れは酷い状況でした。この卒業生は、学生時代は緑地保全学という研究室を専攻していましたが、卒業して30年近く経って、こうして地方の県庁で活躍しているのを見て嬉しく思いました。

県庁内の食堂で昼食を済ませ、研修会場の新潟県トラック会館に行きました。参加者は県や市町村の松林保全の関係者が中心で60名ちょっとくらいで、先ず新潟大学で森林生態学が専門の紙谷智彦(かみたにともひこ)教授(副学長)の「新潟海岸保安林におけるクロマツ林の現状と管理指針について」と題した素晴らしい講演がありました。デジタル空中写真を利用して、近赤外波長域からNDVI(Normalized Difference Vegetation Index 植生指数)を算出して、クロマツの状態(健全、変色、枯れ)を識別するという方法で、角田浜、越前浜等、各地の松林が生態学的に現在どういう状況になっているかについて示されました。その上で、林相を最前線クロマツ低木林(犠牲林帯)、クロマツ高木林(安定帯)、クロマツ広葉樹混交林(遷移進行帯)に区分し、それぞれの特徴とどのように管理するかについて解説されました。私にとっては自分の専門とは全く異なる分野で、大変興味深く、勉強になりました。

紙谷先生はその後、大学で講義があるからと退席され、休憩をはさんで私が「松枯れ防止における農薬の役割-効果、経済性、安全性について」と題した講演をしました。参加者は、私たちの長年にわたる現場での調査研究の結果に裏打ちされた話に熱心に耳をそばだててくれたと感じました。
6月初旬に有人ヘリコプターと無人ヘリコプターで薬剤散布が予定されている新潟県胎内市の職員も来ておられたので、私たちがその機会に計画している飛散調査について打ち合わせができました。今月中下旬に現地を下見して、さらに具体的な調査計画を立てる予定です。
新潟駅近くの料理屋で、県庁の担当者等6名と私で料金自己負担制で有意義な情報交換会をし、自宅に着いたのは夜の10時を過ぎていました。情報交換会参加者は、私が市橋君の適正な裁判を支援する活動をしていることを知っていました。多分ネットで検索したのでしょう。
今日は、私にとっては、一仕事済んだという気分です。

2012年5月9日水曜日

アメリカの友人Margie さんから、1969年以来の空手の弟子・友人のFrank 君が心臓発作(心筋梗塞)で入院したことを知らせるメールが届きました。今週月曜に胸に痛みの症状があったのか、勤務している会社から自分で車を運転して病院に行って、そのまま入院したとのこと。見舞いに行った共通の友人Bill 君からの電話では、幸いFrank 君は大事に至らなかったようで水曜には退院してしばらく自宅で療養することになるそうです。日本とノースカロライナ州とは時差が11時間ありますので、彼が退院してから電話をしようと思います。Bill 君もFrank 君も、すでに冠動脈ステントと呼ばれる血管を広げて血流を確保する管を血管に入れているようです。60代後半になると、日本でもアメリカでも健康管理が重要な仕事になります。

今日は、講演でスライドを見せながらどういう説明をするか、要点メモを作りました。これで準備万端(ばんたん)できました。「松枯れ防止における農薬散布の役割-効果、経済性、安全性について」という演題です。私たちの今までの研究結果が、新潟県の大切な海岸松林の保全に役立てば幸いです。あいにく新潟は明日は曇りのち雨の天気予報ですが、朝早い新幹線Max ときに乗って新潟駅に行き、午前中は新潟県庁の人の案内で日本海の松林の状況を視察します。午後の講演後、夕方県職員の方々と会食をし、新幹線で夜までには松戸に帰ってくる予定です。

  (写真はクリックすると拡大できます)

2012年5月8日火曜日

文藝春秋の記者から、市橋君の裁判は終わりましたが取材に来たいとのことでしたので、来週の水曜にお会いすることにしました。それぞれの事件には、表にはでない背景があるのでしょうから、興味本位の芸能ニュースと違って、それをどこまで掘り下げて社会に伝えられるかで、ジャーナリズムの真価が問われるのでしょう。

今日もほぼ一日中明後日10日(木)の新潟県での講演の準備をしました。やっとパワーポイントスライドの作成が終わりました。配布資料として印刷する都合上明日の昼までに到着するようにと言われていましたので、ちょっと前に宅ファイル便で主催者世話人宛に送信しました。70分という私に割り当てられた時間にしては枚数が多過ぎますが、写真や文献は参考資料として載せただけで説明の時間は不要ですので、何とか時間内に収めることができると思います。いつもそうですが、講演ではこれもあれも話したいと欲張り過ぎるのが私の悪い癖です。

江戸川堤防を8Km ゆっくり景色を眺めながら走ってきました。木々の葉の緑が一日一日濃くなって、たくましく見えるようになりました。暦の上では立夏を過ぎたとは言え、風薫るというのは初夏の季語でしょうからまだ少し早いかもしれませんが、人間の子供で言えば、小学生から中学生、高校生へと育ってだんだんたくましくなっていくのを見るようです。

2012年5月7日月曜日

松くい虫防除に関する研究を一緒にやっている岐阜県立森林文化アカデミー客員教授の名大大学院時代の同窓生・友人が、東京で明日予定されている会議に出席するために岐阜県から上京した機会に、大学に寄ってくれました。今年実施予定の研究について研究討議の後、駅の近くの居酒屋で一杯やって楽しいひと時を過ごしました。話をすると、あれもやりたい、これもやりたいと、面白い研究テーマが次々に浮かんできます。しかし、お互いにすでに定年退職して、自分の研究室も研究員・専攻学生もいない立場ですので、やれることとやれないことを区別して、テーマを絞ることで一致しました。

2012年5月6日日曜日

今日は今週木曜10日の新潟での講演の準備をしました。駅まで行って新潟までの往復の乗車券と特急券を買ってきた以外は、ほとんど一日中机に向かってパソコンでのスライド作成に追われました。本当は江戸川堤防を走ってくるか、道場で稽古をして思いっきり汗をかきたかったけど、我慢しました。

2012年5月5日土曜日

支援者から届いたお便りです。
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嫌がらせのメールは、反応を楽しみに送り、それが相手にされないので、過激な内容になっている気がします。秋葉原無差別殺人事件の被告人は、ネットで知り合った友達に「かまってちゃん」と呼ばれていたそうです。相手にされなかったり無視されると、ムカついたり、いじけたりする感情をそのまま相手に伝えられずに、ネットやメールで違う表現方法として、相手を困らせたり脅したりしているのだと思います。本来ならお互いに会って話し合ったり、例え言葉がなくても気持ちが通じます。そのコミュニケーションが、苦手や面倒などで避けてネットにハマり、犯罪やそれに近いことをしているのにも気付かないまま、現実と架空の世界の区別がつかなくなっている気がします。(本山:その通りだと思います。自分の顔を出してまともなコミュニケーションができないので、ネット上のバーチャルな世界で独りよがりの書き込みをして自己満足している気の毒な人たちだと思います。本当は、直接人と向き合って話をしたり、野外に出て体を動かせば、もっと違った本当の世界が見えてくるのですが・・。
5/2(水)のブログで、本間氏からお答え頂き、参考になりました。ありがとうございました。ご連絡される機会がございましたら、お礼をお伝え下さい。私はこの先ずっと(何年先でも)焦らずに、市橋達也さんを遠くから見守っています。間接的でも、私が出来ることを考えて行きたいと思います。
本日空いた時間に、新宿西口で開催されています矯正展に伺いました。家具やテーブルなどの展示販売や、革靴やノート、小物等の販売しています。今回は家具の展示が多く殆どが『協賛業者製品』と書かれていました。又、説明文が貼られて『刑務所作業製品』は受刑者が関与した製品で『協賛業者製品』は、受刑者が関与していない、もしくは一部関与した製品だそうです。いつもと雰囲気が違いましたので確認しましたら、受刑者が関与していない製品も『刑務所作業製品』として展示販売し問題になったそうです。樹月カインさんのお返事は決められましたでしょうか?支援に関わるとなれば、そう簡単には決められないですね。

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私は、市橋君があの支援者リストも捨ててしまったのではないか、とか、また絶食していないかしらとか、心配になってしまいます。でも、面会のたびに本山先生の問いかけに対し、「はい、元気です」「ほしいものはありません」「必要なものはありません」「ここの食事で大丈夫です」「毎日同じ作業でも平気です」と言ってた、頼もしい独立心のある市橋君を想像し、「彼なら大丈夫」と私自身にも言い聞かせています。
そして、本当に、長い受刑期間の中で、規則が何らかの形で変わり、外に出られる時があるかもしれない、と密かに期待もしています。だって、昔はやくざの親分で何人も人を殺めてるのに、出所してきて、子分に「お勤め、ご苦労様でした。おかえりなさい」という状態だったのですよね?退職している新聞記者の人も、知識が間違ってるか、「無期懲役っていっても、15年くらいで出てくるよ」と言っていました。今はとにかく、無期は一生塀の中で過ごすのかもしれないけど、受刑者によっては特例とかで出てこれる時が訪れるかもしれない、と希望を持ちたいと思います。
今後も市橋君に何度もお手紙かはがきを書いてみます。拒否されても、返送されても、何度も書いてみます。彼自身が断ってるのか、刑務所自体が破棄してるかわからないから、とにかく、何度も送ります。刑務所の人に「この受刑者は親も誰も面会にこないし、本人が外部との接触を絶ってるけど、支援者がいる」という意識付けをしたい、と思うのです。他の母親のような気持ちの支援者の方も、そうなさるのではないかしら。市橋君が本山先生に連絡を取ってくる時が来ることを願いつつ。
私は、そのうち刑務所への慰問演奏をしたいです。知人の演奏家はどこだったかにボランティア演奏に行ってますが・・・希望者が結構多いらしいです。私じゃ無理かも・・・・ですが。(本山:いいですね。たとえ1年に1回でも、刑務所で本物の音楽を聴く機会があれば、受刑者に感動を与え、更生に大変プラスになるのではないでしょうか。

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今日は久し振りに五月(さつき)晴れらしい、気持のいい天気になりましたので、昔よく農薬の生態影響調査に通っていた大網白里町と山田町(現香取市山田区)にドライブし、水田の景色を見に行きました。ほとんどの水田は弱々しい稲の苗が田植えされたばかりで、人間で言えば産まれたばかりの赤ちゃんのようでした。これがしばらくすると、たくましい濃い緑色に生長し、風が吹くと緑のカーペットのように波打つようになります。筍(たけのこ)は放射能汚染のせいか収穫されず、文字通り竹の子になってどんどん竹になっていました。山田町仁良(にら)地区の橘堰(たちばなぜき)の上空にはたくさんの鯉のぼりが元気に泳いでいて、水田ではアオサギが餌を見つけていました。山田町の近くの府馬(ふま)には、オオクス(実際にはタブノキ)と呼ばれる巨木があり、樹齢1300年~1500年、根回り約27.5m、幹回り12mと看板に説明されていました。それに比べるとわずか100年足らずの人間の寿命の短さを感じさせられます。一方で、その分だけ私たちは短い人生だからこそ悔いを残さないように、しっかり生きなければという気持ちになります。(写真はクリックすると拡大できます。)