2013年6月19日水曜日

神戸から新幹線で新京都に行き、特急サンダーバードに乗り換えて福井に着きました。主催者が待っていてくれて、勝山市にある福井県恐竜博物館に案内してくれました。山の中にあるりっぱな博物館で、見ごたえがありました。時間があれば半日くらいかけてじっくり見学したいところでした。
福井市に戻って、夕方からは主催者との懇親会に参加しました。片町と呼ばれるところにはバーや飲み屋が集中していました。福井県全体の人口が80万人しかないのに、こんなにたくさんの同業者がいてよくビジネスとして成り立つなと思いましたが、アベノミクスで上向きの景気を反映してか、結構賑わっているようでした。

明日は午前中に永平寺に案内してもらえるようで、午後から農薬に関するセミナーで私は基調講演をすることになっています。参加者の中には一般消費者の他に地元の農林高校の生徒約70名と教職員8名も含まれているとのことです。生徒たちは高校の授業の一環として参加するようです。今どきのこの辺りの高校生は、授業中に携帯電話をしたり歩き回ったりで自由奔放とのことですので、明日は私の話にどういう反応を示すか楽しみです。

2013年6月18日火曜日

朝6時に松戸の自宅を出て、東京駅から新幹線で新神戸に来ました。地下鉄に乗り換えて「食の安全」シンポジウム会場の兵庫県中央労働センターに着いたのは10時半頃でした。午前中は主催者との打ち合わせやパネルディスカッションの参加者との顔合わせや挨拶をしました。午後1時40分からは私の特別講演「農薬とは何?-食の安全・安心に関連して-」、続いてパネルディスカッション「人と環境に優しい農業」がありました。兵庫県農政環境部の人たちや、生産者代表のいちご農家や、消費者代表も参加していました。懇親会後、私は朝が早かったので失礼してホテルにチェックインしましたが、何人かはさらに二次会に出かけました。
ホテルの部屋で持参したノートパソコンをインターネットに接続してメールをチェックしたら、神戸在住の支援者から神戸に来るのかという問い合わせのお便りが届いていました。もっと早く気がついていれば、どこかでお会いできましたが、今夜はもう酔っ払ってしまっているし、明日は早朝に新幹線で福井に移動しますので、残念ながら今からではその機会はなさそうです。

2013年6月17日月曜日

私はまだ超多忙な状態が続いています。明日の朝は6時に家を出て、神戸と福井で消費者対象の講演をして20日の夜遅く帰宅予定です。講演の準備もでき、昨日パワーポイントスライドを宅ファイル便で現地に送りました。
21日は東京農大総合研究所研究会農薬部会(私が部会長)の総会と特別講演があります。特別講演は中西準子先生(産業総合研究所フェロー)が「放射線の健康リスクを考える-福島第一のリスクはどのくらいだったのか-」という演題で講演して下さることになっています。
22日は千葉県館山市の平砂浦砂防林保護組合の組合長を訪ねて、平砂浦の砂防林の歴史や現状について、情報収集と意見交換をしてくる予定です。
一息つけるのはその後になりそうです。

新潟県新発田市の紫雲寺地区で、先週は強風のために無人ヘリコプターによる薬剤散布ができなくて延期になり、その後毎日お天気予報が気になっていましたが、今日新発田市役所から無事散布が実施できたとの連絡がありました。薬剤飛散調査のろ紙も回収して、クール宅急便で送ってもらえることになっています。

2013年6月13日木曜日

今月に入って2回目の新潟県での調査は当初10日~13日の予定でしたが、12日は台風の影響か現地では早朝から強風が吹いていて、無人ヘリコプターを飛ばせなかったので12日の分の薬剤散布は延期になりました。強風がいつまで続くか不明で、一応散布は17日(月)に順延予定となりましたが、そこまで現地に留まることはできませんので、12日に予定していた調査は中止して昨日帰ってきてしまいました。11日の調査はしっかりできましたので、一勝一敗の心境です。
今は明日14日の講義の準備で追われていますので、ブログの記事の更新は少し時間の余裕ができてからにします。

2013年6月9日日曜日

以下は、一読者よりと書かれた匿名のメールへの私の返信です。本当は、こういう嫌がらせ行為に対して私がどう対応したかという質問でしたが。
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本山:嫌がらせ行為やそれに類する行為は、私が「市橋君の適正な裁判を支援する会」を立ち上げた当初からありました。一部のストーカーは、ブログに明記してある設立の趣旨をろくに読まず、あるいは読んでも理解できず、強姦・殺人犯のような悪人を支援するのはけしからん、そのようなことをする私も支援者も同罪で許せないと、独りよがりの思い込みをしている人たちでした。一部のストーカーは、自分自身の人生で何をしたいかがわからなかったり、社会に適応できずにいわゆる落ちこぼれたり引きこもりになっている人たちで、ネット依存症になっている人たちした。一部のストーカーは人と対面しての直接的なコミュニケーションができないために、メールでは自分を隠して何でも言えるので、そうやって自分の存在を感じている情けない人たちでした。一部のストーカーは、女性であることを利用して性的な誘惑に近いことを言って私が少しでも関心を示せば、それを根拠に私を脅迫しようとした人たちでした。一部のストーカーは、複数の携帯電話を使い分けてあたかも複数の人間であるかのように装って私を信用させ、その上で私が油断して差別用語(例えば、精神分裂症=統合失調症)を使ったとして脅迫しようとした人たちでした。一部のストーカーは、真夜中に私の自宅に電話をかけて今にも死んでしまいそうなことを言って私の同情をひきだそうとしたり、私の家族(妻)との間に不信感を作り出そうとした人たちでした。一部のストーカーは、私の自宅を突き止めて見張っていたぞと言って、家族に危害を加える可能性を想像させて脅迫しようとした人たちでした。一部のストーカーは、自宅に勝手にいろいろなプレゼント(食べ物や衣類や)を送り付けてきたり、真夜中に何回もワンギリ電話をかけて不愉快・不安にさせて私を屈服させようとした人たちでした。一部のストーカーは、ネット上に私の電話番号で交際を求めている女性の振りをして書き込みをし、本当と思った男性たちに私に電話をかけさせ、その度に私は無関係と説明させて時間を無駄にさせようとした人たちでした。一部のストーカーは、ありとあらゆる通販に私の電話番号で手当たり次第に品物を注文し、存在しない住所に品物を届けさせ、運送会社や受注会社に私に問い合わせの電話をかけさせて、私に無駄な説明の時間を使わせようとした人たちでした。一部のストーカーは、差し入れもしていない本を差し入れをしたと嘘のメールを送り、一見もっともらしいメールを送り、それがブログに紹介されることで自分が何かを成し遂げたような錯覚をする悪がきみたいな人たちでした。その他にもありますが、書き切れません。
社会にはそんなことでしか自分の存在を主張できない、まるで幼稚園生のような精神年齢の若者や大人、あるいは本当に精神を病んでいる治療が必要な人たちが大勢いるということです。多分、こういう人たちは親の愛情もなく育って、友人もいない、可哀想な人間なのでしょうが、卑怯にも携帯のメールアドレスを頻繁に変えたり、嘘の名前を使い分けたりして逃げ回っているので、私が直接会って話し相手になってあげて、少しでもまともな人生を生きるように助言をしてあげたいと思っても(ちょうど市橋達也君にしてあげたいと思ったように)、それも不可能でした。私に顔を見せて心から謝れば、一緒に江戸川の堤防をジョギングして、少しずつでも人生にはやるべきこと、やりたいことが一杯あることを教えてあげられるのにと思ってしまいます。せっかくこの世に生を受けたのですから、そんなつまらないことで貴重な人生の時間を費やしてしまうのは、自業自得とはいえ、可愛そうな人たちです。
これらの人達の浅はかさは、世の中には脅迫には絶対に屈服しない人間がいるということを知らなかったことです。
もう少しで私の役割は終わりますが、これからも新たに立ち上がった「市橋達也君の更生を支援する会」の代表と役員をサポートし、多くの支援者の温かい心のこもった支援金残金が30年後に市橋君の手に届けられるようにできるところまで見届けたいと思っています。
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明日は早朝に家を出て東京での委員会に出かけ、午後帰宅後はすぐ松戸から私の車で新潟県に向かいます。片道約5時間の運転です。共同研究者2名も同乗してくれます。新発田市での無人ヘリコプターによる薬剤散布の飛散調査を3泊4日で行い、13日の午後に松戸に帰ってくる予定です。14日には、千葉大学園芸学部で私が今でも年に1回だけ担当する講義がありますので。

2013年6月8日土曜日

昨日の夜新潟県から帰ってきましたが、すぐ来週の調査の準備その他に追われています。

今回はパソコンを持たずに出かけましたので、帰宅してからメールをチェックしたら、支援者から以下のお便りが届いていました。
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以下のメール、何度試してもなぜかパソコンからだと迷惑メールのブロックがかかって送信できないので、携帯から送ってみます。
送れるかしら。でも携帯だと長文です〓
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大変ご無沙汰いたしました。
いつも(厳密には時々まとめて読んだりバラバラですが)、先生のブログや素敵な構図のお写真、ありがとうございます。特に先生のお花の写真、好きです。
 この度は「市橋達也君の更生を支援する会」をちゃんとした形で立ち上げ、口座も開設して下さり、感謝感服しております。本当にすごいことだと思いました。
私などは、状況から考えて、皆支援したい気持ちはあっても責任持てないから、結局やり方考え方に問題があるも全精力をもって動いていらっしゃるK子さんに、残金管理もお任せするしかないだろうと、思いこんでいました。いわばK子さんと山本弁護士の結束がなせる共同作業とも思えるし、私個人的にはアンフェアなものを感じ「二人に任せれば?」と投げやり気分でした。
K子さんの性格を想像すれば、これからの長い年月で弁護士とも考えが合わなかったり、状況が変われば、市橋君との関係に影響するかもしれませんが、それでも今は、市橋君にとっては良い状況での服役だとも、考えました。だから、最近の先生のブログでの様子もすっかり傍観者になって、丸投げ状態で、まさかここまで来るとは思っていませんでした。
ずっと気持ちを保って市橋君のことを考えていらっしゃる方々がいらっしゃるのに、すみませんでした。「どこかに寄付するのではなく、将来市橋君の手元に届くようにしたい」という要望は一番大変な方法だったのに、私達支援者の多くの想いに添った形にしていただき、本山先生、役員を引き受けて下さった方、本当にありがとうございます。
大きなステップとなりました。顔は見えなくても、支援者と市橋君を長期間つなぐ「希望」ができました。
その想いを持って、亀さんのように支援させていただきたいと思います。今後ともよろしくお願いいたします。
本山:ありがとうございました。支援金は、支援者の皆様の心のこもったお金ですので、皆様の希望に沿った残金処理ができて私もよかったと思っています。30年という長い年月の間にはいろいろなことが起こるでしょうが、市橋君が仮釈放の審査を受けて出所できて、皆様が支援金の残金を彼のために残してくれたことを知ったら、どんなにか感謝することでしょうか。支援金残金の管理をして下さる3名の支援者は、私が個人的にも直接お会いしたことがある信頼できる方々ですが、私も生きている限りは支援者の方々と交流を続けて、見届けたいと思っています。もし途中で市橋君からの手紙が届くなり状況の変化があれば、皆様にお知らせ致します。
現在私が使っているaol のメールアドレスは、私からのメールに返信として送ろうとすると送信できないので、新たにアドレスを打つと送信できたと連絡して下さった支援者もいました。aol のセキュリティガードが高く設定されていて迷惑メールと誤認してしまうのか、特定のアドレスとは相性が悪いというようなことがあるのか、私にはわかりません。
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2013年6月4日火曜日

静岡県在住の支援者Aさん(役員)とBさん(代表)から、「市橋達也君の更生を支援する会」名義の口座の通帳のコピーが届きました。支援金残金が確かに入金した記録が記帳されています。わざわざありがとうございました。今日は時間がありませんが、後日通帳のコピーをブログにも貼付して、他の支援者の皆様にも確認していただけるようにします。

兵庫県在住の支援者からは以下のお便りが届きました。
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いつもお世話になります。
先生、長い間「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」を本当に有難うございました。大変なご苦労があったとお察しいたします。いろいろなバッシングの中、前向きに市橋さんを励ましサポートされました事、又私たち支援者へもお気遣い頂きました事、心から感謝いたします。
新しくスタートした「市橋達也君の更生を支援する会」はとても、とても長い道のりになります。ですが、何十年後かは判りませんが、出所された晩年の市橋さんに生き直して頂きたい!という支援者の方々の温かく強い想い、きっとその想いで頑張っていけると信じています。
役員として、ご活動くださる3人の支援者様には心から感謝し、これからも私なりの協力をさせて頂きたく思います。そして本山先生には今後とも「市橋達也君の更生を支援する会」の役員として活動して頂けます事、大変有難く心強い限りです。どうか宜しくお願いいたします。
服役中の市橋さんが今日も、そしてこれからも真摯に労働し、罪を悔い改め少しでも早く出所できますように祈っております。
季節は夏へと移っていきます。厳しい暑さも予想されています。先生、くれぐれもお体に気をつけてお過ごしください。

本山:お便りありがとうございました。〇〇様のような方が長期間にわたって支援して下さったことが、私にとっても大きな支えになりました。明日は早朝から2泊3日で新潟県での調査に出かけますので、このブログを「市橋達也君の更生を支援する会」に切り換えるのは少し時間がかかりそうです。新しい会の代表や役員を担当して下さる支援者とは今月末になって私に少し時間の余裕ができましたら、どこかでお会いできる筈ですので、〇〇様のこともお伝えしておきます。
例年より早目の梅雨入り宣言がされてからしばらく雨はお休みですが、お蔭でヘリコプターによる薬剤散布が順延にならず、私たちの調査研究にとっては好都合です。
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2013年6月3日月曜日

ゆうちょ銀行に行って、「市橋達也君の更生を支援する会」の口座に支援金残金1,274,852円を振り込んできました。振替払込金受領証のコピーを貼付します。これで私がお預かりしているお金はゼロになりました。今後は静岡県在住の支援者Bさんが「市橋達也君の更生を支援する会」の代表としてこの支援金残金を管理して、領置金が没収されなくなる10年後あるいは仮釈放の審査が行われる30年後に、市橋君の出所後の生活資金の一部として渡すことになります。長期間の管理になりますので、静岡県在住の支援者Aさんと東京都在住の支援者Cさんと私(命のある限り)も新しい会の役員として支援金残金の管理を見届けることになります。
私の方は、今までの「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の口座を解約する手続きをして、このブログの名称を「市橋達也君の更生を支援する会」に変更して、支援者の皆様との連絡手段として続ける作業が残っています。
 
     (受領証はクリックすると拡大できます)
 
支援者の皆様、長い間「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」へのご支援をありがとうございました。お蔭様で、千葉大学を卒業後とんでもないことをしてしまった元学生に弁護団をつけてきちんと裁判を受けさせることができました。留学を目指して勉強をしていた若者が何故このようなことをしてしまったのか、同じ間違いを犯して一生を棒に振る若者が出ないように本当は真相を明らかにするべきなのでしょうが、本人と十分なコミュニケーションができる前に刑が確定してしまいましたので、それも不可能になりました。本人もまだそのことについて心を割って話してくれる状態には至っていませんでした。法律については素人の私には、彼が犯した罪に対して無期懲役という判決は厳し過ぎる(従来の同様な罪に対する判例と比較して)ような気もしますが、本人が上告をしないと決めましたのでそれを受け入れざるを得ませんでした。支援金残金は、上告をした場合の弁護料に充てるつもりでしたが、その必要はなくなりました。市橋君が罪を償って30年後にもし出所する時があるとすれば、60才を過ぎて前科を背負って大変厳しい生活が待っているでしょうから、支援金残金はその時に生活費の一部にしてもらうように保管してほしいという支援者の意思を尊重して、上記のような「市橋達也君の更生を支援する会」の口座を開設して複数の支援者で管理することになりました。万が一、途中で何かが起こって(例えば、市橋君が服役中に亡くなるとか)それができなくなった時は、支援金残金は千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者・被告人の弁護活動に使っていただくように、会の代表と私以外の役員にお願いしておきます。
皆様からの温かいご支援は、どんなにか市橋君とご家族にとってありがたかったことかと思います。 


2013年6月2日日曜日

今週5日(水)から松くい虫防除でヘリコプター散布される薬剤の飛散調査に出かける新潟県胎内市のホテルを2泊3日で、新発田(しばた)市のホテルを3泊4日で予約しました。新潟県ではもう何年も調査をしていますので、よく知っている地元のような気がして愛着を感じます。

一昨日お見舞いに行ってきた千葉大学時代の元同僚教授/友人の奥さんと電話で話をしました。ちょっとの違いで行き違いになって病院では会えなかったのですが、私が帰った少し後に行ったらN君の表情がいつもと違って生き生きしていたので、誰かがお見舞いにきてくれたと思って伝言板代わりにサイドテーブルに立てかけてあるスケッチブックをチェックしたら、私が残したメモを見つけてやっぱりそうだったのかと思ったそうです。私が30分くらい一方通行で話しかけたら、言葉は一言も発してくれなかったけど表情は少し変わったとお知らせしたら、この頃は奥さんが話しかけても同じで何も言ってくれないとのこと。ただ、昔夏目漱石の本が好きだったので、昔買った夏目漱石全集を持ってきて枕元で朗読してあげると、聞こえているのか聞こえていないのか答えてくれないけど、何となく嬉しそうな表情を感じるとのことでした。

扁桃腺の腫れも峠を越して少し体調が回復してきましたので、まだ早いと言う妻の反対を押し切って江戸川堤防にジョギングに行きました。今日は川を渡って、いつもと違う向こう側(東京都の金町側)の堤防を走ったり歩いたりしました。空は晴れ渡り、遠くに松戸の中心街の高層ビルを眺めたり、ゆったりした川の流れや河川敷の景色を眺めながら、汗もびっしょりかいて気分は爽快でした。




2013年6月1日土曜日

今日から6月になりました。土曜でもありジョギングに出かけたかったのですが、扁桃腺が腫れて体温も少し低め(35.4℃)で元気が出ないので、用心して止めときました。5日からは2泊3日の予定で新潟県に調査に出かけますので、それまでに体調を万全に整えて臨みたいと思います。

平砂浦の松を昭和25年から植えた田辺さんの娘さんから借りてきた古いビデオテープを、今日やっとビデオをDVDに変換できる機械の使い方を覚えて視聴できました。小学校4年生の社会科ノートとして制作され、千葉テレビでも放送されたずいぶん古い映像ですが、初期の頃の植林の苦労や松くい虫激害で枯れる前の青々と松原が広がっていた当時の映像が残されています。