2010年12月31日金曜日

12月27日に振り込まれた方(3回目)の支援金が今日届きました。これで支援金の現在高は45,000円、延べ209人からの合計額は2,542,565円になりました。ありがとうございました。

今年の2月20日に私のWebsite http://sites.google.com/site/naokimotoyama の記事NO.14として緊急支援要請文を掲載して以来、今までに延べ209名の方が支援金を振り込んで下さり、合計額は250万円を超えました。入金記録簿を調べてみましたら、支援者の実数は114名ですから、95名の方々は繰り返し(2回~10回)振り込んで下さったということになります。いただいたメッセージ等から、ほとんどの方は市橋君とは直接的には何の関係もない方々と想像されます。千葉大学を卒業してからとんでもない間違いを犯して窮地に追い込まれた元学生に対して、支援者の方々はまるでご自分の家族や関係者のように痛みを共感して下さり、温かい手を差し伸べて下さり、本当にありがとうございました。お陰さまで弁護団に裁判活動・弁護活動に必要な資金の一部を提供できましたので、元学生に適正な裁判を受けさせることができるようになりました。

今日は大晦日です。刑務所の中でも年越しそばがふるまわれるのでしょうか。逃走中に、生きるために働くというのはどういうことかを初めて経験した(弁護団にそう語ったそうです)市橋君ですが、これから長い年月をかけて罪の償いをしなければなりません。元教師としては、接見が許されるなら、悪いことをした元学生を刑務所から引きずり出してぶん殴ってやりたい気持です。すでに起こってしまったことを取り消すことはできませんが、これから刑務所の中で許される範囲の中で、市橋君が親からいただいた命を大切に、できる限りしっかり生きて命を全うしてほしいと思います。

2010年12月30日木曜日

12月28日に振り込まれた2名の方(10回目と2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は25,000円、延べ208人からの合計額は2,522,565円になりました。メッセージもいただきました。「来年は市橋さんの裁判があるということで、私は自分自身の意思を再確認しています。私は市橋さんに更生し、もう一度御自分の人生を考え、やり直して頂きたいです。どれほどの時間があるのか判りませんが、市橋さんらしく生きてほしい。色んな考えがあるでしょうが、私は市橋さんをずっと見守り続けたいですし、少しでも更生のお役に立てれば・・・と思います」「ニュース報道があってからあっという間に冬が来てしまいました。(市橋君が)生きていて良かったと心から思いました。暑い夏、寒く辛い冬、幾度も超えて生きるのも市橋さんの人生。頑張って生きてください。自分の息子と重ね合わせて願ってます。」
ありがとうございました。もし市橋君のご両親がメッセージをご覧になれば、人の心の優しさに涙を流して感謝されるのではないでしょうか。

今日郵貯銀行から届いた振替受払通知票を見ますと、現在高は25,000円ではなく45,000円になっていますので、多分、12月27日に振り込まれた方がおられてその払込取扱票が遅れているのだと思います。12月28日の分と前後して明日には届くでしょう。

今日木曜は週間文春の発売日だということを思い出して、12月30日・1月6日新年特大号を買ってきました。先日取材に来た市橋君の記事が出ているかと思って目次を探してみましたら、載っていました。週間女性の場合と同じで、今までの経過が短く紹介されているだけでした。週刊誌というのは、元々娯楽や芸能人のゴシップ記事が中心で、スポーツ新聞などと同じように朝駅で買って、通勤電車の中で読んで、夕方駅で捨てていくという性質のものかもしれませんが、もう少し深く掘り下げた記事にすれば(例えば、有識者や、市橋君と同世代の若者、などの座談会形式にして、何故事件は起きたのか、社会的な背景があるのか、裁判員は何に注目して判断をすべきか、事件の再発を防ぐには何が必要か、外国人英語教師の生活の実態、などを議論させるなど)、ジャーナリズムとして価値が高まるのにと思ってしまいます。

2010年12月29日水曜日

千葉大学走友会の練習会は、稲毛の海浜公園から幕張のマリンスタジアムまでの往復約10kmを17人で走りました。一番遅い私が一番早くスタートし、今年の記録が一番早い人は私よりも21分遅れてスタートしました。同じやり方で、私は一昨年は1位、昨年は2位になったのですが、今年は練習不足で5位でした。1位は本部事務局の経理課勤務のママさんランナーのO女史、2位は外科医師のS先生でした。寒風の中でしたが、所々海が見えるコースを全力で走って、気分は爽快でした。
忘年会は駅前の飲み屋さんで、勤務している学部も職種も年令(25才から75才まで)も違うメンバーとOBが、楽しいひとときを過ごしました。年末の忙しい時期ですので、練習会にも忘年会にも参加できなかった人もたくさんいました。
走ることのいいことは、自分に都合のいい場所で都合のいい時間にマイペースで練習できること、健康管理によいこと、走った後のビールの美味しいこと。それに、利害関係のない仲間がたくさんできてワイワイガヤガヤ楽しいこと、でしょうか。

私は、来年3月中・下旬に開催される学会大会の講演要旨の締め切りが1月初めですので、間に合うようにこれから大急ぎで準備をしなければなりません。

2010年12月27日月曜日

12月24日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は5,000円、延べ206人からの合計額は2,502,565円になり、ついに250万円を超えました。ありがとうございました。クリスマスに因んで、温かいメッセージが添えられていました。「本日はクリスマスイブです。市橋達也さんはきっと、聖書を片手に内観し、祈りを捧げていることと思います。自分の中の傲慢を反省し、全てのことを受け入れることができたならば、市橋達也さんの人生は変わる筈です。そして、生きて下さい。生き抜いて下さい。人生にムダはありません。応援しています。」
クリスマスという節目に、刑務所の中にいる市橋君に思いをはせ、生きる希望を失わないように励まして下さる方がおられるということは、大変ありがたいことです。

今日は東京農大に行きましたら、昼休みに百周年記念講堂と呼ばれる大きな建物の前の広場で、箱根駅伝に出場する駅伝部の壮行会が行われていました。寒空の下に大勢の駅伝部員(40~50人?)が30分くらい直立し、応援団とチアリーダーがブラスバンドの演奏と大太鼓の響きに合わせて、一糸乱れぬ見事な動きでエールを贈っていました。若干、戦地に派遣される軍隊の出陣式みたいな雰囲気でしたが、昨年のチームが健闘して勝ち取ったシード権とこのような激励を受けて、選手たちは大学全体の名誉を担った代表であるという自覚を高め、全力で走ってくれることでしょう。私も思わず立ち止まって、がんばれよの拍手を送りました。毎年、お正月2日と3日にかけて行われる箱根駅伝にはいろいろなドラマが起こりますが、必死に走る若者たちの姿に釘づけになります。、

2010年12月26日日曜日

この2~3日 n3motoya@gmail.com のメールサーバーが何らかの原因でダウンしているらしく、メールの送受信ができない状態になっています。メールが戻ってしまった方は、私の個人的なメールアドレスの方に転送して下さい。これから私にメールを送信される方も、従来のサーバーが回復するまで、私の個人的なアドレスの方に送信していただければ届きます。多分、明日には回復するのではないかと想像します。(先ほど夕方7時頃チェックしてみたら、すでに回復していました)

一昨日、菅野弁護士にお会いした時に、週刊文春の記者に聞いた息子さんも人権派弁護士として活躍しておられるという話を確かめてみましたら、やはりその通りだとのことでした。現在、非常に難しい事件の加害者の弁護を担当しておられるとのこと。弁護士というのは、被害者の弁護を担当したり、加害者の弁護を担当したりしなければならず、難しい職業だなと思いました。菅野弁護士は、弁護士という職業には「心・技・体」の三位一体が要求されるとおっしゃっていました。裁判に必要な知識や技術が「技」で、証拠を集めたり裁判で戦うのに必要な体力が「体」で、それにも増して人間としての「心」が必要とのこと。武道の世界と全く一緒だなと感じました。

29日(水)は千葉大学走友会の年末恒例の練習会と忘年会です。稲毛の海浜公園から幕張のマリンスタジアムまでの東京湾沿いの往復を走り、今年参加した駅伝やマラソンの記録によってハンディキャップをつけて、遅い順に時差スタートをして競争します。このところは私がいつも全会員の中で一番遅い記録の持ち主ですので、一番早くスタートします。今年もメタボ気味の体調を解消できませんでしたので、到着順位よりも完走することを目標にせざるを得ませんが、忘年会だけ出席する人たちよりもいいかなと自分を慰めています。それでも一応、昨日は8km、今日は10km江戸川堤防をゆっくり走って準備をしました。

2010年12月25日土曜日

12月21日に振り込まれた方(10回目)と22日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで現在高は221,000円、延べ205人からの合計額は2,497,565円になりました。ありがとうございました。昨日報告しましたように、24日に全額を払出して菅野弁護士に届けましたので、現在の現在高は0円です。公判前整理手続は3月下旬まで続きますし、6月下旬からと予想される公判でも、弁護団は日本の検察だけでなく、被害者遺族とその利益を代表するイギリス人弁護士に対して、市橋君の弁護活動をしていくことになりますので、これからも引続きご支援をお願い致します。

2010年7月9日にNHKホールで行われた吉永小百合「平和への絆コンサート-原爆詩の朗読と音楽の仲間たち-」がテレビで何回か再放送され、私は観る度に胸が締め付けられ涙が溢れました。幸い12月19日にもNHK BS2で15:00-16:30に再放送されましたので、知人に録画したDVDが入手できないか頼んでおきましたら、昨日届きました。吉永小百合の朗読を聞くと、人間の命と家族の大切さが心に沁みわたってきて、戦争によってそれが奪われた人々の悲しみを思うと、自然に涙が溢れ、二度と戦争をしてはいけないという強い思いが込み上げてきます。これは人類の宝ですので、世界中の人に観てほしいと思います。いつかNHKに問い合わせて、英語版ができていないようでしたら、私の娘(昔、職業として映像翻訳をしていたことがありますので)か誰かに英語の字幕をつけてもらえないか相談してみたいと思っています。

2010年12月24日金曜日

今日は菅野弁護士の事務所に伺う前に郵貯銀行に寄ってみたら、前回報告した後にさらに支援金が振り込まれていて(私のところにはまだ振替受払通知票は届いていません)、全額の219,000円を払出しました。それに現金を手渡された2,000円を合わせて、221,000円をお届けしました。これで、今までに支援金総額2,497,565円をお届けしたことになります。いつものように菅野弁護士からの領収証を添付しますので、ご確認下さい。

公判前整理手続の日程については、12月は6日と8日に行われ、1月は11日と31日、2月は14日と25日、3月は8日と16日が予定されていて、最終回は遅くても3月16日と裁判官に指示されているので、公判は2ケ月後の5月下旬になる筈ですが、実際はさらに遅れて6月下旬になる予定だそうです。それは、公判にはリンゼイさんのお父様が被害者遺族として正式に参加の申し出をし、それに指定弁護士(現在遺族の代理人をしているイギリス人弁護士)も参加するのに、6月下旬にならないと来日する日程の都合がつかないという事情によるようです。この指定弁護士は、日本の弁護士資格とイギリスの弁護士資格の両方を持っている方で、当然日本語も堪能なようです。公判の時期は、1月31日の公判前整理手続までに決定(予約)されるそうです。

今の裁判制度では、被害者(被害者遺族)求刑が認められているとのことですので、実際の公判では、リンゼイさんのお父様から検事の求刑よりもさらに厳しい極刑の求刑がされる可能性が予想されるようです。今回の事件では、正式裁判員6名の他に、万が一正式裁判員に何かがあった時のために補充裁判員3名も選ばれるそうです。裁判は、午前10時から12時まで2時間、午後1時から5時まで4時間、途中休憩をはさむと実質1日5時間が上限ですから、それに通訳の時間も考慮すると、最低でも2週間はかかるだろうとのことです。

市橋君は、毎日定時に放送されるラジオのニュースは聞けますが、今は新聞は購読していない(購読する権利は認められているが)とのことです。刑務所内の売店で購入可能な週刊誌・マンガのような雑誌と食べもの(衣服は駄目)については、注文書に書いて刑務所職員に渡せば、4~5日後に届くという仕組みですが、外部からの差し入れは、手紙類と同様に認められていないとのことです。従って、今まで個人的に直接刑務所に送ったり差し入れされたものは(お金を除いて)本人には届いていませんし、弁護士宛に差し入れてほしいと送られてきた手紙類もそのまま保管されていて、本人には届いていません。従って、私に送られてきた市橋君宛の手紙やカードも本人に届けることはできませんので、ご了承下さい。

弁護団は週に1回は1時間~1時間半くらい接見を続けていますので、必要なものは市橋君がその時に弁護団に要望すれば、支援金で購入して差し入れされますので、寒さ対策も含めて不自由はしていないそうです。刑務がない未決囚が狭い独房の中でどうやって一日を過ごしているのかわかりませんが、市橋君は聖書を読んだり、積極的に運動をしたりして、健康状態は普通のようです。公判前整理手続には必ず毎回参加しているそうですので、検察側と弁護団がどういう主張のやりとりをしているかについては、把握しているようです。刑務所の食事は、麦が5%(?)くらい混ざったお米のご飯とおかずが中心のようですが、市橋君は元々パンやスパゲッティが好きで米飯は食べないということのようですが、それではカロリーが不足するので、多分ご飯の代わりにパンを購入して食べているのかもしれません。

報道によっては、市橋君の年齢を32才とした記事もありましたが、昭和54年5月5日生まれですから、正確には現在31才の筈です。

2010年12月22日水曜日

先日市橋君の件で取材を受けた週刊文春の記事は、記者に問い合わせてみたら来週の木曜12月30日に発売される号に掲載されるとのことです。

名古屋市昭和区役所の市民課戸籍係りから今朝電話がありました。John君の出生証明書に記載されていたお母さんの当時の住所に相当する所には、該当する戸籍の記録は見つからないとのことでした。私が訪ねた場所には、生前のお母さんからJohn君が聞いていた通り、ある宗教団体の教会が家のすぐ前にありましたので、場所に間違いはない筈です。早速アメリカに電話をして、その他に何か手掛かりになるようなことを聞いていないか思い出してもらったら、当時John君のお母さんの家は兄弟・姉妹が7~8人の大家族で、contractor(建築や土木工事などの請負業)をやっていて、従業員の給料支払い(payroll)などの事務的なことを娘時代のお母さんが担当していた、という新しい手掛かりがわかりました。お母さんのお父さんは魚釣りが趣味だったと聞いたことがあるというのも新しい手掛かりです。第二次世界大戦が終わった1945年から間もない1950年頃のことですが、近所に年輩の方が住んでいれば当時のことを覚えている人がいるかもしれませんので、今度名古屋に行く時に近くの住宅を何軒か訪ねてみようと思います。

2010年12月20日月曜日

12月17日に振り込まれた3名の方(3回目、10回目、8回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は210,000円、延べ203人からの合計額は2,486,565円になりました。ありがとうございました。各々の方からのメッセージも書かれていました。「本山先生・弁護士のみなさんには頭が下がります。市橋君に気持が伝わる事を願っております。」「寒くなりました。市橋君、体に気をつけて強い心でがんばって下さい。いつでも応援しています。本山先生も御身大切になさって下さい。」「市橋さんへ、You are not alone. 応援しています。」

菅野弁護士から連絡があり、その後振り込まれた支援金を12月24日にお届けすることになりました。公判前整理手続の様子や、市橋君の様子や、皆さまから寄せられた質問などについても伺ってくるつもりです。

先日取材に来た週刊文春は、今日駅の売店で訊いてみたら、毎週木曜日に発売されるとのことでした。

母親が日本人で父親がアメリカ人のJohn君から、亡くなったお母さんの戸籍から親戚が存在するかどうかを調べてほしいという依頼ならびに了承の手紙が届きました。早速日本語に訳して、以前渡されたアメリカ領事館発行のJohn君の出生証明書のコピーとその日本語訳と一緒にして、1953年に渡米する前にお母さんの本籍があった名古屋の昭和区役所に送りました。個人情報でしょうから、区役所がどういう対応をするか・・。

2010年12月17日金曜日

今日は予想外の方から手渡しの支援金がありました。これで支援金の現在高は193,000円、延べ200人からの合計額は2,469,565円になりました。支援活動に対するご理解とご協力をありがとうございました。

週刊文春の特集記事用の取材は予定通り行われました。市橋達也君の適正な裁判を支援する会を立ち上げた理由や、どういう方が支援者かということや、支援金が役に立って検察側の死亡推定時刻の変更に貢献したことや、弁護団から聞いている市橋君の最近の様子など、私の知ってることと、私の考えていることをお話しました。特集記事がいつ掲載される予定かは確認するのを忘れてしまいましたが、他の重大事件・事故と一緒の特集記事ですから、多分要点だけ簡略に報告する小さな記事になるのではと思います。

TBSテレビが、BS放送用に松枯れ問題について取りあげたいということで、私が協力して現地取材をする計画について現在相談が進行中です。松くい虫を防除するヘリコプターによる薬剤散布が中止に追い込まれたために、松林がどれだけ悲惨な状況になっているかをきちんと報道して、国民に実態を理解してもらうことは重要ですので、私もできるだけ協力を惜しまないつもりです。

2010年12月16日木曜日

12月14日に振り込まれた2名の方(8回目と5回目)の支援金が届きました。8回目の方からのメール通知には「・・市橋君も風邪ひいてませんように・・」というメッセージが書いてありました。これで支援金の現在高は191,000円、延べ199人からの合計額は2,467,565円になりました。どなたでも、年末年始はいつもより支出が多い筈なのに、市橋君が適正な裁判を受けられるように、何回も支援金を送り続けて下さってありがとうございます。

明日は、週刊文春が「重大事件・事故を振り返る」という年末特集企画記事用に、市橋君の近況について取材に来ることになっています。

2010年12月14日火曜日

ある支援者が、大石 圭という作家自身のブログで、市橋君のことに言及していると知らせてくれました。
http://www.ooishikei.jp/diary/diary_67.shtml
市橋君がいた寮にあったのは、文庫本の「殺人勤務医」のカバーだけだったとのこと。また、市橋君が逮捕された時に道尾秀介著の「向日葵の咲かない夏」というミステリー小説を持っていたとのこと。
こういった小説を読んでいた市橋君を、マスコミは異常性癖の持ち主であるかのように報道していたが、大石 圭も道尾秀介もベストセラー作家で、これらの作品は気軽に読めるライトノベルなので、特に事件とは関係がないのでは、というのがこの支援者のお考えだったようです。

イギリスのメディアが市橋君が暴力的な内容の漫画を愛読していたと報道していたことに関しても、http://www.thesun.co.uk/sol/homepage/news/article23530.ece
に載っていると知らせてくれました。
両方の情報とも私の知らないことでした。ありがとうございました。

今日はまた、別の支援者から5回目の支援金を振り込んだというメールが届きました。「裁判員裁判でも、かなり厳しい刑が下りている状況の中、
あれだけの注目を浴びた事件ですから、どうなるか・・・ 本当に正当な裁判が行なわれることを願っております。」「これで今年の送金は最後になるかと思います。どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。市橋さんも、隔離された中ではありますが、心安らかな年を迎えられますように。」というメッセージもいただきました。ありがとうございます。

先日、「週刊女性」の編集部員から取材を受けましたので、今日発売(1月1日号)の「週刊女性」を駅の売店で買ってきて、どういう記事になっているか開いてみました。「2010年のニッポン その後、どうなった? 終わらないあの騒動、あの事件の今」という特集で取り上げたいくつかの事件の中の一つですから、事件を掘り下げるだけのスペースはありませんが、市橋君について従来の多くのメディアのように偏見と推測に基づいた悪意のある書き方はされていないと感じました。

記事の見出し「恩師が明かす市橋達也被告(32)の今」から、彼がすでに30才を越えたことに気付かされます。大学を卒業してから2年、事件から約3年逃亡生活、身柄を拘束されてから1年ですから、千葉大学を卒業してからすでに約6年という歳月が経ったことになります。どういう判決になるのかはわかりませんが、有期刑の上限は30年ということのようですから、これからさらに相当の長年月を刑務所の中で暮らすことになるのでしょう。その間にも、市橋君の心が腐らずに、罪を償いながらできる範囲で自分自身の成長をし続け、社会にも何らかの貢献ができるように、皆で応援をしてあげられればと思います。

2010年12月13日月曜日

12月10日に振り込まれた方(2回目)と11日に振り込まれた方(匿名希望、3回目)の支援金が届きました。「体には十分気をつけて、市橋君の更生できる日を願っております。2回目ですが、今後も支援していきたいと思っております。」とのメッセージもいただきました。ありがとうございました。これで支援金の現在高は171,000円、延べ197人からの合計額は2,447,565円になりました。

市橋君が千葉大学を卒業する時に、市川の辺りに住むのだったら松戸に近いのだから時間がある時は道場に来て一緒に稽古をしようと誘ったら、「はい」と答えたにもかかわらず、事件を起こすまでの2年間全く交流がなかったので、彼がその後どういう生活をしていたのか私は知りません。私の研究室を専攻して卒業・修了していった学生の中にも、30年経った今でも連絡をくれる者もいれば、卒業後は一度も連絡をくれない者もいます。しかし、普通の学生だった市橋君が、すぐ見つかることはわかっていながら、何故リンゼイさんを自宅で強姦し、自宅に監禁し、亡くなった後は遺体を自宅に隠すような理性では考えられない馬鹿なことをしたのか、理解するのは困難です。しかしこういう事が起こったのは事実なので、市橋君には何か理由があったのでしょう。

支援者のお一人から、大石 圭という作家の小説に、美女監禁サディズム、監禁致死、裸にして縛って暴力、美女を檻に入れる、ロープで拘束・・、といった内容の作品があるというお知らせをいただきました。社会から隔離されて一人で生活する若者が、インターネットカフェに入り浸ったり、小説を読み耽ったりしているうちに、その中で描かれるバーチャルな世界と現実との区別が付かなくなって、理性では考えられない犯罪を犯すようなことがあるのかどうか。私は社会学者でも、犯罪心理学者でも、精神科医でもありませんが、一度目を通しておきたいと思って、早速ネットで検索して大石 圭という作家の小説の中から一冊「奴隷契約」を選んで注文しました。

2010年12月11日土曜日

昨日は東京農業大学のグリーンアカデミーホールという施設で、総合研究所研究会農薬部会の第80回セミナーが開催され、2題の講演がありました。元三共株式会社農業科学研究所長の城島輝臣博士の「第12回国際農薬化学会議に参加して」と、日本獣医生命科学大学名誉教授の鈴木勝士先生の「農薬のリスクアセスメントをめぐる最近の話題」

鈴木先生は内閣府食品安全委員会農薬専門委員会座長を3期も務めて最近退任された方で、200以上の農薬の一日摂取許容量(ADI=Acceptable Daily Intake)の設定に携わった方です。農薬のリスクアセスメントの法的根拠、理念、方法論、係争・懸案事項など、長年直接携わった人でなければできない素晴らしい講義をされました。

いずれも大変興味深い内容で、本当は大学の講義と同じように15回くらいシリーズでやっていただきたいと思ったくらいですが、私自身も過去に関わったことがある問題で特に興味深い話題がいくつかありました。一つは、先生がダイオキシンパラドックスと表現した問題。ダイオキシンは地球上で人類に対する最強の毒と思われ、学校でのゴミ焼却も禁止され、我国の風物詩だった落葉での焼き芋もできなくなりましたが、実はそれは間違いだということ。

本ブログの12月4日の記事で言及しました日米科学協力事業セミナーの後、私はアメリカの疫学者Dr. David F. Goldsmithが再来日した機会に、日本の疫学者(当時、国立がんセンター研究所がん情報部長)Y博士もお呼びして、千葉大学で”農薬の発がん性および内分泌かく乱(環境ホルモン)活性に関する疫学的リスク評価”という公開ワークショップ(1998年)を企画・実施しました。その時にY博士が送ってこられた演題「弱いポテンシーの発がん物質を疫学的にどう評価するか:ダイオキシンを例として」を見てびっくりしました。ダイオキシンの発がんリスクは、一般国民の思い込みと違って、タバコを1日1本吸う人が15年後に肺がんになるリスクと同程度に低いということ。ベトナム戦争当時ジャングルを枯らすために散布された除草剤に含まれていたダイオキシンでベトちゃん・ドクちゃんに代表される奇形児が生まれたというのも間違いで、実はこの地方の風土病だったということ。ある国の工場で多くの人が高濃度のダイオキシンに被曝する事故があった場合も、その後の調査で発がん率の異常増加はみとめられていないということ。当時の私にはショックだったのを記憶しています。

昨日の講演会で別の専門家から偶然同じ話とその科学的根拠をお聞きして、納得すると同時に、メディアや一部の学者やジャーナリストや、それに動かされる政府に、私たちがいかに簡単に間違ったことを信じ込まされるかということを再認識しました。当時厚生省所管の国立がんセンター研究所の専門家でありながら、何故ダイオキシン騒動は間違いだと国民に発言しないのかという私の質問に対して、Y博士は「嵐が吹いている時は誰も聴く耳をもっていないので、何を言っても無駄だ」と答えられました。

ダイオキシンは危ないと騒ぐことで、視聴率を稼いだり、研究費を獲得したり、財務省から予算を配分されたり、ビジネスが繁盛したり、社会正義をしていると思い込んで自己満足したりする人がいることも、間違った認識がいつまでも是正されない理由のひとつでしょう。、そのために、国民の税金から無駄な予算が支出され続けるとしたら、それは国民の利益を損なっている反社会的行為ではないでしょうか。農薬についても、本当は安全性に問題はないのに、危険だ危険だと虚偽の宣伝をして自己利益(お金儲けや、自分たちの活動の正当化など)に結び付けている人たちが多数いるのも、似たような状況だなと思いました。

2010年12月8日水曜日

12月6日に振り込まれた方(9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は136,000円、延べ195人からの合計額は2,412,565円になりました。メッセージもいただきました。「心配な事は計り知れないほどありますが、市橋君がとにかく強い心と健康でいれますよう、心より祈り、毎日手を合わせております。」 ありがとうございました。

今日は「週刊女性」のK編集部員(若い女性)が市橋君の件に関する取材で東京農業大学の私の研究室に来られました。来週12月14日火曜日発売号に掲載予定の「あの事件は今」という年末特集記事の中で、「市橋被告の現在おかれている状況」をとりあげたいとのことでした。テープレコーダーを回しながら、30分くらいという予定でしたが、私がたくさん話しましたので、気がついたら2時間半くらい経っていました。今は、メディアは猫も杓子も歌舞伎俳優の市川海老蔵暴行事件一色の中、週刊誌というのは発売日直前(ホットな話題を伝えるため)に取材して記事を作っていかなければならないので、大変だなあと思いました。

そもそも私が何故顔を表に出して支援する会を立ち上げたかをお話しました。今までに支援活動を批判するメールが届いたり、農大学長に抗議文を送りつけてきた人がいたり、支援者の顔をして支援金を振り込んで支援活動の様子を探ろうとしている反支援者らしき人がいることや、いろいろ嫌がらせもあることをお知らせしました。市橋君は、拘留されてから絶食死を目指した時期や、千葉刑務所に移されてからは自殺の可能性があるという扱いから普通の未決囚と同じ扱いを要望した時期や、差し入れされたお金で刑務所内の売店で甘いものを買って食べ過ぎて(ストレス発散?)メタボになりかかった時期や、今は普通の未決囚扱いになって精神的にも落ち着いて、運動も積極的に行っているらしいことなど、弁護団から聞いたことをお話しました。私たちの支援活動は弁護団を通して市橋君にも伝わっていることもお話しました。

先日取材に来られたイギリスの新聞の東京支局長の時もそうでしたが、メディア関係者も、確実な情報がない中で、ネット上で交わされている信頼性が確認できない憶測や悪意に基づいた流言飛語に惑わされる可能性があると感じました。今日の取材の結果どういう記事になるかわかりませんが、帰り際に、「自分も本山先生のような教師の学生だったら良かった」と言って下さったので、等身大の正直な市橋像を伝えるような記事になることを期待します。

私自身も12月はスケジュールがかなり一杯ですが、菅野弁護士に、その後振り込まれた支援金をお届けする日程調整をお願いしました。

2010年12月4日土曜日

今日は神田の学士会館で名古屋大学農学部同窓会関東支部総会ならびに講演会があり、私も参加しました。昭和32年(1957年)卒から平成16年(2004年)卒までですから、47年の年齢差のある同窓生が楽しいひと時を過ごしました。講演の部は、JAXA(宇宙航空研究開発機構)未踏技術研究センターの小口美津夫氏による「宇宙で生きる~人工的な地球の創造~」という演題の講演があり、スライドに動画(宇宙飛行士がどうやって歯を磨いたり頭を洗ったりするかとか、無重量状態で魚が突然キリキリ舞いする様子とか)も挿入して、あまりにも興味深いお話に最初から最後まで惹きこまれました。宇宙船での長期生活用に開発された様々な技術、例えば物質の再利用、水の浄化、植物工場による食料生産など、地球上の問題を克服するのにも活用できるということを再認識しました。

数日前に大阪大学で物理学を教えておられるK教授から、私たちが10年以上前に取り組んでいた農薬と発がん性に関する研究についての問い合わせのメールが届きました。科学を装いつつ実は科学的根拠のないさまざまな問題を「ニセ科学」として検討しておられるとのことです。私たちは、1960年代に使われていた水田除草剤が、新潟県における胆のう癌による死亡率が全国一高いことと関係があると示唆した疫学的な研究を再検証し、仮説を否定しました。この問題については、日米の癌の疫学の専門家その他を招聘した日米科学協力事業セミナーでも検討しましたので、その時のプロシーディングズ
"Pesticides and the Future: Minimizing Chronic Exposure of Humans and the Environment" eds. Ronald J. Kuhr and Naoki Motoyama, IOS Press, Amsterdam, 1998
を一冊お送りしました。

疫学的研究の仮説は否定されたにもかかわらず、当時アエラという週刊誌に大きく報道されたこともあって、この事例が今でも農薬による発がん性の事例として引用され続けているのは残念なことです。間違いがわかっても、報道を訂正しない一部のメディアやジャーナリストの無責任な体質にも責任があると思います。

2010年12月2日木曜日

アメリカ訪問中の10月4日に、ノースカロライナ州ローリー市の病院に入院していた友人のFrank Peoples君の奥さんのJoAnnさんをお見舞いに行って、いつかまた会おうとお別れの挨拶をしてきましたが、今日は私の携帯に突然の電話があってびっくりしました。退院して、理学療法士の指導を受けて自宅で歩行訓練などのリハビリをしているとのこと。Frank君も電話に出てくれて、お互いに元気でやっていることを確かめ合いました。久し振りに友人の声が聞けたので、今日は一日いい気分でした。

先日、三重県からの帰りに名古屋に途中下車して、1951年(昭和26年)に空軍兵士だったアメリカ人の父親と日本人の母親との間に生まれたJohn君(59歳)の出生証明書を頼りに、当時お母さんの住んでいたところと産婦人科医院を見つけることができましたが、それを知らせたら、John君と奥さんのMaureenさんから感謝のメールが届きました。今度は、John君からの戸籍調査依頼状が届いたら、次回名古屋に行く時に、それを区役所に持参してお母さん(故人)の兄弟・姉妹の移転先や従兄弟・従姉妹の有無を調べてあげるつもりです。届いたメールによると、John君のお父さんとお母さんが名古屋で出合ったのは17才の時ではなく(それでは計算が合わない)、21~22才頃だった筈とのことでした。お母さんが亡くなる前に、日本でのご家族の消息を探してあげられればよかったのにと思ってしまいます。

昼休みに道場で学生と空手の稽古をした後、車を運転して千葉県山武市にある千葉県森林研究所を訪ねました。先月、松林防除実践講座での私の講演を聴いた県の研究者(千葉大学園芸学部の古い卒業生)が、来年は千葉県の松林を対象に一緒に研究ができないかと提案してきましたので、その相談をしてきました。千葉県は昭和54年(1979年)にあった松林面積35,856haに比べると平成21年(2009年)の残存松林の面積は3,353haですから、30年間で松林の90%以上が消滅しています。わずかに海岸に残っている松林だけは、これも松枯れで酷い状態ですが、防風林・砂防林としての機能を果たしていますので、地域住民の生存環境を保全するためにこれだけは何とか死守したいという考えです。私は、最後の博士研究員がいなくなる来年の4月以降は、大学卒業以来45年間続けてきた研究生活から引退する潮時かなと考えていましたが、場合によってはもう少し続けることになるかもしれません。

2010年12月1日水曜日

11月29日に振り込まれた2名の方(2回目?と9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は131,000円、延べ194人からの合計額は2,407,565円になりました。ありがとうございました。公判前整理手続が来年3月まで続くことになり、弁護団も5月以降と予想される公判まで長期間の裁判活動をすることになりますので、それを支援する支援金が引続き振り込まれることは大変ありがたいことです。

払込取扱票にはメッセージが手書きされていました。「市橋君にもおじいちゃんがいる(注)と聞きました。そのおじいちゃんのためにもがんばって下さい。一日も早く岐阜へ帰れるよう祈っております。私も男の子のおばあちゃんです。」「・・・イチョウやもみじも美しく紅葉し、そろそろ落葉で地面は彩り鮮やかな絨毯をひいているようです。市橋さんにも見せてあげたいです。独房の中、寒くないか、淋しくないか、風邪ひいてないか、色々心配です。早く、たくさんの方々の支援する気持が市橋さんに伝わればいいな! と思います。そして適正な裁判と判決を心から願い祈ります。」 
(注)私は市橋君のご家族の構成については把握していません。

昨日のブログで、裁判官がさらに整理手続を続けるように指示したことを報告しましたが、それに対して何人かの支援者からメールでコメントが届きました。検察側が主張している「殺人」の意思が本当にあったかどうかを厳密に検証してもらえるという意味では非常に良かったと思う半面、被害者の遺族(リンゼイさんのご家族)にとってはつらい日々がさらに続くのは気の毒だという配慮をされる方もいました。

私たちは、市橋君が社会から袋叩き(リンチ)にされないように、適正な裁判を受けられるように支援活動をしていますが、亡くなったリンゼイさんとそのご家族の無念さも決して忘れてはいけないと思います。