2012年3月31日土曜日

3月29日に振り込まれた方の支援金1万円が届き、お気持ちはありがたいのですが、どう取り扱うべきかちょっと困惑しています。この方は2010年5月に初めて振り込まれて以来、ほぼ毎月振り込まれて今回は22回目です。住所とお名前は記載されているのですが、電話番号とメールアドレスは記載されていませんのでどういう方かはわかりません。
3月1日と3月9日のブログで、支援金の振り込みは3月10日までで終わりにして下さいとお願いし、それまでの支援金は全額を払い出してすでに菅野弁護士にお届けし、現在「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」としての募金活動は停止している状態です。この支援者はブログをご覧になっていないのか、ご覧になった上で、市橋達也君の更生を支援する目的で振り込まれたのか、あるいは私が4月6日に面会に行く時に市橋君に差し入れてほしいという意味で振り込まれたのか、判断ができません。ご指示がなければ、4月11日の判決までこのまま預からせていただいて、その後どういう対応をするかによって書留便で返却するか別目的で使用させていただくか考えたいと思います。手続きが複雑になりますので、今まで毎月定期的に振り込まれてこられた他の支援者の方も、判決以降の方針が固まるまで、今後の振り込みはしないようにお願い致します。

今日は千葉県松林復活プロジェクトの共同研究に参加しているメンバーが千葉大学園芸学部に集まって打ち合わせ会をしました。千葉県における松林の被害材積量は、2007年まで行っていた有人ヘリコプターによる薬剤(有機リン殺虫剤)の散布を中止して、2008年からネオニコチノイド剤と呼ばれる別の薬剤の地上散布に切り換えてから4年間で3.1倍に増加しました。特に昨年の房総半島南端の平砂浦や九十九里浜における激害の発生は、経済状況の厳しい中にもかかわらず千葉県の松くい虫防除事業予算の増加をもたらし、薬剤防除事業に4千830万円、被害木駆除事業(松くい虫で枯れた木は伐倒駆除しないと翌年の発生源になるので)に8千770万円、で計1億3千600万円(前年比17.2%増)の予算を計上しています。人間の病気でも同じで、感染症が流行している限りは感染症を抑える努力をせざるを得ませんが、防除方法を変えてからわずか4年間で被害が3.1倍にも増加したのですから、その原因を明かにして根本的に防除方法を見直す必要がありそうです。

2012年3月30日金曜日

今日は支援者の1人が東京拘置所に差し入れに行かれている筈です。4月11日の判決で刑が確定しますと、その後どういうスケジュールでどこの刑務所に移されるのかわかりませんし、面会の回数も制限が厳しくなりますので、私は4月6日(金)にもう一度面会に行って市橋君の様子を確かめてくると同時に、どういう判決になっても落ち込まないように励ましてくることにしました。今週の月曜に差し入れに行かれた支援者も、同じ日にもう一度差し入れに行かれるとのことですので、現地でお会いできるかもしれません。これで、今のところ判決日までで支援者による差し入れが予定されているのは今日3月30日(金)、4月6日(金)、4月9日(月)で、面会は4月6日(金)ということになります。

東京農業大学のキャンパスは春休み中の筈ですが、農友会と呼ばれる課外活動をしている大勢の学生たちの元気な姿が見られます。グランドでは長距離走、短距離走、競歩、サッカー、百周年記念講堂の前の広場ではダンス、野球場では対外試合をしている野球部、常盤松会館と呼ばれる武道場では少林寺拳法部と剣道部の姿が見えました。
私は昼休みに大学の周りを約4Km ジョギングしました。付属の第一高等学校のグランドに沿って桜の若木が何本か植えられていますが、カワズザクラとヒカンザクラとラベルしてある品種の木は花が咲いていてちょうど今が満開でした。道行く人が何人も立ち止まって携帯のカメラで写真を撮っていました。濃いピンク(カワズザクラ)と淡いピンク(ヒカンザクラ)の花の美しさに魅せられたのでしょう。あんまり見事なので、私もジョギングの後で愛用のカメラを持って行って撮影してきました。ソメイヨシノは大木・老木が大学側に沿って植えられていますが、蕾(つぼみ)が大きく膨らんでいました。まもなく一斉に開花して、道行く人々を楽しませてくれる筈です。(写真はクリックすると拡大できます)



夕方、東京農業大学からの帰りに千葉大学園芸学部の共同研究をやっている研究室に寄って、大学院生(中国からの女子留学生)と実験データについて検討をしました。分析の結果があり得ない異常な値を示していたので、追加実験を指示しておいたのですが、その結果、何故異常な値を示していたか原因がわかりました。殺虫剤を抽出するのに使った試薬特級の有機溶媒(純度99.5%以上)に微量含まれる不純物が濃縮されて、HPLC(高速液体クロマトグラフィ)分析で分析対象殺虫剤と重なって検出されていました。結果を公表する前に原因がわかって私も安心しましたが、彼女も実験をする時はあらゆる可能性を考えて実施しなければいけないということがわかって、一つ勉強になった筈です。若い時は私自身もそうでしたが、学生はこういう失敗の経験を通して、科学者としての目が訓練されていきます。

アメリカの空手の弟子から、私の恩師の故W.C. Dauterman 教授の奥さん(今はオレゴン州在住)がノースカロライナ州のローリー市に来ているというメールが届きましたので、知らせてくれた奥さんの携帯に電話をしました。糖尿病をはじめいろいろな健康問題があるので、月曜に昔から診てもらっているデューク大学の医師に診てもらう予約がとってあるのだそうです。膝関節も股関節も痛みが酷いので、その後でorthopedics(整形外科)も訪ねる予定とのことでした。奥さんは私より10才年長ですから、この6月で80才になるそうですが、太り過ぎの問題も抱えています。ホテルに滞在していても、あちこち痛みが酷いので歩くこともできないと惨めそうな声でした。私が側にいればお世話できるのですが・・。ジョージア州アトランタの友人を訪ねている長男が日曜の夜に帰ってくるのを待っているしかないようでした。アメリカ(の田舎)のように車がなければどこにも移動できない社会は、老齢になって運転ができなくなった人には厳しい社会になります。

2012年3月29日木曜日

NIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences 米国環境健康科学研究所)に勤務しているアメリカ人の友人から、いわゆる化学物質過敏症に似た症状に関する興味深い情報が送ってきました。
1つは、The New York Times Magazine on line http://www.nytimes.com/2012/03/11/magazine/teenage-girls-twitching-le-roy.html?_r=1&ref=magazine&pagewanted=all
にSusan Dominus という女性記者が2012年3月7日に報告したWhat Happened to the Girls in Le Roy(ルロイの少女たちに何が起こったのか)と題した記事です。
もう1つは、NPR(National Public Radio 公共ラジオ局) http://www.npr.org/2012/03/10/148372536/the-curious-case-of-teen-tics-in-le-roy-n-y
のAll Things Considered というラジオ番組(6分45秒)でホスト役のGuy Raz 氏が上記のDominus 記者にインタビューし、The Curious Case of Teen Tics in Le Roy, N.Y.(ニューヨーク州ルロイの十代の少女に起こった不思議な痙攣症状)と題して2012年3月10日に放送した内容の筆記録です。

両方とも同じ事件を扱っているのですが、ニューヨークの西部の人口7,500人ほどのルロイと呼ばれる小さな町の学校で十代の女子生徒たちに起こった原因不明の痙攣(けいれん)症状を扱っています。チアリーディングチームに属する一人の女子生徒が、昼寝の後にあごが震えたり、顔が痙攣する症状を経験し、それが同じ学校に通う十代の女子生徒18人に次々に広がったという事件です。学校の水や運動場の土に何か有毒な化学物質が含まれているのではないかと疑われて、学校であらゆる可能性について調査・分析したにもかかわらず、何も異常を発見できず原因を特定できませんでした。この事件はCNN(Cable News Network、アメリカのケーブルテレビ向けのニュース専門放送局)テレビやフェイスブックなどでも注目を浴びて取り上げられましたが、結局、神経科医の診断はConversion Disorder(ストレスの感情が転換されて肉体的症状となって現れる病気)と、多くの女子生徒で同様の症状が見られたことからMass Psychogenic Illness(大量発症心因性体調不良、別名Mass Hysteria 流行性集団ヒステリー)であるということになりました。

これは、私が本山直樹Website http://sites.google.com/site/naokimotoyama で何回も指摘しているように  [例えば、http://sites.google.com/site/naokimotoyama/old/2009/090827 過去の記事#5 薬剤散布による健康影響の根拠として放送された映像の検証(2009年8月27日)] 、実際には因果関係はないにもかかわらず、松くい虫防除で散布された薬剤で体調が悪化したと思い込んで健康被害を訴えるのとよく似た現象です。ただそれだけなら個人の問題ですが、それがメディアに大きく取り上げられて政治的な圧力になって薬剤散布が中止に追い込まれると、せっかく何十年もかかって育成してきた松林が松枯れで保安林としての機能を果たさなくなって、地域住民の生存環境が危険にさらされることになり、国民に大きな被害をもたらします。

The New York Times Magazine の記事は問題をさらに深く掘り下げて、環境に問題がないことを認識すれば症状は急速に改善するが、何が原因かわからないからと無意味な毒性物質の探索にお金をかけたりすると不安感が増大し、かえって長期的な心理学的問題の発展(つまり化学物質過敏症=化学物質恐怖症に罹って長期間苦しむ)につながることを指摘しています。この記者は、こういう症状が発症する医学的メカニズムや、Mass Psychogenic Illness についても、わかっていることとわかっていないことをちゃんと区別して紹介しています。Susan Dominus という女性がどういうバックグランドを持っている記者かわかりませんが、難しい問題をあくまで科学的に報告した大変すばらしい記事だと思います。

今日は上記の記事と、松がれのメカニズムに関する論文を読むのに時間を使いたかったので、江戸川堤防を6Km だけ走ってきました。すっかり春で、斜面に寝転がってひばりのさえずりを聞きながら青空を眺めている人もいました。

2012年3月28日水曜日

一昨日(26日)に差し入れに行かれた支援者から以下のお便りが届きました。
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今晩は。昨日東京拘置所に伺いました。売店で、お菓子、パン、お弁当、お花を差し入れました。先週、新幹線で来られた支援者の方もお花の差し入れされたと伺いましたので、日にちをあけて週末に届くようにして頂きました。
それから、桜と京都の庭園のPostCardを数枚と現金を差し入れました。刑の確定後に、市橋達也さんはどちらの刑務所に収監されるか分かりませんが…刑務所の施設見学をした際に、千葉刑務所の運動場の周りには、桜の木が並んでいました。もしかしたら、来年は桜が見れるかも知れないですね。

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このところ走れない日が続いていたので、今日は天気予報が予告していた雨が降る前にと思って昼に江戸川堤防をゆっくり18Km 走ってきました。ウィンドブレーカーのポケットに愛用のデジタルカメラを入れて走りながら、途中で寄り道をして写真を撮りました。江戸川周辺の景色もすっかり春らしくなって、あちこちにいろいろな花が咲いていました。市橋君はもうこういう春の景色を直接見ることはできませんが、上記の支援者が差し入れて下さった絵葉書を見て、彼の記憶にある春の景色を思い出して見ているのかもしれません。私たちは普段は毎日の生活に追われて忘れていますが、ちょっと立ち止まって見れば、こういう自然を通して季節の変化を肌で感じられるということは、実は大変恵まれていて幸せなことだということに気付かされます。幸せというのは、よく言われるように物質の豊かさではなく、心の持ちようなのでしょう。



今日はある古い書類を見つける必要があってパソコンに保存してあるファイルを調べていたら、5年前に千葉大学空手部創立50周年記念号の部誌に投稿した原稿と、4年前に投稿した原稿が見つかりました。前の原稿は部長(顧問教員)として部の在り方について論じた挨拶文で実際に掲載され、後の原稿はちょうど4年前の私の定年の直前に部の歴史を残しておこうと思って書いたものですが、現在の空手部の指導陣によって差し障りがあるということで却下されて掲載されなかったものです。学生時代(今から約50年前で20才くらいだった筈)に新入生が入学してくる前に私の提案で空手部有志で大学中の旧式のトイレの落書きを消して掃除をしたことや、これらの原稿では触れていませんが、アメリカ滞在中はアメリカから空手をオリンピック種目にしようとして各流派の指導者を説得して武道連盟を作って努力したことなど、若い時の怖いもの知らずの自分が懐かしくなりました。市橋君の支援活動とは直接の関係はありませんが、興味のある方のために紹介しておきます。こういう経験を経て、現在の私があるということです。
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千葉大学空手部部誌(昇龍)15/五十周年記念号2007年930日発行 掲載挨拶文

創部50周年に際して-千葉大学空手部のあるべき姿とは?
千葉大学空手部部長 本山直樹(第10代主将)

 千葉大学空手部の歩みを見ると、昭和32年(1955年)1月に福士和夫先輩が同好会を結成し、同年4月に正式の空手部が創設されて高橋洋一先輩が初代の主将に就任している。高橋先輩は、元々松涛館流空手の有段者だったのに玄制流創始者の祝嶺(しゅくみね)制献先生の門下生になり、埼玉大学に空手部を創設後千葉大学に空手部を創設するために転学してきたと聞いた。空手の歴史をたどれば遠くインドに源流があるとされ、仏教とともに中国に伝えられ、それが当時独立国であった沖縄に伝えられ独自の発達を遂げたとされている。沖縄から日本に伝えられたのは1900年代初期とされているので、たかだか100年くらい前のことである。関東を中心に松涛館流を広めた富名腰(船越)義珍、関西を中心に剛柔流を広めた宮城長順、・・・祝嶺先生はもっと最近になってからであるが、やはり沖縄から日本に来て空手を広めた一人である。従って、長い歴史のある柔道や剣道と異なり、日本での空手の歴史は浅く、未だに流派ごとに型も練習方法も異なり、試合のルールさえ統一されていない。そういう状態の武道は、いきおい各流派が「俺が」「俺が」と自己優越性を主張し、勢力を拡大しようとする。大学空手部はいったん流派が入り込めば、毎年新しい部員が入ってきて毎年経験を積んだ部員が卒業していくので、その流派にとっては勢力拡大の絶好の場所になる。当初、高橋先輩が千葉大学に転学してきたのも、祝嶺先生の使徒として玄制流を広めようという使命を帯びていたのかもしれない。
 一方、大学・学生の立場からすれば、空手部に入るということは教育の一環としての課外活動に参加することに過ぎない。一般に日本では私立大学の運動部は、箱根駅伝で見られるように、大学の宣伝も兼ねて優勝するような強いチームであることが求められている。国立大学でも、体育学部のある筑波大学のようなところは別としても、ある時期の京都大学のアメフト部がそうであったように、指導者と部員に恵まれれば目覚しい活躍をする場合もある。どの運動部も優勝を目指して練習に励み、それが実現した時には達成感に酔い、大学や社会やOB会からはよくやったと褒められる。しかし勘違いしてはいけない。基本的には、私立・国立を問わず大学の学生にとっては各専門分野の勉強をすることが主であり、それが大学に入学してきた目的であり、空手の練習をすることは従である。選手になって必死に練習して大会で優勝しようと思う学生もいれば、許される(勉強の障害にならない程度の)時間内でほどほどに練習してほどほどに強くなればよいという学生もいる。運動神経は普通以下でも、仲間の部員と一緒に汗を流したり、練習後の時間を一緒に過ごすことによって、得られる友情を大切と思う学生もいる。千葉大学空手部は、それら全ての学生を受け入れられる空手部であってほしいし、今まで50年間実際にそうであったと思う。選手になって大会で華々しい活躍をした部員もいれば、違う場面で著しい貢献をした部員もいる。それでいいのだ。空手のように大学に入って初めて習い始める学生がほとんどのスポーツでは、上級生やOB会や流派の師範の指導なしにはまともな練習も上達もおぼつかないが、全員で空手の技の習得と大会での優勝を目指して練習を重ね、また自分達で部を運営することを通して、専門分野の勉強とは別の、課外活動の本当の目的-人間としての成長-を達成できるのだ。大会の成績だけで部を評価してはいけない。日本の空手界がいまだに流派単位で動いている現状は残念だ。その分だけ、OB会が団結して後輩に技術的、精神的、経済的な支援をしてほしい。福士先輩と高橋先輩が50年前に蒔いた種をしっかり育て、次の50年の世代に引き継ぎたいものである。
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千葉大学空手部部誌(昇龍)16号原稿 20083月提出 掲載却下された挨拶文

部長退任にあたって-私の過ごした時代の空手部
空手部部長 本山直樹(第10代主将)

1.はじめに
 昨年は創部50周年の記念祝賀会が盛大に開催され、久し振りに顔を合わせた昔の仲間達と楽しい一時を過ごした。これから次の50年に向けて一歩を踏み出したわけだが、私自身は本年3月末をもって千葉大学を定年退職するので、顧問教員としての空手部部長も退任することになる。この機会に、部誌15号で紙数の都合で掲載されなかった拙著原稿の前半部分「私の過ごした時代の空手部」を、部がたどってきたある時代の足跡として残しておきたい。歴史を後輩に伝えるという意味だけでなく、将来部のあり方について迷いが生じた時に考える上の一助になれば幸いである。

2.昭和37年~41年(1962年~1966年)
 私が入学した昭和37年(1962年)当時の千葉大学は、新制大学の多くがそうであったように典型的な「タコ足大学」のひとつであり、文理学部は稲毛に、薬学部、看護学部、医学部は亥鼻に、教育学部附属学校は四街道に、工学部、園芸学部は松戸にキャンパスがあった。入学後最初の2年間は教養課程で、どの学部の学生も全員稲毛で過ごし(文理学部の先生方が教養科目を担当していたので)、その後各学部に分かれて専門の教育を受けるという仕組みであった。特に園芸学部と工学部の学生にとっては、教養の単位を落すと、3年生、4年生になってから松戸から稲毛まで通って単位を取り直さなければならず、時間的に大変であった。その後、西千葉の東京大学第2工学部の跡地に統合キャンパスができ、先に移転していた教育学部に続いて、文理学部(後に文学部、法経学部、理学部に発展)も工学部も薬学部も移転して集まってきた。
 入学時の空手部の道場は稲毛にあったプレハブの建物で、剣道部が半分、空手部が半分使っていた。部長は五味淵(ごみぶち)正詞教授、主将は教育学部の宮澤(現鈴木)幸辰先輩、師範は玄制流創始者の祝嶺制献先生であった。私が1年生後半-2年生前半時代の主将は文理学部で心理学を専攻していた鈴木和男先輩で、師範は来司(くるす)節三先生に変わった。時々は、千葉大学空手部の創設に関わった高橋洋一先輩が指導に来てくれていた。この辺の事情は当時をよく知っている誰かが書いてくれるかもしれないが、祝嶺先生と高橋さんの関係が不仲になり、高橋さんと来司先生とは祝嶺先生門下の兄弟弟子の関係であった。元々高橋さんが指導をして、関東甲信越学生空手選手権大会団体戦2年連続優勝をはじめ千葉大学空手部全盛期を築いていたのを、高橋さんの先生にあたる祝嶺先生が直接指導にこられるようになったとのことであった。指導者の問題がこじれたり、部が困難に直面した時には、常に当時高校教師をしていた鈴木卓先輩が指導にきてくれて部をまとめてくれた。私が2年生後半-3年生前半時代の主将は文理学部の早澤健夫先輩で、その後を私が継いだ。名簿を見ると、同じ学年で主将を交代した年代が2つあるので、私が第10代目の主将ということになる。
 当時の練習は月曜から土曜まで毎日あり、金曜と土曜は2年生以上は各専門学部で授業を受けていたので、園芸学部生は松戸の道場(といっても、校舎新築後取り壊さずに残っていた古い木造校舎の教室を事務に許可をもらって床の修理をしたり、割れている窓ガラスを入れ替えたりして道場に転換したもの)で練習をした。月曜~木曜は、朝早めに登校して稲毛キャンパスの校庭に立ててあった巻きわらを30分くらい叩くことから始まり、昼休みは部員全員グランドに出て追い突き・逆突き・前蹴りなどの基本練習を約1時間、放課後は道場で2時間くらいの基本・型・組み手の練習、その後1時間くらい居残って個人練習、・・・といった日課であった。当時私は埼玉県の蕨から片道約2時間かけて電車通学していたが、帰りは疲れて居眠りし、よく秋葉原駅で乗り換えができなかったり、蕨駅で乗り過ごしてしまったことを思い出す。先日久し振りにOB総会に出席した帰り、渡辺新一先輩と一緒に西千葉の学内を歩いていたら、あちこちにペットボトルやゴミが散乱しているのを見て、「空手部はランニングしながらこういうのを片付けて回れば他の学生達の尊敬を集め部員も増えるのに」とつぶやいておられた。本当にその通りだと思う。私達が教養課程の学生だった頃、千葉大学はまだ木造の古い校舎と汲み取り式の汚らしい便所を使っていたが、1年生から2年生になる時の春合宿中に空手部で稲毛キャンパス中の便所の落書き消しと掃除をして回ったことを思い出した。1年後輩の栗林洋君に最近借りた部誌2号(昭和39年発行)にも、私の「空手と自分」という小文の中でそのことについて書いているのを偶然見つけた。私が過ごした4年間当時の空手部は千葉大学の全体育会系サークルの中で、最も活躍し、最も活発な、最も尊敬されていたサークルであった(少なくとも部員は皆そう思っていた)。しかし、私自身は主将の任にありながらあまりにも空手に時間とエネルギーを費やした反動として、そのような学生生活の過ごし方に疑問を抱くようになり、夏の関甲信大会後から翌年の関甲信大会後までという任期を全うせずに4年の途中で主将を辞めることになった。その辺の心境は、部誌3号(昭和40年発行)に書いた「空手の位置」に吐露しているが、辞めることができたのは、私自身の苦しみと、そんな主将の下で号令をかけられる後輩を救おうという配慮で、同期の池田貞雄君が「本山、主将を辞めろよ」と言ってくれたお陰である。それにしても、当時の文章を見ると、いくら若かったとはいえ何と思いつめたゆとりのない考え方をしていたことか! 若さゆえの融通のきかない視野の狭さを表していると同時に、純粋に思いつめることのできた若さゆえの特権をも表しているのだろう。
 結局、私が主将に就任して間もない昭和39年10月の関甲信大会では千葉大学空手部は惨敗(記録を見ると、個人戦ではHH級で浜田紘生先輩が優勝しているが)し、3年連続して団体戦優勝を逃した。それがきっかけになり、OB会から指導者責任が追求され、来司先生の解任が決まった。次の指導者選びが始まったが、まだ4年生はいたもののすでに現役を引退していたので、その選択は私達3年生の現役幹部の肩にかかることになった。私にとっては非常につらい時期であった。当時、祝嶺先生と高橋さんの関係は最悪の状態になっていて、高橋さんは埼玉大学OBの岩谷忠也さんや青木孝影さんや石川正夫さん達と一緒に日本空手道玄和会という新しい組織を立ち上げ、祝嶺先生は千葉大学空手部OBの境一成先輩、池田正喜先輩、横田弘先輩、加藤満雄先輩らに囲まれて、千葉大学を玄制流空手発展の基幹道場にしようという計画を持っていた。現役幹部は何回も集まって相談をし、4年生の意見も訊き、卒業した先輩達にも会って話を聞き、結局最後は高橋さんに玄和会会長としてではなく、一人のOBとして指導を委ねることにした。心を鬼にして境先輩らにその決定を伝えに行った時のつらかったこと・・・。予想に反した回答に唖然とした境先輩の表情を今でも覚えている。私達は、大学空手部は教育の一貫としての課外活動の一つとして存在するのであり、いくら玄制流の創始者といえども大学空手部が一流派の支部組織になったり、その発展のための基幹道場として位置づけされるのは学生が構成員の大学空手部にとって正しくない、と考えたのだった。従って、私と池田貞雄君の二人は個人的に玄和会に入会するが、千葉大学空手部は独立して存在し玄和会支部にはならない、という約束を高橋さんと交わした。千葉大学空手部にはすでに昇龍会というりっぱなOB会があったので、流派に依存しなくてもOB会の支援があれば独立してやっていけると思ったからだ。それ以前からすでに、昇級・昇段審査もOB会が実施し、免状は千葉大学空手審査委員会(五味淵正詞空手部部長)の名前で発行していた。審査料はOB会に入り、それは全て現役の空手部の支援に使われていた。
 その後、祝嶺先生の周りにも、高橋先輩の周りにもいろいろなことがあって、現在の状況につながっている。関甲信大会にも自由組手部門が加わり、防具組手部門はむしろ少数派になった。しかし、いかなる時にも大学空手部として忘れてならないことは、学生は流派や組織の勢力拡大のための道具ではないということ。今や祝嶺先生も高橋先輩も視界から去り、現在は横田先輩を中心に空手部は動いている。これは、OB会と現役諸君が選択した道であり、横田先輩がひっぱってくれている限り、千葉大学空手部を正しい方向に導いてくれると信じている。いや、玄制流の流れを継承し、師範として千葉大学空手部を指導してくれている横田さんを、OB会は過去のわだかまりを捨てて一丸となって応援し、サポートしていこうと言うべきかもしれない。

3.おわりに
 私自身のその後の経験については、部誌15号で「卒業後の私の空手活動」としてすでに掲載されたので繰り返さない。定年退職後は時間的にゆとりができる筈なので、ジョギングを再開して再びフルマラソンを走れるようになりたいし、自然の中でフィッシングもやりたいし、空手の稽古にももっと時間が割けるのが楽しみである。これから本当に自分がやりたいことをやれるという期待で胸がわくわくしている。多分、日本とノースカロライナ(USA)との間を行ったり来たりという生活になるだろう。空手の世界にも千葉大学空手部にもこれからいろいろ変化があるだろうが、新部長、横田師範、安藤監督、OB会の指導によって、入部してくる学生諸君に素晴らしい経験を与える場にしていってほしい。
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2012年3月27日火曜日

昨日宅配便で発送した差し入れ品が今日には東京拘置所に届いた筈ですが、検閲を無事通過して市橋君の手元に届いていれば、今頃支援者リストや私からの手紙を見てどう感じていることでしょうか。昨日は支援者のお一人も午後の遅い時間に東京拘置所に直接差し入れに行かれた筈ですので、それも彼の手元に配達されている筈です。多くの支援者は市橋君を家族のように思ってくれているということが、息子の行為で亡くなったリンゼイさんのご遺族への配慮から身動きがとれない市橋君のご両親に代わって、彼の心を温め、前向きに保つ支えになっているのではと思います。

私は午前中に歯医者に行って3ケ月に一回の定期的なクリーンアップと、詰め物がとれたところに樹脂を詰める治療をしてもらいました。それから千葉大学園芸学部に寄って、約束していた博士課程の女子学生と会って就職活動の助言をしてあげました。現在応募している会社名を聞いて、提出した履歴書や応募書類のコピーをもらってきました。今は就職難で買い手市場の時代なのでご利益はないかもしれませんが、それぞれの会社の関係者に私がよく知っている千葉大学の優秀な学生が応募しているので人物をよく見てほしいと一言電話をしておこうと思っています。

千葉県の環境研究センターへの配置換えが決まった元学生からは、「放射線業務を中心に研究・調査を行う担当になりました。」という連絡が届きました。大学院在学中に勉強して1種放射線主任者資格を取得しておいたことが、役立ったと実感していますとのこと。学生諸君には常々、自分の専門分野をしっかり勉強すると同時にできるだけ何にでも興味を示して基礎を広げるようにと助言をしてきましたが、この元学生の場合は昨年の福島県での原子力発電所の事故で放射能汚染があちこちに広がったということとタイミングが合って、彼の能力を生かす職場が与えられたようです。

先日は新潟県胎内(たいない)市の日本海に面した海岸の松林の松くい虫による激害状況を視察してきましたが、今日は県庁の担当者から農薬散布の効果と飛散問題について講演依頼が届きました。すぐ承諾の返信をしましたが、私たちの長年にわたる調査研究の成果が現場で役に立つのは嬉しいことです。5月の連休明けの週に再度新潟県を訪ねられるのは楽しみです。

2012年3月26日月曜日

東京拘置所の市橋君宛に、次の手紙と一緒に「支援者リスト最終版」(A4版26ページ)と「空手道教範」(本)を宅配便で発送しました。私と市橋君がどういう会話をしているか、支援者の方々にお知らせするために紹介しておきます。偶然ですが、支援者からのお便りに、今日3月26日はリンゼイさんの命日ですとありました。あれから5年経ったことになります。
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2012.3.26
市橋達也君

321日に面会に行った時は、その前の時(229日)に比べて君の顔色が悪かったので心配しました。一審通り無期懲役のままになるか、有期刑になるかを決める重要な控訴裁判に臨んだのだから、精神的に不安感に襲われても当然だろうけど、被害者遺族の感情移入に大きく影響された裁判員裁判の一審と違って、今度はプロの裁判官による裁判ですから、証拠に基づいて犯罪の重さに相当する適正な判決が下されるものと信じます。
菅野弁護士からは、どういう判決になろうとも、現在の弁護団も検察側もこれ以上の控訴はないだろうとの見通しを伺いました。従って、20102月に立ち上げた「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」もこの3月で募金活動を中止しました。以前、手紙の差し入れがあった時に支援者からかどうかが判別できるように支援者リストを差し入れましたが、その後の支援金の振込もありましたので、支援者リストの最終版を同封します。これだけ多くの君とは個人的に無関係の人たちが、君の更生を信じて君に罪を償って前向きに生きてほしいという気持ちで支援をして下さったということを忘れないで下さい。これらの人たちはまるで自分の家族のように、刑が確定してからもずっと君のことを思い、君の更生を見守っていきたいと言ってくれています。
なお、支援者リストの原本には支援者の住所や電話番号、メールアドレス、どういう方かのメモが記載されていますが、個人情報ですので差し入れるリストからは削除しました。万が一にでも漏洩すると、顔を表に出して支援活動をしている私が受けているようなあの手この手の嫌がらせや脅迫の対象になる可能性があるので、このリストの取り扱いにも十分注意して下さい。もし君からこの中の特定の人に礼状なり手紙なりを書きたい時は、私に言ってくれれば住所を差し入れます。
以前から約束していた玄制流の空手道教範も差し入れます。玄制流というのは、沖縄出身でこの本の著者祝嶺制献師範(故人)が創設したものですが、その後組織が分裂して祝嶺先生のグループは躰道(たいどう)という新しい武道に進化し、高弟だった高橋洋一師範(千葉大学空手部創設者)は玄和会という組織を立ち上げました。私は千葉大学時代は祝嶺先生と高橋先生の両方から指導を受けました。アメリカで道場を開いていた時は、基本の型は玄和会の玄和Ⅰ、玄和Ⅱ、玄和Ⅲと、玄制流の人位の型と三才を教えていました。有段者にはナイハンチ、ワンカン、バッサイ小と大、コーショークン小と大などの鍛錬型も教えていました。1978年に日本に帰国する時は、ハイウェイパトロールステーションの施設を使って私が型を演じて英語で解説するビデオを収録して、弟子たちに置いてきました。DVD版を今も持っていますが、刑務所の中では見られないだろうな。君が千葉大学園芸学部の空手部にいた頃は、練習時間が短いということと他の流派の経験者(例えば、少林寺拳法有段者だった〇〇君)が入門してきても一緒にやれるように、型は全くやらずに、主に突きや蹴りや受けの基本と、それを方向を変えて練習する四方突き・蹴りと、約束組手をやっていた筈です。玄制流は体の面が相手から遠いので防御に有利で、かつ多彩な技が繰り出せる(例えば、斜上蹴りや海老蹴り)後屈立ちを中心に稽古をし、玄和会は体の面が相手に近く重心も前にあって攻撃に有利な前屈立ちを中心に稽古をしていました。
君が刑務所の中で服役しながら健康管理の目的で稽古をするのだったら、相手もいないし場所も狭いだろうから、基本の技と四方突き・蹴りを繰り返すだけでも、意識的にやれば目的を果たせる筈です。勿論、ストレッチや筋力が落ちないような腕立て伏せや足揚げの腹筋運動などの筋力トレーニングも必要です。
空手道教範は古い本でこれ一冊しかないので、不要になったら廃棄せずに返して下さい。特定のページのコピーがほしければ、コピーをとって差し入れてあげます。
〇〇〇〇さんに君が言ったことをメールで伝えたら、次の返事が届きました。君の昔の友人たちもご両親も、君がこれからどう生きていくかを見守り、前向きに生きてくれることを祈っている筈です。
こんにちは、〇〇です。ご連絡をありがとうございました。私のメッセージが市橋君の今後の生活の励みになるのでしたらとても嬉しく思います。市橋君の起こした行動は軽はずみでは済まないことだと思います。しかし今後の市橋君に何も支えが無い状態では自暴自棄になって何も改善されないとも思います。自分の行動を正面から見つめ、亡くなった彼女の分まで一日一日を大切に送って欲しいです。もし旧友からのメッセージが市橋君の支えになるのであれば、今後も時々近況報告を踏まえてメッセージを送ろうと思います。本山先生のように頻繁に訪ねたりメッセージを送ることは出来ないですが、心の中にはいつも市橋君が居ます、とお伝え頂けたら嬉しいです。4月11日は、私も判決をしっかり確認したいと思います。どうぞよろしくお願い致します。

本状と、差し入れの支援者リストと空手道教範が無事に君の手に届くことを期待しています。前回差し入れた本間 龍氏の本は届きましたか。何か私にしてほしいことがあれば、遠慮なく言って下さい。

本山直樹
市橋達也君の適正な裁判を支援する会(代表)
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今日は、就職活動をしている博士課程の女子学生と朝10時に彼女の研究室で会って少し相談にのる約束でしたが、朝8時頃、自転車で駅に向かう途中で車との接触事故があって救急病院に行くので約束の日時を延期してほしいとの携帯電話からのメールが届きました。大事に至らなければいいがと祈っていましたら、その後軽い打撲だけで済んだとの連絡が入ったので、明日の朝会う約束をしました。日本の社会では、女子学生の博士号取得予定者の就職は非常に厳しいことはわかっていますが、学業も意欲も人間的にも優秀な学生ですので、できるだけ応援してあげたいと思っています。

2012年3月25日日曜日

支援者リスト最終版の作成ができました。延べ人数485人、実人数158人でしたので、多くの方が繰り返し振り込んで下さっています。20回以上の方が4人もおられ、最多は34回でした。1回の振り込み額は千円から10万円までありましたが、支援金総額は当初目指した100万円をはるかに上回る447万428円に達しました。記録を整理しながら、皆さまの温かいお気持ちが伝わってきて胸がじんとなりました。ありがとうございました。
少数ですが、現金を郵送または手渡しをされた方もおられるので、明日もう一度ゆうちょ銀行から届いた振替受払書類1枚1枚と合わせて間違いがないことを確認しようと思います。

3月18日にテレビ東京で放送された番組「ニッポン事件簿~犯人はなぜ逃げるのか~」を制作した株式会社ダイナマイトレボリューションカンパニー(東京都港区)がDVDを送ってくれました。再生してもう一度観てみようと思っています。ごく普通の元学生だった市橋君が何故あのような事件を起こしたのかは、本人はまだ話せる段階ではないようですので、他人は想像するしかありません。私が取材に対して、当時の市橋君はストレスで精神的に追い詰められた状態だったようだと答えたことが番組で紹介されていました。精神的に追い詰められていたとしても、それで罪を犯すことが許されるわけでないことは当然です。ただ、いずれ時期がきたら、何故普通の人間があのような行動をとったのか解明することは、同じような悲劇(被害者にとっても、加害者にとっても、それぞれの家族にとっても)が起こることを避けるために重要な筈です。

運動着に着替えて江戸川に走りに行きましたが、途中から葛飾大橋を渡って東京都側にある水元(みずもと)公園に寄って2時間近く歩き回りました。昔は都立江戸川水郷公園と呼ばれ、東京都の水産試験場もあっ場所だそうですが、約90ha の広大な面積に広場やベンチや水路が配置されていて、水草の展示もありました。大きな水路は小合溜(こあいだめ)と呼ばれますが、地図を見ると中川につながる大場川から取水しています。江戸川もすぐ近くなので、昔は溜まりではなく江戸川ともつながっていた水路の一部だったのかもしれません。江戸川も昔はアユの獲れる清流だったそうです。埼玉県の三郷(みさと)と千葉県の松戸と東京都の金町(かなまち)が接するこんな近い場所にありながら、今まで時間や気持ちの余裕がなくて一度もゆっくり散策したことはありませんでした。今日は歩数計を兼ねた携帯電話のカメラしか持っていませんでしたが、何枚か写真も撮りました。今度もう一度愛用のデジタルカメラを持って、ゆっくり散歩してみようと思います。

2012年3月24日土曜日

先日パソコンからプリントした入金記録簿を一つ一つ見直して、打ち込みミスや変換ミスを訂正する作業をしています。いずれ監査をしてもらうための準備です。それから、市橋君に差し入れする支援者リストの最終版の作成をしています。こちらの方は、①通し番号、②振り込み年月日、③振り込み金額、④お名前、⑤都道府県、⑥振り込み回数だけにして、住所、電話番号、メールアドレス、その他の情報は万が一にでも漏洩(ろうえい)することがないように削除しています。支援者の振りをして振り込んだ「支援者もどき」の人は区別ができるようにしています。2010年2月23日に最初に振り込まれた方から、2012年3月9日に最後に振り込まれた方まで延べ485人分の結構膨大な資料ですから、まだ半分くらいしか終わっていません。明日には完了して東京拘置所の市橋君宛に郵送して差し入れができればと思っています。市橋君には、支援者リストを見ることで、これだけ多くの方々が支援して下さっていることを自覚し、感謝の気持ちを持ってほしいからです。
支援者の中には私が個人的に直接お会いした方もおられますし、直接お会いしなくてもメールのやりとりをした方も、写真を送って下さった方も、一度もメッセージを書かれなかった方もおられますが、こうして記録簿を見直す作業をしながらお一人お一人の顔が浮かび、市橋君に適正な裁判を受けさせたいという絆で結ばれた大きな家族のような親しさを感じます。

千葉大学園芸学部の2年生の時に私の講義を受けて、この4月からは大学院博士課程3年生になる女子学生から就職活動の中間報告のメールが届きました。応募した1つの会社は二次試験で落とされ、もう1つの会社は書類選考で落とされたとのこと。女子で博士号取得者というのは、日本の企業の人事では極めて狭き門で難しいようです。私の評価では、この学生は世界のどこの大学に行っても負けないくらい優秀な学生ですから、その能力を認めて実力を発揮させてくれる就職先が見つかることを期待しています。
もう一人、2007年3月に私の指導の下に博士号を取得した男子学生からもメールが届き、東京都衛生研究所で博士研究員をしてから千葉県の公務員試験に合格して、県の行政の出先機関に3年間配属されていたのですが、この度環境研究センターへの配属が決まったという連絡でした。彼は、農薬や食品に含まれる天然物質やカビ毒の分析ができるだけでなく、放射性同位元素取扱主任の資格も持っていますので、千葉県は放射能汚染の測定などでも彼の力を使いたいのかもしれません。
こうやって、私が関わった元学生たちが相談や報告の連絡をくれるのは、元教師としては嬉しい限りです。

午後雨が上がってから、江戸川堤防を6Km だけ走ってきましたが、このところ走る方は少し怠けているので息が切れてハーハーしました。

2012年3月23日金曜日

今日はあいにくの雨天になりましたが、千葉大学園芸学部では大学全体の卒業式に続いて、恒例(昨年は東北大震災の影響で中止)の卒業生を送る会が松戸キャンパスで催され、名誉教授の私も招待されて参席しました。名誉教授の参席者は3名だけでした。大学全体の卒業式は千葉市で催されますが、人数が大勢なので各学部の教員は学部長はじめ数名しか参席できないので、式終了後に卒業生全員が松戸キャンパスに戻って、全教員から祝福を受ける卒業生を送る会が催されます。学部長の挨拶、戸定(とじょう)会(同窓会)会長の挨拶、後援会(父兄会)会長の挨拶、学生代表の挨拶が行われ、各学科から2名ずつと、園芸別科(実技教育が中心の2年課程)から1名選ばれた計9名の成績優秀学生の学部長表彰が行われました。今年は女子学生7名、男子学生2名が表彰され、女子学生が断然優位でした。
毎年行われる行事ですが、卒業生たちは今日を節目に、大学院への進学、民間会社への就職、国家公務員、地方公務員、高校教員、中学教員など、各々の道を歩み始めます。喜び一杯の学生たちの姿を見ながら、千葉大学園芸学部において4年間または2年間の課程を修了して巣立つ学生たちに、明るい未来が拓(ひら)けることを祈る気持ちになりました。息子たち、娘たちをここまで育ててこられたご両親にとっても、親の責任を果たした喜びの日になった筈です。
本当は、市橋達也君も7年前のこの時期には、今年の卒業生たちと同じように夢の実現に向かって意気揚々(ようよう)と巣立ったのですが・・。


どの大学にも独自の歴史があるのでしょうが、千葉大学園芸学部のホームページを見ると、http://www.h.chiba-u.jp/overview01.html 1909年(明治42年)に千葉県立園芸専門学校として設立され、1929年(昭和4年)の千葉高等園芸学校への名称変更と文部省への移管換えを経て、1949年(昭和24年)に国立千葉大学の園芸学部になっています。その後大体10~15年間隔で大きな改組が行われ、現在は4学科(園芸学科、応用生命化学科、緑地環境学科、食料資源経済学科)と園芸別科から構成されています。昔は園芸技術に関する教育・研究を特徴とし、実習教育にも力を注いでいましたが、現在は従来の学問分野の境界が必ずしも明確でなくなってきたこともあって、また外部資金(研究費)のとれる分野、社会的関心(ニーズ)の高い分野が突出するようになり、教員の業績評価も発表する論文のインパクトファクター(他の研究者にどれくらい注目され引用されるか)が最重要視されることもあって、従来の実習教育の伝統は急速に失われつつある(教員が真面目に実習教育に時間と力を注いでも、業績として評価されないので)ようです。大学があまりにも社会情勢に流されて、時代によっては猫も杓子(しゃくし)も生産、猫も杓子も環境、猫も杓子もバイテク、猫も杓子も??、というのは基本的に教育・研究機関としての大学には問題だと思うのですが・・。

2012年3月22日木曜日

支援者のお一人から、来週の月曜26日に東京拘置所に差し入れに行かれるとの連絡がありました。重ならないように、他の方はこの日の差し入れは避けていただければと思います。これまでに差し入れが予定されているのは、3月26日(月)、30日(金)、4月9日(月)です。

支援者から以下のお便りが届きました。
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本山先生こんばんは、昨日のブログ拝見しました。先日の控訴審を傍聴された方も市橋さんの顔色が悪かったと言われてましたが、顔色はまだ悪いままだったのですね・・・
先生が言われていたように、今の市橋さんの精神的負担は計り知れないものがあるのでしょうね。でもそんな状態であっても先生の奥様へのお詫びや、お孫さんの写真を取り上げられたり破られたりするかもしれないからと断る気遣いを見せる市橋さんは、必ず更正できる人だと思いました。
面会中に先生のお孫さんや学生時代の空手部の話題では生き生きとした顔に変わったとありましが、市橋さんにとって事件と関係のない話し(本山:思い出して見ると、確かに、空手や陸上競技や松枯れやローマの街並みや私の孫や、事件とは関係のない話をしている時に市橋君の目が輝いていました)ができるのは弁護士さん以外に本山先生だけでしょうから、またいろんな話しをして元気づけてあげて下さいね。

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本山先生、〇〇〇〇です。接見での市橋君の様子を知らせて下さりありがとうございます。控訴審の時の市橋君は顔色が悪くうなだれて今にも倒れてしまいそうだった姿が頭から離れません。裁判長が具合が悪いようですが大丈夫ですか?と気づかってくれた程でした。今市橋君がどんな気持ちでいるのか考えると私が倒れてしまいそうなくらいです。市橋君が涙で訴えた言葉と声が耳から離れません。拘置所で毎朝リンゼイさんに手を合わせますと泣いていました。三分以上絞めてたら控訴はしないという真実だけは是非立証させてもらわなくてはと思います。先生いつもありがとうございます。
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昨日東京拘置所に同行した支援者からは以下のお便りが届きました。
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昨日は大変お世話になりました。無事に差し入れもできホッといたしました。昨夜、帰宅後はさすがに疲れていたのかいろいろと片付けを済ませて先生にお礼の連絡を、と思っておりましたのに寝てしまいました。遅くなりましたが本当にありがとうございました。
ブログも拝見いたしましたが、市橋さんに私の想いを伝えて頂きましたこと、有りがたく又嬉しく思いました。私が市橋さんに出来ることは、ささやかな事ですが、少しの時間でも気分転換できる差し入れや手紙は続けていきたいと思います。
私は市橋さんのことが本当に本当に心配です。これから市橋さんには色んな苦しく辛い事が有るかもしれませんが、それでも元気でいて欲しいです。強く生きて頂きたいです。
昨日は現金、絵本(書籍は要らないと言われてましたがこの絵本は読んで頂きたかったので)、お菓子類と缶詰、お花、タオル、外のお店でお弁当を差し入れました(本山:昨日のブログの報告では、缶詰、お花、タオルは抜けてしまいました)。度々行けたら良いのですが、それは難しい事なので、ついつい色々と買ってしまいました。市橋さんのお好きものはどれだろう、、と考えながら差し入れました。
市橋さんには私以外にもたくさんの温かい支援者の方々がおられる事を知って頂きこれからも頑張って生きて欲しいと願います。判決後の事は本山先生や支援者の方々に負担がかからない方法を考え支援を続けられたらと思います。
先生、大変お忙しい中いつもお世話になり申し訳ありません。どうかお体にはくれぐれもお気をつけて今後とも宜しくお願い致します。

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今日は埼玉県の平成23年 度農産物安全技術専門委員会が県庁の近くの埼玉教育会館で開催され、私も委員の一人ですので出席しました。この委員会は、テレビ朝日のニュースステーションという報道番組を担当していた久米 宏ニュースキャスターが、1999年2月1日の番組で、埼玉県所沢市産の葉物野菜から高濃度のダイオキシンが検出されたと発表したことから、風評被害でホウレンソウその他の野菜の売り上げが激減した問題を受けて、2001年1月から発足したものです。当時の様子は http://www.aa.alpha-net.ne.jp/mamos/tv/dioxin.html に詳細な説明がありますが、高濃度が検出されたのは実際はホウレンソウではなく煎茶だったこともあり、裁判にもなりましたが、最終的にはテレビ朝日側と久米 宏氏が謝罪することで終結しました。
第1回の委員会が開かれた時はメディアが殺到して物々しい雰囲気で、開会前だけ撮影が許され、記者たちは委員会が終わってから各委員から直接取材しようと玄関前で待ち構えていました。県側はそれを避けるために裏口にタクシーを待たせ、委員が記者たちに取り囲まれないように浦和駅まで直行させてくれたのを思い出します。

その後、ダイオキシン汚染問題だけでなく、農産物の残留農薬や、重金属汚染や、土壌からの残留農薬の吸収問題など、食の安全に関する諸問題の実態調査と問題解決方法の技術開発などに関する県の取り組みについて専門委員として評価・提言などをしてきました。ちなみに今日の議題は、平成23年度に県が取り組んだ4つの課題、①ネギ・ナスのカドミウム濃度低減技術、②農薬の後作物への影響回避技術、③農薬の混用による野菜の農薬残留に及ぼす影響、④化学肥料の代替を考慮した堆肥の多投・連用による影響についてと、平成24年度の研究計画についてでした。
委員会は、農薬や肥料や分析や栽培の専門家の他に消費者代表や生産者代表など8名と、委員長の山本 出東京農業大学名誉教授から構成されていますが、山本委員長が高齢(84才)を理由に辞任を申し出られ、代りに平成24年度からは私が推薦されて委員長を務めることになりました。
少し荷が重い気がしますが、私は小学校(3年生の途中で宮崎県小林市の小学校から転入)・中学校・高等学校は浦和で過ごし、大学を卒業するまで埼玉県に住んでいたという縁がありますし、国民の食の安全のために少しでも貢献できるのはやりがいのあることですので、非力を顧みず引き受けることにしました。山本前委員長の見識の広さ・深さには足元にも及びませんが、他の委員のお力を借りて、埼玉県のこの分野における努力の支援ができればと思っています。

今日は埼玉県の浦和に出かける前に、江戸川堤防を6Km だけ走る時間がとれました。

2012年3月21日水曜日

東京駅の新幹線ホームに少し早目に行って待っていたら、支援者(50才代の母親)が乗っている筈の「のぞみ118号」が予定通り到着しました。あらかじめ連絡をいただいていた乗車車両の両方の出口から降りてくる乗客を見ていたら、支援者の方から先に私を見つけて声をかけてくれました。

一緒に上野駅まで行き、地下鉄日比谷線に乗り換えて小菅駅で降りました。駅員に東京拘置所への道順を訊いて、徒歩10分くらいで面会・差し入れの受付窓口の入り口に着きました。支援者は差し入れの申請をし、私は面会の申請をして前回と同じようにエレベーターで10階に上がりました。鞄(かばん)や携帯電話は1階のロッカーに入れて、ノートと支援者リスト(今朝プリントしたA4版84ページの入金記録簿最終版)と祝嶺制献箸の玄制流の「新空手道教範」だけを持っていきました。金属探知機のゲートをくぐる時に持参物もチェックされましたが、何も文句を言われずにパスしました。
午後の一番を目指して行ったのですが、3人くらい待たされて番号を呼ばれ、面会室に入りました。

刑務官と一緒に仕切り板の向こう側に入ってきた市橋君の顔色は、前回(2月29日)の面会の時の元気そうだった様子と違って、明らかに血の気が引いたように青ざめていましたので、顔色が悪いな大丈夫かと声をかけたら、大丈夫ですと答えました。控訴審は先週15日に行われましたが、取り返しのつかない悪いことをしたのだから罪を償わなければいけないとわかってはいても、無期懲役になるか有期刑になるかを決める裁判に臨んで、第3者が想像する以上に大きな精神的負担になったのでしょう。
今日は〇〇県の西の端から支援者がわざわざ差し入れに来られたので、東京駅に迎えに行って一緒に来たことを伝えました。何時間くらいかかったのですかと訊いたので、多分片道5時間くらいの筈だと答えました。支援金の額に関わりなく、支援者は皆大変ありがたい存在ですが、この方は1万円ずつ26回も振込んで下さった方で、いい加減な気持ちではなく、真剣に市橋君に前向きに生きてほしいからそれを君に知ってほしくてわざわざ来たとおっしゃったメッセージを伝えました。市橋君が神戸で働いていた時に工事現場の前をよく通って見ていたけど、あんな厳しい労働を真面目に黙々とこなしていた市橋君は本当に反省して、罪を償っている気持ちがあったのではないかと感じているとの言葉を伝えました。市橋君はこの方のお名前を以前差し入れた支援者リストで記憶していましたが、働いていた場所というのは河川敷の工事現場のことですねと答えました。
その他の支援者からの、気持ちを強く持ってがんばるように、支援者はいつも市橋君を支援しているからというメッセージも伝えました。

以前私が郵送した千葉大学時代に空手部と研究室で一緒だった友人のメッセージと写真は届いたかと訊いたら、届きました、ありがとうございました、これは宝物として手元に一生持っていますと答えました。ただ、刑が確定してどこかの刑務所に移る時に私物を持っていくことが許されるかどうか、新しい刑務所で私物を手元に置くことが許されるかどうかはわかりませんが・・、と言いました。彼にとっては、学生時代の純粋な気持ちを思い出させ、前向きに生きる力を与えてくれるおまじないのような意味があるのでしょう。ただ、友人には絶対に迷惑がかからないようにして下さいと念を押されました。
この友人とは気が合って、卒業する前に、将来研究室に恩返しができるようにしようと話し合ったのに、自分は研究室にとんでもない迷惑をかけてしまいましたと、今にも泣き出しそうな目をして言いました。それから、支援者の誰かが差し入れたお手紙で私が支援活動をしていることで嫌がらせを受けていることを知らされたのか、先生の奥様にも大変迷惑をおかけしているので申し訳ありませんと謝っておいて下さいと言いました。

刑が確定後はご両親は会いに来てくれるだろうかと尋ねたら、首を横に振って、リンゼイさんのご両親も二度とリンゼイさんに会うことはできませんので、と言いました。市橋君のご両親は会いに来てはくれないし、自分もこれだけ迷惑をかけてしまった両親とは二度と会わないことを覚悟して生きていくつもりですと言っているように感じました。
刑が確定して服役するようになれば、面会も手紙の受発信も制限が厳しくなるだろうけど、私は月に一度くらいは面会にくるつもりだから、その時に私にしてほしいことがあれば言ってくれればいいからと伝えました。
私の子供の話になって、娘はアメリカ人と結婚してアメリカに住んでいると話したら、それじゃお孫さんはハーフですかと目を輝かして訊いてきたので、そうだよ、3人いるけど可愛いよ、今度写真を差し入れして見せようかと言いました。そうしたら市橋君は興味がありそうな顔をしてからしばらく考えて、止めた方がいいです、今度刑が確定して別の刑務所に移れば他の受刑者と相部屋になるかもしれないし、大事な写真を取り上げられたり破られたりするかもしれませんからと言いました。

空手の本を見せながら、君が空手部にいた頃はどの型を教えていたかな、玄制流の型だったかな玄和会の型だったかな、今度コピーを取って差し入れするからと訊いたら、急に饒舌(じょうぜつ)になって玄制流と玄和会の関係や、自分が習っていた時はよく前蹴り・回し蹴り・後横蹴りの3連蹴りや、四方突き蹴りを稽古していましたと話し始めました。市橋君が空手部にいた期間は短かったので、基本の稽古がほとんどで、型の稽古をするところまでいかなかったようです。こういう会話をしながら、市橋君の表情は面会室に入った時の青ざめた顔から、生き生きした顔に変わりました。

今日の刑務官は最初に15分ですと言ってくれましたが、残り2分ですと親切に終了時間の予告もしてくれました。面会時間が終わって面会室を出る時は、気のせいか市橋君の顔色が少し明るくなったような気がしました。

エレベーターで1階に降りて、待合室で待っていてくれた支援者と一緒に外に出て、拘置所の前にあるお店に寄りました。今日は売店で買ったお菓子類と持参してこられた絵本とお金を少し差し入れましたとおっしゃっていましたが、外のお店でも弁当を注文して、他の支援者が差し入れに来る日と重ならない日に市橋君に届けられるように手配をしていました。拘置所内の売店でお菓子類を選ぶ時に、市橋君はどれが好きだろうと母親が息子に対するような気持ちになったとおっしゃっていました。
それから地下鉄で上野駅に戻り、駅前の喫茶店で昼食代わりにコーヒーとサンドイッチを食べていろいろお話をしていたらいつの間にか6時になってしまったので、あわてて東京駅の新幹線ホームまでお送りして別れました。しばらくしてから、多分まだ新幹線の中からだったと思いますが、これから市橋君への手紙を書きますというメールが届きました。

2012年3月20日火曜日

支援者から以下のお便りが届きました。確かに、日本政府は外交関係を重視して超法規的措置をとることがあります。輸入冷凍ギョーザに毒物(殺虫剤)が混入されていた事件の時も、この問題は千葉県警の協力要請もあって私自身も毒物がどこで混入されたかを特定する研究に関わりましたが、当時の日中首脳会談で国民の知る権利よりも日中の友好関係が重視されることになって、千葉県警の捜査本部も解散させられて、結局うやむやにされてしまいました。この間の経緯については、本山直樹Website http://sites.google.com/site/naokimotoyama/old/2009/090820 の過去の記事#4 輸入冷凍ギョーザの毒物混入事件で経験したこと(2009年8月20日)に詳しく説明してあります。リンゼイさんの事件についても、確かにイギリス大使館からの大変な圧力がかかったようですが、日本は独裁的な国と違って三権分立で司法は行政から独立している筈ですので、控訴審で外交的配慮が影響するようなことはないと信じます。支援する会を今後どうするかについては、控訴審の判決がでてから、いろいろな動きも確認した上で考えていきたいと思っています。
私も適正な裁判を支援する会の活動を通して、全国の多くの支援者の方々と交流できたことは大きな収穫でした。
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先日は、お忙しい中返信のほうありがとうございました。昨日(3月18日)テレビ東京で先生のインタビュー放送されてたの見ました。
控訴審行われましたね。今回も、仕事の都合で傍聴に行けず、テレビでのダイジェストを見ました。涙ながらに謝罪し、本当に三分以上締めたのなら控訴しなかった。その言葉を聞いて胸が痛くなりました。衰弱しきっている感じですし、市橋さんのことが、とても心配です。彼は正直に話し、自分のしたことを真摯に受け止め、反省しているのにどうして信じてもらえないんだろう…。遺族からの意見書の内容も、許せないお気持ちは大変わかるのですが、謝罪をしている人に対して更なる苦痛を与えようとしているなどと言うのはちょっとひどいんではないかなと思ってしまいます。判決は来月の11日とのことですが、今度こそ適性な裁判が行われ、よい結果になることを祈っています!
抽選にあたるかわかりませんが、今回は傍聴に行けそうなので、行く予定です。
余談ですが、支援のきっかけは、市橋さん自身がごく普通の真面目な努力家な青年だったこと。偶然先生のブログを発見し、先生の一生懸命さ、優しい素敵な人柄に心を打たれたからでした。ブログを通じて本山先生と出会えたこと光栄に思います。今後ともよろしくお願いします。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。昨日付で更新の先生のブログに紹介された3番目の方のメッセージを拝見して私も思いました。
2010年の尖閣諸島での中国の不審船の事件の際、船長を公務執行妨害で逮捕し、国内法に基づき、勾留延長の決定をしつつも、中国側の反発、報復措置に屈して、「日中関係に配慮して」として船長を処分保留で釈放することに方針転換し、船長を中国へ送還するという事件がありましたね。2001年の金正日の長男の金正男の不法入国の時でもそうでした。市橋さんの事件にしても被害者が外国の方なので「イギリスの国民感情に配慮して・・・」被害者が市橋さんと同じ日本人だった場合より思い刑になるのではと不安でなりません。刑は事件自体で決められるものであって、外交の手段として利用されるのはおかしなことですね。市橋さんもそれを十分感じていらっしゃることでしょう。市橋さんには「(事実を捻じ曲げられそうで)心が折れそうになるお気持ちはよく分かります。でも心折れることなく、めげることなく、とにかくファイト!」とエールを差し上げます。そうなると上告になる可能性も大いにあると思います。
だから「支援する会」はまだまだ解散どころではないと思います。上告することなく刑が確定しても、他の受刑者との間でストレスのたまりやすい長期の刑務所生活、出所後の社会復帰を支えるためにも「支援の会」は必要なのです。 先生がお忙しいので先生1人にご負担をかけないよう、支援者皆が話し合ったり、役割分担をするなどして「支援の会」を続ける必要があります。市橋さんの受刑生活を伝えながら、受刑生活をサポートすること。そして単に出所後の資金を援助するだけなのか? 刑務所には暴力団員などもいるでしょうからそういう悪い道に染まらないように、市橋さんの特技(絵がお得意でしたね、体力にも自信がおありでしたね)を活かしてどうやって手に職を、などです。遠方の支援者もいらっしゃるでしょうから直接支援者が集うより、メールなどで意見を交換してこれからの「支援の会」を進めた方がよろしいでしょうか? あくまでも私1個人の考えですが・・・。
これからもお仕事、マラソン、支援の活動とお忙しいですが、頑張ってください。 また、春分の日を迎えましたがまだまだ寒暖の差がございます。お体にもお気をつけください。
 
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今日は祭日(春分の日)ということもあって、快晴の中を回りの景色を眺めながら江戸川堤防を12Km ゆっくり ジョギングしてきました。途中、堤防を下りて大乗寺というお寺に寄り道しました。境内に巨大な松が3本あって1本は枯れていたので、もし松くい虫が媒介したマツノザイセンチュウが原因だったとしたら、そのまま放置しておいたら新たな発生源になって残りの松が危ないなと気になっていました。今日寄ってみたら、いつの間にか枯れた松は伐倒されて跡形もなくなっていました。これなら安心です。

夕方は千葉大学の共同研究をしている研究室に寄って、大学院生(中国からの女子留学生)と研究の打ち合わせをしてきました。

2012年3月19日月曜日

3月30日に差し入れに行かれる予定の支援者から、以下のメールが届きました。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。お忙しい中メールありがとうございます。今拝見しました。そうでしたか、〇〇市の支援者の方が3月30日と4月9日の差し入れ希望を私のために3月30日の方を私のために譲ってくださったのですか。昨日は早くに就寝したので、全く知りませんでした。本来なら私が直接その支援者の方に感謝しなければならないところですがその方の連絡先がわからないので先生を介して感謝させて頂きます。この支援者の方のためにも、他の支援者の方にも3月30日に無事差し入れの調達が成功しましたらお知らせしなければ(携帯からになってしまいますが)。。。
ところで、先生は3月21日に面会に行かれるそうですね。ニュースで控訴審の時市橋さんが青白く、無表情だったと知って、とても心配しています。というか心配を通り越してなんだか私まで倒れそうになるくらいです。市橋さんが落ち着きを取り戻していらっしゃるのならもちろん、追い詰めていらっしゃるのなら「峠はもう少しで超えると思うので心を強く持って!」とお伝えください。私にとって市橋さんの役に立てられることはそんなことくらいですが。。。 これからも、お仕事、マラソンと頑張ってください。

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その他にも、支援者から市橋君の心身の状態について心配をするお便りが届いています。
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 本山先生、いつもありがとうございます。先日の控訴審の時の市橋君の顔色が悪く、ひどく憔悴しきった様子がとても気がかりです。食事はとれているのか、眠れてるのか、思うだけで辛くなります。21日に接見に行かれた時の様子を知らせいただけたら、ありがたいです。またフジテレビの報道は実際と違い残念なところがありました。お名前は聞き取れませんでしたが、若手の弁護士の大きな声で訴えてくれた内容の数々、本当に感銘しました。涙で訴えた市橋君のそれだけは立証させてくださいという真実は是非立証させていただきたいと願います。私は傍聴し、初めて市橋君を見てからとても辛い毎日です。が、市橋君を守ってあげなければというもっと強い気持ちになりました。先生お願いします。ブログに軟弱になってしまった(本山:大丈夫です。少し疲れが溜まっていただけで、思い切り運動をすればすぐ元気になります)と書かれてましたが、とても気がかりです。市橋君と私たち支援者のためにもお元気でいてください。
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本山先生、お忙しいのに返信ありがとうございます。4月11日までの間に今後の支援の仕方についての情報が少しでも得られればと思っております。4月11日の判決でどれだけ市橋さんの真実をくみ取ってもらえるのか不安です。相手の人が外国の人だということから、不公平な見方で固められてしまうのではないでしょうか。真実を言っても、捻じ曲げられてしまう現実に心がつぶされてしまうのではと不安です。本山先生、適正な裁判の会が終了しても支える会としてブログをまたお願いいたします。お忙しいことと思いますがよろしくお願いいたします。私も無力ながらも今後の活動に向けて勉強します。
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今日は、昨日テレビ東京で放送された番組「ニッポン事件簿」を制作した会社の担当者から取材のお礼の電話がありました。普通、2時間半の番組だったら3つくらいのプロダクション会社が分担するのでしょうが、3つの事件とも全部一社(株式会社ダイナマイトレボリューション カンパニー)で制作したのだそうです。関係者に迷惑がかからないように配慮がしてありましたし、犯罪加害者の人権にも配慮がしてありましたし、私への取材でこれは放送してもらっては困ると言ったことはちゃんと守ってくれましたし、無責任にセンセーショナルなストーリーで視聴者の感情を煽るような番組ではなく、良識のあるよい番組だったと誉めておきました。私は録画しなかったのですが、テープ(DVD)を送ってくれるとのことでした。

久し振りに東京農大に行きましたら、春休み中にもかかわらず、野球部が対抗戦をしていたり、サッカー部や陸上部が練習をしていたり、元気に走り回る学生達の姿を見ながら私の心も弾(はず)みました。付属の東京農大第一高等学校沿いに植栽されているカワズザクラの小型の濃いピンクの花が開花を始めていました。私は昼休みに大学の周囲を8Km ジョギングして汗を一杯かきました。夕方は、東京の日比谷公園の前のパブレストランで人と会って、一杯やりながら情報交換をして、テレビ番組制作の話をしました。

2012年3月18日日曜日

遠くに在住の支援者で差し入れに行くことを考えているとおっしゃった方に、「わざわざ差し入れに来られることをお考えのようですが、あらかじめ東京拘置所に電話をされて、差し入れ可能な曜日や時間などの規則について確認してからの方がよいと思います。それと1日に差し入れは1回という制限がありますので、その日の早い時間に他の支援者がすでに差し入れに訪れていれば無駄足になります。差し入れの日が確定すれば、私にご連絡いただければ、他の支援者の差し入れ日と重ならないようにブログに紹介します。」という助言をしましたら、次の返信をいただきました。この方は3月30日(金)に差し入れに行かれる予定とのことですので、重ならないように他の支援者はこの日の差し入れは避けていただければと思います。
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お便りありがとうございます。〇〇県の〇〇〇〇です。差し入れの件、東京拘置所の担当の方に早速お電話して確認して参りました。土日、祝日はお休みとのことで、差し入れの食料は売店(拘置所内の売店と拘置所の外にある専門の売店2つ)で売られているものに限られるそうです。メッセージを差し入れに加えることも出来ないこと、郵送で手紙を送る際に宛先と受取人名は「東京都葛飾区小菅1-35-1 A(このAは収容者宛には必要とのこと) ○○○○様」と必ず表記しなければならないこと、差し入れを送付際は上の住所で送れば郵送でも、クロネコヤマトさんなど他社を利用しても構わないとのことでした。差し入れ希望日を拘置所に予約するということも一切受け付けていないとのことでした。それから市橋さんは4月11日に判決が出ますがその少し先に先生もおっしゃるように刑務所(どこかわからないけど初犯で長期の受刑者は千葉刑務所と聞いたのでそこでしょうか?)に移送されるのでそうなるともう衣類を送っても意味がないとのことでした。(先生や他の支援者の方はそのことをよくご存知でしたね。自分で直接担当の方に確認して驚いたので、ついつい書いてしまいました。)
そこで私は3月30日(金)の午前中(この日に既に差し入れをされた方がいらっしゃたら4月2日(月)の午前中)に差し入れに行くつもりです。3月30日に成功したら他の差し入れ希望の方のこともあるのでメールを差し上げようと思っています。

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今届いたばかりの支援者からのお便りを追加して紹介しておきます。この方は3月30日(金)と4月9日(月)に差し入れに行きたいとのことでしたが、調整の結果、4月9日(月)に差し入れに行かれるということになりました。従って、これから差し入れに行くことを計画される他の支援者の方は、重ならないようにこの日は避けていただければと思います。
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本山先生。岡山での学会お疲れさまでした。〇〇市の〇〇〇〇です。度々メールを申し訳ありません。私は、控訴審の傍聴はできませんでしたが、他の支援者の皆さまからのご報告で、法廷の様子を知ることができました。感謝しております。法廷に現れた市橋達也さんは、支援者の方が思っていた以上に小さくみえたこと。涙ながらに、殺意があったら控訴はしません。死ぬまで苦しみ続け、罪を償います。と述べられたという内容に、本当に心の底から反省している市橋達也さんの主張(真意)が、きちんと認められることを祈り続けます。
ところで、現在のように比較的自由に差し入れできるのも、あとわずか・・ですね。今後、差し入れに行かれる支援者の方のご予定が本山先生に届いていらっしゃるようですので、私もお伝えさせて頂きたいと思いました。(仕事の都合で、行かれる日が限られてしまいますので、同じ日に考えておられる方がおりましたら、ご理解頂ければ幸いです)3月30日(金)・4月9日(月)です。よろしくお願い致します。
追伸:本日、テレビ東京の「にっぽん事件簿」という番組を拝見しました。大阪で働いていた時の、寮の寮長さんだったでしょうか。市橋達也さんのことを、真面目で働きものだと話されていたのが、とても心に残りました。末筆ながら、春寒の折、お身体ご自愛下さいませ。

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テレビ東京で7:54pmから、「ニッポン事件簿~犯人は何故逃げるのか~」と題した約2時間半の番組が放送されました。平田 信(まこと)・斉藤明美被告、福田和子被告、市橋達也被告の順でした。すでに報道されている記事や、出版されている手記や、実際の取材を組み合わせて逃走中の足取りや生活の様子を再構成し、俳優を使って再現していました。時効成立直前に逮捕されて数年後に病死した福田被告を除いて、犯罪そのものについては概要を説明するだけで、主としてどのように逃亡していたかを中心に描いていました。市橋君についても、特に悪意的な描き方ではなかったという印象を受けました。むしろ、3つの事件とも、関係者に迷惑がかからないようにずい分気を遣って良心的に制作してあると感じました。

今日は久し振りに江戸川堤防に行って、どんよりした曇り空の下で小雨がポツポツ落ちてくる中を8Km ゆっくり走ってきました。

2012年3月17日土曜日

多くの支援者が、4月11日に予定されている判決がどうなるか、固唾(かたず)を呑(の)んで見守っていることと思います。どういう判決になっても、現在の弁護団の役割は終了する筈ですので、これからは市橋君の長い服役生活が始まった時に、どうやって彼の更生をサポートして精神的に励ましてあげられるか、経験者のお話しも伺いながら、よく考えてみたいと思っています。

控訴審の開かれた前日に支援者からいただいた以下のお便りに紹介されているサイトには、刑務所内での生活が詳細に述べられていて参考になりました。これを市橋君に見せられないのが残念ですが、先日本間 龍氏の本を一冊郵送で差し入れましたので、彼が読んでくれていればある程度はこれから刑務所内でどういう生活が始まるか想像することはできる筈です。
ただ、2~3年という短期の受刑と、市橋君の場合のように無期懲役で死ぬまで服役するか、有期になったとしても25~30年服役とでは、受刑者の心構えが違ってくるのではと想像します。
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お疲れ様です。〇〇県の〇〇〇〇です。いよいよ明日ですね、控訴審。私は傍聴に行けませんが気持ちは行ったつもりで見守っています。そして判決が出て、いよいよ刑務所生活に入るのですね。偶然こんなブログを見つけました。本間龍氏と同じく、元受刑者の方のブログですが塀の中の細かい規則や(暗黙の?)ルール、エピソードを詳しく書いていらっしゃいます。まだ途中までしか読めていませんが読んでいて何とも言えない思いで一杯になります。塀の中に入ったことのない方にしかわからない思いでしょうね。市橋さんは今受刑生活についてどこまで心構えをしていらっしゃるのでしょうか? 本間氏やこの方のような受刑者の体験記を参考にしてもっと心を強くもってくださいとお伝えしたいです。決して悲観的な内容ではありません。

塀の中の黙示録

http://blog.livedoor.jp/bsxkinkoban/

それから差し入れの件ですが、今衣類を送っても拘置所生活が始まると囚人服のみしか着る機会がなくなってしまうのですね。食料品をお届けする最後の機会だと思っています。。。 それでは明日もお仕事頑張ってください。
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控訴審の開かれた日(3月15日)も翌日も、私は岡山での学会に参加していてテレビニュース を視聴する機会がありませんでしたので、妻に報道の様子を訊いたら、あまり大騒ぎはしていなかったとのことでした。他にも次々と新しい事件や出来事が発生するので、やがてリンゼイさんの事件も風化し、市橋君に対するメディアや社会の関心もだんだん薄れていくのでしょう。

2012年3月16日金曜日

ずい分遠方の支援者が、片道4時間半くらいかけて来週21日(水)に市橋君に差し入れに来られることになりました。私にも会いたいとのことでしたので、私もその日に合わせて面会に行くことにしました。重なって無駄足にならないように、3月21日(水)は他の支援者の方は差し入れも面会も避けていただければと思います。東京周辺の地理には不案内とのことでしたので、東京駅の新幹線のホームまでお迎えに行くつもりです。

控訴審の傍聴席券の抽選に当たって傍聴して来られた支援者から、以下の報告が届きました。
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今晩は。昨日の控訴審、傍聴券の抽選に当たり傍聴出来ました。ニュースでも放送されていましたように、市橋達也さんは殺意を否認し、涙ながらに謝罪をしました。
弁護側の控訴趣意書の要点朗読では、法令違反や事実誤認や量刑について、述べられました。殺意について、検察のストーリーの仮説、公判前整理手続き、裁判員制度、被害者参加制度などに関して主張されました。マスコミ報道では、被告人質問での彼の証言の一部を取り上げていますが、控訴趣意書も重要だと思います。控訴審は、不当と思われる点を控訴趣意書として提出されると伺い、内容が気になっていましたので、傍聴出来て良かったです。
市橋達也さんは終始うつむいていましたが、ご遺族の意見書が読み上げられますと、更にうつむいて聞いていました。一審でリンゼイさんの首を3分間絞めて殺害をしたと認定されたことを、被告人質問で強く否定しました。事実を知っているのは私だけと、事実を認めて欲しいと思う強い気持ちを感じました。彼の謝罪の気持ちを直接聞いて、思っていた以上に精神的に苦しんでいるのが伝わって来て、辛くなりました。

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今日は学会の最終日でしたが、一般講演、ランチョンセミナーの他に、午後からは「農薬の毒性評価とリスク・コミュニケーションの最近の動向」というテーマのシンポジウムがありました。5人の講師の講演はいずれも素晴らしい内容でしたが、私には特に大阪市立大学大学院医学研究科の鰐淵(わにぶち)英機教授の「化学発癌に関する考え方ならびに最近の動向」と、住友化学(株)生物環境科学研究所の稲若(いなわか)邦文博士の「毒性とエピジェネティクス」は、勉強になりました。エピジェネティクスというのはあまり馴染みのない言葉ですが、次のサイトに詳しい解説があります:http://mui-therapy.org/newfinding/epigenetics.html。鰐淵教授は、遺伝毒性のある発がん物質の発がんリスクには閾値(いきち)がないと言われているが、実際には一定以下の低用量では閾値があるということを証明した実験例を示し、リスクアセスメント・リスクマネジメントは可能であるということを示しました。稲若博士は、Anway ら(2005)のScience 誌に掲載された有名な論文(胎児・乳幼児期に受けた影響が経世代的に後続の世代にも影響すると報告した)が、実は再現性がなかったということを証明したいくつかの研究を紹介しました。閾値の問題もエピジェネティクスの問題も、最初に論文が発表された時はショッキングで、非常な注目を集め、化学物質の健康影響を不安視する根拠として引用されましたが、実はそうではなかったということを証明した功績は大きいと思いました。

せっかく岡山まで行って、いつものようにジョギングできる運動着とランニングシューズを持って行ったのですが、情けないことに今回は一度も走らずに、どこも見学もせずに帰ってきてしまいました。宿泊していたホテルの部屋で、一応毎朝6時に電話のモーニングコールを設定して目は覚ましたのですが、精神が軟弱になってきたのか、ベッドから起き上がってシャワーを浴びて運動着に着替えて朝食前に一走りしてくるという気になりませんでした。

2012年3月15日木曜日

支援者から裁判の様子についてメールが届きました。フジテレビの「とくダネ」担当ディレクターからは夕方電話がありました。市橋君は殺意はなかったと証言したそうですが、それは事実だと思います。ただ、事実でも証明できなければ、裁判では説得力がないというところが難しいところなのでしょう。
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先生、○○○○です、237人の内77席しか傍聴できず○○さんは当たりましたが、私はもれたのにたまたま後ろの人が譲ってくれたたため、二人で並んで傍聴する事ができ、○○から行ったかいがありました。初めて見る市橋君は思ったよりも小さく見えて涙があふれました。殺意があれば控訴はしませんと言った市橋君の言葉、涙ながらに訴えた事に号泣してしまいました。この事だけは立証されなくてはならない事です。絶対!被害者の意見書には耳をふさぎました。こんなに普通の被告人をみたのは初めてです。弁護人の力強い若い弁護士さんに感動しました。適正な判決を望んでいます。判決は4日11日、1030分に言いわたされるそうです。いい判決を期待してます、嘘のない市橋君のために。
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先生、お疲れ様です。今日控訴審273人中77席の抽選で運よく○○さんと傍聴できました。初めて見る市橋君は思ってたより小さくて顔色が悪く裁判長も体調を気づかってました。入ってきた時は涙がとまりませんでした。弁護士の皆さんは趣意書に基づいて力強く弁護してくれました。市橋君は殺意がない事を涙ながらに訴えました。そうでなければ控訴しませんと。死ぬまで苦しんで罪を償うと訴えました。判決は4月11日10時30分です。良い判決を心から祈っています。帰りにフジテレビと東スポの人から取材を受けました。市橋君の姿が頭から離れません。先生気をつけてお帰りください。
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いつもお世話になります。本日の市橋達也さんの控訴審の様子がニュースで流れていました。殺意は否定され、その後被害者やご家族に対しては「リンゼイさんやそのご家族の事を想うと苦しくて息が出来なくなる。」 又「自分が出来ることは一生苦しみ続けることです。」と話されたようです。市橋さんなりに本当に苦しく辛い心情を述べられたのだと思います。今日の判決は4月11日だそうです。
心から市橋達也さんや弁護団の先生方の主張が認められ無事に結審できますように願い祈ります。
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今日も学会では素晴らしい講演がたくさんありました。昼休みにはランチョンセミナー(昼食を食べながら聴く講演)があり、イギリスのAPS(Agchem Project Consulting LTD.)のStephen Shires 博士がNew developments in the EU pesticide registration regulations - Experiences with the new EU zonal registration procedure -(EU における農薬登録の最新動向-ゾーン登録手順の経験)という演題で講演しました。EU加盟国を北部、中部、南部に分け、それぞれ農薬登録の要件が異なるということが紹介されました。

夕方、岡山県在住の旧知の知人が訪ねてきてくれ、駅近くの居酒屋で一杯やって旧交を温め、楽しいひと時を過ごしました。


2012年3月14日水曜日

日本農薬学会第37回大会のシンポジウムや一般講演は明日から岡山大学で行われますが、今日は学会の総会、学会賞授賞式、受賞講演、特別講演、懇親会は駅前の岡山ロイヤルホテルで行われました。奨励賞1件、業績賞(技術)2件、業績賞(研究)2件、論文賞1件が表彰されました。特別講演は、地元の岡山大学の久保田尚浩教授による「岡山の果樹栽培の特徴とジベレリン処理によるブドウの無核果生産」と、松浦健二教授による「シロアリのフェロモン同定と社会行動制御による応用への可能性」と題する大変興味深いお話でした。


フジテレビの「とくダネ」という番組のディレクターから電話があり、私が今は岡山に来ていることを伝えましたら、明日の控訴審が終わってから、夕方7時か8時頃私の感想を電話で取材したいとのことでした。               

2012年3月13日火曜日

ゆうちょ銀行に寄って、前回以降に振り込まれた支援金の全額373,500円を払い出して、菅野弁護士にお渡ししました。これが最後になる筈ですが、私の記録ミスがなければ、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の発足以来、延べ485人から寄せられた支援金447万428円を弁護団に提供したことになります。入金記録の監査結果と、弁護団からいずれいただける筈の使用内訳とは、控訴裁判の結審後適当な時期に本ブログで報告致します。支援者の皆様、長期間にわたる継続したご支援をありがとうございました。

市橋君の身柄が拘束されたのは確か2009年11月10日だったと思いますが、いよいよ明後日15日に控訴審が開かれます。弁護団からはお一人だけはどうしても日程の調整ができず出廷できないそうですが、4人の弁護士が出廷し、検察側は1人、裁判官は3人が担当するようです。弁護側はすでに提出してある控訴の趣意書について説明するようです。検察側はそれに対する答弁書を提出してありますが、裁判官は当然すでにそれに目を通している筈ですので、担当検事は法廷活動(答弁書の読み上げ)はしない予定のようです。ということは、裁判は公開で行われるといっても傍聴者には検察側の主張は聞けないということになります。
検察側は、被害者遺族のリンゼイさんのご両親の意見書とリンゼイさんの二人の姉リサさんとルイーズさんの意見書を取り寄せて提出してあるそうです。弁護側の提出した趣意書には、被害者遺族に受け取りを拒否された手記の印税912万9,885円と市橋君が逮捕時に所持していた30万円の計942万9,885円を日本財団の犯罪被害者支援プロジェクトに寄付をしたという事実が含まれているそうです。今回は被害者遺族は来日せず、控訴審は15日だけで終わり、多分4月中旬頃に判決がでて裁判は結審するだろうとのことでした。どういう判決になるかはわかりませんが、弁護団の役割はこれで終わることになりそうです。

結審後に市橋君はどこの刑務所で服役するか未定ですが、今までと違って厳しくなりますので、食べ物や衣類の差し入れはできなくなりますし、面会の回数も少なくなり、面会が許される人も市橋君が更生に必要として申請する特定の人に限定されるようです。お金を差し入れても、市橋君には売店で売っている文房具や書籍を買うしか使い道はなくなるようです。従って、支援者がお花や食べ物や衣類を差し入れできるのは、4月中旬と予想される判決日までということになりそうです。

先日支援金を初めて振り込んで下さった方から以下のお便りが届きました。上に報告しました通り、支援者が差し入れに行ってお気持ちを伝えられるのは、市橋君が被告人という立場でいられる今から判決がでるまでの短い期間に限定されるようです。
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お元気ですか? 〇〇県の〇〇〇〇です。3月30日から4月2日まで東京に旅行に行くのでその時に小菅(千葉刑務所にいらっしゃったらそちら)に差し入れに行こうと思っています。初差し入れなので緊張しますが、個装のお菓子など食料品(本山:拘置所の売店で売っているものに限定されます)にしようと思っています。衣料品(本山:紐のついているものや派手な柄やデザインのものは駄目などの制限があります)についても考えましたが色やデザインなど市橋さんの好みのこともございますし、サイズも市橋さんはXLサイズくらいがちょうどいいと先生のブログで以前拝見しましたがメーカーによって大きめになったり、小さくなってしまうので次回からしようと思います。今の時期は特に不安定になっていらっしゃるかと思いますので少しでも支えになればと思います。読書や運動、英語の勉強の合間につまんで頂けたらと思います。
などと考えておりましたが、この日までに判決が出て懲役生活が始まると差し入れにかなり厳しい制限がかかってしまうそうなので(本間龍氏がそうおっしゃていましたね)本当のところはどうしたらいいものかと・・・。
日ごとに暖かくなってはいますが寒暖の差が激しい今日このごろです。風邪などお体に気を付けて、お仕事、マラソンなど頑張ってください。
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2012年3月12日月曜日

3月9日に振り込まれた3名の方(5回目、7回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は373,500円、延べ485人からの合計額は4,470,428円になりました。ありがとうございました。2回目の方からは手書きのメッセージが添えられていました。この方はメールアドレスがわかりませんので、個別の礼状は差し上げませんのでご了承下さい。
支援者の中には、「適正な裁判を支援する会」に支援金を振り込んで下さる方と、拘置所を直接訪ねて差し入れをして下さる方や、郵送で差し入れをして下さる方や、両方をして下さる方がおられますが、いずれも市橋君を励まし支えるのに役立っていてありがたいことです。
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2回目振込ませていただきます。少額で申し訳ありません。少しでもお役にたてればと思います。更生(を支援)する会の継続をお願い申し上げます。先生もお体ご自愛下さいませ。
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先日、12日に東京拘置所に差し入れに行くと言われた方から以下の報告が届きました。ありがとうございました。市橋君には、自分のことを思ってくれている人がいると感じて、支援者の温かい気持ちも届いている筈です。
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本山先生。度々メールをすみません。〇〇市の〇〇〇〇です。本日、小菅の東京拘置所に差し入れに行って参りました。小菅駅を降りますと、道案内が出ていて、すぐにわかり便利ですね。下町風情の中、近代的な建物が目を引きますね。本山先生がおっしゃっていた通り、建物を見上げたら確かに屋上があり、目隠しはあるものの、屋上に出て運動することができますね。市橋達也さんの「これからは存分に体を動かせます」という言葉を思い出しながら、しばらく見上げていました。差し入れしたものは、食べ物(菓子類数個・フルーツ缶)・お花・現金です。3月5日に差し入れに行かれた支援者の方のご報告のおかげで、お花を差し入れできることを知り、私も差し入れさせて頂きました(千葉刑務所では、できなくなってしまっていたので。)また、飲み物は本人が買うことはできますが、差し入れは牛乳のみだそうで、曜日も決まっているということでした。
また、売店以外に、拘置所の門を出た真向かいに、差し入れをして頂けるお店があり、お弁当の差し入れをしてくれるそうです。私も、5日に差し入れされた支援者の方を見習い、お弁当を差し入れしたかったのですが、手続き後、数日後のお届けということでしたので、ちょうど15日の控訴審裁判の日にあたりましたので、今回は断念しました。・・・以上、ご報告まで。
日々、ご活躍のことと存じますが、お身体ご自愛下さいませ。

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明日はゆうちょ銀行で支援金を全額払い出して、菅野弁護士にお届けすることになりました。その機会に控訴審の準備状況など、差支えのない範囲で伺ってくるつもりです。

今日は、農水省の農林水産技術会議から依頼されていた「新たな農林水産政策を推進する実用技術開発事業」における研究課題の審査結果の提出期限でしたが、期限ギリギリにWeb で提出を済ませホッとしました。他の研究者が提出した研究課題提案書(研究費申請)に対して、外部有識者による第一段階の書面審査として、必要性、効率性、有効性などいろいろな観点から採点して評価票を作成する仕事です。書面審査の結果に基づいて選ばれた研究課題については、第二段階審査としてヒヤリングが行われ、優れた研究課題には予算がつくということになります。私は以前、文部科学省の科学研究費の第一段階審査委員と第二段階審査委員も務めたことがありますが、審査結果によって研究費が支給されるかどうかが決まりますので、重要な仕事です。研究者には、自分の研究テーマを遂行するだけでなく、こういう役割もあります。

審査結果を提出してから、江戸川堤防を6Km 走ってきました。今週は14日~16日に岡山大学で開催される日本農薬学会大会に出席する予定です。従って15日の控訴審の傍聴はできませんが、どなたか支援者で傍聴される方は様子を報告していただければと思います。

2012年3月11日日曜日

支援者から、振り込みのご連絡と支援する会の今後の活動について以下の提案がありました。支援する会の今後については、皆様からのご意見を伺って、控訴裁判が結審してから考えていきたいと思っています。
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今晩は。メール有難うございました。昨日(3月9日)少額ですが『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』の最後の振込(7回目)を致しました。
市橋達也さんが、控訴の判決内容に納得された上で結審出来ますことを望んでいます。本山先生は、いつも支援者の気持ちを汲み取って下さり、彼の様子や裁判の状況をお知らせ頂きましたので、安心して支援が出来ました。本当に長い間ありがとうございました。

裁判が結審後『市橋達也君の更生を支援する会』をどのような活動にされるか決められると思いますが、先日のブログに載っていました支援の会として被害者遺族への募金も賛成です。ただ、リンゼイさんのご家族のお気持ちを考えますと、加害者の更生を願っている支援者からの募金を受け取って頂くのも難しいのではないかと思います。又、市橋達也さんの支援者以外の方でも、被害者遺族の為にと募金をされるかも知れません。更生を望む支援とは異なるメッセージも届く可能性もありますので、本来の支援の会の趣旨から乱れてしまわないかも気になります。

提案が有れば大歓迎とメールを頂き、ひとつ思った事が有ります。これからの控訴で、市橋達也さんは有期刑の判決が下されたり、もし無期懲役のままでも仮釈放で社会復帰出来る可能性は有ります。その時の社会復帰の為の資金を、支援金として集められれば、更生への支えになると思いました。受刑中の生活は補償されていますが、社会復帰後に資金もなく、安定した職にも就けずに再犯を繰り返したり、社会と閉ざされた生活をしているケースも多く有ります。様々な事件の裁判を傍聴したり、受刑者の更生や処遇に関してのフォーラムやディスカッションに参加した際に、受刑後の社会復帰の問題点として取り上げられています。
先日支援者の方がメッセージに載せて下さいましたサイトも拝見いたしました。身元引受人の存在が昇級のための重要な要素で、刑務官に対し釈放後の生活に不安を持たせないような印象を与える必要もあるようですので、その一つにもなります。それにより、市橋達也さんも前向きな気持ちになれるよう精神的に支援者の方と支えたいです。社会復帰は、まだまだ先の事ですが、支援者がこれから出来ます一つの方法ではないかと思います。(長い年月になりますので、期限を決めたり、目標の額を決めて目処を立てるなど…)
今は控訴審が一番大事ですので、結審後に『市橋達也君の更生を支援する会』を発足にあたり、ご検討下さい。本山先生、市橋達也さんや支援者の方の意向もございますので、彼が受刑後に落ち着いてからでも、他の提案も含めて、お考え頂ければと思います。

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東北大震災が起こってちょうで1年目ということで、あちこちで追悼が行われ、テレビや新聞も特集していました。大切な家族を失って生き残った方々の悲しみが伝わってきて、胸を打たれます。生きている人間は亡くなった人の分まで、生きていることに感謝してなおさらしっかり生きなければいけないという思いに駆られます。

今日は名古屋ウィメンズマラソン大会があり、日本の女性ランナーのトップクラスが大勢参加しました。アテネオリンピックの金メダリストの野口みずき選手(シスメックス)の走りが注目されましたが、結局前半抑えて走っていたロシアのアルビナ・マヨロワ選手が後半追い上げて2時間23分で優勝し、尾崎好美選手(第一生命)が2位、野口選手は途中追い上げてトップになったのですが終盤に落ちて6位に終わりました。これで野口選手のロンドンオリンピックへの出場は絶望的になりましたが、故障に苦しみながらもここまで挑戦してきた野口選手はりっぱだったと思いました。
私はマラソン中継を観てから江戸川堤防に行って、青空の下で18Km をゆっくり楽しみながら走りました。

2012年3月10日土曜日

3月8日に振り込まれた2名の方(5回目、初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は358,500円、延べ482人からの合計額は4,455,428円になりました。ありがとうございました。初回の方からは「気持ちばかりですみません。これからも応援しています。」というメッセージが手書きされていました。5回目の方は、大学生の年齢の息子さんと娘さんがおられるお母さんです。

支援者から私に対する慰労のお便りが届きました。ありがとうございます。私にとっても、支援活動を通して日本全国のいろいろな方々と交流ができ、研究生活とは別の面での、人生を豊かにする貴重な経験をすることができました。
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先生、今日で一応支援金の受付を締めるとの事で、いちまつの淋しさを感じます。今まで先生がしてきて下さった事を思うとただただありがたいという思いでいっぱいでございます。これは支援者だけでなく市橋君は元よりご両親も感謝の気持ちでいっぱいの事と思います、本当にご苦労さまでした。またこれから始まる会、よろしくお願いいたします。素晴らしい先生と引き合わせてくれた市橋君にも感謝です。長い間のご苦労に労(ねぎら)いを込めて、これからもどうぞよろしくお願いいたします。
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昨日お見舞いに行った元同僚教授/友人の奥様から、おすそ分けに置いてきたマッシュルームとゆで落花生のお礼と、お見舞いのお礼の電話がありました。腎臓透析を始めて20年近くになるそうですが、リハビリで歩く練習ができなくなってから急速に体力が衰え、奥様が話しかける以外脳の刺激もなくなって、話しかけても会話ができなくなり、最近は食欲も衰えてきたのか食事の時にあまり口を開けなくなったので、医者にはもう少ししたら点滴を始めることになるかもしれないと言われているとのことでした。昔、お互いの家族が大学内の同じ公務員宿舎に住んでいたこともあって私とは心置きなく話ができるからか、電話はいつも長電話になります。結婚して40数年共に暮らしてきた夫が病でだんだん弱ってくるのに付き添いながら、妻としてどんなにつらい寂しい思いをしておられるかと思うと、心が痛みます。

千葉大学走友会のメンバーである千葉大学大学院工学研究科(工学部)の准教授(確か45才くらいの筈)から、フランスのパリハーフマラソンを走ってきた結果の報告が走友会の共通メールアドレス宛に送ってきました。
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3/4に開催された第20回パリハーフマラソンに参加してきましたので報告いたします。
5km 18:08
10km 35:41(17:33)
15km 53:32(17:51)
20km 1:11:51(18:19)
ゴール 1:15:33(3:42)

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括弧内は各区間のラップタイムですが、5Km を17分~18分ペースで21.0975Km を1時間15分で走りきるというのは、40代半ばの市民ランナーとしてはたいしたものです。当日の様子や本人の感想なども添えてありましたが、自己記録を1分40秒更新したとのこと。このメンバーは1月29日の館山若潮マラソン大会を2時間48分で走って35才~49才の男子の部で8位入賞したランナーです。パリで開かれた学会のついでに走ったのか、走るついでに学会に参加したのか、走るためだけにわざわざパリまで出かけたのかはまだ聞いていません。本当は相当走り込んでトレーニングをした筈ですが、こんな素晴らしい成績を普通の顔をして何気なく報告しているところが憎いところです。皆が刺激されて、よーしそれなら自分も・・・、という気にさせられます。

午後から雨があがったので、私は江戸川堤防を8Km 走ってきましたが、このところあまり走っていないので体が重く感じました。

2012年3月9日金曜日

3月7日に振り込まれた2名の方(初回、5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は337,500円、延べ480人からの合計額は4,434,428円になりました。ありがとうございました。初回の方は3月7日にメッセージをブログで〇〇県と紹介した方です。5回目の方からは手書きのメッセージも頂きました。この方はずい分遠くの方で、私には普段見慣れない地名でしたので、地図帳を開いてどこにあるのか再度確認しました。この方はメールアドレスがわかりませんので(差し支えなければお知らせ頂ければ幸いです)、個別の礼状は差し上げず、本ブログでの報告を受領の確認とさせていただきます。
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先生、こんにちは。毎日先生のブログを楽しみにしております。今日ブログを拝見し、安心しました。私もみなさんと同じ思いです。先生には相当なご負担をおかけしますが、「更生を支援する会」で継続よろしくお願い致します。先生には本当に感謝しております。どうぞお体大切に。
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別の支援者からは振り込みのお知らせが届きました。メッセージはお名前と一緒に市橋君に伝えます。
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本山先生こんばんは!私たち支援者と市橋さんをいつもつないでくださって本当にありがとうございます。控訴審まであっという間でした。そして市橋さんはその日からスタートなんですね。時間をかけて本当の自分を取り戻してほしいです。一歩一歩。
平凡な言葉ですが・・・・・一歩一歩です。私たち支援者とともに一歩一歩進んでいきましょう。

『私も更生(を支援)する会』賛成です。本山先生、次に面会に行かれる時に、一人じゃないよ、支援者もいつも一緒だよと伝えてください。先生も風邪などひかぬよう、ご自愛くださいませ。
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前にも書きましたが、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」への振り込みは、明日3月10日(土)までとして下さい。それまでに振り込まれた支援金を全額払い出して菅野弁護士にお届けすると同時に、支援者名簿と支援金振り込みの記録を一覧表にして市橋君に差し入れるつもりです。市橋君には、個人情報だから取り扱いを注意するように指示しますが、一覧表には前回差し入れた場合と同様に支援者のお名前と振込日と振り込み金額だけを載せて、住所や電話番号、メールアドレスは削除し、市橋君にはもし個人的に礼状を書きたければ住所を教えるからと伝えます。
その後どうするかは、控訴審の結果を待って考えたいと思います。もし、市橋君と弁護団の主張が認められて裁判が結審すれば、「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」は閉じて募金活動も終了し、新たな役割を担う「市橋達也君の更生を支援する会」(仮称)に移行して、皆さまと情報を交換しつつ市橋君の受刑生活を見守り、精神的に支えていきたいと考えています。

皆様から私宛にいただくお便りは、内容によってブログで紹介する場合としない場合がありますが、紹介してほしくない場合はそのように明記していただければそれを尊重して紹介致しません。メールを使われない方で、私からの返事や礼状の封書が郵便で届いても構わない方、あるいは逆に返信してほしくない方もそのように明記していただけると助かります。

今日は久し振りに、腎臓透析で長期入院している千葉大学時代の元同僚教授/友人をお見舞いに行ってきました。私と同じ年齢ですが、彼は4月が誕生日ですからもうすぐ70才になります。約3年前に入院したばかりの時は、私が見舞いに行くと「おー、本山来たか!」と言ってくれていましたが、入院中に起こった3回目の脳梗塞で記憶回路が失われたのか、今ではほとんど会話ができなくなってしまいました。私の顔を見ると目が少しだけ輝き、私が誰だかわかるかと言うと何かを言おうと口が少しだけ動きます。どれだけ彼の耳に聞こえているかはわかりませんが、それでも構わず、1月にはフルマラソンを完走したこと、2月には国際会議でローマに行ってきたこと、昨日はマッシュルームの栽培施設を視察に行ってキノコバエの防除方法を指導してきたことなどを話して、写真も見せました。最近の国立大学が業績主義になって、論文のインパクトファクター(どれだけ他の研究者に注目されて引用されるか)やどれだけ外部資金を獲得できるかというようなことばかりが強調されて、本来の教育機関としての役割がだんだん果たせなくなりつつあることなどを話し、お互いにいい時に定年になってよかったなと話しました。奥様が一日おきにお見舞いに来られ、車椅子に乗せて散歩をさせてくれていますが、3年間近くも寝たきりで自由がなくなるのはつらいだろうなあと思ってしまいます。病気で倒れるまでは、あんなに元気で研究に情熱を燃やし、趣味の油絵を描いたりしていた親友の現在の姿を見ると、人間は生きている限りは命を大切に、健康管理をしっかりして、前向きに生きなければいけないのだと教えられます。
昨日おみやげにもらったマッシュルームと落花生の一部をおすそわけとして、奥様宛の置手紙と一緒にベッドの横の小テーブルに置いてきました。

2012年3月8日木曜日

3月6日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は322,500円、延べ478人からの合計額は4,419,428円になりました。この方は昨日のブログで紹介しました謙遜したメッセージを送って下さった方ですが、ご自分とは何の関係もない市橋君のために貴重なお金を4回も振込んで下さったことは大変ありがたいことです。次回市橋君に面会に行く時に、支援者からのこういうありがたいご支援に対して、感謝の気持ちを忘れないようにと伝えてくるつもりです。ありがとうございました。

朝、余裕をもって早目に7時半に家を出て車で千葉県旭(あさひ)市蛇園(へびその)のJAちばみどり海上(うなかみ)中央支店に向かいましたが、途中渋滞区間もあったために現地に着いたのは約束していた10時ピッタリでした。旭市というのは、先日君ヶ浜の松枯れ状況を視察してきた銚子市の西隣に位置し、千葉大学時代にヘリコプターで水田に散布された薬剤の環境中での動態と生態影響を何年間も調査をした山田町(現香取市山田区)の南東に隣接し、九十九里浜の北端に位置していました。昨年3月11日の地震に伴う大津波で、死者13人、行方不明者2人という犠牲者がでたところです。先ずJA(農協)で幹部と挨拶をした後、県の普及指導員の方々、海上マッシュルーム組合(19農家で構成)の幹部3人の案内で3戸のマッシュルーム栽培施設を回って、生産工程を見せていただきました。
菌床(きんしょう)に使う堆肥は馬糞と稲わらを一次発酵、二次発酵させた後水蒸気消毒したもので、穀物で培養増殖したマッシュルーム菌を植菌し、菌がまんべんなく増殖したところでピートモスで覆土して散水するという手順でした。真っ白なマッシュルームがニョキニョキと発生し、普通は4回収穫できるのが、キノコバエと呼ばれる微小なハエが大量発生すると菌床中の幼虫が菌糸を食べてマッシュルームの発生が著しく少なくなったり、マッシュルーム自体の中にも入って食害して、収穫が1回しかできなくなったり、マッシュルームにシミができて品質低下で出荷できなくなったりするとのことでした。
現地では、電燈証明でキノコバエ成虫を誘引して粘着シートで捕獲したり、施設内への成虫の飛び込みを防ぐためにあらゆる隙間をスポンジ様のもので埋めたり、入口に2重カーテンをしたり、換気扇は目の細かいネットで覆うなどの工夫をしていましたが、粘着シートには成虫が多数捕獲されていて、明らかに効果は不十分でした。
施設内は空調で温度が一定に保たれ、キノコバエの発生の餌となる菌床が大量に与えられ、天敵は存在しない、というまるでキノコバエ大量増殖施設のような大発生に適した条件がそろっています。従って、一度成虫が施設内に侵入して菌床に産卵すると、孵化幼虫が発育して増殖を繰り返しますので、最初の段階でこの悪循環をストップするのが防除のポイントだと思われました。現在採用されて不十分な効果しか得られていない物理的な防除方法に加えて、成虫と幼虫に対する化学的な防除方法を採用するために、農家(生産者)に協力してもらって試験をすることにしました。成功すれば、安定して高品質のマッシュルームが高収量で収穫できるようになり、農家は助かる筈です。
帰りには今日の視察のお礼に千葉県特産の落花生の各種詰め合わせセットとマッシュルームを一箱いただきました。今日訪ねた農家の一軒の庭には大きな梅の木が一本あって梅の花が満開に咲いていましたが、今年は遅い方だと言っていました。

2012年3月7日水曜日

3月5日に振り込まれた2名の方(13回目、9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は312,500円、延べ477人からの合計額は4,409,428円になりました。ありがとうございました。

支援者から振り込みのご連絡と支援する会の今後に関するご意見が届いています。ありがとうございました。
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昨日お振込みをさせていただきました。全部で4回だけの、少額のお振込みでしたが、コピー代の一部になればと思いました。 1日1日と控訴審が近づき、ドキドキします。
本山先生には本当に感謝しております。お忙しい中ご面倒をおかけしますが、今後ともよろしくお願いいたします

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本日、3月7日に支援金を送らせていただきました。〇〇県の〇〇〇〇と申します。先生のブログを長いこと拝見しておりましたが支援の方は今まで迷っておりました。3月10日に支援金を締切ると伺いましたので支援してみようと思いました。裁判結審後の「更生を支援する会」については私も大いに賛成です。受刑生活から出所後も周囲がサポートすることは必要不可欠なことだと思います。特に社会復帰に失敗したためにその後の人生を踏み外し、再犯をしてしまった例はよく聞きます。その中で特に印象に残ったのがコンクリート事件のサブリーダの再犯の件です。この男も社会復帰に失敗し、暴力団に入り、知人男性に対して、前と同じ監禁事件を起こしました。前の事件のことを面白おかしく自慢していたそうです。「1人殺すも2人殺すも同じだ」「刑務所生活で警察や弁護士を騙すノウハウを身につけた」「頭がおかしいふりをすれば医療刑務所に行ってすぐ出られる」などと豪語していたそうです。更生を信じた人たちを裏切ったのです。凶悪犯罪者の再犯ということもあって逮捕監禁致傷で懲役4年になりました。再犯は性格にも原因はあると思いますが、更生、社会復帰が失敗することも大きな原因となっていると思います。先生のブログで紹介された他の支援者の方からのメールの通り、市橋さんの受刑生活は何十年も続き、出所する頃市橋さんはご両親と同じくらいの年齢になっていると思いますが(もっと早く出所できることになるなら失礼ですが)ヤケを起こさず前向きに、そして常にリンゼイさんのことを最優先に考えて生きていって欲しいと思います。
今日の送金について、無事届きましたら、できましたらメールで知らせてくださるとありがたいです(郵送の場合は同僚の配達員の目がありますので差出人名をなるべく目立たなくしていただけるとありがたいです)。(本山:支援者の中には、ご家族や周囲の人たちに知られたくないという方もおられますので、お手紙を差し上げてもよいことがわかっている場合以外は、礼状はメールで差し上げるようにしています。メールアドレスが不明の場合は、本ブログでの報告で受け取りの確認に代えさせていただいています。最後に、あまり、長文のメールを書くことに慣れていないので下手な文章になってしまったかもしれません。

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今晩は。一昨日(本山:3月4日)メール有難うございました。多数の支援者の方が『市橋達也君の更生を支援する会』の発足を希望されてるようで良かったです。市橋達也さんが申請の上で、面会も可能との事で安心しました。
具体的な提案では有りませんが…支援者の方が個人的に直接やり取りするのは難しいのではないかと思います。今迄のように、本山先生が面会された時の市橋達也さんの様子を伺わせて頂いたり、彼からの要望や困ってる事などが有りましたら、支援者でご協力出来ればと思います。又、差し入れ等の情報を共有し、彼への思いを語り支えて行きたいです。
メッセージを自由に書き込みするような方法も有りますが、内容により本来の支援の会から外れてしまう可能性やトラブルにもなりかねませんので、現在のように本山先生のブログでメッセージを紹介して頂けたらと思います。支援者のメンバーは『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』から引き継がれるのか、新たに集うのか…以前、ブログにメッセージを載せてもらう目的で、偽って本の差し入れの報告された事が有りましたので、状況によりましては、支援者と反支援者の見極めも難しくなるのではないかと思います。
市橋達也さんが支援の会について、どう思われるかも気になります。現在は、控訴に集中してますので、落ち着きましたら、彼の気持ちも伺えましたら、お願い致します。
昨日、東京拘置所に参りました。差し入れは、本山先生から伺いました通り、日用品や文房具は売店の取り扱いは殆ど有りませんでした。中で勾留者が購入するそうですね。売店は雑誌とお菓子や缶詰めがメインで、千葉刑務所より種類も豊富でした。今回は、食料品、お花、お弁当、市販の歯ブラシ、現金を差し入れました。

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本山先生は、今週も面会に伺われますでしょうか?(本山:まだわかりません

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今日はテレビ番組制作会社のディレクターとカメラマンが約束通りの時間に来られ、市橋君について準備してこられた質問項目に従って取材を受けました。一昨日の取材約束を直前にキャンセルしたのは、身内に不幸があったのだそうです。 カメラはかなりの時間(多分1時間くらい?)回っていましたが、実際にはその中のごく一部だけが番組の中で使われることになる筈です。番組はテレビ東京で3月18日(日)の夜8:00~10:30「ニッポン事件簿」で放送される予定です。哀川 翔(あいかわしょう)という俳優/タレント/歌手がナレーションをしながら、犯行後に長期間逃亡して注目を集めた3つの事件-同僚ホステス殺害後、整形手術をして15年間逃亡していた福田和子事件、元オーム真理教信者で17年間逃亡して最近出頭してきた平田 信事件、と市橋君の事件-を再現し取り上げるのだそうです。市橋君の事件については、一時期潜んでいた沖縄の小島も訪ね、一時期働いていた大阪と神戸の飯場も取材してきたそうです。特に大阪の飯場の親方は、市橋君の仕事振りを誉めていたとのことです。番組で紹介されるのでしょうが、市橋君は身元が割れるのを恐れて常に黒縁の眼鏡をかけていたり、フードを被って顔を隠していたり、同僚職人に嫌がらせをされても警察沙汰になるのを避けてじっと我慢して悔し涙を流していたとのことです。

今日は時間がなかったので、東京農業大学の周囲を4Km しか走れませんでしたが、気温が高かったこともあって汗はビッショリかき、いい気分でした。明日は朝早く出発して、千葉県北部に位置する海上(うなかみ)地区のマッシュルーム栽培を視察してくる予定です。車で片道2時間半近くかかりそうです。

2012年3月6日火曜日

支援者から以下のお便りとご意見が届きました。
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先生こんばんは。ブログ拝見しました、
結審が終わればこの会も無くなってしまうのか…。と複雑な心境です。お忙しい中、先生頼みばかりで感謝の言葉を述べても足りないくらいです。ありがとうございます。
私の個人的な意見は「更生(を支援)する会」の発足を強く望みます。刑が確定しても支援は続けたいと思ってるからです。何年続くかは私にも解りません。でも市橋さんの更生にお役に立てばと思います。刑が確定したら面会も差し入れもできなくなるのでしょうか?
それでもやはり市橋さんの更生のために皆様と意見交換、現状の報告などが解るだけでいいのです。これは私の我儘かもしれません。
今回は言葉が上手く見つからないので何とお伝えをすればいいか迷いましたが、私は「更生(を支援)する会」を発足して頂ければ幸いだと思っております。
先生いつもありがとうございます。春はもうすぐそこまで来ています。それと同時に市橋さんの控訴審も始まります。結果はどうであれ市橋さんの支援を出来る限りしたいと思っております。
それでは… 先生、季節の変わり目お身体御自愛なさってください。

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今まで届いたご意見をみますと、ほとんどの支援者が、この「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」が役目を終えて解散することに寂しさを感じ、新しい役目を担う「市橋達也君の更生を支援する会」(仮称)として継続することを望んでおられるようです。
郵送のお手紙も今日届きましたが、やはり「更生を支援する会」の立ち上げを強く希望され、場合によっては一度支援者が集まる機会を作ってもらえないかとの提案もありました。
支援者は北海道から九州・四国にまで分布していますので、東京のどこかで集まるにしても、参加できる人は東京近郊の少数に限定されるかもしれません。ほとんどの方は、裁判が結審した後も市橋君の更生を支援したいと思っておられますが、個人個人では何ができるか、どうすればよいかがわからず、また特に遠方の方にとっては市橋君がどういう状況にあるか情報が入らなくなることを不安に思っておられるのだと思います。そういう意味では、「更生を支援する会」が存在して、私が市橋君に面会に行ってその様子を皆様にお知らせすることは大事なのかもしれません。

支援金の振り込みは今週の土曜10日までで終わりにして下さい。私の所に届くのは通常2日~3日後になりますので、来週の月曜か火曜にゆうちょ銀行に行って全額を払い出し、菅野弁護士にお届けして一度会計を締めたいと思います。控訴審の裁判がどれくらいの期間続くのか、どういう判決になるのか私にはわかりませんが、もし弁護側か検察側による再控訴ということになれば弁護活動を支援するために募金活動を再開することが必要になるかもしれません。
昨日友人の弁護士と話していて言われてはっと気がついたのですが、裁判が結審後は、支援する会として被害者遺族に差し上げるために募金をするということも活動の一つとして考えてみる必要があるかもしれません。市橋君が手記の出版の印税として得た1千万円近いお金を被害者遺族に提供したいという申し出は、受け取りを拒否されましたが、それは判決前に受け取れば裁判に影響するかもしれないという心配と、市橋君は加害者だからということが関係したのかもしれません。しかし、支援する会は事件の当事者ではありませんし、日本滞在中に不幸な目に遭ったリンゼイさんのご遺族に日本人として少しでも哀悼と償いの気持を示せればという思いです。

今日は場所によっては春一番の風が吹いたようですが、私は江戸川堤防を14Km 走ってきました。河原のあちこちでひばりが天高く舞って、ピーチクパーチクさえずっていました。私には、「春が来た、春が来た」と知らせているように聞こえましたが、生物学的には春は交尾の季節なので雄が美声で雌を誘っているのか、あるいは他の雄が縄張りに近づかないように警告しているのか、そんなことを想像しながら走りました。

2012年3月5日月曜日

3月2日に振り込まれた3名の方(3回目、11回目、26回目)の支援金と、3月3日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は292,500円、延べ475人からの合計額は4,389,428円になりました。ありがとうございました。26回目の方からは以下のメッセージをいただきました。
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本山先生、3/2本日、支援金を送らせて頂きます。控訴審で市橋さんや弁護団の先生方の主張が認められ、無事に結審できますように。その後のことは、先生や支援者のみなさまと考え、市橋さんに一番良い道を選んでいけたらと思います。今後共、よろしくお願い致します。
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支援者から以下のお便りと「支援する会」の今後についてのご意見が届きました。ありがとうございます。
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本山教授こんばんは、遅ればせながらローマでの講演お疲れ様でした。海外で共通の知ってる人がいる人に遇われるなんて本山教授はワールドワイドな方なんだなぁ、と改めて感心してしまいました。荷物も無事についてよかったですね。
今日支援金を振り込みましたので、確認よろしくお願いします。10日で支援金の振り込みは一旦終わりなんですね、これが支援する会へ最後の振り込みになるのかも・・・と思ったら何か言い知れない気持ちになりました。本山教授には会の管理の他にも市橋さんの卒論拝借や、差し入れの件などお世話になりっぱなしで申し訳ないのと感謝の気持ちでいっぱいです、本当にありがとうございました。
結審した後の会については、私も「更生を支援する会」が発足されることを願います。
更生のための支えになるにはどんなことをすればいいのか私自身まだよくわからないのですが、支援者の方々と考えていけたらいいなと思ってます、何かお役にたてることがあれば力になりたいです。が、本山教授の負担を考えると躊躇してしまう気持ちもあります・・・。

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私の高校時代の同級生で弁護士をしている友人に電話をして、一般論として、控訴した場合の弁護料について普通はどうするのか訊いてみました。例えば一審の判決に納得できずに控訴する場合、控訴の趣意書の作成という非常に重要なまた大変な作業が必要となるので、一審の弁護料とは別に二審の弁護料を支払うのが普通であるとのことでした。
「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」の募金活動は、今週の土曜3月10日に振り込まれる分で一応停止していただいて会計を一度締めたいと思いますが、当分の間ゆうちょ銀行の振り込み口座は解約せずにそのままにしておこうと思っています。3月15日に開かれる控訴審の結果、市橋君と弁護団の主張が認められず判決に納得がいかずに再控訴する場合もあり得ますし、主張が認められて有期刑という判決になった場合でも、検察側が控訴する可能性もあり得ます。これらの場合は、募金活動を再開・継続する必要がでてきますので、振り込み口座はそのままにしておいた方が便利だと思います。

裁判が結審した後の支援活動をどうするか考えるために、本間 龍氏にメールでいくつかの質問をしましたら、早速以下の情報を提供して下さいました。ありがとうございました。
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本山の質問: 今月15日には控訴審が開かれる予定ですが、結審した時に備えて、募金活動を停止・終了することを考えています。その場合に、「適正な裁判を支援する会」は閉じて、新たに「更生を支援する会」を立ち上げて、市橋君の受刑生活を精神的にサポートすることを考えています。そこで、本間様に教えていただきたいことがございます。今までは推定無罪で、一日に一回は面会と差し入れが認められていましたが、刑が確定して受刑生活が始まると、面会には優先順序があって①肉親家族、②弁護士、③友人その他と聞いたことがありますが、③の友人その他には、更生に有用な人という制限が付きますか。つまり、私や私以外の支援者もこの中に含まれて、面会が許可されるかどうかということです。それと面会の回数は、今までのように一日に一回ではなく、週に一回とか2週に一回とかに制限されますか。
もう一点は、今までは差し入れは刑務所内の売店で売っている食べ物、書籍類、文房具(サインペンや紙など)、郵送される衣類などが認められてきましたが、刑が確定後は食べ物と衣類は駄目とのことで、書籍類や文房具はいかがでしょうか。それと、手紙の発送や受け取りにも回数制限がありますか。
「適正な裁判を支援する会」は一応今週の10日の振り込みまで受け付けて、それ以降は支援金の振り込みをストップしてもらおうと思っていますが、万が一再度控訴となった時にはまた弁護活動費用が必要となりますので、その時には募金活動を再開できるようにしておくつもりです。
上記の質問は、刑務所によって異なるのかどうかはわかりませんが、教えていただければ幸いです。

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本間 龍氏の回答:さて、お尋ねの件ですが、受刑者になりますと、お察しの通りかなり細かい制限があります。まず面会者ですが、肉親以外の面会者は、市橋さんご自身が「更正に有用な友人」として登録する必要があります。現在法務省は受刑者の社会復帰を積極的に促進する立場ですので、暴力団関係者でもない限り、受刑者側で用意したリストを拒否することはありません。ですから友人であれば、問題なくリストに名を書くことが出来ますし、支援者を「友人」と書くことも差し支えありません。つまり、本山先生はじめ市橋さんが今後面会しても良い、と判断した人のリストを、市橋さん自身で書くことになります。それ以外の人が突然面会に来ても、刑務所側で断られる可能性があります。
また、これは手紙の受発信リストも兼ねていて、それ以外の人に手紙を出す場合は追加願いを出さなければなりません。また、そのリストに含まれない人からの手紙はその都度、刑務官が本人に受け取るかどうか確認してから、渡すことになっています。
次に面会や手紙の受発信制限ですが、これも未決よりかなり制限がかかります。受刑者には生活態度によって「優遇措置(区分)」という階級のような仕組みが設けられています。懲罰はないか、まじめに生活しているか、などを半年に一回査定するもので、この区分で面会や手紙の受発信回数が法令で決められています。
この優遇措置は1類が最上級で下は5類まであるのですが、大抵の受刑者は2類か3類に属しており、その場合の面会回数は月に3回から5回、手紙の発信数は月に5通から7通です。手紙の受信数に制限はありません。なおこの回数は月間でのカウントなので、週何回まで、というような制限はありません。市橋さんが懲役になった場合は、最初の半年の面会は月に3回程度と思った方が良いでしょう。そして年月と共に回数は緩やかに増えていきますが、それでも面会は月に7回、手紙の発信は月に10回が最上限です。
また、差し入れ品ですが、これも今までOKだった食品や衣類は全て駄目になり、外部からの差入れ許可品目としては現金・書籍・文具(ノート・便箋・筆記具)日用品(石鹸・ティッシュ・歯磨き粉等)がありますが、筆記具と日用品はその刑務所の売店で売られている種類のみ差入れ可能で、さらに舎房(部屋)の中で所持できる数量も予め決められているので、それ以上になってしまう場合は領置(官側が預かること)されます。
書籍は殆どの種類が差入れ可能ですが、最近は一度の差入れ冊数を4冊以下と決めている刑務所もあり、予め確認してから送る方が良いです。
以上、有罪が決定して懲役生活が始まると、今までとは比べものにならないくらいの制限がかかってきます。多くの方々が手紙を送っても、それに返信できる通数は月に5通程度ですので、返信もままならない可能性が出てきます。また、面会も予め市橋さんと手紙で予定を立ててから実行する方が懸命です。
私も現在、2名の受刑者の方と文通しています。いずれも拙著を読んで先方からお便りを下さった方で、一人は20年以上の懲役刑ですので、息の長いお付き合いをしていこうと思っています。もし市橋さんが拙著を読んで文通されたければ、喜んでお受けしますのでその旨お伝え下さい。
また、私が共に活動している人権NPO団体には、キリスト教の牧師様もいらっしゃいますので、そういう方もご紹介できます。今後は精神的な安定のためにそういう方も必要かもしれませんので、これもお伝え頂ければと思います。
以上でお答えになっていますでしょうか。他にお尋ね等ございましたら、いつでもお聞き下さいませ。

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今日はテレビ番組制作会社と取材の約束がありましたので、雨の中を時間と交通費をかけて東京農業大学の研究室に出かけましたが、約束の時間の直前近くになって、ディレクターが倒れたので延期してほしいという電話連絡がありました。直前のキャンセルは非常識だと思いましたが、急病では仕方がありませんので、一応明後日水曜に設定し直すことに合意しました。

2012年3月4日日曜日

控訴裁判が結審後の「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」のことについて、以下のご意見が届きました。ありがとうございました。
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先日はありがとうございました。支援の会については、是非発足させて頂きたくお手紙差し上げましたのでよろしくお願いいたします。(本山:お手紙の到着をお待ちします
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日増しに春めいてまいりましたが、まだまだ寒い日も続きますね。本山先生にはいよいよご清祥のこととお慶び申し上げます。
久しぶりにメールをさせて頂きます。〇〇市の〇〇〇〇です。先日の、本山先生のご提案に対しての私の考えですが、私は控訴審裁判が結審した後は、「市橋達也さんの更生を支援する会」を設立し、支援していくことに賛成です。これからこそ、私達支援者が寄り添い、共に生きていく・・実践の時だと考えます。他の支援者の方もおっしゃっておりましたが、個々の活動のみですと、差し入れに行っても既に差し入れされた後だったりすると、遠方の方は大変ですよね。そういった面からも、情報を共有する支援者が集う会のようなものは、必要なのではないでしょうか。私は、少人数でも構わないと思います。同じ考えをお持ちの方がいらっしゃれば、どのような形であれ、共に協力しながら支援していければよいと思います。よろしくお願い致します。
話はかわりますが、私も「百万回生きたねこ」「懲役を知っていますか」「名もなき受刑者 黒羽刑務所 第16工場体験記」を拝読しました。刑務所の現状を知り、いろいろなことを感じ、学ぶことができました。今後も、市橋達也さんを支援していくために、読んでよかったと思います。
また、3月5日に差し入れに行かれる方がいらっしゃるということで、私は控訴審前になりますが、3月12日に差し入れに行きたいと思います。末筆ながら、季節の変わり目ですので、お身体をお大事になさって下さい。


本山:この方は3月12日(月)に差し入れに行かれるとのことですので、重ならないように、他の方はこの日の差し入れは避けていただければと思います。 
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私は〇〇県〇〇市に住んでいます。昨日5回目の振り込みをさせていただきました。さて先生のブログは、毎日拝見させていただいています。
先日のブログで、支援を終わりにしてと、書かれていましたが・・・・残念?寂しい?気持ちで読ませていただきました。最初の趣旨がそうなんだから、そうなんだよな~。という気持ちもあるんですが。ですから、皆様と同じように更生支援ということが、もし可能でしたらお願いしたい限りです。(先生にはご負担にならない程度に)
これからも先生のブログを楽しく読ませていただきます。(特に海外での写真とブログを楽しみにしています。)これからもお体に気を付けて陸トレに頑張ってください。

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今日は第67回琵琶湖毎日マラソン大会がテレビ中継されました。この大会はオリンピックに派遣する日本人男子選手を選考する最後の大会という位置づけで、有力招待選手の堀端宏行選手(旭化成)に期待が集まり、途中までは日本人一位でレースを引っ張っていましたが終盤に失速し、優勝は途中から抜け出した一般参加のサムエル・ドゥング選手(愛知製鋼、ケニア)、日本人一位はやはり一般参加で、最後に追い上げて2時間8分44秒で4位になった山本 亮選手(佐川急便)でした。この間の東京マラソンの時もそうでしたが、必ずしも招待選手ではなく、一般参加選手や恵まれない環境でトレーニングをしている選手が活躍するのは、ハングリー精神の強さが関わっているのかもしれません。あるいは、期待された有力招待選手は精神的なプレッシャーが負担になって、体の自由な動きにブレーキをかけてしまうのかもしれません。
中継観戦後、散髪に行って、それから江戸川堤防を14Km 走ってきました。日曜の午後ということもあってか、ずい分多くのランナー達と行き交いました。私が次に走る大会は4月30日の横浜駅伝で、千葉大学走友会からは3チーム出場しますが、私はBチームの第7区8.195Km(アンカー区間)を走る事になっています。まだ2ケ月弱ありますが、そろそろ真剣にトレーニングに取り組み始めなければと思っています。

2012年3月3日土曜日

2月29日に振り込まれた2名の方(7回目、18回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は266,000円、延べ471人からの合計額は4,366,928円になりました。ありがとうございました。

「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」への振り込みを今月10日(土)までとして、会の活動に区切りをつけることに関して支援者からご意見が届いています。
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今晩は。メール有難うございました。昨日のブログで『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』を終わらせると拝見し、少し淋しくなりました。支援の会の趣旨は裁判の為ですので、いつかは終わる日が来るとは思っていましたが… ただ裁判の金銭的な事だけでなく、本山先生の元教え子への思いや熱意を感じ、支援者の心温まるメッセージを拝見し、本山先生と支援者が一体となって市橋達也さんを支えて来れたと思います。本山先生には、お忙しい中、彼の様子や裁判の状況をその都度ご報告頂き、本当に有難うございました。

市橋達也さんの刑が確定し受刑後は、出来ましたら『市橋達也君の更生を支援する会』として発足して頂く事を望んでいます。受刑後は、衣類や食料品の差し入れが出来なくなり、手紙や面会の回数も制限され、現在より外部との交流は閉ざされます。面会も弁護士さんや親族以外は、更生に役立つ者と定められるようです。更生に役立つ者の範囲が分かり兼ねますが、知人や支援者との面会は難しくなるのではないかと思います。本山先生との面会は続けられる事を願っています。厳しい環境の中で、彼が精神的に落ち着いて日々を過ごされるのには、家族や支援者の存在が必要だと思います。私はずっと支援し見守り続けます。しかし、塀の中の彼の様子を全く知る事もなく、何年、何十年…この先の支援に不安も感じます。もし彼の様子が分からなくても、本山先生と支援者で交流が持てれば、支援としての励みにもなるのではないかと思います。実際に支援の会として、どのような活動をしたら良いのか等も有りますが…他の支援者の方と、思いを語り彼を支えて行きたいです。
ただ支援の会として続ける事を、彼が望んでいるのかも気になります。彼の意向を伺うか、報告をして彼の同意を得て決められたらと思っています。
そして一番気になりますのは、本山先生にご負担が掛かってしまう事です(本山:私の負担はたいしたことありません、ご心配ありがとうございます)。本山先生は2年もの間、ご自身の時間を市橋達也さんの支援の会の為に活動して来られましたので、今後も続くとなりますと…何かございましたら、ご協力致しますので、どうか無理をなされずに今後のご予定などを考慮され、お決め頂ければと思います。

先日、光市母子殺害事件の最高裁の判決を傍聴しました。あの事件もマスコミが大きく取り上げてました。各局の記者が被告人と面会し、その内容が放送されていました。被告人に真似た口調で語られてるようですが、本当にそのような話し方なのか?短時間の面会での会話では、一つ一つの言葉に重みが有りますので、それが正確に伝えられているのか?など疑問に感じます。今回のフジテレビの取材依頼(本山:フジテレビ報道局社会部・司法記者会から、市橋君の控訴審第一回が近づいた機会なのでとの取材の打診があり、市橋君に直接面会できないかとのことでしたが、市橋君は取材を申し込まれても受けない筈ですと回答しました)のように、市橋達也さんとの面会を望んでる記者は沢山いると思いますが、関わらないのが一番安心ですね。

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今回の支援の会を終わらせるお話が突然でしたので、戸惑いました。菅野弁護士さんや市橋達也さんから、その旨のお話があったと言う訳では有りませんでしょうか?(本山:全然違います。支援する会の設立の趣旨は、市橋君に適正な裁判を受けさせるということでしたから、弁護団と市橋君の主張が認められて裁判が結審すれば、支援する会は目的を達成したことになりますので、募金活動を停止・終了するのが筋と私が考えた上での提案です。


本山:この方は来週月曜5日に東京拘置所に差し入れに行かれるそうです。一日に一回しか差し入れは認められませんので、無駄足にならないように他の方はこの日の差し入れは避けていただければと思います。
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私の身勝手な文章も、そのまま先生のブログに載せていただき、恐縮しました。そして、先生がご覧になったサイトを私も拝見、試聴いたしました。すごい音楽ファンの方だし、わかりやすい文章だし、とても参考になりました。ありがとうございました。

会の今後については、支援金振込みは終了して、「更正を支援する会」の発足を望みます。ご両親は、市橋君が逮捕された時に、マスコミにお顔も出して「不謹慎ですが、息子が生きててよかったです。」「とんでもないことをした子ですが、私達の息子です」とおっしゃいましたね。ご両親の心の全てを語っていると思いました。
とても達也さんを愛していらして、すぐにでも会って抱きしめたいけど、もう娘に会うことさえできなくなったリンゼイさんのご両親の気持ちを思い、自分達も息子と会わず、手を差し伸べない決心をなさったのでしょう。たとえ出所できたとしても、その時にもう自分達は生きていないかもしれないから、結局1人で生きていかなければいけない息子にできること・・・家と生活費を残しておくことだ、と考えていらっしゃるのではないかと、想像します。普通の人なら60歳まで働いて、年金があるとかでしょうけど、それがない息子のために、ご両親は現実的にできることを、慎ましく生活しながら実行していらっしゃるのではないかと、1人の息子を持つ私は想像します。

そういう意味では、将来のことは本山先生を含め、私達支援者も誰も責任を持つ約束はできませんが、支援団体の存在は彼にとって大切だと思います。
ただ、いつか、ご両親が面会に行かれることがあっても、やはりマスコミに「ついに市橋受刑者の両親が面会に!」と気づかれないでほしいから、支援者ブログに載せていただかなくて良いし、仮出所があったとしても知らされなくて良いし、市橋君にとって良いことだけを本山先生に情報公開していただければ、ありがたいです。あとは個人個人の交流になるのではないでしょうか。
というのが、私の意見です。もちろん、最終的には、本山先生のお考えに添いますので、よろしくお願いいたします。
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先日は、ありがとうございました。今日(本山:3月2日)のブログ拝見しました。私も前者の方と同じ気持ちで出来る限り市橋君を見守り支援していきたいと思っております。先生には大変なお負担をお掛けします。出来る限り協力していきたいと思っております。先生には大変感謝しております。
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テレビ番組制作会社の私への取材は、3月5日(月)に行われることになりました。企画書によると、3月18日(日)にテレビ東京で20:00-22:30に放送予定の「ニッポン事件簿」という番組で市橋君の事件についても取り上げる計画のようです。

2012年3月2日金曜日

今日は、面会の時に市橋君に頼まれた千葉大学時代に空手部と研究室で一緒だった友人からのメッセージを、A4の紙にプリントし、二人のお子さんと一緒に写っている最近の写真も同じページにプリントして宅配便で東京拘置所の市橋君宛に送りました。友人にも市橋君からのメッセージをメールで伝えました。本間 龍氏の [「懲役」を知っていますか?-有罪判決がもたらすもの] も同封して差し入れました。控訴裁判が結審して受刑生活が始まる時に、どういう生活が予想されるかある程度は知っておいた方が不安感が少しでも小さくなるのではと思ったからです。私からの送り状には、「私はもうこの6月で70才になるので先が見えているけど、君はまだこれから何十年も生きるのだから、前向きに考えて、許される範囲内で有意義な生き方をして下さい」と書きました。

「市橋君の適正な裁判を支援する会」の今後について、支援者から次のお便りが届きました。ありがとうございました。
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いつも本当にお世話になっております。先程ブログを読ませて頂きました。「市橋達也君の適正な裁判を支援する会」が設立され、もう2年なのですね・・・。時の流れの早さを感じると共に本山先生のご尽力に心から感謝しております。先生が代表となり支援金をまとめ、色々な情報を教えてくださったおかげで私を含めた遠く離れた所からの支援者がどれほど安心できたことでしょうか。本当にありがとうございます。
以前、先生に結審後のお話を少しさせていただいたことがありますが、控訴審において市橋さんと弁護団の先生方の主張が通り、裁判が結審した後も私は息長く市橋さんを支援していきたいと考えております。ですから「市橋達也君の更生を支援する会」を新たに発足させて、お互いに連絡を取り合いながら息長く彼の受刑生活を見守り、応援していく、という一案に賛成です。ただ新たな会の発足により、お忙しい先生のご負担が続いていくのではないか・・・というのが私の気がかりでもあります。
私自身、先生と出会えたことは私の人生の中でとても有りがたく幸せな事でありましたので、このご縁に感謝しつつ今後ともご連絡をとらせて頂きたいという想いです。これから長く受刑生活を送られる市橋さんには身元を保証し支えていく方々が必要だと思います。
お身内の方々の積極的なバックアップが難しいのであれば尚更、支援活動の存在と存続が不可欠だとも思います。
(あるサイトで受刑者の等級が上がれば面会時間など色々な待遇も良くなるし、社会復帰も早くなると書いてありました。しかしながら、その為には身内の方々などの身元引き受け人の積極的な対応が必要とのことでした)下記の通りです。

【アトム法律事務所|刑事事件 刑事裁判に強い弁護士 東京 大阪】
『5.等級について
等級はおよそ3段階あり、刑務作業の内容、身元引受人の存在等が判断材料となって昇級が検討されます。小型、中型、大型の順に昇級します。小型から中型に昇級した段階で手紙の発信回数が月4回から5回に、面会回数が月2回から3回に上がったというケースがあります。また、大型に昇級した際に、面会に刑務官の立会いがなくなり、会話を別室で聞かれるという扱いになることもあります。手紙に関しては、大型になると刑務官のチェックが緩くなり、場合によってはチェックがなくなることもあります。昇級は、刑務作業で高度な技術を要するもの、作業結果に高い評価が与えられるものについては大きく影響します。ただし、昇級した後に刑務作業が全うできない場合には降級することもあり、そうなれば制限もまた厳しくなってしまうため受刑者は気をつけなければなりません。身元引受人がしっかり存在することも昇級のために重要な要素となりますが、これは手紙や面会でアピールすることができます。①頻繁に身元引受人から手紙が届けられる、②受刑者もその者に制限回数いっぱいまで発信している、③面会の制限回数をすべて身元引受人との面会に使用している等により、刑務官に対し釈放後の生活に不安をもたせないような印象を与えることができます。』

これを読むと私はどうしてもまだまだ息の長い支援活動の重要性を感じます。

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本山先生、支援金の振込みを10日で締め切ることについて私は異論はありません。この会の趣旨は裁判費用を支援するために立ち上げたのです。控訴審が結審すれば本山先生の書かれている通り、「――支援する会」もお開きになるのも理解できます。
あくまで私自身の意見ですが、本山先生も本来の仕事に戻ったほうが良いのではと感じます。市橋君の支援活動でかなりの精神的・肉体的な負担がかかったはずです・・・。一支援者として本山先生に申し訳ないという思いでいっぱいでした。市橋君の窓口みたいな役割になっていましたし。少し市橋君から離れて、ローマ滞在中に話がでたヨルダンに指導をしに行くのもいいでしょうね。
他の支援者の方はどのような意見なのかはわかりませんが、ただ、個人が連絡を取り合って・・・の方法はよくよく考えて行動しないとネット上で嫌がらせをされる可能性があるのが怖いです。そしてその仲間に入りたい支援者がいても、その人達に連絡をとる事ができるのでしょうか? 正直私も「――支援する会」が無くなるのは寂しいです。市橋君のお陰で本山先生を知る事ができ、実際にお会いする事もできました。本当に感謝しています。

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3月に入りました。次第に春が訪れております。ご活躍のご様子、いつも感服しております。本日、少額ではございますが送金させていただきました。またご確認いただけますと、ありがたく存じます。
市橋さんが、東京に移送されたとのこと。面会時間を含め、多少とも千葉より待遇が良くなればと思います。そして何より、控訴審では市橋さんの意見も十分に聞き届けられ風評に左右されない判決が下されることを信じ、願っております。他の方からもご意見があったようですが、もし、先生に過重なご負担がかからないようであれば、「更生を支援する会」として継続を希望いたします。刑務所での年月は、長くつらいものと察します。
時に落ち込み、自暴自棄になることもあるでしょう。そんな時、たとえ他人であっても、市橋さんのことを思い、心配し、更生を願っている者がいる-ということは、どんなに励みになるかと思います。また、刑務所側にとっても、「支援者がいる受刑者」であることは、それだけの評価にもつながる事項であろうと思います。
本当は、市橋さんのご両親、あるいはお姉さまが市橋さんを赦し、支えてくださることを強く望んでおりました。今もその気持ちは変わりませんが、どうも実現は無理なようですね。私には子どもがおりませんから、そういった形の愛情に疎いのですが、もし私なら・・・私なら、赦すだろうと思うのです。身から出た錆かも知れません。が、市橋さんを不憫に思ってしまいます。他人が、どこまで肉親の代わりになれるかわかりませんが、多少なりとも市橋さんの支えになれればと思わずにいられません。
時節柄、くれぐれもご自愛くださいませ。

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先日、レスピーギの「ローマの松」という曲について教えて下さった方から、次の情報が届きました。ありがとうございました。私もネットで調べてみたら次のサイトで一部試聴できることがわかりました。早速CDを注文して、ローマの町で見かけた松を思い浮かべながら聴いてみようと思います。
http://plaza.rakuten.co.jp/anotherbright/diary/201002030000/
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 お忙しい中、返信ありがとうございました。ローマの会議中、懐かしい出会いや、偶然の出会いもあり、実り多い時を過ごされたことが、先生のブログでよくわかり、楽しかったです。
さて、レスピーギの「ローマの松」ですが、レスピーギは19~20世紀のイタリアの作曲家なので、普通のクラシック音楽のくくりでもなく、あまり知られていない曲だと思います。しかも、彼は「ローマの噴水」「ローマの祭り」とこの「ローマの松」を同じ頃に作りましたが、「ローマの松」だけが、彼の作品の中では良く演奏されます。といっても、もともと管弦楽のために作曲された交響詩ですが、現在は吹奏楽団が演奏する機会が多く、吹奏楽コンクールでは年中出てきます。だから、ピアノを習ってる人より、高校などで吹奏楽クラブに所属してる人の方がこの曲に詳しく、マニアックに好きな人が多いと、私は思います。
第1部  ボルゲーゼ荘の松
第2部  カタコンブ付近の松
第3部  ジャニコロの松
第4部  アッピア街道の松・・・・一番人気はこの曲で、これだけ単独でも演奏されます。
ウィキペディアの受け売りですが、下記の記事は興味深いです。素敵な文章です。


またレスピーギは1926年1月15日に、みずからフィラデルフィア管弦楽団を指揮してこの曲を演奏するにあたり、プログラムに次のように書いている。「『ローマの松』では、私は、記憶と幻想を呼び起こすために出発点として自然を用いた。極めて特徴をおびてローマの風景を支配している何世紀にもわたる樹木は、ローマの生活での主要な事件の証人となっている」 つまり、彼はこの曲で単に松のことを描こうとしたわけではなく、松という自然を通して古代ローマへ眼を向け、ローマの往時の幻影に迫ろうと言う意図をもっていた。そのためこの曲には、グレゴリオ聖歌などの古い教会旋法が好んで使用され、古い時代への郷愁と過去への幻想が効果的に生かされている。

作曲家が、20世紀に生きながらも古代時代を想い、表現した曲が、21世紀に生きる人々に感銘を与えてることが素晴らしい、と思うのです。だから、こじつけかもしれないけど、市橋君には罪を償う現実を受止めながらも、これまでの経験や学んだ知識をもとに、今は見えていないものをさらに見つめ、自分を高めることができると信じます。
彼には、健康な身体も知能も目も耳も手も足もあります。さらに他の人に贈る何かを産む力もあると思います。控訴審を前に、抽象論は意味無いのですが、毎日の刑務所内の生活の中で、彼は何かを産むと思います。音楽ではないでしょうけど、文章か絵か工芸作品か庭園デザインか何かわからないけど、芸術品を産む人のように思えます。
またまた「ローマの松」から脱線して、私の妄想ですみません。どうもイタリアンタイムでの毎日(単に宵っ張りで寝坊)で、イタリアに行くには時差ボケもなく便利です。読む先生を考えず、色々勝手きままに書く失礼をお許しください。

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