2015年3月31日火曜日

3月20日が締め切りだった「現代農業」の原稿が、1週間延ばしてもらった3月27日になってもまだできませんでしたので、他のことを中止して集中した結果やっと仕上がって編集担当者にメールに添付して送りました。その他の2~3の研究者仲間にも送って、不正確なところがあれば指摘してくれるように依頼しました。今週末頃までには訂正・加筆した最終版を編集担当者に送り直そうと思っています。

先週の水曜25日にアメリカの空手の弟子/親友のWayne Brown君から長いメールが届きましたが、原稿を書くことに集中するために返事を書かずに延ばしてきました。今日やっとゆっくり机に向かって考える時間がとれたので返事を書いて送りました。オートバイに乗っていて車にはねられて複雑骨折をして、昨年10月にノースカロライナ州シャーロット市の自宅に訪ねた時は手術後の回復促進のためにできる部分のリハビリ運動をしていました。今回のメールでは、Tibia(脛骨)とFibula(腓骨)の折れたところがうまく直らないので、脛骨上部から骨を取って、足首のちょっと上の辺りでこの骨と板とボルトで固定する手術を4月9日に行う予定のようです。手術をする医師によると元のように自然に近い状態で歩けるようになる可能性は85~95%とのこと。常にPositive(前向き)な姿勢の持ち主のWayne君ですので、こういう状態でもへこたれずに、不幸なできごとからも何かを学んで成長しようとしています。
息子と娘の子供たち(Wayne君の孫)4人の誕生日が約1ケ月(正確には32日)に集中したので、そのお祝いで大変だったとのこと。デジタルゲームで育つ時代の孫たちに少しでも運動させるために、EzRoller http://www.ezyroller.com/ というヘビのように動くおもちゃの三輪車を全員に買ってあげたとのことでした。サイトを開いてみたら写真や動く原理や注意点などが載っていましたが、日本では見たことがない乗り物で、いずれ日本でも流行るかもしれないと思いました。

少しリラックスした気分になったので、昼休みは道場で準備運動と筋力トレーニングをしてから水元公園に行って2時間歩いたり走ったりしてきました。千葉大学園芸学部構内も、江戸川から水元公園に行く途中の桜並木も、水元公園の桜堤(さくらつづみ)も、ソメイヨシノが満開でした。花壇に植えられた花も色とりどりで急に春の景色になりました。

ゼスプリインターナショナルジャパン株式会社の人たちとは、日程調整の結果4月6日(月)の12時に松戸駅で待ち合わせをして、昼食を食べながら話を聞くことになりました。お互いに初対面で顔がわからないので私が名前を書いたポスターを持っていようかと提案したら、社長はニュージーランド人で身長190cmなのですぐ見分けがつく筈ですと言われました。どういう話になるのか、楽しみです。











2015年3月28日土曜日

天気もよく週末だったので、妻と久し振りに一緒に出かけ、江戸川の葛飾橋を渡って水元公園を3時間くらい(約10km)ゆっくり散歩をしてきました。私はウォーキングやジョギングでしょっちゅう水元公園に行きますが、妻は初めてだったので、C地区とB地区のほんの一部を歩いただけですが、公園が想像していた以上に広くて驚いたようでした。あまり長時間歩くと膝に痛みがくる可能性がありますので、妻にとってはこれくらいがちょうど適当な距離だったようです。

NHKテレビの連続朝ドラの「マッサン」がちょうど今日で最終回でしたが、スコットランドから日本に来て夫のマッサンがウィスキーを作る夢を支えて、夢が実現した後、北海道で最後を迎えた妻のエリーさんの好演技に多くの日本人が共感して涙を流したとのこと。私たちも出会ってちょうど50年という歳月を共に過ごしてきましたが、同年代ですでに歩くのが困難になった人や階段の上り下りが苦痛になった人を見ますので、これからはお互いに健康を第一に与えられた時間を生きようと確かめ合いました。

江戸川に行く途中の農家の庭の花桃(ハナモモ)が満開で綺麗でした。水元講演C地区のレンギョウも満開で、桜(多分ソメイヨシノ)も開花し始めたところでした。





2015年3月27日金曜日

千葉大学園芸学部事務の総務係から電話があり、ゼスプリインターナショナルジャパン株式会社という会社が私が書いた論文を見て私に会いたいとの申し出があったとのことでしたので、担当者に電話をして用件を問い合わせてみました。この会社はニュージーランドに本社があって、主としてキウイフルーツの輸入販売と、国内では愛媛県と佐賀県でキウイフルーツを生産・販売している会社とのことでした。
http://www.zespri-jp.com/index.html
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%82%B9%E3%83%97%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%83%8A%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%8A%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%91%E3%83%B3
私が書いた論文というのは、確か何年か前にイタリアのローマでマイナー作物の農薬登録促進に関する国際会議が開かれた時に私が日本代表として出席して発表した日本の報告書のことだと思います。
日本国内ではキウイフルーツは生産量が微々たるマイナー作物でしょうから、作物残留試験にかかるコストがネックになって、農薬メーカーに病害虫防除で使いたい農薬を登録してもらうのが難しいという問題をかかえているようです。
私にどういうアドバイスができるかわかりませんが、来週月曜にもう一度電話をしてもらって、どこでいつ会うか相談することになりました。これから少しキウイフルーツの輸入量、国内生産量、問題になる病害虫、登録のある農薬などについて勉強して、予備知識を得ておこうと思います。

2日間運動ができなかったので、江戸川堤防を8km歩いたり走ったりしてきました。天気もよかったせいか、河川敷のあちこちでヒバリが青空高く舞い上がって縄張り宣言のさえずりをしていました。

2015年3月26日木曜日

植松博士は昨夜遅く帰宅し、安部先生は同じホテルに宿泊しましたので、朝食を一緒にした後で私たちはマツノマダラカミキリの入っていない空の松の丸太を積んだトラックを運転して陶芸家の工房に向かいました。茂原ではなく、山武郡九十九里町田中荒生(あらお)414-56にある小暮(こぐれ)隆之という方でした。千葉県森林研究所があらかじめ私たちが訪ねることを連絡しておいてくれたので、学生も一緒かと思って昼食用に稲荷ずしを大皿に山盛り用意しておいてくれました。

無釉(ゆう)焼きしめ陶の、小暮焼きの月の庭窯という看板の工房で、松の丸太が多数庭に積んでありました。運んできた丸太を置く場所がちゃんと空けてあったので、すぐ全部トラックから降ろしました。
2ケ月に1回焼くとのことでしたが、窯の中がどうなっているか見せてくれました。家の中に入れてもらって、いろいろ話を伺うことができました。棚に味わい深いいろいろな作品が並べてあり、陶芸には全く素人で何の知識もない私でも素晴らしいなあと思いました。
松くい虫の被害木は松脂が無くなっているので火力が弱く、1200℃くらいにしか温度が上らないので、最後の仕上げでは松脂が残っている普通の松の丸太を買って1500℃ぐらいにするのだそうです。松の灰は途中でかき混ぜて舞いあがらせて陶器に付着させると、独特の緑がかった色が出せるとのことでしたので、松は燃料としてだけでなく、灰まで使えて、陶芸にとっては捨てるところがない大事なものだということがわかりました。

期待していたマツノマダラカミキリの入った松の丸太が入手できなかわった代わりに、陶芸家との新しい出会いがありました。また、私たちの滞在中に千葉県一宮市に在住の元自衛隊体育学校教官だった年配のM氏が訪ねて来られ、松くい虫の話になったら、子供の頃は一の宮海岸には見事な松林があって、その中の林道を歩いて海岸に行ったと話してくれました。当時は河口近くに白砂青松巡りをして見せる小型の遊覧船が運航していて、「白砂号」「青松号」という船名で、NPO法人が遊覧船を復活させたいという動きもあってまだ船は倉庫に保管してあるとのことでした。一度船を見に訪ねることで話が一致しました。これも予期しなかった幸運な出会いでした。

運転している途中でトラックのフロントガラスに突然小鳥がぶつかってきて跳ね飛ばされたので可哀想なことをしたと思って見たら、荷台の丸太の上に死体がありました。写真を撮って調べたらモズ(百舌鳥)の♂でした。






 
 

 
 



2015年3月25日水曜日

長年勤務した会社を定年前に退職してNPO松くい虫を立ち上げた樹木医のA氏は、茨城県結城市から2トン積みのトラックを運転(朝5時出発)して予定通り朝7時に松戸に着きました。私も同乗して南房総市和田町の海岸の松くい虫被害木の集積場所には、10時40分頃着きました。千葉県南部林業事務所との打ち合わせでは、ここに伐倒木を集積してある筈だったのですが、実際にはすでに業者に委託して今年の伐倒木のほとんどの部分は処分をして、私たち用に少しだけ残してありました。樹皮をナタで剥いで調べてみたら、マツノマダラカミキリはすでに昨年以前に脱出した古い被害木と年越し枯れでマツノマダラカミキリの寄生していない枯死木だけで、今年の研究に使う予定のマツノマダラカミキリを羽化脱出させて採集できる木は1本もありませんでした。一昨年入手した時は、処分する前の伐倒木が集積してあったので効率よくその中からできるだけ多数のマツノマダラカミキリが寄生していてできるだけ細めの木を選ぶことができたのですが、今年は空っぽの木を持ち帰っても何の役にも立ちませんし、トラックをレンタルで借りて2日かけて網室まで運搬する計画とそのためにかけた時間とお金が全く無駄になってしまいました。県が仕事を委託した業者がどの木にマツノマダラカミキリが寄生しているか判断できずに、集めた伐倒木から適当に残したので、こういう残念なことになってしまいました。現地に到着して立ち会った南部林業事務所の職員は、伐倒木をこのまま残されても県としても処分に困るので、マツノマダラカミキリが入っているいないにかかわらず、木を全部持って帰って処分してほしいと言われてしまいました。
そう言われても私たちも困るので、千葉県森林研究所に電話をして相談したら、茂原の辺りに陶芸をやっている人がいて、陶器を焼く窯(かま)のマキとして火力の強い松の木を使うので引き取ってくれると教えてもらいました。そこでとりあえず伐倒木はトラックに積んで、電話で連絡をとってから明日立ち寄って引き取ってもらうことにしました。マツノマダラカミキリが入手できないと今年計画している研究ができなくなるので、A氏が茨城県の樹木医仲間に電話をして確認したら、大洗海岸の松林でこれから松くい虫被害木を伐倒する場所がまだあるとのことだったので、関係者に連絡をとってそこから入手できないか相談してみることにしました。

宿泊予定の房総白浜ホテルでの待ち合わせ時間は夕方の5時以降でしたので、伐倒木をトラックに積み込んでから、南房総市和田町の今年マツ苗を植樹した松林や花畑や海を見に行きました。比較的大きなマツには何本か殺線虫剤の樹幹注入施工済のラベルが貼ってありました。可愛らしい声で鳴く鳥がいたので写真を撮って図鑑で調べたら、自信はありませんがアオジという名前の鳥のようでした。その後で館山市の平砂浦に植樹された松苗の様子を視察しに行きました。場所によっては吹き積もった砂に苗が埋まっているところもあり、植樹した後の管理が必要だということが明らかでした。

宿泊予定の房総白浜ホテルにチェックインし、温泉で汗を流し、夕方6時過ぎに一杯やる約束の東京農工大名誉教授の安部 浩先生と千葉県暖地園芸研究所の植松清次博士が到着し、4人で夕食を食べながら10時近くまで楽しい時間を過ごしました。7階の部屋の窓からは、太陽が沈む直前の夕焼け空が見え、伊豆7島の一つの利島(としま)がかすかに見えました。太陽が沈む山影の横には、三浦半島かどうかわかりませんが、やはり東京湾の向こう側に山影が見えました。
植松博士とは昔からの知人で植物病理が専門ですので、抵抗性マツの機構解明に関して一緒に研究をしようということになりました。農業と林業の行政的な壁を越えることになるので、私があらかじめ千葉県暖地園芸研究所の所長と千葉県森林研究所の所長に話をして了解を得ることにしました。幸い、4月からは両方とも千葉大学園芸学部の卒業生が着任予定のようです。