2018年10月31日水曜日

28日の夜はモーテルの部屋で妻に最後の9通目の手紙(どっちみち配達されるのは私の日本への帰国後になりますが)を書いて翌日Frank君に投函してもらおうと思っていましたが、結局モーテルのラウンドリーで最後の洗濯をして、荷物全部をスーツケースに詰め込み終わったのは夜中の12時になってしまったので諦めました。
29日の朝は目覚まし時計を3:30amに設定して、起きてすぐシャワーを浴びて、着替えてFrank君が来たらすぐ出発できるようにして待ちました。こちらに来た時に比べて荷物は分厚い本2冊(Dictionary of ToxicologyとYuval Noah Harari著のSapiens-A Brief History of Humankind)が増え、Kelly君からプレゼントされたハチミツが一瓶と自分で買ったコーヒ3袋が増えましたので、ジョギング用の運動靴はFrank君に預けて(次回こちら来た時にまた一緒にウォーキングできるように)、荷物の一部を携帯用のバッグに移しました。これで何とかチェックインする荷物は大きなスーツケース1個と袋に入れた重い八角の素振り刀1本、キャリーオンする荷物はパソコンとプリンターと書類を入れた背負える小型のスーツケースと手に持つ携帯用バッグとして納まりました。
Margieさんは午前中に転職の面接の予定が入っているので、Frank君だけが空港まで同行してくれました。途中で私のレンタカーを返却し、空港では少し時間の余裕がありましたので、荷物をチェックインしてからロービーのレストランでコーヒーを飲みながらFrank君と最後のひと時を過ごしました。今回の滞在中は特にFrank君に世話になりましたので、お互いに別れはやはり寂しく、クリスマスや特別の機会には日本に電話をするからと言われ、日本に着いたら電話をしてほしいと頼まれました。
テキサス州のダラス・フォートワース空港(ノースカロライナ州との間に1時間の時差がありました)で乗り換え、飛行機内ではなるべく眠るように心がけて、予定通り成田空港には時差の関係で30日の午後4時頃着きました。
空港からは京成電車に乗って松戸駅に着き、駅からはタクシーで家に着きました。荷物を家に置いて、すぐ市内の携帯電話店に行きました。故障した携帯電話の修理をすると時間がかかるだけでなく修理代も4万円ぐらいはかかると言われて(新しい電話を買わせるためのセールストークかもしれませんが)、一日でも電話がないと不便なので結局新しい携帯電話に買い替えて電話番号は以前と同じまま 090-2645-8512 にしました。

今日31日は成田市甚兵衛の森で午後1:30に甚兵衛の森を守る会の樹木医数人が集まって、今年4月19日に土壌灌注した殺線虫剤ネマバスター(有効成分ホスチアゼート30%)の枝先における濃度の推移を分析した結果を老大木・比較的若い樹ごとに検討することになっていましたので、私も参加しました。昨日までは車はアメリカで右側の車線を走っていましたので、ずい分注意をして左側の車線を走りましたが、ちょっと油断をすると特に交差点で曲がった後で自然に右側の車線に入ってしまいそうであわてて左側の車線に寄せました。
ホスチアゼートの枝先の濃度推移は、標準施用方法から期待した濃度とはずれていましたので、1本1本の樹ごとにその要因を皆で推察しました。結局、甚兵衛の森内での対象樹の場所によって土壌条件が大きく異なる(1本の樹の株本でも東西南北で異なる)ことが根系の分布の違いをもたらし、給水根の位置での薬剤濃度の違いをもたらした可能性が考えられました。今回は機械灌注処理をしましたので、同時期の来年4月19日あたりに根の周辺にプール処理(表層土を除いて希釈薬液を流し込む)をして枝先と幹における薬剤濃度の推移を調査して比較してみるということになりました。試験研究として薬剤代金も分析費用も無料で協力して下さった石原バイオサイエンス株式会社に感謝です。
甚兵衛の森の周辺はすっかり秋景色でした。昨日まで見慣れてきたノースカロライナ州とはまた違った風情がありました。私には、稲刈り後の水田と、コスモスの花と、柿の実と、ススキの穂が典型的な日本の秋の景色に思えました。
















2018年10月28日日曜日

Frank君がちょっと早めにモーテルに来てくれたので、予定より15分早く8:15amに出発してI40(インターステイト40号線)でGreensboroのAl Ruggeiero君の家に向かいました。午前10時ちょっと前に着きました。Al君の自宅は閑静な住宅街にある、素敵な家で、庭にはいろいろな工夫がしてありました。奥さんのAnnさんがカットされた果物のミックスを買っていてくれて、コーヒーを飲みながらしばらく話をしました。訊いたわけではありませんが、奥さんが二人とも再婚同士ですと自己紹介しました。アメリカでは少しも珍しいことではないので、全く驚きませんでした。






Al君の小型トラックに乗って20分ぐらいで農場に着きました。数人の仲間で300エーカー(約36万7千坪=約120ha)の農地を家や倉庫付きで2百万ドル(約2億円)で昨年の12月に購入して、今からブドウを植えて、将来的にはワイナリー(ブドウ酒工場)も作る予定だそうです。農場の母屋のりっぱなのには驚きました。

































農場の中には1,805年に建てられたという昔の家が保存されていました。Al君は高校を卒業してから海兵隊に入隊して6年間勤務して、その後ゴルフ場の芝の管理の仕事や、Wood Workと言っていましたので木工(家を建てたり家具を作った)の仕事を長年やってきたようです。農場の中の木工作業場にはいろいろな道具がそろっていて、ある時学校の子供たちに家の建て方を授業したら、子供たちから感謝状の寄せ書きをもらったと言って宝物のように大事に壁に貼ってありました。
畑にはほんの少しの面積にブルーベリーの苗木とラベンダーの花が植えてありました。
今からダムを造って灌漑水用の池を造って、それからブドウを植えるのだそうです。

急に寒くなってミツバチの活動が鈍くなってきたので、砂糖水を作って巣箱に供給に行きました。その間私にもすぐ近くで見られるようにと防護服を着せてくれました。巣箱の中からクモと甲虫が何頭か見つかったので、取り除きました。










Al君の自宅に帰る途中の道路際に車に轢かれたシカの死体が転がっていて、Red-Tailed Hawk(アカオノスリ)というタカの一種が肉を突いて食べていたので、写真を撮ろうと思って車を横に止めたら逃げ去って近くの木の枝に留まって様子を見ていました。
帰路につく前にAl君夫妻と私で記念写真を撮りました。




Margieさんは午後4時頃モーテルの部屋に来て、貸してくれた台所用品や残っている食料品を自分の車に積み込みました。それから3人で日本料理のSushi Tuneに行き、夕食を食べました。
明日の朝はFrank君が4時45分にモーテルに来て、2台の車で空港に行き、途中で私のレンタカーを返却する予定です。
7:31am発の飛行機に乗り、テキサス州のダラス・フォートワース空港で乗り換えて、成田空港には日本時間で30日の午後4:55に到着予定です。