2021年2月28日日曜日

1980年頃からの知人の渡辺善保氏から、千葉県の千葉農業事務所長職を退任後、(株)クボタ アグリソリューション推進部技術顧問として4年11ケ月勤務していた契約が2月26日付けで終わりますとの挨拶のメールが届きましたので、電話で話をしました。3月には実家のある静岡県沼津市に単身で引っ越す予定とのことでしたので、その前にということで急遽今日お会いすることになりました。彼の提案で、東武鉄道野田線の流山おおたかの森駅の近くのおおたかの森SCの3階の沼津魚がし鮨で午後5時に待ち合わせをしました。少し早めに着いて、駅の周辺を歩いてみたら、ヒカンザクラの木が何本も植栽されていて濃い紅色の花を咲かせていました。駅構内には東武アーバンパークラインという恰好のいい看板がありましたが、あまり普及せず、昔からの東武野田線(千葉県の船橋駅から、柏、昭南、を通って埼玉県の大宮駅まで行く私鉄)という呼び方の方がピンとくるようです。 渡辺氏は大学では畜産学を専攻し、私と初めて出会った時は、千葉県農業改良普及課の東葛支所勤務で農業改良普及員として畜産と野菜の担当でした。現場によく出て農家と頻繁に顔を合わせて、農家がかかえている問題を解決するという農業改良普及員としての仕事を、文字通り実践していました。当時の沼南町(今は柏市に編入)の養豚組合がかかえていたハエ類の大発生による周辺住民とのトラブルや、利根川遊水池でチンゲンサイの契約栽培をしていた大室団地で悩んでいたコナガという害虫の抵抗性発達による被害問題など、千葉大学の私の研究室に相談に来られ、一緒に解決したことを思い出します。 優秀な息子さんは東大大学院で宇宙工学を専攻し、アメリカのインディアナ大学に留学もし、現在は東大の教員になって新松戸の自宅で渡辺氏の奥さんと一緒に暮らしておられるとのこと。渡辺氏自身は肺がんのステージ4で手術もできず、余命6ケ月と言われてファイザー社製の抗がん剤の治験を受けていて、幸い生き延びているとのことでした。多分それもあって、実家では96才の実母を73才のお姉さんが介護しているので、自分も実家に帰ってお母さんのお世話をするとのことでした。
昔、テレビキャスター出身の堂本暁子氏が千葉県知事の時代にヘリコプターによる松くい虫防除の薬剤散布を中止したせいで、九十九里浜の松林も館山の松林も壊滅状態になったという話題になった時に、堂本知事が環境庁出向の副知事と組んで菜の花街道プロジェクトを推進しようとした時に、キャベツやダイコンやカブなど十字架野菜特産地東葛地方では、コナガのような共通の害虫が大発生して多大の農業被害が起こる可能性があるとして、中止させることに成功したという話になりました。当時私の研究室に、コナガという害虫はどれぐらいの距離を移動するのかと訊きに来られたことを思い出しました。県の農業改良普及員としてりっぱな農業現場の仕事をされた方です。沼津には千本松原があって、最近は松くい虫被害が発生しているようですので、三保の松原の松くい虫調査に行く時には、沼津にも寄って被害の調査をする機会があるでしょうから、その時は会いに行きますと言って別れました。沼津に引っ越せば簡単には会えなくなるでしょうから、記念に写真を撮らせてもらいました。肺がんの治験が成功することを祈っています。

2021年2月27日土曜日

コップに挿したアンズの小枝は2本とも花が咲きました。妻にアンズの実はどんなだったかなと言ったら、食料品の買い物に行ったついでにアンズジャムの小瓶を買ってきてくれました。以前、ヘリコプターで散布された松くい虫防除の薬剤の飛散調査に長野県の千曲市に行ったときに、アンズを栽培している果樹園がたくさんあったのを思い出しました。アンズジャムの小瓶のラベルには、原料は広島県産と書いてありました。早速朝食のトーストに塗って食べてみましたら、ちょっと酸味もあって美味でした。ネットで調べたら、アンズの実は梅の実に似ていました。
園芸学部研究圃場で、私が現職時代に農薬の動態試験に使っていた実験池は私の定年退職後にゴミ捨て場にされて埋め立てられてしまいましたが、当時(多分15~20年前)千葉大学空手部の同期の有志が寄贈してくれて、池の近くに植えたソメイヨシノの小さな苗木はりっぱに育って、毎年見事な花を咲かせるようになりました。ただし、池の跡地は誰も管理をしていないので雑草や笹や木が生えて、人が立ち入れなくなっています。私が植えた夏ミカンの木も、ソメイヨシノの木もカラスウリの蔓(つる)に覆われて荒れ地の藪のようになっています。 せっかく寄贈してもらったありがたいソメイヨシノですので、毎年桜の花の咲く時期が近づくと気になって、できる範囲で草刈りと蔓取りをすることにしています。今日は鎌と剪定挟みと鋸と高枝挟みを持って行って、足場の悪い所で汗をびっしょりかいて3時間ぐらい作業をしてきました。まだ周りは藪ですが、ソメイヨシノの木の周りだけは一応奇麗になりました。写真を撮りましたので、苗木を寄贈してくれた空手部同期の仲間に送ってあげようと思います。記念の立て看板は、千葉大学工学部の確か意匠工学を専攻していたK君が作ってくれたものですが、さすが今でもしっかりしています。3月末~4月初め頃までにコロナ問題が収束すれば、空手部の同期会を園芸学部で開催してお花見ができるのですが・・。自宅に帰ってシャワーを浴びて休んでいたら、両手の親指の関節と両足の太腿の裏の筋肉が攣(つ)って痛い思いをしました。普段あまり使っていない身体部分を使ったせいです。

2021年2月26日金曜日

アメリカのノースカロライナ州在住のMargie さんからメールが届き、私の1969年以来の空手の弟子/親友のFrank Peoples 君は前立腺がんの治療薬が効いているらしく相変わらず元気だという報告と、最近の写真が添付してありました。年齢的には私より5才若いのですが、心臓にも問題があって血管を広げるステントも挿入されている筈です。昨年はコロナの問題で恒例の古巣の訪問ができませんでしたので、今年の秋頃にはコロナ問題が収束してノースカロライナ州訪問ができて、彼にも会えることを期待しています。
コップに挿したアンズの小枝は奇麗な花を咲かせ始めました。梅の花とよく似ています。
昨日は、埼玉大学空手部OBでオランダ在住の今野充昭(こんのみつあき)氏から久し振りにメールが届きました。埼玉大学空手部は千葉大学空手部と同じく、祝嶺制献最高師範が創設した玄制流空手を稽古していたこともあって、今野氏とのメールの交流が始まりました。今回は彼が最近後輩に送った多くの文章と多くの写真が含まれていました。1964年の東京オリンピックの柔道無差別級の決勝戦で日本のエースだった神永昭夫を破って多くの日本人にショックを与えたアントン・ヘーシンク選手との親交が深かったことを示す写真や、山下泰裕氏と一緒の写真もありました。私は途中で科学の研究者に転向してしまいましたが、今野氏は1976年に渡ったオランダで初志を貫徹して、今でも空手の指導を通して国際交流に貢献しておられるようです。今日下記のような返信のメールを打っておきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 今野充昭様                          埼玉大学空手部の皆様とのやりとりや、今野さんご自身の資料をありがとうございました。大変興味深く拝読させていただきました。1953年に山形県の米沢市でお生まれとのこと、現在はオランダ在住でも、冬の寒い気候には子供の頃から慣れておられるのかなと想像しました。私は松くい虫防除目的でヘリコプターで空から薬剤散布が行われる時の薬剤飛散調査や周辺住民への健康影響の可能性の評価などの研究に長年関わってきましたので、山形県遊佐町の海岸松林を訪問したことがあります。また、私の千葉大学勤務時代の研究室(生態制御化学)を専攻した元学生の一人〇〇博士は、現在はバイエルクロップサイエンスというドイツの農薬会社に勤務していますが、山形県酒田市の出身でした。その他に、山形市に帰って農業をしながら山形県の農業改良普及課に勤めている〇〇君という元学生もいます。            私自身は1942年に当時家族が住んでいた朝鮮の黄海道黄州(現在の北朝鮮側)で生まれて3才の時に終戦で日本に引き揚げてきました。父親の父は鹿児島県、母は奄美大島の出身で、母親の父は福岡県、母は名古屋の出身でした。その後、家族の半分(父、兄、姉の一人)はブラジルに移住し、兄はポルトガル人と結婚してハーフの子供が12人生まれました。日本には結局母ともう一人の姉(私より12才年長で、90才で現在も東京に在住)と私の3人が残ることになりました。私自身も1969年にアメリカのノースカロライナ州立大学Ph.D課程に留学してから約10年間向こうで暮らして永住するつもりでしたが、ベトナム戦争最盛期にぶつかって永住ビザ申請が却下されて日本に帰国して現在に至っている次第です。アメリカ滞在中は、以前すでにお話ししたと思いますが、空手の道場を開いて2000人を超えるアメリカ人に空手を指導したり、州の空手連盟を作って大会を開催したりしました。その縁で、何人かのアメリカ人とは今でも兄弟や家族のように親しく交流しています。                           今野さんの文章に出てくる埼玉大学空手部の方々で、私の現役時代によくお目にかかったのは、高橋洋一さんは千葉大学空手部の創立者でもありましたのでもちろんですが、門倉さん、渡野辺さん、岩谷さん、石川さん、鹿山さん、宇田川さん(関甲信の幹部合宿に参加してご一緒したこともあります)などで、大変懐かしく思い出します。私と同じ学年は、土屋さんだった筈です。千葉大学空手部は元々は高橋さんが指導をしていましたが、私の現役の頃は祝嶺先生が直接指導に来られ、その後来司節三先生が来られ、その後OB会の派閥のゴタゴタ(祝嶺支持派と高橋支持派)があって私が主将の時に当時南浦和に住んでおられた高橋さんを副将をしていた池田貞雄君と一緒に訪ねて、指導者として千葉大学空手部に再登場していただきました。現在千葉大学空手部の技術顧問をしている横田さん(私の浦和高校時代の剣道部の2年先輩でもあります)は、埼玉大学空手部の鹿山さんと同年代の筈です。今野さんの文章に高橋さんの組手のことが出てきますが、弟弟子の来司先生が「先輩、稽古をつけて下さい」と言って高橋さんと自由組手をするのを大学の道場で見たことがあります。まるでカングフーの映画の中の動きのように、接近戦で手や足がいろいろな角度から連続的に出て攻防をしていました。組手の後で、見学をしていた現役の私たちに高橋さんが「これは大人の組手だからお前らは真似をしないように」と言っていたのを覚えています。当時は、剣道のように防具組手を普及発展させようとしていた時代だったからかもしれません。 私は途中で科学の研究者の道に転向してしまいましたが、今野さんは初志を貫徹されて、今でも空手に貢献しておられる様子、大変立派だと思います。国際交流と埼玉大学空手部の後輩のために、これからも大いに貢献されることをお祈り致します。                    私は78才になりかなり頻繁に仲間の訃報が届く年齢になりましたので、寝たきりにならないことと認知症にならないことを目標に、週に2~3回空手着に着替えて一人で基本の稽古と若干の筋力トレーニングを40~50分して汗をびっしょりかいて、それから野外に出てウォーキング(たまに少しだけジョギング)を2~3時間するというのが普段の運動です。 凍った運河の上を200km滑るスケートマラソンというのは、壮大でいかにもオランダらしいですね。私は、49才の時に千葉大学の教職員の走友会を作って駅伝から走り始め、52~53才の時にフルマラソンを3時間35分で走ったのが自己ベスト記録になりました。80才になってもフルマラソンを6時間ぐらいで完走できるだけの健康を維持したいというのが目標ですが、足腰が弱ることに加えて、心肺機能の低下がちょっと心配です。 お互いにがんばりましょう。 この度は興味深い資料をありがとうございました。                   本山直樹

2021年2月25日木曜日

amazonに注文しておいた芝木好子著の「築地川・葛飾の女」(講談社文庫、中古本)が配達されて届きました。先日水元公園Bブロックにある正門横に「葛飾の女」の文学碑が立っていて、ネットで調べて https://mainichi.jp/articles/20201210/ddl/k13/040/014000c  興味が湧いたので読んでみようと思ったので注文したものです。元々は昭和41年5月に河出書房新社から刊行されたとのことですが、昭和41年というのは私が千葉大学園芸学部を23才で卒業した年ですから、当時の様子を思い浮かべながら読んでみようと思います。もう何年も小説というものを読んでいませんので、果たして最後まで読み切れるかどうか・・。中古本なので¥753でしたが、配送料・手数料¥257がかかりましたので、合計¥1,010でした。
先日近所の門前でバケツに入って自由にお持ち下さいと書いてあったアンズの小枝を2本もらってきて、妻がコップに挿してくれたら蕾が膨らんできて、今にも花が咲きそうになっています。
自宅で空手着に着替えて基本の稽古と筋力トレーニングをしてから、いつもの理容店に行って散髪をしてきました。松戸駅西口にあったイセタンの閉店後にできたキテミテマツドという変な名前がつけられた商業ビルの前の広場に植栽された紅梅は八重の花を咲かせていました。枯死したマツはいつの間にか植え替えられて、以前より少し小さめで盆栽のように枝ぶりのよいマツが植栽されていました。

2021年2月24日水曜日

坂川沿いの河津桜は満開です。例年ですと、この時期には河津桜祭りが催されて、川沿いの道も松戸神社境内も屋台が出て大勢の人で歩けないぐらい混み合うのですが、今年はコロナ禍で祭りは中止になったようです。 坂川には嘴の上部は赤色で先端が黄色のバンが泳いでいました。オオバンもいました。オオバンはあちこちでよく見ますが、バンはたまにしか見ません。 中部小学校の横にはアンズの木が植栽されていて、今にも花が咲きそうな蕾が膨らんでいました。 ヒイラギと思われる盆栽は、かなりの老木らしく、一つの小枝から縁が滑らかな葉と葉牙がある葉の両方が発生していました。一つの木で何故そうなるのか面白いなと思いました。植物生理学の分野ではすでに解明されているのかもしれませんが・・。
江戸川にはヒドリガモの群れがいました。ふれあい松戸川の河川敷には八重咲の水仙やオオイヌノフグリが自生していて、春を感じさせました。樹上のヒヨドリの嘴の先が黄色いと思ったら、黄色い木の実(マルバチシャノキ?)が刺さっていて自分では外せないようで、ちょっと滑稽だなと思いました。
古ヶ崎のカブ畑の隣では重機が入って掘削工事をしていました。何をしようとしているのかはわかりませんが、なるべく貴重な畑が失われないことを祈ります。
松戸駅周辺は高層マンションが林立するようになりましたが、西口では新たに2ケ所で高層マンションの建築工事が行われていました。