2010年8月31日火曜日

今日も猛暑が続いていますが、東京農大のグランドでは野球部が対外試合をしていたり、サッカー部がシュート練習をしていたり、陸上部が200mを数人ずつ全力疾走していたり、元気のいい若者を見るのは気持のいいものです。私はジムで準備運動を兼ねて軽く筋力トレーニングをしてから、外に出て無理をしないように大学の周囲を1周(約2km)だけジョギングしました。
岡山県在住の知人(今年の春に会社勤めを定年退職し、今はブドウを中心とした農業をやっている)が松枯れの写真を送ってくれました。以前見た広島空港と広島市の間の高速道路沿いの山に骸骨のように立っている枯れた松の写真を撮りに行きたいと言ったら、そんな景色は岡山でもいくらでもあるよと言って送ってきたものです。

昭和30年代に松くい虫で松山が一度全滅した後、再生して生えてきた樹齢25〜30年くらいの若い松がまた松くい虫にやられてしまったそうです。こうなると松茸が生えなくなるだけでなく(松茸はこれくらいの樹齢の若い松の木の周囲に生える)、強風の時は木が倒れるので危険で山に入れないとのこと。健康被害があるという思い込みで反対運動を扇動して松くい虫防除の薬剤散布を中止に追い込んできた活動家の人たちは、こういう現状をどう見ているのでしょうか。

2010年8月30日月曜日

菅野弁護士からメールで連絡をいただきました。市橋君の裁判に向けて着々と準備をしておられるようです。8月17日に行われた第3回公判前整理手続を受けて、8月31日までに検察側、弁護側が追加して主張を提出し、9月3日に第4回公判前整理手続が開かれるとのことです。私が皆さまからその後に振り込まれた支援金をお届けするのは、9月8日午後ということになりました。

皆さまから寄せられている市橋君の健康状態その他に関する質問も、合わせてメールでお送りしました。

2010年8月29日日曜日

 今日は日曜日でしたし天気が良かったので、私と一緒に研究をやってくれている博士研究員の孫立倉君と一緒に千葉県大網白里町の瑞穂地区(松戸から車で1時間半くらいの距離)に水田を見に行きました。7月19日の記事では、千葉県香取市山田区の濃い緑色のカーペットのように広がっている水田の写真を載せましたが、あれから40日経った今日は予想通り黄金色の見事な水田が広がっていました。この辺りでは、大体4月末から5月初めの連休の頃に田植えをし、8月下旬に収獲をします。コンバインに乗って収獲作業をしていた農家に話しかけてみましたら、今年は高温が続いたので豊作だとのことでした。

記録によりますと、日本では千何百年もの間ずっと10アール当たり1.8俵くらいしか収獲できなかったお米が、明治の中頃になって3.5俵、昭和30年(1955年)になって5.5俵になり、現在は品種改良、肥料、農薬のお陰で安全で美味しいお米が安定的に10俵近くも収獲できるようになったのですから、科学技術の進歩は大変なものです。しかも農作業は私が学生だったついこの間までは、牛馬で耕したり、手で草取りをしたり、鎌で稲刈をしたり重労働でしたが、今は農薬と機械のお陰で人間を重労働から解放してくれました。

2010年8月28日土曜日

昨日から新聞でもテレビでも、死刑の是非を議論するきっかけとして、東京拘置所内の死刑刑場が初公開されたニュースを伝えています。支援者の一人から無期懲役について詳しい情報が載っているサイトを送っていただきました。かなり専門的ですが、無期懲役と終身刑との違いの説明もあります。
http://www.geocities.jp/y_20_06/index1.html
私のあるアメリカ人の友人(剣道の弟子)の弟は、何年も前に陸軍を除隊後40歳代で未成年(15〜16歳)の女性と恋愛関係になったことが女性の親に知られて訴えられ、終身刑(Life Term Imprisonment)3回という判決で今も服役中です。裁判を傍聴した友人たちの観察では、年齢的には未成年とはいえ、身体的には20歳代の成人女性にしか見えなかったとのことでした。どうやって終身刑を3回執行できるのかわかりませんが、アメリカでは未成年者に対する性的犯罪に対して厳罰が下されるということは、それだけそういう犯罪が多いということの裏返しかもしれません。

昨日届いた日本農薬学会誌の最新号に千葉大学時代の私の研究室を専攻して1982年(昭和57年)に大学院修士課程を修了したH君の総説が2篇掲載されていました。H君はその後千葉大学の薬学部で大学院博士課程を修了し、現在は千葉科学大学薬学部の教授をしています。私の研究室にいた時は、殺虫剤抵抗性の機構に関連して昆虫のカルボキシルエステラーゼという酵素について研究していましたが、農学から薬学に移ってからは哺乳動物やヒトのカルボキシルエステラーゼの分子多様性や基質特異性、遺伝的制御などを、医薬の副作用やプロドラッグデザインとの関連で研究してきたようです。
J. Pestic. Sci. 35(3), 218-228(2010)
Carboxylesterases: structure, function and polymorphism in mammals.
J. Pestic. Sci. 35(3), 229-239(2010)
Prodrug approach using carboxylesterases activity: catalytic properties and gene regulation of carboxylesterase in mammalian tissue.

元教師にとっては、サークル活動であれ研究室活動であれ、私のところを巣立った卒業生がこうしてそれぞれの分野で活躍しているのを見るのは何よりも嬉しいことです。

2010年8月27日金曜日

8月25日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は161,000円、延べ158名からの合計額は2,034,565円になりました。いつもお心に留めて下さってありがとうございます。

金原龍一著「31年ぶりにムショを出た-私と過ごした1000人の殺人者たち」を読み終わりました。無期懲役で服役している人達が何を考えて生きているかや、どういう日常生活をしているかなどがわかりましたが、一番よかったのは千葉刑務所の独居房の内部写真や刑務をする工場の写真があったので、市橋君がどういう環境に置かれているかがある程度想像できたことです。今はまだ適正な裁判を受けることが先ですが、いずれ裁判が決着後は、この本によれば決められた刑務と規則正しい生活を繰り返しながらも、スポーツをしたり、音楽をしたり、書道をしたり、本を読んだり、いろいろな機会がありそうですので、市橋君が前向きに生きる姿勢を持ち続けさえすれば自分を高めることは可能だという印象を受けました。

市橋君が千葉大学園芸学部の空手部で一緒に汗を流した仲間で、今は大学院を修了して東京農業大学で教員(助教)をしているH君に昨日農大キャンパスで偶然行き会いました。事件が発覚した当初、私のところにも警察が何回か訪ねてきましたが、私が当時の空手部員の名簿を提出しましたので、彼のところにも警察からの問い合わせがあったようです。しばし二人で市橋君の学生時代のことを思い出して立ち話をしました。

市橋君が勉強をしていた千葉大学園芸学部のある松戸市は人口約50万ほどの東京近郊都市ですが、大学は戸定ケ丘(とじょうがおか)と呼ばれる小高い丘の上にありますので森に囲まれた静かな場所にあります。彼がこの地を訪れることは当分ないでしょうが、多感な学生時代に何年間かを過ごした春夏秋冬の景色は市橋君の心の中に残っている筈です。

2010年8月25日水曜日

8月23日に振り込まれた方(6回目)の 支援金が届きました。これで支援金の現在高は160,000円、延べ157名からの合計額は2,033,565円になりました。ありがとうございました。「こんなに多くの支援者が市橋君にはいるという事を知ることができたら、どんなに心の支えになることでしょう。弁護士の方を通して知らせることができたら嬉しく思います。」というメッセージも添えられていました。

2010年8月24日火曜日

 支援者のお一人から、刑務所での生活の様子を知るのによい本を推薦していただきました。
金原龍一著「31年ぶりにムショを出た―私と過ごした1000人の殺人者たち」(株式会社宝島社)です。市橋君と同じ年齢の頃に強盗殺人の罪を犯して無期懲役の判決を受け、最初の9年を大阪刑務所、その後を千葉刑務所で服役し、最近出所した人とのことです。市橋君が服役する可能性が高い千葉刑務所だということと、浦島太郎のように31年ぶりに出所してすっかり変わった社会を見て人はどう感じるのか、大変興味深いので、早速amazon.co.jpに追加発注しました。

 ほとんど毎年のことですが、私は9月18日から10月9日までアメリカに出かける予定ですので、先方との連絡などその準備を始めました。ノースカロライナ州立大学やEPA(Environmental Protection Agency)やNIEHS(National Institute of Environmental Health Sciences)を訪ねて農薬の健康影響について情報交換をしたり、長年の友人達に会ったり、恩師の故W.C. Dauterman教授のお墓参りをしたり、オレゴン州在住の恩師の奥様を訪ねたり、カリフォルニア州在住の娘の家族のところに立ち寄ったりしてくる計画です。

2010年8月23日月曜日

 8月20日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は155,000円、延べ156名からの合計額は2,028,565円になりました。「・・裁判で事件の真相が明らかになり、市橋さんが更生へと早く歩み出すことができますように、願っています。」というメッセージも書いてありました。ありがとうございました。これを見ても、支援者は市橋君を単に犯罪者としてだけでなく、一人の人間として見てくれているということがわかります。

 一昨日の追記で紹介したブログ「刑務所体験作家 本間 龍の日記」
http://d.hatena.ne.jp/gvstav/20100814/1281798390
の著者の本間氏からメールをいただきました。東京拘置所に1年、栃木県の黒羽刑務所に1年収監されていたご自身の体験から、独居房の様子や、千葉刑務所では熱中症で死亡した受刑者がいるということや、市橋君の現在の処遇を改善するにはどうしたらよいかなど、助言をいただきました。あらためて上記のブログを訪問し、最新タイトルのいくつかを読ませていただきました。体験した人でなければわからない刑務所内での様子が垣間見えた気がしました。

 こんなことを考えるのはまだ早過ぎるかもしれませんが、裁判が終わって刑が確定(死刑ではないことを祈りますが)した後、市橋君は長い年月を服役することになるのでしょうから、その時に彼が社会から断絶された状態でなお自分を高める生き方ができるためにはどういう支援ができるかを考えるために、刑務所内での生活がどういうものか知りたいと思いました。ちょうど本間 龍氏の書かれた”「懲役」を知っていますか?有罪判決がもたらすもの”(学習研究社)の宣伝が上記ブログのページに載っていましたので、はじめにと目次とサンプルページと終わりにを試読の上、amazon.co.jpで発注しました。

2010年8月21日土曜日

 8月19日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金現在高は135,000円、延べ155名からの合計額は2,008,565円になりました。ありがとうございました。今年の2月20日に募金活動を始めた当初は、何とか100万円くらいが集まれば裁判費用の一部を支援して少しでも市橋君に適正な裁判を受けさせられると思っていましたが、6ケ月で200万円を達成しました。交通事故の遺児の育英資金とか、地震や洪水の被害者の救済とかの募金だったら理解が得られやすいのですが、市橋君のような強姦と傷害致死の被告人を何故支援するのかという難しい状況下で(そのために匿名希望者が多い)、よく振り込んで下さったと思います。皆さまのお陰で、弁護団の裁判活動が支えられています。

 8月16日の追記でお知らせしました千葉刑務所内での受刑者(未決囚)の自殺のニュースは、私を含めて多くの人にとってショックでした。何故そういうことになったのか多くの人が疑問を抱いた筈ですが、支援者の一人が詳しい情報を見つけて送ってくれました。
http://d.hatena.ne.jp/gvstav/20100814/1281798390

 精神疾患のため公判停止のままで17年間も独居房に収容されたままになっていたようです。心神喪失状態だったとはいえ、強盗殺人の被告人ですから無罪放免はできないでしょうが、弁護人が要求したように医療機関に移して治療を受けさせた上で受刑させる措置はとれなかったのか、裁判所と地検の責任が問われているようです。

2010年8月20日金曜日

 8月17日に振り込まれた2名の支援金が届きました。これで支援金現在高は125,000円、延べ154名からの合計額は1,998,565円になりました。ありがとうございました。

 1名(3回目)からの払込取扱票には、市橋君宛の「精神的に辛く厳しい環境ですが、置かれている立場をしっかり受けとめ、弁護士さんを信頼・感謝して、自分自身でしか出来ないことを導いて(見つけて精進して?)下さい。どんな状況でも市橋達也さんを信じて見守っています。」というメッセージが書いてありました。

もう1名(7回目)からはメールでのお便りと、「・・市橋さんは現在も私物の管理を制限されているのでしょうね。先生のサイトのコピーを目にしているのであれば、決して一人でない事が分かると思いますので、逆境にくじけず、裁判を迎えてほしいと思います・・」というメッセージをいただきました。

 多くの支援者は、取り返しのつかない間違いを犯した市橋君に、心から反省し、潔く裁判を受けて罪を償い、それでいて魂を失わないように現在の自分が置かれている環境下でできることを見つけて、自分自身を高めてほしい、と願っているのだと思います。今は許されないけれども、できることなら母親が我が子を抱きしめるように、孤独な冷えた心を温めて励ましてあげたいのだと思います。世の中の人皆が市橋君を冷たい目で見ているのではなく、母親や父親のような思いで見守っている人がたくさんいることを知ってほしいのだと思います。

2010年8月19日木曜日

支援者の方から8月17日に行われた第3回公判前整理手続に関して毎日新聞の有料サイトに記事が載っていたとのご連絡をいただきました。

 弁護側は起訴罪名を否認し、強姦と傷害致死を主張。菅野泰弁護士によると市橋被告は捜査段階から殺意や性的暴行の結果による死亡を否定しており、検察官調書も証拠申請するという。また、菅野弁護士は『(強姦致死罪の立証に必要な)強姦と死亡が時間的に近いことを示す証拠が検察側から出てきていない』とも批判。弁護側は法医学の専門家に検死結果や司法解剖結果の分析を依頼するという。
 弁護側によると市橋被告も出席したが、終始無言だったという。次回手続きは9月3日の予定。

菅野弁護士からはまだ支援金をお届けする日程調整のご連絡は届いていません。お二人の支援者からは、支援金を振り込んだというお知らせをいただきました。

2010年8月16日月曜日

明日は第3回公判前整理手続が開かれる予定ですので、どういう展開になるのか、多くの方々が注目をしておられます。菅野弁護士に、その後振り込まれた支援金をお届けする日程調整をお願いしました。その機会に、市橋君の最近の様子などわかりましたら皆さまにお知らせ致します。

ある支援者が、千葉刑務所の独居房の男性が私物の箸で目を突いて自殺したというニュースを送ってくれました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/100809/crm1008091808009-n1.htm

どういう罪を犯してどういう状況だったのかはわかりませんが、そこまで追い込まれた絶望的な心境を想像してゾッとしました。刑務所というのは、罪を償わせて更生させる場所の筈です。私たちの想像を超える厳しいストレスの中で生きなければならないのでしょうが、市橋君が生きる希望を持ち続けてくれることを祈ります。

2010年8月14日土曜日

 今日はアメリカからのお客さんを上野の東京国立博物館と国立西洋美術館にお連れしました。博物館では、「誕生!中国文明」という特別展もやっていましたが、常設の「日本文明」「韓国文明」「西アジア文明」の展示や、「法隆寺の宝物」の展示も見ごたえがありました。何時間も歩いたので足が棒のようになりましたが、せっかくの機会なので欲張って美術館にも足を運びました。ここでも、よくもまあこれだけ集められたと感心するほどヨーロッパの古い絵画が展示してあり、美術をやる人にはたまらないだろうなと思いました。

 それから新宿に移動し、新宿住友ビル48階にある平和祈念展示資料館に行きました。ここは私自身が行ってみたかったところですが、広島の原爆ドームの続きとしてアメリカ人にも是非見てもらいたかったところです。広島と違って、パンフレット以外は日本語の説明しかなかったのはちょっと残念でした。戦争中に徴兵されて家族に見送られて海外の戦地に送られた若者の写真や、満州や朝鮮や台湾からの引き揚げの様子の写真や、シベリア抑留の写真や、当時の衣服や、列車や収容所の模型などもあり、涙なしには見られませんでした。特に朝鮮からの引き揚げ者が、小さい子供を背負ってソ連兵に見つからないように山道を何日も歩いて南北を分断した38度線を必死に越える写真には、まるで自分自身の姿を見るようでした。1945年の終戦当時3才だった私は、齢の離れた長姉や親戚縁者に負ぶわれて脱出し、もう少しで残留孤児になるところだったと聞かされていましたので、親や家族がどんなに苦労して私を守り育ててくれたかを思うと、心の底から感謝の気持ちが湧いてきました。
 引き揚げ船の中で、日本に到着する前に病死して水葬された夫に別れを告げるために海をじっと見ている妻と小さい子供の写真には、運命の残酷さを感じました。

 日本人が戦争中に海外の人達にした残虐な行為も忘れてはいけませんし、日本に連行されて強制労働させられた海外の人達がその後も政治に翻弄されていまだに中途半端な立場に置かれている現実もあります。結局、戦争が、普段は理性のある普通の人間を非人間(動物)に変えてしまうのでしょう。

 平和祈念展示資料館で見たものは、アメリカ人のお客さんにも、今まで片方の側からだけ見てきた(アメリカ政府の説明でそう見させられてきた)ことには別の面があるということを気付かせた筈です。戦争に勝ったとか負けたとかではなく、犠牲者が何人とかではなく、その一人一人に大切な家族がいたということ。

2010年8月13日金曜日

8月10日に1名(4回目)からの振り込みがありましたので、支援金の現在高は117,000円、延べ152名からの累積額は1,990,565円になりました。メールでのメッセージもいただきました。ありがとうございました。

アメリカから来日中のお客さんの旅行に同行して、9日から列車で広島の平和記念公園、島根県の出雲大社、富山県の黒部峡谷を周って昨夜帰宅しました。滞在期間が短いので駆け足の旅行でしたが、いずれも日本を代表する場所でしたので、喜んでもらえました。長い時間、列車の窓から移り変わる日本の景色を眺められたのもよかったようです。

広島では、数日前に開催された慰霊祭に参加した総理大臣や国連事務総長らが献花した生花の花輪がまだ飾ってありました。広島平和記念資料館では原爆投下による悲惨な状況を示すいろいろな資料を見ながら、原爆の残虐さに胸を詰まらせていました。以前どこかで「はだしのゲン」というマンガの英語版(Barefoot Gen)を一冊読んだら、涙がとまらなかったと言っていました。アメリカでは、原爆投下は戦争を早く終結して犠牲者を少なくするためにやむを得ない正当化される行為だったと教えられてきましたが、自分たちは本当のことを知らされていないのではと思ったようです。自分でも、10巻くらいある「はだしのゲン」の英語版の中から2巻買っていましたが、私も日英両国語で解説のある図録「原爆の絵」(岩波書店)や、英文のEleanor Coerr ・ Ed Young著「SADAKO」Puffin Booksや、その他の本を買いました。移動する列車の中でページをめくりながら、私も胸が締め付けられました。この中の何冊かはアメリカに持って行ってもらって、核兵器が正当化されると信じている友人達に渡してもらうつもりです。世界中の政治のリーダーには、全員一度は広島平和公園を訪ねてもらいたいと思いました。

出雲大社では、チェーンソーもクレーンもトラックもなかった千何百年前の古代にいったいどうやってこんなに巨大な木造の神殿を作れたのかあらためて圧倒されましたが、もっと驚いたのは、大社の裏側の北山の松がマツクイムシの被害で無残に枯れていることでした。2~3年前に見た時は枯れた松は数本くらいでしたが、薬剤散布を中止してわずか2年でこんな状態になっているとは・・・。境内と参道の巨木だけは殺線虫剤の樹幹注入で守られていましたが。

黒部峡谷では、宇奈月温泉から欅平(ケヤキダイラ)までトロッコ電車に乗って片道1時間半くらい、谷を流れる黒部川と両側の高い山の景色を楽しみました。私は50年くらい前、まだ黒4ダムが建設中の時に関西電力の技術者の案内で見学させてもらったことがありますが、その当時は工事用のトロッコに乗せてもらった記憶があります。事故で亡くなった人もいた筈ですが、発電と治水のためにこんな山奥にまでダムを作る人間の技術はたいしたものだと思いました。今は、ダム建設は環境影響や採算性など複雑な問題で、政治的課題になっているようですが。


2010年8月7日土曜日

 支援者から、市橋君の状況を心配したメールが届いています。昨日、電車の中で隣に座った若い男性が膝の上に広げた本を一生懸命読んでいるのでチラッと見たら、「逮捕と起訴の手続」というような見出しが見えましたので、司法試験の勉強をしている法学部の学生か卒業生だったのかもしれません。市橋君との関連で、こんなことも気になるようになりました。

 報道によると、市橋君はリンゼイさんを強姦した後、一緒にキング牧師(Martin Luther King, Jr.)の演説を聞いたと証言しているようですが、1963年8月28日にワシントン大行進でした有名な ”I Have a Dream" だったのでしょうか。

 実は私のアメリカ人の空手の弟子・友人の一人に、私と同年輩のN弁護士がいます。アメリカ南部出身の白人男性ですが、有名なミシガン大学の法学部の卒業で、アメリカの知性・理性を代表すると思って私が尊敬している人間の一人です。今でも時々、ノースカロライナ州の地方新聞に国民の大多数の感情や政府の見解とは異なる意見を投稿して掲載されたりしています。キング牧師は1929年に生まれて1968年に暗殺されていますが、1965年頃には深南部と言われて、保守的で、人種差別の厳しかったアラバマ州で、人種差別撤廃を求めて、非暴力的な公民権運動を展開しました。N君はその時にキング牧師と一緒にデモ行進に参加していたと聞きました。今計算してみると、当時は22~23才の筈ですから、まだ法学部の学生か司法試験(Bar Test と言います)に合格したばかりの年齢です。1960年代にアメリカの深南部で、白人が黒人と一緒にデモ行進をするというのは、どこから鉄砲の弾が飛んできてもおかしくないくらい危険な勇気のいる行動でした。ちなみに、私が1969年にノースカロライナ州(ここも南部に属します)に留学した時は、スミスフィールド(Smithfield)という田舎の町の境界には、高速道路脇に"Welcome to K.K.K. County"(K.K.K. 地域へようこそ)という大きな看板が立っていました。K.K.K.というのは、ご承知のように、Ku Klux Klanという白人優越主義者のテロ行為をしていた集団のことです。

 2~3の支援者にはすでに話しましたが、昨年の11月初旬に市橋君がまだ生きていることがわかった時に、私はあるテレビ局の番組や本Webサイトで自主的に出頭するように呼びかけました。その後用事があってノースカロライナ州に出かけましたので、N君をはじめ何人かのアメリカ人の親しい友人に市橋君の適正な裁判を支援する募金活動を始めることを話しました。驚いたことに全員が、止めた方がいいという忠告をしました。どこの国でも社会には何%かは理性の働かない狂信的な人がいるので、賛成・反対に2分されるようなことの一方を支持するような活動を顔を表に出してすれば、攻撃の的を提供するようなもので危険だという理由でした。アメリカのような銃社会では、暗殺事件を何回も経験してきているからでしょう。アメリカの良心を代表するようなN君ですらそういう考えをしたということはちょっと驚きでしたが、恐らく長年の友人の私の身を案じてくれたのだと思いました。

2010年8月4日水曜日

 8月2日に振り込んで下さった方(5回目)の支援金が届きました。支援金の現在高は107,000円、延べ151名からの合計額は1,980,565円になりました。「6月に失業してしまったため、しばらく支援ができませんでした。新しい仕事を見つけたので微々たる額ですが寄付させていただきます。・・凄く暑いので市橋さんの体調が心配です。」というメッセージもいただきました。ありがとうございました。この方も含めて、支援者の中には、ご自身の生活が大変なのに、そんな中から生活を切りつめて支援金を送って下さっている方々がおられます。市橋君が適正な裁判が受けられるように、弁護団にがんばっていただきたいからだと思います。本当にありがたいことです。 

 秋葉原無差別殺傷事件の第19回公判が昨日開かれ、被告人質問が終わったとのことで、このような事件が何故起こったかを理解する上で被告の生い立ちや性格などに注目が集まっているようです。被告人は、インターネット掲示板に依存していた自分を異常だったと述べたとのことで、犯行に及んだのには掲示板上の嫌がらせに対する「警告」という動機もあったとのこと。長い時間をパソコンの前に座って、掲示板に書き込みをしたり、それに対する批判的な書き込みに対してさらに書き込みをしたり、そういうことでのみ自己の存在を確認したり主張したりしているいわゆるネット中毒の若者がたくさんいるのでしょう。自分の本当の顔を出さずに、別の人格のような顔をして書き込んだことに多くの人が反応してくれることが一種の自己満足(快感)を与え、それに対して批判的な書き込みがされると、本気になって怒ったり傷ついたりして、その恨みを晴らすために無差別殺傷事件を起こしたというのでしょうか。

 無限の時間と無限の空間の中で、せっかくこの世に生を受けたのですから、部屋の中に閉じこもって、パソコンの前に縛られて、あたかもそれだけが世界であるかのような錯覚に陥ってしまうのはもったいないと思います。思い切って一歩外に踏み出せば、そういう若者を必要としている世界や活躍できる分野がたくさんある筈なのに・・。自分自身に縛られている若者には、誰かが肩を叩いて外の世界に出ようよと言ってやったり、手をとって一緒に歩いてあげることが必要なのかもしれません。

 アメリカから里帰りして42日間同居していた娘の家族が昨日成田空港から帰国しました。空港でチェックインするために並んでいたら、ハーフの子供を連れた家族が何組も目につきました。終戦直後は、進駐軍(アメリカの占領軍)と日本人女性の間にできたハーフの子供は”合いの子”と呼ばれて、学校などでもいじめの対象になることもありました。中には、それが嫌でアメリカに移住した人たちもいました。今はそんな雰囲気は全くなくなりました。日本とアメリカ(他の国でも同じですが)の両方を母国として、日本語と英語の両方を自由に使って、両方の国の文化を吸収して、将来世界平和のために貢献するような人間に育ってほしいと期待しています。私の孫も来るたびに大きくなって、今年はちょうど7・5・3でしたが、来年の夏に来る時はまた一段と大きくなっていることでしょう。義理の息子の実家に里帰りする時は、どうも自分たちとは少し毛色が違うと言われているそうです。赤ん坊だった時は、お尻の周りが青くなる蒙古斑があったので、青いあざだと思って驚いたそうです。こちらはこちらで、どうも日本人の子供とは少し顔立ちが違うような・違わないような、と言っています。

2010年8月2日月曜日

 農大の事務に学生アルバイト募集の掲示をしてもらったら、4人の申込みがありましたので、先週の金曜日に2名に説明会をし、今日は1名に説明会をしました。私が名古屋大学の大学院生だった時の3年半、アメリカのノースカロライナ州立大学での約10年、千葉大学での約30年の間に蓄積した論文の別刷やコピーが約1万4千点あり、物理的に保管するスペースがないので、コピー機でスキャンしてデータベース化する作業です。この中には、私のノースカロライナ州立大学時代の恩師の故W.C.Dauterman教授から相続したものも含まれます。私自身がこれらの論文を読み直すことはもうほとんどないでしょうが、データベース化しておけば、私と同じような分野で研究をしようとする研究者が必要に応じて著者名や論文タイトルやキーワードでいつでも簡単に検索してパソコン上で論文を読めるようになるからです。私が学生だった頃はまだ、光に当たるとだんだん薄くなって消えてしまう青焼きでコピーをとって論文を読んでいたのですから、大変な進歩です。その当時は、実験データなども、3回実験して得られた測定データの平均値をソロバンで計算し、計算間違いがないか確認するためにソロバンの計算も3回やり直したりしていました。アメリカの大学の研究室でも、故W.C.Dauterman教授が試薬を何g量って何ℓの水に溶かすかを計算するのに、掛け算・割り算を計算尺でやっていた時代です。

 朝日新聞の日曜版には書評欄があるのでたいてい目を通していますが、昨日は逢坂 剛の書いた山平(ヤマダイラ)重樹著「裁かれるのは我なり-袴田(ハカマダ)事件主任裁判官 三十九年目の真実」(双葉社)の書評が載っていました。静岡県で発生した殺人事件の犯人として逮捕された人が死刑の判決を受けて現在もまだ服役中ですが、その一審における主任裁判官を務めた人が個人的には無罪の心証を抱きながらも、3人の裁判官による合議制で有罪と決定したために、心ならずも死刑判決文を起草するはめになったそうです。その葛藤から裁判官をやめ、強い自責の念と戦いつつ弁護士業に専念してきたが、ついに原判決から39年後に、心情を公に吐露するはらを決めたのだそうです。検察官が無理を通そうとして冤罪事件が起こり得るという認識はありましたが、裁判官が無罪と思いつつも有罪判決文を書くことがあるのかと、驚きでした。早速、松戸の駅前に行ってその本を買ってきました。すぐ横に、三井 環(タマキ)著「検察の大罪-裏金隠しが生んだ政権との黒い癒着」(講談社)という本が並んでいたので、ついでにその本も買ってしまいました。著者は元大阪高検公安部長だそうですが、検察も必ずしも真実だけを追及するのではないとしたら、国民が信頼している日本の司法制度の実態はいったいどうなっているのだろうという疑問が湧いてきます。
 今まで私はこういう本には興味がありませんでしたが、市橋君の事件の第3回公判前整理手続きは8月17に予定されているとのことですので、日本の司法制度を理解するために、時間のある時に少しずつ読んでみようと思っています。