2010年10月22日金曜日

昨日の夕方松戸に帰ってきました。初めての方から支援金を振り込んだとのメールが届いていました。ブログを欠かさず読んで下さっているとのことありがとうございます。今まで躊躇していたけど、支援金によって検死報告書の再鑑定も可能になり、結果として検察側が死亡推定時刻について主張を変えざるを得なくなったということから、支援金は適正な裁判を可能にすることを認識されたとのことでした。支援金は振り込まれてから届くまでに2日かかりますので、月曜には届くでしょう。

岡山県での松枯れと松茸の視察旅行はわずか一泊二日でしたが、大変有意義でした。ヘリコプターで松くい虫防除の薬剤散布をしている山は元気な松が再生して松茸も発生し、薬剤散布をしていないところは、元々この地方の自然植生で純粋な松林だった山の松が松くい虫の被害で枯損して全滅し、他の雑木に置き換わっているということをこの目で確認し、写真や映像も撮ってくることができました。松かさがはじけて出てくるアカマツの種子は小粒で羽がついているので、風で分散するそうです。高梁(たかはし)市の山のように隆起してそれほど時間が立っていない山の土地は痩せているので、痩せた土地でも育つ松が自然に優先種だったようです。

谷底に位置する川沿いの道からは見えない両側の山の頂上には昔からの集落が存在し、野生動物と戦いながら農業をしていました。終戦で朝鮮から引き揚げてきた私の父(その後ブラジルに移住)が、宮崎県須木(すき)村の山を開墾してサツマイモを作っていた時に猪との戦いだったのを思い出しました。岡山県高梁市上布賀(ふか)の人々は、今でも猪、鹿、ハクビシン、ヌートリアと戦いながら米や野菜や果物の生産をしていました。

なお案内してくれた知人によると、軍国主義時代の中学の教科書に「キクチコヘイハテキノタマニアタリマシタガ、シンデモラッパヲクチカラハナシマセンデシタ」と書かれた日露戦争の英雄「木口子平」は、途中、成羽(なりわ)川沿いの山の中腹に4~5軒の屋根が見えた集落の出身だったそうです。こんな小さな山村の出身の若者が戦場に送られ戦死したことは、戦争がいかに馬鹿げたことかを思い起こさせます。