2011年1月29日土曜日

支援者のお一人から本の紹介がありました。鈴木伸元著「加害者家族」(幻冬舎新書) 今回の事件についても少し触れられているところがあるとのことです。この本については、他の支援者からも読んだというメールを以前いただきました。

同じ方から、出版された市橋君の手記について、WEB本の雑誌というサイトに載っている杉江松恋氏の書評が比較的好意的との情報提供もいただきました。早速見てみました。現在置かれている立場の市橋君が何故この手記を書いたのか、動機を推察してありました。書評家ですから、一歩下がった位置から解析しようとするのは当然でしょう。

元教師にとっては市橋君は第三者ではなく、元学生で、いわば自分の子供のような身内ですから、見方は当然異なります。

このブログに、支援者のメッセージを紹介することや、支援活動とは関係のない私個人のことを書くことの是非については、反感や逆効果という意見もあるでしょうが、お会いしたことも直接お話したこともない支援者の多くと私とのコミュニケーションと、支援者に他の支援者が何を考えているか知っていただくという意味もあってそのようにしています。

2011年1月28日金曜日

1月26日に振り込まれた3名の方(3回目、12回目、11回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は128,000円、延べ219人からの合計額は2,686,565円になりました。

各々の支援者からのメッセージもありました。
「ニュースで「手記」が出版されたことを知り、すぐ予約しました。私自身、市橋達也さんの事件後の行動をきちんと知りたいということ。そして、何より「弁償金」にあてたいという思い、また、御両親への思い、を私は理解できます。適正な裁判・判決が受けられますよういつも祈っております。」
「今日は出版日なので、私の気持ちをエールとともに送金します。それと、?レでの心ない発言に心を痛めております。本山先生、ご多忙とのことで、寒さの折御身大切になさって下さい。」
「今日、市橋さんの手記を購入させて頂きました。昨日はいろんなテレビ番組での手記文章のピックアップには、悪意を感じ本当に腹立たしさを覚えました。私は心から公正な裁判と適正な判決をせつに願い祈ります。市橋さんはオーハ島で餓死するつもりだったようですが、逮捕されました。私はきっと神さまが彼を生かしてくれたのだと思います。もう一度更生し、人生をやり直す機会を与えて下さる・・・そう信じます。先生、お体をご自愛され、今後もお元気でいて下さい。」

発売されてすぐ本屋に行ったけど、売り切れでどこにもなかった、注文して次に来るのは2週間後と言われたとメールでのメッセージもありました。

今日は「週刊女性」から電話での取材がありました。昨年の12月にも取材に来られた編集部員です。主な質問は、「手記の出版を聞いてどう思ったか」、「読んだ感想はどうだったか」、「手記が適正な裁判を妨害すると思うか」でした。私の意見をお伝えし、その他の若干の話題についてもお話しました。来週火曜日(2月1日)発売号に掲載予定だそうです。

ネット上では、前回のリンゼイさんのご両親宛の謝罪文の時と同様に、何故この時期にとか、裁判を有利にするためだろうとか、批判的なコメントが書きこまれているとのことですが、元々市橋君に反感を持っている人は、市橋君と弁護団が何をやっても、何を言っても、ひねくれた見方しかできないのでしょう。私は、市橋君が謝罪の気持ちを精一杯の行為(印税で被害者遺族に弁償金を払う)で示したものと素直に受け止めました。

書かれていた内容も、アメリカで昔放送された「逃亡者(The Fugitive)」というテレビドラマを連想させました。リチャード・キンブルという医師が留守中に奥さんを何者かに殺害され、犯人と疑われて逃走しながら真犯人を探すというストーリーです。市橋君の場合とは違いますが、交番やパトカーや、周りの人のちょっとした言動に怯えては逃げ出した時の市橋君の心境を思うと、胸が痛みました。2年7ケ月で身柄を拘束されて、そんな惨めな生活をしなくて済むようになり、本当に良かったと思います。青森に行ったり、新潟に行ったり、九州に行ったり・・、沖縄のオーハ島での生活の様子は、子供の時に読んだ船が難破して孤島で一人で28年間生き延びたロビンソン・クルーソーの話を連想させ、市橋君の強靭な体力と精神力を表していると思いました。

市橋君も弁護団も印税を自分の収入や弁護活動費に充てることはないと明言しているのですから、その気持ちも素直に受け止めたいと思いました。

2011年1月25日火曜日

1月23日に振り込まれた方(7回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は103,000円、延べ216人からの合計額は2,661,565円になりました。ありがとうございました。

大阪府から携帯でメールを頂いた方に2回返信しましたが、2回とも届かずに戻ってきてしまいました。以前も同じトラブルがありましたが、携帯のメールの設定を変えて頂かないと返信は不可能です。こちらからは他に連絡の方法はありません。

菅野弁護士の事務所を訪ね、石田弁護士も同席して、一昨日の夕方からテレビで報道された市橋君の手記が出版された経緯を伺ってきました。以前、リンゼイさんのご両親宛の謝罪の手紙がイギリスの新聞に掲載された時も、日英両国で批判を浴びましたので、今回はずい分気を使って慎重に対応されている印象を受けました。元々は、市橋君が民事裁判で被害者遺族から損害賠償を請求された時にご両親(市橋君の)には絶対に迷惑はかけたくないということから、刑務所の中にいて収入を得る方法として本の出版を考えたようです。昨年9月頃に幻冬舎という出版社から手記出版の提案があり、それに弁護団が協力して実現したようです。当初は1月28日にテレビ朝日と週刊新潮がアナウンスし、1月末に出版予定だったのが、あらかじめ警察に連絡をしたら情報が漏れてしまって、一昨日の放送になり、本の発売も早まって明日26日に全国の書店にならぶ予定だそうです。私は一日早く一冊頂いてきました。


(クリックすると拡大できます)

本の最後のページに、「本書の出版で印税を得ることがあっても、僕にそれを受け取る気持ちはありません。リンゼイさんのご家族へ。それができなければ、公益のために使っていただければ幸いです。」と記されています。市橋君ができる謝罪の具体的行為なのでしょう。弁護団も、「弁護活動費用に充てる意図は一切ない」というコメントを公表しています。
1,300円の本を初版は3万部印刷するそうですが、売れれば増刷し、仮に10万部売れれば8%の印税は1千40万円になります。十分ではないかもしれませんが、経済力のない市橋君がリンゼイさんのご遺族に弁償金を払える唯一の方法です。できるだけ多くの方が購入して下さることを期待します。
     (クリックすると拡大できます)

1月11日に行われた第11回目の公判前整理手続では、検察側の主張する事実と弁護側の主張する事実がほぼ95%出そろったので、1月31日に予定されている第12回目の公判前整理手続までに、それらを裁判所が整理し、残りは、情状関係の資料があれば弁護側が提出するという段階だそうです。お互いの言い分の整理、争点の整理ができて、審理計画(公判の1日目に何を審理し、2日目に何を審理する・・など)を立て、実際の公判は6月下旬~7月中旬に行われる見通しとのこと。公判は約10日、その後評議(裁判官と裁判員の相談)が約3日で、その後判決となるそうです。
リンゼイさんのお父様と一緒に来日する指定弁護士は、日本とイギリスの両国で弁護士資格を有する日本人の絹川というお名前の弁護士だそうです。

市橋君の精神状態は、過去には弁護団が接見に訪れた時にかなり不安定(特定の話題について激高する)な時もあったようですが、現在は普通とのことです。市橋君自身は出来あがった本を見ていないそうですが、昨年12月末頃に書きあげて、やりとげたという一種の達成感はあるのではと想像します。事件そのものについて触れていないのは、これから裁判が行われるのだからという弁護団の指示によることのようです。

2011年1月24日月曜日

このところ毎日いろいろなことに追われていて、ブログの更新ができませんでした。昨日の夕方頃から急にテレビで、市橋君が獄中で書いた手記が出版されるというニュースと逃走中に沖縄の島で暮らしていたというニュースが流れ、私のところにもいくつかのメディアから取材の電話がありました。支援者の方々は気になっていることと思いますが、明日は菅野弁護士とお会いすることになっていますので、前回の公判前整理手続の様子や、手記の出版のことや、最近の市橋君の精神的状況など、皆さまにお伝えできると思います。
(支援者のお一人から本はすでに発行されたという情報が届きました。ありがとうございました。)http://news.www.infoseek.co.jp/society/story/24kyodo2011012401000728/

ある雑誌から今月末が締め切りで依頼されていた原稿「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響 1.群馬県と静岡県における事例」は、今日完成して発送しました。私は、最近は農薬の環境影響に焦点を絞って研究活動をしていますが、3月に開催される2つの学会では次の6題の発表をする予定で、やっと講演要旨を全部提出し終わりました。

1.有人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
  調査:長野県千曲市における2009年の事例
2.無人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
  調査ならびに経皮・吸入暴露量測定:新潟県新発田市における
  2009年の事例
3.無人ヘリコプターで松林に散布されたアセタミプリド液剤の飛散
  調査ならびに経皮・吸入暴露量測定:長野県駒ケ根市における
  2009年の事例
4.有人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
  調査-長野県千曲市における2010年の事例
5.有人ヘリコプターで松林に散布されたフェニトロチオンMCの飛散
  調査-長野県駒ケ根市における2010年の事例
6.水田に航空散布されたシラフルオフェンの飛散と生態影響:有人
  ヘリコプターと無人ヘリコプターの比較

先日現地視察に行ってきた島根県出雲市の松枯れ状況は、予想をはるかに超えた悲惨な被害状況でした。ヘリコプターによる薬剤散布が農薬反対グループの活動で中止に追い込まれてわずか2年で、出雲大社の周辺の山の松は松くい虫で枯れて全滅に近い状況でした。このままでは、観光資源が損なわれただけでなく、大雨で山の地滑りが起これば麓に位置する住宅地が押し潰され、人命も失われる危険性があるという恐れから、地元の住民が薬剤の空中散布の再開要望書を市長と市役所に何回も提出して、住民の署名活動もやっていました。地元住民からの聞き取りや、写真撮影や映像撮影もしてきましたので、後日もっと時間の余裕ができた時に詳しく書きたいと思っています。

2011年1月17日月曜日

多くの支援者が、1月11日に予定されていた第10回公判前整理手続の様子や市橋君の最近の様子など気になっていると思いますが、私自身が今月末が締め切りの依頼されている雑誌の原稿「松くい虫防除で散布された薬剤の飛散と健康影響」の執筆や、2月に予定されているいくつかの講演の準備や3月に予定されている2つの学会での講演の準備などで追われていて対応ができません。来週火曜25日には菅野弁護士の事務所にお伺いすることになりましたので、その後で皆さまにお伝えできる筈です。

今日は、社団法人日本植物防疫協会主催のシンポジウム「ポジティブリスト制度後の5年間」が東京の日本教育会館「一橋ホール」で開催され、私も聴講してきました。大変有意義な講演がたくさんありましたので、紹介したいのですが、今は超多忙で時間がありませんので、後日にします。

明日は、朝一番の飛行機で島根県出雲市に飛んで、一泊二日の予定で出雲大社の裏の北山の松枯れ状況の視察と、写真撮影・映像撮影をしたり、私が眼のかゆみの本当の原因と推察しているイネ科雑草の花粉の飛散時期を予測する気象データの入手その他をしてきます。ヘリコプターによる薬剤散布が中止に追い込まれたために、この2年間で松枯れが酷い状態になって、地元の多くの住民が大雨時の土砂崩れ災害を恐れてヘリコプターによる薬剤散布再開を市に申し込んだそうですので、実態を見て、できたら住民の話も聞いてこようと思っています。

2011年1月14日金曜日

1月12日に振り込まれた方(9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は93,000円、延べ215人からの合計額は2,651,565円になりました。ありがとうございました。昨日、メールでのメッセージも届いていました。「・・昨日、市橋君の支援金振込みました。寒さ厳しい折、人混みへ出かけられることが多い先生、インフルエンザ等に気をつけられますように… 市橋君がどんな判決がくだっても希望を失いませんように  できる限り支援を続けます!」 この支援者は大きな息子さんをお持ちのお母さんですので、市橋君のことが自分の息子のことのように気になるのでしょう。

私は昼休みにいつものように東京農業大学の桜丘アリーナと呼ばれる立派な体育館の中のトレーニングルームでストレッチと筋力トレーニングをした後、外に出て大学の周囲をジョギングしました。このところ運動不足で息が切れて情けない状態ですが、それでも汗を一杯かいてシャワールームでシャワーを浴びて外に出た時は、気分爽快になります。大学のキャンパスは、冬休みから帰ってきた大勢の学生諸君で賑わっています。仲間と雑談しながら教室に向かったり、生協に向かったりしている彼らの姿を見ながら、各々の夢に向かって生きている若者にがんばれよというエールを送りたくなります。

2011年1月12日水曜日

1月7日に振り込まれた方(11回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は83,000円、延べ214人からの合計額は2,641,565円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただきました。「支援者の方々のメッセージを読むたび暖かさに涙が出ます。いつも市橋君の母親の気持になります。神は乗り越えられない試練は与えないと聞きます。体には充分気をつけて生活して下さい。弁護団の方々よろしくお願いします。」

折しも、マンガ「タイガーマスク」の主人公・伊達直人を名乗って児童養護施設にランドセルを送った人に続いて、全国各地で恵まれない子供達のために匿名のプレゼントが届いているとのこと。社会には、他人の痛みを共感して、少しでも何かをしてあげたいと思って下さる方がたくさんおられるのでしょう。

今日は東京農工大学名誉教授で昔からの研究者仲間のA先生を訪ねました。A先生はブラシノステロイドと呼ばれる植物ホルモンの研究のパイオニアのお一人ですので、私達が取り組んでいる研究テーマの一つに関連してブラシノステロイドの性質や分析方法について教えていただきました。ついでに、府中にある東京農工大学農学部の構内を案内してもらいました。
学会の時など、この大学に来たことは何回もありますが、案内付きでゆっくり回ったのは初めてでした。

構内には大久保利通の石碑が立っていて、よく見ると次のような開学の歴史が刻まれていました。「明治の元勲・大久保利通公が明治7年に当時の内藤新宿に農事修学場を置き、明治10年に駒場野に移して駒場農学校として開校したのが現在の東京大学農学部の前身である。東京農工大学農学部は、東京帝国大学農学部実科を前身として、昭和10年4月にこの地に東京高等農林学校として独立した。」 構内には新しい施設の他に、古風な様式の建物(登録有形文化財指定)や大木もあり、歴史を感じながら散策しました。


古風な建築様式が保存されている東京農工大学の建物

2011年1月9日日曜日

私のところには、ちょっと前にアメリカのNIEHS(国立環境健康科学研究所)に勤務していたMiss Janet Guthrieの訃報(Obitual Notice)が届きました。卵巣がんで59才で亡くなったとのこと。昨日がお葬式(Memorial Service)だった筈です。

Janet Guthrie, 59, died Thursday December 16, 2010 of ovarian cancer.
・・・・
In lieu of flowers, Janet asked that donations be made to one or more of the following: The Frank E. Guthrie Memorial Scholarship, College of Agriculture and Life Sciences, Campus Box 7645, NSCU, Raleigh, NC 27695-7645; Hospice of Wake County, 250 Hospice Circle, Raleigh, NC 27607; SPCA of Wake County, 200 Petfinder Lane, Raleigh, NC 27603.
・・・・

Janet さんは献花の代わりに、次のいずれか又は複数に寄付をして下さいと要請しました。①ノースカロライナ州立大学農学・生命科学学部のFrank E. Guthrie 記念奨学金 ②ノースカロライナ州ローリー市ウェイク郡ホスピス ③ウェイク郡のSPCA(Society for the Prevention of Cruelty to Animals 動物虐待防止協会) http://www.spcawake.org/site/PageServer

私は現地の友人(Margie さん)を通して、①のF.E. Guthrie 記念奨学金に100ドルを寄付するように依頼しました。この奨学金はF.E. Guthrie先生が亡くなった時に、先生の遺言で、毒性学を専攻する大学院生を経済的に支援する目的で、多くの人から献花の代わりに寄せられた寄付で設立されたものです。
Janet さんは、私が約10年間勤務していたノースカロライナ州立大学のFrank E. Guthrie 教授のお嬢さんで、1982年に京都で第5回国際農薬化学会議が開催された時に車椅子のF.E. Guthrie 先生に付き添って来日したのを思い出します。③を寄付先の候補に加えたのは、Janet さんは生涯独身で過ごしたのでペットを可愛がっていたのでしょう。
それにしても、日本の葬式のように香典や、ご遺体と一緒に棺桶に入れる献花と違って、John君の時もそうでしたが、これから生きていく人たちの幸福のために寄付をするというのは、アメリカ的な合理的な考えだなあという気がします。

私が名古屋大学大学院博士課程2年の半ばで休学してノースカロライナ州立大学(NCSU)のPh.D 課程に入り直したのは1969年ですからもう40年以上前ですが、その当時のNCSUでは毒性学科設立の萌芽期で、3人の教授が中心でした。イギリス出身のE. Hodgson 教授は、生物化学が得意で、農薬を含む薬物の第1段階代謝反応に関与する cytochrome P450 という酵素について先駆的な研究をしていました。E. Hodgson 教授は確か私よりも10才くらい年長でしたからすでに80才前後の筈ですが、今でもまだお元気で研究費を獲得して現役でNCSUで研究を続けておられます。多分、体が動かなくなるか最後の息を引き取る瞬間まで研究を続けられることでしょう。W.C. Dauterman 教授は私の恩師ですが、有機化学が得意で、殺虫剤の類縁化合物を多数合成して作用点との反応性の解析などをしていました。F.E. Guthrie 教授は、農薬を散布した後のタバコ畑に入って作業をする季節労働者の採血をしてコリンエステラーゼという酵素の阻害度を測定するような研究(それによって農作業中にどれくらい残留農薬に暴露するか推定する)の他に、農薬の経皮的吸収を調べるために、病院から事故死した人の皮膚を入手して拡散セルに装着して、放射能で標識した農薬の透過速度を測定していました。

F.E. Guthrie 先生は第二次世界大戦中はアメリカ軍の海兵隊員で、日本軍との間で激戦のあった硫黄島にも派遣され、朝鮮戦争時に在日米軍基地に駐屯していた時の「グスリー中尉」と日本語で書かれた板の表札を私に見せてくれたことがあります。私は君を共産軍から救ったんだと冗談を言って、留学時まだ20代だった私に目をかけてくれました。
F.E. Guthrie 先生とお嬢さんのJanet さんのご冥福をお祈りします。



3人の教授の肖像写真は本ブログの2010年10月2日の記事に貼付してあります。(左がF.E. Guthrie 先生、中がE.Hodgson 先生、右がW.C. Dauterman 先生)


2011年1月8日土曜日

アメリカの友人(Margieさん)に、亡くなったJohn君の奥さん宛に私の名前でお花を届けてほしいと依頼しましたが、昔はアメリカでもお花を届けて弔意を表すことが行われたが最近は亡くなった本人の遺言や遺族が指定する公益目的でお金を寄付をする人が多いと言われたので、それならそうするように頼みました(お金は後から返すからという約束で)。そうしたら、今日アメリカがん協会から礼状がメールで届きました。

In Remembrance of John Burgess a Memorial Gift has been made to the American Cancer Society by Dr. Naoki Motoyama.
Donation Preference: Prostate Cancer
Donation Amount: one time donation of $100 in memory of John Burgess

John Burgess 氏を追悼して、本山直樹博士からアメリカがん協会に記念の贈り物が寄付された。
寄付を使ってほしい分野:前立腺がん
寄付金額:John Burgess氏を追悼して100ドルを1回だけ

Thank you for your recent generous donation to the American Cancer Society. Your support in the fight against cancer will touch countless lives both in your own community and across the country. The American Cancer Society is working tirelessly to eradicate cancer and to ease the burden of those living with cancer. With your support, the American Cancer Society is saving lives by helping people get well and stay well, funding lifesaving research, and empowering people to fight back against cancer.
Thank you again for your support.
Elizabeth T.H. Fontham, MPH, DrPH
President, American Cancer Society, Inc.

アメリカがん協会への最近の寛大な寄付をありがとうございました。がんとの戦いに対するあなたの支援は、あなたの地域と全国の無数の方々の命に関わります。アメリカがん協会は、がんの撲滅とがんを発症して生きている方々の負担を軽減するために、がんばっています。あなたの支援によって、アメリカがん協会は人々の病気が治るように援助することで命を救い、命を救うための研究に資金を提供し、がんに負けないように戦う人々に力を与えています。あなたの支援に本当に感謝します。
Elizabeth T.H. Fontham(学術修士・学術博士)
アメリカがん協会会長

こういう知らせがJohn君の奥さんのMaureenさんのところと私宛に送られたようです。
The American Cancer Society(アメリカがん協会)https://www.cancer.org/involved/donate/donateonlinenow/index
というのは、がんに関する研究や対策を支援するために、国の予算に頼るのではなく、民間を対象に常時このような寄付を募集していて、多くの人々がそれに応えているようです。考えてみれば、アメリカ人のやり方は合理的だなと思います。

日本の葬式では、弔問に訪れた人が献花をしたり、香典を差しだしたりして、遺族はそれに対して後日お返しを送るというのが習慣化していますが、葬式は大変な経済的負担がかかるので、喪主や遺族の負担を皆で支援して少しでも軽減するいう意味からそういう習慣ができたのでしょうか。

2011年1月7日金曜日

1月5日に振り込まれた3名の方(9回目、2回目、9回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は73,000円、今まで延べ213人からの合計額は2,631,565円になりました。ありがとうございました。
ここに紹介されることは予想しなかったかもしれませんが、お二人からはメールでお便りをいただきました。

「支援金を最後に送ってからずいぶんとご無沙汰してしまいました。今日は少しですが、○○○円を支援する会宛てで振り込みしてきました。夏にちょっとした病気を発症してしまいました。検査の結果悪いものでは無かったのですが、一度発症するとなかなか完治させるのは難しいようです。あまり病気には縁が無かったので、予定外の医療費がかかってしまった事や、初めて聞く病名に何となくショックを受けてしまい、なかなか支援金を振り込むまでには至りませんでした。その間にも全国の皆さんからの支援金はどんどん増えて、私も嬉しく思っていました。市橋さんを見守っている人がたくさんいるんですね。
今日は市橋さんの32歳の誕生日ですね。今は直接言葉をかけてあげられなくても、ご両親もきっと市橋さんの事を思い浮かべて過ごした事と思います。今日は弁護士の先生と接見はあったのでしょうか。せめてどなたかと何か言葉を交わしたなら良いですが。一人きりでずっと過ごしていると不安ですよね… 市橋さんの事はたくさんの方々が見守っています。どうかご自分を大切に、これから先も、市橋さんなら乗り越えられるはずです。私も頑張ります。強くて心優しい(Johnさんの事は残念でしたね…)本山先生のアクティブな毎日に、いつも勇気づけられています。脱線も私は大好きですよ。また余裕が出来ましたら支援金を振り込みます。先生の活動と市橋さんの事を、いつも応援しています。」

「今年は公判が始まる年ですね、弁護士さんは1年半以上もほぼボランティアで弁護活動されることになるんですね、先生のブログを読んでいると厳しい裁判になるようですが、頑張っていただきたいです。少しですが今日支援金を振り込ませて頂きました。これからもできる限り協力させて頂きます。
1月3日のブログの支援者の方のように、私も市橋さんの様子や支援者の皆さんの想いを知ることができるのはもちろんですが、本山先生の日常や研究・調査のお話、楽しみにしています。(近くの御陵に沢山生えていた松が枯れたのは寿命か病気だと思っていましたが、ブログで松くい虫のことを知り1つ賢くなりましたし、運動されている様子を読むたびに、私も口ばかり動かさないで体も動かさなきゃと、渇を入れてます。)
今日1月5日は市橋さんの誕生日ですね、市橋さんはこの日をどんな気持ち迎えられたでしょうか。仏教の父母恩重経の中に、「己れ生きている間は、子の身に代わらんことを思い。己れ死に去りて後は、子の身を護らんことを願う。」というのがあります。どんな状況になっても(年老いても) 親は子のことを思い憐れみ慈しむ恩だそうで、市橋さんにもどんな状況に置かれていても、産み育ててくれたご両親に感謝の心を持っていて欲しいです。そして体も精神も健康でいられますように。」

手書きのメッセージもありました。「市橋さんへ、32歳のお誕生日おめでとうございます。罪を償って社会復帰をし、ケーキを前にお祝い出来る日が来ることを心から願っています。」

今朝、1月1日に亡くなったJohn君の奥さんのMaureenさんに電話をしました。今は現地は冬時間で、日本とは14時間の時差がありますので、日本の今朝9時はノースカロライナ州ローリー市では昨日の夜7時になります。John君は亡くなる前に、私が送ったお母さんの実家の名古屋の写真と空手の型のDVDを本当に喜んで見ていたとのことでした。結局、抗がん剤治療の甲斐もなく前立腺がんが肝臓にまで転移して気分が悪くなったので入院し、病院で亡くなったとのこと。お葬式はしなかったようで、市内の葬儀社(funeral homeといいます)が病院から遺体を引き取って火葬(cremateといいます)にし、昨日終わったと電話があったので遺灰を引き取りに行って、自宅の棚に置いて、話しかけているとのこと。同じアパートに住んでいる私の空手の弟子(Bill君)も含めて、アパートの他の住人やMaureenさんの職場(州政府に勤務)の仲間たちが、励まし支えてくれているとのことでしたので、安心しました。

2011年1月6日木曜日

1月4日に振り込まれた方(6回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は50,000円、延べ210人からの支援金合計は2,547,565円になりました。ありがとうございました。私が12月24日のブログで書いた市橋君の誕生日昭和54年5月5日は間違いで、本当は1月5日なので、誕生日のプレゼントのつもりで送金しますというメッセージが書いてありました。誕生日については私の聞き間違いかもしれませんので、確認してみます。他にも振り込んだというメールがありましたので、明日には届くでしょう。

今日は昼休みに道場で学生と空手の稽古をした後で市橋君が専攻した庭園デザイン学研究室に寄って、卒業論文のコピーを借りてきました。明日にでも、東京農大の帰りに菅野弁護士の事務所に届けようと思っています。「東京ディズニーランドの植栽」という論文題目で、緒言に相当する「はじめに」の末尾で、「ディズニーランドでは、樹木のテクスチャを用いてどのような造園設計配置がなされているか、学習させてもらう立場で研究をおこなった。」と述べて、研究の目的を明らかにしています。自然科学の分野とは研究手法が若干違いますが、ディズニーランド内の諸施設との関係でどこにどういう樹種が植栽されているか現場を詳細に調査して、各々がどういう機能を果たすように設計配置されているか解析しています。
せっかくこういう分野の勉強をしたのに、その知識と才能を生かすことができなくなったのは残念です。

アメリカのJohn君が亡くなったことで、何人かの支援者からお悔やみのメールをいただきました。ありがとうございました。

2011年1月4日火曜日

アメリカの空手の弟子/友人のJohn君の奥さんMaureenさんから以下のメールが届きました。John君が1月1日午前6時15分に亡くなったとのこと。

Naoki,
I'm sorry to send you sad news, but John passed away on January 1, 2011 at 6:15 AM.
He really appreciated all your efforts to locate his mother's family and was so happy to see the photos of Nagoya.  If you happen to find out any additional information on his mother's family, please let me know.
Once again, thank you for everything you've done for us, and I hope to see you next time you visit Raleigh.
Maureen

Johnはあなたが彼のお母さんの家族を見つけようとしてくれたことに感謝し、お母さんが住んでいた名古屋の写真を見て大変喜んでいました。もしお母さんの家族についてさらに何かわかったら知らせて下さい。私達のためにしてくれた全てのことに感謝します。次回ローリー市に来る時はお会いしたいと思います。

昨年10月に私が会った時のJohn君は、前立腺がんの抗がん剤治療を受けていて頭髪も眉毛も1本もなくなっていましたが、自宅で療養しながら空手の型を練習し、型の部の試合にも出場したりしていました。闘病中の彼にとっては、それが精神的に病気に負けない方法であり、生き甲斐だったのでしょう。私が1969年にアメリカで種を播いた Gensei Dojo of Japanese Martial Arts を引き継いでくれた弟子達のために、1983年にローリー市を訪問した時に収録した空手の型のDVDのコピーを、昨年12月15日に国際宅急便で送ってあげたら、夫妻で一緒に映像を再生して、これは自分たちの宝物だと言って喜んでくれました。その時の電話の声は元気で力強く聞こえたのに、あれから2週間足らずで亡くなるとは、すでにがんは転移して相当悪かったのでしょう。

John君が生きているうちに日本の親戚を見つけてあげられれば、日米の間でメールのやりとりやお互いの訪問ができるようになることを密かに期待していたのですが、間に合わなくて残念です。夫妻には子供がいないので、これからMaureenさんは寂しさを克服して生きていかなければなりません。遠くて葬式には参列できませんので、現地在住の別の空手の弟子に私の名前でお花を届けるように依頼しました。

2011年1月3日月曜日

支援者のお一人からメールで年賀のご挨拶をいただきました。「市橋さんはどんな思いで2011年をむかえられたんでしょうか。今年はとても大変な年になると思うので、体には十分気をつけてもらいたいと思います。本山先生のブログはいつも楽しみに拝見させてもらっています。本山先生や支援をされている皆さんの市橋さんへの思いを読んでいると、人に対する思いやりや優しさを改めて感じさせられます。お忙しい中ブログの更新も大変でしょうが先生のブログ楽しみに待ってます。」
ありがとうございました。ほとんどの支援者の皆さまとは、直接お目にかかったこともお話をしたこともありませんので、このブログでは私自身を知っていただくために、時々脱線して、私の日常生活のことも書くようにしています。

箱根駅伝の復路もドラマの連続で、今日も手に汗を握って観戦しました。私にとって特に印象に残った場面は、最初の6区の山下りの区間で早稲田大の高野寛基選手が、途中滑って転倒しながらも、先行していた東洋大の選手を追いかけ、追い抜いて再び早稲田大を一位に戻したことと、最後の10区で必死に追いかけてくる東洋大の山本憲二選手に対して、早稲田大の中島賢士選手が歯を食いしばって逃げ切り100mくらいの差で一位でゴールインしたことでした。1年間をかけてトレーニングをしてきて、全てを出しきって走った両チームとも優勝に値すると思います。

東京農大は途中8位に立つこともありましたが、最終的には14位でしたので、昨年の5位からは大幅にダウンした成績でした。これでシード権を失いましたので、来年は予選会から勝ちあがってこなければなりません。それでも、とにかく箱根駅伝に出場し、最後までタスキをつないで14位になっただけでもたいしたものなので、今年走った選手たちには胸を張って帰ってきてもらいたいと思います。

駅伝に元気をもらって、私は今日も江戸川堤防に走りに行きました。1時間くらいの間に20人くらいの走っている人に出会いました。

2011年1月2日日曜日

支援者の皆さま、明けましておめでとうございます。市橋君が適正な裁判が受けられるように、今年も引き続きよろしくご支援のほどをお願い致します。刑務所の中の市橋君は、少しはお正月らしい料理がでたのでしょうか。

今年の元旦は何十年振りかで新宿の末廣亭という寄席に行って、妻と楽しい半日を過ごしました。

今日はテレビで恒例の箱根駅伝を観て、東洋大の柏原竜二選手が山登りの5区でそれまで圧倒的に1位を保ってはるかに先行していた早稲田大の選手についに追いついて、追い抜いて往路1位になったことと、東京農大が往路11位になったのを確認後、私も近所の江戸川堤防に行って初走りをしてきました。一昨年、昨年もそうでしたが、登りの厳しい5区の山道で柏原選手が何分も先行して走っている選手たちを、顔をゆがめて歯を食いしばって一人また一人と追い抜いていく姿には感動しました。いつもそうですが、箱根駅伝を観ると、カンフル剤を注射されたように元気がでてきて、ようし私も走るぞという気になります。

江戸川堤防では天気にも恵まれて、家族連れで散歩をしたり、赤ちゃんを乗せた乳母車を押している夫婦がいたり、自転車に乗ったり、犬の散歩をしたり、子供と凧あげをしたり、人それぞれに戸外の空気と景色を楽しんでいました。私と同じように正月早々からジョギングをしている人にも最低15~16人は出会いました。

私が子供の頃(60年くらい前)のお正月の遊びの定番は、「凧(たこ)あげ」、「こま回し」、羽子板での「羽根つき」、「竹馬(たけうま)乗り」、「カルタ取り」などでしたが、この頃は「凧あげ」くらいしか見なくなりました。そういえば、「かくれんぼ」や「鬼ごっこ」や「缶けり」や「木登り」なども見なくなりましたので、子供の遊びも変わってきたのでしょう。都会では、そういう遊びができる安全な路地や、登れる木や、走り回れる野原がなくなってきた影響でしょうか。本当は体と頭を使うこういう遊びで、子供達は身のこなしを覚えたり、体力や感覚が鍛えられ、他の子供との付き合い方も自然に身についていたのかもしれません。ネット中毒や、テレビゲームに熱中している若者や、電車の中で電子ゲーム機をピコピコやっている大人を見ると、一部の感覚は発達しても、トータルな人間としては退化しているのではないかと思ってしまいます。