2011年4月30日土曜日

4月27日に振り込まれた方(4回目)からの支援金が届きました。これで支援金の現在高は69,020円、延べ280人からの合計額は3,013,585円になりました。ありがとうございました。この方からはあらかじめ以下のメールも届いていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山教授こんばんは。ご多忙の中、支援する会の対応やブログの更新いつもありがとうございます。今日少額ですが支援金を振り込みました。適正な裁判が行われますよう祈ってます。
26日付のブログで、教授へ匿名で何回もメールを送ってくる人や、直接的な嫌がらせをする人の存在に唖然としました。けどそんな人たちに動じず、きちんとした返答までされる教授の人としての強さと市橋さんへの愛情に胸を打たれました。私も本山教授のように強くて優しい人になりたいです。
先日送って頂いた市橋達也さんの卒業論文と小冊子も、今日返送しました。研究結果が分かりやすくまとめられているのを見ていると市橋さんが就職していたらどんな庭園を造ったのか見てみたかったな・・・と思いました。 わがままを聞いて頂き本当にありがとうございました。
29日の駅伝大会に向けて珍しく弱気になってらっしゃるようですが、計231㎞も走られたなんて凄い。日々の努力の成果が発揮できますように、遠くから応援しています。
本山教授 believe yourself, do your best! (偉そうにすみません・・・)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私が横浜駅伝の前の走り込みが足らなくて弱気になっていると書いたので、励まして下さったのでしょう。お気遣いありがとうございます。私は元々特別足が速いわけではなく、人の2~3倍努力してやっと人並みに走れるようになりますので、練習不足は致命的でした。結果はすでに昨日のブログで報告しましたように、練習量相応の、体重相応の、今の私の実力相応のタイムでした。

今日はほぼ一日中机に向かって締め切りが迫っている論文の原稿書きをし、70~80%できました。明日もう一日集中できれば、完成するかもしれません。

2011年4月29日金曜日

支援者から支援金を振り込んだというメールでの連絡がありました。いつも変わらぬご支援と温かいメッセージをありがとうございました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生  ご活躍のご様子、いつも拝見しております。 昨日、少額ではございますが市橋さんの裁判に向けて、送金させていただきました。
以前は、公的なもの・特に司法に対し、信頼や安心感を感じておりました。「国は、公共団体は、悪いことはしないだろう」とか、「法律は守られている(に違いない)」と、わけもなく盲信しておりました。
 しかし、自己保身のため不正を働く検察官、責任をとらない公的機関を見ておりますと、果たして適正な裁判が行われるのかと、公判が近付くにつれ不安な思いです。 今は、市橋さんを非難する声が大きいですが(もちろん、市橋さんが起こした犯罪を考えれば、当然な部分もあると思っています)、「適正な」裁判がなされることは、市橋さんの権利というだけでなく、国民みんなにとっても意義があることを今一度考え直していただきたいと思っています。
 市橋さんのご両親の心情は、さぞ、おつらいものと思います。相手の方を思うと、厳しい姿勢を貫かれることもわかります。けれど、犯罪はある日突然起こるものではないと思います。小さな布石がいくつもあって、その結果起こってしまうものだと思います。 いろんな愛情の形がありますが、時期が許せば、ご両親には面会にいってもらえたらと願っています。
 今年はいつまでも寒いですが、弁護団の先生方、本山先生、市橋さん、お身体ご自愛下さいませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生。おはようございます。
4/28(木) 14回目の送金をさせていただきました。また、ご確認よろしくお願いいたします。
桜も散り新緑の頃となりました。季節感の判らない刑務所内におられる市橋さん…、暖かい春の陽射しが入り少しは過ごしやすくなられたでしょうか。きっと冬はかなり寒かったでしょうし春も気候が安定しない上、震災も有りましたので市橋さんの体調が心配です。
公判が7月4日から始まるとのこと。又過剰なマスコミ報道に視聴者の方々があおられて必要以上のバッシングがおこらないように…適正・公正な裁判であるよう本当に本当に…心から祈る日々です。そして市橋さんが心からリンゼイさんとリンゼイさんのご家族に謝罪し罪を償い、いつの日か更正,復帰できますよう…ひたすら神さまにお願いする日々です。
何だか私は毎回同じような事を書いている気がいたしますが、本当に市橋さんが心配で仕方ない為ついつい同じメッセージになってしまいます。どうかご容赦いただきたいと思います。
本山先生これからもいろいろとお忙しく大変なことがおありだと推察いたします。お体にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
始めまして。 〇〇と申します。今日、初めて、少しですが〇〇円支援金振り込ませていただきました。今年の初めころ、本山先生のサイトを知りましたが、少し過ぎて、振り込みを考えているうちに、時間が過ぎてしまいました。少しでも、ご支援できたら、と思います。
色々メールの言葉を考えますが、大変な事件だけに、なかなか文章にすることが難しいです。市橋さんは、優秀な方と思います。どうか、改めて、その才能を良い方向に使える新たな人生を歩んで頂きたいと、思います。
地震の余震が続く毎日ですが、本山先生も、お身体ご自愛なさってください。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

横浜駅伝大会には、プログラムを見ると633チームがエントリーしていました。何チームかはキャンセルもあったでしょうが、1チーム7人編成ですから、単純計算では4,431人の参加です。千葉大学走友会は3チーム出場しました。私はBチームの最終走者で8.195km区間を、それなりに一生懸命走りましたが、私より遅い人を1人抜いただけで、少なくとも50~60人(あるいは100人くらい?)には抜かれました。その結果、ゴールインした時に550位の記念品の引換券を渡されました。記念品は写真に示す置物でした。チームのメンバーが私がキープしてもいいと言ってくれたので、自宅に飾ることにしました。
プログラムに載っている出場者の年齢をチェックしてみたら、私より年長の69才以上は26人で最高齢は76才、最年少は7才の少年でした。68才は、私を含めて9人でした。
手元の時計では私の記録は約52 分でしたから、1km 当り6.3分になり、練習量と体重を考えると上出来でした。いつまで走れるかわかりませんが、健康管理をしっかりして、できたら80才くらいまで何の病気もせずに走り続けられればいいなと思っています。
今年は熱中症で救急車のお世話になる人もでず、走ることが好きな大勢の仲間と思い切り汗をかいてスポーツを楽しみ、その後河川敷でそれぞれのグループごとに集まって美味しいビールを味わいました。


明日からは仕事に復帰です。今月末(と言っても明日しか残っていない)が締め切りの原稿と、5月は3ケ所でちょっと難しいテーマの講演を依頼されていますので、その準備にとりかかります。

2011年4月28日木曜日

今月末で貸倉庫2つを空にして返却しなければならないので、今日は一日中捨てるものと取っておくものの仕分けと廃棄作業で終わってしまい、走る時間がなくなってしまいました。3年前に定年退職した時に何でもかんでも整理をせずにそのまま放り込んで置いたので、そのツケが今になって回ってきました。学会誌も、論文別刷りも、研究中に集めたいろいろな資料もほとんど捨てました。先日見つけようとして見つからなかった床下への殺虫剤散布の写真も出てきましたし、アメリカでフィッシングをしていた時の写真も出てきました。

Lake Gaston での釣果
Pamlico Sound でのヨット上での釣り

左は1970年初め頃、住んでいたローリー市から車で片道2時間くらいの道程のノースカロライナ州とバージニア州との間に位置するLake Gaston に友人のLouis Coon 博士と出かけ、Lizard Creek で5ポンド(2.25kg)、4ポンド(1.8kg)、3ポンド(1.35kg)のLarge Mouth Bass (ブラックバス)を各2尾ずつ釣り上げた時。右は多分1980年半ば頃、ノースカロライナ州の海に近いところに引っ越した空手の弟子/友人のTim Currea(スペル?) 君のヨットに乗せてもらい、大西洋に面したパムリコ湾で小魚を釣った時。研究室以外のこういう趣味の時間を通して、映画の中で描かれるのとは違う、ごく普通のアメリカ人の考え方や生き方に接することができました。
明日は綱島の鶴見川沿いを走る横浜駅伝大会が朝10時にスタートですので、朝早く家を出ます。3月14日から、できたら400km くらい走りこみたいと思いましたが、結局昨日までで243km しか走れませんでした。今年も準備不足ですので、無理をせずに年齢相応に、体調相応に走るしかありません。


2011年4月27日水曜日

4月25日に振り込まれた4名の方(4回目、16回目、4回目、2回目)の支援金が届きました。4月26日に振り込まれた1名の方(10回目)の支援金も届きました。これで支援金の現在高は64,020円、延べ279人からの合計額は3,008,585円になりました。昨年の2月から募金を始め、振り込まれた支援金は1年2ケ月で300万円を超えました。支援者の皆様もお一人お一人にご自分の生活がある中で、他人の筈の市橋君のためにありがとうございました。

25日に振り込まれた方からはメッセージもいただきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
4回目になります。いつも少ない額ですみません。本日は市橋さんへのエールの気持ちをこめて、〇〇円でフレーフレーです!! 病気を患っていて、働けなくて、年金頂いて細々暮らしているので、少なくてすみません。市橋さんの更生を心から祈っています!! 市橋さんがんばって下さい!! フレーフレー
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
裁判も近くなり、心配な毎日です。検察官がクリーンな気持ちで執り行ってほしいと願っております。朝に夕に手を合わせ祈っております。弁護団の方々、本山先生、市橋君を守ってあげて下さい。先生御身大切になさって下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
私には、何もできません。弁護士のみな様、本山先生を頼るしかありません。ただ祈っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
先生、いつも市橋君の為にありがとうございます。先日の差し入れが無事に市橋君に届き、安心しております。7月からの公判日程が決まったのですね。私もいずれかの日に券を求め、並ぶ覚悟です。適正な裁判を祈ります。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は南からの強風の中で江戸川堤防を10km 走ってきました。帰りは強烈な向かい風に対して、これもトレーニングの中と自分に言い聞かせて前傾姿勢で突き進みました。駅伝大会は明後日ですから、練習できるのはあと1日だけとなりましたが、今日は床屋に行って散髪をして心構えもできたし、走れる自信が少しついてきました。

午後3時には千葉県松林復活プロジェクトの共同研究のメンバーの一部が千葉大学園芸学部に集まって、野外調査に使う装置の使い方の研修をしました。

2011年4月26日火曜日

以下は、市橋君への支援活動に関して匿名で何回もメールを送ってこられた方に私が昨日2回送信した回答です。他にも同様な疑問をお持ちの方がおられるかもしれませんので、ブログに載せておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011.4.25(1回目)

お便りありがとうございました。市橋君は恵まれた環境に育ちながら、本当に馬鹿なことをして一生を棒に振ってしまいました。事件後長期間逃走して見つからなかった時には、すでに自殺してこの世にはいないのではと思っていましたが、整形をして生き延びていることが報道された時に自主的に出頭させたくて、私の専門の農薬毒性学に関するオピニオンを社会に公表する場として開設したWebsite http://sites.google.com/site/naokimotoyama
に私に連絡をするように呼びかける記事#9市橋君に告ぐ(2009.11.8)を書きました。残念ながらメッセージが届く前に彼は身柄を拘束されてしまいましたので、黙秘ではなく事実をきちんと話すようにという趣旨の記事#10市橋達也君の件で(2009.12.8)を書きました。
その後、市橋君のご両親も息子の弁護は一切しない、千葉大学教授会も卒業して事件までの2年間何の連絡もなかったということで大学は沈黙を続けて一切関わらないという姿勢を示し、メデイアはここぞとばかりに市橋君がいかにも金持ちの馬鹿息子でとんでもない不良であるかのような虚像を作り上げ、市橋君は社会から袋叩き(リンチ)にされている状況でした。元学生は、例え社会から褒めたたえられるようなよいことをしても、非難されるような悪いことをしても、永久に千葉大学の元学生ですから、特に地獄の底に落ちたような状態にある元学生に救いの手を差し伸べるのは元教師として当然であるという考えから、記事#14適正な裁判を支援する会(2010.2.20)を書いて募金活動を始めました。
現在までに全国の延べ274名から2,983,565円の支援金が寄せられ、無償で弁護を引き受けてくれている私撰弁護団に全額をお渡しして、弁護活動費用として使っていただいています。ネット上で、弁護団や私自身に対して非難する書き込みが多数あることは承知していますし、弁護団や私自身に対する直接的な嫌がらせもあります。しかし、市橋君が犯した罪に相当の罰を受けて罪の償いをしなければならないことは当然ですが、社会からの袋叩き(リンチ)ではなく、適正な裁判を受ける権利はある筈で、元教師がそのための支援活動をするのは当然だという信念は揺らぎません。
顔を見たことも直接話をしたこともない全国の支援者とのコミュニケーションの方法として、支援する会のブログを立ち上げて、
http://naokimotoyama.blogspot.com/
裁判の予定や市橋君の様子などを報告しています。市橋君は千葉刑務所の未決囚の独居房に拘束されていて、やっとこの程公判前整理手続きが終了して7月4日から公判が始まることが決まりましたので、それを待っている状態です。裁判の日程なども上記ブログに載っています。
こういう趣旨ですので、もしご賛同いただけるようでしたら、支援金の振込先は以下の通りです。
郵便振替口座名:市橋達也君の適正な裁判を支援する会
口座番号:00140-9-773866
代表:本山直樹

私を含めて支援者の多くは、市橋君が心から反省し、謝罪し、罪を償って、その上で残される人生の中の短い年数をしっかり生きる機会が与えられることを願っています。

本山直樹
市橋達也君の適正な裁判を支援する会(代表)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2011.4.25(2回目)

市橋君の書いた手記を読まれて、考えが変わったとのこと、手記の出版についても内容についても批判的な見方をする方々がおられることはご承知の通りです。印税は経済力のない市橋君が被害者遺族に弁償金を払える唯一の方法ですから、私はよかったと思っています。事件そのものについての言及がないのは、反省していないからではなく、今から裁判が行われることだからと弁護団に止められたからです。ネット上の書き込みやメディアの流す記事は、根拠がなくてもチェーンレターのようにあっという間に広まり、いつの間にかあたかも事実であるかのような独り歩きをすることがあります。私たちは、社会から提供される情報をそのまま信じるのではなく、何が事実で何が想像や流言か冷静な判断をすることが必要なのだと思います。
市橋君のご両親が息子の弁護をしないのは、愛情がないからではなく、息子の行為のせいで亡くなったリンゼイさんのご両親に対して申し訳ないという気持ちが非常に強いからです。私は弁護団との仲立ちの意味もあって何回かご両親と手紙のやりとりをしましたが、リンゼイさんの写真の前で毎日手を合わせて謝罪し、冥福を祈っておられるそうです。今は心を鬼にして息子に厳しく、自分の責任は自分でとるように諭しておられますが、裁判が結審して判決が下れば、ご両親とも自分たちの命の続く限り息子の身体と心の安寧を祈り、刑務所の中の市橋君に愛情を注がれると思います。
国選ではなく私撰の弁護士が弁護活動にあたっているのは、市橋君が金持ちで私撰弁護士を雇う余裕があるからではありません。身柄を拘束された時は、逃走中に必死で働いて貯めた約30万円しか所持していなかったそうです。弁護団の代表の菅野弁護士は恐らく私(68才)と同年代だと想像しますが、千葉県弁護士会の会長もされた方で、報道されている冤罪事件の多く(無罪の人を有罪にし、死刑にもする)は警察や検察の取り調べのやり方に問題があることが明らかになっていますので、被疑者・被告人には取り調べの段階から弁護士を付ける必要があるという制度を提唱された方です。市橋君の身柄が拘束されるとすぐ6人のボランティア弁護士から成る弁護団を組織し、無償で弁護活動を始めました。2人一組で毎日接見し、刑務所内で絶食死しようとしていた市橋君を、それは責任をとることにならない無意味な死だから止めなさいと言って説得したのも弁護団の一人です。信頼関係ができた弁護団に自分を見捨てないで下さいと言って弁護を依頼したのは市橋君ですが、もちろん弁護料を支払う能力はありません。それでも弁護団は弁護士としての使命感から弁護を引き受けて下さったのです。
裁判員制度における公判前整理手続きはやっと今月終了し、公判は7月4日から始まることになりましたが、公判が始まるまでは弁護団以外は接見が許可されません。郵送あるいは持参する差し入れは可能ですが、現金以外は自殺や毒殺を防ぐために制限があります。食べ物は刑務所内の売店で売っているものに限られます。手紙類は、外部の仲間と証拠隠滅を計る可能性があるということで一切許可されません。衣類もすでに多くの人が差し入れしていますので、必要はありません。刑務所が保管(領置)してくれるのはミカン箱2つ分くらいの容量ですので、それ以上は廃棄されるか送り返されるか、一部は弁護士事務所にも保管されているそうです。必要なものがあれば弁護団が私たちが提供した支援金を使って購入して差し入れできますので、それ以上の差し入れは必要ないと思います。
弁護団や私に対するネット上の中傷誹謗については、全く気にしないことにしています。自分の顔も出さずに、あーでもないこーでもないと自分の偏った思い込みで無責任な書き込みをする(愉快犯のように)ネット中毒の人達に、貴重な時間を使っていちいち対応する必要はないと考えています。
疑問点への回答になったかどうかはわかりませんが、ご指摘されたことに関する私の考えは以上の通りです。

本山直樹
市橋達也君の適正な裁判を支援する会(代表)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は東京農大の研究室に来客があったので、昼休みのジョギングは約2km しかできませんでした。体育館のシャワー室では、サッカー部員らしき何人かの学生に”こんにちは”と挨拶をされました。東京農大では、私が年配なので教職員と思うのかよく見知らぬ学生に挨拶をされ、清々しい気分になります。生協前では新入生獲得をねらって多くのサークルが声を張り上げて勧誘をしていました。この時期のキャンパスは若者の活気で溢れています。

2011年4月25日月曜日

先ほど4回目の支援金を振り込んだというお知らせがFAXで届きました。携帯のメール機能がこわれて、パソコンは持っていないので、とのことでした。2~3日前にはこの方の妹さんから初めてメールをいただきましたが、小さい時に両親を亡くして姉妹とも施設で育ったとのことです。ご病気もされて厳しい生活環境の中から、社会から総攻撃されているような弱者の立場の市橋君を支援するために、工面して支援金を振り込んで下さったようです。社会的弱者だからこそ弱者を少しでも支えたいというお気持ちになられるのでしょうか。ありがとうございます。

昨日は江戸川堤防を10km 走り、今日も10km 走ってきましたが、今日は途中から悪天候になって大変でした。空が真っ暗になって雷雨になり、突風が吹いてきました。後でニュースを見たら、竜巻で建物や車に被害もでたとのこと。ビショ濡れになりましたが、お蔭でいつもより早く走るトレーニングができました。これで3月14日に横浜駅伝大会に向けての走り込みを始めてから231km 走ったことになりますが、まだ当初の走行目標距離の半分ちょっとです。体重の減量の方は全く進歩がありません。

2011年4月23日土曜日

4月21日に振り込まれた4名の方(14回目、初回、7回目、2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は39,000円、延べ274人からの合計額は2,983,565円になりました。皆様、ありがとうございました。以下のようなメッセージも添えられていました。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
50代のおばさんです。市橋君の2年7ケ月、苦悩と後悔、怯える日々、肉体労働、普通ではあり得ない努力の姿、あまりに衝撃的でした。私の知る犯罪者とは違う。予期せぬ事態に絶望もします。でも自分の心にストップをかけてほしかった。私は世間がなんと言おうと市橋君の真実の言葉を信じます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生、4月19日のブログを拝見し、「幸せな人は、愛に満たされている人は、人に意地悪しない」ということを、考えました。少なくとも、ここに集う支援者の皆様の「思い」を受け、裁判に臨まれる市橋達也さんは、「愛」を知っているので、そのような不条理にも決して負けることはないと思います。公正な裁判が行われるよう祈り続けます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
わずかですが、送金いたします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

裁判が結審するまで、弁護団にはまだまだがんばっていただかなければなりませんので、お志のある方には引き続きご支援をお願い致します。公判では私も被告人側の情状証人として証言することになっていますが、私にとって日本の法廷で証言するのは初めての経験です。1969年に初めてアメリカに行った時に、まだ英語もあまりしゃべれなかった時ですが、車の運転免許を取った直後に右折専用車線の標識を見落として直行し、隠れていたパトカーに交通違反の切符を切られ、後日裁判所に出頭して事実確認をして罰金(確か$20くらいだった筈)を払わされたことがあるのが唯一の経験です。 5月になったら機会をみて一度弁護士事務所を訪ねて、法廷では何をすればいいのか伺ってくるつもりです。

今日はこの辺りはあいにくの雨になりましたが、最近結婚した元学生が夫婦で挨拶に来てくれました。初めてお目にかかった奥方は、活発で、聡明で、素晴らしい女性という印象を受けました。

2011年4月22日金曜日

今日は千葉県松林復活プロジェクトの共同研究の第2回打ち合わせ会が千葉大学園芸学部で開催され、関係者が集まりました。第1回は1月31日に千葉県森林研究所で開催されましたので、約3ケ月振りです。東京農業大学、東京大学演習林、千葉県森林研究所、岐阜県森林文化アカデミー、千葉大学緑地環境学科の教員に加えて、樹木の菌根菌の研究をしている博士課程大学院生も参加してくれました。

岩山のような水分の少ない貧栄養の環境条件下で育つ松の根には菌根菌と呼ばれる微生物が共生して、水分を根に供給する役割を果たすことが知られていますので、抵抗性松が九十九里浜のように地下水位の高い海岸では松くい虫に弱くなる現象の解明には、菌根菌がどうなっているかを調べることも必要だからです。今日は今までの進捗状況を報告し、各々の研究者が、個別のどの課題を担当するかを決めました。ポットに植えた抵抗性、感受性の松苗の生育状況も皆に見てもらいました。

A研究棟の今の姿
根が活着して新芽が出てきた松苗

 
 ノースカロライナ州在住の友人のJoAnn さん・Frank 君夫妻から電話がありました。昨年訪ねた時は奥さんのJoAnn さんはリハビリセンターに入院中で歩くトレーニングをしていたのが、今は自宅で不自由なく歩けるようになったとのこと。私にいつアメリカに帰ってくるかと訊かれたので、今年はまだわからないと答えておきました。

アメリカのニュースでも震災の被害や、津波の被害や、原発事故の被害が報道されるようなので、共同通信社の特別報道写真集「東日本大震災2011.3.11 1ケ月の全記録」を買って、別の友人のMargie さん宛に小型包装物の航空便で送りました。5日くらいで届く筈ですので、皆にも見せるようにメールで依頼しました。津波が町を飲み込む写真や、破壊された建物の写真や、大きな船が陸に上がった写真や、救援の写真や、避難所の写真や、灰になった輸出直前の山のような車の写真や、自然の力の大きさをあらためて感じる筈です。



2011年4月21日木曜日

昨日の朝日新聞(2011年4月20日朝刊)に、「再生できるか検察」という見出しのほとんど半ページに近い大きなインタビュー記事が載っていました。「無罪請負」弁護士弘中淳一郎さんという、ロス疑惑の故三浦和義・元社長や、薬害エイズ事件の故安部英・元帝京大学副学長の主任弁護人として無罪判決を勝ち取った弁護士への取材記事でした。

私の興味を惹いたのは、村木厚子・厚生労働省元局長の冤罪事件で、事件を担当した元主任検事前田恒彦被告が何故フロッピーディスク(FD)のデータを改ざんするという信じられないような馬鹿げたことをしたのかということです。
「密室で相手を誘導したり、脅したりして、本人が言ってもいない内容の調書が山のように作られて、その調書が独り歩きした。その結果、客観的な証拠であるFD のデータと矛盾してしまったので、データを改ざんしてしまった。」 事実を明らかにすべき立場の検事が、自分の見立てと矛盾する証拠は隠蔽したり、改ざんまでするということが本当にあるのでしょうか。それでは、せっかく難しい司法試験に合格して検事になり、事実を明らかにして被害者の権利を代表するという本来の精神を見失っているのではないでしょうか。検察という組織自体に問題があって、検事をいわゆる役人的(悪い意味の)な発想に追い込んでいるというようなことがあるのでしょうか。

弘中弁護士は昨年、雑誌の座談会で「検察とマスコミが1本の線になった時が一番こわい」と述べたとのこと。市橋君の事件もメディアの異常ともいえる注目を集めたし、警察が市橋君を取り逃がすという失態があったし、イギリス国民の対日感情が悪化するのを防ぎたいという外交的な配慮もあったのか、懸賞金が異常に高かったし、・・・こういうことで担当検事が圧力を感じて、事実とは異なるかもしれない見立てをして、それを通すために見立てと矛盾する証拠を開示しないなどということはないことを信じたいと思います。

今日も江戸川堤防を8km 走ってきましたが、相変わらず駅伝大会で競走するには程遠い体調です。

2011年4月20日水曜日

3月19日に、市橋君も出席して行われた第16回公判前整理手続き(最終)について、菅野弁護士からメールと電話での報告をいただきました。争点及び証拠の整理が終了し、審理計画が策定されたそうです。裁判日程は以下のようになったとのことです。

6月28日(火) 裁判員選任手続
7月 4日(月) 第1回公判( 1:15 から夕方)
7月 5日(火) 第2回公判(10:20 から夕方)
7月 7日(木) 第3回公判(10:00 から夕方)
7月 8日(金) 第4回公判(10:00 から夕方)
7月11日(月) 第5回公判(10:00 から夕方)
7月12日(火) 第6回公判(10:00 から夕方)

 
7月12日午後 検察官の論告・求刑、被害者参加人の意見陳述、弁護人の弁論、被告人の意見陳述を行い、裁判は終わりです。

その後、裁判官(判事)と裁判員で評議が行われ、判決は、7月21日(木)午後2:30~4:00に言渡されます。

7月11日(月)午後1:30 からは、市橋君の情状証人として私も出廷して証言することになるので、時間を空けておくようにとのことでした。

当初の予定よりも整理手続きにずい分長い時間がかかりましたが、それだけ弁護団も妥協せずに厳しく対応してきたのでしょう。公判の内容がどういうものになるのか私には全く想像もできませんが、元教師の立場としては、元学生の市橋君には、罪は罪として素直に認め、自分の言葉でありのままを話して、リンゼイさんとリンゼイさんのご家族に心から謝罪してほしいと思っています。その上で、下される判決に従って罪を償い、願わくば更生の機会が与えられ、残された人生をしっかり生きてほしいと思っています。大多数の支援者の皆様も恐らく同じお気持ちでしょう。

今日は江戸川堤防を8km 走ってきましたが、体が重くて最悪です。駅伝大会でのアンカー区間を補欠のランナーに交代してもらって、走るのをキャンセルしたらどんなに楽だろうかと少し弱気になってきました。

2011年4月19日火曜日

3月31日のブログの記事を千葉刑務所に投げ込んできたと私に言ってこられた方は、「刑務官は悪くない、手記の原稿を持ち出した弁護団の方が悪いので、刑務官が差し入れを意図的にストップするような嫌がらせをされても当然だ」という趣旨のことも言ってこられたので、どういう意図でブログの記事を刑務所に渡されたのか(あるいは本当にそうされたのかも)不明です。しかし、今回実験的に差し入れた物はきちんと本人に届いたことが確認できたのですから、いろいろ詮索するのは止めましょう。大事なことは、市橋君がそんなことにイライラせずに、来たるべき公判に落ち着いた精神状態で向き合うことでしょう。

支援者のお一人が、今日行われた第16回公判前整理手続き(最終回)のことが載っているサイトがありますと知らせてくれました。
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110419/trl11041916450002-n1.htm

公判は7月4日(月)から始まり、審理は法廷通訳が入るので通常の2倍時間がかかる(日本語を英語に、英語を日本語に通訳するので)ということで、途中休憩も挟んで(集中して審理をすると精神的な負担が大きいとのこと)、7月12日までの間に6日間とってあるようです。評議は7月13日(水)から7月20日までの間に4日間とってあり、判決は7月21日というスケジュールのようです。

先日テレビのニュースでアメリカのアーカンソー州やアラバマ州で大きな竜巻(Tornado)がいくつも発生して死者30人に達する大きな被害がでたと報道していましたが、翌日の新聞ではそれに加えてアメリカ南部では暴風雨(Storm)が加わって大きな被害がでたと報道していましたので、地震と津波と放射能汚染のことで心配してくれたノースカロライナ州の友人に見舞いのメールを送りました。100フィート(約25m)もの大木が何本も根こそぎ倒されて電線を切ったり、屋根を直撃したり、道路を交通不能にしたりで、家や車を失った人がいて、死者もでているとのことでした。普段は人間は自然を支配しているような気になっていますが、ひとたび自然が猛威を振るえばいかに人間は無力かと思い知らされます。

(国立感染症研究所の葛西真治博士が先日のシンポジウムの写真をたくさん撮って送って下さったので、4月14日のブログに1枚だけ追加しておきました。)

2011年4月18日月曜日

山本弁護士と電話で話をしました。支援者が実験的にしてくれた3件の差し入れは、全て市橋君に配達されたそうです。私のところには、手記の出版以来差し入れがストップしていることを問題として取り上げた本ブログの3月31日の記事を印刷して千葉刑務所に投げ入れてきたというメールを送ってきた方がおられましたので、それによって改善したのか、手記の出版から今回の3件の差し入れまで本当に誰からも差し入れがなかったのか、の判断はできなくなりました。
いずれにしても、これで市橋君のイライラが解消し、精神的な落ち着きを取り戻したようですので、よかったと思います。私の呼びかけに応じて協力して下さった3件(4人)の支援者の方々にお礼申し上げます。

4月14日の記事で言及したアメリカにおける西ナイルウィルスの犠牲者数については、国立感染症研究所の駒形 修博士から正確な情報が送られてきましたので、出典とともに加筆しておきました。さらに詳しい生データは、CDC(Center for Disease Control and Prevention アメリカの疾病対策センター)のホームページで見ることができるそうです。
http://www.cdc.gov/ncidod/dvbid/westnile/index.htm

千葉県松林復活プロジェクトの共同研究の第2回打ち合わせ会を今週の金曜に千葉大学園芸学部で行うことになりました。複数の研究者が参加していますので、お互いにどういう役割が担えるか情報交換をする予定です。

昨日は6km、今日は8km走りましたが、3月14日に横浜駅伝大会に向けてのトレーニングを始めて走行距離はまだ195km にしかならないので、全然不足です。4月29日の大会まで残り10日しかないのに、減量も全然駄目だし、残念ながら今年もまた目標をただタスキをゴールに運ぶだけに切り換えざるを得ないかもしれません。

2011年4月16日土曜日

今日は千葉大学走友会の練習会と総会が松戸でありました。準備運動の後、いつもは江戸川の葛飾橋までゆっくり走って、そこから時差スタートするのですが、今日は普段の練習会にあまり顔を出さない園芸学部のある教員が参加し、葛飾橋に着いてからも止まらずにそのまま走り続けてしまったので皆も引きずられてそのまま走り続けてしまいました。従って、私はあっという間に引き離されて皆の姿が見えなくなってしまいました。私よりも年長者や、私よりも体重オーバーな人もいてマイペースでの練習をしましたが、私もマイペースで往復10km地点で引き返しました。皆は往復20km地点まで行って競走しながら帰ってきました。私はこのままの体調では、29日の横浜駅伝のアンカー区間(8.195km)を走るのは厳しそうです。

今日の練習会には、平成3年(1991年)に千葉大学走友会の設立を呼びかけた当時の人事課長O氏が久し振りに参加したので、懇親会が盛り上がりました。O氏はその後全国の文部科学省関係の機関で幹部職員として勤務し、この3月で60才で定年退職し、東京のある株式会社に就職されたとのこと。文科省所管の公益法人ではないので、いわゆる天下りとは違いますが、現役時代のキャリアが生かせる職場のようです。政治家やメディアの中には官僚の天下りを諸悪の根源のように批判する風潮があり、一部は批判に該当するような実態もあるのでしょうが、年金受給年齢が65才なのに60才で強制的に定年退職させる制度にも大きな問題があるように感じます。人の能力には個人差があるのですから、一定の年齢で自動的に首を切るのは、アメリカでは性差別と同じように年齢による差別として憲法違反になる筈です。単なる天下りの受け皿としての無駄な公益法人の見直しと同時に、年齢による強制的定年退職制度についても見直す必要があるように思います。

幹事長が配布した総会資料には、平成3年12月23日付けの文教ニュースのコピーがありました。千葉大学走友会設立総会の看板の下で、当時の学長、事務局長と並んで会員の教職員が写っている1枚の写真が載っていました。今と比べると、皆ずい分若かったなあという印象です。私が走友会の初代会長で、10年間やりました。今年の12月で設立20周年を迎えるので、何か記念事業をやることになる筈です。

2011年4月15日金曜日

弁護団からは、支援者の3件の差し入れがちゃんと市橋君に届いたかどうかの連絡は今日はありませんでした。来週になったら電話で問い合わせてみようと思っています。

2月3日のブログで紹介した長野県で就農希望のU君からメールが届き、ブログを始めたので見て下さいとのこと。
http://blog.livedoor.jp/peachfarmer/

長期研修に入ったようですが、華やかな都会でのサラリーマンから、地味な田舎での農業に転職するには何らかのきっかけがあったのでしょうが、着々と歩を進めているU君には夢と未来があります。市橋君の場合と同じで私とは空手の稽古を通してだけの短い期間の付き合いでしたが、彼の今後をずっと見守り応援していくのは楽しみです。

岩手県盛岡市にある森林総合研究所東北支所で増殖して送ってくれたマツノザイセンチュウ(マツノマダラカミキリがこれを媒介して松の樹に侵入して松を枯らす)を、茨城県下館(しもだて)市の近くのある会社の研究所に電車で届けました。1枚のシャーレの培地に約100万頭入っていて、そんなシャーレが5枚ですから約500万頭という膨大な数のセンチュウです。千葉大学園芸学部でポットに移植した松苗が活着して試験ができるようになれば、センチュウを培地から分離してもらって、松苗に接種(苗1本に約1万頭)して試験を始めます。松林の復活を目指した基礎的研究ですが、多くの人達の協力で成り立っています。

今日は茨城県に出かける前に、時間を見つけて江戸川堤防を6km だけ走りました。

2011年4月14日木曜日

国立感染症研究所で開催された日本衛生動物学会殺虫剤班のシンポジウム「住環境で発生する媒介蚊の化学的防除事例から学ぶこと」は無事終わり、私の講演「住環境における殺虫剤散布のリスク管理」も準備が何とかギリギリで間に合いました。私は住宅内や住宅周辺での殺虫剤散布の経験はあまりありませんが(畜鶏舎やゴミ処分場を除いて)、松くい虫防除で大規模散布された殺虫剤の周辺居住環境への飛散実態調査や健康影響評価については長年の実績がありますので、異分野の経験としてこの学会の参加者には好評だったようです。

反対に私にとっては、他の演者の講演は私が普段取り組んでいる農業分野での殺虫剤問題とは異なり、感染症を媒介する蚊の防除が中心でしたので、新鮮でした。特に、経験豊富な緒方一喜博士の「殺虫剤による蚊成虫防除の試みと展望」と題した講演は、1950年代からの殺虫剤散布技術の総括が含まれていて、勉強になりました。西ナイルウィルスは、1937年にアフリカのウガンダで初めて発見された蚊が媒介する感染症ですが、アメリカでは1999年にニューヨーク州で初発患者が発見されて3年間で全米に拡散し、2010年までに犠牲者は数万人に達しているとのこと(正確には、患者数30,575人、死者1,198人、詳しくはhttp://www.city.yokohama.jp/me/kenkou/eiken/idsc/disease/westnile1.html
を参照)。このウィルスは、人と鳥と蚊の間で行き来するので、日本にもいつ上陸してもおかしくないのだそうです。そのために、東京のある地域では、緒方博士をリーダーとして、行政や地元住民が西ナイルウィルスが発見されたという想定で、媒介蚊を防除する住環境での殺虫剤散布の試験を実施したとのこと。

終戦後の日本社会の衛生状態は劣悪でしたので、ノミやシラミを防除するために学校の先生が子供たちの頭髪の中やシャツやパンツの中にまでDDTという殺虫剤を散布してくれました。蓋のない下水路や生ごみを捨てるゴミ箱には、役場の人がきて殺虫剤をまいてくれていました。最近はそういうことがなくなったので、いざ感染症が大流行する可能性がでてきた時にどうやって殺虫剤を広域に散布するか、どうやって必要な殺虫剤を備蓄しておくかも含めて、今から準備をしておくことが必要なようです。

これは、2005年9月1日に発行された本の表紙です。最近増刷されたので私も注文して購入しました。終戦直後に米軍兵士が撮ったたくさんの写真が掲載されていて、今の日本では想像もできない当時の様子がうかがわれます。「故郷へ 帝国の解体・米軍が見た日本人と朝鮮人の引揚げ」監修・解説 浅野豊美、訳 明田川融、株式会社現代史料出版、3200円
私自身も1942年に朝鮮の当時の平壌(ピョンヤン)で生まれ、1945年の終戦で南北を分断した38度線を越えて日本に帰国した引揚げ者ですが、まさにこの本の表紙の写真のように感染症を媒介するノミやシラミを防除するためにDDTという殺虫剤を体に直接散布されて、今日まで生き延びることができた一人です。DDTは衛生害虫だけでなく、農作物を加害する農業害虫の防除にも広く使われて食料生産にも大きな貢献をしましたが、環境中に長期間残留することがわかってその後禁止になりました。DDTの作用点は神経の軸索膜のイオンチャンネルにあることを世界に先駆けて明らかにした楢橋敏夫教授(元東大、その後アメリカに移住)によると、DDTはマラリヤの防除を含めて世界で600万人以上の人類の命を救ったと推定されているそうです。

本山の講演風景(葛西真治博士撮影)



2011年4月13日水曜日

4月11日に振り込まれた方(12回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は23,000円、延べ270人からの合計額は2,967,565円になりました。ありがとうございました。この方は、市橋君とそれほど年齢の変わらない息子さんをお持ちのお母様です。リンゼイさんのご両親への配慮から息子をかばうことができない市橋君のお母様に代わって、市橋君の適正な裁判と、更生の機会が与えられることを願ってのことでしょう。

東京農業大学のキャンパスは学生が大勢で活気に溢れていました。生協で教科書を買ったり、下宿を探したりする新入生を対象に、課外活動のサークルが思い思いの看板を持って道の両側に陣取り、熱心に新入部員獲得の勧誘活動をしていました。毎年この時期にはどこの大学でも見られる、若者たちの風景です。

私はまだ明日の講演の準備に追われています。講演が終わったら、弁護団に連絡をとって、昨日行われた筈の接見の様子について伺ってみるつもりです。

2011年4月12日火曜日

 
千葉県森林研究所(山武市にある)に車で行って、千葉県で維持・研究している松くい虫抵抗性のクロマツの系統(家系)の苗を入手してきました。茨城県で普及している抵抗性のクロマツの苗はすでに入手して実験を始めています。抵抗性といっても、松枯れの原因であるマツノザイセンチュウを接種して常に100%生存率を示すわけではなく、系統によって30%くらいから70%くらいと巾があります。特に九十九里の海岸のように地下水位が高い場所に植林すると抵抗性を発揮しなくなるという問題もあります。私たちは、千葉大学の緑地環境学科の先生たちと共同研究をして、抵抗性の松が植栽される環境条件によっては感受性になる原因を解明して、よく青松白砂と言われる海岸の美しい松林復活に貢献できたらと考えています。

千葉県森林研究所では、松くい虫対策の研究だけでなく、花粉のでないスギやヒノキを作出する育種の研究や、キノコ類のような特用林産物に関する研究など、少ない研究者人数で森林に関する現場の多様な課題に取り組んでいました。


松戸に帰ってきてから、江戸川堤防を8km 走ってきましたが、まだまだ駅伝大会で競走できるコンディションからは程遠い状態です。

2011年4月11日月曜日

1966年(昭和41年)に卒業した空手部の昔の仲間と久し振りに会って、7名で西千葉キャンパスの中を歩いて桜を見たり、道場の中を覗いたりし、その後駅裏のすし屋で一杯やりながら旧交を温めました。学生時代は工学部や理学部や園芸学部生でした。浪人して入学した者もいますので、年齢的には67才~69才で、一応社会での現役としての仕事は終わった男達です。中には工学部電気科卒で、福島原発の建設に関わった人もいました。昔の話に花が咲きました。過去を振り返って、お互いにあの時はそうだったのかと今になって発見することも多々あり、楽しいひと時でした。

昨日、貸倉庫を整理していたら、古い写真と一緒にアメリカの私の空手の道場に1970年初め頃来ていた弟子から送ってきたクリスマスカードの代わりの印刷物が出てきました。いいなあと思ったので捨てずにとってあったものです。
"There is no quiet place in the white man's cities.  No place to hear the leaves of spring or the rustle of insect wings.  But perhaps because I am savage and do not understand, the clatter seems to insult the ears.  And what is there to life if a man cannot hear the lovely cry of the whippoorwill or the auguments of the frogs around the pond at night?" 
「白人の町には静かな場所がありません。春の葉のささやきや、虫たちの羽を擦る音を聴ける所はありません。もしかしたら私が野蛮人でわからないから、町の騒音が耳を汚しているように思えるだけかもしれませんが。でも、もし人が夜鷹の愛らしい鳴き声や夜の池の周りでの蛙の口論を聴くことができないとしたら、人生には何があるのでしょう。」

その下には次のような説明がありました。
This is a portion of a letter written by a northwest indian to the president 121 years ago.  The author despaired for the quality of his environment and the quality of life of his people.  Let us take this opportunity to echo his concern.  For, as the one diminishes, so does the other.
「これは北西部のインディアンが121年前に当時のアメリカ大統領に書いた手紙の一部です。書いた人は、彼の住んでいるところの環境の質や彼の部族の生活の質の悪化に絶望を表しています。この機会に、彼の心配に私たちも共鳴しましょう。何故なら、一人が滅びれば、他も滅びるのですから。」

そして、次のように署名されていました。
Our best wishes for the new year.  We miss you and hope that we can return soon.
Joann, Jay, Brian and Steve HoneyCutt
「新年が良い年でありますように。皆さんに会えなくて淋しく思っています。近く道場に戻りたいと思っています。ジョアン、ジェイ、ブライアンとスティーブ・ハニーカット」

ハニーカットさんはお母さん(Joann)、小学生の息子二人(JayとBrian)、お父さん(Steve)の家族全員で道場に来ていました。その後の交流はありませんのでどうしているかわかりませんが、当時6~7才だった息子達は今では40代半ばになっている筈です。

2011年4月10日日曜日

今日は千葉県は県会議員の選挙があったので、午前中に妻と一緒に投票に行きがけに松戸にある園芸学部のキャンパスを散歩して、満開の桜を見て歩きました。午後は江戸川堤防を8km 走って、その後は貸倉庫の整理をしました。今度の講演で使おうと思っている写真(建物の床下に殺虫剤を散布している風景)がある筈なのですが、なかなか見つかりません。代わりに、私の研究室を専攻してくれた学生諸君と撮った写真や、走友会の仲間と撮った写真や、家族と一緒に撮った写真や、アメリカの友人達と撮った写真がたくさん出てきました。


これは、サウスカロライナ州Gaffnyに住んでいる友人のLarry Tate 君の牧場の池でルアー(疑似餌)でLarge Mouth Bass (日本ではブラックバス)を釣り上げた時の写真(自慢の1枚)です。写真には93.9.3 という印字がかすかに見えますから、今から約18年前で私が50才頃の筈ですが、我ながら若かったなあと思います。Tate 牧場は、私がアメリカに行くときは必ず訪ねることにしている場所のひとつですが、釣った魚はいつもTate 君の奥さんがすぐ料理をして夕食のテーブルに出してくれます。

明日は、千葉大学空手部で同期だった仲間から西千葉キャンパスでお花見をしようという誘いの電話があったので、参加するつもりです。

2011年4月9日土曜日

4月7日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は13,000円、延べ269人からの合計額は2,957,565円になりました。ありがとうございました。

先日甲状腺切除手術を受けたアメリカ人の友人から、また電話がありました。病理検査の結果、癌ではなかったから今まで通り生きられるとのこと。ホッとしました。1969年以来の空手の弟子/友人です。ノースカロライナ州立大学は中退しましたが、魚釣りにも一緒に行ったし、映画を見に行ったり、食事をしたり、ワシントンDCへの車での旅行にも付き合ってくれたり、彼との交流を通してアメリカ南部の白人男性の保守的なよい面を教えられました。年老いたお母さんが亡くなるまでお世話をして、60才を過ぎてもいまだに一度も結婚していませんが、若い時には、好きな女性がいると言って私に写真を見せてくれ、ギターを弾きながら恋の思いを歌ってくれたこともありました。日本式に言えば、真面目で、純情で、不器用な性格なので、結局恋の思いを彼女に伝えられなかったのかもしれません。存命中のお母さんが、ある時に家を訪ねた私に、自分の希望は息子が結婚して家庭をもってくれることだと言ったことがあります。どこの国でも、母親の気持ちは同じだなと感じました。
余震は頻繁にあるけどこの辺りには大きな影響はないことと、海外の多くの国が震災の援助に駆けつけてくれた中で、アメリカの援助は最大規模でありがたかったと、感謝の気持ちを伝えておきました。

2011年4月8日金曜日

市橋君の手記が出版されて以来差し入れがストップしたという記事を3月31日のブログで紹介しましたが、すでに報告しましたように、その後3名の支援者から差し入れをした(郵送2件、直接持参1件)という連絡をいただきました。4月12日には菅野弁護士が市橋君に接見して、差し入れされた物がきちんと届いているかどうか確認されるそうです。

差し入れが意図的にストップされているかどうかを確認する実験的差し入れはこれで十分ですので、これ以上続ける必要はありません。ご協力をありがとうございました。

差し入れは、市橋君が社会には自分のことを心配してくれている人がいることを知る一つの方法でしょうが、一方では刑務所が保管できる数量は僅かだそうですので、それ以上が届いた場合は送り返すか、廃棄するか、菅野弁護士の事務所に預かってもらうか、ということになるようです。今後、差し入れをされるかどうかは皆様個人個人の判断ですし、私に報告して下さる必要はありません。差し入れが刑務官によって意図的にストップされない限り、市橋君が生活上必要なものは、弁護団が皆様からの支援金で調達して差し入れることができる筈です。

千葉大学園芸学部の桜は満開になりました。桜の樹の下で花見をしている学生達の姿も見られます。私も現役の時は、研究室の学生達(留学生も含めて)と花見の宴をしたことを思い出しました。

昨夜の比較的大きな地震のことがアメリカでもニュースで報道されたらしく、今朝はカリフォルニア在住の孫達から心配した電話がありました。アメリカに避難したらどうかとのこと。妻は、孫娘の6才の誕生日(4月28日)に間に合うように、近くのデパートで小さな女の子が喜ぶような細々したものをせっせと買い集めて、送る準備をしています。

今日は来週の講演の準備で時間をとられたので、江戸川堤防を6km だけ走ってきました。昨日、支援金を振り込んだとメールで連絡をして下さった方の支援金は、明日には届くでしょう。

2011年4月7日木曜日

4月5日に振り込まれた方(5回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は8,000円、延べ268人からの合計額は2,952,565円になりました。ありがとうございました。この方からは、差し入れを郵送したという以下のメッセージも添えられていました。
「本日4/5 市橋君宛にトレーナー、Tシャツ等を、支援者として〇〇〇〇さんと連名で差し入れ発送致しました。市橋君のもとへ届けられればうれしく思います。」

差し入れが行われた事実を、ちゃんと市橋君の手元に届いたかどうか接見の時に本人に確認できるように、山本弁護士と菅野弁護士にもお伝えしておきます。

私は、昼休みに江戸川堤防を14km走ってきました。

2011年4月6日水曜日

4月4日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は5,000円、延べ267人からの合計額は2,949,565円になりました。ありがとうございました。以下のメッセージもありました。
「お久しぶりです。わずかですが支援金を送らせて頂きます。近くの公園の桜がちらほら咲き始めて、このところとても暖かいので来週くらいには満開になりそうな感じです。桜を見ていると、とても心が和みます。市橋さんにも見せてあげたいなあと思いました。」

東京農業大学にも千葉大学園芸学部にも大きな桜の樹(ソメイヨシノ)が何本もあって、昨日・今日で急に咲き始めました。市橋君に直接見せることはできませんが、心の中で思い出して見ることはできる筈ですから、もしかしたら昨日支援者が差し入れたスケッチブック代わりの上質紙に絵を描いているかもしれません。差し入れをして下さったお二人の支援者からのメールは、お二人とも了解して下さったので菅野弁護士と山本弁護士に転送しておきました。山本弁護士からは今日早速メールの返信が届いて、迅速な対応に感謝され、今度接見に訪ねる時に、差し入れがちゃんと配達されたかどうか市橋君に確認するとのことです。

私と一緒に研究をしてくれている中国人の博士研究員の奥さんと娘さんは、放射能汚染を避ける意味もあって中国の大連に帰国していましたが、この4月から高校2年生になる娘さんは、日本が好きなのでどうしても日本の学校に行きたいということで、今日日本に戻ってきたそうです。まだ小学生だった時にお父さんについて千葉大学に遊びに来たので、デパートに行って水着を買ってあげ、一緒にプールで遊んだ可愛い娘さんです。帰国する前は親とも日本語でしか話さなかったのが、わずか3週間中国に滞在して戻ってきたら、自然に中国語で話すようになっていたそうです。若い人(子供)の適応力は本当に大したものです。

私は今日は走るのを休みました。

2011年4月4日月曜日

東京在住の支援者のお一人から、本日千葉刑務所を直接訪ねて市橋君に差し入れをしてきたとのメールが届きました。昨日遠方から郵送された方の分も含めて、きちんと市橋君に配達されるかどうか、弁護団を通して確認できたら報告致します。お二人には、迅速なご協力をありがとうございました。私も差し入れをしたことがありませんので、どういう風に行われるのかがわかって勉強になりました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今晩は。本日、千葉刑務所に行って来ました。初めての差し入れで、良く分かりませんので、まず電話で問合わせてみました。第三者でも差し入れ可能か伺いましたら、未決拘留者なら可能との事でした。刑務所内の売店以外で購入した物は差し入れ出来るのかも確認し、衣類は可能ですがヒモが付いてる物など制限があるようです。Tシャツもメッシュや収縮性が有るものは不可との事で選んで買いました。ペン類も不可で、スケッチブックは種類により、規制があるとの事でした。

差し入れの受付窓口で、差し入れる品物や氏名・住所・関係を記入し、身分証明書も提示しました。Tシャツは受付出来きましたが、スケッチブックも買って行ったのですが、電話での案内とは違いノート類も売店以外の物は受付は出来ないそうです。このような制限は未決拘留者によって違うのか確認しましたら、刑務所として制限が決まってるそうです。又、受付可否は窓口受取時に判断されるそうです。

★差し入れた品物★
現金〇〇円/Tシャツ2枚/サインペン黒1本・赤1本/蛍光ペン1本/万年筆1本/事務用箋1冊/上質紙50枚入り2冊

氏名:〇〇〇〇

上質紙の現品は見てませんが、受刑者が絵を書くのに購入されてるとの事でしたので、スケッチブックの代わりに購入しました。
名前は公表されなければ、弁護士さんや市橋達也さんに伝たえて頂いて結構です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

別の支援者からは、手記の出版以来差し入れがストップされている事に関して、以下のメールが届きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生こんにちは。昨日支援金を振り込みして来ました。3月31日のブログを読んであ然としました。ブログに書かれていたとおりの事が本当に行われていたのなら、刑務官の人が自分の失態を注意された事の怒りの矛先を市橋さんに向けたとしか思えない行為だと思いました。先生のおっしゃるとおり市橋さんにはそんな事で余計なストレスをためて欲しくないと思います。市橋さんは一人じゃないですよ、本山先生や支援して下さる皆さん沢山の味方がいる事を忘れずに一歩一歩前に進んで行って下さい。私も出来る限りずっと支援して行こうと思います。本山先生もお体大切になさって下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

卒論をお送りした支援者からは以下の感想をいただきました。到着しましたら、次の順番の方にお送りします。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
卒業論文を送って下さり、ありがとうございました。さきほどヤマトの宅急便で郵送いたしました。
卒業論文ですが、本格的な内容でびっくりしました。細部にまで丁寧に調べ上げられていて、大変すばらしかったです。きっと相当な日数をかけて研究されたのだろうなと思いました。このわずか2年後に、事件は起きてしまった事になり、信じられない気持ちでいっぱいです。やはり何か突発的な事だったのでは…と思えてなりません。
この度は貴重なものをお貸しいただき、本当にありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私は、4月14日の講演のスライド作成が少し進みました。5月13日にも別の会合での講演を依頼されましたので、了承しました。私の話を聞きたいという要望があるのは、嬉しいことです。

今日は江戸川堤防を10km走ってきました。来週の土曜16日には、千葉大学走友会の総会と横浜駅伝大会に向けての練習会が園芸学部であります。最近出場したレースの記録によってハンディを付けて時差スタートし(たいてい私が一番遅いので一番早くスタートします)、江戸川堤防を20kmくらい走ります。いつも皆顔はニコニコして今日は競走じゃないから楽しんで走ろうと言って相手を油断させながら、内心は闘争心を燃やして、途中から必死の戦いになって1mでも1歩でも先にゴールインしようとします。ランナーの心理は、いくつになっても子供みたいで愉快です。

2011年4月3日日曜日

ちょっと前に遠方にお住いの支援者から、今日衣類を郵送で差し入れたとのメールが届きました。ありがとうございました。山本弁護士にこの事実をお知らせし、市橋君が刑務官に不当な差別を受けているかどうか確かめていただきます。ありがとうございました。

私は4月14日に予定されているシンポジウムでの講演(40分)の大体の構想ができましたので、今からスライドを作って肉付けをしていきます。

少し気持ちの余裕ができたので、今日は江戸川堤防を14km 走ってきました。気温が低く無風で、走るには絶好の日和でした。3月14日から横浜駅伝大会に向けたトレーニングを始めてまだ112km しか走っていませんが、すでに足取りが少し軽くなってきた気がします。4月29日までまだ3週間以上あるので、これからは徐々に走る距離とスピードをあげようと思っています。

2011年4月2日土曜日

3月31日のブログで、「もし、1月25日以降に市橋君に差し入れをした方がおられましたら、何月何日に何を差し入れされたか、至急私宛にご連絡下さい。連絡先は: n3motoya@gmail.com です。」とお願いしましたが、今のところまだどなたからも申し出がありません。プライバシーは厳密に守りますので、もしおられたらご連絡をいただきたいと思います。

刑務所の独居房に長期間拘束されていると、社会で生活していれば毎日経験する他人との普通の会話が全くない状態だとすれば、誰かが差し入れに来てくれていれば、たとえ直接の接見は禁止されていてできなくても、少なくとも誰かが自分のことを思って来てくれているという事実は感じる筈です。それが社会との唯一のつながりになり、いつの間にか期待をするようになれば、一種の依存状態になるのかもしれません。それが今度はある日突然差し入れが来なくなると、理由がわからなくて精神的に不安定になってイライラが募るのでしょうか。弁護団は、市橋君のそういう状態を解消してあげたいと考えているのかもしれません。そのために必要な情報です。

ほとんどの学会や会合は地震の影響で中止になりましたが、4月14日に国立感染症研究所で予定されていた日本衛生動物学会大会における殺虫剤班シンポジウムは開催を実施するという連絡がありました。私は、「住環境における殺虫剤散布のリスク管理」という演題で講演を依頼されていますので、大急ぎで準備を始めました。ちょっと難しいテーマなので、今から相当頑張らなければなりません。

今日の駅伝大会に向けてのトレーニングは、やはり時間がなかったので江戸川堤防を6km だけ走りました。

2011年4月1日金曜日

3月30日に振り込まれた2名の方(4回目と15回目)の支援金が届きました。4回目の方からはメッセージがありましたが、ブログに載せないでほしいという要望がありましたので載せません。15回目の方からは以下のメッセージがありました。ありがとうございました。
「市橋君、一日も早く立派に更生される日を楽しみにしてます。いつまでも応援します。期待してます!! 本山先生、市橋君の情報をいつもありがとうございます。御身大切になさって下さい。」

これで支援金の現在高は206,000円になりましたが、昨日全額を払い出して菅野弁護士に届けましたので、実際の現在高はゼロ円になりました。菅野弁護士からの領収証は全てスキャンして添付してありますが、念のため今までの合計額を計算してみましたら、私の入金記録簿と52,000円合わない(少ない)ということに気がつきました。そこで、入金記録簿の入金をもう一度最初から全部足し算してみましたら、途中2ケ所で計算ミスが見つかりました。今日まで延べ266人からの支援金合計額は2,944,565円となり、領収証の合計額と一致しました。支援金は、いずれは信頼のおける第三者に支援者の個人名がわからないようにして会計監査をしてもらって、皆様に報告するつもりです。

今朝はまたアメリカの空手の弟子/友人から放射能汚染を心配した電話がありました。彼自身が心臓にも問題をかかえていて、今週の月曜には入院して甲状腺切除の手術を受けたばかりです。手術は順調にいったという報告を兼ねていたのでしょうが、皆が私の家族のことを心配して、お金を出し合うから原子力発電所の問題が落ち着くまでアメリカにきて住まないかという提案でした。この辺りでは全くそんな健康影響を心配するような状況ではないことを伝えましたが、人種や国籍にかかわりなく、こうやって私たちが無事かどうかを心配してくれる友人というのはありがたいものです。

東京農大の私の研究室では醸造学科の大学院修士課程1年の学生が論文をスキャンしてデータ入力するアルバイトの仕事をしてくれました。就職活動をしているけど、応募してもなかなか面接までいくのは少ないとのこと。水の浄化に関する研究をしているのでそういう関連分野の企業に就職したいというのが希望のようです。なかなか好青年ですので、希望に沿ういい会社に採用されればいいなと期待しています。

今日は農大の周りを約6km 走りました。