2011年9月30日金曜日

支援者からお便りが届きました。
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昨日9/29(木)千葉刑務所に差し入れに行きました。千葉刑務所内の売店は9/28~30の3日間停止してますので、昨日は本のみ(汝の敵を愛せよ/マーティン・ルーサー・キング)差し入れました。

政府の業務仕分で、10月から(株)矯正協会千葉刑務所支部から、一般公募のエームサービス(株)に変わる関係で棚卸しの為、物品販売業務を3日間停止してるそうです。政府の業務仕分は、司法協会が裁判所で行ってる裁判記録等のコピー代の見直しされてましたが、法務省所管の矯正協会の物品販売と刑務作業協力2事業も見直し対象だったのは知りませんでした。
政府の業務仕分を調べてみましたら《矯正協会は、現職の刑務官が会費を集めて運営している実態に批判が集中。会費方法を見直し。非常勤で年約600万円の報酬の会長に4代続けて検事総長OBが就いていることから天下り廃止か無給勤務も求めた》と有りました。

市橋達也さんの更正や矯正の支えになりたいと思い、会員制の矯正図書館を利用してます。その建物に、矯正協会の本部も入ってます。刑務作業は受注が減り、刑務官が仕事をもらう為に苦労してるようです。今回の仕分けが、刑務作業に影響があるか分かり兼ねますが、良い方向に改善してもらいたいです。
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産まれたての赤ちゃんの時からよく知っているSarah (サーラ) Pleasants ちゃんは、ノースカロライナ州立大学(Business Administration=経営学 専攻)を卒業してお父さんと一緒に印刷業の会社をやっていますが、もう一方ではミツバチの巣箱をあちこちに20個も置いていて、蜂蜜生産もやって、週末にファーマーズマーケットで販売しています。今日はどんな風にやっているのか見せたいと言うので、蜂に刺されない様に防護服を着て体験させてもらいました。今は農家に頼んで他人の農場に巣箱を置かしてもらっているけど、ゆくゆくはお金を貯めて土地を取得して来年3月に結婚式を挙げる予定のボーイフレンドと農業をしながら自分の畑で蜂蜜生産をしたいというのが夢のようです。
昼ごはんは、一緒に「すしつね」に行ってお寿司を食べました。両親が離婚したので小さい時は少しわがままな子供でしたが、今はりっぱなビジネスウーマンに成長し、嬉しい限りです。

その後、私は市の中心部から郊外に移転したNorth Carolina Musium of Art (ノースカロライナ美術館)を覗いてみました。郊外で広大な面積が使えるので、常設企画館の他に特設企画館もあり、野外にもいろいろな美術作品が配置してありました。2~3時間の滞在では常設企画館だけしか見られませんでしたが、イタリヤ、ギリシャ、フランス、オランダ、エジプト、アメリカなど、時代別に作品が展示してあり、モダンアートや彫刻なども展示してありました。歴史博物館も自然科学博物館もそうでしたが、ここの美術館も入館料は無料でした。州立ですから、州の住民の税金と民間からの寄付で維持・管理しているのでしょうが、誰でもが無料で芸術を楽しめるというのは、うらやましく思いました。

アメリカ南部は南北戦争後も人種差別が根強く残った土地柄で、私が留学してきた1969年頃は白人と黒人は各々別の地域に住んでいました。この頃は大分混ざるようになってきましたが、それでも基本的には白人のコミュニティ、黒人のコミュニティというのがあります。私は空手の指導を通して両方に友人がいたので、両方に出入りしていました。残念ながらキリスト教の教会ですら、主に白人が行く教会と主に黒人が行く教会と分かれています。歴史的に黒人地区だったところに昔からある教会の前を通ったので車を降りて近づいて見ましたら、ドアの横の壁に1923年にアフリカ系アメリカ人の教会として設立された歴史的な教会であるという標示がありました。

夕方いつものようにLake Johnson に行ってジョギングを始めたら、途中から空が真っ黒になって雨が降り出し、全身ビショ濡れになりました。どっちみち毎回汗でビショビショになるので、構わず1周約5Kmを走ってストップウオッチを見たら、雨に背中を押されたらしくいつもより4分くらい早く走っていました。こちらへ来てからズボンのベルトの穴がひとつ短くなり、体調は絶好調です。明日は、海岸の町Wilmingtonに住んでいる友人を一泊二日で訪ねる予定です。

2011年9月29日木曜日

妻からのFAXが届きました。9月26日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は78,500円、延べ400人からの合計額は3,855,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもありました。
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いつもブログ(写真特に)楽しみに毎日拝見しています。19才の息子が心配です。お忙しいので返信は結構です。
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お子さんがどういう状態なのかはわかりませんが、もしかして引きこもりのような状態だとしたら、どなたか信頼のおける専門家のカウンセリングが必要かもしれませんね。私の大学時代の友人にも、息子さんや娘さんが学校での成績は優秀だったにもかかわらず引きこもりや、目標を喪失(そうしつ)して社会に不適応になった人が何人かいます。アメリカでも、20才代の息子や娘や娘の夫がObesity(病的肥満症)の人がたくさんいて、このままでは将来いろいろな病気を発症して親の世代よりも短命になるのではと心配している人がいます。話を聞いてみると、一応仕事はしているのですが、帰宅後は食べたいものを食べたいだけ食べて、テレビを見たり、ビデオゲーム(?)にはまって、運動は全くしないし、他の事に興味を示さないのだそうです。
私は精神科医ではありませんので適切なアドバイスはできませんが、自分だけの殻に閉じこもらずに、外に出て自然を眺めたり、風を体で感じたり、外の空気を吸ったり、体を動かしたり、友人達と語り合う時間がとれれば、生きていることへの感謝と、親をはじめ皆のお陰で生きていられるのだから大切に生きようという気持になってくれるといいのですが・・・。

今メールをチェックしたら、非支援者の方からこういうお便りが届いていました。市橋君が罪を償うということの中には、自分が犯した罪がどれだけ被害者やその家族を苦しませ、悲しませたかを悟ることも含まれる筈です。ありがとうございました。
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初めてお便り差し上げます。私は少し以前まで、犯罪被害者やご家族の方々が、その事件について手記を出すことが許せなくて、自分の家族が殺されたのをネタに、本を出すなんて最低だと思っていました。また、乙武さんの五体不満足なんかも、自分の障害をこれ見よがしにネタに著名になるなんて、なんて変わった人なんだろうかと疑問でした。しかし、最近、職場の人がある本を読んでいて、ぜひ読んで下さいと薦められ、最初は渋々読み始めました。
すると、これまで私が抱いていた気持ちが、あまりにも不謹慎であったことに気付き、自分の哀れさ情けなさを知ることとなりました。私が、職場の人に薦められ読んだのは、土師守さんの「淳」、蓮池透さんの「奪回、引き裂かれた24年間」
涙なしには読めませんでした。「淳」は、神戸連続殺傷事件の被害者の淳君のお父さんの守さんの手記で、蓮池透さんは拉致被害者の蓮池薫さんのお兄さんですが、突如として大切な家族を失った苦しみが痛いくらいに伝わりました。神戸連続殺傷事件の加害者は14歳で、しかも被害者の首を中学の門に置き去りにするという極めて特殊な事件と言えましょう。また、蓮池薫さんは、現在は日本で生活されていますが、まだ日本に戻れない拉致被害者は、たくさんいるようです。拉致は殺人事件ではありませんが、大切な家族を理不尽に奪われることは、殺人事件の被害者遺族の心情に通ずるものはあると感じました。
この本を薦めてくれた職場の人は、まだ若くて、神戸連続殺傷事件の加害者と同じ年齢です。その人が淳君のお父さんの手記や蓮池透さんの手記を読んでいたのには驚きましたが、本当にいい本でした。市橋被告に対して、嫌みのつもりも嫌がらせのつもりも毛頭ありません。理不尽に大切な家族を奪われた人が、どれだけ苦しい思いでいるのか、どんなに悔しくて悔しくて仕方ないのか、少しでも理解してもらえたらと思いました。蓮池薫さんは帰国されましたが、まだ帰国されてない方と、そのご家族。土師淳君のご家族には、もう二度と戻らぬ最愛の息子さん。大切な存在を、思いも寄らぬ形で失った方々の声。市橋被告にも読んでもらいたいです。
明後日、ゆうパックにて届きます。不快なら読まずに捨てて下さい。上記の二冊を送りました。
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妻との電話では、今日は高校時代の仲の良かった友達と4人で東京在住の一人の家に集まって楽しいおしゃべりをしてきたとのこと。私が留守なので羽を伸ばせていいなあと羨ましがられたとのこと。

今年の1月に前立腺がんが肝臓に転移して急に亡くなった空手の弟子/友人のJohn Burgess 君の奥さんのMaureen モーリーンさん(58才だそうです)を訪ねて、1時間くらい一緒にJohn 君の思い出話をしてきました。遺灰はまだJohn 君の写真と一緒に部屋の中に置いてありました。お母さんが名古屋出身で、終戦後進駐軍の空軍兵士として名古屋に来ていたアメリカ人と結婚して産まれ、2才の時にアメリカに帰国したきりだったので、名古屋の親戚を探してあげようとして元住んでいた場所まではわかったのですが、間に合いませんでした。それでも送ってあげた名古屋の写真は亡くなる直前に間に合って、喜んでくれたとのことでした。John 君が産まれて間もない時に、軍服姿のお父さんが赤ん坊のJohn 君を抱いている3cm×4cmくらいの小さな白黒写真(名古屋で撮影した)をはじめ、幼少時の写真が何枚かありました。

今日はローリー市の中心部にあるNorth Carolina Museum of Natural Sciences(ノースカロライナ自然科学博物館)に行ってきました。4階のフロアごとに興味深い展示がありました。スペースが広くとってあるので、湿地の生態系では実際に水槽を組み合わせて淡水魚を泳がせたり、森林の生態系では滝を作って水を流したりして効果的な展示がしてありました。
自然科学とは分野が違いますが、1928年に日米親善目的で子供の人形をお互いに交換して展示したとのことで、日本から贈られた日本人形(Miss Kagawa と書いてある)が飾られていて、第二次世界大戦中も、悪いのはアメリカに戦争を仕掛けてきた日本のリーダーで国民が憎いわけではないとして、展示を続けたという説明がされていました。
男子トイレに入ってみたら、広々としているだけでなく、洗面台には子供の手が届くように踏み台が用意してありました。
もう一つ気がついたのは、take a child outside (子供を野外に連れて行こう)週間のポスターが貼ってあったことです。子供たちが教室の中で教科書で知識としてだけ自然科学を勉強するのではなく、野外で実際に自然を観察させようという活動はなかなかいいなあと思いました。

Lake Johnson では子供を乗せたストローラー(乳母車)をひいて散歩をしているお母さんや、犬を連れてジョギングをしている女性の他に、リスの写真がやっと撮れました。林床では傘の直径が20cmくらいもある白い大きなキノコも見つけました。

        

2011年9月28日水曜日

支援者から嬉しいお便りが届きました。市橋君が自暴自棄的になったのは、ブログには書けませんが、差し入れされた聖書が原因ではありませんのでご自分を責める必要はありません。帰国しましたらできるだけ早い機会に接見して、彼の心身の状況を確認して皆様に報告したいと思っています。
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毎日、ブログを拝見させていただいています。アメリカでの日々は とても充実されてるようで良かったですね。○○は今日は暖かいですが、週末からは寒波の影響で寒くなるそうです。四季がはっきりしていて良いのでしょうけど、寒がりの私には夏が短いのが残念でなりません。
市橋君には連日のように本の差し入れがありますね。こんなにも支援者?がいるのかと驚いています(笑)
市橋君に手紙を書こうと思っているのですが、なかなか内容が決めれずまだ出せずにいました。先生がアメリカに行かれる前に接見した彼の様子が気になり、明るい内容と言っても何を書いて良いものか? と考えてしまいました。市橋君の心境に何があったのかは私には分かりませんが、私の送った聖書を読んで心が沈んでしまったのか?とか...いろいろ考えてしまいます。そうで無い事を祈ります。
先生が日本に帰られて 市橋君に接見した後の様子を見てから出してみようかと思っています。
先生もアメリカでの日々を楽しんできて下さいね。先生が元気に戻られてくる事を楽しみに待っています。それでは...
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非支援者から、ファッション雑誌のGainer10月号とカジカジ10月号を差し入れたとのメールが届きました。私にはどういう雑誌なのか全くわかりませんが、市橋君のためにわざわざ千葉刑務所まで出かけて下さったとのこと、ありがとうございました。

私のこちらでの滞在期間も残り少なくなりました。今日はErnest Hodgson 教授、Mike Roe 教授とToxicology Department (毒性学科)のセクレタリーをしている彼の奥さんと一緒に大学内のAlumni Association (同窓会)会館のレストランで昼食を食べました。アメリカの大学は州立大学でありながら、高額の会費を払って会員にならなければ使用できないような高級レストランや、ゴルフ場を経営しています。近日中にはキャンパス内にホテルを建てて経営する計画まであるようです。大学から歩いて行ける範囲にすでに大きなホテルがいくつかあるのですが・・。

午後からは車で20~30分くらいのところにある恩師のW.C. Dauterman教授が眠るセメタリーにお墓参りに行ってきました。モーテルの近くのWal Mart というショッピングセンターでお花(造花)を6本買って(6.750%の税金込みで32.03ドル=約2500円)持参し、どなたかが銅製の花瓶に挿して時間が経って色褪せたお花と取り替えてきました。
夕方にはいつものようにJohnson 湖の遊歩道1周約5Km をゆっくりジョギングしてきました。友人が5Kgのダンベルを貸してくれたので、時々はほんの軽くだけですがモーテルの部屋で腕や肩の筋力トレーニングもしています。

Kelly 君のところに行く途中には山の上の牧場があったり、カボチャ畑がありました。私も千葉大学を定年退職した後は、こういうところでKelly 君と一緒に牧場をやるのが夢でした。夢のままで終わってしまいましたが・・。山の中の道路沿いには昔風の田舎の店があります。Poor Farmer's Market (貧乏百姓の市場)という名前のお店では、地元産の野菜や果物を店頭に山のように並べて売っていました。日本のスーパーのように、産地別の高級ブランド品を一つ一つ包装して高値で売っているのとは違いますが、おいしさは十分です。例えば、リンゴのRed Delicious(赤いデリシャス)は小粒ですが10個くらい入った袋には3ドル99セント(約319円)の値札がついていましたので、1個32円程度です。

Marie マリーさんの亡夫サイラス・ターマン氏の自伝を少しずつ読んでいますが、自分が産まれた時に難産だったのか母親が亡くなり、実の父親は当時11才の長男をはじめ子供がすでにたくさんいたので、子供のいなかった兄弟に養子に出したとのこと。産まれた時から母親の乳ではなく、牛の乳(昔ですから搾ったままの)で育てられたとのこと。昔のアメリカの山の中の生活がよくわかって、惹き込まれます。Marie さんによると、本の裏表紙の大きなカボチャを片手で持っているのは、力が強いことを自慢しているのだそうです。よく自分もひょいと抱きかかえらたと言っていました。

            (写真はクリックすると拡大できます)

2011年9月27日火曜日

Kelly 君の家はMT. Airy という町から山をいくつも越えてKibler Valley という谷に相当する場所にあります。すぐ前をDan River という川が流れていて、周りは山に囲まれています。彼が勤務している電力会社の社宅ですが、相当古い木造です。昨日もちょっとだけ寄ってみましたが、昨年よりも犬が増えてざっと数えて15匹くらいはいました。私が顔を出したのでうるさいほど吠(ほ)え続けましたが、家の中に入ると全部が寄ってきて甘えます。捨て犬(片目や足が1本動かなかったり、障害のある犬がほとんど)を奥さんのJannie さんが拾ってきて可愛がっているのだそうです。Kelly 君の話では、何日か前にコッパーヘッド(アメリカマムシ=毒蛇)が台所に2匹入ってきて、犬が3頭鼻の辺りを噛まれたので獣医のところで注射を打ってもらったとのこと。もちろん蛇は外に出して殺したそうです。時々はブラックベア(熊)も台所の外のゴミ箱をあさりに来るそうです。ちなみにKelly 君は勤務に行く時はピックアップ(小型トラック)に拳銃を入れていくそうです。

昨夜は、MT. Airy のThe Hollows というモーテルに泊まりました。古くて設備もガタがきているのですが、いかにも田舎の安モーテルという感じで、風情(ふぜい)があるので私は毎回利用しています。Kelly 君には、そんなCrummy (うす汚い)モーテルじゃなくても、町にはもっとましなモーテルがあるよと言われるのですが。朝はゆっくり起きて、Ararat River (アララット川)と呼ばれる小さな川沿いに作ってある遊歩道を散歩したり、昨日と同じPorkey'sというレストランで地元の人が食べるのと同じ朝食(卵二つと丸いソーセージ2ケとトーストとグリッツとコーヒー)を食べました。ローリー市への帰路、Winston Salem (ウィンストンセイラム)という町に向かってハイウェイ52号を南下する途中に、Pilot Mountain (パイロット マウンテン)という変な形の山があって昨年も寄ったのですが、今年も寄ってみました。

下から見上げたら山のてっぺんは雲に隠れて見えませんでした。車で頂上付近まで行けるので、駐車場に車を置いて、そこから先は徒歩で登ってみたらやはり濃霧で視界はゼロに近い状態でした。どうしてこんな形の山ができたのか不思議な感じですが、少し紅葉が始まっている木もあり、湿度が高いのか木や岩に緑色の苔が生えていて、それが鮮やかな感じでした。しばらくしたら風が霧を拡散して太陽も見えるようになり、下界の牧場や高速道路なども見えるようになりました。しばらく景色や森の空気を楽しんでから、ローリー市に戻ってきました。一泊二日の旅行で、濃霧だったために天候には恵まれませんでしたが、その代わりにMarie さんに会っていろいろ昔の生活の様子の話が聞けたり、他に予想外に得るものがたくさんありましたので、満足しています。

夕方は、いつものようにLake Johnson に行って1周約5Km をジョギングしてきました。湖の上の空に浮かぶ白い雲が湖面にも映っていました。

2011年9月26日月曜日

支援者から以下の本を差し入れするとのメールが届いています。
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昨日9/26(月)千葉刑務所に差し入れに行こうとしましたが、一昨日のブログでお花の差し入れをされたとのご報告がございましたので、日にちを置いて、お花と本の差し入れに行きます。最初にお花を差し入れた時に確認しましたら、やはり翌日に届くそうです。金曜日に差し入れた時は、月曜日に届くと仰ってました。
東京拘置所に移送の時期も気になります。先日事前に伺った時は、まだ先のようでしたが、移送の状況を再度確認してから差し入れに行こうと思ってます。これから市橋達也さんに手紙を送ります。本は《汝の敵を愛せよ/マーティン・ルーサー・キング》を差し入れる予定です。
滞在中のモーテルから花火が見れて良かったですね。写真も綺麗でした。日本は残暑から急に寒くなり、秋らしくなりました。これからは、紅葉が楽しみです。アメリカの生活と写真も楽しみにしてます。
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バージニア州の山の中に住んでいる剣道の弟子/友人のKelly Brown 君を訪ねました。車の走行距離計で見たら片道約200マイルでしたから、320Kmくらいの距離です。マウント・エアリーMT. Airy という小さな町で待ち合わせをし、地元のPorkey's というレストランで食事をした後、車で山に登りました。Kelly 君は山の上にある水力発電のダム湖を管理していますので、私が来るといつもボートを出して周りの景色を堪能しながらフィッシングをするのですが、今日はあいにく雨上がりで濃霧が発生していましたので止めました。いつもだったら遠くの山並みが見える展望台も視界ゼロに近いくらいで何も見えませんでした。

Kelly 君の奥さんのジェイニーJannie さんは、以前はMT. Airy の老人ホームに勤務していましたが、施設の老朽化で一時閉鎖された時に辞めて、今は山の上に住んでいるマリー・ターマンMarie Turman さんというアルツハイマー病を患っている80才代の女性の世話を週3日しています。Jannie さんにも会いたかったので、Kelly 君と訪ねてみました。ご主人は元はアメリカ空軍のパイロットで第二次世界大戦ではヨーロッパ戦線でドイツ軍と戦って、終戦後は空軍のパイロット訓練の教師をしていたのを除隊して郷里の山の中で酪農を中心に農業をしていたそうです。乳牛以外にも、アスパラガス、ブルーベリー、リンゴ、クリスマスツリーの栽培もやっていたそうですが、2002年に82才で亡くなったとのことです。Kelly 君の話ではTurman家の土地の広さは1000エーカー(120万坪=408町)くらいだろうとのことですから、想像もできない広さです。今は人に貸して小作料みたいなものをもらっているようです。
Marieさんは私が訪ねたので大変喜んでくれて、一緒に写真を撮ったり、家の中を全部案内して、興味深い昔の話をたくさんしてくれました。5人の子供(息子3人、娘2人)を育て、息子の一人はMT. Airy の町で牧師になり、もう一人は音楽家になり、もう一人については何をしているか聞きそこないました。娘の一人は今同居していて、MT. Airy の老人ホームに通って勤務していますが、もう一人の娘は1982年に交通事故で亡くなったようです。ご主人のサイラスSilas さんが生前に書いた原稿を今年出版したということで、「SILAS TURMAN: FOREVER GRATEFUL」(サイラス・ターマン:永遠に感謝します)というタイトルの自伝を一冊いただきました。音楽家になった息子さんはThe Joyful Noise という名前のバンドを組んで演奏旅行をしているようですが、昔フロリダに旅行したした時にレコーディングしたというレコードを1枚いただきました。日本に帰ったら誰かにCDに変換してもらおうと思っています。
私と話している時は全く正常で24時間介護が必要な病人には見えませんでしたが、Jannie さんによると、急に不機嫌になって怒り出したり、料理をするのに電熱器のスイッチを入れたまま切るのを忘れたり、知らない間に一人で外に出て今は他人が住んでいる元両親が住んでいた家に入ってお母さんはどこと言って探したりするのだそうです。
息子達が使っていた部屋にはベッドや息子達が子供の時に遊んだ人形などがそのまま置いてあったり、亡くなった娘が使っていた部屋のベッドもそのまま、壁のカレンダーも亡くなった年1982年のものがそのままになっていました。子供たちが今でもそこにいるかのように、私を案内する時はドアをノックして入っていました。おばあさんの時代に使っていた女性の乗馬用の鞍は、私には珍しかったです。女性は馬に跨(またが)らずに、突起に片足を引っ掛けて横座りの格好で乗ってたずなを握ったのだそうです。試しに私も女性用の鞍に乗ってみましたが、体重のバランスが不安定で長時間続けると乗り心地が悪そうでした。パイのような料理を作った時に、子供がつまみ食いしたりハエがたかったりしなしいようにしまっておいたPie Safe (パイを入れる金庫)と呼ばれる木製の簡単な保管庫もありました。その他にも、糸紡ぎや足踏み式のミシンやランプや古い大きなラジオなどもちゃんととってありました。おばあさんが1911年に作ったというキルトには、家族の名前が一人一人縫いこんであって見事なものでした。

車も電気もなかったおじいさん・あばあさんの時代のアメリカの田舎の生活がどんなだったか、おもしろくて、おもしろくてたまらないくらいでした。今では想像もできない不便さ(例えば、山からMT. Airy の町までわずか20マイル=32Kmの道のりをA horse and buggy と呼ばれる幌(ほろ)付き馬車で昼食持参で片道1日かかって、川には橋がないので浅瀬を見つけて馬に荷車を引かせて渡ったり)の中でも、人々はちゃんと工夫をしてそれなりに生活していたのです。旅路の途中でトイレをしたい時は、男は森の片方の方角に、女は反対の方角に入っていって用を足したそうです。Marie さんは今はアルツハイマー病とは言え、母親としての子供たちや家族への愛情は、アメリカも日本も同じだなあと感じました。今は巣立った子供たちや亡くなったご主人との生活が今も続いているかのように暮らしている様子でした。

2011年9月25日日曜日

今日は人と会う約束がなかったので、シャワーを浴びてひげを剃ってからゆっくり朝食を食べました。
車で市の中心部の近くまで行って路上駐車をし(日曜はパーキングメーターのあるところでも無料になります)、Saint Mary's Women's College セントメアリー女子大学に歩いて行きました。以前こちらに住んでいた時も、秋が深まるとキャンパスの大きな樹木が鮮やに紅葉するのでよく家族と一緒に写真を撮りにきたところです。今日はまだ紅葉の時期ではありませんでしたが、あいかわらずよく管理されていて、大きな樹木も、新たにできていた芝生のサッカー場も見事でした。学生寮みたいな建物から女子学生3人が出てきて、どこかに歩いて行きました。学内の案内板を見ると、この大学は1842年にキリスト教会の学校として設立され、南北戦争中は南軍の駐屯地にもなったようです。

それからNorth Carolina Museum of History ノースカロライナ歴史博物館に行きました。入り口の前にはブロンズ像が3体立っていました。アメリカインディアン、白人、黒人で、ノースカロライナの歴史を作ってきた主役です。館内は寒いくらい冷房が効いていました。展示場がいくつかに分かれていて、白人が来る前の歴史から、インディアンとの戦争、イギリスとの独立戦争、南北戦争から、第二次世界大戦、朝鮮戦争、イラク戦争まで展示がしてありました。日本との戦争では広島に原爆を落としたパイロットは、戦争の終結を早めた英雄のような説明がされていました。ノースカロライナ出身のスポーツのスター選手の展示室もありましたが、私の興味を一番惹いたのは、ある写真家が撮り続けた子供が過酷な労働に従事している写真の展示でした。世界では今でも5~14才の子供が2億5千万人も労働に従事して危険にさらされているそうですが、アメリカでも子供の労働の70%は農場で、タバコ、ブルーベリー、クリスマスツリー農場が中心だそうです。1枚の写真には、「No children under 12 in the fields at any time 農場ではいかなる時も12才以下の子供(の労働)は禁止」という看板が農場の中に写してありました。日本でも終戦後に義務教育制度ができるまでは子供の労働(丁稚奉公など)は普通に見られたのでしょうが、アメリカのように季節労働者を多く使っている農場では、子供を学校に行かせずに仕事をさせてしまう(特に出稼ぎ外国人の場合など)という問題があるのかもしれません。
歴史博物館の近くの路上には、ノースカロライナにゆかりの深い植物が植えて展示してありましたが、その中の一つであるタバコ(ノースカロライナ州は有数の産地です)はちょうど可憐な花が咲いていました。

夕方はいつものようにLake Johnson を1周5Kmをジョギングしてきました。ボートからつりをしている人もいました。ひょっと見たら、ボート小屋の壁に何かが飾ってあったので近づいてみたら、緊急時のための救命浮き輪でした。いたずらされないようにカバーが掛けてありましたが、英語でもLife Ring というとは知りませんでしたので、ひとつ勉強になりました。遊歩道を夫婦や友人や恋人と走ったり、歩いたり、犬の散歩をさせたり、乳幼児を乳母車に乗せて押したりしている人がたくさんいます。夕方の1~2時間ですが、日本の大都市近郊のように通勤に時間を取られて家族と一緒に過ごす時間がなかなかとれないのに比べると、うらやましいくらい、普通の人間的な生活をしているということでしょう。

モーテルの庭にはCrab Apple Tree (野生のリンゴ)が植えてあって、今は赤い小さい実(食べられるそうです)が真っ赤できれいです。夕方7時半を過ぎて暗くなったら大きなパンパンという音が連続して聞こえたので、もしかしたらと思って窓からRegency Park の池の方を見たら、花火を打ち上げていました。1時間もしないで終わりましたが、こちらに来て滞在している部屋の窓から花火が見られるとは予想外でした。

2011年9月24日土曜日

9月21日に振り込まれた方(19回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は77,500円、延べ399人からの合計額は3,854,928円になりました。ありがとうございました。

支援者から本を差し入れたというお便りがありました。
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ほぼ毎日更新されるブログを拝見し、先生の故郷(と言ってもよろしいのですか?)での充実した日々のご様子を添付された写真とともに、私も楽しく感じさせて頂いております。
さて、話は変わりますが、先日21日に千葉刑務所に行き、本2冊とお花を差し入れして参りました。お花は、いちばん最初に差し入れされた支援者の方の思いに共感し、可能な限り、私も定期的に届けたいと考えます。本は「原因と結果の法則」(著)ジェームス・アレン 他1冊です。
お花に関してですが、私が差し入れした日は午前中に行ったのですが、お花は当日ではなく翌日のお届けになるということでした。皆さんがお花を差し入れされた時もそうでしたか? もし、本人に届かなかった場合は破棄されるそうです。小菅に移られる日も近いと思いますので、その点は注意した方がよいと思います。
・・・ご報告まで。

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日野原先生の本を差し入れして下さった方からは、携帯の設定を切り替えた後で私が返信を再送信してみたら、ちゃんと届いているとの連絡がありました。

今日は、Bill 君とMargie さんと私の3人でシャーロットCharllotte という町の郊外に住んでいるDon Proffer 君を訪ねました。車で片道約3時間かかる所です。1969年に私の空手のクラスに入ってきた時は20才で大学2年生でしたが、軍人(グリーンベレーと呼ばれるアメリカ陸軍特殊部隊)だったお父さんが駐在していたタイ国で韓国のテコンドーを習ってすでに黒帯でした。私が永久ビザの申請に失敗して日本に帰国した後、道場を引き継いでくれた一番弟子/友人です。ノースカロライナ州立大学卒業後ローリー市の警察官として長年勤務した後、公認会計士の資格を取って会計事務所で働いていました。62才になった今はお母さんと妹さんと一緒に暮らしていますが、何ケ月か前に雨で濡れた坂道で滑って足首を複雑骨折し、金属のボルトみたいなもの6本で固定する手術を受け、まだ松葉杖を使いながらリハビリをしていますが、やっと車の運転もできるところまで回復したところでした。お母さんに会うのは初めてでした。82才とのことでしたが、私のことは昔から息子から聞いていたとおっしゃって、品のあるお母さんでしたので写真を撮らせてもらいました。猫をペットとして3匹くらい(1匹は2週間くらい家出して放浪しているとのこと)飼っていましたが、メタボでとても木には登れそうもない体型でした。

4人ですぐ近くにあるNational White Water Rafting Training Center(全国急流いかだ下り訓練センター)と呼ばれる施設に行きました。近くの大きな川の水を引いて人工的に造った急流で、Raft と呼ばれるゴム製いかだやカヤックと呼ばれる一人乗りの小舟で急流下りを楽しめます。アメリカのカヤック競技のオリンピック選手がトレーニングをする場所なので、National (全国)と言うのだそうです。その他にも、ロッククライミングの施設があったり、高台の上からZip Line (高速ケーブル)にケーブルカーのように金具を引っ掛けて、人間がぶら下がりながら1000m くらい滑り降りる施設や、自転車(マウンテンバイク)で上り下りの道を走れる景色のいいコースもありました。私もRaft に乗って急流下りをやってみたいと思いましたが、流れに転落したり水しぶきでビッショリになったりしますので、止めときました。
[流れが岩にあたったりするところは空気の泡で水が白く見えるところから、White Water は急流を表すのだとBill 君から説明されました。]

3~4時間遊んだ後、Don 君に別れを告げて、また車を3時間運転してローリー市に帰ってきたのは午後8時半を過ぎていましたので、「すしつね」という日本料理店で夕食を食べました。私は握りずしを頼みましたが、生の魚が苦手なBill 君は牛丼を頼んで、予想以上においしかったらしく、こんなおいしいものは初めてだと喜んでいました。

2011年9月23日金曜日

次の本を送ったというメールがありました。
○「神様のカルテ2」と「神様のカルテ3」が連載されてる「小学館ストーリーボックス」

先日日野原先生の本を郵送して差し入れしたとおっしゃった方が携帯をスマートフォンに切り替えてメールアドレスを変えたとおっしゃったので返信を差し上げましたが、また届かずに戻ってきてしまいました。お嬢さんからもメールをいただいたので返信をしましたが、同様に届かずに戻ってきました。

今日は雨でしたので、走るのは休んでモーテルの部屋で久し振りに空手衣に着替えて、1時間くらい一人でストレッチングをしたり、筋力トレーニングをしたり、突きや蹴りの練習をしました。

夕方はBill 君、Frank 君と奥さんのJoAnn さん、Margie さんと5人で、先日も行ったイタリアレストランで食事をし、それから近くの映画館 Blue Ridge Cinemas に行って7時20分からの映画Cowboys and Aliens という映画を観ました。日本での興行タイトルは知りませんが、西部劇時代のカーボーイが金を探しに地球に来た異星人と戦うというストーリーでした。皆が、恋愛ものなど言葉回しが微妙な映画は私が理解し難いだろうと考えて、活劇場面が多い娯楽映画を選んでくれました。一つの映画館に12の部屋があって、同時に12本も違う映画を上映していました。金曜の夕方ということもあって入場券売り場は長蛇の列で、私達の入った部屋もほぼ満席でした。この映画館は封切後時間が経った古い映画を上映し、入場料は普通は7~8ドル(600円くらい)するところを1ドル50セント(120円くらい)で観られます。
日本ではテレビやDVDの普及で映画館に足を運ぶ回数はめっきり減りましたが(私自身は年に1回あるかないか)、ノースカロライナ州のようなアメリカの田舎町ではまだまだ娯楽として人気があって、夫婦や友人や恋人同士でよく観に来ています。たいてい、入り口のロビーで売っているポップコーンと飲み物を買って中に入ります。

映画が終わってからは、別のメキシコ料理のレストラン兼飲み屋Amedeo's に寄って、コーヒーとチーズケーキで1時間くらい映画の感想その他のおしゃべりをして別れました。映画そのものもそうですが、こうやって仲間と過ごす時間は楽しいものです。レストラン内部はバー(酒飲み場)も兼ねていて、壁の高いところに360度の方角に大きなテレビが何台も取り付けられていて、食事をしながら、ビールを飲みながらスポーツ中継などが見られるようになっています。Amedio's はノースカロライナ州立大学のすぐ近くにあるので、大学のバスケットボールチームとフットボールチームの歴代のスター選手の写真が飾ってあります。特にバスケットボールは1974年と1983年の2回全米大学選手権で優勝した名門ですので、それを記念した旗も飾ってあります。アメリカの若者たちはこういうところで仲間と一緒に食事をしたりビールを飲んだりして健全な時間を過ごし、日本のようにホステスさんやコンパニオンさんのサービスはありません。

2011年9月22日木曜日

 昨日、高校野球の漫画「おおきく振りかぶって」1~3巻を郵送で差し入れしたと連絡してくれた高校生と名乗る人から、4~6巻も送ったという連絡がありました。ありがとうございました。帰国したら市橋君に接見して、誰からどんな本が届いたか確認します。几帳面な性格のようですので、差し入れされたものについては、すでに宅下げされたものも含めて自分で全て記録しているのではと思いますので(この高校生と名乗る方には返信を差し上げましたが、携帯の設定がそうなっているのか、届かずに戻ってきました。)

匿名の携帯メールで、「メンズジョーカー10月号」という雑誌をコンビニで買って千葉刑務所に行って差し入れしてきたという連絡がありました。

ローリー市は、人口の増加に伴って郊外へと拡大していきましたので、Capital 近くの旧中心街に古い建物や古い教会が残っています。中心街の再活性化に伴って、そんな古い建物もだんだん取り壊されているようです。
この辺りは昨日の夕方から夜にかけてかなり強い降雨がありました。今日の午後早めにJohnson 湖の1周5Km をジョギングした時は、周囲から表面水が流入して池の水は珍しく少し濁っていましたが、下流に位置するダムからオーバーフローしていました。ジョンボート(平底の舟)に電気モーターを付けてフィッシングをしている人がいて、昔の自分の姿を見る思いでした。

夕方はノースカロライナ州立大学のMike Roe 教授の車に同乗して、Ernest Hodgson 教授が現在住んでいる(以前は木々に囲まれた大きな一軒家に住んでいた)North Hills Shopping Center のアパートを訪ねました。昔はモールと呼ばれる大きな建物があって、いろいろなビジネスが入っていたのが、今は一つの町のようになっていました。Hogson 先生は79才になられてもまだ週6日は大学に行って働いておられるとのこと。最近はノースカロライナ州立大学の中にオフィスだけ維持して、実験室や学生は持たずに、毒性学関係の学会誌の編集の仕事や、イーストカロライナ州立大学(車で1時間半くらい離れている)のAgoromedicine Institute (農業健康被害回避研究所?)というプログラムのDirector (所長)職の仕事をしておられるとのことでした。アパートと言っても、1階部分はビジネスが入って、2階~4階が居住区域になっていましたが、中庭があったり、プールがあったり、エクササイズルームがあったり、バーのような集会所があったりで、高級マンションのような感じでした。奥様に先立たれて、子供たち4人も全員独立して一人で暮らしている先生にとっては、徒歩で全ての用事が足せる場所は便利だとのことでした。一番下のアパートの中庭で写っているのがHodgson 教授(左)とRoe 教授(右)です。Hodgson 教授は79才、私は69才、Roe 教授は59才ですから、ちょうど10年間隔の年代です。

日本から学会誌に投稿された論文の校閲依頼が届いて気になっていたのですが、今日はじっくり机に向かう時間があったので一気に済ませてオンラインで返送しました。先ずは一安心です。

2011年9月21日水曜日

 以下の本を差し入れたというメールが届きました。独居房の中の市橋君の心が少しでも癒されるようにとのご配慮、ありがとうございます。

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どうもはじめまして。○○県の○○といいます。
いわさきちひろさんの絵を見ていると心が癒されますので、私は幼いときから、いわさきちひろさんの絵本をよく読みました。大人になってからは画集を集めています。
○ちひろBOX
○ちひろ花の画集
○サトウハチロー、いわさきちひろ詩画集~おかあさん
以上の三点を市橋さんに送りましたので、よろしければ見ていただきたく思います。
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次の本についても、差し入れしたとのメールをいただきました。ありがとうございました。
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こち亀の小説を送ったという方がおられたのを知りまして、こち亀サポートの七月、八月、九月を千葉刑務所に、お送りさせてもらいました。こち亀サポートは読みきりの漫画です。毎月出ています。こち亀は面白いですね。みなさまの送られた小説の数々も大変良いものばかりですが、こち亀を読んで、少しは楽しい気持ちになって下さるといいなと思いまして、Amazonで購入しました。私もこち亀は小さな頃から好きです。拘置所の暮らしに楽しい気持ちとか不謹慎かも知れないですけれども、息のつまるような生活や、滅入る気分から、少しでも、一瞬でも解放されたらと思いました。私は支援の会には、振り込みはしていません。私の母が振り込みしたことがあります。(もう一年くらい前になるらしいです)
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私にお便りを下さる場合は、お名前も書いていただけると助かります。皆様のお名前を私が公表することは絶対にありません。支援者(支援金を振り込まれた方)は入金記録簿ですぐわかりますが、非支援者で本を差し入れされる方の場合、特に記録簿は作っていませんので、携帯のメールアドレスだけだとどなたか判断するのが困難ですし、過去のメール受信記録と照合するのは大変時間がかかりますので。

以下のメールも届きました。
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はじめまして。突然のメールすいません。○○○○といいます。大学生です。うちの父は、仏教徒ではないのですが、ダライ・ラマの本をよく読んでいます。父が、この支援の会の存在を会社の同僚から聞いたらしくて、先日、父が先生のブログを見たそうです。すると、みなさんが本を千葉刑務所に送っておられるのを知って、父がダライ・ラマの本を送ってあげたい。迷惑なら捨ててもらってもかまわない。とのことで、さっそくダライ・ラマの本を買って来てしまいました。
・ダライ・ラマ自伝
・抱くことば ダライ・ラマ
・ゆるす言葉 ダライ・ラマ
たくさんの人たちが、いろんな本を用意されてるのに、市橋被告に迷惑にならないか?と父に話したけど、父が以前仕事のことで、つまずいたり、大きな悩みを抱えた時にダライ・ラマの本を読んだら、大変な勉強になったから、良かったら読んでもらいたいし、迷惑だったら捨ててもらってもかまわないとうるさいのです。ご迷惑かも知れませんが、うちの父の気持ち受け取ってやって下さい。読むような気持ちになれないなら、遠慮なく処分して下さいと市橋被告にお伝え下さい。佐川急便で送ったそうだから、明日(23日)には届くと父が言ってます。
父は、パソコン操作も携帯操作も苦手なので、メールを代筆してくれと言われました。父の名前は○○○○といいます。○○○○名義で荷物は届きます。
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高校生と名乗る方から次の本を郵送で差し入れたというメールが届きました。高校野球の漫画だそうです。
○「おおきく振りかぶって」1~3巻

ローリー市は、昔は州都Capital を中心に政治、経済、文化活動が行われていましたが、ある時期から白人の富裕層が郊外に脱出する動きがでてきて、中心部は日本で言うシャッター街のように寂れてきました。その後、中心部を再活性化する施策がとられて徐々に活気を取り戻しつつあるようです。今日は久し振りにローリー市の中心部の辺りを車で訪ねてみました。Capital の正面には南北戦争で亡くなった南軍Confederate 兵士を追悼する像が建っていて、当時の大砲が飾ってあります。

ノースカロライナ州立大学の本部キャンパス(今は少し離れたところに広大な100周年記念キャンパスが別にあります)を訪ねて歩いてみました。私が1969年に短期間住んでいた学生寮は今もありましたが、キャンパス中に新しい建物がたくさんできていて、オープンスペースが少なくなった気がしました。

私が学生寮を出てから、間借りをしていた家の辺りや、翌年家族が合流してから自分の家を買うまで住んでいた借家の辺りをゆっくり車で回ってみましたが、昔と同じ落ち着いた雰囲気が保たれていました。一番下の写真の白い大きな木造の家は、私と同年代のアメリカ人の教授夫妻が古くてガタがきていた家を購入して手入れをして今のような美しい家にしたものです。

夕方は早めにLake Johnson の1周5Km をジョギングして、昔友人の家にカザフスタン(当時はソ連?)からホームステイに来ていた当時16才の娘Asel (アセル) Besekulova ちゃんと近くのアジアレストランで待ち合わせをして食事をしました。母親はウクライナ人で父親はカザフスタン人(カザフスタン語は言語的にはトルコ語に近いそうですが、写真で見た風貌は横綱白鵬のようなりっぱな体格で切れ目でモンゴル人に似ていました)ですが、初めて会った時は栗色の長い髪をポニーテールにして、服装も雰囲気も騎馬民族コサックの娘の感じでした。その後ノースカロライナ州立大学で二重専攻Double Major をして5年間で電気工学とコンピューターサイエンスの2つの学士号を取得して卒業し、今は製薬会社で、医薬品の製造工程の適正管理Validation の仕事をしているとのこと。いつの間にか32才になっていて、髪を金髪にして短くして、アメリカ人の優秀なビジネスウーマンの雰囲気に変わっていました。前の勤務地ボストンにボーイフレンドがいて、いずれこちらに引っ越してきて結婚する予定のようでした。16才だった外国出身の娘がこんなにりっぱになって(その間には本人の大変な努力があったのですが)、自分の娘のように嬉しく思いました。私の食事代も否応(いやおう)なく、Asel ちゃんが払ってくれました。

彼女が現在勤務しているプラントでは、他のプラントで製造したジェネリック医薬品(例えばモルヒネとかヘパリンなど)の原料をバルクで入手し、それを正確に秤量して、使い捨て注射筒に入れ、包装して出荷するそうですが、1分間に400本~600本の速度で、1日2交代制で製造しても需要に間に合わないくらいだとのこと。アメリカ国内の病院だけでなく、カナダやイギリスなど世界中に輸出もしているそうです。病院では一人の看護師が大勢の患者に注射をするので、薬品のビンからその都度注射器で吸い取るとどうしても量を間違えたり、違う薬品を吸い取る可能性があるので、それを防ぐためにあらかじめ注射筒に薬品を入れてラベルをして供給すれば、すぐ針を付けて間違えることなく注射ができるというアイデアのようです。社会のニーズを先取りして実行に移せば、大きなビジネスチャンスになるという実例でしょうか。

2011年9月20日火曜日

旅行中の記事に写真を添付しました。小型のデジタルカメラ(光学10倍ズーム付き)でたくさん撮った中から選んで添付するのに結構時間がかかりましたが、支援者の方々がご覧になってどんな風に感じられるか想像しながら1枚1枚選んでいくのは楽しい時間でした。日本は台風でそれどころじゃない様子ですが・・・。

夕方はいつものようにLake Johnson の遊歩道の1周約5Km を、植物や動物を観察しながらゆっくり走ってきました。リスも何回か見たのですが、カメラを構えると木に登って裏側に隠れたり、てっぺんまで登って隣の木に移ったりで、結局写真は1枚も取れていません。よく見ると、根元は1本なのに2本や3本に分かれて生長している木が結構たくさんあって、植物もまるで人間の双子や三つ子と同じような気がしました。松の木は高さが20m~30mはありそうな立派な木がたくさんあり、中にはハリケーンで横倒しになりながらも地面の中に残った根でしっかり生き延びている木もあり、生命力の強さを感じさせられます。

こちらへ来て2回目の洗濯をしていたら、今からバーベキューソースで味付けしたリブ(牛のわき腹の骨付き肉)を買っていくからと友人の一人から電話があり、ちょうど用事でNew Bern というノースカロライナ州の海に近い町から訪ねて来ていた弟さんと一緒にモーテルに来て、部屋で一緒に夕食を食べました。

2011年9月19日月曜日

私は遊牧移動民族の子孫のせいか、どこに行ってもよく眠れますが、Wayne 君の家でも朝6時半に起きてシャワーを浴びて、彼が作ってくれた朝食を食べました。彼自身は今は赤身の肉(ステーキ)は食べないので、菜食主義に近く、ダイエットには非常に気を使っているようでした。卵2個のスクランブルエッグとターキー(七面鳥)のソーセージと、コーヒーだけの簡単な朝食ですが、十分でした。
いつもは従業員よりも30分は早く4時には店に行ってその日の段取りをして、夜は8時半には寝るというパターンなのに、昨日と今日は私のために勤務時間を変更してくれました。

Wayne 君の家を9時過ぎに出発して、途中で昼食を食べて(Seafood/Chicken/Vegetablesという名のレストラン=こちらではシーフードとチキンと野菜は健康食のイメージがあります)ローリー市には午後2時半頃着きました。車の走行距離計を見たら、往復で420マイルですから、約670Km くらい走ったことになります。時速75~80マイルくらいで走れるインターステイトハイウェイを使わずに、わざと時速55~60マイルでしか走れないステイトハイウェイを走ったので、森や畑や牧場などの景色を楽しみながら走れました。途中、綿畑があって白い綿が雪のように見えたので車を路肩に止めて写真を撮りました。畑の横には、アメリカにとっては葛(くず)と同様に外来植物として嫌われている朝顔Morning Flower が咲いていました。
ガソリンを入れる時に(こちらはほとんどがセルフサービスだけで、昔のようにスタンドの店員が注油してくれるフルサービスのところは見かけなくなりました)、無鉛レギュラーの値段を見たら、1ガロン(3.8リットル)当たり$3.399($1を80円換算で272円)ですから、1リットル当たりに直すと約72円になります。これでもずい分高くなったと不満顔をしますが、日本に比べればまだまだ安いようです。

旅行中2日間はジョギングができなかったので、夕方はLake Johnson に行って2周約10Km を走ってきました。その後、どうしても旅行中は野菜不足になりがちなので、近くのHarris Teeter という食料品のスーパーに行って、たくさんの野菜や果物(トマト、キューリ、セロリ、オレンジ、ニンジン、ブドウ、ブロッコリ、キューリの漬物)とオレンジジュース、チーズを買ってきました。齢をとってきたせいもあるかもしれませんが、こちらに来てまだ一度もビールもワインも口にしていません。冷蔵庫にはビールが1ケース(6本)入っているのですが、飲みたいという気がしないので不思議です。

日本を出る時は、あれもこれもと頭の中が一杯で、それぞれに対応することに追われて気持の余裕がない感じがしていたのが、こちらに来て1週間ですでにエネルギーが回復してきた気がしています。日本にいる妻とは時々無事かどうか電話で連絡をとっていますが、向こうも私の食事の世話や山のような洗濯をしなくて済むので、あちこち出かけたりしてバケーションを楽しんでいるようです。

2011年9月18日日曜日

朝は雄鶏の鳴き声Rooster's Crow で目が覚めました。朝6時半頃、同じ敷地内にあるLarry 君の次男Jason の家に行き、彼のピックアップトラックでボートを引いて片道30分くらいのBlalock ブレイロック湖(Lake Blalock )にフィッシングに行きました。ボートから水の中に手を入れてみると水温が高く、バス(ブラックバス)の活動は全く見られず、水面近くを動かす疑似餌(トップウオータールア)も水底を動かす重り付きのプラスチックウオーム(プラスチック製ミミズ)も何回も投げてみましたが、3人とも釣果(ちょうか)はゼロでした。それでも、早朝に湖にボートを浮かべて周りの景色や水面を眺めながらのフィッシングは最高の気分でした。

昼頃Larry 君に別れを告げて、ノースカロライナ州の商業の中心都市シャーロットCharllotte市に向かいました。途中、田舎のレストラン(マクドナルドハンバーガーやケンタッキーフライドチキンのようないわゆるファーストフードの店はどこへ行っても変わり映えがしないので避けて)に寄って朝食を食べて、1970年からの空手の弟子/友人のWayne Brown 君の住んでいるシャーロット市郊外の小さな町のマシューズMathews 市に着いたのはちょうど昼過ぎでした。シャーロット市に住んでる1969年以来の空手の弟子/友人のDon Proffer 君も来てくれて、Wayne 君の家(Loft Condo と呼ばれるタイプで1階は商業用になっている2階立て)で、昔の写真をみせてもらったりして話に花を咲かせました。全員で近くのメキシコ料理のレストランに行って昼食兼夕食を食べました。

Wayne 君はOriginal Pancake House という全米で160店以上あるフランチャイスレストランの3つのレストランの総マネージャーGeneral Manager兼地域マネージャーDistrict Manager をしています。パンケーキ(ホットケーキ)やオムレツなどの朝食しか出さない(午後まで開店はしている)のですが、160席の店で一日当たり少ない時でも400~600人、多い時は1000~1200人のお客さんがあるそうですから、よっぽど手際よく準備、料理、配膳などをしないと不可能でしょう。1つの店で料理人だけでも7人もいるそうです。

Wayne 君の家はLarry 君の家とは正反対で、ドアを開けると1m四方くらいの板張り部分が玄関になっていて日本式に靴を脱がせ、家の中は絨毯(じゅうたん)を敷いて裸足です。ヘルマン・ヘッセの本がたくさんあり、今はTai-chi 太極拳の修行をしていて、仏像があったり、家の中のデコレーション一つ一つが芸術的に配置されていました。昔(大学1年生の時)からよく知っていますが、常に前向きPositive の姿勢で、政治的なことには全く無関心ですが、自分自身の武道や精神の修行には熱心でした。
彼の家でも、自分のベッドを同行した友人に、ゲスト用のベッドを私に提供して、自分はリビングルームのソファで寝てもてなしてくれました。

私が10年間のアメリカ生活中に空手の指導した2000人を越すアメリカ人の中で、トップ10に入る弟子の一人ですが、今は息子と娘の4人の子供(孫)のおじいさんGrandpa です。

2011年9月17日土曜日

ノースカロライナ州ローリー Raleigh 市はあいにくの雨天でしたが、現地は好天なことを祈りつつ朝7時半に出発し、途中1回だけガソリンの補給を兼ねて休憩し、サウスカロライナ州ギャフニィ Gaffney 市に着いたのは12時頃でした。私のノースカロライナ州立大学勤務時代の研究者仲間/空手の弟子/フィッシングの先生のLarry Tate 博士からは、もう出発したかとか、今どの辺りかなどと途中で4回くらい携帯に電話があり、首を長くして私との再会を待っている様子が伝わってきました。奥さんのLinda さんは家の中を片付けてきれいにしたら、Wal Mart というショッピングセンターに行って昼食のサンドイッチ用の食材を買ってくるとのこと。ギャフニィ市はローリー市よりももっと南部の田舎町なので、遠くからお客さんが来ていろいろな話しが聞けるのは楽しみのようでした。失礼な言い方ですが、同行した友人の話では、この辺りの人達は皆のんびりした田舎の生活をしているので知的 Intellectual な話題の話ができる相手に会うのが楽しみなのだとのこと。Larry 君はサウスカロライナ州立大学教授を早期退職後、自宅に帰って牧場の世話をしながら非常勤講師として近くの短大 Community College で教えていましたが、入学生数の減少で不要になって首になったとのこと。

奥さんのLinda さんは刑務所で囚人たちの先生をしています。囚人の多くは黒人で中学卒後働いていて犯罪を犯した人が多く、読み書きができないので、服役中に教育を受けてGED(高校卒と同等の資格)を取らせて、社会に復帰した時に就職し易くするというプログラムです。囚人の中に大学卒の人がいるので、実際にはそういう囚人に簡単な数学(算数程度?)と読み書きを教えさせ、Linda さんはプログラム全体を監督するという立場のようです。Larry 君によると、南北戦争(こちらでは市民戦争と言います)後、奴隷制度はなくなって黒人は解放されましたが、戦争当時北軍の将軍だったグラント氏(Ulysses Simpson Grant)がその後合衆国の大統領になって無策だったので、黒人は結局生きるために元の白人の農場で小作として働くか、北部に移住して工場労働者として働くしかなかったことが、今でも黒人が2等級市民のような厳しい生活を強いられていることの遠因だとのこと。

Larry 君に牧場の中や、新しく購入して牧草を植え始めた土地を車で案内してもらいましたが、421エーカー(約40万坪=130町歩 )という広大な土地で、その中約40 エーカーが森林だそうです。今年はこの辺りはテキサス州と同じで雨が降らずに歴史的な旱魃(かんばつ)で、放牧している牛が食べる牧草が不足して困っている状態とのこと。南北戦争以前は彼の家も奴隷を使って綿の栽培をしていたそうですが、森の中の一角には石が立ててあるところがあって、いつの時代かわからないが多分黒人奴隷のお墓だろうということで、今もそのままにしてありました。

奥さんのLinda さん(57才)は先週14日水曜が誕生日だったけど、その日は体調が悪かったので誕生日パーティを今日まで延ばしたと言って、夕方にはLarry 君の兄弟3人とその奥さんたちが集まってディナーを食べました。奥さんたちはそれぞれが得意な料理を持ち寄りましたが、歯科医のElzie の奥さんのBecky が大きな鍋一杯作ってきた鮭肉(缶詰)とジャガイモのシチューは特別美味しくて好評でした。Tate 家は4人兄弟で、長男のLarry 君は大学教授、次男のGregory は計理士、三男のElzie は歯科医、四男のDennis は不動産やになり、皆近くに住んでいて何かあるとよく集まるようです。

Larry 君は自分で建てた丸太小屋みたいな家に住んでいますが、中は必要最小限度のもはそろっていて便利にできています。夫婦のベッドを私に提供し、同行した友人にはゲスト用のベッドルームを提供し、自分たちはリビングルームのソファーで寝ました。書斎には一応パソコンがあってインターネットもできるようになっていて、リビングルームには新式のテレビもありましたが、パソコンの前に座る時間もテレビを見る時間もほんの僅かで、人間や、動物(馬、ニワトリ、ウサギ)や、自然と向き合う生活をしているようでした。ここに来るといつも感じることですが、ニューヨークや東京のような都会の生活と違って、人間が幸せに生きるのに何が必要かがよく見えるような気がします。

2011年9月16日金曜日

天気予報通り、昨日までとは打って変わって気温が下がって、半そでシャツでは寒いくらいになりました。今日は夕方には皆と一緒に食事をすることがわかっていたので、昼頃 Lake Johnson にジョギングに行きました。林床のキノコやドングリ類を眺めながら走っていたら、途中から雨が降り出しましたが、たいしたことはないのでそのまま雨の中を1周してきました。

夕方7時に、North Hills Shopping Center と呼ばれる広大なショッピングセンターの敷地内にあるBonefish Grill というシーフードレストランに友人/空手の弟子たちと計11人で集まって会食をしました。人気のあるレストランらしく、金曜の夕方ということもあって、満席でした。私はスカロップ(貝柱)とシュリンプ(海老)と、ブロッコリとニンジンと、パンの料理を注文して、舌鼓を打ちながら皆と話をして楽しい時を過ごしました。
終戦後にアメリカの進駐軍兵士と結婚した名古屋の女性との間に生まれたJohn 君(今年の1月1日にがんが転移して亡くなった)の奥さんMaureen さんも参加してくれました。
参加者の一人Sarah はミツバチの巣箱を20箱も持っていて、ハチミツやハチミツを使った製品を販売しているとのことで、おみやげにプレゼントしてくれました。
食事代は皆は割り勘ですが、私の分だけはある参加者が払ってご馳走してくれました。

日本から学会誌に投稿された論文の校閲依頼がきましたので、できるだけ早く読んでコメントをしようと思っています。明日は朝5時に起きて、サウスカロライナ州の友人を2泊3日で訪ねる予定です。車で片道5時間くらいかかる距離ですので、今夜は早く寝ます

2011年9月15日木曜日

妻からの電話連絡では、9月13日に振り込まれた方(2回目)の支援金が届いたそうです。これで支援金の現在高は76,500円、延べ398人からの合計額は3,853,928円になりました。ありがとうございました。メッセージもいただいたそうですが、FAXの具合が悪くてこちらには届いていませんので、後日紹介させていただきます。
FAXが届くようになりましたのでメッセージを追加しておきます。)
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私は58才、二人の息子がいる母子家庭の母です。市橋君は、自分を悪く言い過ぎるくらい告白されたのではと思います。とてもピュアな方だと思います。心底謝られたのですから、これ以上自分を責めないで。心身の健康を取り戻して下さい。主なるイエス様に重荷をゆだねてね。本山先生ありがとう。
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午前中はモーテルの洗濯室で溜まっていた洗濯物を洗濯しました。洗濯機も乾燥機も大きいのでたくさんあってもいっぺんにできます。両方とも25セントのコインを8枚入れるので各々1回2ドル(180円程度)です。このモーテルは、道路工事や建設現場で働く人やビジネスマンなどが比較的安価に1週間単位で滞在するのに便利なようにできています。

昼はBill Oakley 君とEverette Noland 君と一緒にイタリアレストランで昼食を食べました。二人とも昔からの友人/空手の弟子です。Everette Noland 君は私が尊敬する弁護士ですが、仕事中は、映画に出てくるようなアメリカ南部の弁護士の典型的な帽子と服装をしています。レストランは空いていて静かでしたので、食事後に2時間くらいアメリカの裁判について詳しく話を聞きました。殺人には4つのカテゴリーがあるとのこと。①1st Degree Murder、②2nd Degree Murder、③Voluntary Manslaughter、④Involuntary Manslaughter ①は死刑か終身刑、②は終身刑か20年~40年の有期刑、③は10年~40年の有期刑、④は2年~20年の有期刑、が目安のようですが、計画性や残虐性など条件によって変わるようです。女性が被害者の場合は、Good Women(普通の品行方正な女性)とそうでないWomen (売春婦など)によっても違ってくるそうですが、概して日本よりも刑罰が厳しいという印象でした。それだけ、歴史的に凶悪犯罪が多発してきたことの裏返しかなという気もしました。

その後、Bill 君のアパートに寄って、彼が作曲した音楽のDVD(個人的に録音した)を聴かせてもらいました。ギターを弾きながら彼自身が歌っていますが、元々はAlan Seeger というアメリカの詩人(1888年生まれですが、第1次世界大戦でフランスの外人部隊に志願して1916年に戦死)が書いたRendevous (ランデブー)という題の詩に曲をつけたものだそうです。素敵な曲なのでDVDのコピーを依頼してきました。作詞・作曲をする音楽の仲間と一緒に活動しているようです。

夕方はいつものようにLake Johnson に行ってゆっくり1周約5Km をジョギングしてきました。アメリカ人は5時に仕事が終わると一斉に家に帰り(日本人のように残業しない)、こういう公園に一人で来たり、家族で来たりして、走ったり散歩をしたりしています。赤ちゃんを乗せた乳母車を押しながらジョギングしている若いお母さんもよく見ます。私は走り終わってモーテルに帰って、シャワーを浴びてから友人が作ってくれた夕食を食べました。2種類の豆と、トマトのスライスと、チキンのバーベキューと、コーンその他を一つの皿に盛って、レモネードティと、デザートにはブドウが付いていました。この辺りの南部の家庭での普段の食事のようです。

2011年9月14日水曜日

次の本を差し入れするとの連絡がありました。
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私が日野原先生の本を郵送したことを24歳の娘に教えましたら、娘もぜひ日野原先生の本を差し入れたいと申しました。娘も物心がついた時からクリスチャンです。娘は日野原先生を大変尊敬しています。散々悩んだ挙げ句に「どうよく生き、どうよく老い、どうよく死ぬか」と「たっぷり生きる」を選択したようで、早速郵送するとのことです。
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事件の被害者の方が娘の年齢に近いことから、考えさせられることがございます。私と娘の送った本が市橋氏に負担にならなければ良いのですが。
娘からの伝言です。
「これから先のことを考えると不安もたくさんあると思うけど、神様はいつも見守ってくれてますよ。日野原先生も熱心なクリスチャンです。窮屈じゃなかったら、ぜひ本を読んで下さいね。体にご留意下さいね」
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次の本についても連絡がありました。
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こんばんは!はじめまして。○○県の○○○○と申します。僕がぜひ市橋達也被告に読んでもらいたいのは、手塚治虫さんのブッダであります。漫画で全12巻あります。僕の実家は浄土宗のお寺なので、釈尊のお言葉は幼い時から有り難く受け止めてます。手塚治虫さんのブッダなら漫画なので読みやすいと思います。1~6まで、とりあえず宅配で送ってみました。気に入って頂けるかわからないけど、折を見て7~全て送りたいです。よろしくお願いします。また送るときにはメールをさして頂きます。
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今日は車で昔住んでいたところの辺りをドライブしてみました。毎日Lake Wheeler Rd (フィーラー湖通り)を通って(と言っても車で10~15分程度)大学に行っていましたが、牛の牧場、馬の牧場、大豆畑などがあるところは昔と変わらず、私はこういう景色を見るのが好きでした。
日本に帰国するまで住んでいた我が家の辺りにも行ってみたら、偶然今住んでいる黒人女性(31才で息子さんがいるとのこと)が郵便受けをチェックに出て来られたので、話をして写真を撮らせてもらいました。この家を買って25年になるけど、以前は誰が住んでいたのかと思っていたとのこと。庭にブドウその他の果樹があって(同居していた私の母が植えたもの)よく収穫して食べていたけど、リスが来るようになって木が駄目になってしまったとのこと。裏の森からはよく野生の鹿が顔を出したり、庭には野うさぎがたくさん出てくるというのは、私達が住んでいた時と同じです。私達が家を買った時に不動産やが記念に植えてくれたモミジは大きくなっていましたが、前庭の松をはじめその他の木が大木になり過ぎて、日当たりが悪いのと、松葉がいっぱい落ちるので芝生は全く育たなくなっていました。

午後からはノースカロライナ州立大学に行って、Michael Roe 教授の研究室を訪ねました。私の恩師のW.C. Dauterman 教授が亡くなってからは、夏休みにこちらに来る時はいつも彼の研究室に滞在しました。現在59才ですが、グラント(研究費)をたくさん獲得して、大学院生8名とポストドク(博士研究員)2名が現在の研究室メンバーとのことで、最も活躍している教授の一人という印象でした。車で片道1時間近くかかる郊外の40エーカーの土地を買って住んでいるので、週2日は自宅で仕事をしているとのことでした。ということは週に3日しか大学には来ないのですが、アメリカは業績さえちゃんと出せばそんな勤務形態も許されるのですから、日本とはずい分違います。40エーカーというのは約5万坪ですから、自宅の森で鹿狩りができるそうです。

夕方にはいつものようにLake Johnson (ジョンソン湖)に行って、1周約5Km の遊歩道をゆっくりジョギングしてきました。

今日はオバマ大統領がノースカロライナ州立大学に来てコロシウム(8千人収容できる)で演説(あらかじめ入場券を入手した学生や一般人5千人が対象)をしましたので、あちこちの交差点は警官が交通整理をしていましたが、幸い私は交通渋滞には巻き込まれませんでした。