2012年1月31日火曜日

東京農業大学の期末試験の採点は終わりませんでしたので、明日中には完了して提出するつもりです。従って、市橋君に面会に行けるのは明後日2月2日の木曜日になります。

ローマの国際会議(2月21日~23日)への出席が急に決まりましたので、今日は手続きに必要な書類を作成して送ることにずい分時間をとられました。会議が開催されるFAOの建物はセキュリティのチェックが厳しいのか、写真付きのバッジ(首から下げる身分証明書?)を作るので写真を送れと言われましたので、近所の証明写真自動撮影ボックスに行って撮ってきて、スキャンして送信しました。肝心の講演の内容については、今から最新の情報を収集して構想を練って、スライドを作ることになります。日本を出発するのは2月19日であまり時間がありませんので、これから少し忙しくなりそうです。

昼休みは農大の周囲を10Km 走りました。マラソン大会が終わって昨日は新潟県に行きましたし、体に少しは影響(疲れ)が残っていてそんなに走りたい気はしなかったのですが、今日はすっかり回復したのか体が自然に要求しましたので、桜丘アリーナと呼ばれる体育館で運動着に着替えて外に出ました。陽の当たる場所では、太陽の日射しが露出した顔だけでなくウインドブレーカーを通して体でも感じられ、春の兆しを感じるくらいでした。4月29日の恒例の横浜駅伝大会まで私が出場する大会はありませんので、これからはレースのためでなく、のんびり時間のある時に走りたいだけ走ろうと思っています。

先日受けた人間ドックの検査結果が送ってきましたが、中性脂肪が大幅に減少し、HDL(いわゆる善玉)コレステロール値が上がり、LDL(いわゆる悪玉)コレステロール値が下がりました。マラソンに向けて3ケ月ちょっと走り込んでメタボを解消したのが、健康増進に役に立ったのだと思います。

2012年1月30日月曜日

1月27日に振り込まれた方(17回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は173,000円、延べ457人からの合計額は4,273,928円になりました。継続したご支援をありがとうございます。

昨日報告しました館山若潮マラソンの結果について、何人かの支援者からお祝いのメールと、支援金振り込みと、市橋君へのお金の差し入れとお手紙を書いて下さったことのお知らせを頂きました。ありがとうございました。マラソンの結果は、私がもっと齢をとってから、69才の時に5時間11分で完走したのだと自慢ができますので、自分では満足しています。大会を後援をした朝日新聞に、参加者は大会史上最多の8,777人で、フルマラソンの参加者は5,322人だったと載っていました。アメリカ人の義理の息子(43才)も3月にカリフォルニアでフルマラソンを走ると言っていましたので、69才の義理の父親が完走したのだから、途中棄権はできないなと彼には少しプレッシャーになるかもしれません。
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フルマラソン完走!おめでとうございます。こちらでも大阪国際女子マラソンが開催されていて、カーラジオで実況を聴いていたら2位で走っていた福士選手が30キロあたりで失速しはじめてゴールは9位でした。(本山教授も今走られてるんだなってラジオを聴きながら思いました。)プロの福士選手が、足が重くなって前に行けなかった。と言ってたので、皆さん色々な問題が起こってくるのでしょうか。
しかし5時間11分走り続けたなんて凄いですよね、努力の積み重ねが大事なんだと実感させられました。もう美味しいビールを飲まれてお休みになっている頃でしょうか、本山教授フルマラソン本当にお疲れ様でした。

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マラソン大会お疲れさまでした。そして完走おめでとうございます。予想された以上に速いタイムでのフィニッシュ、本当に素晴らしいです。昨夜のビールはさぞかし美味しかったのではないでしょうか。心から拍手を贈らせて頂きます。
さて本日30日、支援金の振込みをさせて頂きました。後日ご確認よろしくお願いいたします。それから市橋さんに現金の差し入れとお手紙を送らせていただきました。
2月初旬には控訴審の為に東京の方に移られるとのこと。不安な想いがいっぱいあるでしょうが、頑張って気持ちをコントロールして控訴審に望んで頂きたいと思います。東京は遠く、中々すぐには行くことは叶いませんが、いつも市橋さんにとって1番良い道が用意されていますように・・・心から祈っております。
先生、お忙しい日々だとは思いますが又市橋さんのご様子をお教えくださると有りがたいです。宜しくお願いいたします。まだまだ寒さ厳しい天候が続きそうです。お体ご自愛下さい。

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今晩は。昨日のブログ拝見致しました。本山先生、完走されたのですね。おめでとうございます。しかも、目標よりも、かなり早い時間で凄いですね。計画を立てられ、目標を実行され…見習いたいです。いつもパワフルな本山先生に、元気をもらってます。
日帰りで新潟まで、大変でしたね。雪は、大丈夫だったでしょうか?

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上野から7:14発の上越新幹線とき305号に乗って、9:31に新潟に着き、新潟を9:46発の白新線に乗って10:37に中条(なかじょう)という田舎の小さな駅に着きました。冬に上越新幹線に乗るといつもそうですが、群馬県側から関越トンネルを通って新潟県側の湯沢温泉の辺りに出ると急に豪雪地帯になり、家々の屋根も地面も深い雪に覆われた景色に変わります。
中条駅には新潟県庁と新潟県森林研究所の人が待っていてくれ、4輪駆動の車で日本海に面した次第浜、藤塚浜、荒井浜の松林に連れて行ってくれました。ここには2008年と2009年の2回、無人ヘリコプターで松林に散布されたスミパインMCという薬剤(有機リン殺虫剤)の飛散状況や人体曝露量の調査に来たところです。その後、近くにタバコ栽培畑があるということで、タバコにも登録があって残留基準があるネオニコチノイド系の別の薬剤を鉄砲ノズルやスパウター(車載大型動力噴霧機)で地上から散布する方法に切り換えたところ、松くい虫による被害が拡大し、場所によっては松が大量に枯死して激害状況でした。枯れた松の樹皮を剥(は)いでみると、マツノマダラカミキリによる食害痕が多数あり、実際に樹皮の下から幼虫も見つかりました。千葉県の場合もそうですが、この薬剤は1回散布では残効が短くて松くい虫の発生期間全体をカバーできないという問題と、樹高の高い松林に薬剤を地上から散布することには無理があるようです。
冬の日本海は荒波が岸に打ち寄せ、強風も吹いていましたので、松林が失われると大変なことになります。これから新潟県や該当する市町村の担当者は、不十分な防除のために大量枯死した松林をどう修復していくか、選択可能な技術と予算を考慮しながら知恵を絞っていかなければなりません。私も必要があれば、喜んで協力したいと思っています。

現地調査が終わってから、胎内市の胎内川沿いに新設した肥料工場に工場長として滞在している私の千葉大学時代の研究室の卒業生(中国からの留学生で博士号取得者)を訪ねました。3大肥料成分のチッソ・リン酸・カリの他に微量肥料成分も加えた新しいタイプの肥料の製造プラントを試運転していました。家族(奥さんと娘さん)を松戸に置いた単身赴任ですが、元気でやっているようでしたので安心しました。帰りは新潟県庁の人の車に新潟駅まで乗せてもらって、17:17発の新幹線で上野に戻ってきました。短い時間に雪のない東京から雪深い新潟に入って、また雪のない東京に戻ってくるのは、ちょっとタイムマシンで別世界に行って来た感じがしました。

明日は東京農業大学で、期末試験の私が出題した分の採点です。記述式にしましたので、答えを選ぶマークシート式のように機械で読み取れませんので、学生が書いた答案を一枚一枚読んで評価しなければなりません。確か履修生は150名ちょっとでしたので時間的には大変ですが、学生がどういうふうに考えたのかがわかりますので、楽しみでもあります。


2012年1月29日日曜日

支援者の方々には、私のフルマラソン大会出場について励ましと応援のメールをありがとうございました。今日、コースの場所によっては冷たい強風が吹く中でレースが行われました。冷たい強風も、最後の方であった坂道も、普段からそういうことを予想してトレーニングしてきましたので、私には苦になりませんでした。1Kmを8分のペースで走れば、42.195Km×8分=337.56分=5.626時間=5時間38分なので、最後に疲れてスピードダウンしても6時間以内に走れるという計算をしていました。15年振りくらいに走るフルマラソンだということと、年齢的な体力の衰えと、走り込みが必ずしも十分ではないということと、まだ体重が少しオーバーだということから、このくらいの控えめな目標でちょうどいいだろうと考えました。

出場者全員に、スタートラインとゴールラインで地面から発信される信号を受信できるチップを埋め込んだ4cm四方くらいのカードを貸与されます。カードには4つの小穴が開いていて、針金入りの紐(ひも)でランニングシューズの上に固定します。ゴールイン後このチップ入りカードを靴から外して返却すれば、自動的に走った時間を読み取れる仕組みです。これですとスタートラインで何千人という大勢のランナーがいて、後ろの方に並んでスタートラインまで行くのに10分かかったとしても、正味の時間が計測してもらえるので公平です。

前半は抑えた走りで後半に余力を残してと思っていたのですが、5Km毎のラップタイムをとりましたら33分くらいでしたので、1Kmを6~7分で走っていました。25~30Kmまでは大体このペースでした。ところが30~35Kmくらいから、足のあちこちが攣(つ)りそうになったり、膝がガクガクしそうになりましたので、足が攣らないように騙(だま)し騙(だま)し走ったらスピードががくんと落ちて、1Km当り7~8分、最後の方は8~9分になってしまいました。それでもゴールをした時は5時間11分で、これは私の腕時計のストップウオッチの計測でも、レース後掲示されたチップで測定した正式記録でも同じでした。50才以上のフルマラソンの部で1100位と掲示されていましたが、私より遅いランナーもまだまだたくさんいました。昔、千葉大学走友会のフルマラソン経験の豊富なメンバーに言われた「直近の1ケ月にレースで走る距離の10倍以上走らなければフルマラソンは走れないよ」は事実でした。私が直近の1ケ月に走った距離は352Kmでしたので、35Km付近で足が攣りそうになるトラブルが起こったことと一致しています。

千葉大学走友会の現役メンバーも何人か来て走っていましたが、その中の一人は2時間48分で走って、35~49才のフルマラソンの部で8位入賞しました。

スタート前に、会場の近くの駐車場に回収車と張り紙したバスとステーションワゴンが4台見えましたので、制限時間を超えてあれに回収される屈辱だけは避けたいと思って横目で睨(にら)んで通り過ぎました。ゴールをする時にニッコリ笑って応援者に手を振ってという余裕はありませんでしたが、私としてはまあまあ楽しく走れて目標は達成できたと思います。レース後、駅の階段で手すりにつかまりながらやっとかっと昇ったり下りたりする人がたくさんいましたが、私は普通に歩けました。年齢とともに他人と競争する体力はもうなくなりましたが、自分で設定した目標の実現を目指して3ケ月ちょっとトレーニングしてきた途中の課程も楽しかったですし、メタボ気味だった体が正常に近く戻ってすっかり体調がよくなったことも大きな収穫でした。フルマラソンへの再挑戦は終わりましたので、今夜は3ケ月振りに自宅で夜寝る前に缶ビールを1本飲もうと思っています。

明日は早朝に出発して日帰りで新潟県胎内(たいない)市に調査に出かけます。天気予報だと雪が深そうなので、長靴を持っていきます。

2012年1月28日土曜日

1月26日に振り込まれた方(3回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は168,000円、延べ456人からの合計額は4,268,928円になりました。ありがとうございました。

新幹線で名古屋に行き、午前中は八事(やごと)というところにある本山家と荒川家と太田家のお墓参りをしてきました。荒川家というのは、母の母が元々尾張藩の荒川忠衛門という武家の出だったのですが、お墓を見る人が途絶えてしまったからです。太田家というのはやはり先祖は尾張藩の武家で、昔母が名古屋の金城女子専門学校(今の金城学院大学)で学んでいた頃によく行き来をしていた従兄のような関係の太田更一(元岐阜大学教授)という人のお墓です。生前は私もお会いしたことがある人で、日本中の川を研究対象にしていた水文学が専門だった人です。名古屋に行く時には、いつもこの3つのお墓にお参りします。
午後からは名古屋大学の研究集会に出席しました。私の大学院時代の恩師の一人斎藤哲夫名誉教授は88才になられたそうですが、近く国際会議でシンポジウムを企画されるそうで、「殺虫剤抵抗性究極の対策」という題の講演をされました。少し足が不自由になられて杖を使っておられましたが、相変わらずお元気で意気軒昂(いきけんこう)なお姿には頭が下がりました。
地下鉄東山(ひがしやま)駅の近くのいつもの鶏肉専門の料理屋での新年の懇親会では、明日のことを考えてビールを少しだけに控えて、エネルギーを蓄えるために料理をたくさん食べました。
途中で席を立って新幹線で帰ってきたのですが、それでも家に着いたのは夜の11時半頃でした。

外国からメールが届きましたが、2月21日-23日にローマのFAO(Food and Aguriculture Organization 国連食糧農業機関)で開催されるGMUS-2(the 2nd Global Minor Use Summit 第2回農薬のマイナー作物使用に関する国際会議)に出席して日本の状況について講演するようにとの招聘(しょうへい)状でした。一応受託の返事を打ちました。旅費は向こうで負担してくれるそうですが、時間が迫っているのでこれから準備に追われそうです。

明日はマラソンが行われる館山に向かうために朝4時半頃起きなければなりませんので、すぐ寝ることにします。

2012年1月27日金曜日

何人かの支援者から、昨日のブログで書いたことについて心配して、問い合わせがありました。市橋君と頻繁に面会していた人がいたのは私にも初耳でした。頻繁にお花や本や食べ物を差し入れされ、手紙も書いて下さり、市橋君の方から山本弁護士を通して会いたいと言った支援者ではありません。
私が面会に行った時に先客がいて面会できなっかった時に、多分この方だろうと思った人でした。市橋君が千葉刑務所の拘置所に身柄を移されてから毎週欠かさず訪問して毎回お金を差し入れてこられた方です。初めの頃は私にも頻繁にメールを下さり、支援金も振り込まれましたが、途中から支援する会とは考えが合わなくなり、「私はお金を騙(だま)し取られたのですね」とおっしゃって連絡を絶たれた方です。この方はこの方で、動機はともかく、何とか市橋君の刑を軽くしようとして必死なのでしょうが、弁護団の役には立っていないというか、むしろマイナスの面が大きいようです。お名前も身元もわかっていますが、個人情報ですので、これ以上はお知らせできません。

東京農業大学では、全日本大学ボクシング王座決定戦で農大ボクシング部が2年連続優勝した事を祝う大きな垂れ幕が下がっていました。私は昼休みに大学の周りを12Km 走りましたので、累積は962Km/102日になりました。明日は朝から名古屋に出かけ、午前中はお墓参り、午後は名古屋大学での研究集会、夕方は出身研究室の新年会で、多分最終の新幹線で東京に帰ってくることになりますので、走る時間はありません。明後日29日(日)のマラソン大会の直前の1ケ月の走った距離を計算してみたら、352Km にしかなりませんでした。昔、千葉大学走友会の仲間に言われた420Km以上には達していないので、完走できるかどうかは走ってみなければわかりません。自分では走れそうな気がしていますので、制限時間(6時間)以内の楽しみながらの完走を目指して走ってきます。

30日(月)は新潟県胎内市の日本海に面した海岸松林の松くい虫被害状況の調査に出かけます。JR新幹線で日帰りで行く予定ですので、大雪でJRが止まらないことを祈っています。

2012年1月26日木曜日

菅野弁護士に電話をして、先日控訴審の進捗状況を知らせていただいたお礼と、支援者から問い合わせのあった日本財団への贖罪寄付の件について伺いました。裁判結審後に被害者遺族の代理人弁護士からリンゼイさんが亡くなったことの慰謝料を請求する民事訴訟が起こされる場合について、通常は67才まで働いて収入を得るという仮定で計算をするのだそうですが、慰謝料も含めて何億円かそれ以上の金額になるだろうとのことでした。従って、今回市橋君が手記の印税で得た900万円ちょっとでは金額の桁が違って全く対応できないということと、民事訴訟の申請をするのには申請者が収入印紙を貼らなければならず、何億円の請求額の場合は何百万円になる筈だとのことでした。市橋君は今のままでは無期懲役ですから、支払能力はありませんので、被害者遺族の代理人弁護士は収入印紙代も回収できない可能性が高いということになります。例え民事裁判で請求が認められても、時効は3年だそうです。時効を阻止する手続きをとったにしても、市橋君が仮に30年服役して63才で出所できたにしても、そんな高額な請求額を支払えるだけの収入を得るのは不可能でしょう。従って、被害者遺族が弁償金の受け取りを拒否している現状では、手記の印税で得た収入は贖罪のために日本財団に寄付をするのが適切という判断になったようです。
残念なことに、ここでは詳しくは書けませんが、ある特定の元支援者が接見禁止が解除されてから頻繁に市橋君に面会していろいろなアドバイスをして、市橋君と弁護団との信頼関係を損なう結果をもたらしているようです。ただ、今回提出した控訴の趣意書は市橋君の意見も取り入れて合意の上で作成したものだそうです。先日、私が面会に行った時にその日はすでに先客があって面会ができなかったのも、この方だったようです。
弁護団は、私が千葉大学名誉教授の会で講演をされた法医学教室の岩瀬教授と話をしたことがきっかけで、リンゼイさんの検死で実際に執刀された早川医師も訪ねて疑問点に関する情報収集もされたとのことです。裁判のプロとして、弁護団はベストを尽くして下さっているとの印象を受けました。
2月の初旬には東京高裁の裁判官、検事、弁護団の打ち合わせがあるそうですので、市橋君の身柄も2月初旬頃には東京の小菅拘置所に移されることになるようです。

今日もNHKテレビのEテレで8:00-8:30pmに「双極性障害②治療法と向き合い方」をやっていました。若い男女が登場し、躁うつ病のために学校に行かれなくなったり、就職しても仕事を続けられなくなり、人にも理解されない苦しみを語っていました。症状の軽減のためには生活のリズムを整えることが大事で、毎日睡眠時間の記録を付けて、同じ時間に寝て同じ時間に起きる努力をしている例も紹介していました。このままでは生活保護の生活にならざるを得ないかと思いつつも、同じ病を持つ人たちの会に参加して、お互いに理解し合える仲間を得て、病を抱えつつも生きていけるかもしれないと感じたという言葉から、社会がこういう人たちを受け入れる環境を作らなければいけないなと感じました。

ロンドン五輪代表選考会を兼ねた29日の大阪国際マラソン出場を目指して、アメリカのコロラド州のボルダー(高地)で合宿トレーニングを積んできたアテネ五輪の金メダリスト野口みずき選手が左太もも裏の炎症のために出場を取り止めて、3月11日の名古屋マラソンに賭けるとのこと。野口選手の復活の走りを見たいと思っていた私もがっかりしましたが、本人はさぞ悔しいだろうなあと想像します。
私は、北西の冷たい風に向かって前傾姿勢で江戸川堤防を20Km走ってきましたので、累積は950Km/101日になりました。

2012年1月25日水曜日

支援者から以下のお便りをいただきました。
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2日ほどブログを見ることが出来なかった間に菅野弁護士から重大な報告があったのですね。いよいよ動き出しましたね・・・。市橋君の印税は日本財団に寄付するとの事。本当はご遺族に受け取ってほしかったのですが仕方がありません。違う形で使われる事でしょう。私もそれで良かったです。「100万回生きたねこ」はまだ未読ですが、近いうちに手に入れようと思っています。
刑務所で本間氏が体験した「用務者」という仕事は、これからの市橋君に一番相応しい仕事ではないでしょうか。機械を相手にする仕事も勿論いいですが、人間相手の仕事はやりがいがあると思うのです。私は会社員時代機械相手の仕事をしていましたが、同じ事の繰り返しでした。市橋君の行く刑務所は長期の受刑者ばかりですから、補助を必要とする受刑者もたくさんいるはずだからです。私は市橋君に罪を償い、そして少しでもやりがいのある仕事を得、長い服役生活を過ごしてほしい。市橋君ならば出来るはずです。
私が送った本もどう処分してもかまいません。そちらにお任せします。(市橋君の好みの本ではなかったでしょうが・・・)市橋君の懲罰も明日までですね。よく耐えたと思います・・・。

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東京農業大学の客員教授を継続するのに必要な書類の提出期限が明日までになっていましたので、今日はほぼ一日かけて(この1年間、客員教授としてどういう活動をしてきたか、普段から整理ができない性格ですので記録を集めるのに時間がかかりました)作成して速達便で発送しました。江戸川堤防を夕方近くから走り始め、16Km走ってきました。走り終わったら、ちょうど西の地平線に太陽が沈んで夜のとばりが下りました。江戸川堤防には、アマチュアカメラマンが何人かで沈む直前の太陽とそれが映る川面の写真を撮影しようと三脚に固定したカメラを構えていました。10月17日から走った距離の累積は930Km/100日になりました。28日土曜日は朝から名古屋に出かけて夜遅く帰宅する予定ですので、走るトレーニングが出来るのは明日と明後日の2日だけになりました。

今の私の頭の中は29日日曜日のマラソンをどうやって走るかということで一杯ですが、それが終わったら来週いつか時間を見つけて市橋君に面会に行ってこようと思っています。

2012年1月24日火曜日

1月22日に振り込まれた方(23回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は163,000円、延べ455人からの合計額は4,263,928円になりました。長期的なご支援ありがとうございました。

お二人の支援者からお便りが届きました。お問い合わせの事については、弁護士に伺ってみようと思っています。皆様から差し入れされ、保管できずに宅下げされた本については、他の受刑者が借り出して読めるように刑務所の図書館に寄付をするか、東北の被災地の図書館に寄付をしたらどうかなと思っていましたが、全国被害者支援ネットワークのホンデリングに寄付をするというのもよいアイデアだと思いました。これについても、弁護団に相談してみます。よいご提案をありがとうございました。
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お早うございます。毎日ブログ拝見しています。昨日の菅野弁護士さんの報告を拝見し、控訴審が近づき緊張します。
リンゼイさんのご両親に受け取って頂けなかった弁償金は、贖罪寄付されたとの事。裁判中は、弁償金を受け取って頂けなくても、結審後にいずれは受け取られるのではないかと思ってました。もし結審後に、リンゼイさんのご両親が受取の意を示したり、請求なされた時に、贖罪寄付からお渡し出来ますのか気になります。贖罪寄付につきまして、ご存知でしょうか?
昨日は、光市母子殺害事件の最高裁の弁論を傍聴しました。光市母子殺害事件は、悲惨な状態で亡くなられた被害者や、ご遺族(夫・父)の思いを感じ、事件当初より気になってました。事件から10年以上経っても裁判が続き、本当に大変な事だと思います。
フルマラソンは、29日(日)でしたね。27日(金)かと、勘違いしてました。一週間切りました。体重やウエストも減って、凄いですね。見た目も変わられたのではないでしょうか。
『100万回生きたねこ』は、私も読みました。本山先生も、ご注文され、これからご覧なられますので、内容や感想をお伝えしますの控えます。
市橋達也さんの閉居罰も後2日… ここ数日は天候も悪く、寒い日が続いてます。寒い独居房の中で、動けない状態では、更に寒さを感じるのではないかと思います。菅野弁護士さんからのメールで、彼の状況は伺ってますでしょうか?彼の体調が心配です。

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本山教授こんにちは、お忙しい中いつもこまめなブログの更新をありがとうございます。昨夜から関東に降った雪が原因での怪我や、事故のニュースが放送されてましたが、本山教授の方は大丈夫でしたか?昨日の本間龍さんからのお便りを拝見して、私も市橋さんが人のお世話をする「用務者」という懲役作業に就ければいいなと思いました。(懲役作業の職種?を希望することが出来るというのは知りませんでした。)
 控訴趣意書が提出されたのですね、市橋さんが小菅の拘置所に行く日も近いのでしょうか?小菅に移れば刑務官も替わるでしょうから、今よりも心穏やかになれるといいですね。菅野弁護士からの報告に、手記の印税と市橋さんの所持金の942万円は贖罪寄付として日本財団に寄付したとありましたが、リンゼイさんのご遺族には受け取って貰えなかったのですね・・・残念です。
以前ブログで市橋さんが宅下げした本の処分についてはこれから決めていきたいということが書かれていましたが、具体的なことはまだ決まってないのでしょうか?私は適正な裁判を支援する会に振り込むようになってから、殺人事件被害者遺族の会(宙の会)のような会にも寄付をしてるのですが、犯罪に遭われた方々を支援する活動の中に、本の買い取り金額がNPO法人 全国被害者支援ネットワーク 
http://www.nnvs.org/ に寄付される「ホンデリング http://www.hondering.jp/ 」というのもあり、5冊から着払いで受け付けてるので私も読まなくなった本を送ろうと思ってます。よろしければ、宅下げされた本の扱いのご参考までに。(因みに私が送った本は、どう処分されても構いません。)
フルマラソン本番までもう少しですね、冬の寒さもランナーには心地よいのかもしれませんが、29日はお天気に恵まれたマラソン日和になりますように・・・遠くからですが応援してます。長々としたメールで失礼しました。

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この辺りでは珍しく、昨夜かなりの雪が降りました。江戸川までの道路はまだ融けかかった雪と氷と水でグシャグシャしたところがありましたが、堤防上は舗装されているせいか雪はすっかり融けて走りやすい状態でした。14Km走りましたので、累積は914Km/99日になりました。ウインドブレーカーを通して肌を刺す風は冷たかったですが、回りの一面雪の景色を眺めながら走る気分は爽快でした。

昨日調査してきた平砂浦と隣接ゴルフ場の松枯れの写真が整理できましたので追加しておきます。(写真はクリックすると拡大できます)


2012年1月23日月曜日

菅野 泰主任弁護人から控訴審に関する以下の重要なお知らせが届きました。いよいよ一歩次の段階に進んだようです。
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市橋達也さんの事件について報告致します。
弁護団は、2012年1月20日午前9:30、東京高等裁判所刑事第8部へ控訴趣意書、事実調べ請求書、弁1・弁2を提出致しました。
弁1はワルファリンの説明書です。弁2は、市橋さんが出版で得た912万円余と所持していた30万円、合計942万円余を2012年1月13日、犯罪被害者に対する贖罪寄付として日本財団へ寄付した旨の報告書です。
2月初旬に裁判所・検察官・弁護人の打合せを経て、市橋達也さんの公判期日等が決まります。

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1月20日に振り込まれた方(初回)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は162,000円、延べ454人からの合計額は4,262,928円になりました。メールアドレスが分かりませんので個別の礼状は差し上げませんが、ありがとうございました。手書きのメッセージもありました。
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初めて送金させていただきます。少しでも力になれれば幸いでございます。よろしくお願い致します。
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支援者から昨夜以下のお便りが届きました。市橋君に母親のような立場でお手紙を書いて下さってありがとうございます。
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こんばんは。いつも先生のブログを拝見するのが日課になってしまいました。お忙しい中、毎日更新して頂きありがとうございます。最近本当に寒い日々で懲罰がまだ続いている市橋さんの体調が本当に本当にあんじられ心配です。心身共にお疲れでしょね・・・。
風邪などひかれてなければよいのですが。
話はかわりまして、ブログに書いてありましたが「100万回生きた猫」私も大好きな絵本です。何度となく読んで、泣いて、とっても心に響いて、現在も大切に本棚にあります。だから市橋さんや本山先生も同じ絵本を読まれるんだなぁと思うと何だか感慨深いものがありましたし嬉しかったです。
私もまだ市橋さんはご覧になっていないでしょうが手紙を何通か出しました。懲罰の期間が終われば支援者の方々の差し入れられた絵本や品物や手紙等を市橋さんが目にされ和む時間がもてますように願っています。
本山先生、マラソン大会が近づいてきましたね。いつも頑張ってこられた日々が実を結びますように心から祈っております。

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本間 龍氏からも以下のお便りをいただきました。ありがとうございました。市橋君も、裁判が結審して長期の受刑生活に入る時に、単なる単純労働ではなく、人の役に立つ仕事ができれば、罪を償いつつ少しでも生きがいになるのではと思います。次回面会に行く時に、そういう仕事もあることを市橋君に伝えようと思います。
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こんばんは、夜分に失礼致します。支援する会のブログにて拙著のご紹介をして頂き、誠に有難うございました。私の本など、本山先生のような立派な方(本山:とんでもございません)にお読み頂くのは誠に恥ずかしい限りでして、ご紹介頂き赤面する思いでした。
「名もなき受刑者たちへ」は私が黒羽刑務所で服役した1年間の記憶の中から、最も印象に残った事柄を記したものです。刑務所は世の中の縮図ですので、高齢及び認知症受刑者の増加、障害者、同性愛者の処遇に日夜頭を悩ましています。そんな中で、私は「用務者」という刑務官補佐のような役回りを指定され、懲役作業として彼らのお世話係をしました。この「用務者」は他者との協調性や事務能力の高さを要求される仕事ですので、大卒の受刑者が指名される確率が比較的高いと言われています。
ですから市橋さんも服役した場合、この仕事を命ぜられる可能性が有り得ると思われます。一般的に想像される懲役作業とは工場での生産作業だと思いますが、全国どこの刑務所にも高齢者や障害者は必ず存在するので、彼らを世話する係が絶対に必要なのです。
世話の中身は着替えや歩行・入浴の介助、下の世話などです。私個人の感想ですが、機械を相手にした工場作業よりも、人間を相手にした作業の方が楽しくまた興味深く、一日があっという間に過ぎる気が致しました。その特殊な懲役作業を経験した結果が、出所後に作家として生きていこうと思ったきっかけになっています。
前回も申し上げましたが、私の文通相手にはこれから懲役27年を全うしようとしている方がいます。それは本当に気の遠くなるような期間ですが、その方も拙著を読み、私がしたのと同じ仕事を希望して少しでも人の役に立ちたい、と仰っています。裁判後の市橋さんの生き方に、何かご参考になれば幸いです。

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朝、千葉駅8:20発の高速バスに乗るつもりで十分早目に自宅を出たのですが、普段は30分の松戸-市川間の路線バスが渋滞で1時間かかり、市川-千葉間のJR電車も3分遅延したために、1分違いで高速バスに乗り遅れてしまいました。仕方がないので調査に同行した樹木医のA氏と千葉駅前の喫茶店で1時間近く時間潰しをして9:20発のバスに乗りました。館山駅には当初の予定より1時間遅れの11:00頃着き、すぐレンタカーを借りて平砂浦と接しているTカントリークラブのグリーンキーパーを訪ねました。ここは西コースと東コースがありますが、前回道路から東コースを見た時は松はほとんど枯れていないように見えました。今日はコース内を車で案内してもらいましたが、松枯れは予想以上に悲惨な状況でした。平砂浦の松林(県有林)に有人ヘリコプターでスミパイン(有効成分フェニトロチオン)と呼ばれる有機リン殺虫剤が散布されていた時は、平砂浦の松もゴルフ場の松も僅かな被害で済んでいたそうです。それが反農薬活動家グループのメディアを巻き込んだ政治的活動で中止に追い込まれて、別の殺虫剤(ネオニコチノイド系)の地上散布に置き換わってから被害が目立つようになり、とうとう昨年は全滅に近い大被害が起こってしまいました。島根県出雲市の場合とよく似た状況です。
平砂浦の松も、詳しい薬剤散布区域の書き込まれた地図を片手に再度歩いて廻りましたが、地上散布をしたところも無人ヘリコプターで試験散布をしたところも大変な被害で(無人ヘリコプターで散布した区域の方が生き残った松が若干多い)、昭和24年から植林して育成してきた松が松くい虫(正式名はマツノマダラカミキリ)の被害で真っ茶色に枯れてボロボロでした。主原因は、残効性の短い薬剤を1回しか散布しなかったために、散布前に羽化・脱出した松くい虫成虫と残効性が切れてから羽化・脱出した松くい虫成虫の防除ができなかったことと、前年に枯れた松(次世代の松くい虫の発生源になる)の伐倒駆除がきちんと行われなかったために、松くい虫密度が異常に高くなったことだと思われました。枯れたまま放置されている松の中には、成虫の脱出孔(丸い穴)が10数個存在するものがありました。60年以上をかけて育成してきて、飛砂を防いだり、白砂青松の美しい景観を作ってきた松林が、科学を無視した宗教的な反農薬活動によって不十分な管理を余儀なくされ、そのためにこんな風に短期間に大量枯死してしまったのは残念です。

今日車で廻ったところは、偶然来週館山若潮マラソンで走るコースの一部でしたので、コースの下見にもなりました。帰りは松戸までレンタカーを運転して、松戸で返却しました。

2012年1月22日日曜日

Amazon.com から本間 龍氏の近著「転落の記」(飛鳥新社)の宣伝が届きましたが、今朝の朝日新聞にも大きな広告が載っていました。著者は大手の広告代理店博報堂元社員と紹介されていました。広告代理店がどういうものか私は全く無知ですが、電通というもう一つの広告代理店大手の元社員が設立した会社と若干のお付き合いがありますので、興味を惹かれました。ついでに、本間氏の著書[名もなき受刑者たちへ「黒羽刑務所16工場」体験記](宝島SUGOI文庫)と、佐野洋子作・絵「100万回生きたねこ」(講談社)も含めて発注しました。市橋君の裁判が結審してからどういう受刑生活になるのか知りたいということと、「百万回生きたねこ」はすでに支援者の一人が差し入れして下さる予定ですが、市橋君が自ら差し入れてほしいと言った絵本がどういうものか私自身も見てみたかったからです。

帰国したアメリカ人の義理の息子からは、カリフォルニア州のサンタモニカの自宅から無事に自宅に到着したとの電話がありました。

今日はこの辺りは冷たい雨が降っていましたが、雨の中を江戸川堤防に走りに出かけました(後半は雨が止みました)。20Km 走りましたので累積は900Km/97日になりました。トレーニングを始めてから3ケ月ちょっとで体重は8.6Kg 軽くなり、ウェストはちょうど10cm 短くなりました。大分体が絞れてきましたので、もう一息です。来週の今日は大会ですから、走り込みができるのも残り1週間弱しかありません。明日は朝早く自宅を出て、房総半島の先端の平砂(へいさ)浦に松枯れの再調査に出かける予定ですので、残念ながら走る時間はなさそうです。

2012年1月21日土曜日

支援者から以下のお便りをいただきました。本間 龍氏からの情報にもありましたように、未決囚が長期間独居房にいると、人と話す機会がほとんどないので不安感など感情のコントロールが難しくなるのかもしれません。
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ご無沙汰しておりますが、先生のブログを「お気に入り」に入れて、毎日拝見するのが日課となりました。皆様が心配なさってるように、市橋君が2週間閉居処罰を受けたことは、ショックでした。初めは「この大事な時になぜそんな刑務官を怒らせる態度をとったのかしら」と歯がゆく感じました。でもよく考えてみれば、折角自分の気持ちを常にたてなおし、自分の犯した罪を償うことを考えてる市橋君にとって、他の受刑者の嫌がらせは、これから長年続く服役生活への恐怖につながるでしょうし、理不尽な扱いには言いようの無い怒りとなるでしょう。罪と真面目に向き合って一生懸命努力してるからこそ、ということもあるかと思います。
先日テレビで、阪神淡路大震災の後、被災児童の心のケアのために作られた「レインボーハウス」のことを取材した番組を偶然観ました。赤い壁の部屋の真ん中にサンドバックがあり、子供達が蹴ったり殴ったりしていました。「被災した子供たちが、普通に戻っていく日常の中で、心の奥にしまって出せない悲しさや、苦しみ、自分でもわからない複雑な感情をここではいくらでも爆発させていいんだよ。。と。 こころにその感情をしまいこむ苦しみは子供の心に大きな影を落とします。そして、自分なりにその感情を受け止めて成長できるように。。」と
児童心理の専門家のアドバイスのもと、作られたそうです。
もちろん市橋君は児童ではないし、加害者として拘置されているわけですが、そこで受けた被害に対しても、また自分の責任にはね返り、暴力ではない拷問のような処罰を受けるのは、おかしいのではないか、と外野ながら思います。今は事実を全部把握していない私がそんな日本の刑務所のあり方に異を唱えても仕方ありませんが、「贖罪、更正を支援していきたい者にとって、市橋君の悔しい想いをもできるだけ酌んであげたい」と思います。

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義理の息子は今回の訪日の目的の用事が全部済んで午後から帰国の途につきました。電車で一人で成田空港に行くと言うので、雨の中を私の車で駅まで送りましたら、しばらくして成田空港から無事に出国の手続きが済んだとの電話がありました。ロサンゼルス空港に着いたら、娘がサンタモニカから車で子供たち3人を連れて迎えに来ている筈ですから、空港のロビーで子供たちが「ダディ、ダディ」と言いながら3人で飛びついている様子がまぶたに浮かびます。子供たちへのおみやげの他に、毎朝トーストにして食べていた日本の食パンは美味しいので、食パン一斤(いっきん)を厚切りにしてもらって100円ショップで買ったプラスチックの食パンケースに入れて持って帰りました。彼の奥さん(私の娘)に食べさせたいのだそうです。

昨日は全く走る時間がなかったので、今日は義理の息子を送り出した後で、みぞれのような冷雨で風も強い中、江戸川堤防を10Km 走ってきました。累積は880Km/96日になりました。大会当日、みぞれや雪が降っていてもへこたれないためのトレーニングと思って走りましたので、ちっとも苦になりませんでした。明日はもう少し長距離を走りたいと思っています。

2012年1月20日金曜日

先日郵送でスキー用のタイツ2枚とスキー用のソックス2枚を市橋君に差し入れて下さった支援者から、以下のお便りが届きました。これから差し入れをされる方の参考に、紹介しておきます。
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今日(20日)千葉刑務所の会計課から手紙が届きました。どうやら私が市橋君に差し入れしたスキー用のハイソックスが受け付けられなかったみたいです。逆にスキー用のタイツはOKみたいですね。何故、ハイソックスが駄目だったのかは分かりませんが、中に返信用封筒が入っており(切手も貼ってあります)着払いで返送するか、窓口まで取りに行くか、もしくは千葉刑務所の方で処分してもらうかを選んで返送しなければいけないみたいです。ある意味、親切だなぁ~と感心していました。
長い物(首吊り自殺などの防止)の差し入れが駄目なのは分かっていましたが、どうゆう基準なのか、または他に何かハイソックスが駄目な理由があるのか教えて頂きたいものですね。(笑)

差し入れ品が無事に千葉刑務所に届いているということだけでも分かり少しホッとしています。とりあえず、先生にご報告まで...
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今日は東京農業大学総合研究所の研究会農薬部会の幹事会と新年の顔合わせの会があり、部会長の山本 出先生の「津波災害地復興アイデア」と題した素晴らしい講演がありました。山本先生は昨日84才になられたそうですが、常に現役のように勉強を続けられ、鋭い的を得た提言をされるので、参加者一同感銘を受けました。

2012年1月19日木曜日

1月16日に振り込まれた方(5回目)と1月17日に振り込まれた方(33回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は159,000円、延べ453人からの合計額は4,259,928円になりました。ありがとうございました。手書きのメッセージもありました。
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本山先生、今年も公私共にご活躍下さるよう願っております。作家の方が支援して下さるとの事で、とても気強く嬉しく思います。市橋君が穏やかな日々を送れるよう、又適正で公平な裁判であるよう祈っております。微力ではありますが、できる限りのことはさせていただきます。
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アメリカから来日している義理の息子は、時差の関係で夜中にアメリカから電話がかかってきたり、毎日テレビ局の人たちと会うために東京に出かけていますが、野球のダルビッシュ選手の契約が成立したのに合わせて今後の彼の活躍を人工衛星を使って日本のテレビ局に送る仕事も確保できたようです。テキサスレンジャーズという球団は2月16日(?)くらいからアリゾナ州で春のトレーニングキャンプに入るようで、ダルビッシュ選手ももちろん参加するようです。
明後日の土曜には帰国しますが、今度はメキシコのテレビ局のためにWEF(World Econimic Forum 世界経済フォーラム)が開催されるスイスに出かけるようです。今まで朝食は私たちと一緒に食べましたが、昼食と夕食はテレビ局関係者と外で食べていましたので、今夕は妻と私と3人で近所のラーメン店に行きました。回転寿司にしようかラーメンにしようか迷ったのですが、結局ラーメンにしました。私が激辛ラーメンを辛くて暑くて汗をかきながら食べ、彼は肉が入っているパーコーラーメンを食べました。自分は働いているからと言って、年金暮らしをしている私たちに気を遣って食事代を払ってくれました。
孫たちの話になると、子供たちと過ごす今の幸せな時間をもっと長く楽しみたいらしく、もっと時間が遅く進めばいいのにと言っています。8才、6才、4才の子供達がどんどん成長していくので、もう少し今のままでいてほしいのでしょう。

今日は江戸川堤防は雪でも降りそうな曇天でしたが、人間ドックの後で冷たい風に向かって14Km 走ってきましたので、累積は870Km/94日になりました。今日も私なりにビュンビュン走れました。この頃多くのランナーと行き交いますので、この人たちも私と同じ館山若潮マラソンに出場するのかもしれません。

2012年1月18日水曜日

昨日のブログで紹介しました支援者のお便りには、「彼(本山:市橋達也君)の辛さを思うと同時に、22才の若さで命を絶ったリンゼイさんの事を思い涙が止まらなくなりました。」とありました。支援者の多くは同じ気持ちだと思います。

冒険家の三浦雄一郎氏は70才の時に、父親の敬三氏(当時99才)、息子の雄太氏(当時37才)と親子3代でモンブラン山系の氷河をスキーで滑り降りて世界中をあっと驚かせました。彼はその後も長時間をかけてコツコツとトレーニングを重ね、37才の時に登頂した世界最高峰のエベレストに75才で再登頂しました。70才からやっていたトレーニングは、山の上と同じように空気が薄くしてある部屋で、何十Kg のリュックサック(バックパック)を背負って、足に何Kg かの重りをつけて、トレッドミル(動くベルト)の上を延々と歩き続けたり、その格好で階段の上り下りをしたり、それを5年間もやって体力を築き上げたと伝えていました。ある時テレビの取材で、もっと齢をとって早く走れなくなったらどうするかと訊かれて、ゆっくり歩けばいいじゃないかと答えていたのが私には強く印象に残りました。以来、彼は私の憧れの存在になりました。

三浦雄一郎氏が挑戦する冒険のスケールとは比べ物になりませんが、私も今日は散髪後、江戸川堤防を14Km 走ってきました。これで走り込みの累積は856Km/93日になりました。

明日は妻と一緒に年に1回の人間ドックに行きます。この年齢になるとあちこち悪いところが見つかっても不思議ではないので、果たしてどうなることか・・。

2012年1月17日火曜日

1月15日に振り込まれた方(4回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は153,000円、延べ451人からの合計額は4,253,928円になりました。この方はメールアドレスがわかりませんので、個別の礼状は差し上げませんが、ありがとうございました。弁護団が十分活動できるように、皆さまからの支援金は大変助かります。

支援者から以下のお便りが届きました。問い合わせの件については、すでに昨日の本間氏の説明でよくわかりましたと、その後の連絡がありました。
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広島刑務所で中国人受刑者が脱走し、身柄確保されましたが、管理体制に問題があったようですね。98台のカメラを、一人の職員が監視してたのには驚きました。
本山先生が仰る通り、刑務所長に問題点の認識・改善を求めるのは大変難しい事ですね。
今は、そちらに力を注ぐより控訴に集中する方が大切だと思います。控訴趣意書の提出期日も近づき大事な時期に懲罰を受け、弁護団も市橋達也さんも大変ですが、支障なく進められますよう願ってます。
又、受刑後の嫌がらせや処遇に不服があった場合の対処方法について気になりました。少し調べてみましたら、法務大臣や矯正管区長、所長に対しての不服申立制度が有りました。又、受刑者や家族等の相談や支援をしてる団体も有るようです。受刑後も弁護士さんに相談したり、その頃にはご両親と連絡が取れてれば良いのですが…支援を続け、力になれればと思います。
昨日のブログで、本間氏のメッセージ拝見致しました。本のタイトルを伺いすぐに分かりました。以前、本山先生と本間氏がご連絡された時に、本山先生のブログで紹介され、その後も本間氏のブログは拝見しております。最近では、市橋達也さんの逃亡記の映画化について載っていました。支援の会につきましても紹介されています。昨日のメッセージは、未決者や受刑者の拘禁生活における精神状態や過度のストレスによる抑えきれない感情…想像以上の苦しみを感じました。文中の『市橋さんはまだ若く、罪の重さを自覚しているとはいえ、自由な生活への断ちがたい未練があって当然ですし、これから先の長い拘禁生活を想像することには相当な恐怖を感じるはずです。』市橋達也さんの気持ちをそのまま汲み取ったように感じ、泣いてしまいました。彼の辛さを思うと同時に、22才の若さで命を絶ったリンゼイさんの事を思い涙が止まらなくなりました。
本間氏のご自身の服役経験より未決者や受刑者の心情を理解なされ、重みを感じた貴重なメッセージを頂き『有難うございました。』とお礼を申し伝えたいです。
本間氏のブログで、刑務所等の質問にお答え頂ける旨載ってます。実際に刑務官からの嫌がらせや、それに近い事は頻繁にある物なのか、気になります。
もし本山先生からご連絡取られる機会がございましたら、併せて伺って頂けませんでしょうか。

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義理の息子は昨夜到着して、妻が準備したおでんを美味しい美味しいと言って食べて、お風呂に入って寝ました。娘の家族が来る時はいつもそうするのですが、私たちのベッドルームとベッドを提供して、私たちは私の書斎のソファーベッドを広げて寝ます。今朝は一緒に朝食を食べて、彼は東京のテレビ局に出かけました。野球のダルビッシュ選手のアメリカの球団への移籍契約が明日が期限なようで、多くの日本のテレビ局が今後ダルビッシュ選手がアメリカで活躍する映像を欲しがっているようです。

今日は江戸川堤防を18Km 走ってきましたので、累積は842Km/92日になりました。走り終わって大学の構内に戻ってきたら、顔なじみの若手教員に出会いましたが、背中を丸めて「寒いですね」と挨拶されたので、私は走ってきたので暑いくらいですと答えました。皮肉ではなく、本当に汗ビッショリで暑いくらいだったからです。

2012年1月16日月曜日

本間 龍氏から届いたメールの中に、食事の配膳方法などについて具体的な説明があり、刑務所に入った経験のない人にとっては興味深いことですので、一部を紹介しておきます。
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拙著に書きましたとおり、拘置所でも配膳は全て受刑者が担当しています。拘置所は各階(約100人)を担当刑務官が1~2名で業務を行っているので、配膳・清掃・官本貸出し・洗濯物の出し入れ・荷物の出し入れ等の雑務は全て、受刑者が行っています。食事の場合具体的には、食事は炊場から運ばれてきて、各階にいる配膳係が各部屋に配ります。その日のおかずや味噌汁が入った容器を台車に載せて、各部屋を廻っていく方式です。食器は全て各人の部屋にあり、食事時間になりますと食器孔と呼ばれる入り口に食器(トレイとどんぶり)を自分でセットします。そこに配膳係が味噌汁やおかずを盛っていきます。しかしこの時は、担当刑務官がつきっきりで不正がないように盛りつけをチェックします。これは盛りつけが極端に多かったり少なかったりを監視するためです。ですからおかずに虫などを入れるのは至難です。ただし、御飯だけは専用のどんぶりに入って炊場から届き、各人の部屋に入れるまでフタをしたままなので、若干の操作が可能です。
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刑務所を始め拘禁施設の「平等」に対する気の使い方は想像以上で、それが規律を守らせる為の不文律だと官は認識していますから、特に不平不満が出やすい食事の配膳に関しては、上記の通り非常に気を使っています。
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お尋ねの、世話係の受刑者から嫌がらせを受ける可能性についてですが、これは残念ながら有り得ると思います。拘置所は刑務所に比べて制限が緩く、おかしやコーヒーなどの嗜好品も食べられますが、その世話をする受刑者は既決囚ですので、目の前にあるおかしなどには絶対に手を出せません。また、未決囚は比較的自由な服装が着られるので冬でも暖かく出来ますが、受刑者は決められた薄着のままです。
さらに、市橋さんの場合は全国の支援者から様々な差入れが届きますが、それらを彼の部屋まで運ぶのも受刑者ですから、妬み・そねみの感情が生まれたとしてもおかしくありません。

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今、夜の8時過ぎですが、カリフォルニアから成田空港に着いた義理の息子から電話がありました。入国手続きや、娘に頼まれた娘の友達へのお土産の発送が済んで、もうすぐ電車に乗るとのことなので、2時間くらいで我が家に到着するでしょう。日本食が好きなので、妻が温かいおでんを準備して待っています。

今日は江戸川堤防を14Km 走りましたので、累積は824Km/91日になりました。咳もほとんど出なくなったせいか今日は調子が良くて、途中力を抜かずに、私としては力強くビュンビュン走れました。12月17日から1月16日の1ケ月の走り込み目標は400Km でしたが、途中微熱と扁桃腺で走れない日が9日あったので274Km しか走れませんでした。それでも、10月17日から11月16日の1ケ月の貯金と11月17日から12月16日の1ケ月の貯金がありましたので、これまでの3ケ月の目標900Km に対して824Km ですから、76Km 足らないだけで済みました。これから大会まで残り12日間にどれだけトレーニングできるかが勝負です。

2012年1月15日日曜日

支援者から以下の差し入れのお知らせとお便りが届きました。ありがとうございました。衣類とお金を郵送で差し入れされた方は、市橋君が閉居という懲罰を受けているということを報告したブログをご覧になる前に発送されたものと思われます。
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〇〇の〇〇です。年賀状ありがとうございます。先生から頂けるとは思ってなかったので凄く嬉しかったです。今、スキー場にいました。携帯からのメールでスミマセン。13日の夕方に郵便局のエクスパックで市橋君にスキー用のタイツ2枚と、スキー用のソックス2枚を送りました。すでに衣料品の差し入れは必要ないかと思ったのですが…
拘置所の中は暖房も無く寒いでしょうから、少しでも暖かく過ごして欲しいなぁ~と思いまして… どちらもスキー用なので通常の物よりは暖かいはずです。勝手な事をしてスミマセン。それとわずかですが、5000円と手紙を同封しました。取り急ぎ連絡まで…

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こんにちは。ご無沙汰しております。先程先生のブログを拝見しました。市橋さんが「閉居という懲罰」を受けたと・・・。とても心配です。胸が締め付けられる思いをしております。どうして?なぜ?の繰り返しが頭の中でグルグル回って何が市橋さんに起きているのか不安です。
そして先生が松のお話を市橋さんにされた光景が目に浮かび、元気を取り戻したかと思った矢先の出来事に戸惑うばかりで。でも先生の「市橋君はしっかりしてるので大丈夫です」の文章で私もしっかりしなければと思っております。

明日5回目の送金を少額ですが送金いたします。先生の扁桃腺もかなり回復されたと。とても良かったです。まだまだ寒さがグッと来るのではないかと思うのでご無理はなさらずお身体ご自愛ください。市橋さんの閉居刑罰が一刻も早く解けることを祈っております。そして先生いつもありがとうございます。
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昨日のブログで報告しました初めて支援金を振り込んで下さった方から以下のメールをいただきました。実名を紹介してもよいとの了解を得ましたので、そのまま掲載致します。
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以前に一度御連絡差し上げた本間でございます。支援金送付の際はメッセージを書き入れず失礼致しました。いつもブログを拝見しております。市橋さんが控訴する決意をしたのは大変良いことと思いました。
現在閉居罰を受けているとの由、刑務官に対する反抗的態度は官の用語で「担当抗弁」といいますが、 未決囚の段階で発動されるのは刑務所に比べて少ないはずなのに、期間が15日間というのは結構重いと思います。担当抗弁は刑務官に反抗すればどんなささいなものでも成立するのですが、簡単な口答え程度ですとせいぜい1週間程度です。それが15日にも及ぶとなると、市橋さんが相当強いものいいをされたか、なにがしかの接触行為(身体や周辺への)があった可能性を感じます。
実は私も現在数名の未決者、受刑者の文通相手をしております。いずれも拙著を施設内で読んで手紙をくれた方々で、刑期の最長は27年になる方もいます。彼らに共通するのは、やはり長い拘禁生活の疲労からか、いつもは大人しいのに時として神経が高ぶり、ささいなことにも檄昂し、刑務官に反抗して結果的に懲罰を招いてしまうことです。当然ですが、どんな人間にも感情の波はあります。一般人は何らかの方法でそのストレスを発散できますが、拘禁者にはその自由が全くありませんから、これは大変に辛く、時には暴発してしまうことも仕方のないことに思えます。
私も拘置所時代に経験がありますが、独居房で負の感情に囚われ自問自答しても答えてくれる者はなく、物事を悪い方へ悪い方へと考えて鬱々とすることがありました。市橋さんはまだ若く、罪の重さを自覚しているとはいえ、自由な生活への断ちがたい未練があって当然ですし、これから先の長い拘禁生活を想像することには相当な恐怖を感じるはずです。
とはいえそうした拘禁者の孤独を癒す妙薬はなく、現法制下では面会と手紙があるのみですから、本山先生と支援者の方々による面会やお手紙は、彼にとって本当に大切な命綱になっていると思います。私も今後とも支援金を送らせて頂きますが、もし何かお役に立てることがございましたら、遠慮なくご相談下さいませ。
寒さはまだまだ厳しくなりますので、どうかご自愛下さい。それでは。

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昨日のブログで言及しました本間 龍箸の[「懲役」をしっていますか? 有罪判決がもたらすもの](株式会社学習研究社、2009年発行)の74ページには、「未決の世話は誰がするのか?」という節があり、朝食準備・配当、購買品分配、面会時差し入れ品分配、などは正規の刑務官ではなく、刑務官の代行として受刑者が行う、と説明されています。市橋君の懲罰に関して、本間氏には上記情報のお礼とさらなる質問を差し上げましたら、早速丁寧な返事をいただきました。今回の市橋君の行動の原因を理解するのに重要な情報ですので、弁護団にも転送し、今後の対応の参考にしていただこうと考えています。

今日は江戸川堤防を20Km走るつもりでしたが、天候もよく体調も良かったので30Km走ってきました。最近では最長距離でしたが、あと10Kmくらいは走れそうな気がしました。これでフルマラソン大会に向けてのトレーニングの累積は810Km/90日になりました。

2012年1月14日土曜日

1月11日に振り込まれた2名の方(初回、24回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は148,000円、延べ450人からの合計額は4,248,928円になりました。ありがとうございました。初回の方からはメッセージはありませんでしたが、お名前と住所からはご自身が服役経験があって作家活動をされている著名人ではないかと思われました。以前、市橋君はこれから刑務所の中でどういう生活をすることになるのか知りたくて購入した[「懲役」を知っていますか?有罪判決がもたらすもの]を押し入れから取り出しました。もう一度読んでみようと思っています。
24回目の方からは手書きのメッセージがありました。
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本山先生、お体の調子はいかがでしょうか? くれぐれもご無理はなさらず御自愛くださいね。本日24回目の支援金を振込みさせて頂きます。お手数をおかけしますが、ご確認よろしくお願いします。又後ほどメールさせていただきます。
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私の微熱と扁桃腺の腫れは99%治りました。今日は走るトレーニングは休みましたが、明日からは再開するつもりです。皆様にご心配いただきありがとうございました。

市橋君が閉居という懲罰を受けたことについて、何人もの支援者からメールが届き、一部の方には少し詳しく返信を差し上げましたが、ここではこの問題についてはこれ以上触れないことにします。ただ常識的には、どんなに凶悪犯罪を犯した犯罪人であっても、現代の司法制度の下では、一定の人権は保障されている(特に控訴中の未決囚の場合は)のではと思っています。
市橋君が差別的な扱いを受けたのは、私が記憶しているだけでもこれで4回目ですが、市橋君はしっかりしているので大丈夫です。これくらいのことではへこたれません。

2012年1月13日金曜日

些細なことですが、昨日の面会の報告で書き忘れたことがあります。私が、入浴していたそうだなと言ったら、市橋君はすかさず「お待たせして申し訳ありませんでした」と答えました。現在の市橋君は、そういう気配りができるほど常識を取り戻しているという印象を受けました。

つい先ほど今日接見に行かれた山本弁護士からメールが届きました。市橋君から私に伝えてほしいと頼まれたそうです。市橋君は1月12日から1月26日まで、閉居15日間の懲罰を受けたので、弁護士以外、面会はできなくなったそうです。すぐどういうことか山本弁護士に電話をしてお聞きしました。このブログは千葉刑務所の刑務官も見ている可能性がありますので、詳しいことは書けませんが、昨日私が面会をした後、市橋君が刑務官による差別的処遇について抗議をしたらしく、それに対して刑務所側が抗弁?(命令に抗する?)と見なして懲罰が与えられたようです。閉居というのは、午前9時から午後5時までは独居房内の刑務官から見える場所に座って(あぐらをかいてもよい)いなければならず、その間はトイレと食事以外、本を読むこともラジオを聴くことも、紙に字を書くことも、弁護士以外とは面会することもできないそうです。午後5時から消灯の9時までは一応電気は点(つ)いているそうです。差し入れそのものはできても、留め置かれて市橋君には届けられないようです。正式な抗議をするかどうかは弁護団が考えて対応しますので、事態を悪化させないように、支援者の皆様は何もしないで下さい。
市橋君の身柄は遠からず控訴審が行われる東京に移される筈ですが、閉居の期間は面会や差し入れは控えていただければと思います。
先日私が電車やバスを乗り継いで往復4時間近くかけて面会に行って、その日は先客がいて面会できなかったことを市橋君が大変申し訳ないと思って、この状況を私に伝えてほしいと山本弁護士に依頼したようです。

今日は東京農大の周りを14Km 走りましたので、累積は780Km/88日になりました。帰宅したら、第32回館山若潮マラソン大会事務局から参加通知書のハガキが届いていました。当日はフルマラソンの部のスタートは10:00からですが、受付と若干の準備運動に間に合うようにするには、松戸駅を朝6時頃の電車に乗らなければなりません。残り2週間のトレーニングを順調にこなせれば、制限時間(6時間)以内に楽しく(ボロボロになって惨めな状態でやっとかっとゴールするのではなく)完走するという目標は達成できるような気がしてきました。

2012年1月12日木曜日

他にも用事があったので車で千葉刑務所に行き、市橋君に面会してきました。午前中の早い時間に着いたので、面会申込書の番号は16番でした(午後の場合は90番ぐらいの時もあります)。待合室には私より前に3人くらい順番待ちをしていました。午前11時になってスピーカーから16番の番号が呼ばれましたが、現在入浴中ですのでさらにアナウンスがあるまでしばらくお待ちくださいと告げられました。12~13分したら再度アナウンスがあり、16番の方は受付までお出で下さいと告げられました。すぐ受付のある建物に入り、面会許可証を手渡し、携帯電話とカバンをロッカーに入れて、指定された面会室にメモ用のボールペンと紙だけ持って入りました。ほぼ同時に仕切り板の向こう側の小部屋のドアから市橋君と刑務官が入ってきて、仕切り板の向こう側に着席し、刑務官がストップウオッチの開始ボタンを押しました。

いつものように市橋君は少し緊張した神経質そうな表情をしていましたので、元気にしていたかと訊いたら「はい」と答えました。入浴していたと言っていたけど、シャワーなのか複数の人と一緒に浴びるのかと訊いたら、独居房の人は廊下の向こう側に小さいけど個室の浴室が2つあって、ちゃんと湯船に浸(つか)れるのだそうです。二人ずつ入浴するけど、それぞれ個室の浴室を使うとのこと。週に何回お風呂に入れるのかと訊いたら、2回だと答えました。

私がディズニーランドに行って松枯れの様子を視察してきたよと言ったら、急に市橋君の表情が明るくなって目が輝きました。総合受付に行って目的を伝えたけど対応してもらえなかったので、電車に乗って何回かグルグル廻って、松のある近くの駅で降りて、駐車場を歩いて松の状況を見たけど、よく管理されていて枯れている松は1本もなかったことを伝えたら喜んでいました。ディズニーランドが経営しているホテルがあって、その外側の東京湾に面したところに松がたくさんあるけどそれはどうなっていましたかと訊かれましたが、それには気が付かなかったのでまた今度見てくるよと答えました。グリーンアンドアーツという会社が植栽の管理を担当している造園会社だけど、自分が卒業論文の研究をしていた時もいろいろ質問をしたら嫌がられてあまり対応してくれなかったと言いました。こういう会話をしている時の市橋君の表情は、今まで面会に行き始めて見たことがないくらい明るく生き生きとしていました。こんなに明るい表情の市橋君を見るのは初めてでした。その他にも、平砂(へいさ)浦の松や、富津岬の松や、九十九里浜の松や、銚子の松などについても話をしました。

支援者が差し入れてくれたダウンジャケットは届いたかと訊いたら、今着ているこれがそうですと言って着ている軽くて暖かそうなジャケットを指差しました。その他の冬用の衣類も届いたかと訊いたら、「はい」と答えました。多分ジャケットの下に着用していたのでしょう。じゃあもうこれ以上衣類は必要ないかと訊いたら、「はい」と答えました。

市橋君の方から、前回私が差し入れすると言った玄制流の空手の本はやっぱり差し入れ許可になりませんでしたかと訊きましたので、いやそうじゃなくて、私が千葉大学を定年退職した時に多くの書籍類は小さな貸倉庫(レンタルボックス)に移したのだけど、整理整頓がされていないので見つけられなかっただけだと答えました。必ず探し出して差し入れするからと言って、玄制流の歴史について少し説明をしてやりました。大事な本でしたら、コピーでも構いませんからと言っていましたので、狭いスペースしかない刑務所の中でできる健康管理の方法、精神を安定させる方法として、空手の稽古をやっていこうと真剣に考えているのかもしれません。

何人もの支援者が手紙は書けないけど、君に元気で強く生きてほしいと伝えてほしいと言っていたよと言ってから、何か支援者に伝えたいことがあるかと訊いたら、しばらく考えてから、しばらくもう本の差し入れは結構です(英語の本も読むのには時間がかかるので)と答えました。多分、差し入れされる本が多過ぎて読み切れないのでしょう。今まで差し入れされた本を読み終わるまで、しばらくは本の差し入れは控えていただいた方がよいかもしれません。
ただ、今まで頻繁に本や食べ物やお花の差し入れに刑務所を訪れ、市橋君宛に直接手紙も書いて下さった特定の支援者のお名前を挙げて、最後に一冊だけ「百万回生きたねこ」(佐野洋子箸、講談社、1977年発行)という絵本を差し入れていただければありがたいと言いました。この支援者にはその旨お伝えし、早速対応して下さるそうです。

他にも話したいことはたくさんあったのですが、ここまでで8分間が終わって刑務官のストップウオッチが目覚まし時計のように鳴ってしまいました。私が立ち上がって、時間になってしまったな、また来るから元気でなと言ったら、市橋君も立ち上がってお辞儀をして私が小部屋を出るのを見送ってくれました。
今日のような明るい生き生きとした表情の市橋君をご両親がご覧になったら、どんなにか安心して喜ばれただろうという気がしました。

千葉刑務所から帰宅して、江戸川堤防を今日も18Km 走ってきました。累積は766Km/87日になりました。マラソン大会まであまり時間がなくなってきましたので、もう少し急な坂道を上り下りするトレーニングや、スピードを出すインタバルトレーニングをしなければいけないのですが・・。自分の体調と時間の問題とで、なかなか思うようにはいきません。

2012年1月11日水曜日

支援者から支援金振り込みと市橋君への現金差し入れのお知らせが届きました。ありがとうございました。私は明日12日に市橋君に面会に行ってくる予定です。
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今日(11日)は本当に冷え込みが強く寒い一日でした。先生、その後お体の調子はいかがですか?ブログを拝見しますと、かなり復調されたご様子なのでホッとしています。
さて本日、支援金を振込みさせて頂きました。又ご確認よろしくお願いいたします。又、同時に市橋さんにも気持ちだけですが送金させて頂きました。私は遠方で直ぐには差し入れに行けませんし、他の支援者の方々が衣類なども送られているご様子なので、他に何か必要なものが有ればお役立て頂きたいと思い送らせて頂きました。
市橋さんは今日のような寒さ厳しい日は一体どうされているんでしょうか・・・? とても、とても、気になりますし心配です。いろいろと思い悩み、不安になることも多々お有りでしょうが、何とか頑張って強く生きて頂きたいと願っています。
私自身もこれからも気持ちを強く持って支援し続けていきたいと思います。先生、今後とも宜しくお願い申しあげます。

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メディアの関心は、政治家小沢一郎氏の裁判と、オーム真理教元幹部の平田 信(まこと)氏と17年間一緒に生活してかくまってきた元教団看護師の女性(斎藤明美氏)に集中的に注がれているようです。弁護士に伴われて出頭してきた女性は、平田氏に対して尊敬がいつしか愛情に変わったと話したとのこと。17年間も自分を隠し、人目を避けて暮らし続けた二人の心境はどんなだったのでしょうか。

アメリカ在住の娘から電話があり、アメリカ人の義理の息子が来週16日(月)に単身で来日し21日(土)に帰国するまで私たちの家に泊まるとのこと。ちょっと前に野球のダルビッシュ選手がアメリカのチームに移籍するというニュースが流れましたが、今後彼のアメリカ球界での活躍には多くの日本人が関心を示すでしょうから、映像を人工衛星を使って日本のテレビ局に送ることが仕事の義理の息子にとっては大きなビジネスチャンスになる筈ですので、ビジネスの打ち合わせが来日の目的かもしれません。妻は、孫たちの父親だからと言いながらいそいそと義理の息子の世話をする準備を始めました。
娘と孫たちは、向こうの学校が夏休みに入ってすぐ6月19日くらいから1ケ月半くらい日本に来て同居すると言ってきました。放射能汚染の影響が、当初アメリカで報道されたほどではない(少なくともこの辺りでは)ということがわかって安心したのでしょう。2家族同居で狭くなる我が家はこの期間はテンヤワンヤの生活になりますが、孫たちと一緒に暮らせるのは今から楽しみです。

今日は江戸川堤防を18km 走りましたので、累積は748Km/86日になりました。10月17日にトレーニングを始めてから、ウェストは9cm 短くなり、昔穿(は)いていたズボンがまた穿けるようになりました。

2012年1月10日火曜日

支援者から本と衣類を差し入れたという報告と、ブログに載せた市橋君の写真についてのコメントが届きました。ありがとうございました。
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今晩は。風邪の具合はいかがでしょうか?いつもお元気なので、心配です。走友会の頃は体調が回復されたようでしたが、まだ治ってなかったのかも知れませんね。フルマラソンも有りますので、ご無理なさらないようにして下さい。
先週、千葉刑務所に参りました。本は《イエスとともに祈る365日/E.H.ピーターソン》を、差し入れました。
年末に伺った時は、面会も差し入れも受付窓口が混み合い、建物の中に入れない程で時間も掛かりましたが、年が明けて閑散とした雰囲気でした。以前に衣類は足りてると伺いましたが、あまりにも寒かったので、私も年末に衣類を数点差し入れました。ダブってしまった物も有りましたので、私の差し入れた分は、宅下げされて構わない旨、お伝えしてます。
公判後から控訴に向けての約半年間、弁護士さんと接見を繰り返し、期日も近づき、市橋達也さんと弁護団にとりまして大事な時期だと思います。どのような事件でも控訴審はかなり厳しい状況ですが、有期刑の判決が下され、いつか社会復帰出来る事を望んでます。弁護士さんと相談し、彼が納得した状態で控訴審に臨んで欲しいです。
昨日(本山:1月8日)のブログの市橋達也さんの写真、良く撮れてますね。----- 指名手配の写真とは異なり、優しい表情ですね。夢を持って楽しく過ごされてたと思うと切なくなります。
何となくですが、現在と変わらないような印象を受けました。年も重ね、整形もしてますので、もっと変わってると思いましたが…(携帯でサイズが小さく見えづらいからかも知れません。)----

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衣類については、他の複数の支援者も郵送してくれましたし、これからさらに差し入れしようとお考えの方がおられましたら、多分もう必要ないのではと想像します。面会に行く時に本人に確認してきますが、独居房の中に衣類や本も含めて保管できる場所はきわめて小さい(ミカン箱一つ分くらい?)と聞きましたので、たくさん届くと無駄になります。
指名手配の時に公表された写真(整形手術後のモンタージュ写真)は、今の彼とは全く似ていません。上記支援者のご指摘のように、今の彼はブログに載せた写真の彼とほとんど同じです。私が記憶している学生時代の市橋君は、もう少しスポーツマンらしい雰囲気があったと思いますが・・。

走り込み不足を少しでも取り返すために、今日は江戸川堤防を16Km 走ってきましたので、累積は730Km/85日になりました。体重の減量も7.4Kg になりました。まだ少し喉に違和感があって、声がしわがれていますが、体調に問題はありませんのでご心配なく。

今日は東京農業大学の講義で私が担当した分の試験問題を作成して提出しましたし、自動車修理工場から借りた代車を運転して修理の終わった車を木更津に受け取りにも行って来ました。良心的で親切な修理工場で、お金も予想したよりはるかに安く済んで助かりました。
次は、今月末が締め切りの原稿の執筆にそろそろ取り組み始めなければと考えています。

2012年1月9日月曜日

TBSテレビで朝9:55から昨年12月にハワイで行われた第39回JALホノルルマラソンの様子を収録した映像を放送していました。たいていのマラソン大会は、交通規制など管理の都合上、ゴールインする時間が6時間以内とか5時間以内に制限されていて、それを越えるランナーは途中で回収車両に拾われて回収されてしまいます。ホノルルマラソンだけは時間制限なしということで人気があり(開催地が観光地ということもあるのでしょう)、今回も2万人以上の参加者があったそうです。番組では日本の有名スポーツ選手として、ボクシングの元世界チャンピオン内藤大助選手とビーチバレーの浅尾美和選手に焦点を当てて追跡していました。私にとって興味深かったのは、まだ30代でついこの間までボクシングの現役だった内藤大助選手の走りで、途中まではいいペースで走っていたのに、後半になると足がパンパンで限界だと言いながらやっとかっとゴールにたどり着いていました。内藤大助選手はボクシングで15ラウンドを戦うだけのスタミナをつける厳しいトレーニングをしてきた筈ですが、フルマラソンを走りきるだけの走り込みをしてこなかったのでしょう。昔、千葉大学走友会のメンバーでフルマラソンの自己ベスト2時間40分台という記録を持っている人から、フルマラソンは大会直前の1ケ月に大会で走る距離(42.195Km)の最低10倍(420Km)以上を走り込まなければ走れないと教えられました。実際に、私が参加したいくつかのフルマラソン大会でも、30~35Km 辺りで足が痙攣して道路脇で苦しんでいる20才前後の若者を何人も見てきましたので、ただ若いとか運動能力が高いというだけではフルマラソンは走れないというアドバイスは事実なのでしょう。反対に、私は現在69才で今年6月には70才になりますが、きちんと時間をかけて走り込みをすれば、若くなくてもフルマラソンを楽しく走れるということを実証できれば愉快だなと思っています。

今朝起きたら平熱に戻っていて、たくさん出た痰(たん)の色も濃褐色から淡黄色に変わってきました。直感的にもう大丈夫だと感じましたので、まだ休養すべきだと主張する妻の反対を押し切って、江戸川堤防を14Km 走ってきました。これで累積は714Km/84日(時間がとれなかったり、体調が悪くて走れなかった27日を除くと正味57日)になりました。

2012年1月8日日曜日

事件当日まで市橋君とお付き合いをしていた友人(女性)からいただいた1枚の写真は、今まで弁護団以外には伏せてきましたが、千葉大学園芸学部を卒業して留学を目指して英語の勉強に没頭していた頃の彼が写っている貴重な写真ですので、ブログに載せて支援者の皆様にもお見せすることにしました。友人が写っている右半分は削除してあります。まだ20代で、青春の真っただ中で、留学という大きな夢を抱いて輝いていた頃の市橋君です。そんな若者がちょっとしたことからリンゼイさんに対して取り返しのつかない大罪を犯し、一生を刑務所の中で過ごさなければならなくなった(控訴審でどうなるかはわかりませんが)のは残念です。後悔先に立たずと言いますが、彼を育ててくれたご両親にとっても、市橋君自身にとっても、どんなに悔やんでも悔やみきれない筈です。卒業をする時に、近くに住んでいるのだったらたまには大学の道場に顔を出して一緒に空手の稽古をして汗をかこうと私が言って、「はい」と答えてくれたのに、こんな事件を起こさなければならない程何か内面的な問題を抱えていたのだったら、何故私のところに話に来てくれなかったのか・・。
それでも、私は、これから残りの人生のほとんどを刑務所という狭い限定された場所で過ごさなければならない市橋君に、短い期間でしたが若者らしく夢を追いかけていた時期があったということ、また友人と北海道に旅行をしたり、京都に旅行をしたり、海に行ったり、一緒に暮らしたり、若い男性として楽しい時間を経験できたということは、大変よかったと思っています。  


扁桃腺の腫れと微熱はまだ続いていますので、今日も走るトレーニングは休みました。さっき、のどスプレーをして、風邪薬を飲んだら、ずっと気分がよくなりました。
車の修理は電話で確認したら連休中で作業ができなかったらしく、連休明けの火曜か水曜にできていれば取りに行くことにしました。

2012年1月7日土曜日

1月4日と5日に振り込まれた2名の方(19回目と8回目)の支援金が届きました。これで支援金の現在高は128,000円、延べ448人からの合計額は4,228,928円になりました。ありがとうございました。

支援者から以下のお便りをいただきました。ありがとうございました。
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新年明けましておめでとうございます。今年も宜しくお願い致します。
市橋さんはどんな気持ちで今年を迎えたのでしょうか?風邪などひいてなければ良いのですが…。今年はいよいよ控訴審が始まる年で、市橋さんの踏ん張りどころだと思います。
昨年送付した三島由紀夫の本は到着しているみたいです。そして、まだまだ寒さは厳しいと思うので、ユニクロのヒートテックみたいなインナーを送ろうと思っています。防寒着は別の支援者の方が送ってると先生のブログに書いてあったので洗い替えにと思い何かお役に立てればと思っています。
市橋さんには私を含めたくさん支援支持してくれてる方がいる事を先生頼みになりますが伝えて頂ければ幸いです。市橋さんは独りじゃないです。色々な形で支援者は何らかのアクションを起こしてるのでそれを市橋さんが感じてくれればいいなと思ってもいます。
また何か本を送ろうとも思って吟味中です。次回は晴れ晴れできる作品を送りたいと考えています。それから市橋さんの知らない処で映画の話が持ち上がっている件ですが、控訴審に影響が無い事を祈っています。
本山先生扁桃腺を痛まれてると…。ご無理はなさらず早く回復されることを願ってます。私はマラソンは出来ないですが中学高校と陸上部でした。(短距離100ですが)
ですので先生の走り込みは素晴らしいなと思っています。どうぞ今年も微力ですが支援をしていきますので宜しくお願い致します。

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バスと電車を乗り継いで、事故車を置いてきた館山自動車道の木更津北ICの駐車場の近くのJR久留里(くるり)線の上総(かずさ)清川駅に行き、電話で約束しておいた自動車修理工場の運搬車で事故車を工場まで運んでもらいました。点検の結果、発電機そのものが寿命で駄目になったようで、電気屋で購入して取り換えてくれることになりましたが、今日中には無理かもということで、代車を借りて松戸まで(約2時間)帰ってきました。明日までに修理が済んでいれば、明日再度出かけて車を取りに行ってきます。

今日は帰宅した時間が遅かったことと、このところ扁桃腺が腫れて微熱もあるので、走るトレーニングは休みました。計画では、1月16日までに900Km走り込みしたかったのすが、とても無理のようです。

2012年1月6日金曜日

久し振りに東京農業大学の研究室に顔を出したら、郵便物が溜まっていました。キャンパスには学生が大勢戻っていて、活気に溢れていました。私は今学期担当した講義の試験問題を来週11日までに作って提出しなければなりません。学生に答えを考えさせることと、考えたことを文章で表現させる訓練を兼ねて、選択式ではなく記述式の問題を作るつもりです。

昼休みに農大の周囲を14Km 走りましたので、累積は700Km/81日になりました。明らかに農大の駅伝部員と思われる学生が二人私と同じコースを逆回りにすごいスピードで走っていました。箱根駅伝に出場できなかった下級生部員が自主練習をしていたのかもしれません。シャワー室で時々顔を合わせる職員に箱根の往路をフラフラしながら走っていた農大の第5走者のことを話したら、ウイルスが内臓にきてつらかったのによく棄権をせずにタスキをつないでくれたと誉めていました。来年度はまた予選会からのやり直しですが、今年度の悔しさをバネにきっと復活してくれる筈です。

木更津周辺の自動車修理工場をネットで調べて電話をしたら、明日は営業しているとのことでしたので、朝早くバスと電車を乗り継いで近くの久留里線の駅まで行って、年末の30日に故障して現地に放置してきた車の修理をしてもらってくる予定です。

2012年1月5日木曜日

支援者の方から新年のご挨拶と振り込みのお知らせをいただきました。ありがとうございました。今日1月5日が市橋君の誕生日だとのこと、私はそんなことも知りませんでした。33才になったのでしょうか。私は近日中に市橋君に面会に行く予定ですので、その時に皆様が送って下さった防寒用衣類がちゃんと届いたかどうかを確認し、君の後には常に君のことを心配してくれている多くの支援者がいることを忘れないようにと伝えてきます。
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新年おめでとうございます。2012年が本山教授、そして支援者の皆様にとって実り多き素敵な一年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。
今日、1月5日は市橋さんの誕生日ですね、市橋さんへの誕生日プレゼント…ではないですが、今年始まる控訴審に向けて市橋さんが心身ともに健康でいられますように、という願いを込めて支援金を振り込みました。本山教授には市橋さんの様子を聞かせていただいたり、支援する会の管理などお世話になりっぱなしですが、今年もよろしくお願いします。

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1月になり一段と寒くなりました。今日5日は市橋さんのお誕生日ですね。一人寒さの中、迎える誕生日は本当に寂しいことだと思われて胸が痛みます。どなたか近くの支援者の方が今日差し入れに行ってくださってたら良いのですが・・・。本山先生をはじめとする支援者の方々の市橋さんを想う温かい気持ちが少しでも届けばいいなぁといつも思います。「貴方は一人じゃないですよ」とお伝えしたいです。
控訴審の準備も少しずつ進んでいることと思います。社会的圧力やひどいバッシングがないよう・・・適正公正な控訴審になるよう祈ります。先生、是非とも次回接見に行かれる時には支援者の想いをお伝え頂ければ有り難いです。
そして、先生、29日か近づいてきましたね。フルマラソンにむけての走り込み、頑張っていらっしゃるご様子。冷たい向かい風の中の練習はきっと本番当日に強い寒気が入っても良い成果を出してくれると確信しています。どうかお体には気をつけて頑張ってください。

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メールありがとうございます。住所も教えて頂き嬉しく思います。先生の電話番号は携帯に登録してあったのですが、住所は分からず...ご面倒おかけして すみません。決して先生にご迷惑をかけるような事はしませんので(笑)
前回、先生から頂いたメールで市橋君が私の事を覚えていてくれた事がとっても嬉しく思いました。会った事も 話した事もあるわけではないので、どんな内容の手紙を書いていいものかと随分と悩みましたが、今回はすんなり書く事が出来ました。もちろん、くだらない?内容ですけどね(笑)
手紙や差し入れを送って良いものかと いろいろ考えている内に全てが後手後手に回ってしまい、他の心優しい支援者の方々に任せっきりに?なってしまっていたようで...反省しております。

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東京大手町の経団連会館で農薬工業会の賀詞交歓会があり、私も招待されましたので出席してきました。農薬メーカーの社長や農薬流通会社の社長の他に、行政関係者、農薬研究者、マスコミ関係者等が多数参集していましたので、遠方から来られた方と久し振りにお会いできて楽しい歓談のひと時を過ごしました。

賀詞交歓会ではお酒がでることがわかっていましたので、東京へは江戸川堤防を6Km 走ってから出かけました。累積は686Km/80日になりました。本当はもっと走りたかったのですが、今日はそれしか時間がありませんでした。それでも、最低限心肺機能の低下を防ぐために、寒空の下で一生懸命走って汗をビッショリかきました。

2012年1月4日水曜日

特別指名手配されていたオウム真理教元幹部の平田信(まこと)容疑者が、17年近くも逃亡の末、12月31日に出頭してきて逮捕されたというニュースが伝えられ、その際の警察の不手際もあって注目を集めています。現在46才とのことなので、29才の時から逃げ回っていた筈です。これから厳しい取り調べを受けて、その17年間何をしていたのか、どういう心境だったのかが明らかにされていくのでしょう。
3年弱で捕まった市橋君のことが頭に浮かびました。当時はそれでも長い逃亡生活という気がしましたが、今はそれくらいで捕まって本当によかったと思っています。常に人の目を気にしてビクビクしながら生きるのは惨めですし、リンゼイさんの遺族にとってはいつまでも心が休まらなかった筈ですし、市橋君自身にとっても早く罪の償いが始められてよかったと思っているからです。

今日は江戸川堤防を18Km 走ってきましたので、累積は680Km/79日になりました。私が走っている辺りの江戸川堤防は現在工事中のところが2ケ所ありますので、わずか3~8m くらいの高低差ですが、河川敷に降りる迂回路ができています。橋を迂回する迂回路も含めると、4ケ所でなだらかな勾配の坂道を上り下りするトレーニングができます。往復で8ケ所ですが、これくらいの坂道は全く苦にならなくなりました。
ただ、微熱のために1週間全く走れなかった(100Km くらいの練習ロス)のが計算外でした。今日までの体重の減量は約8Kg が目標だったのに、体重計に乗ってみたら6.6Kg しか実現していませんでした。1月29日の大会までまだ3週間ちょっとありますので、何とかトレーニングの遅れを取り戻したいと思っています。

2012年1月3日火曜日

箱根駅伝復路のテレビ中継を途中まで観ました。後でテレビのダイジェスト版で確認したら、東京農大チームは繰り上げスタートグループに入って、トップの東洋大学チームがスタートして10分後にスタートしました。途中6位区間もありましたが、最終的には見かけ上11位で大手町のゴールに戻ってきました。昨日のアクシデントがありましたので、総合順位はダントツの最下位の20位でしたが、皆よく走ってタスキをつないでくれたと思います。どこかの大学(神奈川大学?)のチームは、9区から最終の10区へのタスキ受け渡し地点で、全力を使い果たした走者がフラフラになって3回転倒してやっと次の走者にタスキを渡していました。誰でもそうでしょうが、私はこういう若者の一途な姿を見ると感動して、思わず頑張れ、頑張れと応援してしまいます。若者たちには、自分の決めた目標に向かって悔いのない学生時代をおくってほしいと思います。
駅伝は日本で発達したスポーツと聞いたことがありますが、一人一人の努力がチーム全体の成績に影響しますので、皆必死に走ります。私も千葉大学走友会(走ることが好きな教職員のクラブ)の現役メンバーだった時は、フルマラソンを年に3回、駅伝を年に3~4回走っていた時期(50才代)がありました。

今日の江戸川堤防は冷たい強風が吹いていて手や腕がかじかみましたが、前傾姿勢で風に向かって14Km 走ってきましたので、累計は662Km/78日になりました。これで大会当日強風が吹いていても、風に負けずに走れる自信がつきました。

2012年1月2日月曜日

支援者の方々からメールで新年のご挨拶が届いています。以下の方は光で桜の木を模った(かたどった)美しいイルミネーションの写真を添付して下さいました。ありがとうございました。
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明けましておめでとうございます。今年も新たな気持ちで、笑顔が広がる世の中になることを願っています。昨年は様々な困難が人々を襲い、年末のテレビを観ていると涙が止まらなくなってしまいました。今年は昇竜にちなんで、皆が幸せを感じられる年にしたいですね。先生の今日のブログには奥様と映画をご一緒にご覧になりデートされた、と羨ましい事ですね。私は家族が集まり、ささやかながら幸せを感じられた一日でした。
先生のブログに、市橋さんが年末年始も独居房で過ごす、と言うことが書いてありましたね。申し訳ないのですが、市橋さんの事を思うにつけ、私たちの平凡な毎日は、当たり前でなくとても幸せなこと、と再認識してしまいます。それにしても、支援者の皆さんの市橋さんに対する無償の愛は凄いですね!本当に感心します。皆さんの愛情を感じられたら、市橋さんも孤独感が少しは薄れるのではないでしょうか…
昨年末には三重県のナガシマ なばなの里に出掛けました。イルミネーションで東日本大震災の一本桜を中心に、四季を表現し、その光に見惚れてきました。
先生、今年も健康に留意され、皆さんと市橋さんの架け橋としてご尽力下さい。そして、先生のご活躍をブログを通じて元気を頂きたいと思います。今年も宜しくお願いします。

(本山:写真はクリックすると拡大できます)



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テレビで箱根駅伝を途中まで観て(東京農大は15位から最下位の20位に落ちたところ)、江戸川に初走りに行きました。14Km 走りましたので、累積は648Km/77日になりました。帰宅したら私の代わりにテレビを観てくれていた妻が、農大の往路の最終走者にアクシデントがあって、テレビ中継時間が終わってもフラフラしながらゴールを目指して走っていると伝えてくれました。以前もどこかの名門チームの走者に同様なアクシデントが起こったのを記憶していますが、この日のために1年間をかけてトレーニングを重ねてきて、大勢の駅伝部員の中から出場選手に選ばれて、大学の名誉をかけて走ったのでしょうが、それが重圧になって体が動かなくなったのでしょうか。意識が朦朧(もうろう)としながらも、タスキが途切れないように何としても自力でゴールまで運びたい一心で走り続けていたのでしょう。こうなれば順位は別にして、この選手が無事にゴールまでたどり着けたことを祈ります (夕方のニュースで、一応タスキはつながったことを確認しました)

2012年1月1日日曜日

支援者の皆様、明けましておめでとうございます。昨年は市橋君に適正な裁判を受けさせるために、温かいご支援をありがとうございました。裁判員裁判による一審では、市橋君は事実を正直に話したにもかかわらず信じてもらえなかったという不満が残ったようです。控訴審では、社会的な圧力や感情ではなく、証拠を厳密に吟味して適正な判断がされることを期待したいと思います。

昨年のお正月は妻と一緒に新宿の末廣亭という寄席に行きましたが、今年は息子がトム・クルーズの「ミッション:インポッシブル-ゴースト・プロトコル」という映画の切符を2枚プレゼントしてくれたので、妻と一緒に有楽町に映画を見に行きました。恋愛ものよりもアクションものが好きだということを知っている息子が、こういう映画を選んだようです。滅多に外出しない老妻と久し振りにデートを楽しみました。