2012年6月30日土曜日

東海地方にお住いの方から以下のお便りが届きました。支援者名簿には載っていませんが、市橋君の件でメールのやりとりをした方です。私が講演などで地方に出かける機会に、今までメールのやりとりだけだった方々と実際にお目にかかれるのは嬉しいことですので、早速シンポジウム(参加費無料)の案内と申込用紙のファイルを添付して返信しておきました。当日は私は日帰りの予定ですが、会場でお会いする時間が少しはとれると思います。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山直樹先生へ ご無沙汰いたしております。
〇〇市の〇〇です。ブログを毎日拝見いたしております。市橋君へは先月まで「クレイ」という月刊のデボーションガイドをお送りしていましたが、今月はやはり戻ってきたとのことで、終了となりました。これからが本当の意味で、内なる戦いが始まるのではと思いますが、自分と向き合う準備は出来ていると推察いたします。本人もご家族も(リンゼイさんのご家族も)想像を絶する苦しみを伴なっておられることを覚えて、真の回復を祈り続けます。
今日(昨日)のブログに岐阜市でシンポジウムがあると書いてありましたが、一般は入場できないのでしょうか? 近いので、できれば本山先生の基調講演をおききしたいのですが。準備でお忙しい時にすみません。  

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

孫たちは土曜で学校が休みなので、娘と2人の男の子を車で市営のプールに連れて行きました。Aika(愛夏)ちゃんだけは体温が37.2度あったので家で休ませました。午後1時過ぎに娘から電話があったのでAika(愛夏)ちゃんを乗せて迎えに行き、帰りに回転寿司に寄って5人でランチを食べました。我が家の孫たちはアメリカ人と日本人のハーフでカリフォルニアに住んでいるので、普段からアメリカの食事とメキシコの食事と日本の食事を食べなれているので、味噌汁もおにぎりも梅干しもお寿司も大好きです。
妻は孫たちがいなくなることが自分の休みだと言って同行せず、一人で食料品の買い出しに行きました。孫たちにかき回されて、朝から晩まで騒々しいけど、賑やかで楽しい我が家です。


7月10日の岐阜での講演のパワーポイントスライドが出来上がりましたので、宅ファイル便で現地の世話人に送りました。

2012年6月29日金曜日

ノースカロライナ州の空手の弟子/友人のMargie Reinitz さんからメールが届き、今年はいつ来るかと訊いてきました。皆が待っているので、最低でも4~6週間は過ごすようにとのこと。講演をすることになっている中国北京での環太平洋農薬科学会議が9月15日~20日で、東京農業大学での講義は10月23日から始まるので、最長でもその2つの用事の間の約1ケ月になる筈だと返信しておきました。東京農業大学の講義は70才までという規則のようですので、来年は講義がなくなり、もっと時間のゆとりができる筈です。

7月には10日(火)に岐阜市、29日(日)に千葉市で農薬シンポジウムが開催予定で、私は両方で基調講演をすることになっています。今日は家から一歩も出ずに、自宅の書斎で一日中岐阜市での講演の準備をしました。

2012年6月28日木曜日

今日は東京農業大学グリーンアカデミーで、総合研究所研究会総会と特別講演がありました。研究会には22の部会があって、農薬部会はその中の一つですが、今日の理事会・総会で正式に私が部会長になりました。今までの農薬部会の活動を見ますと、総会と賀詞交歓会における特別講演と年に4回のセミナーを実施していますので、幹事会で相談をしながら企画するにしても、責任重大でこれからちょっと大変です。

今日は研究会全体の総会でしたので、大澤貫寿学長・理事長の挨拶に加えて大橋信夫会長(三井物産株式会社顧問)、大橋欣治副会長(鹿島建設株式会社顧問)、渡邊文雄副会長(東京農業大学総合研究所所長)の挨拶がありました。続いて、テレビでお馴染みの寺島実郎氏(日本総合研究所理事長・多摩大学学長・三井物産戦略研究所会長)の「世界の構造転換と日本の針路」と題した特別講演がありました。寺島氏の講演は、豊富な資料に基づいて、変わりつつある世界の現状とそれに対して日本のとるべき進路について、解説されました。

寺島氏の履歴書を見ますと、国・県・企業・その他の組織の数えきれないほどの委員長や座長に就任されていて、正に秒単位で動いておられるのではないかと思われました。今日も1時間の講演終了後、質問を受ける間もなく次のスケジュールへと移動していかれました。


2012年6月27日水曜日

市橋君のご両親に、お借りしていたマンションの鍵をお手紙を添えて宅急便で返送しました。

孫たちは学校や幼稚園ですぐ仲のよい友達ができたらしく、毎朝楽しみに出かけています。一番上のAiden(叡伝)君のところには、近所に住む男の子が毎日遊びにきています。他の子供たちは放課後は塾や習い事に行っていないので、近所に住む男の子は遊び友達ができて嬉しくてたまらないようです。Aiden(叡伝)君は20日間の体験入学が終わったらどうしてアメリカに行ってしまうの、と訊いていたそうです。

今月24日(日)には、北海道のサロマ湖一周100Km を走るウルトラマラソンがあったらしく、走友会のメンバーから共通メールアドレスに以下の報告が届きました。千葉大学医学部から東京女子医科大学に移った外科の教授ですが、100Kmのレースに出場するには相当練習を積んだ筈です。この先生のタイムは11時間24分だったようですが、過去には別のメンバーが40代の時に8時間30分で走ったそうです。この報告をみた会員は、「すごい」、「羨ましい」、「悔しい」、「いつかは自分も・・」、と感じた筈です。私の感想は情けないことに、「もう今の私には無理だな」でした。

夕方5時過ぎに江戸川堤防を8Kmくらい走ろうと思って、体育館で着替えて準備運動をして出かけたのですが、何故かいつものように元気がでなかったので、1時間くらい坂川という小さな川に沿って歩いてきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
     -----
一昨日(3日前)の24日にサロマ湖100kmに参加してきました。朝から雨模様で気温9℃と肌寒い天気でしたが、風は弱く、マラソンには適していました。フルマラソンとは違い、スピードよりもとにかく持久力と考え、前半は6分/kmを維持できるよう努めました。後半さすがに疲れて、6:30~7分/kmに落ちましたが、最後まで何とか持ちました。北海道の広々した風景と、オホーツク海・サロマ湖の静かな海の美しさは圧倒的です。地域の方々のボランティアも温かく、最も歴史のあるウルトラマラソンだと感じました。優勝タイムは7時間程度と聞いていますが、私は11時間24分でフィニッシュできました。〇〇先生に伺ったアドバイスが役に立ちました。ありがとうございました。ウルトラになると、足の痛みや疲れよりも胃腸が大切です。冷やさないこと(人によっては腹にホッカイロ)、胃薬(がスターなど)と鎮痛剤(ロキソニンなど)は必須です。もしご興味がある方、一人ではさびしく、ためらわれている方、来年一緒に参加しませんか?(本山:うーん、できることなら私も一度は挑戦してみたいけど、その為に必要な走り込みを考えると、悔しいけどとても無理だろうなあ・・。私があと20年若かったらなあ・・。


10k タイム(スプリット) 01:02:07
20k タイム(ラップ) 0:57:26  タイム(スプリット) 01:59:33
30k タイム(ラップ) 0:58:40  タイム(スプリット) 02:58:13
40k タイム(ラップ) 1:01:07  タイム(スプリット) 03:59:20
50k タイム(ラップ) 1:05:51  タイム(スプリット) 05:05:11
60k タイム(ラップ) 1:20:39(55kmのレストステーションで15分ロス)  
                 タイム(スプリット) 06:25:50
70k タイム(ラップ) 1:16:22  タイム(スプリット) 07:42:12
80k タイム(ラップ) 1:16:37  タイム(スプリット) 08:58:49
90k タイム(ラップ) 1:07:51  タイム(スプリット) 10:06:40
Finishタイム(ラップ) 1:18:06 タイム(スプリット) 11:24:46

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

2012年6月26日火曜日

夜中に非通知設定の携帯電話からNTTドコモを通してコレクトコールをかけさせて、私に拒否しますと言わせる迷惑電話や、夜中に非通知設定からワンギリ電話を連続してかけてくる嫌がらせ電話に煩わされないように、夜はいつも携帯電話はマナーモードに設定して充電することにしています。今朝はマナーモードを解除する時間が少し遅くなったら、アメリカの空手の弟子/友人のBill Oakley 君からHappy Birthday の留守電が入っていました。すぐこちらからかけ直して、Bill 君と久し振りに話をしました。

支援者からも私の誕生日を祝うメールが届いています。ありがとうございました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ご無沙汰しております。先生、お元気なご様子何よりです。最近の私は先生のブログを読んでから就寝するのが日課になってしまいました。
今日26日は先生の70歳のお誕生日ですね(先日のブログで知りました。) 心からお祝い申し上げます。いつも公私にわたり一生懸命活きておいでになる先生はイキイキとされていて、実年齢より若々しくお見受けします。これからもお元気でご活躍されますようお祈りしております。

素敵なBirthdayになりますように。(本山:妻が夕飯のご馳走にフライドチッキンを買ってきてくれ、娘や孫たちがHappy Birthday の歌を歌ってくれました。ケーキは太るからいらないと言ってあったのですが、デザート用に娘が内緒で大きなアップルパイを買ってきて、70才の代りに7の数字の飾りを立ててロウソクを灯してくれました。7才の孫娘のAika(愛夏)ちゃんが、Grandpa は私と同じ年齢と言っていました。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生、お誕生日おめでとうございます。いつまでもお元気でいて下さい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
お誕生日おめでとうございます!! いつまでも元気でパワフルな先生でいて下さい。お孫さんも一緒で、楽しいお誕生日が過ごせますね。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

私はちょうど70年前の今日、1942年(昭和17年)6月26日に、当時は日本の植民地だった朝鮮のピョンヤン(平壌)で生まれました。代議士の家に書生として住み込んで早稲田大学で法律の勉強をしていた福岡県桂川(けいせん)町の農家出身の祖父穂坂秀一(母の父)はキリスト教者内村鑑三の弟子でしたが、朝鮮に渡り、黄海道黄州(こうしゅう=ふあんじゅ)で大きな(2千町歩と聞きました)リンゴ園をやっていて、家族は皆向こうに住んでいました。1945年(昭和20年)の終戦の時は3才だった私を連れて、ソ連軍とアメリカ軍が対峙(たいじ)していた38度線を越えて日本に引き揚げるのは家族にとってどんなにか大変なことだったろうと思います。もう少しで私も残留孤児になるところでした。

引き揚げてから私が小学3年生(9才)になるまでは、宮崎県小林市に住みましたが、当初はキリスト教会の2階(屋根裏部屋)に居候(いそうろう)させてもらっていました。当時の日本の国土は荒廃し、海外からの引揚げ者も大勢で、衛生状態は悪く、食料も不足し、傷痍軍人が施しを求めて街角に立ち、日本全体が貧しい生活のどん底にありました。父は林野庁から払下げてもらった須木村(すきそん)の山を開墾してサツマイモを作り、母は永久津(ながぐつ)中学校の教師をしていました。国民は悲惨な戦争が終わったことを喜び、学校では戦争の残酷さと非人間性を教えられ、平和の尊さを教えられ、食べる物も着る物も住むところも貧しかったけれども、子供たちは親の愛情に守られ、これから平和で豊かな日本の国を築くのだという夢と希望に溢れていました。今考えてみると、経済的に貧乏なことが人を不幸にするのではなく、夢と希望があることが人を幸せにするのではと思います。
私の考え方の根底には、終戦後のこの時代に子供の頃を過ごしたという経験があるような気がします。

今日も東京農業大学の周囲を6Km ゆっくり走りました。
孫娘のAika(愛夏)ちゃんが、昨日買ってもらったシールと折り紙とクレヨンを使って作ってくれた私の70才の誕生日のお祝いのカードです。Grandpa を模した大きな金色の魚 の周りに家族一人一人を模した小さな魚が泳いでいます。小学1年生の自由な空想力には感心させられます。

2012年6月25日月曜日

今朝は電話が鳴ったと思ったら、ノースカロライナ州の空手の弟子/友人のFrank Peoples 君と奥さんのJoAnnさんからで、いきなり二人で "Happy Birthday ・・・" の歌を歌ってくれました。Frank 君の心臓の調子は大分良くなったようで、医者からは少し重い荷物を持つくらいのことはしてもいいと言われているとのことでしたので、もし今年の秋(9月下旬)以降に私がノースカロライナ州に里帰りできたら、一緒に稽古ができるかなと言ってやりました。
別の空手の弟子/友人の Margies さんからは誕生日祝いのカードが航空便で届きました。Over-the-hills (下り坂の男達)の仲間たちからの私の70才を祝う寄せ書きが書いてありました。私が引退したら、アメリカに帰ってのんびり魚釣りをするのが夢だということを知っているので、そんなデザインのカードでした。
遠く太平洋とアメリカ大陸の向こう側に離れていても、私のことを思ってくれている仲間がいるというのは嬉しいことです。

東京農業大学では、いつものように昼休みに大学の周囲を6Km ジョギングしましたが、曇り空で気温も低かったので走るのには快適でした。体育館の前では、応援団が何を言っているのか聞き取れないようなバンカラな声を張り上げて校歌か応援歌を歌いながら大根踊りの練習をしていました。

駅までの農大通りの途中に小さい公園がありますので、帰宅途中に散歩がてらに寄ってみたらアジサイの花が満開でした。途中の路地の庭にもアジサイの花が咲いていて、一口にアジサイといってもいろいろな園芸品種があることにあらためて気がつきました。

孫のCollin(琥倫)君は今日が幼稚園の初日でしたが、先生があらかじめクラスの園児に話しておいてくれたらしく、大勢の子供たちが 「こりん君」 と言って話しかけてきてくれたようです。迎えに行った母親の話しだと、緊張した時にいつもするように、今日は一日中シャツの端を口で噛んでいたと先生に言われたとのことでした。(写真はクリックすると拡大できます。)



2012年6月24日日曜日

孫たちはそれぞれの学校と幼稚園に体験入学する手続きが済んで、必要な制服や文房具類もそろいました。今日は車で市営のプールに連れて行きました。日曜の午前中だったせいか大勢の子供たちが親と一緒に来ていて、流水路を歩いたり、コースを泳いだりしていました。孫たちも母親と一緒に2時間くらい遊びました。
その後ファミリーレストランに行ってランチを食べさせたら、長男のAiden(叡伝)君はラーメン、次男のCollin(琥倫)君はホットケーキ、長女のAika(愛夏)ちゃんはうどんを注文して食べました。
その後トイザラスというおもちゃ屋に連れて行ったら、目を輝かしていろいろなおもちゃを見たり触ったりして、男の子はポケモンのカード、女の子はあちこちに貼りつけられるように糊のついた小さな飾り(Sticky Label)を母親に買ってもらっていました。

息子からは私の誕生日のプレゼントとしてしてTシャツと英語の本が送ってきました。DANIEL L. EVERETT 箸の<DON'T SLEEP, THERE ARE SNAKES - LIFE AND LANGUAGE IN THE AMAZONIAN JUNGLE >(ヘビがいるから眠らないように-アマゾン密林の生活と言葉)という本でした。私が高校時代からアマゾンの密林で暮らしたいという夢を抱き続けていたにもかかわらず、結局実現しなかったということを知っているのかもしれません。
30年以上前のアメリカ滞在中に永久滞在ビザを申請しましたが、時代(ベトナム戦争)が悪かったこともあって不許可になり、ブラジルに移住しようと思ってブラジル人にポルトガル語を家庭教師してもらっていた頃を思い出しました。もうこの年齢(26日で70才)では無理なので、人生で実現できなかったことは本の中で体験するしかないのでしょう。


2012年6月23日土曜日

今日は、東京農業大学生物応用化学科生物制御化学研究室主催で、今年3月に定年退職された宮本 徹教授の退職記念パーティが、東京市ヶ谷のアルカディア市ヶ谷(私学会館)で開催されました。宮本先生は有機リン殺虫剤の作用機構に関する研究を中心にやってこられたので、私とも共通性があって親しく交流させていただきました。宮本先生の恩師で先々代教授の山本 出先生、先輩で先代教授の本田 博先生、後任教授の仲下英雄先生、先輩で現東京農業大学学長・理事長の大澤貫寿先生をはじめ、先輩、同輩、後輩、その他交流のあった方々が大勢参集し、宮本先生の長年にわたる教育・研究の功績を称え、退職をお祝いしました。奥様も同席されましたが、数年前に発見された病気(胃がん)を克服されてここまでこられた宮本先生のお姿に、感無量だったのではと想像しました。医者には、もう病気ではないと言われておられるそうですので、これからも今までの蓄積を生かして、マイペースで社会に貢献をしていっていただければと思います。



2012年6月22日金曜日

支援者から以下のお便りが届きました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今晩は。先日はメール有難うございました。
支援金の残金は、本山先生のお考えのような方法に賛成ですが、市橋達也さん名義の口座の開設は難しそうですね。お知り合いの弁護士さんに相談され、検討されることになると思いますが、よろしくお願い致します。
以前から本山先生にお伺いしようと思っていたことが有ります。『市橋達也君の適正な裁判を支援する会』の活動に関しての経費(通信費や交通費等)として、本山先生に金銭的なご負担も掛かったと思います。多数の支援者に郵送で送られた支援金の受取り報告の切手代、弁護士事務所への交通費、市橋達也さんとご両親にお渡しされた支援者リストの用紙代や宅配便代…ご負担頂いた分は、支援金の残金から精算をなされないのかと気になっていました。出来ましたら、そのようにして頂きたいと思っていました。本山先生のお考え次第ですが、よろしければ支援者の方にも確認して頂ければと思います。(本山:弁護士事務所や千葉刑務所、東京拘置所を訪問した時の交通費や支援者の皆様との通信費は、私の支援活動の一部ですので、清算は必要ありません。ご配慮ありがとうございます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は岐阜県森林文化アカデミー客員教授の田畑勝洋博士、樹木医の阿部 豊氏、千葉大学大学院博士課程の学生と私、の4人で千葉県森林研究所を訪ねました。田畑博士が、マツノザイセンチュウが寄生した松は傷害応答としてエチレンを放出するという過去の知見に基づいて、松枯れを初期段階で診断する新しい方法についてプレゼンテーションを行い、それを実証する試験を森林研究所の協力を得て実施する計画を立てました。
うまくいけば、私たちが開発を試みている松枯れの治療方法と組み合わせて、病気の初期段階での診断と治療ができるようになり、松枯れ対策として画期的な進歩になる筈です。
大学院学生は、マツノザイセンチュウの培養や観察・同定・接種など、取扱方法を指導してもらうために森林研究所に残してきました。


2012年6月21日木曜日

東京農業大学総合研究所研究会生物防除部会の総会と講演会がありました。Meiji Seika ファルマ(株)生物研究所の梅村賢司氏の「天然物を利用した病害防除の可能性について~エリシターや乳酸菌を例として」と題した講演は、イネいもち病とハクサイ軟腐病を例として、抵抗性誘導による植物病害防除の基礎と成功の実例を見事に説明してくれました。
大変勉強になる素晴らしい講演だったにもかかわらず、参加者が限定されていたのは残念だなと思いました。

小田急線の経堂駅から東京農大に歩いて行く道は、入り口にハートフル農大通りという横断幕がかかっていますが、お祭りが始まったらしく提灯(ちょうちん)がたくさん飾られていました。


2012年6月20日水曜日

TA(ティーチング・アシスタント)が送ってくれた15日(金)に行った講義の質問事項について、できるだけ丁寧に回答を作成しメールで返送しました。今週の講義の時間に全員に配布するのだそうです。大勢が受講する講義では質疑応答の時間が十分にとれないので、出席確認用紙に質問を書かせて、次回の講義の時に質問と回答を全員に配るというのは、手間がかかる作業ですが、親切なやり方だなと思いました。
最近の学生諸君は、メールのやりとりに慣れているせいか、その分だけお互いに直接顔を見ながらやりとりする口頭でのコミュニケーションが苦手になりつつあるのかもしれません。

妻と一緒に車で成田空港に行って到着ロビーで待っていたら、娘と孫3人はロサンゼルスからほぼ予定通りに到着しました。昨日だったら台風で大変でしたが、今日で幸運でした。
孫たちは9才(男)、7才(女)、5才(男)になり、私達の家に滞在する40日間は日本の学校に体験入学することになっています。今夜から我が家は孫たちを中心の賑やかな生活になります。

2012年6月19日火曜日

昨夜遅くまでかかって植物ホルモン処理をした松苗を、今朝はポットに移植し、台風4号が接近していますのでプラスチックハウスの中に入れました。一緒にやってくれている大学院博士課程の男子学生はしっかりしていて、何でも勉強しようという意欲をもっています。新潟県胎内市でヘリコプターで散布された薬剤の飛散を調べるサンプルの分析は、彼にやってもらうことにしました。彼には今まで農薬分析の経験はありませんが、私がマンツーマンで指導をして予備実験を繰り返させ、技術が信頼できるようになったら、大気を捕集したカートリッジと落下薬剤を捕集したろ紙からの薬剤成分の抽出・濃縮・定容をさせ、GC/MS(ガスクロマトグラフィ/質量分析)で分析・定量させます。学生のうちにこうして新しいことを勉強して経験しておけば、将来就職活動をする時に有利ですし、研究職に就いてからも役に立つ日がくる筈です。

新潟県胎内市の海岸近くの松林に囲まれた砂地の畑では、近くの集落の人たちがいろいろな野菜を作っていましたが、人間が収穫する前にハクビシン(白鼻芯・白鼻心、タヌキのような顔をしたジャコウネコ科の動物)にやられてしまうとこぼしていました。イチゴはネットのトンネルをかぶせ、さらに回りを網で囲っていました。ジャガイモの花に真っ白なのと、少し紫がかったのがあったのは多分品種が違うのでしょう。
荒井浜森林公園にはタンポポによく似た黄色い花が咲いていたら、キク科のぶたな(俗称タンポポモドキ)という立札がありました。佐渡島では菊に似た白い花があちこちで目に付きましたが、案内してくれた県庁職員がフランス菊というのだと教えてくれました。江戸時代に外国から入ってきて、今ではあちこちで自生しているようです。
野外調査や講演で各地を訪ねると、いろいろな人との出会いも楽しみですが、珍しい動植物や景色に出会えたり、それぞれの地域の生活や文化に接することができるのも楽しみです。



アメリカ在住の娘と孫たちは明日の午後7時に到着予定ですが、千葉県の辺りを台風4号が通るのは今夜0時頃との予報なので、多分飛行機の着陸は問題ないでしょう。普段車に積んであるシャベルや道具を降ろして、外と車内の両方を洗車してもらいましたので、孫たちにグランパの車は汚いと言われないですみそうです。

2012年6月18日月曜日

支援者から届いたお便りです。そうですね、宅下げされた市橋君のスケッチをご両親にお渡しすることの可能性について、一度何かの機会に三宅弁護士にお訊きしてみてもよいですね。ご両親にとっては、息子の形見みたなものかもしれませんので。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生
ご無沙汰しております。お忙しい中お元気そうで安心して毎日ブログ拝見してます。さて先日のブログで市橋君のスケッチを弁護士さんが保管しているようですが、ご両親に渡すって事はできないでしょうか? ずっと弁護士さんの手元に置いておくのでしょうか?独居房の中でずっと描いた物です。ご両親に届けたいと思います。
お孫さん楽しみですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
娘と孫たちは明後日の午後成田空港に到着予定ですが、成田空港は北上中の台風の予想進路と重なりますので、着陸不可能にならなければいいがと思っています。

今日は」博士課程の学生と夜中の12時近くまで実験をやって、さっき帰宅しました。明日の朝はまた9時頃に大学で会うことになっています。こうやって仮説を立てて、それを証明する実験をやるのは楽しいことです。

新潟県胎内(たいない)市では山の方に住んでいる集落と、中条(なかじょう)駅や胎内市役所の近くの町の中に住んでいる集落と、海岸の近くに住んでいる集落とがありました。海岸近くの集落は松林(と言っても松くい虫被害で広葉樹に置き換わりつつある)に囲まれていましたが、私達の調査地点の近くに畑仕事にきたおじいさんは、昔はこの辺りの人はほとんどが船乗りで、自分は瀬戸内海航路を走っていたと言っていました。
空から見たゴルフ場にはまだまだ見事な松林が守られていました。


2012年6月17日日曜日

支援者から届いたお便りです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
例のオウムの容疑者の逮捕は出先のテレビで見ました。本人も逮捕されてどこかほっとしたのではないでしょうか?
市橋君は本山先生だけでなく、弁護団にも本当の気持ちを話せる状態ではなかったとは・・・。誰にも話すことなく自分の中に仕舞い込んだまま生きていくつもりなのでしょう。誰でも心の中に闇を抱えていますが、市橋君の場合は表に出さない事で自分と向き合っていく覚悟をきめたのでしょうか。
私もブログなどで事件直前の市橋君の状態を知りましたが、これで平静を保てというのは無理な話ですが、だからといってリンゼイさんをあんな目にあわせていいわけがないです。第三者にはあれこれ推測する事は出来ますが、所詮推測でしかない。いつか市橋君が語ることがあるかもしれないので、それまで待ちましょう。
本山先生、更生を支援する会の口座を開設するのは賛成ですが、本人以外で口座を開設できるかがネックですね。本山先生、よろしくお願いします。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
この方は追伸で、ゆうちょ銀行の口座開設に関する情報が載っているサイトを紹介してくれました。ありがとうございました。
http://www.jp-bank.japanpost.jp/kojin/start/kj_st_kojin.html

今日は大学院博士課程の学生と、昨日入手してきたマツの苗木を使って、マツノザイセンチュウが侵入した松の樹を治療・再生する方法に関する実験をする準備をしました。

一昨日の千葉大学園芸学部における私の講義について、世話をしてくれているTA(ティーチング・アシスタント)の大学院修士課程の学生から、出席確認用紙に記入された受講生からのコメントが送ってきました。お世辞が入っているかどうかはわかりませんが、いいコメントが多いのでいい気分です。質問にもきちんと答えてあげようと思っています。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
本山先生
本日は貴重なお話をありがとうございました。受講生からたくさんの感想がありましたので、いくつか抜粋させて頂きます。


3年生〇〇さん
他の講義でも農薬の話を聞いたが、先生のお話は全く抵抗なく自分の中に入ってきた。特に無農薬のほうが危険である可能性が高いのは生物の防御機構を発現させているから、という説明に納得した。「農薬は安全」という認識を広めたいと思った。

2年生〇〇さん
農薬無しにまともな作物が採れないことは知っていましたが、今日の本山先生のお話はこれまで聞いた授業の中で一番わかりやすかったです。無農薬が健康に良いと信じている人たちは何を食べているのか、心配になりました。

3年生〇〇さん
化学農薬でも、自然農薬や天然毒素でも、構造式が同じならば効力も同じはずなのに、農薬だけが悪者にされるのは疑問だと思いました。消費者教育が何より大切だと思います。

他にも「とても楽しい授業でした」「聴きやすく分かりやすかったです」「有機栽培は安全だと思っていたのですごくショックです」「素晴らしいプレゼンテーションでした」「有機の文字につられて高い野菜を買うことも多いのですが、その必要はないのだということが良くわかりました」等、たくさんの感想がありました。

以下、受講生からの質問です。次回授業内で回答集として配布したいと思いますので、ぜひご回答頂ければと思います。
     -----
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

新潟県での調査では、新潟港からジェットフォイルという高速連絡船で佐渡島に渡り、短時間でしたが松林の視察をしてきました。放鳥したトキが松の樹上に営巣し、ヒナの巣立ちの様子が連日テレビで報道されていましたが、地元住民は松林を松くい虫から守るために薬剤散布を要望して環境省と対立していると伝えられたところです。トキの営巣地は秘密になっているそうですが、県庁職員が短い時間内に効率よく島内の松林を車で廻って案内してくれました。トキが採餌に来るという水田には、私たちが遠くから眺めた時には残念ながらトキは来ていませんでした。島内の松林はすでに松くい虫の被害で相当面積が消滅したようですが、八幡(ヤハタ)館というホテルの周囲にはりっぱなアカマツ林が保全されていました。承久の変(1221年)で佐渡に御遷幸(島流し)された順徳天皇の御火葬塚(旧真野御陵)にもりっぱなマツが数本残っていました。ちょうどNHKの大河ドラマ「平清盛」をやっていますが、承久の変というのは時代的にはそのちょっと後くらいのようです。新潟港に停泊していた海上保安庁の巡視艇や、山の頂上に設置されている最新鋭レーダーは、日本海側の国際的・政治的(軍事的?)緊張を感じさせました。



2012年6月16日土曜日

以下は昨夜支援者から届いたお便りと、私から差し上げた返信です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今晩は。毎日ブログ拝見しています。新潟県胎内市から戻られた日のブログに、少し睡眠不足と疲労気味と載っていましたが、翌日のブログでは午前中にジョギングされたと拝見し、凄いと思いました。本山先生の体力と気力を見習いたいです。
一昨日は、週刊文春の記者の方とお会いされ、対談の企画も提案されたそうですね。市橋達也さんに関しての取材は、記事になりそうでしょうか? 山本弁護士さんが最後に接見された際に、誰にも知られずに罪の償いをしようと覚悟を決めているように感じたそうですとブログで拝見致しました。山本弁護士さんからは、上告をしないと決めた彼の考えや気持ち、受刑を前にしての心境や様子など、他にもお話はございましたでしょうか?
週刊文春の記者の方が求めているような事件の真相を知ることは難しいですが、前回の文藝春秋の記事も、他の週刊誌のような興味本位の内容とは違いましたので、市橋達也さんと繰り返し面会された本山先生や弁護士さんが感じ取られた彼の実像から、事件の真相を考えられるような記事になればと思います。
もし損害賠償請求された時は、山本弁護士さんが弁護を引き受けられるようなお話しは、ありましたでしょうか? 弁護士費用につきましては、事前に市橋達也さんとお話しされて心配はないかと思いますが、用意出来るのかが気になります。
支援金の残金の処理方法は、3案の中で市橋達也さんの仮釈放の機会が与えられた時の為の生活資金として考えて頂けていると伺い、保管方法など難しい問題が有りますが、どうぞよろしくお願い致します。ご両親に保管のお願いが出来れば一番良いのではないかと思いますが、ご両親にご負担が掛かったり、彼とは関わらない姿勢なので断られる可能性も有ります。支援者のメッセージも反対のご意見も有りましたが、本山先生はどのように思われますか?
ご両親にマンションの鍵を返される時に、彼の収監先を伺って頂けるとの事でしたが、もう返却はされましたでしょうか? 彼は受刑者となり裁判には関わりはなくなりましたので(民事訴訟があるかも知れませんが)ご両親のお気持ちも変わり、お返事頂ける事を願っています。
来週はお孫さんが2年ぶりに来られるそうで、今から楽しみですね。

     -----
本日(6月15日)のブログ拝見致しました。市橋達也さんも、菊池直子容疑者、高橋克也容疑者も、身柄確保時は、3人共あっさり本人と認めたのが普通に考えると不思議です。あれだけの逃亡をしたのですから、何か抵抗や上手く繕って逃げそうな感じがしますが…やはり、それだけ肉体的にも精神的にも追い詰められ疲れ果て、覚悟を決める時が来るのかも知れないですね。お花の写真、きれいで可愛かったです。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
2012.6.15
〇〇〇〇様
久し振りのお便りありがとうございました。今日の講義が済んだら私の方からメールを送りたいと思っていました。菅野弁護士・山本弁護士との面会は1時間くらいでしたが、いろいろな話をしました。私と会う前に弁護団会議を開いて、市橋君の弁護活動の総括と、何故判決があのようになったかの解析や反省があった筈です。私と会った時にはもう弁護団は解散して、市橋君の事件は過去の問題になっていたのだと思います。事件の真相・深層については話題にしませんでした。一番市橋君に対して親身になって接して下さった山本弁護士でも、市橋君とそこまでの会話はできなかったのかもしれません。元教員-元学生の関係の私でも、事件の真相・深層に踏み込んだ会話はできませんでした。結局、市橋君の心がそういう会話ができる状態にまでなっていなかったのだと思います。
事件当日の朝まで彼の部屋にいた当時お付き合いしていた年上の彼女がいて、恋人のような生活をしていたにもかかわらず、何故リンゼイさんにあのようなことをしたのか・・。彼女とのことは両親に話せず、英語の試験で十分な点が取れずに、お父さんからは月末までに家を出て自活するように言われていたという状態で、自暴自棄になったのかもしれません。あるいは、若い男性の本能として、魅力的だったリンゼイさんに性的に惹かれて、しかも4階の自分の部屋の中に入ってくれたことで彼女も自分に気があると誤解をして強引に行動をし、強く抵抗をされたので終わってからどうしていいかわからずにパニック状態になって判断力を失ったのかもしれません。リンゼイさんの顔を2回殴った(彼の証言では強姦するためではなく、強姦後バスタブの中で監禁している時に)という事実は、判断力のない心神喪失状態だったのだと思います。いずれにしても、他人には想像しかできませんので、いつの日か市橋君が落ち着きを取り戻して自ら自分の行動を冷静に見つめ直して、何故そんなことをしたのか語れる日がくるまで待たなければならないのだと思います。
〇〇〇〇氏(週刊文春の)が私に会いに来た主な目的は、文庫本(「真相開封-昭和・平成アンタッチャブル事件史」文春文庫)を渡すことでした(本山:この本の<はじめに>にある若き日の記者の述懐は、私のところに来られた記者自身のことかどうかはわかりませんが、犯罪加害者やその家族を取材する時の葛藤がわかり、読み応えがあると感じました)。原稿の締め切りが月に1回だった月刊誌から月に4回の週刊誌に移って、じっくり取材をして企画を考える時間的余裕がなくなったのかもしれませんが、本間 龍氏も含めた対談の話もしてみましたが、具体的にはそれ以上進みませんでした。文藝春秋の編集部員は15人だったのが、週刊文春の編集部員は55人だそうです。それだけ記事に追われているということかもしれません。読者の興味を惹いて雑誌の販売部数増加につながるという自信のある企画でなければ編集長に提案できないのかもしれません。ただ、市橋君が千葉拘置所で描きためて三宅弁護士に宅下げしたスケッチについては、かなり興味を示していました。本は山本弁護士に宅下げし、衣類は菅野弁護士に宅下げしましたが、いずれ処分して得られる若干のお金をどうするのか私にはわかりません。スケッチについては、出版すれば多くの人々の注目を集めて、手記と同じように売れると思いますが、それだけで本にできるだけの数量があるのかどうかもわかりませんし、三宅弁護士の一存でそれを許可できるのかもわかりません。市橋君の了解を得ようにも、今はどこで受刑しているのかもわからない状態ですから。いずれ、市橋君が事件の真相・深層について書くことがあるとすれば、それと合わせてスケッチを出版することも考えられます。
マンションの鍵の返還について、まだご両親にお手紙を差し上げていません。時間がありませんでした。もしかしたら、この週末に書けるかもしれません。支援金の残金の取り扱いについては、犯罪被害者救済基金にという意見もありましたが、今から30年前後に市橋君が仮出所できる時の生活資金にというのが大半の方の意見でしたのでそうしようと思います。私自身は、千葉県弁護士会に寄付をして弁護人のいない被疑者・被告人の弁護活動に使ってもらうのがいいのではとも考えましたが、支援者のお気持ちを尊重したいと思います。それと最近起こった事件(出所して間もなく、食べることと寝る場所を確保するのに疲れて、自殺する代わりに殺人をして死刑にしてもらおうとした)も、市橋君に同じことが起こらないように社会復帰できた時の生活資金を少しでも確保しておいてやりたいという気にさせました。いずれ、友人の弁護士にも相談してみたいと思っていますが、今までのゆうちょ銀行の適正な裁判を支援する会の口座を閉鎖して、新たに更生を支援する会の口座を市橋君の名義で開設して、達也という名前の印鑑を作って登録し、その印鑑をご両親に保管していただくのはどうかと考えています。市橋君が出所する前にご両親が亡くなることがあれば、市橋君のお姉さんなり親族に遺言をして印鑑を保管していただいて、市橋君が出所した時に口座番号と一緒に渡していただくという考えです。本人以外の人間が市橋君の名前で口座を開設できるかどうか、弁護士に訊いてみないと私にはわかりません。
もっと書きたいこともありますが、夜も更けてきましたのでまたの機会にします。お休みなさい。
本山直樹

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は車で2時間ちょっとかかる茨城県那珂(なか)市の種苗園に行って、確保しておいていただいた松の小さな苗木を50本受け取ってきました。新潟県や千葉県だけでなく、茨城県の大洗海岸の松林も松くい虫の被害で酷い状況だとのことでした。昨年は松くい虫に加えて特に東北地方では津波の被害で松林が崩壊し、抵抗性クロマツの苗の需要が急増し、供給が間に合わないようです。小雨の中を苗木を育てる圃場を改めて見せていただきました。松ぼっくりから取り出した種を植える圃場、芽が出て間もない稚苗を密植して育てている圃場、ある程度の大きさになってから掘り起こして植え直して小さい苗に育てている圃場・・、と最低でも3年はかかるようでした。
その他に、花粉のでないスギ(杉)やヒノキ(檜)の苗を育てている圃場もありました。



2012年6月15日金曜日

今日はどこのテレビ局も高橋克也容疑者の身柄が確保されたニュース一色でしたが、支援者からも以下のお便りが届きました。捜査員に声をかけられた時に素直に本人であることを認めたようですので、市橋君の時と同じように、逃げ回ることに疲れ果てて法の裁きを受ける覚悟を決めていたのかもしれないと思いました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今日、オウムの高橋容疑者が捕まりました。市橋さんは2年半で捕まってもう惨めな思いをしないで罪を償うことが出来て良かったと思います。事件の前に働いていたら優秀な仕事してたのにって思ったら涙が出てきました。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

公開講座の受講生は、千葉大学園芸学部の学生(2年生、3年生、4年生)が39人と学外者が11人でした。毎年そうですが、学内の学生よりも外部から来られた方々の方が熱心に私の講義に耳を傾けていたように感じました。TA(テイーチング・アシスタント)の大学院生が、質問事項を書き込める出席確認用紙を配って回収してくれていましたので、どういう質問やコメントが送られてくるか楽しみです。私が担当するのは15回の中の今日1回だけですから、受講生の質問に対する回答はメールで個別に送信することになります。7月27日の最終回の後で、修了式と懇親会が予定されていますので、受講生と直接交流できる機会がもう一度あります。
明日の天気は雨模様ということもありましたので、教室に行く前に江戸川堤防を8Km 走ってきました。

新潟県胎内市荒井浜には、松やニセアカシアだけでなく、「とべら」という白い可憐な花が咲いている木や 、それとよく似た「しゃりんばい」という木や、色鮮やかな草花も咲いていて楽しませてくれました。森林公園の看板は中条町となっていますが、中条、黒川、奥胎内という地区が合併して現在の胎内市になったのだそうです。



2012年6月14日木曜日

地下鉄サリン事件で特別手配中のオウム真理教元信者の高橋克也容疑者を追跡しているニュースが毎日報道されていますが、市橋達也君の映像を流して類似点をコメントしている番組もありました。すでに身柄を確保された菊池直子容疑者もそうですが、逃げ回る生活はどんなに惨めなものだろうと想像してしまいます。支援者からも、市橋君の場合を思い出しながらニュースを見ていますというお便りが届きました。

新潟県胎内市では、海岸からかなり離れたところでも砂地が続いていて、砂採取場の断面が露出しているところがありましたが、深さが10mくらいはありそうに見えました。海岸の保安林が造成される前は、歴史の長い時間の中で、こんなにも飛砂が堆積したのでしょうか。
場所によっては、海岸の保安林とゴルフ場が隣接し、ゴルフ場と広大なタバコ畑が松林をはさんで隣接していました。
薬剤の飛散調査をしている時に、松林の中から雉(キジ)がでてくるのを何回も見ました。




明日は千葉大学園芸学部で、公開講座「食の安全と安心」の講義を担当予定です。準備はだいたいできましたので、江戸川堤防を8Km 走ってきました。
アメリカ在住の義理の息子はG20サミットの取材映像を日本のテレビに送る仕事をとったらしくメキシコに行っているようですが、娘と孫3人は来週には日本に来てしばらく私たちと同居する予定です。昨年は放射能汚染を恐れて来なかったので、2年振りに孫たちがどれだけ大きくなったか会うのが楽しみです。妻は受け入れ準備に余念がありません。

2012年6月13日水曜日

昼休み東京農業大学の周囲をジョギングして、シャワーを浴びて桜丘アリーナと呼ばれる体育館を出たら、週刊文春の記者から約束の時間より少し遅れるとの電話がありました。研究室で、コンピューターに詳しい元学生が推薦した買い換え用のノートパソコンを検索していたら、記者が到着し、「真相開封-昭和・平成アンタッチャブル事件史」(「文藝春秋」編集部編)文春文庫(2012年6月10日発行)という3日前に発売になったばかりの本を持ってきてくれました。
月刊「文藝春秋」が昨年の12月号に組んだ大型特集に、本年2月号に掲載された記事を追加して加筆修正したものとのことですが、「はじめに」に記された新人記者の述懐には、月刊誌にしても週刊誌にしても、記者たちが自問自答しながらも地道に取材の努力をして、事実を読者に伝えようとしている姿を訴えていました。
市橋君の事件に関して取材を受けた私の記事も再掲されていました。雑誌はすぐ店頭からなくなりますが、文庫本の形になればいつまでも残りますので、後から興味をもった読者も入手できます。


先月28日に菅野弁護士・山本弁護士とお会いした時の様子をお話し、現在市橋君がどこの刑務所で受刑しているかは弁護団も私もわからないことを伝えました。支援金の残りは、多くの支援者が約30年後に市橋君に仮釈放の機会が与えられた時のための生活資金として残してほしいという希望だったのでそうするつもりだが、どういう形でそれを実現できるかはもう少し検討するつもりだと伝えました。
月刊「文藝春秋」12月号に記事が掲載され、その後私と手紙のやりとりをした樹月(きづき)カイン氏の訴え(受刑者は単に刑期が過ぎるのを待っているだけで、本当の意味の更生プログラムがない)と、今月10日に大阪で起きた無差別殺人事件の礒飛(いそひ)京三容疑者が5月24日に新潟刑務所から出所したばかりで、食べることと寝る場所を見つけることに必死で、結局追い詰められて自殺する代わりに死刑になるために殺人をしたという信じられないような悲惨な事実との関連性について話題にしました。受刑者の社会復帰後の再犯率が高いという問題点について、法務大臣が記者会見で検討を始めると言っていましたが、ジャーナリズムの仕事として週刊文春でも受刑経験者を含めた対談などで問題を社会に訴える企画をしたらどうかと提案をしてみました。当然、記者の一存でどうこうできることではないことはわかっていますが・・。

2012年6月12日火曜日

今日は東京で木材保存剤等性能審査委員会の平成24年度第1回安全性部会が開催され、私も委員として出席しました。申請された6件の防腐・防蟻剤の安全性について厳しく審査し、疑問点や、不足しているデータや、必要な注意書き等について指摘しました。

新潟県胎内(たいない)市の海岸沿いには国道113号が走っていますが、胎内市とその南側に位置する新発田(しばた)市との境には市境を示す標識が立っています。ヘリコプターでスミパインMC(有効成分は有機リン殺虫剤のフェニトロチオン)という薬剤の散布を続けてきた新発田市側では、松くい虫被害からしっかり守られて見事な松林が存在していますが、過去4年間散布を中止した胎内市側では、松は松くい虫の被害でボロボロになってまるで松の墓場みたいな様相を呈しています。
胎内市の担当者も地元の住民も事の重大性に気が付いて、今年からヘリコプターによるスミパインMCの散布を再開しました。そこで私たちは、散布された薬剤の飛散状況を調査して、周辺住民への健康影響の可能性や、周辺の畑に存在するタバコその他の作物への影響の可能性を推定する研究を実施しました。気中濃度は通常日本人の平均的鼻の高さ(地上1.5m)で測定しますが、今回はそれに加えて樹冠部での気中濃度や落下量の測定もしました。松の枝葉の上は、伸縮自在の物干し竿の上端に100円ショップで買ってきた紙製のシフォン型(ケーキを作る枠型)に、小型ポンプと接続したカートリッジ(大気捕集用)とろ紙(落下薬剤捕集用)を固定するという簡便な方法を工夫しました。

明日は、週刊文春の記者が市橋君の事件の件で取材に来られる予定です。



2012年6月11日月曜日

無人ヘリコプターをラジコンで操縦する高所作業車に乗せてもらった時は、ヘルメットをかぶって、安全ベルトを締めて、万が一の時に落下しないようにベルトの金具を作業箱に固定しました。有人ヘリコプターに乗せてもらった時は、シートベル着用はもちろんですが、騒音の中でも会話ができるようにマイクが付いた両耳を塞ぐヘッドセットをかぶりました。フライトが終わると、薬液タンクや散布ノズル等の洗浄をしていました。

機上から見ると松林の状態が一目瞭然でした。国道を挟んで海岸の松林と接しているゴルフ場側の松林は見事に保全されて美しい景観を提供しているのに対して、海岸側の松林はもう松林とは呼べない程ボロボロになって、醜い姿をさらしていました。松くい虫の被害を防ぐ技術はあるにもかかわらず、それを使わなければどうなるかを如実に示していました。



今日は午後から東京農業大学の研究室に来客があり、9月4日に大手町の全農ビルで計画されている農薬に関する講演会の演題と内容について打ち合わせをしました。
今週の金曜には千葉大学園芸学部で昨年と同じく「食品安全ビジネス論」という講義科目の一部を担当する予定ですので、そろそろその準備を始めなければと思っています。

2012年6月10日日曜日

新潟県胎内市の村松浜地内の松林の松くい虫による被害は、まるで1960~1970年代のベトナム戦争当時の枯葉剤(Agent Orange)を散布された密林のように、骨だけになったようなマツの木が林立していました。昨年のちょうど今頃マツノマダラカミキリに後食(こうしょく)されてマツノザイセンチュウが樹体内に侵入し、秋頃に枯れたと思われる幹や枝をよく観察すると、樹皮の下に幼虫の食入痕やフラス(粉くず)が見つかります。

林床に放置されていた直径約10cm、長さ約3mの枝の食入痕の3cmくらい上を手斧で丁寧に割材してみたら、65頭以上の幼虫・蛹・成虫(大半はまだメラニン化していない蛹)が見つかりました。予想をはるかに超える大変な高密度でした。成虫は直径1cmくらいのまん丸い穴を開けて羽化脱出し、今年生長してきた当年枝か昨年生長してきた1年枝に飛んでいって後食します。
こんな小さな虫が、ヘリコプターによる薬剤散布を中止してわずか3~4年で広大な面積の松林を壊滅させるのですから、たいしたものです。
網室内で実験的に観察するのは別として、野外の自然状態でマツノマダラカミキリ成虫がマツの当年枝を実際に後食するのを目撃するのはかなり難しいのですが、村松浜では短時間に多数観察することができました。生きているマツが少なかったことが幸いしたようです。お蔭で貴重な写真が撮れました。(写真はクリックすると拡大できます)




午前中に久し振りに江戸川堤防をゆっくり6Km走ってきました。青い空に白い雲がたくさん浮いていて、何回も見上げてしまいました。遠くに筑波山の山影も見えました。途中で自転車に乗っている人に声をかけられたら、新松戸に住んでおられるある農薬会社の方で、サイクリングをしていました。昨日まで新潟県胎内市の海岸の松林の調査に行っていた話をしたら、何とその会社の主力工場は胎内市と続きの新発田(しばた)市の海岸の松林に囲まれたところにあって、会社としても必死で松くい虫防除をして松林を保全しているとのことで、偶然とはいえ驚きました。シャワーを浴びてから恐る恐る体重計に乗ってみたら、0.2Kg しか増加していませんでしたので、嬉しくなりました。新潟県滞在中は1週間全く走らずに3食をきっちり食べて、飲んで、寝るだけの不摂生な毎日でしたので、相当重くなっている筈と覚悟していました。

2012年6月9日土曜日

新潟県胎内市での1週間の調査が終わって、車で5時間かかって今夜松戸に帰ってきました。いつものノートパソコンを携行して、宿泊していたホテルの部屋でブログの記事を更新しようと思っていたのですが、私の使っているノートパソコンが古いモデルで頻繁に使ってきたせいか部分的に故障してできませんでした。

朝2時45分に目覚ましをかけて、3時過ぎには薬剤が散布される海岸の松林に到着して飛散をモニタリングする準備をしたり、体力勝負の調査でした。人家に接近した場所やタバコ畑に隣接した場所では無人ヘリコプターで散布され、それ以外の場所では有人ヘリコプターで散布されました。
今回は、ラジコンで無人ヘリコプターの飛行と散布を操作する高所作業者の上に乗せてもらい、上から松林に薬剤が散布される様子を見る経験できました。有人ヘリコプターの場合も、散布作業終了後に操縦席の横に乗せてもらい、松林の上空を飛んで松枯れ状況を上から眺める経験ができました。
調査自体はほぼ計画通りできましたが、松くい虫防除の問題点もいろいろ把握でき、新たに勉強になることがたくさんありました。
少し睡眠不足と疲労気味ですので、体力と気力を回復をしてから報告したいと思っています。


2012年6月2日土曜日

支援者から届いたお便りです。今は返信を差し上げる時間的ゆとりがないので、とりあえずここに紹介しておきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
今晩は。昨日(一昨日)のブログ拝見致しました。樹月カイン氏のお手紙に「お手紙は東京拘置所へ出し続ければ、移送先へ転送されるはずです。」との事でしたが、東京拘置所に問い合せをしたことが有ります。刑の確定後でも東京拘置所に収監中は、家族以外も手紙は届きますが、刑務所に移送後は転送はされずに差出人に戻って来ると伺いました。
以前、市橋達也さんが千葉刑務所の拘置所に収監時、千葉刑務所に確認した時は、移送先に転送されると伺いました。千葉刑務所の拘置所と東京拘置所では未決囚の収容人数が違い、刑が確定し刑務所への移送も頻繁に有りそうですから、転送の処理も難しいのかと思いました。実際には分かりませんので、受刑されている樹月カイン氏のお話通り転送される可能性もあるかも知れないですね。
東京拘置所で市橋達也さんの刑が確定し受刑者となり、もう手紙の受取も拒否をするのではないかと思い、受取拒否をされた場合についても確認しましたら、その場合も差出人に戻されるとの事でした。なので、手紙が戻って来てるのではないかと毎日ポストを見るのが不安でしたが、大丈夫でした。
本日(昨日)、第54回全国矯正展が開催されました。矯正展は、刑務作業の現状や重要性を知って頂く為、受刑者の刑務作業の姿や作業製品の展示販売されていますが、特設コーナーの「生命(いのち)のメッセージ展」では、犯罪等により生命を奪われた犠牲者の等身大のパネルに生前に履いていた靴が展示され、残されたご遺族のメッセージに、涙が出てきました。「生命(いのち)のメッセージ展」で、命の尊さや被害者遺族の苦しみも感じ、「矯正展」では市橋達也さんの更生も支援したい思い…複雑な心境です。決して犯罪を擁護している訳ではなく、裁判所が決めた無期懲役の判決を受け入れ、刑務所で罪を償いながら生きていく彼の力になりたいです。

刑務所の処遇や更生について、矯正展で前向きに取り組んでいると感じますが、樹月カイン氏のお手紙からも刑務所の実態とは、かなり異なります。
     -----
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

今日は松園会(しょうえんかい)という千葉大学園芸学部出身者で植物保護関係の仕事に就いている人たちを中心にした同窓会がありました。第19回ですから発足してから19年目ということになります。必ず講演会も一緒にやっていますが、今日は日本曹達株式会社常任顧問で農薬工業会技術委員会委員長でもある服部光雄氏が「国内外の農薬登録制度について-主として日本、アジア諸国及び欧米の制度について-と題した講演と、財団法人日本園芸生産研究所理事長で千葉大学名誉教授でもある伊東 正先生による「農作物の放射能汚染と健康への影響」と題した講演がありました。お二人の演者ともそれぞれの分野の造詣が深く、大変よい勉強になりました。
私の千葉大学時代の研究室の出身者も何人か参加していて、ほとんど全員お互いに知った仲間ですから、懇親会はやーやーと気軽に話しかけ、和気あいあいとした雰囲気でした。現職の教授の中には、就職活動をしている学生を連れてきて、社長や部長になっているOBによろしくと挨拶していました。

明日は松戸を朝8時半に出発して、車で新潟県胎内市に向かいますが、さっきカーナビで目的地を入れて所要時間を調べてみたら約5時間と出てきました。ノートパソコンを持参しますので、宿泊予定のホテルでもブログの更新ができることを期待しています。

2012年6月1日金曜日

今日は午前中に6月3日~9日にに実施予定の新潟県胎内市での調査に必要な手続き(宿泊予定のホテルの予約や新潟県庁の担当者との連絡や同行研究者との打ち合わせ等)をしてから、東京農業大学の研究室に顔を出しました。しばらく来れないので、郵便物のチェックなどをしていたら、先日栃木県足利市の会社見学に一緒に行った女子学生の指導教授がご挨拶に訪ねてこられました。私の方から先に、勝手なことをしたご報告に伺おうと思っていたのですが、この就職難の時代にありがたいとお礼を言われてしまいました。

今日は専務取締役からメールが届き、女子学生は今日東京の本社を訪問し、採用条件を提示され、一週間以内に返事をしてもらうことになりましたとのことでした。紹介者の私やご両親とも相談してよく考えて返事をして下さいと言いましたが、弊社としては是非来て(入社して)いただきたいとのこと。私は9日まで留守にするので、今ちょっと前に本人に電話をしてみたら、今から両親とも相談するけど、自分としてはこの会社に勤めたいと言っていました。

今は不景気で就職難の時代なので、大学卒の初任給がどれくらいか相場がわかりませんが、多分私が千葉大学を定年退職した頃よりは下がっている筈だと思って採用条件を訊いてみました。基本給約19万円に住宅手当や通勤手当などがついて月給は約26万円とのこと。ずい分いい条件ですねと言ったら、彼女自身あちこち就職活動をしているのでよく知っていて、こんないい条件のところはありませんと答えていました。ご両親はこの話にすでに大喜びで、もしこの会社に娘が勤めることができたら車を買ってあげると言われているとのことですので、彼女は入社しますという返事をするようです。専務取締役からのメールでは、彼女からOKの返事が届いたらすぐ内定通知を出す予定とのことですので、ほぼ決定と同じです。

過去に私の研究室でデータ入力のアルバイトをしていた男子学生が、就職活動で苦労していた同じ研究室の女子学生を私のところに顔見せにつれて来たのがきっかけでこういう展開になったのですから、人との出会いというのは不思議なもので、ちょっとした出会いでも大切にしなければと思います。元々は栃木県の田舎でご両親が娘をしっかり育て、本人もそれに応えて真っ直ぐに成長したことがこういう結果になったのでしょうが、今日は私も大変いい気分です。